kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

「山口県下関より≪福≫来たる」これ食せずして2019年は始まりません!

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 まだ夜が明けぬ中、本州最西端の地に人が集まり出す。日中の陽射しによって温められた地表が気温を上げるも、陽のかげりとともに下降の一途をたどり、闇が深くなる頃には身震いするほどの寒さに包まれる。夜が明ける直前が一番冷え込むことになるが、この地は三方を海に囲われているため、冬の時期の北風が、さらに体感温度を下げていく。時計に目を落とすと、午前3時ほど。研ぎ澄まされた寒空に輝く満月が、西の海へと沈みゆくを楽しむために集まった、ようには思えない。特に着飾っているわけでもない。車を降りた人は、出会う人へ物静かに挨拶をすませたかと思うと、まるで何かに導かれているかのように、海に面した建物の中へと姿を消してゆく。建物内は、外の月夜と比すれば明るいが、眩いわけでもなく豪華絢爛な飾りつけもない。集いし者は、ひとつの部屋へと足早に赴く。夜も明けぬ時間だというに、人々の目に気だるさはなく、俯瞰(ふかん)するかのように部屋を一望している者、瞑想するかのように真剣に考えこんでいる者、鋭い眼差しで足元を見ている者、笑い声のこだまする和気あいあいというとは全く異質の雰囲気をこの部屋にもたらしている。

 この静寂の終焉を告げるかのように、部屋にベルが鳴り響く。時は午前3時30分ほど。ざわつく中に、張り詰めた、何とも言えぬ緊張感みなぎる空気感へと一変。「ええが、ええが」と小さく声を掛ける男が歩み寄る。彼のいでたちが、一風変わっている。右手には筒のような袋をかぶせているのだ。ドラえもんでいう「空気砲」のように。そして、足元に並べてある「トロ箱」を順に廻り始める。各トロ箱の前で、数人がその男の袋で隠れた右手に握手をするかのような行動に出るも、ものの数十秒で隣のトロ箱へと移ってゆく。安堵する者、一喜一憂する者、この想いが交錯するこの部屋は、独特な雰囲気に包まれる。「トロ箱」とは、魚を運搬する時に使うケースのことをいい、もちろん今回のトロ箱の中には、この地の特産でもあり、代名詞的な魚「フグ」。日本で唯一の「フグ専門市場」であり、豊洲とは違う「競り」方法で執り行われているのが、この「フグ」にしか行わない「袋セリ」。

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 この本州最西端の地とは山口県下関市です。本州と九州とがもっとも近づく地であるからこそ、中継地として栄えた地。その下関市の南端に位置しているのが「彦島(ひこじま)」です。今では3つの橋からこの島に渡ることができるため、離島という印象こそ薄れてきてはいますが、日本海と瀬戸内海を結ぶ海上交通の要。昔々の源平合戦において、瀬戸内海の覇権を握った平家にとっては需要な拠点だったために、壇ノ浦の戦いでは平家が本陣をおいています。少し分かりにくいですが、添付した地図の左下、海の上に描かれた「フグの絵」の右下の島。この島の最西端に位置しているのがフグ専門の「南風泊市場」です。

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 かつて、北前船海上輸送を担っていた頃、夏前に北海道で海産物を積み込んだ廻船が対馬海流に逆らうように日本海側を南下していき、本州最西端の関門海峡から瀬戸内海に入り、いざ大阪へと向かう。その関門海峡を通る際に、時として吹き付ける強い「南風(はえ)」は、帆を張る船にとってはゆゆしき事態。そのようなときは、無理はせず港に入って停「泊」しようじゃないかというわけで、名付けられたのが「南風泊(はえどまり)港」であり、隣接する「南風泊市場(はえどまりしじょう)」だというのです。言われてみると、なるほどと感じますが、初見で読むことができる人はいるでしょうか。

 この南風泊市場で、冬の「北風(あなじ)」が吹く頃から春の「東風(こち)」吹く頃まで活況を迎えるのが「フグの競り」です。日本広しといえど、フグを専門にしているのはこの地のみ。人命にかかわる猛毒を持っている魚だけに、うかつには手を出せないが、比類なき美味しさ。「フグが食いたし命は惜しし」、だからこそ職人がこの地に集まり、近隣のフグも一堂に会する。フグの水揚げ量は日本一を誇ります。その美味しさは唯一無二のため、価格高騰を抑える意味でも独特な競りの方法が生まれました。豊洲では「マグロ」が良い例です。人々が合図や掛け声で競り落とすのではなく、マグロは「札競り(ふだせり)」と呼ばれるもので、買い付けのプロが、マグロの見極め、札に入札金額を記入して伏せてマグロの脇に置いていきます。そして、その中での一番高額な札を出した人が購入とするもの。では、フグはどうするのか?この競りの方法が、「袋競り(ふくろせり)」というもので、いまだこの伝統が踏襲されているのです。

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 2019年1月4日未明に、新春の初競りの様子が報道陣に公開されました。ご覧になられた方は、なんと素早く競り落とされていることか、いや競り落とされていることすらよく分からなかったのではないでしょうか。前述した通り、フグは他で代用ができないため、かつては喧嘩になることもあったと。そこで、値段の駆け引きが分からないよう、競り人(売る側)の右手を袋で覆いかぶせるようにしたのだといいます。画像の中央の赤いキャップの競り人の右手が、その「袋」です。

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 では、手を隠してどうするのか?仲買人(買う側)はその袋に手を突っ込み、購入希望額を競り人に伝えるというのです。買値の基準はその日の相場で決まれており、そこから対象となるフグの入った「トロ箱」の増額を伝える。ポーカーフェイスで淡々と競りが行われているかのようで、実は袋の中では、お互いの右手によって駆け引きが行われているのです。人差し指を1本握れば「1」、握る指の本数で「2」や「3」、全部で「5」。親指だけで「6」、親指と人差し指で「7」という具合に。どうしても欲しい時には、つねっている、そんなわけはないと思いますが、こればかりは当事者にしか分かりません。通常の競りでは、最後の一人になるまで値が上がってゆくものが、袋競り(マグロの札競りも)は競り上げが無く、1回勝負。一つのトロ箱が数十秒ほどで競り落とされてゆくため、仲買人には、箱のフグの価値を素早く見定める力量と、競り勝つための経験が問われることになるのです。

 この独特の世界に身を置くことを心に決め、1949年(昭和24年)創業の老舗の暖簾(のれん)を引き継いだ職人、道中哲也さん。トラフグの水揚げ日本一を誇る下関に生まれ、自ら競りに赴きます。父親譲りの鋭い目利きによって競り落とす。皆様に安全なフグを安心してお召し上がりいただくために、「ふぐ処理師免許」を持つ熟練の職人の手によって、除毒された「身欠き」へと、すぐさま捌かれます。もちろん、冷凍などは一切なし。そして、この鮮度抜群のフグを、唐戸市場(からといちば)の中にある、店舗で販売しています。

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 唐戸市場の話は只今執筆中です。今少しお時間の猶予を、なにとぞよろしくお願いいたします。特別プランとともにご紹介させていただきます。

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 世相は時として優しさを見せてくれるようです。きっと何かを強く想う時に、出会いを用意してくれるのかもしれません。道中さんとの出会い無くして、今回の特選食材は登場しなかったことでしょう。競り落とされた鮮度の良いトラフグを、道中さん率いるフグの職人チームに「身欠き」へと捌いていただき、除毒した全ての部位をBenoitに送っていただいております。美味なる食材であるにもかかわらず、随所に猛毒をもつため、日本人ですらうかつに手を出せない食材。Benoit史上初、いやアランデュカスグループで初となる「フレンチでフグ」のご案内です。

 シェフのセバスチャンに話を聞いたところ、地中海でもフグは生息しているようですが、「フグには猛毒がある」ことが周知されているため、調理されることはないようです。確かに、フレンチでは聞いたことがありません。もちろん、セバスチャンも初めての食材です。試食の際に、もちろん、セバスチャンも初めての食材です。道中さんより送っていただいたトラフグを、生で、焼きでと試食した際に、「美味しい、食感はドーバーソールに似ているかな」と。ドーバーソールとは、フランスとイギリスの間にある海域「ドーバー海峡」で育った舌平目です。日本で見かける舌平目は薄っぺらいのですが、よほど潮の流れが速いのか、肉厚で身の締り具合はヒラメを凌ぎます。身質は似ていても、旨味はフグに軍配が上がります。初めて出会う食材を、シェフはどうするのか?

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 いろいろと試作し、シェフの中でトラフグという食材が、「猛毒の魚」から「美味なる魚」へと変わった瞬間、ひとつの料理が脳裏をよぎったようです。熱を加えた時の身の弾力と、なんともいえぬ食感。得も言えぬ旨味を逃がさないように。ドーバーソールで仕上げる伝統料理をアレンジしよう、と。そう、シェフがイメージしたのは「グジョネット」という揚げ物のようなスタイルでした。衣をつけることで、水分と旨味を閉じ込めるように。さらに、フグ独特の身質を生かすように、揚げる時間は30秒ほどという短かさ。プリっとした食感を楽しみながら、トラフグ特有の旨さが口中に広がる。このままでも美味しい。しかし、シェフは、トラフグのために、エシャロットは控え目で、卵の優しさとまろやかさを生かしたタルタルソースを用意いたしました。この相性も抜群です。

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 さらに、道中さんより送られてくる「身欠きのトラフグ」で、忘れてはいけない骨と皮、さらに頭部と口まわり。食べにくい部位ですが、美味しいダシが引き出せます。そこで、和食では焙って食べるプルプルの皮の部分も贅沢に加え、洋風に煮出した「トラフグのコンソメスープ」、これがまた美味。シェフが、揚げ物だからこそ、「お口直し」のように添えたいのだといいます。正直にお口直しは必要ないほどグジョネットが美味しい。さらに、このコンソメスープがこれまた美味しい。和食とは一味も二味も違うトラフグの魅力を、Benoitを通して皆様にお楽しみいただけるはすです。

 

 2019年2月末までの期間、プリ・フィックスメニューの前菜の選択肢の中で、ランチ+2,000円、ディナー1,500円にてお選びいただけます。しかし、新春を迎え、皆様のBenoitへのご期待にお応えすべく、特別プライスをご案内させていただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、228日までの、平日限定です。各コース料理の内容は、プリ・フィックスメニューからお選びいただけます。唐戸市場より直送するため数に制限がございます。そこで、ご希望の場合は、ご予約の際に「トラフグのブログを見たよ」とお伝えいただけると幸いです。

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≪2019年Benoitの新春は、下関より「福」来たる!≫

ランチ

プリ・フィックスメニューの追加料金

2,000円→1,000円(税サ別)

ディナー

プリ・フィックスメニューの追加料金

1,500円→29円(税サ別)※

※決して打ち間違いではありません。29円です。

他のプラントの併用はできません。 ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 大阪ではフグのことを「てっぽう」と呼んでいます。「当たったら死ぬ」というわけで「鉄砲」に由来するようなのです。この「てっぽうのしみ(刺身)」が「てっさ」。しかし、下関では「てっぽう」などというおどろおどろしい名では呼んでいません。彼の地では、「ふく」なのです。天然トラフグ取扱量日本一なことに加え、ふぐ禁食の歴史があるものの、一般家庭では美味しい食材として馴染みのあったものだからこそ、フグは「口福な食事」をもたらすものだからこそ、「ふく」なのです。だからこそ、ディナーでの追加料金が、2(ふ)9(く)円。あら、お後がよろしいようで。

 

 日本全国津々浦々、自らの足をつかって食材を探すのが一番良いとは十分に分かってはいるものの、やはり「時間」がそれを許しません。「豊洲」という素晴らしいシステムは、電話1本で翌日には食材が届く素晴らしい流通システムです。しかし、この状況に甘んじたがために、我々飲食にたずさわる者が、食材の旬や食材の地方色を忘れてしまうことになりました。どんなに腕の立つ料理人でも、食材以上の美味しさはだせません。アラン・デュカスの料理哲学は、素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること。であれば、自分の役割は料理の美味しさを皆様に伝えること。そのためには、食材を識らなければなりません。もう一度、料理の原点を考え直そうと、食材探しに勤しむことにいたしました。

 言語は、その言語の生まれた国の特徴を色濃く反映しているものです。フランス料理の世界に入り、いかに多くの「調理用語」、「食材」の単語が存在することか。例えば、poêler(ポワレ)、sauter(ソテー)とrisoler(リソレ)は、フライパンを使って「焼く」ことを意味しますが、火加減やどのような仕上がりにしたいかによって使い分けているようです。さらに、 lapin(ウサギ)と lièvre(野ウサギ)は日本語では「野」しか違いわないですが、フランスではそもそもの単語が別物です。フランス料理の伝統では、「肉」のほうに特化しているのです。では、日本はどうなのか。最近では焼肉屋さんの影響で、肉の部位の名前が表舞台に登場しています。しかし、日本は四方が海に囲まれている海洋国家。馴染みのある魚の名前の数の多いこと多いこと。四季折々、地方地方によってなんと特色豊かなことか。ただ残念なのは、自分が魚介類には素人同然だということです。

 そんな自分が偶然に道中さんに出会うわけがありません。Benoitの食材探しを助けていただいていた立役者がいらっしゃいます。以前、「美味しいイチジク探し」で福岡県糸島半島の高橋さんを紹介してくださった方。グルメレポーターの菊田あや子さんです。彼女の紹介無くして道中さんとの出会いはありません。いうなれば、彼女なくして、Benoitの今回の特選食材「トラフグ」はなかったでしょう。この出会いが、昨年末に、菊田さんと道中さんがともにBenoitを訪問していただくということに結び付き、シェフとの語らいの時が実現したのです。下関に育ち、地の食材で育ったがゆえに愛情深い、さらに食材への造詣が深い菊田さん。下関近海の海産物を扱い、特にトラフグの目利きは父親譲りの道中さん。フランスのプロヴァンス育ちゆえに魚介に思い入れがあり、アラン・デュカスからBenoitを任されたシェフのセバスチャン。Benoitにて一堂に会したのです。どれほど有意義なひと時であったことか、皆様のご想像にお任せいたします。

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 菊田さんから皆様へのメッセージをいただきました。

「本州最西端の山口県下関市は三方を海に囲まれ、多くの海産物や特産野菜に恵まれ、そしていま明治維新150年(今年は151年)に沸く歴史の地です。活きの良い魚介が並ぶ下関市、唐戸市場のそばで育った私は、この市場が遊び場でした。ピチピチ跳ねるシャコや青魚、もちろん河豚(ふぐ)!が並ぶ場内を、ルンルンとスキップしていたものです。当たり前に見ていた海の物がどんなに宝の食材だったかは、世のグルメブーム1990年以降に身に染みて感じました。下関って凄い、と。私がグルメリポーターとなり、その先頭で全国を駆け回ってきたのは、間違いなく唐戸市場の新鮮な本物の味で舌が育っていたから!でしょう。脈々と続く唐戸市場の魚屋さんの目利きと自慢の宝物!山口県から東京Benoitさんの檜舞台で!食通の皆様に唸っていただけることは間違いありません。」

 

 2019年、下関より「ふく」きたる。「百聞は一食に如かず」、どれほど自分が語ろうが、皆様の「一口」が勝ります。そこで、この特選食材を、皆様にどうしてもお楽しみいただきたく、特別価格でのご案内です。皆様が、「ふく」で「口福な食事」を過ごすことができるように、2019年が「ふく」で満ち溢れるように、万全の準備をもってお迎えいたします。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなく返信ください。インフルエンザ対策と美容のためにも適度な湿気をお忘れなきように。それと、1月29日(い~ふくの日)も。

 

以下は余談です。

  「フグには猛毒がある」ことは、日本人であれば誰しもが知っていることでしょう。実はすでに5000年も前に、すでに猛毒の存在が分かっていたようなのです。それにもかかわらず食していたといい、縄文時代貝塚からフグの骨が出土していることが何よりの証です。しかし、今のようにフグ毒の基礎知識がなかった時代は、「河豚は食いたし命は惜しし」を、自らの身をもって実践していたことになるのです。この猛毒はテトロドトキシンいう猛毒で、青酸カリの約1000倍も強力なのだとか。わずか0.5~1.0mgの接種で致死量に至り、解毒剤もなく、300℃以上で加熱しても分解されません。それでも、フグの美味しさに魅せられた調理人は、経験と伝え聞いた知識をもとに、フグをさばいていたのだといいます。これほどの猛毒にもかかわらず、時の権力者は放っておいたのか?昨年がフグ食解禁130周年でした。そう、かつて「フグ食禁止の時代」があったのです。

 豊臣秀吉の治世下で、朝鮮出兵の際、肥前(佐賀県)の名護屋城に駐屯していた兵士がフグ毒によって中毒死が多数出たといいます。日本全国から馳せ参じる兵士たちにとって本州と九州の中継地点でもある下関は、格好の休憩地だったことでしょう。出征までのしばしの余暇に釣りなどをして下関で過ごす、そこで釣り上げられた魚の中に「フグ」がいた。地方出身の何も知らない兵士がそれを食べてしまうことは、想像に難くないことす。そこで、豊臣秀吉は、其処彼処に「この魚喰うべからず」と御触書を立て、注意喚起というレベルではなく禁止令を発したのです。その看板に描かれていた絵が「ふぐ」だったのです。徳川の治世になってもこの禁制は解かれることはありません。

 転機を迎えたのは明治に入ってからです。1887年、時の内閣総理大臣伊藤博文公が下関にある春帆楼(しゅんぱんろう)を訪問したといいます。海が時化(しけ)続きで魚がまるで捕れない日々の中で、悩みぬいた末に女将の藤野ミチさんが導きだした答えは、「お手打ち覚悟で、ご禁制のフグを供すること」。下関では、フグ食禁止の期間であっても、美味しいがゆえに、手料理として馴染みの魚だったようなのです。下関出身の伊藤博文公も、かつては食していたのではないかとも言われていますが、その真相はわかりません。ともあれ、食した後に誰一人としてフグの毒にあたらなかったことに感銘を受け、翌年に下関限定でフグ食を解禁したのだといいます。「ふぐ料理公許第一号」が、この春帆楼さんです。

 

 時同じくして、日本でフグ毒の研究が始まっています。フグの猛毒は「テトロドトキシン」と呼ばれていますが、名付け親は日本人なのです。時は下り1909年、当時の内務省東京衛生試験所所長、薬学博士である田原良純さんが、フグの卵巣からこの猛毒を抽出することに成功しました。そして、フグ科の学名「Tetraodontidae(テトラオドンティダエ)」から「テトロド」、「Toxin(毒素)」から「トキシン」を合わせて、「テトロドトキシン」と命名したのです。彼の研究はこれで終わらず、この猛毒の薬用作用を解明し、鎮痛効果があることを実証するに至ります。

  しかし、いまだ謎多き猛毒な上に、熱でも分解せず、さらに解毒方法が見つかっていない危険極まりないテトロドトキシン。唯一の防御方法は摂食しないこと。そこで、フグ毒中毒を未然に防ぐことを目的に、「ふぐ処理師免許」制度が発足することになります。さらに各都道府県の条例により、除毒され「身欠き」となった状態で受け取った側(飲食店や食品販売店)では、多少の違いこそあれ申請が必須で、猛毒がある食材だっただけに講習会を受けなければなりません。

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 かつては免許制度などありませんでした。そのため、フグを食すのも命懸けだったことでしょう。それでも食したいほど美味しい。そこで、人々はフグに詳しい人に習い、もしくは伝聞によって除毒していたようです。歴史が物語るように、フグ食が解禁になった地が「下関」でした。なぜなのか?

 下関周辺は、天然のトラフグにとって住み良い海域であり、時代によって総量の違いこそあれ、水揚げ量は日本一であることは、今も昔も変わりません。命と美食を天秤にかけることで得ることができる、まさに命を賭した経験こそが、フグの除毒を可能としていたのです。このノウハウが綿々と受け継がれてゆき、下関に根付いたのでしょう。住んでいる人にとっては「馴染みの食材」であり、フグ食禁止期間でも何気兼ねなく食していたようです。だからこそ、フグ食解禁の立役者である伊藤博文公が、「下関のフグに毒は無し」と言い切ったのだと思います。フグの除毒は経験者からの伝聞以外になかった時代であり、この技能を学ぼうと彼の地に職人が集う。美味なるフグが多く水揚げされる地だからこそ、職人が育ち集う。経験豊かな職人が多いからこそ、日本全国から良質のフグが集う。だからこそ、下関の「南風泊市場」が、フグ流通の玄関口のような役割を担うことになったのです。

 フグ毒であるテトロドトキシンは猛毒です。しかし、フグが生まれながらにこの毒を有しているわけではありません。生きていく上で、貝やヒトデなどの毒をもつ生き物を「捕食」することによって、徐々に体内に蓄えられていくというのです。もちろん、フグはこれらの猛毒に耐性があるため、なんら支障はありません。この偶然の産物は、フグ食を愛する我々には厄介極まりないものですが、フグにとってはする体内の寄生虫を撃退できるという素晴らしい効能をもたらしています。さらに、このフグ毒は、捕食の有毒具合によってフグの毒性が変わり、さらに1年を通して秋から春先までは毒性が弱まるのだといいます。季語にもなっている「菜種フグ」とは、4月の菜の花が咲く頃のフグは猛毒ゆえに気を付けろと教えてくれています。とはいえ、今は知識と経験豊富な「フグ処理師」が除毒するので、1年中なんら問題なくお召しいただけます。もちろん禁漁期間を除いては。

 

 なんとか1年中欠かすことなく、皆様にトラフグの美味しさをお楽しみいただけないものか。思案の末に始まったのが、「トラフグの海上養殖」です。トラフグを捕ることから育てることに。

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 多々苦難の末に、確立した養殖技術も、逆らうことのできない自然の猛威に、幾度となく辛酸を舐めさせられる。普段は澄んだきれいな海も、夏場のように海水温が上がった時には植物プランクトンが大量発生し、死をもたらす潮と呼ばれる「赤潮」を生み出す。迫りくる赤褐色の海面に生簀が覆われていく様を、無念にもただ眺めるのみ。養殖場でエサとして与えられる中には、海にいる生物以外のものも含まれ、その食べ残しが海中で腐敗し、植物の栄養となる窒素やリンがエサから溶け出す。川が海へ流れ込む地では、生活排水が含まれ、それが植物プランクトンにとっては豊富な栄養ともなる。

 「人災なのか」、そう自分を問い詰める日々もあったことでしょう。それでも諦めなかったことが功を奏し、1年を通して安定供給を可能としました。脈々と受け継がれてきた「フグの除毒の技」に加え、安定供給を目指し、トラフグの養殖心血を注いだ方々の並々ならぬ努力があったればこそ、今の「下関のトラフグ」の地位を確固たるものにしたのです。山口県以外からも、下関に養殖のフグが集うにことの理由の一つが、「下関のトラフグは、美味で安全」というブランド力です。

 捕食によって毒を得るということは、餌を徹底的に管理すると、「無毒のフグ」を育て上げることが可能ともいえます。しかし、海上養殖では、有毒プランクトンであり網に付着する貝類などの自然の産物が生簀に入り込むために、完全な無毒フグを育て上げることはできません。しかし、陸上であれば余計な海産物が入り込まないために、可能なのではないか。フグは淡水では育てられないため、大量に必要な海水をどうするのか?まさに机上の空論に思えるのですが、塩分を含む温泉を利用することで陸上養殖を可能とし、無毒のフグを育てたという実例があります。しかし、皆様お察しの通り、コストが高すぎるために、なかなか市場での地位を得るには至りません。

 海上養殖によって、トラフグの安定供給を成しえたことは、別の効果を生み出しました。トラフグに大量の良質コラーゲンが含まれことに着目したのです。そう、サプリメントや食事などで摂取し、肌に弾力やハリをもたらす「美容」の分野です。このコラーゲンという成分は人間にもあるのですが、年齢を重ねるごとに減っていき、肌荒れや肌が垂れてしまうというお肌トラブルの原因の一つと考えられています。多くの方が経口摂取に頼るものの、なかなか体内に吸収されないため、想像以上のコラーゲンを食さなければなりません。トラフグには豊富なコラーゲンが含まれ、さらに上質だときます。海上養殖によって安定供給が可能となったことで、大手の化粧品メーカーが「トラフグからコラーゲンを得る」ことに。彼らが銘打ったのが、「トラコラ」です。身近な化粧品の成分表を覗いてみて下さい、トラコラを見つけることができると思います。

 

 トラフグ養殖が全盛を迎える中で、海の中では「ゆゆしき問題」が起きていました。天然フグの雑種化です。通常、トラフグはトラフグ、カントフグはカナトフグと交配するのですが、違う種と交配が確認されているのです。7年ほど前から増えてきたという、ゴマフグとショウサイフグの交配種。日本海側が生息域のゴマフグ、太平洋側のショウサイフグ。日本海側と太平洋側では海水温に違いがあるため、自然界でうまく住み分けができていたこの2種の生息域が交わったのです。地球温暖化によって、海水温が上昇し、両海域の水温が同じようになってきたからだと言われています。そのため、ゴマフグとショウサイフグの生息域が交わるようになり、交配し卵が孵化したことで、新たな品種が登場したのだと。

 これの何が問題かというと、「フグだからこそ大問題」なのです。フグには内臓に毒を含んでいるもの、筋肉以外に毒をもつもの、体内全てに毒をもつものが存在しています。フグの雑種化によって、有毒部位が異なる新種が生まれる可能性がある。外見はトラフグでも、有毒部位が内臓だけではなく皮や筋肉まで猛毒を含むようになってしまう可能性があるのです。外見では判断が難しい、まして命に係わるため生半可な判断はご法度です。毎日のように多くのフグに対峙しているからこそ成しえることのできる、経験に裏打ちされた「目利きの技」と「ふぐ処理師の技」。内臓の違いに気付き、有毒部位を除去する。はたまた「疑わしき」は廃棄する。フグの取り扱いに長けたプロフェッショナルがいかに大切か。今後ますます重要度を増すことでしょう。

 

 垣間見てきた「フグを取り巻く世界」。自分はもちろんですが、シェフを含めたBenoitキッチンスタッフ皆がフグの素人、とても入れる世界ではありません。道中さんとの出会い無くして、特選食材「トラフグ」はありませんでした。本当にありがとうございます。そして、シェフのセバスチャンとトラフグとの出会い無くして、「トラフグのグジョネット」はありませんでした。Benoit史上初、いやアラン・デュカスグループで初めての逸品。下関の道中さんよりお送りいただいた「福」は、皆様を口福な食事のひとときへと導きます。

 

 まもなく「立春」を迎えますが、まだまだ「寒中」です。皆様、無理は禁物、十分な休息と睡眠をお心がけください。適度な湿気もお忘れなきように。いつもながらの長文、今回は特に「猛毒」「猛毒」と物騒な言葉を羅列しておきながら、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、青山の地よりお祈り申し上げます。

  

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com