kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

新潟県白根 山田さんの≪白根白桃≫のご案内です。

 其処此処(そこここ)に秋を感じることのできるこのごろ。樹々は秋の実りの準備すすめ、足元では秋草が花開く。見上げれば入道雲は影を潜め、うろこ雲やいわし雲がうっすらと広がる。この「行き合いの空」を吹き抜ける風もまた、朝晩には「涼風(すずかぜ)」となり、虫の音を響かせているかのよう。この秋を待っていたかのように、「白桃前線を追え!」はアンカーの新潟県白根代表品種「白根白桃」へとバトンが渡されました。

 米どころで有名な新潟県ですが、白根という地域は、知る人ぞ知る県下最大の果樹栽培地なのです。いったいどのような地なのか?今回は、過ぎし夏の盛りのころのお話です。

 

 東海道中山道などの五街道日本橋を起点にしているのに対し、日本の中枢を担う鉄道は「東京駅」から広がります。乗降者数は新宿に及ばないものの、堂々たる第3位。しかし、悲喜こもごもの感傷が、他の駅との違いを鮮明にしています。暑さ盛りの頃ともなると、悲しみを抱えている人よりも、期待と希望に満ちている人々が満ち溢れています。特にこのホームでは、暑さに疲弊している感は否めませんが、里帰りや旅行に出かける人と、東京に旅行に来ている人が交錯する場所となります。これが、他の駅とは一線を画するところなのではないでしょうか。子供たちの喜びの雄叫びがこだまする夏は、「なにごとも楽しみなさい」という童心を思い出しなさいと大人に促しているかのようです。

 東京駅から四方八方に向かう新幹線乗り場。緑色のご案内に従い向かった先に辿り着くホームで待ち受けるのが上越新幹線です。東海道新幹線が「青いライン」、上越新幹線が「緑のライン」という懐かしい姿が特徴でしたが、今やどの新幹線もハイカラなお姿に変わり、まるでカモノハシのよう。この感想を抱く時点で、自分も年を取ったのでしょう。今回は上越新幹線に乗り込み、9月のBenoitの特選食材が育まれた地へ向かいます。東北や関西ではありません。上越新幹線ですから、越後の国「新潟県」です。

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 上越新幹線が越後トンネルをくぐり抜けると、川端康成の小説「雪国」の舞台「湯沢」、さらに進むと幕末時代に繰り広げられた北越戦争の舞台、時代の趨勢に翻弄された「長岡」へ。さらに過ぎると、世界に誇る銀器を作り出す「燕・三条」、その次は終点の「新潟」です。今回ご紹介したい地は、燕三条駅を過ぎてすぐ、進行方向右手に見える「白根(しろね)」と呼んでいる地域です。新幹線の車窓からは、「米どころ」の名声を勝ち得ただけあり、見事なまでの田園風景が広がります。その中にあり、この白根地区は稲作も行っていますが、新潟県人であれば知らぬ者はいないほどの「フルーツ」の産地なのです。今では市町村合併により、白根市新潟市に加わり、新潟市南区白根へと名を変えました。

 今から300年ほど前、江戸時代も中期にさしかかろうとする頃には、すでに新潟県での「ナシ」の栽培が始まっていたといいます。越後平野を流れる2大河川、信濃川阿賀野川。この流域で頻繁に見舞われる水害は、人々を疲弊し、水に強い他の農作物を模索するということは自然の成り行きだったのでしょう。そこで白羽の矢が立ったのが「ナシ」でした。すでにこの時代にあり「越後のお国自慢」として、幕府に献上していたという記録が残されています。もちろん、今馴染みの「ナシ」とは別物で、「類産(るいさん)」という品種だったようです。しかし、他の食味に優れた今の和梨によって淘汰されることになり、日本に残る唯一の原木が新潟県の月潟(つきがた)に残っているのみ。1941年に国指定天然記念物「月潟の類産ナシ」です。新潟市南区別当(おおべっとう)に今もその雄姿を見ることができます。皆様気付かれましたか、白根も大別当(合併前は月潟村大別当)も新潟市「南区」です。

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 信濃川長岡市を過ぎ、三条市に入ると、二手に分かれます。本流が信濃川であれば、支流は画像にある「中ノ口川(なかのくちがわ)」です。この並行するように流れる2つの河川が、新潟市の西区で再び落ち合います。分流する地域が「月潟」、両河川に挟まれた中州のような地の中心に「白根」です。さて、総延長は日本一、と小学校で習った信濃川です。ひとたび大雨によって増水した場合、どれほどの規模で氾濫したことか。まして、下流域が晴れていても、上流で大雨だった場合などは、情報の伝達に時間のかかる昔であれば、日々の生活の中でいかほどの恐怖が付きまとうことでしょうか。実際ご覧いただくと、本流の信濃川も支流の中ノ口川も、日本最長なのかと疑いたくなるほどの川幅です。中州である白根地域は、ひとたび信濃川が暴れ出すと手の施しようもないほどの冠水に見舞われるということも、納得していただけるのではないでしょうか。戦国時代に活躍した直江兼続が、この惨状を見かね、中ノ口川の治水に取り組むも、一定の効果を生み出しましたが、並々ならぬ自然の力に抗することはできませんでした。肥沃な地ながら、水との戦いを余儀なくされ、自然堤防の決壊に幾度となく辛酸を舐めること幾度となく。この難題を解決に導くのに、1922年の大河津分水路の完成まで待たねばなりません。

 大河津分水路によって、低湿地帯や沼地の多かった白根地域が飛躍的に発展していきました。しかし、白根の人々が完成まで手をこまねいていたわけではありません。試行錯誤の治水事業に取り組み、先祖代々受け継がれてきたこの肥沃な地を生かしたいとの切なる想いのもと、彼らは少しでも河川氾濫の被害に見舞われない地には稲を、それ以外の地には少しでも水害に強い農作物をということで、「類産ナシ」を選んだはずです。さらに、大河津分水路の完成の前後には、類産ナシから、品種改良された食味のいいナシへ。時同じくして、夏の果樹の代表ともいうべき「桃」という選択肢が出てきました。古来、中国より持ち込まれた桃は、北方系の品種だといい、桃太郎の絵本に出てくる先のとがった形の桃でした。 南方系が日本に持ち込まれ、偶発実生(意図的ではない自然の交雑から生まれた品種)によって生まれたのが、今の「まん丸の桃」の原型だと言われています。意外に歴史は浅く、時は明治に入ってからです。この美味しさに着目したのでしょう。

 新潟の冬は、シベリア高気圧が日本海を通過する際に、「北西の季節風」を導き、対馬海流(暖流)の蒸発した水分を大量に含んだ大気を越後山脈にぶつけるため、冬の間は厚い雲に覆われ雪深くなるのが新潟です。だからこそ豊かな水資源を得ることができるのですが、空は雲に大地は雪に覆われてしまう冬の間は、如何せん作物を育てるには不向きです。そして夏は、日本海の低気圧に吹き込むような南風が、日本海側の特徴的な夏の気象現象であるフェーン現象引き起こし、猛暑になる厳しさはあるものの、光合成に十分な日照時間を獲得できます。特に美味しい桃になるには、5~6月の陽射しが不可欠といい、果物王国の山梨県、長野県や福島県よりもこの期間の平均日照時間が長いのです。では、新潟県全土で最高品質の桃が育つのか?この豊富な日照時間は、新潟全土を「米どころ」にしているのは間違いありません。しかし、果実王国にはしていない。理由は、「季節風」が思いのほか強いのです。

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 桃農家さんにとって避けては通れない、「モモ穿孔(せんこう)細菌病」。この細菌病は、風雨によって感染していくうえに、枝に感染し越冬したものは春に枝を枯らし、春の小さな青果に感染したものは、熟していく果実の果皮を穿(うが)つ。美味しいにもかかわらず、1級品としての商品価値を失い、果汁が豊かなフルーツだけに、表皮の裂け目から果汁が漏れ、別の病原菌を誘引することにもなります。感染経路が「風・雨」なだけに防ぎようがなく、どうやって被害を最小限に抑えるかのみ。強い風は、この病気を蔓延させ、無風は他の感染症を導く。適度な風が健全で美味しい桃を育て上げるのです。先に添付した新潟県の地図をご覧いただきたいです。夏の南風は越後山脈が防ぎ、フェーン現象の影響で、山越えは乾燥した空気となり勢い削がれた風が平野を覆う。新潟県の地形上、春の西風、さらに海沿い特有の強い浜風を防ぐものはありません。しかし、「白根」に注目していただくと、西には、弥彦山が聳えています。麓に弥彦神社を据え、このスカイツリーと同じ標高634mを誇る山塊全てが神域。この霊峰が、白根を新潟屈指の桃の産地にしているというわけです。

 

 新潟県南区白根地域、清水という地に居を構える山田信義さん。清水という地は、前述した「月潟の類産なし」が現存している地から、中ノ口川を挟んだ向かいにあります。まさに白根地域の中州の中。果樹に関しては県下一の品質と収量を誇る地域です。彼の地で桃栽培のほかに、新潟県なので稲作はもちろん、日本一を誇るチューリップ栽培も行っている、代々農を生業としているプロ中のプロ。山田農園さんではあるのですが、特に小売りをしているわけではない栽培の専門職で、今期Benoitに特別にご協力いただいたのです。自分の夏の帰郷に際し、どうしてもお会いしてお礼を伝えたく、訪問させていただきました。「今から伺ってもよろしいですか?」という自分の無計画な要望を、快く受けてくれるほどの寛大さです。本当にありがとうございます。

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 住所を聞いての、白根地域の清水に到着したときが、ちょうど農協への納品に行っており、民家のなら部小道の中で待つこと5分ほど、ライムグリーンのお洒落な軽トラックでさっそうと登場した山田さん。選果場では、母様もおり、「親戚け?」と信義さんに質問が飛ぶ。そう、まさに個人宅の訪問です。お母様も交えての桃談義は、昨今の現状を知る上で、大いに貴重なものでした。近代化された選果場で目にする「糖度センサー」なるものに頼らず、代々引き継いできた経験に裏打ちされた厳しい目で選果される現場。選果に漏れた桃は、確かに傷がついてはいるが香り高く、産毛が痛々しい。そして、新潟県の猛暑の中、桃畑まで案内していただきました。

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 樹々の間に十分間をとり、程よく生い茂る下草。生い茂る色濃い緑の葉が、樹の健康状態を物語っています。 「安心・安全な美味しい桃」とは、言うは易く行うは難し。新潟県白根のブランドを背負う以上は、栽培者皆が共通の志を持ち、実践しなければなりません。有機栽培の徹底は、肥沃な土地に加え微生物による理想的な生態系サイクルを作り上げます。さらに、病気の蔓延を防ぐうえで、畑への適度な風通しを実現すべく、山々を抜けてくる畑の風の通り道を考へ植樹していく。甘くて大きく、深みのある桃に仕上げるため、1本の樹での収量を抑えるための徹底した摘果、収穫適期を見極め健全な完熟での収穫へのこだわりは、傷みやすい桃だけに、細心の注意が払われ丁寧に摘みとられます。桃を、まるで我が子のように丹 精込めて愛深く育て上げる。さらに、「白根は昔から味で勝負してきた産地だ」、という白根魂を頑なに守り続けた父・母の背中を見て代々引き継いできたからこそ、妥協という文字はない。彼の仕事の丁寧さは、畑に現れ桃の美味しさに反映される。

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 少しでも美味しい桃を長い期間提供できるようにと、収穫時期の違う白桃の品種を選び植栽しています。山田さんの桃カレンダーには「なつっこ」、順に「山根白桃」「川中島白桃」「ゆうぞら」、そして最後は「白根白桃」と名を連ねます。桃の品種は数え切れず、各地で生み出されたものはその地名を名に冠する、桃とはいえまさに食味は千差万別。ここでも白根魂が。上記の品種は、生産性の高い(作りやすい)品種ではなく、栽培が難しくても食味のいい品種を選んでいるのです。晩生の「白根白桃」は、その名の通り白根が発祥の品種です。

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 彼のカレンダーでは、「白根白桃」は、8月末から収穫が始まり、9月末までの期間が記されていた。しかし、自然はそう簡単にカレンダー通りに事を進めてくれないものです。今期の白根白桃の収穫は、9月初旬に始まり、先日の14日をもって終了したのです。「え?終わりなの」という問いに対して、収穫は終わりましたが、この白桃は追熟タイプなので、Benoitのパティシエルームで大切に保管されています。本格的にBenoitに届いた白根白桃が、デザートにデビューするのは、17日前後と予想しています。それほどまでに、追熟を要するのです。美味しい桃だけれども、関東では見かけません。その理由は、追熟させなければならないという気難しさが、最大の要因なのでしょう。

 あまりにも新潟県が「米どころ」として全国にその名を轟かしているため、他の農産物のイメージがつきにくいかと思います。今回の特選食材の「桃」の日本全土での収穫量を見てみると、岡山県に次いで第7位が新潟県です。しかし、新潟県に「桃」のイメージが無いため、ほとんどが地産地消ということは前述しました。大消費地である関東に桃を出荷する場合、全国収穫量ダントツ1位の山梨県、2位の福島県、そして第3位の長野県と競合ひしめく中で勝負をしなければなりません。この状況の中で知名度の低い「新潟の桃」を送り出しますか?普通に考えれば出荷しないでしょう。そこで、直接に桃栽培のプロフェッショナルから購入することにしたのです。地産地消で十分にもかかわらず、山田さんがBenoitへ桃を送ってくれる理由は、「新潟白根の桃」に大いなる自信があればこそ。この新潟白根の威信にかけた桃が美味しくないわけがありません。

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 桃畑の上空を颯爽と飛んでいるのは鷹の案山子(かかし)です。上空で赤くは根を広げている姿で、桃を食い散らかす小動物たちを警戒する役割を担う、最近の流行りなのだといいます。「流行りということは、効果抜群なのですね」と語る自分に、山田さんは「それほどの効果はないですよ」と。ないよりは良いのかもしれないと思いつつ、周りを見渡すと凧ばかりではなく、クジラも優雅に空を泳いでいました。人間と動物との攻防は、騙し騙されつつ、いまだ終わりを迎えようとはしていません。我々が美味しいと思う桃は、動物にとっても美味しいということなのでしょう。

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 山梨県、埼玉県さらには長野県の県境にそびえる甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)を源流に、長野県内では千曲川(ちくまがわ)と呼ばれた清流が、新潟県に入ると名を信濃川と名を変えます。越後山脈谷川岳によりもたらされる豊かな水脈を源に発する魚野川(うおのがわ)は、長岡市のあたりで信濃川に落ち合います。さらに、信濃川の北には阿賀野川(あがのがわ)、北は荒川で南は関川と並行する何本もの大きな川が、豊かな水資源を約束し、この水の流れは山々で培われた肥沃な土が流域へもたらすこととなり、越後平野を形成します。新潟県を「米どころ」たらんとする理由はここにあります。しかし、この豊かな水の流れは、時として牙を剥き我々に襲いかかります。今年の西日本豪雨による未曽有の惨禍は記憶に新しいものではないでしょうか。多くの人々を養うことのできる肥沃な地は、人々が集まり村を形成していく。自然の脅威を甘受するうえで成り立っていることを忘れてはいけません。この越後平野も例外ではありません。

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 古来より多くの賢人が水害対策に挑むも、信濃川龍神にことごとく蹴散らされること数知れず。前述したように、直江兼続でさえ中ノ口川の暴れまわる流れの軌道を整えることのみ、洪水を防ぐまでには至っていません。1896年に本流の信濃川三条市横田で300m破堤した未曽有の大水害(横田切れ)では、遠く河口近くの新潟市中心部まで水が達したといいます。この終わりなき水との戦いに疲弊しつつも、畏怖の念を忘れずにいる。全てを飲み込み、根こそぎ流してしまう水の力。ひとたび勢いがついた時には、人々は成すすべなく運命に身を任せるのみ。これほどのリスクがありながら、この地に居を構えることは無謀なことのように思えます。しかし、今や「越後平野」として日本有数の穀倉地帯としての名声を博するまでになりました。そこには、先祖代々守り続けた地を離れることを良しとしない越後人の心意気、そして必ず成しえるという強靭な精神力、弛まぬ努力があったればこそなのでしょう。

 昔々の信濃川が穏やかだったわけではなく、幾度となく氾濫していまた。だからこその肥沃な地となり、人々が移り住むようになります。今回の白桃の出身地の「白根」は、本流の信濃川と分流の中ノ口川に挟まれた中州のような地域です。皆様のご想像の通りの氾濫頻発地帯、だからこそ、低湿地や沼地が多かったといいます。治水に知恵を凝らしながら開拓し耕作地を増やしていくのですが、自然堤防沿いに居を構え、比較的標高の高いところに新田を開拓していきました。新田といっても「湛水田(たんすいでん)」といい、冬季にも水が残っている田のことです。自然生態系には恵まれるも、収量と品質に少々問題があるのでしょう、今ほとんどの田が「乾田」であることが物語っている気がいたします。しかし、「冬季湛水田」という栽培方法が見直されていきているようで、一概に粗悪と決めつけるわけにもいかないようです。このあたりは農のプロフェッショナルにお任せし、話を進めます。そう、悪戦苦闘しながらの開拓の間も、幾度となく洪水に見舞われていたようです。

 相手が日本最長河川である信濃川だけに、生半可な治水などは焼け石に水なのでしょう。考え抜いた末に計画されたのが「大河津分水路(おおこうづぶんすいろ)」でした。分流しようという発想です。そう簡単な工事ではありませんでした。簡単に書いてしまうと、前述した信濃川から中ノ口川が分流するよりも、上流に位置する燕市に大規模な可動堰を設け、弥彦山の南西と寺泊の間を通し、日本海へと注ぐ、全長9.1kmの分水路を作成しようというもの。この着想は、現長岡市の豪商が江戸幕府将軍徳川吉宗に請願するところから始まりますが、この時に許可はされていません。後年、幕府も計画調査に乗り出しますが、莫大な費用と周辺集落の反対があり着手に至っていません。

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 幾度となく大洪水が発生する中で、明治維新後に白根の庄屋が越後府請願したことが受け入れられ、1870年に工事に着手するも、信濃川の流量が減ることで新潟港の水深が浅くなり、船の航行に支障が出るという政府が雇った外国人技師による報告を背景に大河津分水は廃止され、治水事業は堤防強化を中心としたものに移行しました。それでも地域の人々は大河津分水が必要であると考え、田沢実入など多くの人々が大河津分水の必要性を訴え続けました。そうこうしている中で、前述した未曽有の大水害「横田切れ」に襲われます。燕市を始め長岡から新潟まで、越後平野一帯が泥の海と化し、床上・床下浸水した建物は43,684戸、水をかぶった田畑は58,257ヘクタール、被害総額は当時の新潟県の年間予算とほぼ同額にまで達しました。低地では3ヶ月以上も水が引なかったといいます。

 これを契機に政府も重い腰を上げ、分水路の建設が再開されたのが1909年。当時「東洋一の大工事」と言われた大河津分水路が完成の日をみたのが1922年です。分水地点から河口までは約50km、この距離を分水路では約10kmで日本海に。この流水エネルギーは予想を超えるものでした。当時の分水点は「自在堰(せき)」でした。底に流れを止める障害物を築き、周りよりも低く設定した壁の上を、過剰な水が分水路に流れ込む仕組みです。信濃川龍神のエネルギーは、堰の土台を穿つことになり、堰は陥没。多量の水が分水路に流れ込むことで、本流河口にはほとんど水が流れないという事態に。自在堰の復旧工事での対応が不可能であったため、内務省は自在堰を撤去し、自在堰に代わる新たな可動堰の建設と川底の侵食を防ぐ床留・床固の建設を行う補修工事の実施を決定し、新潟土木出張所長としてパナマ運河の測量設計に携わった技術者・青山士(あおやまあきら)氏を、現場事務所責任者として宮本武之輔(みやもとたけのすけ)氏を派遣しました。補修工事は、高い技術力と信念をもった技術者たちの活躍により、陥没から4年後の1931年に終了しました。

 大河津分水路の完成は、劇的にまでに水害のリスクを減らしました。さらに、燕から新潟港へかけての平野の水はけ問題も改善され、腰まで漬かりながらの作業の多かった「湛水田」が、今お馴染みの「乾田」へ。白根で栽培されていた果樹についても、水害に強い品質という考えが、肥沃な地を利用しての食味重視の品種の選択へ。代々受け継がれてきた、白根の人々に「果樹から田へ」という考えはなく、先人のノウハウを生かしながら、さらなる品質向上を目指す。美味しいが栽培が難しく敬遠されてきた品種への取り組み、この白根の人々の心意気と弛まぬ努力が結実し、県下一のフルーツの産地(梨・桃・ブドウ・洋梨ル・レクチェ)の名声を獲得することになります。新潟県が「コシヒカリ」名産地となったこともしかし、肥沃な地があったという利はあったものの、常に水との戦いを強いられ辛酸を舐めさせられ、それでも諦めない我慢強さが成した偉業なのでしょう。冬は寒風の吹く過酷な環境で育まれた新潟県人の気質なのかもしれません。

 今回の白根地区には、江戸時代から続く伝統の祭りがあります。新潟県無形文化財に指定されている、「白根大凧合戦」、中ノ口川に沿って北風が吹く6月に開催されます。江戸の中頃、中ノ口川の堤防改修工事を終えたお祝いに、白根側の人々が大凧を揚げたところ、西白根側に落ち田畑を荒らしてしまった。これに腹を立てた西白根側は、大凧を揚げ白根側に落とし返した。これがこの祭りの発祥といいますが、もちろん諸説ありです。今では両岸から順に大凧を揚げ、川の上空で凧を絡ませ両岸から引き合う、相手の綱を切った方が勝者になります。それぞれの大凧は、対岸に揚がるよう工夫が凝らされ、各組に伝わる伝統的な揚げ方、紐の掛け方があり、今なお改良を重ねながら伝承しているといいます。

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 東側に本流・信濃川、中央に分流・中ノ口川を有する地です。今までの話の流れからお察しかと思いますが、水との過酷な戦いを強いられ、尊い犠牲を伴い恨み辛みもあったはずです。しかし、先人たちは両河川と向き合い、共生できる道を模索してきたという歴史を持っています。同じ地域に居を構えることは、多少の違いこそあれ水害に悩まされることに違いはありません。昔話にでてくる「意地悪爺さん」のように、対岸が氾濫したときに笑いながら見物していることはなかったはずです。同じ釜の飯ではないですが、故郷を同じくする仲間同士の意識が強いはず。ひとたび引きこされる水害は全てを流し去る、だからこそお互いに助け合いながら日々頑張ってきたのです。その仲間の結束を確かめ、伝統技術を後世に伝える。これを誇りとし、大凧という形で対岸に知らしめることで、相手を鼓舞する。大凧を絡ませ引きあうことで、手にひしひしと感じる相手の力強さに、頼もしさを感じていたのではないでしょうか。「有事の際には安心しろ、俺たちがいる!」、だからこそ白根に人々が集まり、彼らの弛まぬ努力の結果が「米どころ」「果樹の産地」へ導いたのでしょう。「報復で大凧を落としあう」という起源説は、本当の話かもしれません。しかし、感情表現の苦手は新潟県人らしい相手への感謝の表れなのではないでしょうか。

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 この臨場感あふれる大凧合戦の写真は、新潟県在住の加藤さんよりご提供いただきました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

Benoit特選情報「9月ダイジェスト版」のご案内です。

残暑お見舞い申し上げます。

 過日「立秋」を迎え、日ましに秋めく今日この頃。日中の気温こそ、まだまだ残暑を感じますが、朝晩の心地良い涼やかなる風が吹き抜けます。「涼風(すずかぜ/りょうふう)」とは、秋の季語。さらに空を見上げると、もくもくとした夏を代表する入道雲が少なく、淡い雲が増えてきました。我々の手の届かない空高くでは、すでに季節の引継ぎが行われているようです。この季節が交錯する空模様を、「行き合いの空」というようです。まだまだ暑い日々が続くようですが、木陰で一息つきながら空を眺めると、年に一回しかない夏と秋の出会いを感じることができると思います。

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 日本の夏を代表する花といえば、やはり「アサガオ」ではないでしょうか。小学生の頃に、夏休みの課題として栽培絵日記があり、遠い記憶を呼び覚ましながら、8月末に描いていたのは、自分だけではないはずです。朝早くに咲き、昼には花しぼむ。古来は、桔梗(ききょう)や木槿(むくげ)を「朝顔」と呼んでいた時代もあったようですが、今はこのアサガオが、「朝顔」の名をほしいままにしています。幼き頃の思い出を含め、夏のイメージが強いアサガオですが、季語は「初秋」です。暦の上では、8月早々に「立秋」を迎えるためなのでしょう。

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 自分のような職業を生業としていると、帰路に着くのは夜半となってしまうものです。足早に出勤するのとは違い、涼風を感じながらの夜の帰り路は、なかなかの趣深いものがあります。満点の星空とまではいきませんが、やはり日増しに姿を変える月には、なんともいえぬ感慨を覚えます。どなたかの家の庭木に植栽されている木槿は、花を落とし膨らんだ蕾は朝日を待っているかのよう。子供たちの育て上げたアサガオが立ち並ぶ小学校脇に差し掛かると、柵越しに見えるのは花閉じたアサガオの植木鉢。柵の外側には、街灯に照らされ、艶やかに美しい花が咲き誇っているのです。あまりの美しさに魅せられ、足を止める。アサガオに似ているけれども、もちろん夜半に咲いていることはまずありません。アサガオの仲間はヒルガオ科に分類され、花咲く時が名前に入ります。「朝顔」「昼顔(ヒルガオ)」「夕顔(ユウガオ※ウリ科の植物です。)」、夜半に花咲くこの植物の名は、「夜顔(ヨルガオ)」です。

 この夜顔が植わっているのは、小学校の柵外側の狭い花壇です。自分の記憶が正しければ、この場は新宿区から委託を受けた庭師の方々が植栽し、四季折々の姿を我々に楽しませてくれています。ふと思う。小学校脇という場所、朝の登校時に小学生がヨルガオを目にするときは、すでに花閉じています。プロの庭師は、なぜこの場所にこの花を植えたのでしょうか?初秋を飾るにふさわしい美しい花というには、何とも腑に落ちません。夏休みを終え、子供たちの夏の宿題に付き合わされた両親への慰労の気持ちが込められている気がするのは、自分だけではないのではないでしょうか。ヨルガオの花が咲くのが闇の中であるのとおなじように、真相も闇の中、庭師さんに聞くしかありません。

 このヨルガオとの美しい「出会い」も、翌朝には「別れ」を迎えることになります。この刹那(せつな)さがまた、花の美しさを際立たせるというものです。「出会い」が無ければ、「別れ」もありません。人世には悲喜こもごもありますが、「出会い」の無い人生は全く平凡なもので、つまらないものだと思いませんか。食の世界でも同じことで、季節折々で旬を迎える食材の無い、食事では飽きてしまうことでしょう。旬の食材の美味しさを知っていために、旬の短い「ひととき」を待ち焦がれ、大いに楽しみます。いずれは終わりを迎える食材の美味しさを見逃さないように。そして、我々はここに、「口福な食時」を見出すのです。

 

 「美しい(令)」季節に春食材が「和」する逸品は、令和元年にこそふさわしい。そこで、皆様に旬の食材に出会い、食することで無事息災に秋を過ごしていただきたい。旬を迎える食材を旬の食材は、人が必要としている栄養に満ちています。そして、人の体は食べのものでできていいます。この想いを込め、Benoitの9月のダイジェスト版を作成いたしました。

皆様にご紹介したい内容は、以下の12件です。

「特別プラン」のご案内 1件

「特選食材/料理/デザート」のご案内 9件

「イベント」のご案内 2件

 

≪大好評のデザートを組み込んだ「桃プラン」を今月末まで延長いたします。

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 2019年Benoitのピーチ・メルバは、甘さを控えることで、白桃の美味しさを十二分に感じることのできる、過去10年間では最高の仕上がり。予定では新潟県の「白根白桃」の予定でしたが、今期は遅れており、今は飛騨高山の「昭和白桃」です。今期、和歌山県から岐阜県を抜け新潟県へ。この「白桃前線」を追うことで、同品種であっても、「ところ変われば味わいも変わる」ことを知ることができます。「白桃」という食材を通して、旅行をするかのように、美味しさの違いをお楽しみください。

 ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+800円でお選びいただけます。しかし、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、さらにはこの長文レポートに目を通していただけている労に報いなければなりません。そこで、特別プラン延長のご案内です。期間は、メールを受け取っていただいた日より、930日までの平日限定。各コース料理の前菜とメインディッシュは、プリ・フィックスメニューからお選びいただけます。ご予約人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+桃デザート

4,600円→4,000円(税サ別)

ランチ

前菜+メインディッシュ+桃デザート+もう一つデザート ※

4,800円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+桃デザート

6,900円→5,520円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+桃デザート+もう一つデザート ※

6,400円(税サ別)

※夢のダブルデザートプランの復活です。デザートはピーチ・メルバx1でいいから、前菜x2がご希望の方も、同価格で承ります。

 

 ここ最近の動向の読めない暴風雨の数々、過去に和歌山県を直撃した際に、桃の収穫ができずに終了を迎えたことがございます。なにゆえ自然のことゆえ、いつ桃が岐阜県から新潟県へ変わるのかは、桃に聞くしかありません。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。ご予約の際に、「ピーチ・メルバ希望」とお伝えいただければ幸いです。ご予約は、このメールへの返信、土日や急ぎの場合には、

www.benoit-tokyo.com

よりお願いいたします。もちろん電話でもご予約は快く承ります。

 

飛騨高山の伝統野菜「宿儺かぼちゃ」が届いています。

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 岐阜県の 飛騨高山に伝承される鬼神「宿儺(すくな)」の名を冠する伝統野菜がBenoitに届いています。大きなサイズになればなるほど栽培が難しくなると言われるなかで、この見事なサイズにまで育て上げられた逸品は、高山市で「かぼちゃ名人」と称される若林さんの手によるもの。シェフ曰く、「かぼちゃ個々にムラが無い」と。

 薄い表皮を削ると、見事なほどの黄色がかったオレンジ色が姿を見せます。和かぼちゃの多くは、味わいが素朴であるのに対し、この宿儺かぼちゃはそれとは一線を画します。コクのある甘さを持ちながら、後引く旨さに和かぼちゃらしい優しさがあります。ここに、タマネギの甘さとバターのコクを加え、黄金色のとろりとしたスープに仕上げます。

 洋かぼちゃにはない和かぼちゃの美味しさに舌鼓を打つこと間違いありません。ランチのプリ・フィックスメニューで、前菜の選択肢に入っています。ディナーでご希望の方は、ご予約の際にお伝えいただけると幸いです。

 

Benoitのシャルキュトリーに「フランシュ・コンテ地方のパテ」が仲間入りです。

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 Benoitシェフのセバスチャンが、満を持してメニューに加えてきたシャルキュトリー(肉の加工品)の新作です。このカテゴリーはフランス料理ではなくてはならない伝統の逸品であり、地方地方で特産が加わることで、味わいも千差万別。今回はフランス中央から東部に向かった国境沿いに位置している、旧フランシュ・コンテ地方。彼の地の伝統にならって仕上げた「パテ」です。

 今までの「テリーヌ」と何か違うのか?このフランシュ・コンテ地方のパテは、鶏と鴨のレバーを主体に仕上げるため、柔らかい食感にレバーの旨いがねっとりとくる美味しさがあります。そこへ、豚バラ肉の塩漬けやモリーユ茸、忘れてはいけない彼の地の特産であるコンテチーズが加わるのです。ゆっくりと熱を加えた後に、1週間ほど冷蔵庫で休ませることで、味を落ち着かせ、皆様の下へ。カットした場所場所によって、口中に広がる美味しさの変化もお楽しみください。

 ディナーのプリ・フィックスメニューで、前菜の選択肢に入っています。

 

千葉県勝山漁港の「キンメダイ」が届いています。

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 千葉県房総半島の先端から、少し内房に入ったところに「勝山漁港」があります。東京湾への入り口に位置しているため、内房外房の豊かな漁場から、網で巻き上げられた魚、釣り上げられた魚と多くの種類が集められています。その中から、Benoitが選んだ魚は「キンメダイ」です。夜中に千葉沖で釣り上げられた勝山漁港のキンメダイは、脂ののりがほどほどに、海流にもまれているからなのでしょう、プリっとする食感と旨味は抜群です。さらに、漁港よりBenoitへ直送するため、水揚げ無しというリスクはあるものの、それ以上に「鮮度抜群」という大きな大きなメリットがあるのです。Benoitへ届けられたキンメダイ大きな目の、吸い込まれそうなほどの透明感が全てを物語っています。

 プリ・フィックスメニューのディナーのみ、魚料理の選択肢として追加料金なくお選びいただけます。以下に記載いたしますが、フランスより美味しいキノコと組み合わせます。あまりにもキンメダイもキノコも美味しさをうったえてくるため、白身のお魚料理にも関わらず赤ワインのソースです。いったいどのような味わいのマリアージュとなっているのか、気になりませんか?

 

フランスから「キノコいろいろ」届き始めました。

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 秋の味覚の代表ともいえる「キノコ」。冬本番を迎えるにまえに、ぜひとも味わっておかねばなりません。今は、ピエ・ブルー(シメジの仲間)、プルーロット(ヒラタケの仲間)、ジロール(アンズ茸の仲間)とトランペット・ドゥ・ラ・モー(「死のトランペット」という名前ですが毒キノコではありません)の4種類が、フランスから飛行機に載せられBenoitへ届けられています。ひとつひとつは地味ですが、ちゃっちゃと熱を加えることで放たれる芳しい香りと味わいは、4種それぞれが個性豊かに奏でることで、得も言われぬ美味しさへと変貌いたします。

 メインディッシュでは、ランチはマダイと、ディナーは前述したキンメダイと組みわせ、追加料金なくお選びいただけます。「海の幸と森の幸」がどれほどの出会いを見せるのか。さらに、ともに白身の魚にも関わらず、なぜ赤ワインを使ったソースを組み合わせるのか。きっとこの解答を導きだせることでしょう。

 

岐阜県郡上より「クラシックポーク」が届きました。

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 岐阜市から 清流長良川を上流へと上がった先に、山間(やまあい)から突如姿を現す古京都を思わせるような街並み、これぞ奥美濃の小京都と称される「郡上八幡(ぐじょうはちまん)」です。県のほぼ中央、飛騨高地の南側に位置し、山々より湧きいずる美しきせせらぎが落ち合い長良川へ。郡上市のほぼ全域が長良川流域ということもあり、この豊富な水資源は、水路として街並みに引き込まれ、「水の町」としての名声は今でも健在です。

 この郡上市の片隅に、明宝牧場の広大な地が広がっています。澄んだ清らかな水と空気という、この類稀なる自然環境中で、さらにモーツアルトを聴きながら、ストレスなく健やかに育った「クラシックポーク」が特選食材です。今回は、肩肉とバラ肉を使い、バラ肉は塩ふって一晩置いた後に塩抜きして焼き上げる。この塩でマリネする一手間が、バラ肉の美味しさを引き出すのです。さらに、肩肉を6割以上加えてバラ肉とともに仕上げるBenoit自家製のソーセージ。これがまた美味なり。

 食品添加物を全く使用しない、クラシックポークそのものの旨味を、フランス伝統のシャルキュトリーの手法で引き出したバラ肉のコンフィとソーセージ。美味しくないわけがありません。ランチのプリ・フィックスメニューで、メインディッシュの選択肢に入っています。ディナーでご希望の方は、ご予約の際にお伝えいただけると幸いです。

 

仔牛のバロタンが登場、いったいどんな料理?

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 バロタンとは、なんと馴染みのない名前でしょうか。簡潔明快に説明するならば、「肉の肉巻き」です。ゴボウやアスパラガスなどを豚バラ肉などで巻いて焼き上げた料理はよく見かけるのではないでしょうか。それの肉々しいバージョンとでも言いましょうか。

 仔牛のやさしい旨味に、コクと脂の旨味を足すかのように豚バラ肉を加えひき肉に。さらに、ジロール茸とトランペット・ドゥ・ラ・モーで秋らしい森の風味を加え、イタリアンパセリで緑の味わいを足します。全てまとめたものを、仔牛のバラ肉でくるくると巻き上げる。ゆっくりと低温調理の後に、焼き上げるという、なんと手間暇のかかる料理でしょうか。

 食感の違い、旨味の違いを、シェフによって見事なまでにまるめ上げた、仔牛の仔牛巻き。プリ・フィックスメニューのディナーのみ、肉料理の選択肢としてお選びいただけます。

 

フランスのシャランなる地から「鴨胸肉」が届いております。

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 自分が若かりし頃、フランス料理といえば「鴨料理」だったような気がいたします。鴨南蛮蕎麦などもありますが、あまり和食では馴染みのない食材だけに、絶妙なる火加減で焼き上げた鴨胸肉の美味しさに感動を覚えたものです。今では、鴨肉の美味しさを求めるあまりに、フランスのCharente(シャラント)県へ辿り着くまでになりました。ここは、フランスでも有数の美味なる鴨を育て上げる地域なのです。

 フランス中央から西へ向かい、大西洋に面した旧地方名であるPoitou-Charentes(ポワトゥ・シャラント)地方。2016年に地域圏が再編されることで、大都市Bordeauxを内包するNouvelle-Aquitaine地方に組み込まれました。この北部の中ほどにシャラント県が位置しています。豊かな自然の中で、広大な農地で放し飼いのように育てるブランド鴨。食するものもトウモロコシや麦などを与えることで、旨味が増しています。この鴨胸肉がBenoitに届いているのです。

 低温調理を施した鴨胸肉を、焼きを入れてから休ませる。この断面のロゼ色の美しさこそ、職人技ともいえる鴨料理の醍醐味。Benoitでは、スライスせずに、このブロックのまま皆様の下へお持ちいたします。好きな厚さでカットすることで、お好みの食感を楽しみながら、噛むほどに溢れる鴨特有の旨味を味わうことができます。プリ・フィックスメニューのメインディッシュの選択肢の中で、ランチは+1,500円、ディナーでは+1,200円にてお選びいただけます。

 

新潟県白根より「白根白桃」」が届きましたが。

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 2019年は、「白桃前線」を定め、7月の和歌山県桃山町の豊田屋さんを皮切りに、8月半ばには岐阜県飛騨高山の亀山果樹園さんへ、そして9月は新潟白根の山田農園さんへと、北上してきました。食材を選ぶにあたり、栽培者の顔の見えるものをとのこだわりから、この無謀とも思える一地域一個人の食材リレーに挑戦してみたのです。もちろん、自分一人では成しえず、多くの方のご協力を賜りました。順当に北上するなかで、やはり自然相手の農産物ゆえに、一筋縄ではいかないものです。

 桃農家さんは、少しでも美味しい桃を長い期間提供できるようにと、収穫時期の違う白桃の品種を選び植栽しています。「なつっこ」「なつおとめ」と始まり、順に「山根白桃」「川中島白桃」「ゆうぞら」と続き、8月末に晩生の「白根白桃」。桃の品種は数え切れず、各地で生み出されたものはその地名を名に冠する、桃とはいえまさに食味は千差万別。生産性の高い(作りやすい)品種ではなく、栽培が難しくても食味のいい品種を選んでいるのです。今期、どうしても皆様にご紹介したかったのが「白根白桃」、その名の通り白根が発祥なのです。なぜ9月にまで桃のデザートを提供するのか?新潟県白根魂の生み出したこの品種をお楽しみただきたかったからです。

 ところが、この品種は珍しい「追熟タイプの白桃」だったのです。遅れ気味で始まった白根白桃の収穫、第一便がBenoitの届くも、デザートに調理するにはもう少し待たねばなりません。そこで、岐阜県の亀山果樹園さんの「昭和白桃」の助けを借り、白根白桃が美味しく追熟するのを待つことにさせていただきます。白桃が切り替わるタイミングは、facebookを通してご案内させていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

長野県富士見町の「ルバーブ

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 日本が世界に誇る霊峰「富士山」と八ヶ岳を眺めることのできる地、長野県諏訪郡富士見町。彼の地の段々畑の片隅に居を構えるエンジェルさんご夫妻、彼らが丹精込めて育て上げた逸品食材が、「真っ赤なルバーブ」です。「え?ルバーブは春の食材ではないの」という質問を多く受けます。確かに、日本で栽培されている品種のほとんどが、春先に旬を迎えます。ところが、エンジェルさんルバーブは、今まさに旬なのです。

 2019年は、このルバーブを、相性抜群のラズベリーのジュースでくたくたとじっくり煮込んだものと、しゃくっと食感を残すように軽く煮たものの2種類のスタイルに調理していきます。これを、アーモンドのナッツ香ばしいアイスクリームと、ラズベリーのかき氷のようなグラニテとともにお楽しみいただきます。プリ・フィックスメニューのデザートの選択肢の中で、ランチ・ディナーともに+500円にてお選びいただけます。

 このルバーブの詳細は、昨年にブログへ思いのたけを記載させていただきました。お時間のある時に、以下のURLより訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

一夜限りの特選メニュー 「トレ・ボン!日本のテロワール≪岐阜食材の饗宴のご案内です。

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 Benoitシェフのセバスチャンが、アラン・デュカスの料理哲学「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること」を踏襲しながら、日本のテロワールの魅力を「トレ・ボン!日本のテロワール」と銘打って、皆様にご紹介していこうと思います。日本の各地方が育んだ食材を通し、まるで彼の地を旅しているかのようにお楽しみいただけると幸いです。

 今回は10月にBenoitメニューに組み込まれるものの中から、10月1日のみの「岐阜県を旅しよう特別メニュー」を組み立て、皆様にご案内させていただきます。当夜は、ミュージックディナーのように、何かイベントがあるわけでありません。通常通りのディナー営業なのですが、この一夜だけは、シェフのセバスチャンが、「今、これを食せずして岐阜県は語れない」という地の食材をつかって組み立てたコース料理のみご用意です。もちろん、皆様から「選ぶ楽しみ」を奪ってしまうため、特別な価格でご案内させていただきます。Benoitディナーの営業時間内のご都合の良い時をご指定いただき、ご予約いただけると幸いです。

Benoit一夜限りの特選メニュー 「トレ・ボン日本のテロワール≪岐阜食材の饗宴

日時:2019101()17:30より(21:00LO)

Benoitの営業時間内にお越しください。

コース料金:お一人様9,800(税サ別)

※ご予約をご希望の際は、自分へメールをお送りいただくか、Benoitへご連絡(03-6419-4181)をいただけると幸いです。何か質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせください。

 さあ、いったいどのような饗宴となるのか。岐阜を代表する食材を厳選し、手に入るかどうかの確認をとるのもなかなか難儀な作業でした。食材がほぼ決まり、シェフのイメージするコース料理の流れは、まだ料理内容が確定はしておりませんが、特選食材のご案内と、垣間見える料理を少しばかりご紹介させていただきます。食材の都合により、直前に変更になる場合もございます。ご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

≪一口の前菜≫

飛騨高山の伝統野菜“宿儺かぼちゃ”の温かいスープ

≪前菜≫

(仮称) 奥美濃古地鶏のバロティー

≪肉料理①≫

郡上市“クラシックポーク” バラ肉のコンフィと自家製ソーセージ レンズ豆の煮込み

≪肉料理②≫

(仮称) 飛騨牛ランプポワレ 胡椒風味 自家製フレンチフライ

≪デザート≫

(仮称) 中津川市“恵那栗”モンブラン ブノワ風

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※苦手な食材や、アレルギー食材が組み込まれている場合には、お教えいただけると幸いです。アレンジするか、別の料理を提案させていただきます。

 今回のメニューを鑑み、シェフソムリエの永田から、「料理とワインのマリアージュ」の提案です。シャンパーニュ、白・赤ワインの計4杯のセットで、お一人様6,000(税サ別)にてペアリングをご用意しようと思います。詳細は、後日にご案内させていただきます。

 

シャンパーニュメーカーズディナー「「DEUTZ(ドゥーツ)のご案内です。

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 シャンパーニュ地方ドゥーツ社・社長のファブリス・ロセ氏をお招きして豪華シャンパーニュディナーを開催いたします。シャンパーニュ地方アイ村を拠点に、完成度の高いエレガントなシャンパーニュを常に世に供給しているメゾンです。ドゥーツの名を世界に轟かせた「アムール・ド・ドゥーツ」は、今回来日するロセ氏の提案により完成した最高峰のシャンパーニュであり、もちろん当夜に登場いたします。特にミュズレーに描かれた天使がダイヤモンドを持っている姿はとても美しくシャンパーニュファンの中でも別格の人気を誇ります。

 ライナップの詳細は、後日HPにてご報告いたします。

 

Benoitシャンパーニュメーカーズディナー「DEUTZ(ドゥーツ)

日時:20191029()18:30より受付開始 19:00開演

会費:18,000(ワイン・お食事代・サービス料込、税別)

※ご予約を受け付けております。電話もしくは、Benoitへメールにてご連絡をお願いいたします。質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせ、もしくは返信をお願いいたします。

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、皆様の新たな門出が幸多きことを、遠く青山の地よりお祈り申し上げます。書くだけでは効果は不十分でしょう。続きは皆様と再会した際に、お会いできる時を、心待ちにしております。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

Benoit特選食材「岐阜県亀山果樹園さんの≪白鳳≫」と「桃プラン」のご案内です。

秋ちかう 野はなりにけり 白露の おける若葉も 色かはりゆく 紀友則古今和歌集

 秋を迎えようとする晩夏、早朝に涼しさが増すことで白露が落とすその若葉も色衰えてゆく。と、秋の野を美しく詠んだものかと思いきや、深い言葉遊びが隠されていました。すでにご存じの方も多いのではないでしょうか、物名歌の名手である紀友則の秀逸な一句です。初二句の箇所をひらがな表記に変えると、「あきちかう・のはなりにけり」となり、この中に、「きちかうのはな」という花の名前が書き記されている。漠然とした野原の風景が、いっきに深い紫色を帯びてきます。万葉の時代から日本人に親しまれてきた野の花であり、山上憶良が「秋の七草」に詠ったと言われている、7月末から8月に見事な花を咲かす「きちかうの花」とは?何度も早口で繰り返すと「あ!」とひらめく花の名は?

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 「桔梗(ききょう)の花」です。蕾が大きく膨らんでゆき、先端から5つに分かれるように花開く姿は愛らしく、さらに濃い紫色の花弁は、凛としながら陽射しにあたることで輝きを増す。馴染みのある朝顔のように、朝に花開き夕刻には一つの花の一生を終えることになる、得も言えぬ「はかなさ」にも美を感じる日本人。山上憶良は「朝顔」と表現し、「秋の七草」の殿(しんがり)に登場させています。この「朝顔」とは「木槿(むくげ)」ではないかといわれていますが、「七草」なので樹ではなく草を選びたいものです。余談ですが、「秋の七草」の筆頭に上がる「萩(はぎ)」は樹ですが、樹高が低く、細くしなやかなので「草」と勘違いしたのでしょうか。異論もあると思いますが、やはり「萩の花」は外せません。

 若葉が、時とともに緑濃くしっかりとした葉へと姿を変えてゆくのとは対照的に、次々と花開く桔梗の花の中にも、日を追うごとに枯れゆく姿が目に留まるようになります。「白露の・おける若葉も」の「も」が気になるところ。ここには「花」が隠れているのでしょう。そう考えると、「白露の・おける若葉も花も・色かはりゆく」なる歌へ。白露に「はかなさ」の意があることを考えると、詠者は一日で尽きる「桔梗の花」にこそ、歌の本意を込めている気がいたします。

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 さて、今回この名句で書き始めた自分の本意はどこにあるのか?前述した「きちかうの花」と「も」が大いに関連しています。「きちかうの花」は「桔梗の花」であり、この花をモチーフに家紋としたものが「桔梗紋」です。この家紋を見て、日本史上最大の謎を含む行動に踏み切った武将を思い浮かべることができるでしょうか。鎌倉時代から美濃地方を中心に栄えた土岐(とき)氏が家紋として使用し、齋藤道三の下克上により没落することで、庶流が誕生しこの家紋を引き継ぎました。その中でも、群を抜いて世に名を馳せた武将が、明智光秀です。彼の生誕の地は岐阜県。そして、「も」も忘れてはなりません。そう、「もも(桃)」です。皆様にご紹介したい特選食材は、岐阜県高山市の亀山果樹園さんの白桃です。※紀友則とは雲泥の差のある、かなり強引な言葉遊び、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

 

 今回、旅路の行く先は、岐阜県の中でも南端に位置している岐阜市から。齋藤道三が難攻不落として名高い稲葉山城を築き、居城としていた地でもあります。そこから南へ向かい木曽川を渡ると、目と鼻の先には名古屋市が、そう織田信秀が居城としていた名古屋城です。直線距離で30kmほどしか離れていない中で、両雄が対峙していたのです。木曽川を挟んでの駆け引きは、息子の代にまで及ぶことになるのですが、このあたりは皆様すでにご存じだと思うので割愛です。

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 歴史ロマンに浸るのはここまでとし、向かう先は岐阜市から南ではなく、東へ。25kmほども進むと美濃加茂市に辿り着き、そこから国道41号線を北上していきます。「岐阜百山」とも称される名立たる山々、その稜線に沿うように進むこの国道は、今でこそ道が整備されていますが、かつては相当の難所だったはずです。しかし、四方に聳(そび)える峻嶮なる嶺(みね)に、美しい自然の造形美である尾根に、そしては山々より湧き出ずる水が「せせらぎ」となり落ち合い飛騨川となる、この清らかな荘厳たる景色に心奪われることでしょう。温泉で有名な「下呂市」を過ぎ、美濃加茂市から直線距離では80kmほどですが、山道なのでいかほどの時間が必要でしょうか、高山市へ辿り着きます。高山市は、観光ガイドで「飛騨高山」という表記で紹介されていることが多いのですが、やはり中心地は高山市の中心街でしょう。江戸時代から続く城下町の風情を、市民皆の努力によって保全していることで、「飛騨の小京都」と称されているのです。海外のガイドブックでは軒並み高評価、名高いフランスのガイドブックでは3ッ星です。

 

 今回の訪問先は、高山市の南に位置している久々野町に居を構える「亀山果樹園」さんです。標高750mの高冷地の大自然の中に2.5haの園地を有し、今は二代目園主の亀山忠志さんが陣頭指揮を執っています。甘く香り高い高品質の果実を皆様へお届けすべく、研鑽に励む日々。1年に一度迎える果樹の収穫は、6月のサクランボの収穫に始まり、8月に「モモ」、そして9月の「ナシ」、それを追うようにして12月までの「リンゴ」をもって終わりを迎えます。そう、彼にとってこの期間は休みなどあろうはずもなく、毎日畑に赴き、自然の機微を感じとり、果実の声を聴きながら、深い経験に裏打ちされた慧眼(けいがん)で果実の熟度を見極め、収穫に臨(のぞ)みます。

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 標高の高さは、夏にもかかわらず昼夜の寒暖差を約束してくれます。ましてや、800m近い標高ともなれば、寒暖差はかなりのもの。これは、果実に大いなる甘みをもたらすのです。生きとし生けるものにとって共通していることは、「呼吸」によって酸素を取り込み、体に蓄えられた養分をエネルギーに変え、代謝として生み出された二酸化炭素を「呼吸」によって体外に排出します。ここに、植物特有の「光合成」が同時に行われるとどうなるか。降り注ぐ太陽の下では、呼吸によって消費する養分よりも、光合成によって蓄えられる養分の方が多くなるのです。動植物全てが、昼夜に関係なく「呼吸」をしていること、これが生きているということ。植物は、光合成によって養分を蓄える能力を持つため、陽の射すときは、養分の消費よりも貯蓄が大きくなる。陽が沈むと、呼吸によって養分は消費するのみ。この消費と貯蓄の差が、日増しに果実に蓄えられていくことで、養分に満ちた完熟の美味なるものへと姿を変えるのです。日照不足が、どのように影響するのかは、ご想像の通りです。では、昼夜の温度差は、どのように影響するのか。

 果樹の場合、昼夜に呼吸していることは前述しました。あまりある陽射しによって光合成が成され、養分を消費よりも貯蓄するほうが上回ることで、その過剰の養分が果実に包含されてゆきます。陽が沈むと、果樹は呼吸によって養分は消費するのみ。夜明けまでの間、気温が高いと樹は活発に活動することになり、低いと鈍るのです。この消費量が少ないということが大切で、余剰な養分が果実に多く残ることに。これを繰り返すことで、寒暖差のない地域よりも間違いなく、養分に満ち満ちた、つまりは美味しさの詰まった果実が実るのです。では、全ての果樹を標高の高い山に植栽すればよいかというと、そうではありません。それぞれに適した温度帯があり、寒すぎても暑すぎても成長を止めてしまうのです。これは人もまた同じです。動物の冬眠とは、厳しい寒さを利用し、体内の活動を鈍化させ、養分の消費量を抑えることで春まで乗り切ること。冬が寒くならなければ、冬眠することもできず、生きるエネルギーを得るために、さまよい歩くことになるのです。

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 桃栽培の北限は、新潟県山形県のラインでした。「た」、このラインは過去形のものとなり、いまでは温暖化の影響で秋田県まで上がっているようです。暑ければ良いわけではなく、寒ければよいわけでもありません。亀山果樹園のある地は、本州中央に位置していますが、標高が高いこともあり「高冷地」と言われています。昼夜の温度差はあるものの、桃栽培においてはかなり厳しい自然環境であることは確かです。今年2019年では、4月は冷害によって開花したにもかかわらず、受粉せずに花を落とす「花ふるい」や結実不良を引き起こし、さらに6月には雹(ひょう)によって、緑果や葉が痛めつけられたようです。「農業は自然相手です。」と言い切る亀山さん。自然の厳しさを克服するのではなく受け入れるのだと。その彼であっても、昨年2018年9月の台風21号と24号、特に24号の日本縦断の被害は深刻なものだったようです。早朝に果樹園の見回りに向かった時、惨禍な姿に変わり果てた樹々に、「ガックリ肩を落としました」と。「桃栗三年柿八年~」、実際には新植しても実を成すのに4~5年を要します。

 山々に囲まれた風光明媚な大自然ゆえに、イノシシやシカの被害ばかりではなくクマまでも、美味しい果実を目当てに園地を訪問してくるようです。この招かれざる珍客は、闇深き中を甘い桃の香に誘われるかのように果樹園に入り込み、たわわに実る美味なる桃を貪り食らう、まさに食べ放題のように。丁寧に一玉一玉を味わいながらお召し上がりいただければ、心穏やかに困惑するだけかもしれませんが、野生はそう一筋縄ではいかないものです。枝はバキバキに折られ、中途半端にかじった桃が点在している光景を目の当たりにした時には、怒りを通り越して苛(さいな)まれ、無感に襲われたように呆然と立ち尽くすのみ。他の桃産地であれば、イタチやタヌキにハクビシンという厄介者ですが、動物危険度が違いすぎ、身の危険すらあるのです。園地全体を囲うように柵を張り、防御しようとするも、この彼と動物のせめぎ合いは、いまだ終わりを見せようとはしておりません。

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 抗しがたい自然に辛酸を舐めること幾度となく。「厳しい」と簡単に書くことができないほどの試練に直面しながら、「自然災害に負けない安定した収量を確保する為の対策も考える良い機会となりました」と、前向きなコメントが届きます。なぜ、亀山さんは「諦める」という選択肢を選ばないのか?

 

 亀山忠志さんが幼き頃より、この果樹園で素晴らしい品質の桃が実を成すことを、毎年のように見ていたからです。厳しい自然環境であることは百も承知。それを乗り越えた先には、最初の一口の出会いの瞬間(とき)に「香り」「甘さ」「食感」に感動していただける逸品との出会いが待っていること身をもって知っているのです。この果樹園は、彼のお父様である亀山烈(いさお)さんが一代で築き上げました。開拓と同時に栽培ノウハウの試行錯誤を繰り返す日々だったことでしょう。しかし、彼もまたこの地で美味しい桃が実ることを肌身で感じていたはず。妥協することなく「美味しい桃」を実らせることを追求する弛まぬ努力が、父烈さんを「飛騨美濃特産名人」の認定へと導きました。そして、そのノウハウと心意気はそのまま息子さんの忠志さんへ引き継がれるのです。

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 桃名人と称される父を持ちながら、「さらなる高みへ」という志は今なお衰えを見せません。栽培に関しましては、有機質肥料を主体とし養分の微量要素のバランスも考え、食味の良さ、栄養価の高い実を成すように。そして、農薬の使用は最低限に抑え、安心して皆様がお召し上がりいただけるように。彼は「努めています」と短い言葉で話をまとめていますが、弛まぬ努力と途方もない手間暇を必要としていることを忘れてはいけません。そして、まだあまり認知されておりませんが、岐阜県GAP(農産物の安全を確保し、より良い農業経営を実現する取り組み)を実施しており、今年9月には県から認定される予定です。

 数々の試練を乗り越えながら桃栽培を続けることに、「桃名人」と称される父の存在は、どれほど心強かったでしょうか。家族という絆は、「優しさ」とは違う深い深いつながりであり、厳しさの中にも「子思う愛」がある。反面、「桃名人」の後を継ぐことに、忠志さんに気負いはなかったのか?ご本人に聞いてみました。

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 「正直なところ、若い頃は農業を継ぐ気はありませんでした。営業という仕事が楽しくて、黙々と農作業をこなすという事が自分には向いていないと思っていたからです。」と、今の後継者不足による農業の衰退を思えば、至極まっとうな考えだと思います。そして、農業を生業とはしない進路を進みます。しかし、「父親が一代で築き上げてきた職業を、長男である自分が無くしてしまうことに対して申し訳ない気持ちが、心の中にありました。」と当時の心情を吐露してくれました。長男が継がなくてはならない、という考えは今や昔の話であることを、父である烈さんは感じていたのでしょう。家族での会話の中で、「継いでほしい」と思いつつも無理強いはせず、農業以外の進路に反対をしなかった。農業とは、自然に左右される不安定なものである、苦労と危険をともなうものを肌身で感じているからでしょう。息子には息子の人生がある。

 この亀山果樹園存続の危機ともなる、この親子の決断が大いなる好機を導きました。「作業を手伝っているときに、ふと分野が違うだけで果物も商品だと思った瞬間があり、自分で作った物を自分で売る事もできるのだ!と思った時に、農業に対しての自分の中の思い込みが無くなり、視野が広くなった気がしました。」と、忠志さん。亀山果樹園の歴史が動いた時です。若かりし頃は、暑いわ重いわ疲れるわと、悪態をつきながら農作業の手伝いをしていたはずです。栽培しているこだわりの農産物が、あまりにも身近であったために、価値が分からなかった。それが、農から離れることで、父によって育まれたものが、どれほどの逸品であるかを知る由となるのです。父親の背中を見ながら成長しながら、その大きさを実感した時です。さらに、営業という職業を社会人として経験したからこそ、「自ら育てた逸品」を、「自ら販売する」という発想を生み出しました。日本全国に、桃の名産地が多々あるなかに、亀山果樹園としての販路を見出すことに、楽しみを見出したのです。苦労を厭わず誠心誠意を込めて収穫したものを、自ら販売することで、我々消費者の声を聴いたのでしょう。溢れんばかりの笑顔で「美味しい」と声は、職人冥利に尽きるというものです。忠志さんが「亀山果樹園を継ぐ」と心に決めると同じくして、父の偉大さを気付かされることになります。「桃名人」の称号は、生易しいものではありませんでした。

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 「プレッシャーは、ありました。絶対、比較されると…。」と。圧し潰されそうな重圧の中で、「それが逆に良いプレッシャーとなり、息子の代になって落ちたねと言われないよう、常にお客様に喜ばれる果物を作ろうという、強い向上心へと変わりました。まだまだ未熟ですが…」。慢心ではなく、未熟という気持ちが大切なのです。自然の機微を捉え反映しながら栽培方法を臨機応変に変えなければならない。この難しさは、経験に裏打ちされたものであり、マニュアル化はできません。烈さんの桃は美味しかったことでしょう。まだ父の桃を越えられない、と心の中で感じているかもしれません。経験を知識で置き換えることはできないが、補うことはできます。忠志さんの桃栽培とは、父のノウハウを踏襲しつつ、父とは別なる高みを目指しているのです。「妥協」を知らない彼には、一生「学び」がつきまといます。一段上れば、さらに上にもう一段。階段のように連なる先に、彼の追い求めるものがある。

 「亀山果樹園 亀山忠志です。大自然に囲まれた果樹園の中で、季節を感じながら果物作りを楽しんでいます。農業は、天候に左右されやすい一面もありますが、お客様に、今年も美味しかったよ!と言っていただけるよう、努力と勉強を重ねていきたいと思います。」

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 この亀山果樹園、忠志さんの桃をBenoitのパティシエール田中真理が「ピーチ・メルバ」という伝統の逸品に仕上げていきます。ただし、白桃の食感と繊細な風味を損なうような煮込みは一切行いません。湯剥きして種を取り除いた白桃を、ステンレスのバットに所狭しと並べてゆきます。ラズベリーの心地よい酸味と優しい甘さを生かしたジュースを温め、桃の上へと注ぎ、そのまま半日漬けるように。妥協のないバニラビーンズを使った軽やかな生クリームと濃厚なバニラアイスクリーム、アーモンドのパリパリの食感と香ばしさを出したポリニャックを飾り、フサスグリの甘酸っぱいジュースを皆様の前で。どれ一つとして欠かすことのできないパーツであり、それぞれの食感と甘さ・酸味のバランスを意識し組み立てられた逸品デザート。伝統を踏襲しつつも、新たなピーチ・メルバの世界を皆様にご案内いたします。かつて、天才料理人エスコフィエ氏が、オペラ座で奏でたソプラノ歌手のメルバ氏に心打たれたことで誕生したというデザートが、今度は「甘み・酸味・食感」のハーモニーを奏でることで、皆様の心にうったえかけてきます。

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 2019年Benoitのピーチ・メルバは、9月末までの予定です。しかし、亀山果樹園の白桃を使ったデザートは、天候次第ではありますが8月末までと予想しております。ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+800円でお選びいただけます。しかし、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、さらにはこの長文レポートに目を通していただけている労に報いなければなりません。そこで、特別プランをご案内させていただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、830日までの平日限定。各コース料理の前菜とメインディッシュは、プリ・フィックスメニューからお選びいただけます。ご予約人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+桃デザート

4,600円→4,000円(税サ別)

ランチ

前菜+メインディッシュ+桃デザート+もう一つデザート ※

4,800円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+桃デザート

6,900円→5,520円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+桃デザート+もう一つデザート ※

6,400円(税サ別)

※夢のダブルデザートプランの復活です。「香川県飯田桃園のスモモ」を忘れてはいけません。スモモの詳細は「はてなブログ」に記載しております。以下のURLよりご訪問いただけると幸いです。デザートはピーチ・メルバx1でいいから、前菜x2がご希望の方も、※プランの価格で承ります。

kitahira.hatenablog.com

 ここ最近の動向の読めない暴風雨の数々、過去に和歌山県を直撃した際に、桃の収穫ができずに終了を迎えたことがございます。なにゆえ自然のことゆえ、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。ご予約の際に、「ピーチ・メルバ希望」とお伝えいただければ、準備できる数が少ない場合には確保させていただきます。このメールへの返信、土日や急ぎの場合には、

www.benoit-tokyo.com

よりお願いいたします。もちろん電話でもご予約は快く承ります。桜前線ならぬ、「Benoit桃前線」は、和歌山県から始まり、岐阜県を経由、最後は新潟県へと北上してまいります。

 

 冒頭でご紹介したように、今回は「桔梗の花」→「桔梗紋」→「明智光秀」→「岐阜県」→「飛騨もも」という、こじつけで話を書いてみました。来年の大河ドラマは「麒麟がくる」というタイトルで、明智光秀を主人公に公開されることになっています。そこで、桔梗が咲き終わる前に、明智光秀の話を少しばかり。

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 浪人から織田信長に仕えると、その卓越した才能を発揮し、織田家の中でも異例の出世をします。織田信長の天下統一に尽力するも、あと一歩という時に謀反を起こし、本能寺の変にて織田信長を討ち取ります。その後、明智光秀に味方するものは無く、京都府大阪府の堺にある天王山をめぐる攻防、山崎の戦いにて羽柴秀吉に敗れ、逃走中に土民の落武者狩りに会い、命を落とす。「天下分け目の天王山」という言葉は、この戦によって誕生したといいます。

 諸説では、彼の出生地が岐阜県可児市(かにし)にある長山城ではないかと言われています。岐阜県から東へ向かい美濃加茂市へ。亀山果樹園へは国道41号線を北上しましたが、南下し木曽川を越えると可児市に辿り着きます。その瀬田長山の地に、この長山城があったようです。今では「明智城址」として、その片鱗が残るものみ。生誕してからこの城が落城するまでの30年間を過ごしたと言われ、彼の才能はこの地で育まれたようです。1556年、長良川の戦いで、斉藤道三に味方した明智家当主、叔父の明智光安は、 道三が敗れたことで斉藤義龍の攻撃を受け落城しました。この時、明智家再興を託されたがために明智光秀は浪人となることを決め、落ち延びたのだといいます。数々の試練を乗り越え、脚光を浴びるようになるのは、10年後に朝倉義景一乗谷城足利義明と出会うまで待たねばなりません。

 「裏切り者」というレッテルを張られ、日本史に名を残す明智光秀ですが、前半生の詳細はほとんど解明されておりません。昔昔の一介の浪人だった彼の詳細など残っていようはずもなく、明智家が滅亡しているため伝承もままなりません。織田家家臣の中で、一国一城の城主となった最初の人物は、旧臣ではなく羽柴秀吉でもなく、明智光秀でした。現実主義の織田信長が、いかに明智光秀の能力を評価し、重用していたかがわかります。所領では税金を軽減し、治水工事を行うなど善政もみられ、はたまた連歌会を催すなど教養豊かな片鱗を見せている。しかし、「歴史は勝者が作る」のです。彼の時代に、明智光秀を正当に評価することなどなかったはず。なぜ、彼が本能寺の変に踏み切ったのか?時が下るにしたがい、多くの識者が考察するも、いまだ謎のままです。来年放送される大河ドラマ麒麟がくる」が、どのようなストーリーを我々に見せてくれるのでしょうか。

 明智家再興を託され、ひたに実践していき、天下をとりました。僅か11日間ではありますが、上り詰めたのです。無能な人物ができる偉業ではありません。文武両道に優れた天才だったのでしょう。国をまとめるため、ある種の厳しさが必要な中で、彼は優しすぎたのでしょうか。明智光秀は何を想い、滅亡へ突き進むことになったのかは、日本史上最大のミステリーです。「秋近くなり、咲き誇る桔梗の花も、白露が消えてなくなるかのように花を閉じてゆき、そして時代は変わってゆくのです。」と、何とも不思議な繋がりを見せた31文字です。

秋ちかう 野はなりにけり 白露の おける若葉も 色かはりゆく  紀友則 「古今和歌集」より

 

 人間社会で生きるということは、国家も大企業も個人商店も、大小にかかわらず、いずれかは誰かに引き継がねばなりません。先人があまりにも偉大であれば、その重圧は並々ならぬものでしょう。どれほど難しいかは歴史が教えてくれています。しかし、見事なまでに引き継いだ者もいます。亀山忠志さんが帰農することを決意したことは、離農したからこその本物です。美味しいものを皆様に届けたい、この強い想いが、きっと成功に導くはずです。亀山果樹園さんが、忠志さんに引継がれ、新たに「桃名人」の称号を獲得することを信じております。

 

 立秋を迎え、暦の上では今日から秋が始まりました。しかし、まだまだ猛暑な日々が続くようです。自分の体力を過信し、無理な行動は禁物です。十分な休息と睡眠、こまめな給水と塩分補給をお心がけください。木陰に入り、葉の間を抜ける心地よい薫風、陽射しにきらめきながら重なり合う木の葉、なんと美しい光景か、と夢心地に浸るのも良いですが、夢の(意識の無くなった)世界から抜けることができなくならないよう、ゆめゆめお忘れなきようにお気をつけください。

 

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoit特選食材「香川県ひうらの里≪飯田桃園さんの幻のスモモ≫」のご案内です。

忘れ草 我が紐に付く 時となく 思ひわたれば 生けりともなし (万葉集 詠者不詳)

 「忘れ草」とは、なんと意味深な名前ではないでしょうか。決して、ドラエモンの未来の道具ではありません。この花を目にすると「憂い」を忘れることができる、このような古人の想いが込められているのです。「恋心いだく相手を忘れようと、着物の下紐につけてはみたものの、この想い消えることなくお慕い続けてしまう日々に、生きた心地がいたしません」という、この自分勝手な解釈があっているかどうかは疑問ですが、この恋心いだく女性の気持ち、いたいほど感じとれます。防人(さきもり)へと出向く人へ送った歌なのか?いや、文字を書き記せる貴族同志で、地方へ赴任する人へ送ったものなのか?現代のような交通網が整備されているわけではないため、任期中は一時帰郷ができるわけでもなく、今生の別れとなりかねない時代。

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 梅雨に濡れ、青々しく輝かんばかりに生い茂る翠の中に、鮮やかなオレンジと黄色を基調とした、百合を思わせるかのように咲き誇る大輪の花、これが「忘れ草」です。まさに今この時期に花開いているのですが、身近で見かけたことはないでしょうか。今は、「ノカンゾウ」と呼ばれています。よく漢方薬の中に入っている「甘草(かんぞう)」。これはヨーロッパではレグリースという名称で、お菓子に加えたりする独特な風味の香辛料として親しまれているものです。しかし、これではありません。漢字では「萱草(かんぞう)」と書き、甘草はマメ科、萱草はユリ科の植物で別物です。

 あたり一面に咲き誇る光景を想像してみてください。この美しさに心惹かれ、憂いや悲しみを忘れることができる。いやいや、あまりの鮮やかであり凛とした姿に、忘れるどころか思い出してしまうのではないかと思うのは、無粋というものでしょうか。昔々は、「田植え」は手作業であり、並々ならぬ労力を必要としていました。ホトトギスが田植えの催促を告げる「時鳥」であり、梅雨終えるまでにこの難儀な作業を終えねばなりませんでした。ノカンゾウが咲くのは、この多忙極める時期です。色恋沙汰に現を抜かすわけにもいかず、叶わぬことを知りつつも慕い続ける、その切ない気持ちを相手に伝えたかったのではないでしょうか。きっとこの歌は、宮中の陰謀渦巻く世界の上級貴族ではなく、地元に密着した下級貴族たちの「恋文」だったのではないでしょうか。「詠者不詳」だということもその証では。これを相手に送ったとなると、古人のほうが現代人よりも、物おじせずにはっきりと気持ちを伝えてくることに長けていたような気がいたします、それも31文字で。

 

 あまりにも魅力的な7月の特選食材を、忘れてしまおうと「忘れ草」を探してみたものの、この想いは消えることなく膨らむばかり。生きた心地がせず、このままでは8月を迎えることができません。特に、これほどまでにフルーツが充実した月が他にあったでしょうか。今月は、まさに「紅三点」となる旬の果実が揃い踏み。宮崎県綾町の「完熟マンゴー」と、和歌山県紀の川市桃山町の豊田屋さんの「あら川の桃」。もう一つが香川県さぬき市の「スモモ」です。7月も間もなく終わりを迎えようとしている中で、なぜ今の告知なのか?届きました、「幻のスモモ」が。

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 香川県高松市から海岸線を東へ東へ向かうと、大きな入江が目の前に広がります。西側が高松市、東側がさぬき市とに区分された志度湾(しどわん)です。先日、「土用の丑」に日に、ウナギを楽しんだ方も多いのではないでしょうか。この「土用のウナギ」の発起人とされているのが、江戸きっての発明王、平賀源内です。「エレキテル」などは、若かりし頃の日本史の勉強の中で登場してきたのではないですか。さぬき市の志度湾に面した地が、彼の生誕の地であり、天才を育んだ地なのです。この地には、平賀源内記念館が設けられ、足跡を辿りながら偉業を展示しています。この記念館から内陸を望むと、小高い山々が麓を連ねる光景が広がり、今回の目的地はその一角です。里山の一つ「雲附山(くもつきやま)」へと向かう先にあります。

 ちょうど雲附山を越えたあたりで、「昭和」と「造田宮西(ぞうたみやにし)」という地名が目に留まります。江戸時代後期、今でも現存する観音寺の周辺の集落が「白羽」と呼ばれ、すでに桃の栽培が始まっていたのだといいます。この歴史は香川県下でもっとも古く、まさに「桃の聖地」ともいうべき地。ここで栽培された桃は「観音寺桃」と銘打たれ、世に流通していったようです。これほど桃栽培に歴史のある地は、地元では「ひうら」と呼ばれ屋号にもなっているのです。この「ひうら」とは、「南東向きの日当たりが良いなだらかな斜面」や「ひだまり」という意を含んだ言葉なのだと。いまでは、桃栽培が活況なこの地を「ひうらの里」と呼んでいます。

 この「ひうらの里」の造田地区で桃栽培をてがけている飯田桃園さんからお送りいただいているのは、桃ではなく美味なる「スモモ」です。「すもももももももものうち」とはよく言いますが、栽培には共通点も多く、同時に手掛けるのに好都合なのかもしれません。それでも特筆すべきことは、農産物であるからこその立地条件と、栽培者の並々ならぬ努力なくして美味なる果実は成さないということです。

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内海である瀬戸内海の波の如く、穏やかで温暖な気候は桃にとって最適であり、「ひうら」と名を残すだけの好立地は、十分な日照時間と水はけの良さをもたらしています。この地の居を構え、脈々と受け継がれてきた伝統の技を踏襲し、桃とスモモと向かう飯田桃園さん。ご両親という大先輩より、栽培を任された若き園主、飯田将博(いいだまさひろ)さんにバトンが渡されました。果樹栽培への想いは、ご両親に負けず劣らず、さらなる高みを目指します。

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 桃・スモモに最適な土作りから始まり、採光の良い樹形への仕立ての工夫。樹へのストレスを減らす土壌水分管理に肥培管理。結実してからも安堵することなく、さらに厳しい結実管理を。1年を通してのこの弛まぬ努力すべては、一年に一度しかない収穫で、他に類を見ないほど美味しい果実を手に入れるため。そして、丹精込めて育て上げた美味なる果実を、皆様にお楽しみいただきたいから。皆様の美味しさゆえの笑顔があるからからこそ、どんな苦境をも乗り越え、どんな苦労をも厭わないのです。

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 この旬の美味しさを、少しでも長く皆様にお届けし続けたい。飯田桃園さんのこの強い想いは、多品種を植栽することで、約2ヶ月半にわたる長き期間に実りを得ることを実現させています。Benoitでは、7月初旬に紅鮮やかな果皮の「大石早生(おおいしわせ)」から始まり、ぐっと赤みを濃くした「フランコ」、青みがかった果皮ながら果肉は赤い「ソルダム」と続きました。それぞれが美味しく、パティシエが品種によって微調整を加えながら仕上げていく姿は、年に一度の収穫のために、並々ならぬ努力を続けてきた栽培者への敬意を表するため。ほぼ1週間少しで品種が移り変わる7月は、Benoitパティシエチームを試しているかのようです。そして、ついに「ソルダム」終わりを迎え、次なる品種が届きました。待望の「幻のスモモ」です。

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 皆様の疑問には、飯田さんのメッセージを引用させていただきます。

 「幻のスモモとはどのようなものですか?」

 「約2週間という短い収穫期間で、通常のスモモの木に比べて約2分の1程度しかスモモの実が取れないので、うちでは『幻のスモモ』と呼んでいます。年によっては、ほとんど取れない、ということもあり、採算が取れないため同じ品種のスモモを作っている農家はほとんどいないと思います。申し訳ありませんが、品種名は伏せさせていただいています。」

 「では、なぜ飯田桃園ではそんな手間暇がかかり効率の悪いスモモを栽培しているのですか?」

 「スモモのイメージが覆るほどの美味しさに魅せられたからです。エンジェル(天使)のような甘い香りを漂わせ、滴らんばかりの甘味の強い水蜜をもつ。メルヘンで芳醇な味わいです。」というのです。エンジェルのような香とは、いささか分かりにくいものですが、飯田さんは「可愛らしい小さな女の子のような香り」とも表現しています。

 2人の娘を持つ親として、意外にこの表現には納得してしまいました。赤ん坊のころ、幼児のころ、子供のころで香りが変わるのです。これ、子育てをされた方には共感してもらえるのですが、いかがでしょう。特に幼児のころは、なんとうか「可愛がってね」というフェロモンでも発しているのか、抱っこしている時に、得も言えぬ優しい柔らかい香りがするのです。※間違っても、知らない他人で試してはいけません。

 飯田さんが「幻のスモモ」と銘打っている品種は、あまりの美味しさから「ひうらの里」の多くの生産者が栽培にチャレンジしたようです。しかし、その美味しさゆえに、少しでも気を抜くと鳥獣害虫の餌食になりやすく、まともに収穫できるきれいな果実に育てるには並々ならぬ努力を必要とします。さらに、収穫できたとしても果実があまりにも繊細で流通に耐えにくく、小売店でも扱いにくいため、継続することを諦める栽培者が続出し、ついには「幻」となってしまったといいます。

 

 この「幻のスモモ」が、Benoitではどのようなデザートに姿を変えるのか?今回はスモモの特徴でもある酸味を利用し、クラフティというスタイルに仕上げていきます。バニラの風味豊かな「焼きプリン」のように仕上げる熱々のデザートです。甘酸っぱいグリオットチェリーやルバーブで仕上げることの多いフランスの伝統的なデザートを、同じく酸味が特徴のスモモで組み立てるのです。熱々に焼き上げることで、酸味がまろやかになりスモモの甘さが引き立てます。この甘酸っぱさが、バニラの香と卵の甘さと抜群の相性を見せつけ、さらに牛乳アイスクリームのミルクの風味が、さらに我々を魅了することになるのです。甘いふくよかな香りの中に、澄んだスモモの香を感じ取れる。そして、一口お召し上がりいただければ、なぜ飯田さんが「幻のスモモ」を栽培し続けるか、理解していただけるのではずです。

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 2019年Benoitの「スモモのクラフティ」は、8月末までの予定です。しかし、飯田桃園さんの「幻のスモモ」は、8月前半で終わりを迎えることになります。この逸品を「太陽」という品種が引き継ぐのですが、やはり「幻のスモモ」を食せずして夏終えることはできません。ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+500円でお選びいただけます。ここ最近の動向の読めない台風の数々、天候の亜熱帯化が、どれほど飯田桃園さんのスモモに影響を及ぼすか予想がつきません。ご予約の際に、「スモモ希望」とお伝えいただければ、準備できる数が少ない場合には確保させていただきます。このメールへの返信、土日や急ぎの場合には、

青山のビストロ|ブノワ(BENOIT)東京

よりお願いいたします。もちろん電話でもご予約は快く承ります。なにゆえ自然のことゆえ、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

 

 自分が初めてこの品種にBenoitで出会った時、箱に整然と並んだ時の淡い色合いの美しさ、桃を思い起こさせるような優しくも甘い香りに心惹かれました。エンジェルのような…分かりにくくもあり、分かる気もする表現こそ、的を射ているのかもしれません。果実を割れば、輝かんばかりの透明感のある果肉に目を奪われ、滴る果汁は爽やかながらも十分な甘みを楽しめます。そして、ひとたび果皮を噛むことで、「スモモ」であることを思い出させてくれる、きれいで心地よい酸味が口中に広がるのです。

 昔昔に中国より持ち込まれた「桃」。最初は北方系の品種だったようで、先のツンととがった形をしていたようです。今でいう「大石早生」のようなものでしょう。そして、時が下り明治の時代になると、南方系が日本に上陸し、偶発実生(意図的ではない自然の交雑から生まれた品種)によって生まれたのが、今の「まん丸の桃」の原型だと言われています。「モモ」と「スモモ」は、同じバラ科で名前こそ似ていますが、モモはモモ属、スモモはサクラ属でサクランボに近い仲間なのだといいます。もしや!「幻のスモモ」はこの南方系の桃なのではないか?と夢想してしまう自分がいます。素人の自分に、品種が何なのか分かろうはずもなく、ヘタな詮索は野暮というものでしょう。飯田さんが秘密にしているように、このまま秘密の「幻のスモモ」のままのほうが、何かと歴史ロマンを感じる気がいたします。

 

 7月も、はや終わりを迎えようとしている中で、皆様には「紅三点」の最後に、「幻のスモモ」をご紹介させていただきました。しかし、「完熟マンゴー」と「白桃」も忘れてはいけません。すでにご案内を送らせていただいておりますが、この機会を逃すと来年まで待たねばならないため、今一度ご紹介させていただきます。

宮崎県綾町の「完熟マンゴー」は、Benoitでは最後の便を迎えることになりました。今月末までデザートに名を連ねますが、8月1日か2日であれば、ご用意できるかもしれません。ご希望の際には、ご連絡いただけると幸いです。宮崎県を代表するまでになった至高の果実、どれほどの逸品かは以下を参照ください。

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 さらに、和歌山県桃山町の豊田屋さんの「あら川の桃」。豊田屋さんの白桃の美味しさは、出会ってからこの4年、7月は豊田屋さんの桃以外は全く考える気がなくなるほど美味しさなのです。桃農家として脈々と受け継がれてきたノウハウを踏襲しつつも、白桃においては夢物語とのいえる「無農薬栽培」にむけ、挑戦し続ける日々。自然と共存すべく歩み寄るも、時になすすべもなく打ちのめされる。それでも、まだ諦めることをしない生粋の桃農家。彼らの桃への想いはいかほどのものか?詳細はこれまた以下を参照ください。

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 少しでも長い期間、皆様に美味しい桃をお楽しみいただきたい。そこで、豊田屋さんは大きく4品種を植栽しています。「日川白鳳」から始まり、「白鳳へ。そして、白桃の王様と称される「清水白桃」へ続いたのちに「」川中島白桃」で終わりを迎えます。それぞれの品種の収穫期間は約1週間前後。今、Benoitに届いているのは輝かんばかりの白さを誇る「清水白桃」です。長引く梅雨の影響もあり、遅れ気味で引き継がれていく中で、今期は8月少しまで豊田屋さんの白桃を続けます。お送りいただいている桃の箱の側面に、小さく書かれた「〇」の「ブ」。桃の品種名ではなく、きっとBenoitへ送り出す目印なのだと思います。この「〇ブ」が、可能な限り長く長く続くことを願っています。いつまで続くのか?それは、豊田屋さんの桃の樹に尋ねるしかありません。

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 6月の終わりに「夏越の祓(なごしのはらえ)」という神事が、各神社で執り行われました。境内に設置された茅の輪をくぐることで、病気や禍を払うおうとしたのです。古来より、夏を越すことは大変だったのです。高温多湿に加え、春(田植えの)の疲れが癒えないところに疫病が…いかに医学が発達しても、この自然環境は今も変わりません。自分の体力を過信し、無理な行動は禁物です。十分な休息と睡眠、こまめな給水をお心がけください。木陰に入り、葉の間を抜ける心地よい薫風、陽射しにきらめきながら重なり合う木の葉、なんと美しい光景か、と夢心地に浸るのも良いですが、夢の(意識の無くなった)世界から抜けることができなくならないよう、ゆめゆめお忘れなきようにお気をつけください。

 

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、そして新しい人生の門出を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoit特選食材「和歌山県桃山町の豊田屋さん≪あらかわの桃≫」のご案内です。

五月雨に ひとり日をふる ながめこそ なかなか伴(とも)の ある心ちすれ  寂然

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 「五月雨」は、「さみだれ」と読みことは周知の事実。これほどの難読漢字を「ごがつあめ」と読む方が少ないほど、我々日本人に定着している不思議な言葉。五月雨は梅雨のことを指し示すのですが、5月に梅雨?という違和感を差し置いて、違和感なく受け入れています。明治時代に旧暦(月の周期)から新暦(太陽の周期)へ移行する際に、1か月ほどもズレの生じる誤差がありながら、六月雨と書き換えずにそのまま残すあたりは、「漢字」そのものよりも「読み」に大切な意味があるからなのです。

 古人は、田の神を指し示す言葉を、いや口にする音を「さ」としていたようです。以前にも書きましたが、「すわる場所」のことを「座(くら)」といいます。田の神が山より舞い下りる場が、「さ・くら」です。農耕民族である日本人が桜の開花に一喜一憂する理由は、DNAに刻み込まれた、古来の「田の神」信仰なのでしょう。花見こそ、田の神が舞い降りたことへの感謝の気持ちを表したお祭りだったはずです。収穫の源でもある田植え用の稲を「早苗(さ・なえ)」や、田植えを担う女性を「早乙女(さ・おとめ)」と。豊富な水資源を必要とする稲作において、雨は必要不可欠なもの。その恵の雨が降り続く月が五月(さ・つき)です。「五」の語源を調べても、「さ」の読みはありません。ということは、漢字の意味ではなく、田の神への感謝の気持ちを込めた呼び名「さ・つき」を、たまたま暦の上で5番目の月の名称へと充てる。五月雨は「さ・みだれ」であり、「みだれ」は「水垂れ」なのだといいます。「さみだれ」とは、かくも美しき響きをもっていることでしょうか。

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 五月雨(長雨)が降り続くので、一人物思いに耽(ふけ)る日々、これがまた従者と共にいるようで一人退屈しないものだ、と。長雨も悪くはないと寂然は詠う。「ふる」は「雨が降る」であり「時が旧(ふ)る、経(へ)る」だと。さらに、「ながめ」は「眺め」であり「長雨」だといいます。しとしとと感慨深く続く梅雨だからこそ、大いに物思いに耽ることができる、だからこそこれほどの「技巧を極めた」美しい歌を仕上げてしまうのでしょう。その寂然の眺める先には、きっと咲いていたであろう控え目な白い小さな花。結実しても食用とはならないにもかかわらず、庭木として重宝している樹です。何の花でしょうか?自分は、もちろん知っているわけもなく、偶然に目にしたときの感動は、まさに出会うべくして出会うのだと感慨深いものでした。

 

 熊野古道高野山世界遺産を2つも有する和歌山県。南北にのびる山々は、清らかな豊かな水を約束しています。風光明媚な上に、これほどまでに食材に恵まれた地が他にあるでしょうか。黒潮の流れが紀伊半島にぶつかることで、太平洋側と瀬戸内海は豊かな漁場へとかわり、カツオやクエ、ハモなどの多種多様の海産物に恵まれています。緑豊かな山々から湧き出(いず)る清らかな水は、美しい川へと姿を変え、そこには鮎が遡上する。その豊富な水資源は、生きとし生けるもの生活圏を育み、多種多様な生態系によって切磋琢磨され、他に類を見ない特産を生み出すことになります。みかんに柿、それに梅。飛び地の北山村の「じゃばら」などはまさに和歌山県のみで産する柑橘です。さらに、発酵食品である味噌や醤油もまた、気候風土が育んだ食品です。そして、彼の地で特産であり、今月のBenoit特選食材「白桃」を忘れてはいけません。

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 和歌山県の北側を紀北地域と呼び、その中で位置しているのが紀の川市桃山町。町の名前に桃が入るほどの伝統のある町です。この桃山町内でさらに選ばれし地であり、農薬や栽培方法などの厳しい審査をクリアした桃のみが、「あら川の桃」というブランドを冠することができるのです。ところが、ここで終わらないのがBenoitの特選食材です。あら川の桃を育てることを生業とし、代々引き継いできた桃農家さん。ブランドの名に甘んじることなく、少しでも高品質のものをという探求心を捨てず、さらに美味しいばかりではなく、体に良いものでなくてはならないという揺るがない信念のもと、辿り着いたのが「無農薬栽培」。しかし、白桃が、日本の気候の中で無農薬を簡単に受け入れることはなく、試行錯誤の日々。この弛まぬ努力の結果、ご本人はまだ納得いっていないようですが「ほぼ無農薬栽培」が実現しています。

 生きとし生けるものにとって、多大なる恩恵をもたらす「自然」。しかし、時として試練を与えてきます。ここ数年、地球温暖化の影響なのでしょうか、台風の進路が本州を横切るようになっていく中で、昨年2018年9月4日台風21号は、25年ぶりともなる「非常に強い」勢力を保ったまま日本に上陸し、近畿地方を中心に甚大なる被害をもたらしました。和歌山県北部も例外ではなく、その猛威は「野分け(のわけ)」の如くに、紀の川市桃山町の桃の樹をへし折りなぎ倒していきました。「桃栗3年、柿8年~」と詠われるように、野菜と違い果樹は結実までに時を要し、実を成す前も後も、相応の手間暇を要求してきます。まして、無農薬を目指しているならばなおのこと。この台風が一日にして奪い去ったのです。「乗り越えられない壁はない」と簡単にいえるものではありませんでした。見るも無残な惨状と化した桃畑を目の当たりにし、豊田屋さんの栽培の陣頭指揮を執っている豊田孝行さんは、「桃栽培を諦めようかな」とfacebookで吐露しています。そこまで、彼は追いつめられていたのです。

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 しかし、現存している樹の手当を施し、新たに植樹を含め、再出発を図ったのです。今思えば、豊田さんが「諦めよう」と気持ちを告白した時、彼の中では桃栽培を継続することを決めていた気がいたします。不可能といわれている白桃の無農薬栽培に挑み続け、幾度となく投げ返されたことでしょう。自然の理を探ることを諦めない「心の強さ」が、桃農家を代々引き継いできたプライドが、「諦める」ことを許しませんでした。

 前述した、寂然も梅雨時期に庭木で見ていたであろう、白い小さな花が咲く樹は、「ナンテン」です。この花は虫媒花(ちゅうばいか)の分類に属し、受粉するのに虫の手助けを必要とします。雨の続く時期に開花しながら、雨は虫の行動を妨げる。さらに、雨によって花粉が流される。この樹にとってはこの時期の開花は試練ともいえるでしょう。日本では、「ナンテン」は「難転」とも書き記します。この「難を転じる」という語呂と、冬に見事なまでに真っ赤な実を成すことから、庭木として植栽することも多く、さらにはお正月飾りには欠かせません。今回、豊田屋さんの桃を紹介するにあたり、ナンテンの花をご紹介させていただきました。難を転じて福を招く、そう信じております。

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 収量は半減しているものの、昨年同様に「豊田屋さん」より、間違いなく美味なる桃がBenoitに届いています。今、Benoitに届いている品種は「白鳳」、まもなく「清水白桃」が引き継ぎ、7月後半には「川中島白桃」を迎えることで、豊田屋さんの桃のシーズンは終わりを迎えます。どの白桃が美味しいのか?もちろん全てが美味しいことはいうまでもありません。その中で、「どうしても、一品種を選ぶならば?」という問いには、「清水白桃」と答えます。豊田屋さんのこれを食せずして8月は迎えられません。では、「いつBenoitに届きますか?」との問いに対する答えはただの一つ。「桃に聞くしかありません」と。

 

 この豊田屋さんの桃をBenoitのパティシエール田中真理が「ピーチ・メルバ」という伝統の逸品に仕上げていきます。ただし、白桃の食感と繊細な風味を損なうような煮込みは一切行いません。湯剥きして種を取り除いた白桃を、ステンレスのバットに所狭しと並べてゆきます。ラズベリーの心地よい酸味と優しい甘さを生かしたジュースを温め、桃の上へと注ぎ、そのまま半日漬けるように。妥協のないバニラビーンズを使った軽やかな生クリームと濃厚なバニラアイスクリーム、アーモンドのパリパリの食感と香ばしさを出したポリニャックを飾り、フサスグリの甘酸っぱいジュースを皆様の前で。どれ一つとして欠かすことのできないパーツであり、それぞれの食感と甘さ・酸味のバランスを意識し組み立てられた逸品デザート。伝統を踏襲しつつも、新たなピーチ・メルバの世界を皆様にご案内いたします。かつて、天才料理人エスコフィエ氏が、オペラ座で奏でたソプラノ歌手のメルバ氏に心打たれたことで誕生したというデザートが、今度は「甘み・酸味・食感」のハーモニーを奏でることで、皆様の心にうったえかけてきます。

 2019年Benoitのピーチ・メルバは、9月末までの予定です。しかし、和歌山県の豊田屋さんの白桃を使ったデザートは、天候次第ではありますが7月末までと予想しております。ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+800円でお選びいただけます。ここ最近の動向の読めない台風の数々、過去に和歌山県を直撃した際に、桃の収穫ができずに終了を迎えたことがございます。なにゆえ自然のことゆえ、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。ご予約の際に、「ピーチ・メルバ希望」とお伝えいただければ、準備できる数が少ない場合には確保させていただきます。このメールへの返信、土日や急ぎの場合には、

benoit-tokyo@benoit.co.jp

よりお願いいたします。もちろん電話でもご予約は快く承ります。桜前線ならぬ、「Benoit桃前線」は、和歌山県から始まり、岐阜県を経由、最後は新潟県へと北上してまいります。

 

 和歌山県の豊田屋さんとの出会いは4年前でした。先祖代々引き継がれてきた栽培ノウハウを踏襲しつつも、飽くなき探求心ゆえにさらなる品質の高みを目指し、日々努力を惜しまない豊田さんご家族。陣頭指揮を執っているのが兄、豊田孝行さんです。画像が豊田さんの「白鳳」の収穫風景。白桃は実が繊細なため、手で収穫した際に握ってしまうと、数日後に指の跡が茶色く色づくといいます。そこで、この炎天下の中、厚手の手袋をして握らないように優しく、極めて優しく。豊田屋さんから送り出すまでは細心の注意を配りながら、少しでも美味しい状態で皆様の下へと届けるために。

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 毎日のように自ら畑に赴き、移りかわる四季の機微を肌で感じ、桃と向き合う。実は豊田さんは現役の医師でもあり、半農半医の激務をこなす強者でもあります。「ご職業は?」という質問には「桃農家です」とさらりと答えるあたりは、患者さんには申し訳ないのですが、桃栽培に重きが置かれている気がいたします。そして、医師だからこそ人々の健康に対する想いが強く、「農薬や化学肥料を使わずに美しく美味しい桃を作る」という、人生をかけた目標を掲げたのです。桃栽培において、無農薬栽培がどれほどリスクを負わなければならないか、どれほど手間暇をかけなければ成し得ないことか。ただ、真摯に桃と向き合い、労を惜しまず、粛々と桃の樹の手入れをしている後姿は、必ず無農薬栽培を成し遂げるという自信を雄弁に物語っているようです。彼のもとには、無謀とも思える試みに共感を覚えた、苦労を厭わない人々が集う、最強の桃栽培チームが存在します。特に、「農家が自立しないでどうする」という兄の思いから、営業を中心に兄を補佐する弟さんご夫妻は、最高のパートナーなのだと、常日頃より感じています。

 豊田屋さんの桃畑です。樹と樹との間隔をとることは、植物には欠かすことのできない陽射しを、樹全体で余すことなく受けることが可能となるばかりか、風通しが良くなるため、病気の予防にもなるのです。さらに、樹形を上へ上へと伸ばす「切り上げ剪定」を行っています。従来の桃農家さんは、作業の効率と安全を考慮し、枝が下へ下へと向かうよう剪定していきます。ところが、豊田さんは、徒長枝(とちょうし)と呼ばれる新梢を残すように選定します。徒長枝は街路樹などでも厳しく剪定した場合に、行き場のなくなった栄養が爆発するかのようにびよーんと間延びした枝のこと。ブドウ栽培の場合、徒長枝はその年に実を成さないため、発梢を抑えるように剪定します。この枝を意図的に生ませ、次の年に生かす。老いた枝を残す従来の方法よりも、若くありあまったパワーの徒長枝を残した方が、樹にとっては自然の形だと豊田さんは言います。

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 しかし、無農薬栽培のためには、収穫までに多岐にわたる作業が樹一本に対して行われることになり、途方もない労を要します。そのため、「切り上げ選定」は、脚立の上り下りの果てしない作業ばかりか、危険も伴うことになります。さらに、普段は問題がなくとも、暴風雨が枝や幹を容赦なく打ちつけることで、折れる裂けるという危険が増大することになるのです。実際に2014年8月に、和歌山県に上陸した台風では、収穫間近の川中島白桃に壊滅的なダメージを与えることになりました。実った実が落ちるばかりか、実の重さの分、上へ伸びている枝を支えきれず折れやすく、そこから幹が裂ける事態に陥りました。それでもなお、豊田屋さんがこの仕立てにこだわる理由は、兄の壮大なる目標を達成するためです。

 さらに、桃の樹の周りは草ぼうぼう。つまり、除草剤不使用は一目瞭然。この一年中生い茂る草の中にこそ、生きとし生けるものにとっての自然界のサイクルが存在しているのです。食し食されまたは共生と。この自然環境を造り上げることは、全ては土作りに起因します。その結果、個々が持っている病虫害への抵抗力を引き出すことになるのです。そのため、農薬使用量が激減します。書くと簡単ですが、下草にさえどれほど気を使いながら手入れをしていることか。この環境は、毎年いろいろな野生動物、アライグマ、イタチやキジなどの巣作りの場ともなっているようです。今年はここに珍客が初登場。母猫が出産前から子猫の巣立ちまで草陰に居を構えたのです。猫好きな豊田さん一家が、なにもイジメているわけではないのですが、子猫を守る母猫にとっては人の気配は一大事。桃のお世話に何度となく近寄る度に「怒られました~」とのこと。近隣の畑や山里から多くの可愛いお客様が毎年やってくることも、豊田屋さんにとってはホッとする楽しいイベントだといいます。

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 2018年の和歌山県紀の川市は、「モモ穿孔(せんこう)細菌病」が蔓延しています。この細菌病は桃栽培者にとって悩みの種、というのも風雨によって感染していくのです。枝に感染し越冬したものは春に枝を枯らし、春の小さな青果に感染したものは、熟していく果実の果皮を穿(うが)つ。果汁が豊かなだけに、表皮の裂け目から果汁をたらし別の病原菌を誘引します。この厄介な細菌病に、豊田屋さんの白桃は農薬の力借りずに果敢に対抗しているのです。そう、こだわり抜いた土作りがあったればこそ、強靭な桃の樹となる。さらに、豊田屋チームが、丹精込めて手間暇惜しまず桃に向き合ってきたからこそ、桃の樹が健全な生育で応える。もちろん、美味しさ面でも応えています。Benoitで11階に上がる際に、パティシエルームをガラス越しに望むことができます。そこに豊田屋さんの白桃が、デザートになるのをまだかまだかと待っている姿を目にするかと思います。その表皮にポツリポツリと赤い斑点があるものを見かけるかもしれませんが、これは消毒を使っていない証です。

 春には桃源郷の様相を呈する豊田屋さんの桃畑、生い茂る腰の高さまで伸びた草に囲まれた環境は、まさに生き物の楽園です。その地で育まれた桃が美味しくないわけがありません。豊田さんからメールが届きました。カブトムシやクワガタが美味しそうに桃の実にしがみつき、その果汁を楽しんでいますと。すぐに引きはがして!というのが自分の感想ですが、豊田さんは共存・共生を信条にしているからこそ、「虫たちへの分け前ですよ」と言っています。未だ達していない「桃の無農薬栽培」に、もしかしたら彼らが導いてくれるのかもしれません。

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 終わることの無い病害や避けることのできない暴風雨に、何度となく心折れることがあったことでしょう。しかし、彼は諦めることなく目標に向かい続ける、なぜでしょうか?目の前に、先祖代々引き継がれてきた桃の樹があるから。そして、その先に桃によって口福なひとときを楽しむ皆様の姿があるからなのではないでしょうか。

 

以下は桃の余談です。

 悠久の時の流れを遡り、日本で最初に登場したであろう国家らしき「邪馬台国」。小学校で学ぶ日本の歴史に登場するこの名称を、知らない人はいないのではないでしょうか。いまだ謎のベールに包まれ、いったい日本のどこにあったのかすら、未解決。その有力候補と地として名が挙がるのが、奈良県桜井市で見つかった「纏向(まきむく)遺跡」といいます。難解な漢字を使う名称だけではなく、不可解な点が多いのがこの遺跡なのです。人々が集まる地だからこそ、文化文明が生まれるもの。しかし、この遺跡には人の住んでいた形跡がなく、まさに古墳群によって形成されたかのような場。そこからは貴重な出土品が多くすべてを鑑みると、ここは祭祀の場であっただろうと。そして2010年、3世紀に掘られたであろう土坑という穴から、2,000個にも及ぶ桃の種が見つかったと発表がありました。

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 中国が原産という「桃」の樹は、実を食用としてというよりも、何か不老長寿の薬効を含み、百鬼をも退かせる呪力が宿った仙木だと信じられていたようです。この古代中国の思想とともに日本に持ち込まれたようで、日本の誕生を書き記した「古事記」によると、黄泉国(よみのくに)にいる愛する妻イザナミノミコト(伊邪那美命)に会いに赴いた夫イザナキノミコト(伊邪那岐命)が、約束を破り妻の変わり果てた姿を目にしてしまう。怒り心頭に発したイザナミノミコトは、逃げるイザナキノミコトを見るも恐ろしい醜女(しこめ)に追わせるも失敗。そこで、八種(やくさ)の雷神(いかづちがみ)と、1,500にも及ぶ黄泉の軍勢を差し向けました。命からがら、黄泉国の出入り口である黄泉比良坂(よみひらさか)に達したとき、近くに育っていた桃の樹から得た桃の実3つを追手に投げつけることで事なきを得たというのです。ほぼ同時期に編纂された「日本書紀」にも、多少の違いこそあれ、同じようなことが記載されています。

 纏向遺跡の土坑一か所から2,000個の種が見つかりました。このような大量の種が出てくる事例は他にはありません。かつて、この場で大規模な神事が執り行われた証ではないのか、そのような歴史ロマンに魅せられた人々が、太古の雄大な夢を想い描きながら集う場所でもあるのです。そう、全ては桃に邪鬼を祓う力が宿っていると信じられていたために、その樹や実が、古代祭祀の道具や供物として使われていたからという理由に他なりません。

 今でもこの名残を残しているものが、2月3日に執り行われる「追儺(ついな)」という宮中行事です。我々には「節分の豆まき」の日ですが、このルーツともなる神事だといいます。季節の変わり目が「節分」、新しい季節を迎える前に今の季節の厄「鬼」を祓うため、「桃の樹の弓で、葦(あし)の矢を射る」というのです。五穀や小豆をまくこともあったようで、これが我々馴染みの節分の豆まきとして今に至るのでしょう。鬼(厄)を退治する(祓う)といえば、我々に馴染みも「桃太郎」の昔話。なぜ桃から生まれたのか?もうお気づきかと思います。諸説あるかと思いますが、このお話は納得していただけるのではないでしょうか。

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 「桃」の後に、中国大陸からもたらされたのが「梅」です。今、庭木や公園など其処彼処で目にすることができる「梅」に対して、「桃」はそこまで版図を広げていません。花も美しく香りも芳しい、まるで「桃源郷」を夢想させ、美味しい果実を実らせるにもかかわらず。同じような境遇は日本の春を代表する固有種にもあります。「桜」と「椿」です。万葉の時代で「花」といえば「梅」、平安時代には「花」は「桜」のことを指し示します。大輪で美しく咲き誇る椿は、実からとる椿油は、行燈に使用され夜を照らす。さらに髪のお手入れに利用するのは今も変わりません。なぜ桃と椿は?意外な共通点がありました。

 「椿」という漢字は中国に存在はしていますが、日本のツバキのことではなく、霊木の名を指し示すといいます。日本の古人は漢字を取り入れ、日本風に解釈し「読み」を作り上げました。このような漢字を「国訓」といい、椿はその代表例でしょう。日本書紀の中に、椿の杖で土蜘蛛を退治する話が登場します。古来から霊的な力が宿っていると考えられていたのです。この、なにかしらにこの霊力が宿っていると言われていたからこそ、人々が簡単に扱うことに畏怖の念を抱いていたのでしょう。歴史を紐解くと、桃と椿が馴染み深い樹となるには江戸時代まで待たねばらないようです。

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 桃、桃と話を書いてきましたが、前述した昔話「桃太郎」の絵本を時間のある時に手の取っていただきたいです。見ていただきたいのは「桃の形」。今、巷にあふれる桃とは形が異なり、まんまるというよりも、先のとがった形をしています。形はスモモに近いでしょうか。古来、中国より持ち込まれた桃が、北方系の品種らしく、この果実の形が桃太郎の桃。昔に描かれた桃の画もまた同じです。明治に入り、南方系が日本に届き、偶発実生(意図的ではない自然の交雑から生まれた品種)によって生まれたのが、今の「まん丸の桃」の原型だと言われています。

 「桃の形」、子供の絵本とはいえ歴史考察の上では貴重な資料なのかもしれません。そういえば、纏向遺跡のある奈良県の隣は和歌山県紀の川市は県の北側に位置しています。今でこそ県境の線が引かれていますが、昔はなかったでしょう。もしかしたら、何かしらの繋がりがあったでしょうか。桃が古代の歴史を物語るかもしれません。方言もそうですが、身近なものにこそ歴史を探るヒントがあるのではないでしょうか。

 

 いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。「長々と文字が続くメールを、いったい7月は何が特選食材なのかと思いを馳せながら読み進める、これがまた北平が語りかけてきているようで退屈しないものだ」と感じていただければ幸いです。

 

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、そして新しい人生の門出を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoit特選食材≪宮崎県の完熟マンゴーと沖縄県のパッションフルーツ≫&特別プランのご案内です。

「紅一点(こういってん)」

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 多くの中で異彩を放つもの、むさい多くの男性陣の中の、美しい一人の女性、などという意味合いでよく使われる言葉です。この表現は、緑の葉が生い茂るなかで輝かんばかりに咲く一輪の花という光景から生まれたらしいのです。今では、花が散りかけ少し実が膨らんできている頃でしょうか。いったい何の花か思いあたりますか?

 秋に独特の姿のはじけんばかりの実を結ぶ、「紅」鮮やかなザクロの花です。「緑」美しい時期だからこそ映える美しさ。それゆえに、「紅一点」という表現が生まれたのでしょう。と思いつつ、画像がザクロの花なのですが、何か違和感を覚えませんか?「紅一点」というには、意外にも多くの花を咲かすのです。ここはひとつ、意図的に視野を狭めてご覧ください、まさに紅一点の世界観を望めるのではないでしょうか。はたまた、視野を広げてみると、この時期は思いのほか白い花が多いもので、紅色の花が梅雨の最中に映えるからこそ、「紅一点」なのでしょうか。

 

 日本全国津々浦々、多彩な四季の表情に恵まれている日本に住んでいるからこそ、旬の食材にこだわりたいものです。年間スケジュールを組むも、なかなか思い通りにゆかないもので、栽培者の方々とお話をさせていただきながら、忸怩(じくじ)たる思いで断念せざるを得ない数々。自然の育む美味なる食材を、自分が勝手にカレンダーにあてはめていること自体がおこがましいとは十分に理解しているものの、どうしても前もって計画せねば何も始まらないのも事実。今年は旬の食材の収穫が遅れるは、早まるはの、なかなかに忙しい令和元年です。

 Benoitの7月メニューに明記される特選食材の数々。その中で、今回はデザートを彩る「紅一点」ならぬ「紅三点」ともいえる逸品を、まずは簡単にご紹介させていただきます。残念ながら「ザクロ」はまだ完熟していないので、登場いたしません。

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 「紅」一つ目は、Benoitの7月のデザートの食材といえば、和歌山県紀の川市桃山町の豊田屋さんの「白桃」です。桃山町です、地名に「桃」の字が入っているほどの銘産地であり、彼の地の選ばれし桃は「あら川の桃」のブランドを冠します。今届いている品種は、画像の「日川白鳳(ひかわはくほう)」です。この品種から始まり、「白鳳」へ、そして白桃の王様「清水白桃」を迎え、7月末の「川中島白桃」で豊田屋さんの収穫は終わりを迎えます。皆様がBenoitへお越しいただけるときに、どの品種なのかは、桃にお伺いを立てるしかないでしょう。

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 「紅」 二つ目は、和歌山県と瀬戸内海を挟んでの反対側に位置する、香川県さぬき市の「ひうらの里」からBenoitに届いている飯田桃園さんの「スモモ」です。今の品種は画像の「大石早生」で、まもなく「フランコ」へ。今期は飯田桃園さんお12種類のスモモの品種より選りすぐりのものを送っていただきます。予定では、7月中旬には「ソルダム」、そして「太陽」へと引き継がれることに。

 白桃は「ピーチメルバ」へ、スモモは「クラフティ」へと姿を変えます。ともにフランス料理を代表する伝統デザートでありながら、そこへBenoitパティシエール田中真理のセンスが加味された美味なる逸品となり、メニューに名を連ねております。これらのデザートの詳細は後日とさせていただき、残りの一つをご紹介しなくてはなりません。すでに表題にもなっているので皆様お気づきかと思いますが、「紅」三つ目の特選食材は、宮崎県綾町で育まれた「完熟マンゴー」です。眩(まばゆ)い輝きをはなつ「紅三点」。それぞれの美味しさを皆様に語らねばならない中で、筆頭に上がるのは「完熟マンゴー」です。なぜか?間もなく収穫が終わってしまうからです。今お楽しみいただかなければ、来年まで待たねばなりません。

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 宮崎県の完熟マンゴーは、加温栽培で全国一の生産量を誇ります。その県内で、Benoitがどうしてもこだわりたかったのが「綾町」産でした。この地は宮崎県のほぼ中央に位置し、宮崎市から西へ20km、大淀川支流の本庄川をさかのぼった中山間部。町の約80%が森林で、それも日本一の照葉樹林を形成しています。さらに、この恵まれた環境は、名水百選にも選ばれる水源を生み出しました。自然豊かな環境で育てられた農畜産物の美味しさは県内外に知れ渡り、多くの観光客が彼の地を訪れているそうです。ただ自然豊かだから美味しい?これは主要因ではありますが、他にも一因があるのです。綾町のお話は、以前「トウモロコシ前線のご案内」で書いております。お時間のある時に、以下のURLよりご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 マンゴーは亜熱帯の果物なので、宮崎県の気候をもってしても露地栽培は難しく、全てハウス栽培です。だからこそ、徹底した管理のもと美味しさを追求できるのです。地植えとポット栽培を併用し、収穫は人がハサミを使って行うのではなく、マンゴーの樹は果実が熟すと実を落とすという特性を利用した、自然落果した果実を収穫します。太陽の恩恵を十二分に受け、植物のみが成せる光合成によって栄養を果実に蓄える。母なる樹から、子である果実が離れる時が、立派に成長した極み。宮崎県のマンゴーは、その瞬間(とき)を逃がさないよう、ひとつひとつの果実をネットで包み、果実が熟して自然落下するのを待つのです。これゆえに「完熟マンゴー」と命名。マンゴー本来の味わいと香が最大限発揮される「完熟」だからこその逸品へと名を押し上げたのです。さらに、自然の摂理を尊重する自然生態系農業を実践する綾町は、除草剤不使用に加え、土作りも堆肥から。広大な照葉樹林から湧き出でる名水と自然の生態系を生かした良質な土から育まれた「綾町の完熟マンゴー」が、美味しくないわけがありません。

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 Benoitデザートの重責を担うのがパティシエール田中真理です。何度となく名前が挙がるので、すでに周知の方も多いのではないでしょうか。フランスのコンクールでも優勝している実力者。昨年のこと、彼女に問う「マンゴーを購入したらデザートに組み込める?」「グラン・リーブル(アラン・デュカスの料理の粋を結集したレシピ本)に載っている逸品を作るよ」「宮崎県の完熟マンゴーで美味しいデザートになる?」「誰に言っているの?」と自信の笑みがこぼれていました。今期は2回目。自分の中では、昨年のスタイルが美味しく好評だったために、変更しなくとも良いのではと思うのですが、そこは「職人気質」に溢れる彼女です、昨年の自分を越えねばならないというのです。

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 アラン・デュカスの料理哲学は、「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること」です。宮崎県綾町の完熟マンゴーがどれほどの食材かを知りえたこともあり、今年はこれでもかというほど贅沢に完熟マンゴーを使用します。画像にある乱切りのマンゴーは、マルムラードとソルベ(シャーベット)へと姿を変えるのです。作業中の光景を目の当たりにした時、宮崎県の完熟マンゴーの価格を知っているだけに、「うわっ」と声が漏れたのを覚えています。フレッシュで仕上げることが、どれほど美味しさを生み出すのかを、一口お召し上がりいただければご理解いただけるのではないでしょうか。

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 ココナッツとアーモンドを加え丁寧に仕上げた生地を、香ばしく焼き上げていき、ここへ盛りつけてゆきます。と、焼きあがったタルトを前にし、田中がなにやら教えている姿が。脇で話を耳にした時、「こんな些細なところにまで」と感服いたしました。いつも、さも自分が仕上げたかのようにぺらぺら話をしているからこそ、なおさらこの想いが募るというもの。何をしているのかわかりますか?すでにこのデザートが始まり10日ほど経っていますが、気づいた方は皆無なのではないでしょうか。これ、焼き上がったタルトの側面のザラザラを削ぎ落しつつ、上部の淵の内側を削り鋭角な角を付けているのです。タルトを家で焼いているかたは、焼き上がりのタルトの淵が丸みのあるボテッとした姿を思い浮かべていただきたいのです。そこを、削るのです。食感と盛り付けた際の美しさを求めるがゆえに。

 アラン・デュカスがデザートに求める要素は「食感・甘さ・温度の違い」。上記のタルトに、完熟マンゴーのマルムラードをのせ、ライムを加えたクリームを絞り込みます。コクのある甘さのマンゴーに、クリームのまろやかさ、ここにライムを加えることで味を引き締めるのです。これだけでも十分に美味しいところへ、これでもかとフレッシュの完熟マンゴーを山のように盛りつけます。沖縄県パッションフルーツの果実をのせ、ライムを削る、添えるのは宮崎県マンゴーと沖縄県パッションフルーツのソルベ。それぞれの「食感と甘さ・酸味」の違いが、飽きることのない味わいのハーモニーを奏でるのです。この美味しさを、どうお伝えすればよいのか?悩みどころは、最後の一口を、「完熟マンゴー」にするか「シャーベット」にするか?いや、サクッと香ばしいサブレという選択肢もある。まさに「口福なデザート」とは、このことかもしれません。

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 完熟マンゴーを使用したデザートは、ランチでもディナーでも2,000円の追加料金でお選びいただくことが可能です。しかし、皆様より並々ならぬご愛顧を賜っていることへのお礼と、宮崎県綾町の「完熟マンゴー」があまりにも美味しいので、皆様にどうしてもご賞味いただきたいという思いがあり、特別プライスのコースをご案内させていただきます。ランチ・ディナーともに、プリフィックスコースのデザートは、もちろんここまで長々と力説させていただいた自慢の「宮崎県綾町の完熟マンゴーの逸品」です。前菜とメインディッシュは当日お選びいただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、宮崎県のマンゴーの収穫が終わりを迎えるまでの、平日限定です。ご予約人数が8名様を超える場合は、ご相談させてください。

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+完熟マンゴーデザート

5,800円→5,000円(税サ別)

 

前菜x2+メインディッシュ+完熟マンゴーデザート

6,800円→5,800円(税サ別)

 

前菜+メインディッシュ+完熟マンゴーデザート+デザート

5,800円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+完熟マンゴーデザート

8,100円→6,700円(税サ別)

 

前菜x2+メインディッシュ+完熟マンゴーデザート

9,100円→7,500円(税サ別)

 

前菜+メインディッシュ+完熟マンゴーデザート+デザート

7,500円(税サ別)

 

 ご紹介しましたプランは、BenoitのHPなどには記載いたしません。このメールを受け取っていただいている皆様への特別なご案内です。完熟マンゴーの収穫が自然落果を待つため、日照条件によって収量が左右されます。そこで、このプランをご希望の方に優先的にこのデザートを確保させていただきます。ご面倒とは存じますが、ご予約のご連絡をいただけると幸いです宮崎県綾町より7月末を待たずして収穫終了するかもしれませんとの情報を受けております。いつまで、ご用意可能なのか?こればかりは、マンゴーに聞くしかありません。ご不便をおかけいたしますが、自然のことゆえご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

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 今回の完熟マンゴーのデザートにとって、欠かすことができないもう一つの特選食材が、パッションフルーツです。名前こそよく耳にいたしますが、いったいどのような果実で、どのように食べるものなのか?ましてやどのように栽培されているのか?なかなか思い当たらないものです。上に添付した画像は、マンゴー畑ではなく、実はパッションフルーツ畑。この特選食材は、沖縄県本島の最南端から。大部分が海に面している海人(うみんちゅ)の街である糸満市、彼の地の山城農園から、海と太陽が育んだ類まれなる逸品がBenoitへ。

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 園主である山城さんは、農薬を使わずに安心・安全な果物を提供したいと切望し、栽培方法すらままならないパッションフルーツの無農薬・無化学肥料栽培へ挑みました。徹底した管理の下での栽培を要求されるため、ハウス栽培を選択し、土作りから取り組みます。しかし、失敗を重ね、自然の辛酸を舐めること幾度となく。彼の苦悩は計り知れず、我々の想像を超えるものだったはずです。周囲の仲間からは、励ます者もいれば、諦めを促す方もいたでしょう。山城さん自身の心が折れることもあったでしょう。しかし、最高のパッションフルーツを育て上げるという信念はゆるぎのないものでした。そして、ついに無農薬・無化学肥料栽培を実現させたのです。流れし時は、ゆうに7年に及びます。

 南国のフルーツならではの、強い日差しを要求するパッションフルーツ。同時に、無農薬栽培を実現するためには徹底した管理を求められます。ハウス栽培では少なからず陽射しの恩恵を削がれるがために、パッションフルーツの持つ光合成能力を高めねばなりません。そこで、その能力を最大限に引き出すため、山城さんは玄米アミノ酸酵素液を採用しました。そして、乳酸菌と納豆菌に加え酵母菌を培養した「えひめAI」と木酢液を使うことで、生育を促します。さらに、人体に害を及ぼす虫の駆除に一役買っている、インド原産のハーブの一種「ニーム」を加えた、玄米アミノ酸ニーム酵素液を防除に試みたことが功を奏しました。この彼の情熱に応えるかのように、甘さと酸味の抜群バランスの美味しさに満ち満ちた果肉がぎっしりと詰まった、外観も完璧なパッションフルーツに成長したのです。彼はこの逸品を「」パッション・ルビー」と命名しました。

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先日、この糸満市パッションフルーツを、さも自分が苦労して育てたかのように、お客様に自慢していた時のお話です。なんとお客様が糸満市出身の方だったのです。「北平くん、糸満(いとまん)市は、なぜその名称になったのか知っているかい?」と問いかけられました。もちろん「存じません」と答える。「糸満と呼ばれる前の昔の話なのだけどね」と話が始まりました。琉球王国の時代、彼の地の沖合でイギリスの商船が難破したのだといいます。一難去った船乗りたちは陸を目指して泳ぎ始めるも、力尽きるものも数知れず。糸満の海岸に辿り着いた船乗りは僅か8人しかいなかったというのです。そして、お客様が自分に問いかけました、「英語で言ってごらん」と。8(eight)人(man)、「エイトマン」…糸満なのだと。ありそうでもあり、なさそうでもあるこの驚愕のお話は、年配の糸満市の人々は皆知っていることなのだといいます。この話を別のテーブルで披露すると、「複数形だから8(eight)人(men)だね」とご指摘が。そうか、こう切り返さなければいけなったのかと、自分の未熟さを再認識した忘れることのできない貴重な一日となったのです。

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 Benoitに初めて届いた山城さんの育んだパッションフルーツの段ボール。中には「パッションフルーツは収穫後に追熟するフルーツです。ツルツルの表面がしわしわになり、香りが立ってきたときが食べ頃です」というご案内が入っておりました。それを片手に自分の業務へと戻ろうという時、パティシエから声がかかりました。段ボールの側面を見てくださいとのこと。添付画像をご覧ください、ひたむきに栽培に取り組む姿が見えるかのようなコメントではないですか。素晴らしい品質を生み出すには、栽培者の想いや人柄が大いに関係している気がいたします。料理もワインもまたしかり。さて、山城さんの住んでいる糸満市の由来、疑うことなく信じたくなるのは自分だけではないでしょう。

 

以下は「みやざきマンゴー物語」です。

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 宮崎県のマンゴーを調べている中で、宮崎日日新聞の記事が目に留まりました。「みやざきマンゴー物語」です。宮崎県でのマンゴー栽培が順風満帆に進んだのではなく、人々が英知を絞り出し、挑戦し砕かれる。この繰り返しの中で、着実に成果を出しながら、今の宮崎県完熟マンゴー「太陽のたまご」が生まれたようです。何度となく襲い掛かる試練に、心折れそうになるも、宮崎県ブランドを背負える逸品を仕上げたいという強い信念があったればこそ乗り越えられたようです。そんな臥薪嘗胆の心意気を、この記事は如実に物語っています。

 1985年、宮崎市から北西に向かった「西都市」から物語が始まります。この地の農家さんが、ピーマンやキュウリに代わる新しい作物を求め、県総合試験場へ向かったのです。綾町の話でもでてくる、この時代のキーワードは大量生産です。大消費地である都心から距離のある地で、都心近郊と同じことをしていては生き残れないことを、肌身に痛感していたのは、農を生業とする農家さんでした。地方だから、宮崎県の温かい気候風土を生かした「特産」を探し求めよう、そう考えたのが「西都市」、豊かな照葉樹林を生かした自然生態系農業へと舵取りしたのが「綾町」、きっと他の地域でも、いろいろな道を模索していたはずです。

 西都市の農家さんが県総合試験場から勧められたのが「マンゴー」でした。ところが、試験場で栽培されているのみで、栽培歴がない上に身近に無い作物。そこで、沖縄県産マンゴーを取り寄せ実食。その甘い香りと深いコクに感銘を受け「気候の違いは技術で補える。未知のこの果物を西都でつくろう」と誓い合ったといいます。時同じくして、JA西都の技術者だった楯さんは、沖縄県を視察し、すでに「マンゴー」に出会っていたのです。鮮やかな紅色と高級感、甘くてさわやかな味わいは、きっと好評を博すと実感していたといいます。そして、ここで運命の出会いが待っていたのです。前述した農家さんから、マンゴー導入の話を持ち掛けられたのです。

 苗木を取り寄せて、栽培農家さんを募るものの、この栽培歴もない上に見たこともない作物に、果敢にも挑戦する農家は少なく、当初は2戸、その後に少し増えるものの8戸のみ。土作りに土壌管理、温湿度、病虫害対策に摘葉・摘果の成長の管理、全てが未知なること。何度となく沖縄県を訪れ、技術指導をうけることに。8人が集まればマンゴーの話ばかり。試行錯誤の日々で、先の見えない心配と並々ならぬ苦労があったことでしょう。それでも「夢があって、楽しかった」と。そして、ついに1988年に210kgの初出荷にこぎつけたのです。

 当時、輸入されたマンゴーの品質が良くなく、東京で良い印象が持たれておらず、宮崎県産マンゴーを売り込むも失敗に終わります。そこで、県内で地物マンゴーの認知度を上げる地道な活動を余儀なくされました。その最中、画期的な栽培方法が生まれたのです。「大きな実に限って落ちて売り物にならない」と相談を受けたことが始まりでした。完熟では実を落とすマンゴーの特性のため、今までは8~9割の熟度でハサミを使い収穫していました。ところが、「落ちた実」は甘くジューシーだったのです。そこで、楯さんが発案したのがネットで完熟前の実を包み込み、自然落下の完熟果をキャッチすることだったのです。日焼けや圧力で網目が実に残らないよう、ネットを改良に改良を重ね生み出したのです。ここに、宮崎県産最大の魅力でもある「完熟マンゴー」が誕生したのです。さらに、1989年に県がフルーツランド構想を策定、1993年には「宮崎はひとつ」を合言葉に、県果樹振興協議会亜熱帯果樹部会が設立され、「みやざき完熟マンゴー」のブランド化に。そして1998年、厳しい独自基準を設け選別された最高級品「太陽のタマゴ」が誕生しました。

 今でこそ、ブランド名声を確固たるものにしていますが、それまでの苦悩はひとかたならぬものだったはずです。台風の通り道だからこそ、大雨による冠水や暴風によりハウスの倒壊、それに伴い枝が折れるという被害も。病虫害や裂果にも悩まされ続ける。そして、偽ブランドの台頭。何かを乗り越えると、また次の災禍に見舞われる。それでも、己を信じ皆で励ましあいながら辿った道のりに、多くのサクセスストーリーがありました。全ては宮崎県を代表する、他の追随を許さない逸品に仕上げよう、この強い心意気がすべての困難を乗り越えさせ、今の「みやざき完熟マンゴー」が生み出したのではないでしょうか。乗り越えることのできない壁はない、宮崎県のマンゴーを通して、大いに学ばせていただきました。さらなる高みを求め、彼らの挑戦は今も続いています。

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、そして新しい人生の門出を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

Benoit「一夜限りの≪夏食材の饗宴≫」のご案内です。

 2019年6月7日に気象庁が「関東梅雨入り」を発表いたしました。艶やかに咲き誇った春の花々の色は、晩春を迎えるにつれ黄色へ、そして紫へ。そして、初夏の梅雨時期前後は、なにかと白い花が目に入るものです。街路樹で目にする「ヤマボウシ」、地表を飾る梅雨を告げる花「ドクダミ」、そして今まさに咲き誇っているのが「クチナシ」。厚みのある花びらを、濃い緑の葉が生い茂る中でいっぱい広げる大きな花は、まるで和菓子の「ねりきり」のようです。

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 日本の「三大香木」とは、春の「ジンチョウゲ」、夏が「クチナシ」、秋は「キンモクセイ」。「ジンチョウゲ」と「キンモクセイ」は芳しく、ある種の爽やかさを感じる香りのため、芳香剤などでも採用されているのを目にすると思います。「クチナシ」はというと、この花の前に立ち止まった時、その理由がわかっていただけるのではないでしょうか。曇天の中、色濃い緑の葉が生い茂る中に、白さ輝く花びらを大きく開く美しさ。その花のまわりに漂う甘い香りは、バニラビーンズを贅沢に加えて作ったカスタードクリームのような…まだクリームが温かい時のあの香り。湿気の多い時期だからこそ、濃密に感じるのでしょうか。うっとりとする妖艶なこの香りが、部屋中に満ち満ちていることを想像すると、やる気の全てを削いでゆき、リラックスしすぎる、ただただこの香りに溺れてゆく自分の姿が目に浮かびます。

 日本原産のクチナシ。秋には結実するも、果実が裂けないために、「口無し」な実なのだと。これが命名の由来だともいいます(※もちろん諸説あり)。この実を乾燥させたものは、「山梔子(さんしし)」や「梔子(しし)」とよばれ、漢方の生薬として活用され、真っ白な花からは想像もつかない、赤みがかった黄色の「梔子(くちなし)色」の染料へ。さらには、染物ばかりではなく、和菓子やたくあんなどの色付けにも使用されています。

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 残念ながら、花から魅惑の香の成分は抽出できていません。しかし、その果実は漢方薬に、染料に、食品添加物へと、用途は多岐にわたります。さらに、花も果実も樹本体も、まったく使用せず、ただ実を象(かたど)ったものが、将棋盤の足に。「クチナシ」は「口無し」であり、第三者は口出し無用という意味が込められているといいます。

 棋士にとって今後の明暗を分かつことになる真剣勝負に、自由気ままに口出すことの煩(わずわら)わしさ。何も将棋の世界に限らず、何か真剣に取り組んでいるときに、横から茶々を入れられる経験をされている方は多いのではないでしょうか。レベルの違いはありますが、想いは同じです。聞き流せば良いのですが、なかなかそうはいかないものです。なぜか?言葉の持つ力を、我々日本人が信じているから、煩わしさに加えて何かの想いに駆られるのでは?「言霊(ことだま)」という考え方です。

 言葉には霊力が宿ったおり、口に出すことで実現してゆくという、「言霊信仰(ことだましんこう)」というものを、知らず知らずに信じているからなのでしょう。「祝詞(のりと)」や「忌言葉(いみことば)」のような宗教的な雰囲気は薄くなりつつも、今なお我々の生活に根付いているものです。例えば、結婚式などで「別れる」「割れる」、何かの契約の時に「流れる」などの言葉の使用を避けるようにします。宴席の時においても、「終わり」ではなく、これから発展する意味を含む「お開き」と。何の確証もないのですが、口に出すことはもちろん、書面に「書く」場合にも同じような思いを抱いているのです。オリンピック選手やプロスポーツ選手の小学校の時の寄せ書きなどを振り返ると、しっかりと「将来の夢」に、今の姿を書いている。口に出す、書き記すことで、夢が夢ではなくなり、実現してゆくのです。努力を続けチャンスを掴みと本人の実力の賜物ではありますが、何か「言霊」の力を信じたくはなりませんか?

 

 「言祝ぐ(ことほぐ)」とは、言葉によって祝福の気持ちを伝えること。ここから「寿(ことぶき)」が誕生しています。そこで、四季折々に姿を見せる旬の食材には精霊が宿り、その満ち満ちた栄養によって我々を養ってくれる。栄養ばかりではなく、その美味しさも言うに及ばず。Benoitシェフのセバスチャンが、アラン・デュカスの料理哲学「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること」を踏襲しながら、旬の食材を使い、一夜限りの「夏食材の饗宴」を、Benoitで開催することを、クチナシではなく「言霊の力」を借りて皆様に言祝がせていただきます。

 開催といっても、ミュージックディナーのように、何かイベントがあるわけでありません。通常通りのディナー営業です。しかし、この一夜だけは、シェフのセバスチャンが、「今、これを食せずして夏は始まらない」という思いを込めて旬の食材を使い組み立てたコース料理のみご用意いたします。Benoitディナーの営業時間内のご都合の良い時をご指定いただき、ご予約いただけると幸いです。

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Benoit特選メニュー「一夜限りの≪夏食材の饗宴≫」

日時:201971()17:30より(21:00LO)Benoitの営業時間内にお越しください。

コース料金:お一人様 9,800(税サ別)

※ご予約をご希望の際は、自分へメールをお送りいただくか、Benoitへご連絡をいただけると幸いです。何か質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせください。

いったいどのような饗宴となるのか。夏を代表する旬の食材は、日持ちのするものが少なく、食材を厳選し、手に入るかどうかの確認をとるのもなかなか難儀な作業でした。よほど天候不順などの問題がなければですが、食材が決まり、シェフのイメージするコース料理「夏食材の饗宴」メニューをご紹介させていただきます。食材の都合により、直前に変更になる場合もございます。ご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

Menu de saison du CHEF “C’est l’ÉTÉ !! ”

≪一口の前菜≫

スウィートコーントマトのスープ

≪前菜≫

(仮称) イタリア産アーティチョークのバリグール

≪魚料理≫

(仮称) Benoit風ブイヤベース オマール海老/カサゴ/シマアジ/ホタテ貝

≪肉料理≫

(仮称) ウサギモモ肉の煮込み マスタード風味 福井県六条大麦

≪デザート≫

(仮称) 宮崎県綾町より完熟マンゴーのタルト

 

※苦手な食材や、アレルギー食材が組み込まれている場合には、お教えいただけると幸いです。アレンジするか、別の料理を提案させていただきます。

 

 今回のメニューを鑑み、シェフソムリエの永田から、「料理とワインのマリアージュ」の提案です。シャンパーニュ、白・ロゼ・赤ワインの計4杯のセットで、お一人様7,000(税サ別)にてペアリングをご用意しようと思います。

NV  Louis Roederer   Brut Premier 

2012  Pessac-Léognan  Cteau Latour Martillac

2015  Côtes de Provence rosé « Garrus »  Château D'Esclans

1995  Charmes-Chambertin grand cru  Charles Noëllat

 最初のシャンパーニュと、殿(しんがり)を担う赤ワインについては、コメントの必要はないでしょう。シャンパーニュの中でも確固たる地位を得ている逸品「ルイ・ロデレール」。そして、ブルゴーニュ地方のChambertin村で、特級を名乗ることのできる「シャルム・シャンベルタン」というだけでも心躍るものですが、今回は24年前にブドウを摘み醸されたもの。もともとが美味なるワインを醸す地に加え、「時」だけが成せる魔法によって、どのような「旨味」に変わってゆくのか?皆様に教えてくれるはずです。

 2つ目のボルドーの白ワイン。ボルドー地方に於いて赤ワイン銘醸地で名を馳す「Médoc」地区。1855年のワインの格付けが行われた中で、Château Haut-Brion以外は全てこの地区から選ばれました。では、前出のワインはどの地域かというと、Médocから少し河を上ったところに「Grave」地区があり、この中でも美味しい赤ワインを醸す地が「Pessac-Léognan」です。ボルドー=赤ワインという図式が我々を占有する中で、赤ワインだけで「商売は成り立つ」でしょう。しかし、白ワインを醸すのはなぜか?美味なるワインに仕上げる自信があるからです。

 世界で醸されているロゼワインの9割以上が「辛口」。その頂点に君臨しているのではないかと思う逸品を醸しているのが、プロヴァンスに居を構えるChâteau D'Esclansです。金持ちが道楽で作っている、名ばかりの商売っ気の無いワインではありません。商売のため、多種多様に及ぶワインを買い付けるのが「バイヤー」であり、彼らの審美眼が価格に反映されます。そのプロがGarrusというロゼワインに、世界最高値をつけました。ネットで調べてみてください、きっと驚かれることでしょう。最高のロゼワインを追い求め、辿り着いた境地ともいうべき逸品です。

 この豪華なラインナップのご用意のため、14名様限定です。ご希望の場合はご予約の際にお伝えいただくと幸いです。当夜にご希望の旨をお伝えいただけることも可能ですが、前回はご希望に添えない方が多くいらっしゃったため、事前にお伝えいただくことをお勧めいたします。

 

 以下に今回のメニューや食材について、どれほどのものか自慢をさせていただきます。参考までに、Benoitシェフのセバスチャンは、生まれはBretagne(ブルターニュ)地方ですが、育った地はProvence-Alpes-Côte d’Azur(以下プロヴァンス)地方。そう、人は、食べたもので成り立つとはよく言ったもので、幼少の頃より口にしてきたものが、そのまま料理のお手本となるのです。これは、セバスチャンに限ったことではありません。巨匠アラン・デュカスも例外ではなく、ランド地方の四季折々の食材豊かな地で、子供のころに食べ馴染んだ母親の手料理が基本になっているのだと、本人も言っているのです。彼の料理哲学である「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること」の原点は、幼少時代に育まれていったのでしょう。アラン・デュカスの元で研鑽に励み、食に対するノウハウを叩き込まれるも、根本になるのはセバスチャンの育った地であるプロヴァンス地方です。あらましは以下を参照ください。

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今回は道のりの長いコースを組み立てたため、前菜の前の「小さな一品」としてご用意するのは、「トウモロコシ」のスープです。初夏を代表する食材であり、甘く美味しいトウモロコシの美味しさは、誰しもが知るところ。しかし、収穫後1日経つと、糖度が0.5度も落ちるといいます。そう、鮮度を最も意識しなければなりません。そこで、すでに始まっているトウモロコシは、宮崎県綾町から始まり。香川県観音寺市へ移ろうとしています。桜前線ならぬ「Benoitトウモロコシ前線」の詳細は、以下のURLより「はてなブログ」をご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 ただし、トウモロコシの冷たいスープでは芸がありません。やはり夏ということもあり、旬の食材であるトマトを加えます。スウィートコーンの甘さとコクに、「トマト」特有の心地良い酸味とみずみずしさを加えます、いったいどのようなスープに仕上がっているのか、この美味しさの想像がつきますか。

 

 前菜は、初夏を代表する食材である「アーティチョーク」です。これまた初夏を代表する食材です。ホワイトアスパラガスを食せずして春は終われず、アーティチョークを食せずして夏は迎えられない、まさにヨーロッパの人々にとっての季節を迎えるための旬の食材です。日本でも栽培され始めていますが、まだまだ日本では馴染みの食材ではないため、栽培ノウハウが確立していないといいます。そして、栽培品種もぽてっとまるまるしたものが主流です。

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 今回は、海外の力を借り、南フランスの代表的なÉpineux(エピノー)という品種がイタリアから届きます。前述したぽてっとしたものは、湯がかれ後に、苞片(ほうへん)と呼ばれる花を包む一片一片を歯でしごくように楽しみます。今回の品種は、生のままで苞片はむしり取り、中央の花托(かたく)と呼ばれているところのみを調理していきます。ほくっとしながらそら豆のような風味があり、なんともいえぬ優しいほろ苦さを持ち合わせます。このアーティチョークと他の旬食材とともに鶏のスープで湯がかれ、心地良い酸味とコク、ブドウ特有の甘さをもつバルサミコヴィネガーで風味づけされます。北半球の古今東西を問わず、これから迎える夏を乗り切るために我々が必要としている栄養に満ち満ちた、それでいて野菜それぞれが美味しさを奏でる逸品です。

 

 今回の1つ目のメインディッシュは、南フランスを代表する伝統料理「ブイヤベース」を、Benoit風にアレンジしたものです。簡単に言ってしまうと、濃厚な魚の旨味を煮出したスープに、旨味の抜けきった魚介ではなく、別に用意していたものを旨味を逃がさないように焼き上げたものを具として組み合わせたものです。今回は、「Benoit風」なので、「オマール海老」に登場していただき、シェフ曰く「ブイヤベースの必須条件となるカサゴ」、そしてホタテ貝。今までにBenoitメニュー初登場の「シマアジ」が一堂に会するのです。

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 千葉県鋸南町(きょなんちょう)の勝山漁港は、房総半島の南端から西側に少し入った東京湾外湾に位置し、日本でも数少ない「シマアジ」養殖に成功した港です。この港からBenoitに直送されるシマアジは、鮮度があまりにも良いために、身の締まりと旨味は抜群で、お刺身でおおいにお楽しみいただきたい逸品です。これを、焼いてしまうという贅沢さ。オマール海老にカサゴとホタテ貝と、美味しい魚介として名を馳せた逸品の中で、遜色ない美味しさを放つ、いや勝るかもしれぬシマアジ美味しさを、ぜひBenoit風ブイヤベースの中で見出していただきたいと思います。

 

 メインディッシュ2つ目は、ウサギのモモ肉の煮込みの登場です。野ウサギではなく、もちろん愛玩動物でもありません。我々日本人には、ウサギを食す習慣に対する驚きとともに、敬遠する食材だと思います。ところが、フランスはもちろん、ヨーロッパの中では何も違和感のない食材のひとつなのです。フランス語では、lapin(ウサギ) とlièvre(野ウサギ)、まったく違う単語を使用するということは、日本のように、ただ単に「野」がつくのとはわけが違いうほどの馴染みの現れでしょう。Benoit東京では、過去に一度だけ「ウサギのモモ肉」がメニューに登場しました。時のシェフはダヴィット・ブラン、フランスのPoitou-Chanrentes出身です。

 日本人には、なかなか理解しにくい「ウサギ」という食材は、フランスでは馴染みのものであり、言うなれば「ソウルフード」なのです。ダヴィッドシェフ(現グランドハイアット東京副料理長)も、今のBenoitセバスチャンに話を聞いても、「昔懐かしい家庭的な食材」だといいます。鶏肉よりも脂が無く旨味が多いウサギモモ肉を、ブイヨンで煮込んでいく中で、ディジョンマスタードを少々。今回は、初夏に収穫を迎える旬の食材、福井県の「六条大麦」と共に皆様へ。ほろっと崩れるかのような肉質に、噛むほどに旨味が口中に広がる。さらに、リゾットのように仕上げた六条大麦が、ぷちぷちの食感と麦の香ばしい美味しさ、ソースと合わせた時の相乗効果は抜群です。

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「郷に入っては郷に従え」ということで、この機会のぜひお試しいただきたいと思い、メニューに組み込みました。

 

 デザートは初夏の食材を代表する、それも美味しいことであまりにも有名な、宮崎県綾町の「完熟マンゴー」の登場です。この食材の美味しさは、言うに及ばずでしょう。6月のBenoitでは、沖縄県西表島のピーチパインと組み合わせましたが、今回のイベントを含め7月は、「マンゴーのタルト」と銘打ち、綾町の完熟マンゴーを一人半分使用しようと思います。

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 今、Benoitシェフパティシエールの田中が、フランスと調整しているため、詳細を語ることはできません。しかし、今まで彼女の仕上げたデザートが、あまりにも美味しかったことを考えると、今回は昨年を上回る美味しさを誇る逸品に仕上げてくるのではないでしょうか。知りえる情報の中では、沖縄県糸満市の「パッションフルーツ」も組み合わせるようです。ご期待ください。

 

 梅雨によって目覚めた食材を使い、7月1日の一夜限りの「夏食材の饗宴」をご用意いたします。それぞれが個性的であり、夏の美味しさを内包した逸品食材が、一堂に会するこの一夜は、皆様を「口福な食時」へと誘(いざな)うことでしょう。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

次回の開催日は未定ですが、10月に「秋食材の饗宴」を考えております。

 

以下は「言霊」について思うこと、余談です。

 自分が、サービス業を生業と定めて、はや20年ほど経つでしょうか。この職は、調理人のような「クチナシ(口無し)」な職人気質ではまかり通りません。今の時代を鑑みても、「美味しい料理」を調理すれば、店が成り立つ時代ではなくなっている気がいたします。都内星の数ほどもあるレストラン、美味しい料理を提供するお店を探すことには困りません。そう考えると、Benoitが美味しい料理やデザートを準備するも、皆様にお伝えしBenoitにお越しいただく、さらにはメニューの中より勧めの逸品をお選びいただくには、やはり自分のような職業が必要なのでしょう。

 実際に、自分は何も調理することもなく、タマネギの皮をむくような手伝いもしていません。調理人のこだわりや苦労を見聞きし、どのような料理に仕上がっているかを、分かりやすく面白くお伝えすることを目指します。料理とは「理(ことわり)」を「料(し)る」ことだといいます。自分の職業は、ただただ「言霊」の力を借りて、皆様に料理人の「料理への想い」を伝えること。こう考えると、言葉遣いには注意しなくてはなりません。言霊は、話し言葉はもちろん、その延長にある書き言葉にも宿るはず。この長文レポートもまたしかり。

 

しきしまの 大和の国は 言霊(ことだま)の 幸(さき)わう国ぞ ま幸(さき)くありこそ  柿本人麻呂万葉集より~

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 日本という国は、言霊によって幸せになっている国です。これからも幸多きことを願います、と伝えたいのでしょうか。古人は、「美しい心から生まれる言葉は、その言葉通りの良い結果を実現する。しかし、乱れた心から生まれた粗暴な言葉は災いをもたらす。」と信じていました。今回の歌は、スケールが違うようです。柿本人麻呂は「日本国」は言霊によって幸福を得ているというのです。八百万の神々への感謝、四季折々の自然への感謝、その恩恵に授かる山の幸に海の幸に感謝する。この美しい心を持った皆々が、美しい言葉を口にしているという自負があるからこそ、大和(やまと)は「幸わっている国」なのだというのです。※画像は勝山港から望む夕日です。

 時代時代に、新しい言葉が生まれるのはもちろん、多少の文法や言葉遣いが崩れるのも、よほど行き過ぎでなければ理解できるものです。しかし、誹謗中傷がはびこるネットの世界や、やじの飛び交う会合など、およそ「幸わう国」とは乖離したものに感じます。「令和」とは「美しい(令)」「調和(和)」ともとれます。古人の英知を鑑み、美しい言葉を意識して日々過ごしてみてはいかがでしょうか。きっと住み良い環境が、生まれてくる気がいたします。皆で「言祝ぐ」ことも、また一興かと。

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、そして新しい人生の門出を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com