kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

年末のご挨拶「誠にありがとうございます」

春秋の あかぬわかれも ありしかど 年の暮れこそ なほまさりけり  藤原兼実(かねざね)詠

  春ごと秋ごとに、過ぎ去る季節に名残惜しさが尽きず、満ち足りないものを感じていました。年の暮れとなり、季節というよりも1年間を振り返っての別れは、比べることができないほどに寂しいものです。太陽が昇り沈みゆく、ただこの繰り返し、約365日をかけて地球が太陽の周りを1周する。ただただ日一日と過ぎ去ってゆくのみのなかで、いったい誰が決めたのか「年の暮れ」。この「締めくくり」が、我々の生活に1年のサイクルを生み出し、今期の反省と来期の目標を考えさせてくれるようです。眠りに就き、夜が明けることで心機一転の機運が生まれる。「去年今年(こぞことし)」という言葉が生まれるのも、この時間に対する感覚があるからでしょう。どうやら今も昔もそう変わらないようです。

  黄葉・紅葉とまさに千葉(せんよう)の彩りが終わりを告げ、冬本番の到来を感じさせる、まさに「山眠る時期」を迎えております。地には緑少なく、樹々は葉を落とし、寂しげな風景の中で、ひときわ目を惹く青々しく茂らせた葉とそこへ実った真っ赤な実。中国原産の南天(なんてん)は、難を転じる「難転」に通ずるとして、お正月の縁起物として。とげとげの葉に真っ赤な実を成すセイヨウヒイラギはクリスマスならではのもの。しかし、古来より日本にも人々に重宝されていた樹があります。成長したときの樹高によって、十両(じゅうりょう)、百両(ひゃくりょう)、千両(せんりょう)に万両(まんりょう)と高くなり、万両でも1mほど。そっくりなのに、全てが別品種です。その中でも、縁起物ということで千両と万両は庭木や鉢植えに人気なため、其処彼処に見かけることが多いものです。千両は上向きに、万両は下向きに真っ赤な実を実らせています。

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 「両」とは、両親などのように「二つで一組となる双方」のことであり、喧嘩両成敗のように「二つとも」の意味も持ち合わせます。かつては重さの単位であり、江戸時代には通貨の単位としても使用されていました。両親、夫婦、兄弟姉妹のみならず、仕事や余暇の相棒を含め、誰一人として欠かすことのできない大切な人の無事息災を願う。重さとは、五穀豊穣を象徴するかのように。さらには金銭に困らぬようにとの願いを込める。草枯れ葉落とす樹々の中にあり、たわわに連なる真っ赤な実に、古人はこの願いを見出したのでしょう。分類学上では別品種であっても、この思いがあったればこそ、「両」という漢字を使ったはずです。先人たちの名付けの妙、巷溢れる情報の中で溺れているかのような我々よりも、数段上手な気がいたします。樹高の高さにそこまでの相違がない千両と万両。下向きに実を成すから「重い」と見立て、だからこそ「万両」と命名したのでしょう…なんという遊び心と観察眼だと思いませんか。

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 2018年、並々ならご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。今年の干支「戊戌(ぼじゅつ・つちのえいぬ)」は、時世の勢いが強い上に、人世と同じ方向を向いている。人世もまた成熟の極みにあり、時世の波をとらえた皆様は、今まで努力が人世の成果として現れたのではないでしょうか。こと自分に至っては、自分の怠慢から長文レポートの配信や返信を怠るとこと数限りなく、さらには皆様のご期待に応えることのできるサービスを目指しつつも、その高みには手が届くことはありませんでした。時世に荒波の中に何の準備もせずに飛び込み、溺れはしなかったものの、もがき苦しみ右往左往とした不甲斐なさ、反省しております。来たる年では、心機一転、皆様から大切なひと時をお預かりしているという気持ちを心に刻み、さらに皆様がBenoitで「口福な食事」を過ごすことができるよう、そして皆様のご期待に応えることのできるよう、日々精進してまいります。

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 Benoitは、新年1月1日から4日までお休みさせていただき、万全の準備をもって5日(土曜日)より皆様をお迎えいたします。そこで、今年に皆様より賜りましたご愛顧に感謝の気持ちを込め、Benoitの新春恒例イベント「フランス産黒トリュフの破格値での量り売り」を開催いたします。いつものプリフィックスメニューよりお好みのお料理をお選びいただき、心ゆくまで黒トリュフをお楽しみください。まだ正確な価格はわかりませんが、予想では200円/1g前後でご案内できるかと思います。他の1月の特選食材については、新年を迎えましてから、「ダイジェスト版」にてご案内させていただこうと思います。2019年は、今年以上に魅力あるお料理を皆様にご提案できるよう、最善を尽くす所存でございます。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 12月22日、一年間で一番陽の短い一日、冬至を迎えました。夏至と比べると、お日様の恩恵に授かれる時間が4時間も短くなる日です。暖房の完備されていない昔にあっては、降り注ぐ暖かい陽射しを、どれほど待ち望んでいたか。農耕民族ですから、なおさら切望していたのではないでしょうか。そのような想いも込められているのか、冬至を「一陽来復」と表現したそうです。陰陽説の「陰の後には陽がくる」という言葉から派生し、悪いことが続いたあとには福が訪れる…かつては、冬至が新年の区切りだったのも納得いたします。

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 日本と同じような緯度に位置しているヨーロッパにも、もちろん「冬至」という概念が存在します。生活するうえ狩猟民族も農耕民族も、太陽の大切さは変わりません。先日まで大いに賑わっていたイベントがヨーロッパの冬至。そう、「クリスマス」です。12月25日はキリストの生誕日とされ、かつてギリシャ時代に採用されていたユリウス暦と、その後のローマ法王が定めたグレゴリオ暦(今馴染みの暦の原型)とでは、13日ほどのずれがあるため、同じ12月25日でも、ユリウス暦の12月25日はグレゴリオ暦では1月7日にあたるのです。今でもロシア正教ではユリウス暦の名残が残っているため、1月7日がクリスマスのお祝いを行います。では、なぜローマ法王グレゴリオ暦を作ってまで、今の12月25日にこだわったのか?そこには、冬至が深く深く関わっているのです。4世紀に入り、キリスト教をヨーロッパに普及するために、クリスマス12月25日をヨーロッパの冬至に合わせてきたのです。他にも理由はあるかと思いますが、この点も理由の一つのはずです。太陽のさんさんと降り注ぐ陽射しは、生きとし生けるものにとって欠かすことのできない存在なため、太陽神という信仰が生まれます。そこにキリストの誕生日を合わせることで、人々に深く印象づけることになったのでしょう。古今東西、1年の大切な区切りが冬至なのです。

 これからは徐々に陽脚が伸びてくるのですが、古来より「畳の目ほど」と表現するほど微々たるもの。「冬至、冬なか、冬はじめ」というだけあり、本格的な寒さはこれから。木々は余計な体力を使わないよう冬籠りの準備中、まさに「山眠る」光景です。 この「眠る」季節の中で、緑鮮やかな葉を茂らせ、陽に照らされ輝かんばかりの実がひときわ目を惹く、ミカン科の木々。昔々の日本では、このような柑橘類を総称して、「橘(たちばな)」とよんでいました。

  一年中つややかな緑な上、初夏にはさわやかな香りを放つ白い花を咲かせ、木々眠る季節にたわわに黄金色の実。前述した千両や万両と同じように、古人は橘になに「永遠」なるものを感じていたようです。古事記では、垂仁(すいにん)天皇の命により、田道間守(タジマノモリ)が常世の国から持ち帰ったものが「非時香木実(時じくの香の木の実)」、これが今の橘だと記載されています。まさに不老不死の理想郷の象徴のような木なのです。

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 この橘(品種の橘ではなく、柑橘類を総称しての橘)を庭に植えようと決めた方は、家族代々不老長寿の願いを込めながら育てたのでしょうか。はたまた、収穫を楽しみにしていたのでしょうか。どちらにせよ、果樹は簡単には育てることができません。特に柑橘類の若木はアゲハチョウにとっては大好物ですから。都内とはいえ並々ならぬ苦労があったことと思います。身近に見かけることのできる「橘」。植栽を決め、手塩にかけて育てた主に感謝し、今年一年を健康で締めくくることができる幸せを橘に感謝をする。さらに来年もまた笑顔で過ごすことのできる日々、さらにご家族・ご友人様の長寿も橘に託す。願うことそこかしこ、師走の多忙な時期だからこそ、心和むこのような散策もまた一興なのではないでしょうか。

橘は実さへ花さへその葉さへ 枝(え)に霜ふれど いや常葉(とこよ)の樹 (聖武天皇)

 

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、黄金色に輝く橘と真っ赤な千両・万両に託し、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山10階

TEL 03-6419-4181

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