kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoitシャンパーニュパーティ「DEUTZ(ドゥーツ)」のご案内です。

 猛烈な勢いを保ったまま台風19号が、静岡県から上陸し、暴風雨をまき散らしながら岩手県沖へと抜けていきました。前回の台風15号の教訓もあり、用心に用心を重ねたことと思います。しかし、自然の猛威にはなすすべもなく、ただただ何事もなく通り過ぎること祈るのみでした。皆様が台風の惨禍を被ることなく、無事息災であることを信じております。

 

 セリから始まりナズナに続く「春の七草」は、暗唱できる方も多いのではないでしょうか。では、「秋の七草」はというと、なかなか思い浮かばないものです。意外なことに、秋の七草の方が、先に世の中にお目見えしているのです。時代は万葉の時代まで遡ります。彼の時代に家屋から景色に、アスファルト舗装などあろうはずもなく、集落から少し歩み出れば大草原があり、その先には里山が広がっていたことでしょう。そこに、咲き誇る花々の中から、秋の風情にぴったりなものを数えてみると7種あったのでしょう。

秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七草の花 

萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) なでしこが花 をみなへし また藤袴(ふじばかま) 朝顔が花

   山上憶良万葉集より」

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 秋の七草の筆頭に上がるのが、「萩(はぎ)」の花。しかし、ハギは草ではなく樹です。太い幹を持つわけではなく、低い背丈に枝垂(しだ)れる枝なみを見ると、草のように見えなくもない。これほど自然の機微を、見事なまでに歌いつづる山上憶良が、気づかなかったのか。はたまた、かつては草という概念の中に樹が存在していたのか。どんなに自分が詮索したところで結論が出るわけなく、彼が「萩を七草に加えた」ことは周知の事実。さらに、萩を筆頭においたことは、秋を彩る可憐で美しい花として、身近に目にすることができたからでしょうか。

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 二番手に名を上げるのは「尾花」。これは、芒(すすき)です。花のように見えませんが、立派な小さな花の集合体。稲穂に似ていることから、豊穣を祝う新嘗祭(にいなめさい)や十五夜のお月見などにも欠かすことのできない、今でも秋を代表する花ではないでしょうか。毛がふさふさの尾のように見えることから「尾花」とは、名付けの妙というものでしょう。

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 さて、草冠に秋と書くだけあって、万葉の時代から秋の代名詞的な花だった萩の花。この字は、日本人が考え出した「国字」と思いきや、実は「国訓」だったのです。国字とは日本人が作り出した漢字で、国訓は既に存在する漢字に日本人が新たな読みを加えたもの。中国には、キク科の多年草であるヨモギの類のことを指し示す「萩(しゅう)」という漢字がすでに存在していました。日本のハギはマメ科多年草であり別品種です。古人は中国から伝来してきた「萩」の漢字に、日本のハギの美しさを見出したのでしょう。「萩(しゅう)」に「はぎ」という読みを当てたのです。「中国の萩」と「日本の萩」は別物なのです。

 もう一つ、我々が間違えやすい漢字に、「荻(おぎ)」があります。「萩」と「荻」は、ついつい書き間違いや読み間違いをしやすいもの。「荻」はイネ科のススキ属に分類されています。自分を含め、あまりにも姿が似ているため、ススキとオギを混同している方も多いはずです。オギは湿地帯で地下茎を伸ばすように生息域を広げ、ススキは乾燥土壌を好み、株を大きくしていくように成長していきます。しかし、ススキは湿地にも生息しているという。あまりにも姿が似ている「荻(おぎ)と芒(すすき)」。ともに、今の時期になると、其処此処で目にすることができます。

 山上憶良が、七草に数える最初の「萩」と「尾花(芒)」。ここに「荻」を加えないところに、彼の我々への「問い」が隠されているのかもしれません。言うなれば、深まり行く秋を代表する「萩・芒・荻」の花々、この違いを問うている。昔懐かしいコマーシャルではないですが、「違いの分かる男(女)」の言葉遊びでしょうか。余談ですが、苗字で「萩原」「荻原」はありますが「芒原」は聞きません。萩も荻も野原一面に広がるようですが、芒は局地的に密集するようです。そんな先人たちの見識が、この苗字に隠れているのかもしれません。下の画は、「芒」か「荻」か、さてどちらでしょうか?

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 有史以前から存在していたであろうワイン。収穫したブドウを、保管しようと器の中に入れることで、果実が圧し潰される、すると、果皮に付着している天然酵母が発酵を行うため、人類が最初に口にしたアルコール飲料ではないかと言われています。ブドウは液果に分類されるほど果汁に富んでいます。そのほとんどが水で数%の成分の違いが、ワインの品質に左右するというのです。ワインの造り手は、飽くなき探求心と弛まぬ努力を、この数%の僅かな違いに、まさに心血を注いできたのです。どんなに醸造技術が発達したとしても、最高のブドウ果実を無くして最高のワインは生まれません。5の能力のブドウから10のワインは、魔法でもかけない限り醸せません。例外はありますが、何も加えずに造られるワインだからこそ、素材そのものが重要なのです。さらに、10の能力のブドウから5のワインが生まれることは往々にしてあること。そのため、ヴィンテージが云々、造り手が云々と語られる所以はここにあるのです。

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 1838年、ウィリアム・ドゥーツ氏とピエール・ユベール・ゲルデルマン氏によってピノ・ノワールの聖地、シャンパーニュ地方・アイ村に設立された、シャンパーニュ・メゾン「DEUTZ(ドゥーツ)」。テロワールを重んじ、自然との紙一重の攻防を繰り広げ、妥協のない手間暇をかけて見事なまでの果実を育て上げ、さらに厳しい選別を乗り越えた高品質のブドウが、シャンパーニュという至高の飲物へ醸される。そして、厳しい選別の末に、年ごとにDEUTZの名を冠するに値するものだけを世に解き放つのです。1993年には、大手メゾンのルイ・ロデレールの傘下に入ることで、積極的な設備投資が行われ、調和された完璧なフィネスと複雑性を持ったシャンパーニュとの賞賛を得るに至ります。この立役者となったのが、1996年にCEOに就任したファブリス・ロセ氏です。

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 所有する畑は42haに及び、シャンパーニュ生産量の35%が自社畑。それ以外のブドウは、優良な農家との長期契約により、毎年高品質のブドウを確保しています。特級畑の比率は、シャルドネ種98%、ピノ・ノワール種99%、ピノ・ムニエ種97%と、平均で97%にいたります。熟成に必須な地下セラーは、最深部で65mともなり3kmの長さを誇ります。温度11℃に湿度95%を通年にわたり維持しているこの地下セラーは、常に足元が濡れているのだといます。

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 このDEUTZのシャンパーニュを、皆様に十二分にお楽しみいただきたく、来たる10月29日にファブリス・ロセ氏をBenoitへお迎えし、皆様に美味なる理由を語っていただこうと思います。彼がコンセプトに大きく関わった「アムール・ド・ドゥーツ」は多くのシャンパーニュファン憧れの1本。それを含むドゥーツ社の誇る5種のシャンパーニュをご用意いたします。DEUTZの魅力を十二分にお楽しみいただける、またとない機会です。

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Benoitシャンパーニュ・メーカーズディナー「DEUTZ(ドゥーツ)

日時:20191029()18:30より受付開始 19:00開演

会費:18,000(ワイン・お食事代・サービス料込、税別)

※ご予約を受け付けております。電話もしくは、Benoitへメールにてご連絡をお願いいたします。質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせ、もしくは返信をお願いいたします。

www.benoit-tokyo.com

ラインナップ

NV Brut Classic

2012 Brut Vintage

2009 Amour de Deutz

2007 William Deutz

NV Brut Rosé

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 日本のテロワールテロワールとは、その土地をとりまく自然環境であり気候風土のこと。地方地方で違うのはもちろん、細かく言うと畑の場所場所で違ってくるといいます。斜面や平面、土壌や土壌微生物などもひっくるめて、間違いなく同じ環境などありえません。ブドウの品質に差異が生じるのは、このテロワールが大きな要因である、とはワイン愛好家の常套句でもある便利な言葉です。日本人の場合、「お米」が分かりやすいかもしれません。コシヒカリという品種は、日本全国津々浦々で栽培されていますが、地方ごとに味わいに違いがあります。米どころ新潟県に限定しても、各地区だけではなく、同地区でも田ごとに違いがあり、格付けがなされています。日本でもテロワールという概念は古来より存在していました。土があり、四季折々の風が吹く、テロワールとは「風土」ということなのではないでしょうか。そして「風土」が育んだ味わいが「風味」となるのです。

 ロセ氏の手の下でどのようなシャンパーニュへと醸されたのか。彼はどのような想いをシャンパーニュに込めたのか。ワインを通して、さらに彼の話の中に見出すことの楽しみをお届けしたいと思います。それぞれのシャンパーニュは、何を我々に語るのか?料理とのマリアージュが、お互いの美味しさをどれほど引き立たせるのか?綿々と受け継がれてきた伝統に、ロセ氏の弛むことのない努力と飽くなき探求心を、経験に裏打ちされた匠の技と感を、そして揺るがぬ自信と誇りを、この一夜限りのディナーを通して美酒に酔いしれながら実感してみませんか。10月29日は最高の出会いをお約束いたします。この夜を境に、DEUTZの「違いの分かる男(女)」とならんことを望みませんか?

 

 世界一の収量を誇る果物は、「ブドウ」です。もちろん、生食と加工用を含めてです。世界規模で栽培されているだけに、その歴史は深く、紀元前3000年前には、黒海カスピ海沿岸ではすでに栽培化が成されていたといいます。文明の伝播が、そのままブドウ栽培地という様相を見せる中で、ローマ帝国時代に加速度的に版図を広げたのだといいます。彼の帝国が崩壊すると、ブドウ栽培の伝道者としての役割を担ったのが「修道士」でした。

 キリスト教を布教する目的で、イタリアからフランスへ、プロヴァンス地方を境に、さらに北へ西へと向かっていきました。その際に、拠点となる教会を中心に街を造り上げ、周囲には神聖なる「ワイン」を醸すために葡萄を植え付けていきます。しかし、肥沃な土地は葡萄など植えることなく作物を育て、民に食を提供しなくてはなりません。自給自足のできる農業国フランスとはいえ、昔々はまだまだ未開の地。生きるための糧こそ、まず先に確保しなければなりません。嗜好品のワインは「二の次」だったはずです。そこで、他の作物に比べ屈強な葡萄は、斜面や他の農作物が育たないような不毛の地に植えられることになりました。これが、今のワイン産地の礎を築くことになります。

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 過酷な環境でこそ高品質の葡萄が育つとは、今でこそ周知の事実です。かつては、生きるために必要不可欠な食料を確保しなければならない、その糧が育てられない「不毛な地だからこそブドウしか植栽できなかった」。斜面や地盤の緩い危険な地もあったことでしょう、過酷な環境の中で開拓を進めていったのです。彼らは、試行錯誤を繰り返すも、情報が無い中で多くの生死を分かつ失敗もあったことでしょう。そして、確たる情報もない中で、土壌ごとに適した品種を選び植えつける。先人たちの苦悩と苦労は計り知れません。フランス中央のブルゴーニュ地方を過ぎ、さらに北へ北へと向かった修道士達が行き着いた地は、霜(しも)や雹(ひょう)などの冷害と紙一重の厳しい自然環境もった地、フランス最北の地、シャンパーニュ地方です。

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 ワインを作るのに不可欠なものがブドウです。厳冬を乗り越え、休眠していた樹が目覚め涙する。ほっこりと芽吹き、可憐な花を咲かし小さな緑色の実を成す。葉は緑美しく太陽の恩恵を受けようと広く大きく成長し、夏場の陽射しを十二分に浴びる。白ブドウは透明感のある黄金色に、黒ブドウは色濃く美しいルビーの色あいに、これぞ完熟の証。一年間の弛まぬ努力の成果が秋に収穫という形で訪れます。そのブドウ栽培が、どれほどの苦労と労力を費やし、天候に左右されることか。

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 フランスに限ってみてみると、南の地よりも北の地の方が植えつかれているブドウ品種数が少ないと思いませんか。「品種を選び」と書きましたが、昔は今のような品種の知識はなかったはずです。南より修道士が持ち込んだブドウの品種は、今でいう多種にわたっていたはずです。それを植栽するも、厳しい環境に適応できずに枯死することで淘汰されていきます。生き残った中から、さらに優良株を選別し植え付けていったはずです。結果的に、それが同じ品種であり、「それぞれの地に適応した品種」という形で今なお残っているのです。南に比べ北に向かうほど品種が少なくなる理由は、このあたりに理由があるのかもしれません。

 

 抗することのできない自然の災禍は、何も葡萄に限ることではなく、農産物、海産物全ての産物に当てはまること。古今東西を問わず、刻一刻と変わる天気に一喜一憂することばかりではなく、絶望の淵に立たされるほど自然に打ちのめされることもあったでしょう。それでも、人類は諦めることなく試行錯誤のなかで継続することを選びました。なぜでしょうか?全て美味しいものを育て上げること、手に入れること。その先に、皆様の「口福な食時」のひとときがあるからに他なりません。計り知れない苦労と心労の中で手に入れた産物は、どのような姿に変えようとも、美味しくないわけがありません。生きとし生けるものは、食べなければ生きてはいけません。誰かが丹精込めて育て作らなければ食物を食べることができません。「いただきます」と「ごちそうさま」に込められた感謝の気持ち。これがために人々は頑張れるのかもしれません。

 

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com