kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

長野県茅野 青木さんの「日本ミツバチの蜂蜜」

 天下泰平が300年も続くことは、世界史をみても稀有なこと。その恩恵を謳歌するかのように、文化芸能の隆盛をなしえた江戸時代。豪族が点在する、特に際立った特徴のない荒野、関東八州を徳川家康が所領としてあてがわれたところから、江戸の文化が始まりました。現在の皇居である江戸城を拠点に町が形作られるも、日本橋をスタートとする五街道が大きな役割を果たしていました。その街道沿いに宿場町が生まれ人々が集うようになります。

  五街道のひとつ、現在の甲州街道(国道20号線)は、日本橋から始まり、皇居の北側を迂回するように西へ。新宿を経由して高井戸、八王子と進みます。江戸時代、日本橋からこの街道を歩き続け、四谷大木戸の関所(今の四谷四丁目交差点)をくぐると、目の前には宿場町「内藤新宿」が続きます。その人で賑わう通りの両脇には多種多様の店が軒を連ね、裏手の軒先には畑が広がっていたようです。秋深くなる時期には、緑鮮やかな葉の間に、輝かんばかりの鮮やかな深紅の剣先を空に向けた「内藤トウガラシ」がたわわに実っていたそうです。このトウガラシは八房系に分類され、葉の上に天に向かって房状に実るのが特徴。一面のトウガラシ畑は、赤と緑の見事なコントラストを成し、それはそれは目をみはる光景だったことでしょう。

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 と、詳しく書いたものの、Benoitでトウガラシを使用することはありません。今回ご紹介する特選食材は、甲州街道をさらに下(くだ)った先から届いたものです。街道は下っていくのですが、地理的には山に上(のぼ)っていった地。甲州街道山梨県甲府を過ぎ、長野県の下諏訪のあたりで中山道と合流します。この合流手前に位置している、茅野(ちの)市が産地。そして今回の匠は、この地で信州ナチュラルフーズを営む青木和夫さんです。八ヶ岳の高原に居を構え、この雄大な自然とともに生きることを選んだ今回の匠。狩猟解禁ともなると、ジビエを求め山深くに入り、イノシシやクマ・シカを追い求める。山を知り抜いた青木さん管理の下、山の恩恵を十二分に受け育まれた「日本ミツバチの蜂蜜」が特選食材です。

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 ミツバチは独特の社会性を持っており、生まれ成長する段階で、蜂社会を営む役割が決まるようです。女王蜂を頂に据え、働き蜂が下僕かと思いきや、卵を産まなくなった女王蜂は働き蜂に巣を追い出されるそうです。女王蜂が生む卵は全てがメス。花粉や蜂蜜で育てられた個体が働き蜂、働き蜂より生み出されるローヤルゼリーを与えられた個体が未来の女王蜂といいます。え?全てがメス?働き蜂はオスではないの?そう、オスは繁殖に必要な時に女王蜂に生み出され、さっさと消えてゆくのです。全ての主導権は働き蜂、まさに「働き蜂の 働き蜂による 働き蜂のための政治」が成り立っているのかもしれません。しかし、女王蜂の寿命が2~3年なのに対し、働き蜂は1~3ヶ月という違いは、厳しい生存競争を生き抜くため、高齢化蜂社会に陥ることで活力が弱まることを避けるためなのか。はたまた、盛者必滅の理を蜂なりに受け入れたからなのか。もちろん、わたくしが知る由もありません。

 

 ミツバチは大別すると、日本ミツバチと西洋ミツバチに分けられます。もちろん日本土着の品種が日本ミツバチなのですが、養蜂場で飼育されているのは、ほぼ西洋ミツバチです。日本ミツバチは行動範囲が西洋ミツバチの約半分の2km、蜂蜜の生産能力は西洋ミツバチに軍配が上がります。この採蜜能力から、関東タンポポが西洋タンポポに生息地を奪われているかのような現象が起きている…かと思いきや、そこは大和撫子の意地があるのでしょう。日本にはミツバチの天敵であるオオスズメバチが其処彼処に。この蜂は巣箱に侵入し、ミツバチを蹴散らし、蜂蜜と幼虫を奪う獰猛なハチ。日本ミツバチはオオスズメバチを集団で取り囲む蜂玉(ほうきゅう)をつくり、激しく羽ばたくことで体温を上げ、酸素不足の中で熱し倒すのです。ところが、外来種の西洋ミツバチにはこの対抗能力がないため、全く太刀打ちできないといいます。そのため、野生化することはなく、人間の庇護の下でしか生きてゆけません。では、日本ミツバチはが悠々自適に過ごしているかと思いきや、実は全国的に激減しています。原因は除草剤とミツバチに寄生するアカリンダニというのです。蜂軍団としての数の力が無い場合、1匹の天敵であるオオスズメバチが偵察目的に襲撃に来た際に、蜂玉を駆使して撃退できずに取り逃がした場合、次にはオオスズメバチの大群が押し寄せるのだといいます。その結果、どうなるかはご想像の通りです。

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 多くの養蜂家が西洋ミツバチを飼育し、効率よく蜂蜜を産している中で、信州ナチュラルフーズの青木和夫さんは、頑なに野生の日本ミツバチにこだわります。蜂蜜を生み出す量は、皆様が思っている以上に少ないです。働き蜂1匹が一生で集めることのできる量は、ティースプーン1杯ほどといいます。そのため、巣箱から巣蜜を採取するのは年に一度のみ。それでも、日本ミツバチにこだわりたくなる理由は、惚れ惚れしてしまうほどの艶やかな琥珀色、粘性が強く、荒々しいほどにコクのある風味。甘さの中にほろ苦さを感じることが自然由来の証であり、洗練された味わいには程遠い、これほどまでにと思う味わいの濃さが、日本ミツバチ本来の持ち味です。今まで手にしてきた蜂蜜はなんだったのかと驚かれるのではないでしょうか。

 

 青木さんは勝手知ったる八ヶ岳に入り、要所要所の巣箱を設置します。野生の日本ミツバチは、新女王蜂に選ばれた個体が羽化する直前に、旧女王蜂がお供の働き蜂を引き連れて巣を離れます。これが分蜂(ぶんぽう)と呼ばれるミツバチの増える仕組み。春から夏にかけて、青らが青く風の少ない日に、ミツバチがおおきな玉をつくるかのように群がって移動している姿を分蜂球とよび、中に女王蜂を据え、周りを守るかのように働き蜂がびっちりと囲みます。このまま新住居へと移動するのです。行き当たりばったりの引っ越しかと思いきや、そのへんは緻密な社会を形成しているミツバチですから、抜かりありません。引っ越し以前に、働き蜂の中から選りすぐりの強者を選び、この「新住居探索部隊」が移住先を探しているのです。青木さんが狙うのは、この時。この捜索隊に見つけてもらい、いかに安全快適であるかを女王蜂に報告してもらわねばなりません。人が介入できるところは、いかに快適安心な巣箱を作り設置すること。そして、引っ越し当日の安全と日々の無病息災を祈ることのみ。

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 ミツバチの巣蜜は、巣箱の天井から垂れ下がるように作られます。そのため、季節によって咲く花が違うため、天井に近いあたりが春、下へ上るほどに季節が移り変わっていくのです。アカシアを含めた春の花から、山の樹々の花が咲き誇る夏の花、花園といわれる秋は草花から。山深ければ、高山植物が加わり、里山であれば畑の花も、そう茅野市では蕎麦の花も忘れてはいけません。日本ミツバチは蜂蜜の生産量の少なさは、前述した通りです。そのため、1年に1度しか、人間が蜂蜜をいただくことができません。西洋ミツバチであれば、春だけの「アカシアの蜂蜜」というように得ることができるものが、日本ミツバチでは生産性の低さと蜂自体が激減していることもあり、まず目にすることはないでしょう。しかし、けなげに働く日本ミツバチの希少な蜂蜜は、コクのある甘さの中にほろ苦ささえ感じるほどの複雑な味わいは、何人をも魅了して止みません。だからこそ、青木さんのような職人が健在なのです。

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 Benoitに送っていただいた巣蜜を手にし、とろりと流れ落ちる輝かんばかりの琥珀色の蜂蜜を目にしたとたん、八ヶ岳を思い起こさせるかのような山々の香りがあたりに充満する。口にすると、今までの蜂蜜とは一線を画す、まさに自然そのものの荒々しささえ感じさせる風味に圧倒され、長い余韻に酔いしれる。日本ミツバチが自然の厳しさ、天敵と対峙しながら、集めた季節それぞれの花の特徴が、流れ落ちるときに絡み合うことで生み出された「百花蜜(ひゃっかみつ)」。余計なことは何もせず足さず、だからこそ一瓶一瓶違った味わいになるのは至極当然のこと。ハーブティーなどに合わせるものではない!これは、料理を引き立てる副材ではなく、好敵手となりうるもの。ライバルは選ばれしものでなくてはなりません。Benoitで名乗りをあげたのが、以前にご紹介した特選食材である

Brise de mer Faisselle (ブリーズ・ドゥ・メール フェッセル)

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 北海道の酪農家が仕上げた、コクのあるミルクの風味豊かな至高のフレッシュチーズです。これと、日本ミツバチの濃厚な蜂蜜とのマリアージュは、北海道と長野県、それぞれの地で育まれた自然の生み出した逸品が一堂に会することを意味します。想い描くだけで、心躍る心地になりませんか?

※Benoitでは、この日本ミツバチの蜂蜜とフレッシュチーズのセットを1,000円で昼夜問わずご用意しておりますが、このblogを読んでいただけた方には800円でのご提案です。フレッシュチーズの入荷数には限りがございます。ご予約の際に、「フレッシュチーズ希望」とお伝えいただけると幸いです。

 

 日本在来種でありながら、いまだ謎の多い日本ミツバチです。巣箱の材質や形状、設置時期など、何が正しく間違っているかは、経験に頼るしかありません。今の情報化社会の弊害でもある「マニュアル化」は、便利であり初心者にはこれほどありがたいものはありませんが、融通が利かなく、臨機応変の対応を不可能にします。これでは野生日本ミツバチと対峙できません。先日に2018年の状況を伺ったのですが、なかなか蜂にとっては芳しい年ではなかったようです。しかし、その手助けとして、青木さんが新たな手法を見出したというのです。詳細をお話したいのですが…これが秘密というよりも、あまりにも専門的なので、素人の自分には話半分も理解できませんでした。その地に伝わる伝統を生かし、今なお試行錯誤を重ね、いかに多くの蜂の群れと出会うか。青木さんと日本ミツバチとの駆け引きに、幕引きはありません。

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 楽しげに語ってくれる青木さんの声には、老人めいた印象はまったくありません。いまだに雪に埋もれる時期でなければ、日に3回は山に入るといいます。その相棒が愛犬たちです。高知の四国犬「まる」、その任を引き継いだ和歌山の熊野犬「仮称:はち(名前は確認中です。)」、ともに猟犬として名高い勇猛果敢な犬種です。「熊野犬は若いのに、イノシシに向かっていくんだよ」と青木さんは話してくれるのですが、我々にはあまりにもなじみがない光景に、イメージがわきませんが、いうなれば「今年(2018)の干支が来年2019年の干支を追い回す」、まさに「去年今年」の構図ではないですか。

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「蜂たちが八ヶ岳周辺の高原より1年かけて集めた貴重な蜜です。ぜひ信州の自然の贈り物を多くのお客様に喜んでいただけたらと思います」。自然が豊かといことは、自然の厳しさを受け入れることを意味します。青木さんが労を惜しまずどのような苦難も甘受する理由は、全てこの青木さんのメッセージが物語っているのではないでしょうか。戌(いぬ)年の締めくくりとして、愛犬の尽力と声なきメッセージも、お伝えさせていただきます。

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以下、余談です。時間のあるときに読んでいただけると幸いです。

 

 関東に徳川家康江戸幕府を開府するのを機に、日本橋を拠点とする五街道が整備されました。人の行きかう処に宿場あり、各街道の最初の宿場町は「江戸四宿(えどししゅく)」と呼ばれていました。例えば東海道品川宿中山道の板橋宿、日光街道千住宿。当初、甲州街道は西へ西へと進む一番目の宿場町は高井戸宿でした。しかし、ゆうに16kmと離れるため、いささか遠いのではないかと?という理由から、途中に新たに宿場町が作られることになり、それがしい宿場町、「内藤新宿」の誕生です。内藤とは、この宿場町の脇が徳川譜代の大名である高遠藩内藤家の下屋敷あったことに由来します。

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 かつて、街道が二つの大きな街道に分かれる地点を「追分(おいわけ)」と呼び、この呼び名は今でも地名に残っています。現在の甲州街道を四谷から西へ向かってゆくと、新宿三丁目交差点に辿り着きます。ここが、甲州街道から青梅街道の追分です。この交差点を中心に伊勢丹さんの点対称の位置に「新宿元標」として追分であったことの記念碑と路面にパネルがはめ込まれています。人々の雑踏の中で見過ごしこと間違いないのですが、しっかりと残っています。ちなみに、川が合流する地を「落合(おちあい)」といいます。まさに川が落ち合う地。今皆様が住まわれている周辺や、旅路の中で探してみるのも一興かと。

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 甲州街道をひた進んでいくと、今回の蜂蜜を購入させていただいた長野県茅野市へた
どり着き、日本ミツバチに出会うことができますが、何もここまで行かずとも、ここ内藤新宿でも野生の日本ミツバチに会えるのです。前述した高遠藩内藤家の下屋敷跡地、そう「新宿御苑」です。明治維新後、上納されたこの地は、農業研究場となり、多くの植物が国の内外を問わず移植されました。その後、公園として開放されるも、いまだ草木豊かで、都心にいることを忘れさせてくれる憩いの地です。野生のカブトムシが息づく地だけあり、今は野生の日本ミツバチの巣を見ることができます。ミツバチにとって、人の暮らす地の方が、天敵スズメバチを人間が駆除するために、過ごしやすいのかもしれません。行動範囲が狭いですが、もしかしたらこの新宿御苑の日本ミツバチも、甲州街道を進み、何十年後かには茅野市を訪れるかもしれません。

 

 さて、日本橋を起点として「五街道」、それぞれの最初の宿場町を「江戸四宿」。おや?東海道甲州街道中山道日光街道の4街道にそれぞれの4つの宿場町。五街道のもう一つはどこへ向かう街道なのでしょう?なんと、日本橋小網町にある行徳河岸(ぎょうとくかし)と千葉県市川市の行徳を行き交う海上航路、行徳船航路です。海上に宿場町ができるわけもなく、江戸五宿ではなく四宿なのです。千葉県の行徳は塩を産する地、江戸住民にとっては欠かせない塩を運びこむ重要なルートだったようです。

 

長々とお読みいただきありがとうございました。

末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈っております。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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