kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2022年4月5月 Benoitお勧め料理「エイヒレのムニエル」のご紹介です。

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 雄大な大海原を、まるで自らの優雅な時を謳歌するかのようにゆったりと羽ばたくかのように泳ぐマンタの姿は、海の中だからという理由以外にも、魅せられた者に得も言われぬ涼しさを与えるものです。このマンタ、正式名称は「オニイトマキエイ」といい、その姿からも想像がつく通りエイの仲間で、エイ目トビエイ科に属します。エイの多くは、羽ばたくように泳ぎはするものの砂地の海底で佇(たたず)んでいたり、ゆらゆらと海の底でエサを探していたりもします。オニイトマキエイは、休憩の時すら水面近くで浮いてるといい、トビエイとは生態を熟知しているからこその的を射た表現ではないでしょうか。

 今回の特選食材は、もちろんトビエイのマンタではありません。海底で佇んでいる方のエイ、「ガンギエイ」です。日本を含めた温帯域の海を棲みかとしており、「アカエイ」とともに、日本でも「カスベ」という名前で北海道や青森を中心に流通しています。そもそも、この「カスベ」といのは、北海道の方言でエイのことをいうようです。

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 エイの特徴といえば、背と腹で圧し潰されような縦扁(じゅうへん)という平らな姿をし、体とは区別がつきにくい大きな胸ビレではないでしょうか。この胸ビレを、鳥が飛ぶ時の翼のように波打つようにし動かして泳いでいます。日本ではエイヒレといいますが、フランスでは「Aile de Raie (エル・ドレ)※難解なRの発音!」です。「Raie」はエイのことを意味しているので、これは「エイのaile」ということに。では、この「aile」はというと…決して「ail(アイユ)」のニンニクではありません。「aile(エル)」は「ヒレ」ではなく「翼」という意味です。

 

 日本の食用エイでは、「アカエイ」が主流です。皆様が想像しやすいエイの姿をしており、高さの低い縦扁の姿なために、両翼が大きく薄いことが特徴です。そのため、焼くというよりも、煮付けにすることが多いようです。乾燥させて焙って食べたりする「エイヒレ」は、酒の肴(さかな)として馴染み深い逸品ではないでしょうか。

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 今回の「ガンギエイ」は、この両翼がコンパクトなため厚みがある。まして、ブルターニュ地方の北に広がるドーバー海峡の激しい海流にもまれにもまれたいるからこそ、さらに肉厚な「Aile de Raie (エイの翼)」なのです。日本からは地球の地軸に対してほぼ反対に位置しているフランスから。鮮度が重要な食材だけに、現地で捌かれた後、間髪入れずCASシステムと呼ばれている瞬間冷凍の技術を利用します。そして、「エイの翼」は飛行機の翼を利用し飛んできたのか、はたまた船に揺られて来日したのか、とにもかくにもBenoitに届いています。船の舵(かじ)も、なんとなく「エイの翼」のように見えなくもない…

 

 我々には「エイヒレ」という名前の方が分かりやすいので、以下エイヒレという表現で書かせていただきます。「エイヒレ」は、白身ではあるのですが、ふるふるっという身質に加え、少しぷるっとしているのが特徴でしょう。カレイやヒラメでいうエンガワのようなものであり、それが大きく肉厚である。そして、ヒレを支える軟骨も、コリコリと口中を楽しませてくれます。ぷるっということは、そう、「コラーゲン」がたっぷりです。

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 このエイヒレを、フランスの伝統料理でありながら、ビストロ料理として確固たる地位を確立している、「グルノーブル」というスタイルに仕上げます。ココットの中にたっぷりのバターを加え、ゆっくりと溶かしてゆきます。ふつふつと泡立つのと同時に、バター特有の甘い香りが立ちのぼる。そこへ、丁寧に下ごしらえを施したエイヒレを入れる。ジュワジュワッと心地良い音がココットから漏れ出で、香りにも磯の雰囲気が加わったようだ。熱々のバターを、スプーンを使ってエイヒレの上から幾度となくふりかける。ココットにスプーンが当たるカシャカシャという音の後に、ピチピチッとバターの気泡が弾け、香ばしい香りが周囲に漂い始めます。

 

 エイヒレにしっとりと熱が入った後に、その旨味が加わったバターの中へケッパーとレモン、そしてクルトンを加えます。香ばしいバターの風味に、ケッパーの旨味とレモンの心地よい酸味が加わり、その美味しいソースがカリカリのクルトンに染み入る。こ

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れをエイヒレにまとわせるようにして完成。これぞ、グルノーブル料理なり。

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Aile de RAIE à la grenobloise, épinards juste tombés

フランス産エイヒレのムニエル グルノーブル ほうれん草

※プリ・フィックスメニューの主菜として、ランチ+1,500円/ディナー+1,000円でお選びいただけます。

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2022年4月5月Benoit 「エイヒレとグルノーブルとの出会い」を調べてみました。

Aile de RAIE à la grenobloise, épinards juste tombés

フランス産エイヒレのムニエル グルノーブル ほうれん草

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 2022年4月5月と月をまたぎ、ランチ・ディナーともにプリ・フィックスメニューの「シェフのお勧め」の枠内に名を連ねるメインディッシュです。日本では馴染みのない食材であるエイヒレを使い、グルノーブルというスタイルの調理方法で仕上げる、このフランスの伝統料理は、いまでもビストロの定番料理としてゆるぎない地位を獲得しています。バターに、ケッパーとレモン、そしてクルトンを加えるこの調理方法は、今もそのレシピは変わらず、好みによって分量が変わる程度のものといいます。ところで、この「グルノーブル」とは何を意味している言葉なのでしょうか。

 

 Grenoble(グルノーブル※以下、地名はアルファベット表記、料理名はカタカナ表記とさせていただきます。)は、フランス南東部に位置している都市で、Isére県の県庁所在地です。1968年の冬季オリンピック開催地としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ドラック川とイゼール川が街中を流れ、車で30分も走ったところには、3000m級の山々が峰を連ねるアルプス山脈が聳(そび)える、まさに風光明媚な景観とはここのことかと思ってしまうほどの美しさです。パリからTGVで約3時間、リヨンからは電車で約90分と大都市からのアクセスも良好ということもあり、夏の登山や、冬のウィンタースポーツを楽しむ観光客の玄関口となっているようです。

 2016年、フランスの地域圏(région)の再編が行われ、Grenobleのあるイゼール県は、オーベルニュ・ローヌ・アルプ地域圏という大きな枠に組み込まれています。それ以前は、ローヌ河の東側から国境となっているアルプス山脈までの地、ローヌ・アルプ地域圏でした。経済ではなく、地理として考えると、旧地域圏はその特色が現れており理解しやすいものです。

 アルプス山脈の麓(ふもと)は、緩やかな傾斜をもつ裾野(すその)が広がっており、昔から酪農が盛んだったようです。牛乳そのままでは日持ちがしないため、いかに栄養価を維持しながら保存性を上げるか。この地の人々が生き抜く上での英知の結晶が、トム・ド・サヴォアやグリュイエールなどの「山のチーズ」です。その名声は、今も色褪(いろあ)せることはありません。

 この「山のチーズ」の原料は牛乳です。山羊や羊も飼育しているとは思いますが、牛に比べて飼育頭数は微々たるものであり、ミルクの量も及びません。この豊富な牛乳からは、チーズばかりではなくバターも作られていたはずです。その地の特産が伝統的な地方料理に反映されます。石がごろごろしている地が多いために牛の飼育が難儀なプロヴァンス地方が、オリーブオイルを多用します。その北に面するGrenobleでは、平面上の地図ではお隣でありながら、容易に手に入るバターが、日々の食事の中で欠かせない食材になっていたと思うのです。もちろん、オリーブなど栽培できる環境ではありません。

 

 すでにお気づきかと思いますが、Grenobleは山岳都市。およそ海産物とは無縁なほどに地中海からは距離があります。そのため、魚料理といえばマス(truite)やヨーロッパイワナ(omble de chavalier)などの川魚を使ったものばかりであるということは、想像に難くはありません。淡水魚は、淡白な白身なだけに、バターで調理したほうが旨味とコクが加わり美味しいものです。

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 ふつふつと泡立つバターの中で、小麦粉をまぶした魚を焼き上げる調理方法は「ムニエル」といい、フランスでは一般的な調理方法です。牛の飼育が盛んな地であれば、潤沢にあるバターを使ったムニエルに、さらにアレンジされたスタイルが確立され、伝統料理として今もその名を残しています。その一つが、今回の「グルノーブル」。ムニエルした後に、レモンとケッパー、そしてクルトンを加えたものです。

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 ふっと疑問が頭をもたげる。料理名にグルノーブルと名前が入る以上、Grenobleが発祥の地であると考えても良いと思います。地方の伝統料理には、その地の特産が使われるからこそ、連綿と引き継がれてきた。そう考えると、Grenobleは山岳地域なので、日本でも西日本でしか栽培の適わないレモンや、地中海沿岸が主産地であるケッパーは、栽培することが不可能な食材です。

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 さらに、Grenobleから地中海へは南へ進めば一番近いとはいえ、直線距離でもほぼ180kmはある。しかし、南と東は峻嶮なる峰々が聳(そび)えているため、南の山塊を迂回するような道のりは、とても海から近いとは言い難いもの。エイヒレはGrenoble(街名)でグルノーブル(料理名)に出会ったのでしょうか?

 

 ここからの話は、自分の推論です。調べていった中で自分が納得のいくストーリーを書かせていただきます。あながち間違ってはいない気もするのですが、はっきりとした確証があるわけでもありません。フランス料理店に勤務している一スタッフの「ひとりごと」として、読んでいただければ幸いです。

 

 人々が集うことで村ができ、村どうしを繋ぐ道が作られ、その道によって人々が行き交うようになると、要所要所に町が形成されるようになります。村にしろ町にしろ、その地が受け入れることのできる人数の規模でしか発達しないものです。では、その地が受け入れることのできる人数制限は、何で決まるのか。以下の3点だと考えます。

  • 水の確保
  • 居住地の広さ
  • 人々を養う食料を得るための耕作地

 生きとし生けるものにとって必要不可欠のものが①であり、飲料水はもちろん、生活用水としても欠かせません。湧水や清流であれば喜ばしい限りですが、そこまで山奥に行くと、②と③が確保できなくなります。いかに②を確保したところで、人を養うほどの食料を得るための、耕作地を確保しなくては生活を続けることはできません。

 上記を全て満たすとなると、大きな町を造ることができません。そこで、食料を栽培する耕作地を周囲の地に託し、食料として運び込むことで大人数を養うことを考えたのです。これによって都市が誕生しました。都市には、水の道と、周囲から食料などの必要物資を運び込むため道が必要不可欠です。例えば大都市「江戸」には、墨田川に加え、飲用のため神田上水玉川上水という水の道があり、五街道という物資の道が整備されています。

 フランスに目を向けようと思います。以前、フランス本土の形をした型というかパネルというか、ついつい衝動買いしたものを思い出し、引っ張り出してきました。そこには、フランスの県名と県庁所在地の街名が印字されており、街の位置は小さな丸を穿(うが)っています。名立たる地名が並ぶフランス北部の画像が下です。黄色の丸で囲んだ街の名前は、右回りに上から「Rouen(ルーアン)」「Paris(パリ)」「Orléans(オルレアン)」「Blois(ブロワ)」「Tours(トゥール)」「Angers(アンジェ)」と、世界史に街名が登場するほどの主要都市です。

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 この地図の優れたところは、2枚組になっており、この2枚目には、川と標高の違いによって色変えをした山が印刷されているのです。そこで、重ねてみると…分かり難いですが、黄色の丸で囲んだ街名の位置を記した穴が、ものの見事に川に重なるのです。セーヌ川は、「Paris(パリ)」を通り「Rouen(ルーアン)」抜けてドーバー海峡へ。ロワール川は、古城で名立たる街「Orléans(オルレアン)」から「Blois(ブロワ)」へ、そして「Tours(トゥール)」に「Angers(アンジェ)」と通り、大西洋へと注ぎます。

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 では、フランス南西部へ。下の画像の上から時計回りに「Lyon(リヨン)」、「Grenoble(グルノーブル)」、「Avignon(アヴィニョン)」と、黄色の丸で囲みました。一見、何も関係ないように居並ぶ街ですが、川・山が記されている2枚目を重ねてみると…

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 見事にローヌ川と符合します。右上にスイスとの国境をなすレマン湖があり、その先にあるサン・ゴタール山塊に端を発する。山々にぶつかり迂回するように東から流れてくるローヌ川が、北からの支流ソーヌ川と落合う場所が「Lyon」で、そのまま南下して「Avignon(アヴィニョン)」を経由して地中海へと注ぎます。この両都市の中間に位置してるのが「Valence(ヴァランス)」の、少し北側で、ローヌ川は支流イゼール川と落合います。この支流を右往左往と上流へと向かうと、今回のテーマとなっている「Grenoble(グルノーブル)」の町に辿り着きます。ちょうどこの町が、イゼール川とその支流ドラック川が落合う場。

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 世界遺産となっている全長275m、高さ49mの巨大な橋ポン・デュ・ガールは、ガール川を横切るように架かる水道橋です。「Uzès(ウゼス)」という町から、人口が増えていった当時ネマウススと呼ばれた「Nîmes(ニーム)」までの約50kmにも及ぶ水の道の一部。およそ2000年前にローマ人によって作られ、6世紀頃まで実際に使用されていました。Avignonのすぐ左にNîmesの街があります。

 前述したように、人が集い生活を営むにあたり、水の確保がなによりも重要な課題でした。特に、ローマ時代には共同浴場のように、水を潤沢に使用することが何よりも富の象徴でもあったようです。日本のように多雨な気候ではないため、この水資源を確保するための一番の良策は、雄大な大河の脇に街を作り上げることです。清流ではないかもしれませんが、この水資源によって上下水道を備えることを可能にしました。

 そして、山間(やまあい)を抜けた川の流れは緩やかとなり、その川岸には耕作地に適した地が広がります。さらに、川を利用しての水運は、陸上輸送とは比べることのできない物資に輸送を可能としたのです。そのため、川が落合う場所や、人々が集うに適した開けた地に、街が形成されてゆきました。

 Lyon(リヨン)が「食の都」と評されている理由は、ローヌ川の水運を使うことで、海産物と陸産物の交易の地として最適な場所であったからと考えています。この町から北はワイン銘醸地であり、東西には酪農による乳製品や農産物の銘産地、さらに鴨やブレス鶏など家禽類も美味とくる。内陸の地でありながら、Morue(モリュ)という、塩干乾燥タラを使った伝統料理があることは、なによりの証ではないかと思うのです。そして、この交易は海産物に限らず、南フランスの特産品や国外からの輸入品にまで及んだはずです。食材に限らず、Lyonからは、絹織物も旅立って行ったことでしょう。

 全ての商人(あきんど)が、水運の良さに従いLyonへ行ったのでは、相場は下がる一方で大手には敵いません。そこで、野心家は考えた。大きな船では辿り着きにくい支流を上がっていこう、と。イゼール川を遡って進むと、そこにはアルプスのお膝元ともいえる地Grenobleがありました。彼らは、ここで山の幸と海の幸との交易に加え、南フランスの特産品も持ち込んだと考えると、グルノーブルという料理に必要なケッパーやレモンであることも、合点がいくのではないでしょうか。

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 ここから知っているようで知らない「エイ」の話です。

 魚類は、「無顎(むがく)類」と「軟骨魚類」、そして最も繫栄している「硬骨魚類」の3つに大別できます。軟骨魚類とは、体のすべての骨が弾力性のある軟骨でできた魚のことで、約5億4300万年前の古生代カンブリア紀に出現した魚類は、全て軟骨で体を支えていたといいます。その中で、顎(あご)の骨があるものとないものに分化する。無顎類の魚は、その字の如く、顎骨が無いため、丸口で吸いつくように捕食する至極原始的な体の構造をもっています仲間です。ほとんどが絶滅するなかで、ヤツメウナギヌタウナギが今なお生存し続けています。

 顎骨をもつものが軟骨魚類として進化を続ける中で、硬い骨で体を支える魚類が誕生しました。それが硬骨魚類です。その中にあり、我々に馴染みの魚群を真骨魚類と総称されています。日本人にとって、一部の熱帯魚以外で名前を耳にする、スズキやアンコウ、カレイにコイなど、ほぼほぼ全てがここに収まります。

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 しかし、今回のテーマであるエイは軟骨魚類に分類されています。その中でも最も分化され、世界に約450種、日本近海には70種が生息しているといいます。生息域も、沿岸域から深海底まで、さらには熱帯の淡水にまで及ぶのです。エイまで多種に及ばないものの、同じ軟骨魚類の中にサメがあり、このグループで最も繁栄しているのが、この2種です。

 魚類が魚類である所以は、水の中で呼吸するために「鰓(えら)」があること。水または海水は口から取り込みこまれ、鰓を通り、後方にある「鰓孔(えらあな)」から抜けてゆきます。よく見かける硬骨魚類は、体の側面に一対しかありませんが、軟骨魚類は数対をあります。そういえば、サメは両サイドに鰓孔がいくつかあるのが見て取れます。ではエイは?

 左右の両サイドではなく腹面、下側にあります。この違いが、「サメ」と「エイ」を分類する重要なポイントです。図鑑やネットで姿を見てほしいのですが、「サカタザメ」は前の半分がエイのようで、後の半分はサメのような姿をしています。「サメ」と名前がついていますが、エイに分類されます。それと、「カスザメ」は、エイのような姿をしていますが、鰓孔が側面にあるため、サメの仲間です。

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 硬骨魚類にはない軟骨魚類の特徴として、歯が次々に生え代わることと、楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる歯と同じ構造をもつ鱗(うろこ)をもつこと、浮き袋がないことが挙げられます。わさびを擦り下ろすために、鮫皮(さめがわ)を使うのも、この楯鱗だからこそ。硬骨魚類では、体内に浮き袋があり、ここに気体を溜めることで体重と同じ程度の浮力を得ることになり、上下左右にと水中を自由に動き回ることができるようになります。この浮き袋がないと、体は沈んでいく一方で常に体を海底から浮かせる力を維持し続けなければなりません。弱肉強食の自然界の厳しさの中、これほど余計な体力を消耗し続けていなくては生き抜けないと思うのですが…

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 そこで、軟骨魚類は生き抜くために体を進化させていった。浮き袋を手に入れることは生態的に無理だったのでしょう。彼らは尿素を身体(からだ)にため込むことで、自然淘汰の荒波を乗り越えてきた。いや、海の中でゆうゆうと潜(くぐ)り抜けてきたというのでしょうか。では、この尿素とは何ぞや?漢字から想像するに、なにやらばっちいものを想像してしまうのですが、動物にとって欠かせないものです。我々馴染みのハンドクリームの成分表をみると…肌の保湿には必要不可欠な成分です。

 人間を含めあらゆる動物は、活動のエネルギーを得るため、そして成長してゆくために代謝(たいしゃ)を行い続けます。タンパク質はα-アミノ酸に分解され体に摂りこま、代謝によって有用な成分と有毒なアンモニアを生成してしまう。このアンモニアは、血液によって肝臓に運ばれ、この臓器のオルニチン回路によって無毒の尿素へと姿を変えます。そして、余分な尿素は腎臓によって尿として体外に排出されるのです。

 魚類にとって、つねに水の中で生活するため、浸透圧調整が必要不可欠な能力です。海水魚の場合、自分の身体よりも海の塩分濃度が濃いため、体内の水分がどんどん抜けていってしまいます。反対に淡水魚は体内の塩分濃度の方が高いため、体内の塩分濃度下げるために水分がどんどん体の中に入ってきます。水棲生物でありながら、淡水魚が海水で、その逆も生きてはいけない理由はここにあります。

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 さあ、軟骨魚類が、この尿素を身体に溜め込む理由が、なんとなく想像がついたのではないでしょうか。決して肌の保湿のためではありません。尿素が海水よりも比重の軽いことを利用し、身体(からだ)に溶け込ますことで、硬骨魚類の浮き袋のように浮力を得ていたのです。さらに、海水と同じくらい濃い体液・濃い血液を作り出すことになり、浸透圧による体内の濃度調節の必要がないのです。硬骨魚類は、変化する体内の塩分濃度を、飲水や尿による塩分の排出によって維持します。軟骨魚類はその必要が無いため、ほとんど水を飲まないといいます。

 サメやエイの軟骨魚類にとっては生きていく上で必要不可欠な尿素が、捕食者である我々にはなかなかの厄介者でした。硬骨魚類は、死後数日も経つと生臭さがでてきます。しかし、サメもエイも美味しい魚でありながら、時間の経過とともに生臭さではなく、鼻をつんざくようなアンモニア臭を発するのです。なぜ?尿素は無味無臭なのに…理由は、微生物がこの尿素を分解してしまい、アンモニアに戻してしまうからでした。

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 サメもエイも鮮度が良いと美味しい魚です。このアンモニア臭は腐っているわけではなく、微生物のいたずらなため、魚自体の美味しさは変わりません。人によっては、このアンモニア臭の香りが美味しさを引き立てると言うのです。しかし、この香りはなかなか万人受けするものではありません。我々がサメやエイを美味しくいただくことを妨げている、一番の理由です。

 

 ところが、先人たちは、この厄介者のアンモニアを利用することを考えたのです。アンモニアのおかげで、軟骨魚類は腐りにくい!冷蔵技術の発達していない時代に、山間(やまあい)の村々で食べることのできる海の幸だったのです。今でも山陰地方の山間部では、「わに肉/わに料理」として名物のひとつになっています。

 お刺身としていただくにも、焼いていただくにも、やはり刺激のあるアンモニア臭が困りものです。「クサヤ」のように、慣れると病みつきになってしまうものかもしません。しかし、この香りが無くなることで、もっと馴染みやすい食材になるというものです。古人は多くのことを試したのでしょう。試行錯誤する中で、ミカンやユズ、そしてカボスのような柑橘に浸すのが効果的だと知ったのです。山陰地方の南側には瀬戸内海があり、まさに柑橘の宝庫。出会うべくして出会ったのでしょう。柑橘に含まれるクエン酸が、アンモニアと反応することで、クエン酸アンモニウムに変わり、臭みがなくなるのです。

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 料理とは、「理(ことわり)を料(りょう)るもの」であり、美味しく、安心・安全に食べるための知識であり技術です。鮮度の良い食材が多く手に入る地では、シンプルに生食や、焼く蒸すなどの調理で十分美味しくいただけます。しかし、生きるために食材を確保することが困難な地では、いかに保存して食いつないでゆくか。さらに、その保存食をさらに美味しく食べることができないかと、試行錯誤の後に見つけ出したものが、伝統料理として今も息づいているものです。

 エイは、地中海にも生息しています。プロヴァンス地方の港で水揚げされ、すぐに調理されてしまえば、そのまま美味しくいただけるのです。その美味しさを知っているからこそ、彼らは保存食に加工することで、ローヌ川を上った内陸の地へ運べないものかと考えた。冷蔵技術のない時代であれば、沿岸の民もエイがアンモニア臭を放つことを知っていたはずです。そして、誰かが口にしたのでしょう…臭いけれども、腐っているわけではなく、美味しいことに気がついた。これはいける!

 彼らは、エイばかりではなく他の食材とともにローヌ川を遡(さかのぼ)ったはずです。そして、食の都と称されるLyonに辿り着く。しかし、他の多くの逸材に埋もれてしまい、エイの魅力はかすれるばかり。そこで、支流を上がりさらに山間部へと向かうことにした。さらなる時間を要するため、多くの海産物は腐敗したことでしょう。しかし、エイだけはアンモニア臭があるが腐っていなかった。いや、アンモニアのおかげで腐らなかった!

 Grenobleは山岳都市です。かつては、山の幸は豊富でも、海の幸は皆無といってもいいでしょう。この街の人々が、水運によって持ち込まれたエイという食材に出会った時、アンモニア臭はするが腐っていない海産物を手にした感動は一入(ひとしお)だったことでしょう。彼らは考え実行したはずです、どうしたらこの香りを消せるのか…。答えは同じ船の積み荷にあったのです。南仏特産のレモン!もちろんレモンは柑橘でありクエン酸を多く含みます。日本の山陰地方の人々と同じことに着目したのです。

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 ここに「エイヒレグルノーブル料理」が誕生した。Lyonのように食材の宝庫では、この着想はなかったでしょう。しかし、この料理が美味しかったからこそ、Lyonのブション(ビストロの前身)と呼ばれるレストランでお目見えしたことでしょう。美味しいからこそ伝播してゆく。ついにはParisのビストロで、セーヌ川の水運がもたらしたエイヒレと出会ったことで、ビストロ伝統料理へと昇華し、今なおエイの料理として色褪せることはありません。

 Grenobleで発案されたグルノーブルという料理スタイル。当初の手順では、エイヒレにレモンを搾りかけてから小麦粉をまぶしてバターで焼いていたのではないか…なんの確証もないですが、ついついそう考えてしまうもの。今は、運送と冷蔵・冷凍技術の発展により、エイヒレアンモニア臭がないため、レモンを搾りかけるという手間が省かれているのではないか。

 今回のブログ自体が、自分の推論でしかありません。しかし、調べるほどに分かってくる事実を考えていくうちに、全てが紡がれていくことで見えてくるものがありました。確かに、史実にそった確証はありません。ただ、理屈が通る物語を書けたように思います。さて、皆様はどのように思いますか?Benoitで「エイヒレグルノーブル」という料理をお召し上がりいただきながら。思いを馳せることも一興なのではないでしょうか。

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2022年3月 「春の気色は≪きのふの日かげ けふの春雨≫」であるという…

 春は「三寒四温」といわれているように、3日間の寒い日の後は、4日間の暖かい日が続き、この周期を繰り返しながら、日を追うごとに春本番へと移りゆく。なるほど、春という季節は今も昔も変わらない、なんとも的を射た表現なのかと感じ入るものです。しかし、ここ数年はこの寒暖差が大き過ぎるのではないかとも思う今日この頃。

 この寒暖の要因は、日照時間の他に、春の気まぐれな風向きがあるでしょう。春一番が南風で暖かさをもたらすのであれば、北風があっというまに奪い去る。この春の「寒の戻り」に追い風となるのが、「春に三日の晴れなし」と言われている「春の雨」です。

 

のどやかに やがてなりゆく 気色かな きのふの日かげ けふの春雨  伏見院

 「三月三日は、うらうらとのどかに照りたる」と清少納言枕草子に書き綴る。3月3日には、うららかでおだやかな陽射しが降り注ぐという。3月3日には、陽春が訪れることを教えてくれる。

 古代中国から伝来した陰陽五行説によれば、3月3日のように月日で同じ奇数一桁の数字が並ぶ日を「節句(せっく)」としています。そして、奇数(陽)+奇数(陽)=偶数(陰)であるとして、「陽から転じて陰(不安定)となす」と考えました。そこで、この日は、水辺で体を清め、春を言祝(ことほ)ぎ、宴会を催すことで無病息災を願う厄払いの日、「上巳(じょうし)の節句」となったのです。これが、桃の開花時期ということもあり、「桃の節句」となったようです。水辺で身を清めることが、人形に厄を託して川に流す「流し雛(びな)」となり、今のひな祭りへと姿を変えていったといいます。

 古来より春を代表する花、梅(白梅/上の画像)と桜(山桜/下の画像)。花笑う順は、梅→桜です。ここに、桃の花(桜の下の画像)が加えるとすると、どの位置に入るのか?3月3日が桃の節句であれば、梅→桃→桜となる。太陽の軌道を基とした現行歴と、月の軌道の旧暦では偏差が生じます。古(いにしえ)より連綿と受け継がれてきた年中行事は、明治時代の改暦に際し、そのまま新暦に移されたのです。自然界では、梅→桜→桃の順で花開きます。

 ソメイヨシノよりも早く花咲く山桜なので、まもなく桃の花の出番なのではないかと思うのです。ともすると、清少納言が「うらうらと長閑(のどか)に照りたる」春は、これから迎えることになります。伏見院は、このような陽春が「のどやかに(ゆるやかに)」ではあるが「やがて(まもなく)」訪れると実感している。その兆候が、昨日の「日かげ」と「今日の春雨」という天気の気まぐれともいえる移ろいだという。「日かげ」とは、「日陰」ではなく、陽の光を意味する「日影」のこと。

 「三寒四温」であり、「春に三日の晴れなし」といわれる春にあり、寒さや雨に悪態をつくのではなく、春の訪れの兆しであると伏見院は我々の教えてくれているかのようです。「春がなかった」や「春が短かった」とよく耳にします。しかし、それこそ陽春のことで春の一部であり、寒暖差があり変わりやすい天気こそが春なのです。昨日のやわらかい陽射しが、今日ははやくも春の雨…

 

 話しが変わるのですが、「春の雨」と「春雨」では、「の」が加わるだけで意味が変わります。春は「三日の晴れなし」というほど、雨の多い季節です。古人は、この雨を鬱陶(うっとう)しいと思うよりも、畏敬の念を込めて待ち望んでいたような気がします。その証が、この時期ならではの多彩な雨の表現です。草木に潤いを与える「甘雨(かんう)」、穀物の成長を促す「瑞雨(ずいう)」、花の開花を誘う「催花雨(さいかう)」、しとしと3~4日続く雨を「菜種梅雨(なたねつゆ)」、糸引くような「春雨(はるさめ)」、霧の如く立ち込める「霞(かすみ)」。二十四節気でいう「穀雨(こくう)」も忘れてはいけません。これらの雨の呼称が春の季語となっており、全てをひっくるめて「春の雨」という。

 「春雨」と「春の雨」との違いに、なるほどと思ってしまうのですが、なにか先人たちの高尚な言葉遊びに思えてしまうのは自分だけでしょうか。何の確証もないのですが、ひらがなが誕生した平安時代は、日本語の過渡期ともいえる時期で、この2つに違いはまだなかったのではないかと思うのです。その後に、多くの英才が和歌や連歌の研鑽に励む中で、先人の秀歌を学ぼうとする。その過程で、納得のいく論理を導き出し、後世へ伝えていったのではないかと思うのです。古今伝授は、その集大成なのではないかと。偉そうなことを言っていますが、自分は国文学者でもなく、何の確証もありません。

 伏見院は今回ご紹介した歌の中の「春雨」を、いまでいう「春の雨」として詠ったのではないかと思うのです。この時期らしい雨の降り方を識(し)るからこそ、限定しなかった。そのことで、「日影」の日と「春の雨」との交差が一度ではなく、繰り返されることで晩春へと向かっている。この「春の雨」があるからこそ、陽春を待ち望む気持ちが高まってゆく。だから雨の日だからといって、憂鬱という思いがしないもの。「春」とはこういう季節なのですよ、と教えてくれている気がいたします。

 「春に三日の晴れなし」、視線を変えれば雨もまた春を彩る風情あるもの。「春雨じゃ、濡れてまいろう…」という名台詞もありますが、やはり濡れては風邪のもとです。天気予報を参考に、傘の準備を怠らず、順を追うかのように花笑う姿を愛でながらの散策などもまた一興かと。すでに桜のソメイヨシノが花開き、八重桜が後に続きます。そうそう牡丹や椿も忘れてはいけません。春の花々が皆様をお出迎えしてくれると思います。そして足の赴くままにBenoitへお運びください。

 

 

 桜前線に一喜一憂する時期も終わり、心穏やかな日々を過ごされている方も多いのではないでしょうか。東西南北に長い日本だからこその季節の移ろいを追うことは、食材が農産物であることを教えてくれます。それぞれの食材には、栽培適地があり、北限や南限といった境もあります。その中で、日本全国で栽培され、春を代表する野菜として確固たる地位を築いているのが「グリーンアスパラガス」ではないでしょうか。

 春の陽射しに誘われるかのように芽吹くグリーンアスパラガスの「春芽」は、西日本の早い地では2月から始まり、北海道の6月まで続きます。この動向を「アスパラガス前線」と勝手に自分が命名し、毎年のように追い続けています。今は佐賀県の杵島(きしま)郡白石町の橋本農園さんから。次は、香川県香南町の薫農園さんのへ。残念ながら、Benoitのアスパラガス前線は、ここで終わりを迎えます。

 もうひとつ、Benoitには「桃前線」があるのです。7月から9月までの、夏のデザートとして欠かすことのできない食材です。この食材の北限は山形県でしたが、昨今の気候変動により青森県南部まで栽培地が伸びているようです。アスパラガス前線同様、Benoitも西日本から始まります。

 先日、西川農園さんと出会うことができました。いつも思うのですが、栽培者の方の生きた情報は、どんな食材辞典よりも正確で生き生きとしたもの。面白い話を伺う中で、このようなメッセージが届きました。「桃の花が八分咲きです!」と。そして、見事なまでに花笑う画像も添えられていました。

 花開いたということは、西川さんにとって「摘花」の作業に追われることを意味しています。さらに、「摘花」の後には「摘果」が続く、収穫までの約90日という多忙極まる時期の始まりなのです。

 さて、この画像の撮影は3月27日です。ということは、6月半ばには桃の収穫を迎えるということになります。早生の品種であれば6月に桃がBenoitに届くということに。そう、とうとう念願であった6月から、桃デザートがBenoitプリ・フィックスメニューのデザートの選択肢に名を連ねるのです。

 今期の「桃前線」は西川農園さんから。美味なる桃が熊本県からBenoitへ届きます!

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2022年4月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない4月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

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 自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2022年3月Benoit 「北海道のサクラマスと佐賀県のグリーンアスパラガスがBenoitで出会う!」

 北海道の雄大な河川で生まれた稚魚が、1年ほど母なる川で育まれた後に、川を下り大海原へと泳ぎ進みます。この時、川に居残る河川滞在型と海に向かう降海型に分かれるのです。サクラマスは降海型であれば、この種の滞在型はヤマメと呼ばれます。どうゆう理由で2つの型に分かれるのか?いまだ謎のまま…これがサケ目サケ亜科に分類される「鱒(マス)」の面白いところ。仲間にイワナがいるのですが、これは一生を川で過ごすため陸封型などだといいます。

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 鮭はサケ目サケ科であり、鱒のサケ亜科との違いは何なのか?簡潔に言ってしまうと、川で孵化した稚魚が、稚魚のままもれなく全てが海に下るものが鮭で、稚魚が川に居残り成長してゆくのが鱒。前述したように、鱒の一部は海に降り立ちますが、鮭が3年を要して戻ってくるのに対し、鱒は1年であること。共通しているのは、頑(かたく)なな母川回帰であること。鮎はきれいな川を選んで遡上するのに対し、鮭の仲間はどんな困難が待ち受けようとも生まれ故郷(母川)に帰ってくるのです。

 海に降り立ったサクラマスの向かう先は、ベーリング海峡です。荒れ狂う海でありながら、餌となるオキアミが豊富であることで、多くの魚を呼び込むようです。このオキアミや小魚をパクパクと食し、河川滞在型とは雲泥の差ほどの体格へと大きく成長し、1年後に戻ってくるのです。この行動は範囲と、食してるものの違いこそが、天然と養殖との差を生み出します。

 

 皆様よりサクラマスのメインディッシュのご要望が入り、サービススタッフが希望料理とコースの流れをキッチンに伝えます。これを合図に、前菜の仕上げが始まります。順番にもよりますが、ひとつ手前の料理がキッチンを旅立ったと同時に、サクラマス料理の準備が始まります。

 切り身に塩をふって一呼吸。焼の担当のスタッフが、皮目から鉄板をつかって焼きを入れます。びちびちと心地よい音色を奏でながら、熱が入ることで切り身の色が変わってゆく。さあ、ここでひっくり返す、鉄板の外で。反対側は焼かずに、バットに移して、温かい小部屋へ移動します。オーブンではなく、温かい小部屋で一休みです。この段階では、皮目からしか焼いていないので、下の画像の通り2トーンの色彩です。

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 食事のペースを見計らい、サービススタッフがキッチンへ、サクラマス料理の仕上げを伝えます。付け合わせのアスパラガス担当者から、仕上がりまでの時間がシェフへ伝えられる。傍らで、その時間を耳にした焼き担当者が動き出す。温かい小部屋で休息中のサクラマスを取り出し、皮目から再度鉄板で焼きを入れる。先ほどとは音が違う。パリっとしたところで、ひっくり返し、数秒で鉄板からバットへ移す。これで、焼きの作業が終了です。

 サクラマスは、皮目パリッと中はしっとり、ほろっと軽やかにほぐれるように仕上げます。焼き過ぎず、そして生ではない。この「mi-cuit (ミ・キュイ)」という調理法が、サケとは違う優しい旨味のサクラマスを堪能できるとシェフは言う。

 

 「サクラ」を冠するサクラマスだからこそ、旬の食材グリーンアスパラガスを合わせたいものです。塩ゆでにしたものと、生のもの。春の息吹を感じることのできるアスパラガスの新芽は、東西を問わず春を代表する野菜であり、野菜そのものが主役をはることのできる逸材なり。なぜか?美味しいからに他なりません。

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 鮮度が命とは、どの食材でもいえることかとなのですが、特にアスパラガスは美味しさを左右する一大要素です。そこで、今期は、佐賀県の杵島(きしま)郡白石町でアスパラガスをてがける橋本農園の協力を得て、橋本さんが丹精込めて育て上げた摘みたてグリーンアスパラガスを送っていただいています。

 直送だからこその鮮度の良さは、茹でたての美味しさはもちろん、スライスした生のアスパラガスも格別。しゃりしゃりとした食感と、爽やかな生だからこその優しい甘さを感じるその味わいは、単調になりがちな料理に心地良い春の風を吹き込ませるかのよう。まさに佐賀の風土が育んだ春の風味!

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 ソースは2種類です。卵黄をホワホワにしたサバイヨンという黄色のソース。もうひとつはエシャロットをバターとともにゆっくりと熱を加え、甘さと旨味を十二分に引き出すように仕上げ、ヴィネガーで心地良い酸味を加味した茶色のソース。それぞれが、サクラマスとの相性は抜群です。さらに、この2つのソースをお皿の上で合わせることで、また違った美味しさをお楽しみいただけることができるのです。あえてシェフが、2種のソースを混ぜ合わせないことには、理由がありました。

 季節は風によって運ばれ、その風がその土地土地の風土を築き上げる。その風土は、食材を育みその土地ならではの風味をなす。南北を代表する食材、北海道のサクラマス佐賀県は橋本農園のグリーンアスパラガスが東京のBenoitで出会います。あ~白ワインが呼んでいる…

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SAKURAMASU sur la peau, asperges vertes cuites et crues

サクラマスポワレ グリーンアスパラガス

※3月末までのご用意です。ランチとディナーともに、プリ・フィックスメニューの主菜としてお選びいただけます。

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2022年3月 Benoit特選食材「岩﨑農園の瀬戸内レモン」のお話です。

「Benoitでレモンは必要ない?」

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 自分が担当したテーブルのお客様のこの一言から、自分の柑橘への取り組みが始まったといっても過言ではありません。彼女は都内でパンの先生をしており、実際に彼女が使用している瀬戸内レモンが美味しいので、紹介させてほしいというのです。Benoitにとってレモンは必要不可欠であることは、シェフに確認するまでもない。喜びを隠せないほどに弾んだ声でこう即答しました、「ご紹介していただけますか?」と。

 レモン…料理や飲み物で欠かすことができない柑橘でありながら、なかなか主役をはることが無い食材だと思います。レモンをそのまま口に運んだ時、美味しい~と思うことよりも、すっぱい~と感じるはずです。その酸味が病みつきになる人もいるが、少数派でしょう。レモンスライスのはちみつ漬けやレモンスカッシュがあるではないか?とお思いかもしれませんが、それらはある種の料理でありカクテルです。

 以前に皆様にご紹介した「フランス人の柑橘の捉え方」を思い出していただきたい。ミカンやオレンジ、グレープフルーツなどは「agrumes (アグリューム)」で、レモンやライムは「citrus (シトリュス)」であると、アジア圏を統括しているエグゼクティブ・シェフパテシエは言う。分からなくもない…この区別は、前述したような食べ方の違いが理由なのかもしれません。

 何はともあれ、Benoitの料理やデザートで、「レモン」という名称の記載が無くとも、思いのほか多用している食材です。レモンをご紹介いただいたお客様からサンプルの依頼が伝えられ、すぐにレモンが送り届けられました。その品質の高さに、Benoitシェフもシェフ・パティシエールも絶賛!そこで、お礼をお伝えすると同時に、すぐに購入させていただきたく、電話をいたしました…

 お会いしたこともないため、いきなり携帯電話に連絡するのは憚(はばか)れるもの。そこで、お家の方へ。しばらく呼び出し音が続く後、電話に出てくれたのが、可愛い声の女の子でした。声から察するに小学生だったのかな~、自分の躊躇(ためらい)をお察しください。とはいえ、名乗らないことも失礼である。簡単な自己紹介の後に、お父さんはいらっしゃいますか?と。もちろん、女の子が電話に出たということは、ご両親様は家に不在でした。

 いまだに自分が反省している出来事です。会社ではなく、ご家族で経営してる農園さんの固定電話は、間違いなくご自宅です。知らない人からの電話が女の子に与えるストレスはいかほどのものか…日を改めてお父さんの携帯電話に連絡させていただきました、お詫びの言葉と共に。もう6年ほども前のお話…彼女ももう中学生かな?

 

 この電話の先は、いまでもBenoitがお世話になっている瀬戸内レモン農家さんです。2011年京都からのiターンで広島県大崎上島に移住し、レモンの栽培を始めたのだといいます。農業初心者でありながら、飽くなき探求心からなのでしょう、より安心安全な農産物を追究し、環境保全をも考慮した持続可能な農場経営を目指したのです。その甲斐あり、2019年には栽培する全ての農産物で「JGAP」を取得しました。

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 「岩﨑農園」は、岩﨑太郎さんを園主とし、奥様の亜紀さんはもちろん、ご家族皆で営んでいる農園です。Benoitの規模では、期待されるような量を購入できませんが、今でも快く素晴らしい瀬戸内レモンを送っていただいております。ご家族が描かれたロゴマークが印刷された段ボールでレモンが届き始めたのが、数年前の事。今思い返すと、前述したJGAP認定の頃ではないだろうかと思う。きっと、岩﨑さんが想う「岩﨑農園の瀬戸内レモン」を収穫できるようになった…その自信の表れがロゴに表れている気がします。

 

 さて、瀬戸内レモンについて。この果実は、柑橘類の中でもひときわ病気に弱い。いつの頃か、レモンが日本に渡来し、多くの先人が果敢に植栽するも失敗に終わる…しかし、この地は違った。北に中国山地、南に四国山地が聳(そび)えていることから、雨や風が少なく、温暖な気候が特徴の広島県の沿岸域と島嶼(とうしょ)部。特に島々では、昔から柑橘が植栽されていたこともあり、レモンを受け入れる土台ができていたのでしょう。だからこそ、昭和のはじめにはレモンの一大産地になっていました。

 しかし、1964年(昭和39年)にレモン輸入自由化が政策決定され、海外産のレモンの波にのまれ、もまれ、淘汰されてゆくのです。レモンを栽培していた農家さんは、辛酸を舐めるかのような思いでレモンを伐採してゆく…しかし、中には臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の心意気で、一戸に数本ずつという数ですがレモン樹を守り続けた人もいた。彼らは信じていた…国産レモンの美味しさと安全性が見直され、必ず国産レモンの需要が増すはずだ!

 約20年もの歳月を過ぎた時、機は訪れたのです。輸入レモンのポストハーベストで使用されている農薬に発がん性が認められたのです。ポストハーベストとは、収穫後の品質保持のため、農薬を収穫物に散布するもの。国産レモンが反撃の狼煙(のろし)を上げるのです。しかし、野菜とは違い、果樹は収穫までに数年を要する上に、この期間も常に手間暇をかけなばりません。まして、病気になりやすいレモンは油断なりません。

 ついに、類稀なる環境と、栽培を決意した人々の並々ならぬ努力が、広島県にレモン産地という称号を与えました。いまや国産レモン6割のシェアを誇る日本一の産地にまで成長したのです。この一役を担っているのが、広島県島嶼部の大崎上島です。

 

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 Google Mapの力を拝借します。広島県の本州にある竹原市は、上の画像の上部の真ん中に位置しています。ここから海上を10kmほど南に進むと、大崎上島が出迎えてくれます。この島の右には大三島(おおみしま)、さらに右上には生口島(いくちじま)、右下は伯方島(はかたじま)と大島(おおしま)という、相応の大きさの島々が連なる地域です。

 この海域を船で安全に通過するために、船乗りは一番広い来島(くるしま)海峡を選ぶことになります。愛媛県今治市から大島まで幅約4kmのこの海峡は、数字だけ見ると十分に広いと思うのですが、この間に馬島などの小島が点在しているため、さらに3つの海道に分かれているという。海流も、この狭き海峡を向けるために川の流れのように速くなるといいます。瀬戸内海航路の一番の難所と言われている所以です。

 今では、島嶼部を利用して本州の広島県尾道市と四国の愛媛県今治市を架橋で繋ぐ「瀬戸内しまなみ海道」が、陸路として活躍しています。先の画像の真中下から右上へ、島々に沿うような黄色のラインがその海道です。大崎上島の左下には大﨑下島があり、島々を渡る橋によって「安芸灘とびしま海道」が誕生し、本州の広島県呉市と繋がっています。そう、大崎上島は、架橋で本州と繋がっていない孤島。それも、瀬戸内の多々ある孤島の中でも、小豆島に次ぐ大きさを誇るのです。

 さあ!大崎上島へ。岩﨑さんの助けを借り、大崎上島と岩﨑農園さんをご紹介させていただきます。

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 広島県の本州側に竹原市があり、そこからフェリーに乗り込み大崎上島へ。瀬戸内の島嶼部なだけに、荒波にもまれるということもなく、島々の織りなす風光明媚な瀬戸内の風景を楽しみながらの穏やかな海路。遠方に望む島影が、時を刻むごとに大きく鮮明になってゆく中で、島に聳(そび)える神峰山(かんのみねやま)が目を惹きます。

 452mの標高を誇るこの神峰山の山頂部には展望台があり、日本一と称えられる多島美を望めます。気候条件がそろうと、ここから瀬戸内海の115の島々が見渡せるという。伝説によると、厳島神社の祭神である市杵島姫命(いちきしまひめ)が、行方不明の我が子を探して瀬戸内海を旅する途中にこの山にやってきた。そして、ここから眺める景色に心癒され、この峰に宮柱を立て、終の住処にしようと考えた…そう案内板が教えてくれる。それほどまでに美しい景観がひろがる…

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 この展望台からは、もちろん大崎上島をも見渡せる。すると、緑美しい丘陵が島のほぼほぼを成し、少ない平地には居住区が広がっていることに気付く。そう、この島の特産は、瀬戸内海の恵みともいうべき海産物はもちろん、瀬戸内の気候とこの丘陵を利用した果樹栽培、特に柑橘です。この神峰山を成す峰々の周囲には、果樹園が広がっています。もちろん岩﨑農園さんの果樹園もここにあります。

 

 毎年のように、Benoitへ見事なまでの瀬戸内レモンを送っていただいている岩﨑農園さん。代々が大崎上島で柑橘栽培を生業としていたわけではありません。岩﨑さんご主人も奥様も、大崎上島に縁もゆかりもなかったのです。かつては、京都でまったく別業種の仕事に就いていたというご主人、奥様との二人暮らしであれば、島への移住という選択肢はなかったでしょう。そう、お子様の誕生を境に、ご夫婦の意識が変わっていったのです。そして、2011年に一念発起。iターンという選択肢を選び、大崎上島へ移住するのです。

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 良く耳にするiターンですが、Uターンとは違い、見知らぬ地へ移り住むことを意味します。就農を決意する前に、大崎上島の窓口になっている方に何度も相談したことでしょう。見知らぬ地、初めての就農ということで、岩﨑さんご夫妻で喧嘩をしながら大いに話し合ったのではないかと思うのです。その中で、彼らは決断をしました。彼らの背中を押したものはなんだったのか?子供たちには、自然の豊かなところで、のびのびと育ってほしい、そう切望する親心に他なりません。

 いざ、移住してみると、島の仲間と意思疎通を図るためにも、彼の地の方言を理解しなければなりませんでした。ここが観光との大きな違いでしょう。さらに、島のシンボルともいえる神峰山という名に、神の字があてられている。市杵島姫命(いちきしまひめ)の伝説があるように、この島には歴史がある。その歴史を守るため、そして住民を守るために、多くの島特有の「文化」や「しきたり」というものがあるものです。島で生きると決めた以上は避けては通れない道であり、皆に迷惑をかけないようと気を使い続ける日々でした…と岩﨑さんは教えてくれました。

 馴染みのない地に居を構えるということで、ご心労は並々ならぬものだったはずです。しかし、島での生活で得たものは、それをはるかに上回っていた。岩﨑さんは、「自分らしく仕事ができる」と言っています。そして、「自然あふれ、風光明媚な土地柄もあり、毎日が穏やかに緩やかに過ごせています。子供たちが楽しそうに自然に触れあう姿を見るに、子育てに良い場所だったと思っています。」とも。

 時間や業務など、何かに追われるかのようなせかせかした日々でも、家族で過ごす毎日は充実していた。しかし、子供たちの成長を見るにつれ、何か自分達が受け入れることのできない違和感を覚えたのでしょう。家族を養うためにも仕事は大事だが、子供たちのその時々の姿は、その時にしか出会うことができない。まして、子供たちが親を求めている時に、応じることができない。これに気付いた時こそ好機であり、岩﨑さんご家族が彼ららしい生活をするためには、大崎上島が適地だったのでしょう。

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 大崎上島は多種多様な柑橘を栽培するも、他地域と一線を画すのがレモンです。前述したように、国産レモンの6割のシェア誇る広島県、この島はその一翼を担っています。瀬戸内レモンという確固たるブランドが生まれるも、柑橘の中でもひと際病気に弱いレモンだけに、いくらレモンの産地であるからと言っても、そんなに簡単なものではありません。

 移住と同時に、岩﨑さんの果樹栽培が始まりました。最初はブルーベリーとミカンの栽培、どうしてもレモンを主力にするには二の足を踏む。この思いをレモンが感じ取ったのでしょうか。岩﨑さんがほんの少しだけ植栽していたレモンの方から彼らに誘いをかけてくるのです。

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 島の諸先輩方に教えを請いながらとはいえ、経験不足は否めません。農作業ひとつひとつが正しいかどうか不安にかられ、さらに慣れない作業なために他の人よりも無駄な動きが多くなる。まして、レモン栽培は難しいとくる。子供たちの笑顔を糧に、努力を続けるも、疲労困憊な日々だったことでしょう。

 しかし、気難しいレモンも手間暇を惜しまずに世話をすることで、美しい果実を実らせることを知る。そして、「収穫の時には樹々はレモンの香りに満ち、そのアロマに癒されるのです。」と岩﨑さんは言う。丹精込めて育ててくれたことへのレモンの恩返しのように…レモンに魅せられてしまったからなのか、今では岩﨑農園の総収穫量の8割が瀬戸内レモンになっているのです。

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 岩﨑さんに今後の目標を聞いてみました。「次世代の育成です。私たちがiターンで11年かけて培ってきたノウハウを次世代に繋ぎ、この島の農業を絶やすことなく、いい形で残せるようにすること。」自分たちを受け入れてくれた島へ、島の人々への恩返しなのでしょう。すでに、この取り組みは始まっていました。

 農業や漁業の1次産業が、食品加工や流通販売まで手掛けることを、6次産業といいます。島全体が6次産業化すること目指し、まずは自分達で何ができるのか模索しはじめたのです。生鮮果実の販売に加え、美味しいにもかかわらず見た目だけで商品にならない果実を利用し、ジャムやドレッシングの製造を始めたのです。

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 そして、就農して10年目のアニバーサリーイヤーである2020年、ついに農園敷地内に「岩﨑農園カフェ」をオープンするに至ります。ここでは、瀬戸内レモンはもちろん、島で育まれた柑橘で作られるお菓子やデリセット、そしてお飲み物を楽しめます。さらに店内では、島のクリエイターが仕上げた雑貨も販売中!しかし、ご家族で経営していることもあり、農作業が優先です。皆様がお運びいただける際には、営業日をご確認ください。

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岩﨑農園カフェ

www.big-advance.site

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 岩﨑さんより皆様へお誘いのメッセージが届いています。

 「5月になると島には柑橘の花たちが咲き、フェリーを降りた瞬間にネロリの甘い香りに包まれます。その花たちが秋から冬にかけて美味しい柑橘たちに育っていく過程を一緒に楽しめる農業に携われることに誇りを持ちつつ、皆様に安心安全で美味しい果実をお届けできるよう日々頑張っています!皆様も私どもの育てる柑橘に会いに、ぜひ大崎上島にお越しくださいませ!」

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 おすすめ観光スポットも聞いてみました。「神峰山と大串海岸です。夏は島で3ヶ所の花火大会があるのですが、特に大串花火大会は圧巻です!」と。夏か~柑橘の旬は夏ではないな~と思うも、夏の大崎上島に興味津々の自分がいます。恥ずかしい話ですが、岩﨑さんの瀬戸内レモンとの出会いがなければ、この島へこれほどの興味は湧きおこらなかったことでしょう。これも何かのご縁なのか。そう遠くない日に、自分が訪れたいと思う地が、また一つ増えました。この話を最後まで読んでくださった皆様も、共感を覚えてくださっているのではないでしょうか。

 

 岩﨑農園のHPにはこう書き綴ってありました…

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幸せなレモンの香りをあなたに届けます

 

 自分が岩﨑さんへ電話をかけた時の可愛い声の主は、すでに高校生となっていました。そして、ご子息はこの春、就職のため島を出るといいます。「本当に早いものです。」と、岩﨑亜紀さんが教えてくれました。ついこの間のような記憶ですが、すでにそれほどまでに時が経っていたのです。ご子息は、島外に出ることで、ご両親の育んだレモンの素晴らしさを知ることになるでしょう。そして、郷愁の念いかられると同時に、ご両親の目指すものへ共感し、加担することになる気がいたします。

 

 レモンは誰もが知っている柑橘でありながら、思いのほか収穫される時期があいまいなもの。確かに、用途万能なため、ハウス栽培や海外産を含め、一年中八百屋さんやスーパーでお目にかかれます。国産のレモンは、他の柑橘と同じように、晩秋から初春までの期間が収穫期です。

 岩﨑農園は、夏過ぎからハウス栽培のレモンが始まり、11月末のあたりで露地栽培に移りゆきます。旬の走りのレモンはライムのような緑色の果皮の「グリーンレモン」。太陽をさんさんと浴びることで、輝かんばかりのイエローレモンへと徐々に姿を変えてゆく。グリーンレモンは、爽やかな青っぽさのる香りをはなつ果皮、はつらつとした酸味のある果肉が心地いい。完熟したイエローレモンは、まろやかな酸味に、ほのか甘みすら感じるほどの果汁を内包します。

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 岩﨑農園の瀬戸内レモンを使ったデザートが、3月末までBenoitに登場しています。もうすでにお召しあがりいただいた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、今この時の「完熟レモン」だからこその美味しさに満ち満ちたタルトに仕上がっています。え?どういうデザートなのか知りたいですか。詳細を別ブログに書き綴っています。お時間のある時にご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

2022年3月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

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 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない3月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

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 自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com