kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoit特選食材「和歌山県桃山町の豊田屋さん≪あらかわの桃≫」のご案内です。

五月雨に ひとり日をふる ながめこそ なかなか伴(とも)の ある心ちすれ  寂然

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 「五月雨」は、「さみだれ」と読みことは周知の事実。これほどの難読漢字を「ごがつあめ」と読む方が少ないほど、我々日本人に定着している不思議な言葉。五月雨は梅雨のことを指し示すのですが、5月に梅雨?という違和感を差し置いて、違和感なく受け入れています。明治時代に旧暦(月の周期)から新暦(太陽の周期)へ移行する際に、1か月ほどもズレの生じる誤差がありながら、六月雨と書き換えずにそのまま残すあたりは、「漢字」そのものよりも「読み」に大切な意味があるからなのです。

 古人は、田の神を指し示す言葉を、いや口にする音を「さ」としていたようです。以前にも書きましたが、「すわる場所」のことを「座(くら)」といいます。田の神が山より舞い下りる場が、「さ・くら」です。農耕民族である日本人が桜の開花に一喜一憂する理由は、DNAに刻み込まれた、古来の「田の神」信仰なのでしょう。花見こそ、田の神が舞い降りたことへの感謝の気持ちを表したお祭りだったはずです。収穫の源でもある田植え用の稲を「早苗(さ・なえ)」や、田植えを担う女性を「早乙女(さ・おとめ)」と。豊富な水資源を必要とする稲作において、雨は必要不可欠なもの。その恵の雨が降り続く月が五月(さ・つき)です。「五」の語源を調べても、「さ」の読みはありません。ということは、漢字の意味ではなく、田の神への感謝の気持ちを込めた呼び名「さ・つき」を、たまたま暦の上で5番目の月の名称へと充てる。五月雨は「さ・みだれ」であり、「みだれ」は「水垂れ」なのだといいます。「さみだれ」とは、かくも美しき響きをもっていることでしょうか。

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 五月雨(長雨)が降り続くので、一人物思いに耽(ふけ)る日々、これがまた従者と共にいるようで一人退屈しないものだ、と。長雨も悪くはないと寂然は詠う。「ふる」は「雨が降る」であり「時が旧(ふ)る、経(へ)る」だと。さらに、「ながめ」は「眺め」であり「長雨」だといいます。しとしとと感慨深く続く梅雨だからこそ、大いに物思いに耽ることができる、だからこそこれほどの「技巧を極めた」美しい歌を仕上げてしまうのでしょう。その寂然の眺める先には、きっと咲いていたであろう控え目な白い小さな花。結実しても食用とはならないにもかかわらず、庭木として重宝している樹です。何の花でしょうか?自分は、もちろん知っているわけもなく、偶然に目にしたときの感動は、まさに出会うべくして出会うのだと感慨深いものでした。

 

 熊野古道高野山世界遺産を2つも有する和歌山県。南北にのびる山々は、清らかな豊かな水を約束しています。風光明媚な上に、これほどまでに食材に恵まれた地が他にあるでしょうか。黒潮の流れが紀伊半島にぶつかることで、太平洋側と瀬戸内海は豊かな漁場へとかわり、カツオやクエ、ハモなどの多種多様の海産物に恵まれています。緑豊かな山々から湧き出(いず)る清らかな水は、美しい川へと姿を変え、そこには鮎が遡上する。その豊富な水資源は、生きとし生けるもの生活圏を育み、多種多様な生態系によって切磋琢磨され、他に類を見ない特産を生み出すことになります。みかんに柿、それに梅。飛び地の北山村の「じゃばら」などはまさに和歌山県のみで産する柑橘です。さらに、発酵食品である味噌や醤油もまた、気候風土が育んだ食品です。そして、彼の地で特産であり、今月のBenoit特選食材「白桃」を忘れてはいけません。

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 和歌山県の北側を紀北地域と呼び、その中で位置しているのが紀の川市桃山町。町の名前に桃が入るほどの伝統のある町です。この桃山町内でさらに選ばれし地であり、農薬や栽培方法などの厳しい審査をクリアした桃のみが、「あら川の桃」というブランドを冠することができるのです。ところが、ここで終わらないのがBenoitの特選食材です。あら川の桃を育てることを生業とし、代々引き継いできた桃農家さん。ブランドの名に甘んじることなく、少しでも高品質のものをという探求心を捨てず、さらに美味しいばかりではなく、体に良いものでなくてはならないという揺るがない信念のもと、辿り着いたのが「無農薬栽培」。しかし、白桃が、日本の気候の中で無農薬を簡単に受け入れることはなく、試行錯誤の日々。この弛まぬ努力の結果、ご本人はまだ納得いっていないようですが「ほぼ無農薬栽培」が実現しています。

 生きとし生けるものにとって、多大なる恩恵をもたらす「自然」。しかし、時として試練を与えてきます。ここ数年、地球温暖化の影響なのでしょうか、台風の進路が本州を横切るようになっていく中で、昨年2018年9月4日台風21号は、25年ぶりともなる「非常に強い」勢力を保ったまま日本に上陸し、近畿地方を中心に甚大なる被害をもたらしました。和歌山県北部も例外ではなく、その猛威は「野分け(のわけ)」の如くに、紀の川市桃山町の桃の樹をへし折りなぎ倒していきました。「桃栗3年、柿8年~」と詠われるように、野菜と違い果樹は結実までに時を要し、実を成す前も後も、相応の手間暇を要求してきます。まして、無農薬を目指しているならばなおのこと。この台風が一日にして奪い去ったのです。「乗り越えられない壁はない」と簡単にいえるものではありませんでした。見るも無残な惨状と化した桃畑を目の当たりにし、豊田屋さんの栽培の陣頭指揮を執っている豊田孝行さんは、「桃栽培を諦めようかな」とfacebookで吐露しています。そこまで、彼は追いつめられていたのです。

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 しかし、現存している樹の手当を施し、新たに植樹を含め、再出発を図ったのです。今思えば、豊田さんが「諦めよう」と気持ちを告白した時、彼の中では桃栽培を継続することを決めていた気がいたします。不可能といわれている白桃の無農薬栽培に挑み続け、幾度となく投げ返されたことでしょう。自然の理を探ることを諦めない「心の強さ」が、桃農家を代々引き継いできたプライドが、「諦める」ことを許しませんでした。

 前述した、寂然も梅雨時期に庭木で見ていたであろう、白い小さな花が咲く樹は、「ナンテン」です。この花は虫媒花(ちゅうばいか)の分類に属し、受粉するのに虫の手助けを必要とします。雨の続く時期に開花しながら、雨は虫の行動を妨げる。さらに、雨によって花粉が流される。この樹にとってはこの時期の開花は試練ともいえるでしょう。日本では、「ナンテン」は「難転」とも書き記します。この「難を転じる」という語呂と、冬に見事なまでに真っ赤な実を成すことから、庭木として植栽することも多く、さらにはお正月飾りには欠かせません。今回、豊田屋さんの桃を紹介するにあたり、ナンテンの花をご紹介させていただきました。難を転じて福を招く、そう信じております。

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 収量は半減しているものの、昨年同様に「豊田屋さん」より、間違いなく美味なる桃がBenoitに届いています。今、Benoitに届いている品種は「白鳳」、まもなく「清水白桃」が引き継ぎ、7月後半には「川中島白桃」を迎えることで、豊田屋さんの桃のシーズンは終わりを迎えます。どの白桃が美味しいのか?もちろん全てが美味しいことはいうまでもありません。その中で、「どうしても、一品種を選ぶならば?」という問いには、「清水白桃」と答えます。豊田屋さんのこれを食せずして8月は迎えられません。では、「いつBenoitに届きますか?」との問いに対する答えはただの一つ。「桃に聞くしかありません」と。

 

 この豊田屋さんの桃をBenoitのパティシエール田中真理が「ピーチ・メルバ」という伝統の逸品に仕上げていきます。ただし、白桃の食感と繊細な風味を損なうような煮込みは一切行いません。湯剥きして種を取り除いた白桃を、ステンレスのバットに所狭しと並べてゆきます。ラズベリーの心地よい酸味と優しい甘さを生かしたジュースを温め、桃の上へと注ぎ、そのまま半日漬けるように。妥協のないバニラビーンズを使った軽やかな生クリームと濃厚なバニラアイスクリーム、アーモンドのパリパリの食感と香ばしさを出したポリニャックを飾り、フサスグリの甘酸っぱいジュースを皆様の前で。どれ一つとして欠かすことのできないパーツであり、それぞれの食感と甘さ・酸味のバランスを意識し組み立てられた逸品デザート。伝統を踏襲しつつも、新たなピーチ・メルバの世界を皆様にご案内いたします。かつて、天才料理人エスコフィエ氏が、オペラ座で奏でたソプラノ歌手のメルバ氏に心打たれたことで誕生したというデザートが、今度は「甘み・酸味・食感」のハーモニーを奏でることで、皆様の心にうったえかけてきます。

 2019年Benoitのピーチ・メルバは、9月末までの予定です。しかし、和歌山県の豊田屋さんの白桃を使ったデザートは、天候次第ではありますが7月末までと予想しております。ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+800円でお選びいただけます。ここ最近の動向の読めない台風の数々、過去に和歌山県を直撃した際に、桃の収穫ができずに終了を迎えたことがございます。なにゆえ自然のことゆえ、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。ご予約の際に、「ピーチ・メルバ希望」とお伝えいただければ、準備できる数が少ない場合には確保させていただきます。このメールへの返信、土日や急ぎの場合には、

benoit-tokyo@benoit.co.jp

よりお願いいたします。もちろん電話でもご予約は快く承ります。桜前線ならぬ、「Benoit桃前線」は、和歌山県から始まり、岐阜県を経由、最後は新潟県へと北上してまいります。

 

 和歌山県の豊田屋さんとの出会いは4年前でした。先祖代々引き継がれてきた栽培ノウハウを踏襲しつつも、飽くなき探求心ゆえにさらなる品質の高みを目指し、日々努力を惜しまない豊田さんご家族。陣頭指揮を執っているのが兄、豊田孝行さんです。画像が豊田さんの「白鳳」の収穫風景。白桃は実が繊細なため、手で収穫した際に握ってしまうと、数日後に指の跡が茶色く色づくといいます。そこで、この炎天下の中、厚手の手袋をして握らないように優しく、極めて優しく。豊田屋さんから送り出すまでは細心の注意を配りながら、少しでも美味しい状態で皆様の下へと届けるために。

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 毎日のように自ら畑に赴き、移りかわる四季の機微を肌で感じ、桃と向き合う。実は豊田さんは現役の医師でもあり、半農半医の激務をこなす強者でもあります。「ご職業は?」という質問には「桃農家です」とさらりと答えるあたりは、患者さんには申し訳ないのですが、桃栽培に重きが置かれている気がいたします。そして、医師だからこそ人々の健康に対する想いが強く、「農薬や化学肥料を使わずに美しく美味しい桃を作る」という、人生をかけた目標を掲げたのです。桃栽培において、無農薬栽培がどれほどリスクを負わなければならないか、どれほど手間暇をかけなければ成し得ないことか。ただ、真摯に桃と向き合い、労を惜しまず、粛々と桃の樹の手入れをしている後姿は、必ず無農薬栽培を成し遂げるという自信を雄弁に物語っているようです。彼のもとには、無謀とも思える試みに共感を覚えた、苦労を厭わない人々が集う、最強の桃栽培チームが存在します。特に、「農家が自立しないでどうする」という兄の思いから、営業を中心に兄を補佐する弟さんご夫妻は、最高のパートナーなのだと、常日頃より感じています。

 豊田屋さんの桃畑です。樹と樹との間隔をとることは、植物には欠かすことのできない陽射しを、樹全体で余すことなく受けることが可能となるばかりか、風通しが良くなるため、病気の予防にもなるのです。さらに、樹形を上へ上へと伸ばす「切り上げ剪定」を行っています。従来の桃農家さんは、作業の効率と安全を考慮し、枝が下へ下へと向かうよう剪定していきます。ところが、豊田さんは、徒長枝(とちょうし)と呼ばれる新梢を残すように選定します。徒長枝は街路樹などでも厳しく剪定した場合に、行き場のなくなった栄養が爆発するかのようにびよーんと間延びした枝のこと。ブドウ栽培の場合、徒長枝はその年に実を成さないため、発梢を抑えるように剪定します。この枝を意図的に生ませ、次の年に生かす。老いた枝を残す従来の方法よりも、若くありあまったパワーの徒長枝を残した方が、樹にとっては自然の形だと豊田さんは言います。

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 しかし、無農薬栽培のためには、収穫までに多岐にわたる作業が樹一本に対して行われることになり、途方もない労を要します。そのため、「切り上げ選定」は、脚立の上り下りの果てしない作業ばかりか、危険も伴うことになります。さらに、普段は問題がなくとも、暴風雨が枝や幹を容赦なく打ちつけることで、折れる裂けるという危険が増大することになるのです。実際に2014年8月に、和歌山県に上陸した台風では、収穫間近の川中島白桃に壊滅的なダメージを与えることになりました。実った実が落ちるばかりか、実の重さの分、上へ伸びている枝を支えきれず折れやすく、そこから幹が裂ける事態に陥りました。それでもなお、豊田屋さんがこの仕立てにこだわる理由は、兄の壮大なる目標を達成するためです。

 さらに、桃の樹の周りは草ぼうぼう。つまり、除草剤不使用は一目瞭然。この一年中生い茂る草の中にこそ、生きとし生けるものにとっての自然界のサイクルが存在しているのです。食し食されまたは共生と。この自然環境を造り上げることは、全ては土作りに起因します。その結果、個々が持っている病虫害への抵抗力を引き出すことになるのです。そのため、農薬使用量が激減します。書くと簡単ですが、下草にさえどれほど気を使いながら手入れをしていることか。この環境は、毎年いろいろな野生動物、アライグマ、イタチやキジなどの巣作りの場ともなっているようです。今年はここに珍客が初登場。母猫が出産前から子猫の巣立ちまで草陰に居を構えたのです。猫好きな豊田さん一家が、なにもイジメているわけではないのですが、子猫を守る母猫にとっては人の気配は一大事。桃のお世話に何度となく近寄る度に「怒られました~」とのこと。近隣の畑や山里から多くの可愛いお客様が毎年やってくることも、豊田屋さんにとってはホッとする楽しいイベントだといいます。

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 2018年の和歌山県紀の川市は、「モモ穿孔(せんこう)細菌病」が蔓延しています。この細菌病は桃栽培者にとって悩みの種、というのも風雨によって感染していくのです。枝に感染し越冬したものは春に枝を枯らし、春の小さな青果に感染したものは、熟していく果実の果皮を穿(うが)つ。果汁が豊かなだけに、表皮の裂け目から果汁をたらし別の病原菌を誘引します。この厄介な細菌病に、豊田屋さんの白桃は農薬の力借りずに果敢に対抗しているのです。そう、こだわり抜いた土作りがあったればこそ、強靭な桃の樹となる。さらに、豊田屋チームが、丹精込めて手間暇惜しまず桃に向き合ってきたからこそ、桃の樹が健全な生育で応える。もちろん、美味しさ面でも応えています。Benoitで11階に上がる際に、パティシエルームをガラス越しに望むことができます。そこに豊田屋さんの白桃が、デザートになるのをまだかまだかと待っている姿を目にするかと思います。その表皮にポツリポツリと赤い斑点があるものを見かけるかもしれませんが、これは消毒を使っていない証です。

 春には桃源郷の様相を呈する豊田屋さんの桃畑、生い茂る腰の高さまで伸びた草に囲まれた環境は、まさに生き物の楽園です。その地で育まれた桃が美味しくないわけがありません。豊田さんからメールが届きました。カブトムシやクワガタが美味しそうに桃の実にしがみつき、その果汁を楽しんでいますと。すぐに引きはがして!というのが自分の感想ですが、豊田さんは共存・共生を信条にしているからこそ、「虫たちへの分け前ですよ」と言っています。未だ達していない「桃の無農薬栽培」に、もしかしたら彼らが導いてくれるのかもしれません。

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 終わることの無い病害や避けることのできない暴風雨に、何度となく心折れることがあったことでしょう。しかし、彼は諦めることなく目標に向かい続ける、なぜでしょうか?目の前に、先祖代々引き継がれてきた桃の樹があるから。そして、その先に桃によって口福なひとときを楽しむ皆様の姿があるからなのではないでしょうか。

 

以下は桃の余談です。

 悠久の時の流れを遡り、日本で最初に登場したであろう国家らしき「邪馬台国」。小学校で学ぶ日本の歴史に登場するこの名称を、知らない人はいないのではないでしょうか。いまだ謎のベールに包まれ、いったい日本のどこにあったのかすら、未解決。その有力候補と地として名が挙がるのが、奈良県桜井市で見つかった「纏向(まきむく)遺跡」といいます。難解な漢字を使う名称だけではなく、不可解な点が多いのがこの遺跡なのです。人々が集まる地だからこそ、文化文明が生まれるもの。しかし、この遺跡には人の住んでいた形跡がなく、まさに古墳群によって形成されたかのような場。そこからは貴重な出土品が多くすべてを鑑みると、ここは祭祀の場であっただろうと。そして2010年、3世紀に掘られたであろう土坑という穴から、2,000個にも及ぶ桃の種が見つかったと発表がありました。

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 中国が原産という「桃」の樹は、実を食用としてというよりも、何か不老長寿の薬効を含み、百鬼をも退かせる呪力が宿った仙木だと信じられていたようです。この古代中国の思想とともに日本に持ち込まれたようで、日本の誕生を書き記した「古事記」によると、黄泉国(よみのくに)にいる愛する妻イザナミノミコト(伊邪那美命)に会いに赴いた夫イザナキノミコト(伊邪那岐命)が、約束を破り妻の変わり果てた姿を目にしてしまう。怒り心頭に発したイザナミノミコトは、逃げるイザナキノミコトを見るも恐ろしい醜女(しこめ)に追わせるも失敗。そこで、八種(やくさ)の雷神(いかづちがみ)と、1,500にも及ぶ黄泉の軍勢を差し向けました。命からがら、黄泉国の出入り口である黄泉比良坂(よみひらさか)に達したとき、近くに育っていた桃の樹から得た桃の実3つを追手に投げつけることで事なきを得たというのです。ほぼ同時期に編纂された「日本書紀」にも、多少の違いこそあれ、同じようなことが記載されています。

 纏向遺跡の土坑一か所から2,000個の種が見つかりました。このような大量の種が出てくる事例は他にはありません。かつて、この場で大規模な神事が執り行われた証ではないのか、そのような歴史ロマンに魅せられた人々が、太古の雄大な夢を想い描きながら集う場所でもあるのです。そう、全ては桃に邪鬼を祓う力が宿っていると信じられていたために、その樹や実が、古代祭祀の道具や供物として使われていたからという理由に他なりません。

 今でもこの名残を残しているものが、2月3日に執り行われる「追儺(ついな)」という宮中行事です。我々には「節分の豆まき」の日ですが、このルーツともなる神事だといいます。季節の変わり目が「節分」、新しい季節を迎える前に今の季節の厄「鬼」を祓うため、「桃の樹の弓で、葦(あし)の矢を射る」というのです。五穀や小豆をまくこともあったようで、これが我々馴染みの節分の豆まきとして今に至るのでしょう。鬼(厄)を退治する(祓う)といえば、我々に馴染みも「桃太郎」の昔話。なぜ桃から生まれたのか?もうお気づきかと思います。諸説あるかと思いますが、このお話は納得していただけるのではないでしょうか。

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 「桃」の後に、中国大陸からもたらされたのが「梅」です。今、庭木や公園など其処彼処で目にすることができる「梅」に対して、「桃」はそこまで版図を広げていません。花も美しく香りも芳しい、まるで「桃源郷」を夢想させ、美味しい果実を実らせるにもかかわらず。同じような境遇は日本の春を代表する固有種にもあります。「桜」と「椿」です。万葉の時代で「花」といえば「梅」、平安時代には「花」は「桜」のことを指し示します。大輪で美しく咲き誇る椿は、実からとる椿油は、行燈に使用され夜を照らす。さらに髪のお手入れに利用するのは今も変わりません。なぜ桃と椿は?意外な共通点がありました。

 「椿」という漢字は中国に存在はしていますが、日本のツバキのことではなく、霊木の名を指し示すといいます。日本の古人は漢字を取り入れ、日本風に解釈し「読み」を作り上げました。このような漢字を「国訓」といい、椿はその代表例でしょう。日本書紀の中に、椿の杖で土蜘蛛を退治する話が登場します。古来から霊的な力が宿っていると考えられていたのです。この、なにかしらにこの霊力が宿っていると言われていたからこそ、人々が簡単に扱うことに畏怖の念を抱いていたのでしょう。歴史を紐解くと、桃と椿が馴染み深い樹となるには江戸時代まで待たねばらないようです。

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 桃、桃と話を書いてきましたが、前述した昔話「桃太郎」の絵本を時間のある時に手の取っていただきたいです。見ていただきたいのは「桃の形」。今、巷にあふれる桃とは形が異なり、まんまるというよりも、先のとがった形をしています。形はスモモに近いでしょうか。古来、中国より持ち込まれた桃が、北方系の品種らしく、この果実の形が桃太郎の桃。昔に描かれた桃の画もまた同じです。明治に入り、南方系が日本に届き、偶発実生(意図的ではない自然の交雑から生まれた品種)によって生まれたのが、今の「まん丸の桃」の原型だと言われています。

 「桃の形」、子供の絵本とはいえ歴史考察の上では貴重な資料なのかもしれません。そういえば、纏向遺跡のある奈良県の隣は和歌山県紀の川市は県の北側に位置しています。今でこそ県境の線が引かれていますが、昔はなかったでしょう。もしかしたら、何かしらの繋がりがあったでしょうか。桃が古代の歴史を物語るかもしれません。方言もそうですが、身近なものにこそ歴史を探るヒントがあるのではないでしょうか。

 

 いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。「長々と文字が続くメールを、いったい7月は何が特選食材なのかと思いを馳せながら読み進める、これがまた北平が語りかけてきているようで退屈しないものだ」と感じていただければ幸いです。

 

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、そして新しい人生の門出を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com