kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

「サクラマス」と「サケ」に想うこと。

サクラマス

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 知っているようで知らない魚なのではないでしょうか?鱒(ます)という大きな分類の中に、鮭(さけ)があるのかと思っておりました。飲食を生業としながら、この認識の甘さに大いに反省させられることになります。さらに、調べれば調べるほどに、簡潔明快に説明できなくなるという、やっかいな「鮭と鱒の違い」です。

 魚類の分類の中には「サケ目」というものがあります。そして、それに続く「科」は、「サケ科」と、「サケ亜科」というものがあります。1735年に出版された「自然の体系」を出版した「分類学の父」、カール・フォン・リンネから、歴代の賢人たちが「生物を分類する」ことに、今も挑戦し続けています。彼らの英知の結晶である今の動植物の分類では、大きなカテゴリーから「目」「科」「属」と枝分かれしてゆく。

 順調に見えた、この分類も自然界はそう易々と称賛の声を上げることはないようです。身体的特徴や習性の酷似は否めないが、知れば識るほどに微妙な違いがある種がいた。苦悩の末に、彼らが結論付けたのが、「科」と「亜科」という分類方法でした。

 さて、「サケはサケ目サケ科」で、「サクラマスはサケ目サケ亜科」です。さて、この違いはいかに?

 

 サケ目の魚は、北半球の淡水と海の表層に約70種類、日本には16種類が生息しています。凛々しい姿の真鯛の背びれは、とげとげしく、捌く時に注意しないと手に突き刺さるほど、これが「棘条(きょくじょう)のヒレ」です。サケ目の特徴としては、「棘条(きょくじょう)」ではなく、軟条というしなやかな背ビレ。そして、「脂ビレ」があります。卵生で、淡水に産卵する。淡水魚なのか?というと、そうでもない。それよりも気になる「脂ビレ」とは?下の画像は、「サケ目サケ亜科」のヤマメです。どれが脂ビレでしょうか?

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 下の画像で、矢印の指し示した、背ビレと尾ビレの間に、ちょこんとしたものが「脂ビレ」です。ご先祖が活用していたヒレが、今に遺ったのか。いまだに謎が多い脂ビレで、流れの早い河川に生息する魚に、このヒレを見て取れます。やはり、生物学者の方々が研究をしているようで、このヒレを切り取ってしまうと、切らない魚よりも尾ビレの運動回数が多くなるという結果がでたといいます。瞬発力を生かして獲物をとる魚と違い、流されないように泳ぎ続ける魚にとっては、体力温存という役割を担う重要なヒレのようです。

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 上の画像は「ヤマメ」と紹介いたしました。なぜ、この魚が登場したのか?それは、「ヤマメ」と「サクラマス」は同じ魚だからです。サケ目の仲間は、淡水で産卵します。孵化(ふか)して河川にとどまっているものが「ヤマメ」。「ヤマメ」が海へ下っていったものが「サクラマス」です。河川で生活するときには、体にパーマークと呼ばれる暗色の大きな模様があり、海洋生活に入ると、体色は銀色となり、成長が早くなるため大型の魚体へと変貌します。

 「ヤマメ」が、河川に居残ったもの、「河川残留型がヤマメ」。海に下り、大きく成長して川に遡上(そじょう)する「降海型サクラマス」です。その、遡上の時期が「桜が笑う」頃なので、名付けられたといいます。いつも自分が間違う「ヤマメ」と「イワナ」。イワナはサケ目サケ亜目と、ヤマメと同じ分類です。しかし、進化の過程で海に下りてゆかなくなり、このタイプを「陸封型」と名付けました。サケとは身体的特徴が同じにもかかわらず、陸封型なのでサケ亜科である。これはおおいに納得です。では、降海型の「サクラマス」はサケ目サケ科に属しても良いのではないか?

 前述した通り、ヤマメとサクラマスは、もともとは同じです。一部が河川残留型であり、他方が降海型である。ここがポイントでした。サケは、すべて降海型。さらに、サケは孵化してから川底にたたずみ、母親から譲り受けたお腹にある栄養袋を活用し、数cmまで成長した後に、海へと旅立ちます。そう、孵化した稚魚がすぐに降海するのがサケです。サクラマスは、1年半ほども河川で「ヤマメ」として、成長した後に、海へ旅立ちます。「サケ科」には分類できない違いが、ここにありました。

 

 サクラマスは、1年もの間、大海原海での回遊の後、翌春に母川(ぼせん)に遡上します。秋に産卵活動をするまでの間はエネルギーの消費を抑えるため、淵などに潜みほとんど動かないとされています。一説には河川に戻ってからは餌を食べないそうです。遡上してくる時期とは、海で美味しものをたらふく食べて蓄えてきたということ。まさに旬の時期であり、この時期が一番美味なのでしょう。

 「ヤマメ」と「サクラマス」の関係は、他にも見ることができます。太平洋側では神奈川県以北、日本海側では島根県以北の川を生息域にしているのが「ヤマメ」であれば、それ以南の川には「アマゴ」がいます。この「アマゴの降海型はサツキマス」です。琵琶湖に生息する「ヤマメ」の降海型は、琵琶湖固有種「ビワマス」です。

 

 ここから、皆様を混乱の渦中へと誘(いざな)おうかと思います。

 食卓にのぼる「紅鮭(べにざけ)」。品種名は「ベニザケ」です。皆様、名前に「鮭」「ザケ」とある通り、サケ目サケ科とお思いでしょう。サケ目なので、淡水での産卵ですが、サクラマスが河川を生息域としているのに対し、ベニザケは湖沼です。湖沼滞在型は「ヒメマス」。というわけで、ベニザケはサケ目サケ亜科。いうなれば「鱒」ということ。

 釣り堀などでも名を聞く、北アメリカ大陸原産の「ニジマス」。日本では馴染みはないのですが、降海型は「スティールヘッド (Steelhead)」と呼ばれています。このニジマスを、海で養殖したものが「トラウトサーモン」です。このトラウトサーモンは、品種名ではなく、商品名。「トラウト(鱒)」と「サーモン(鮭)」という、このような話を書いているために、「どっちなんだ!」と言いたくなります。もちろん、ニジマスはお察しの通り、サケ目サケ亜科です。

 

 「鮭」と「鱒」の関係性を、少しばかりご理解いただけたのではないでしょうか。稚魚全てが海に下りてゆくのが「サケ目サケ科」が「サケ」河川や湖沼を生息域にしながら、一部が海へ下りてゆく「サケ目サケ亜目」が「マス」。例外はあるかと思いますが、誰かに聞かれた時の、参考にしていただければ幸いです。

 「鮭」と「鱒」の関係は、鮭の中に鱒が含まれるようです。個人的には、「鱒」の中に「鮭」が分類されるほうが良い気のするのですが、そのあたりは素人の自分が云々というべきことではないでしょう。分類を行う上での慣習であったり、当時に名の知れ渡っているものを、上位に名付けたのではないか、そう思う今日この頃です。あくまでも私見ですが…

 

 前述した「脂ビレ」を持つ仲間に、「アユ」と「ワカサギ」がいます。前述のサケ目とは別の「キュウリウオ目」です。なぜこの話をしたかというと、キュウリウオの仲間は、沿岸で成長し、産卵のために河川や湖沼に遡上(そじょう)します。ところが、サケ目とキュウリウオ目では、大きな違いがあるのです。

鮎は清流を探し遡上します。鮭()は生まれた川である母川に遡上します。

 

 ここに着目して、世界初の鮭の自然繁殖法である「種川(たねがわ)の制」を確立した人物がいます。新潟県村上市を流れる「三面(みおもて)川」は、サケが遡上する日本有数の川の一つです。彼の地に登場するのが、青砥武平治(あおとぶへいじ)という人物です。

 時は江戸時代中期の頃、天候不順によりコメの不作が続くことになり、越後村上藩の財政はひっ迫し、鮭漁に頼らざるをえなくなります。何かしらの海に事情があったかもしれませんが、この乱獲に漁獲量を激減させたことは間違いないでしょう。他の魚と違い、鮭は母川に還(かえ)ってくるのです。大海原に旅立つ稚魚がいなければ、還ってくるわけがありません。

 このサケの「母川回帰」に気付いた村上藩士である青砥は、得意とする土木技術を駆使し、三面川本流に中州を造るようする。本流から分岐し、本流の脇を平行に流れ、また合流する支流を造り上げたのです。この支流では、川の流れを阻害しないように蔦(つた)や柴で柵を設置し、遡上してきた鮭を囲い込むようにします。砂利の川底をこしらえることで、鮭の自然産卵を促したのです。

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 この支流は「種川」と呼ばれ、鮭の自然孵化(ふか)を見事に実現させました。さらに、乱獲を防ぐのはもちろん、鮭の稚魚が海に降り立つ時期に、川の漁を一切禁止することも忘れません。鮭の特性を識り、環境を整えることで鮭に寄り添う。そして、稚魚が三面川の流れの身をゆだね、大海原へ旅立つことを見守る。自然の理(ことわり)に習い、従うことで実現した、太平洋という生簀(いけす)を利用した、壮大な規模での養殖事業。これが、「種川の制」です。

 これを、越後村上藩の下級藩士であった青砥武平治が、やってのけたのです。この功績は、もちろん青砥の功績ではあるのですが、村上藩の人々の並々ならぬ努力と忍耐を要したはずです。結果として現れるのは3~5年後のこと、不作により生活の困窮を、青砥を信じ耐え抜いたのです。この鮭への想いは、今の新潟県村上市の鮭文化として連綿と受け継がれているのです。

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 上の画像は、村上市の風物詩ともいえる、伝統の「塩引き鮭(しびきさけ)」作成中の一コマです。しっかりと「脂ビレ」が見て取れます。日本の鮭と言えば、この「シロザケ」のこと。ここ村上では「いよぼや」と、北海道では「あきあじ」などと呼ばれています。正真正銘の「サケ目サケ科」です。

 鮮度抜群の鮭は、丁寧に水洗いされ、ワタを抜き、たっぷりの塩でもまれます。数日後に、清らかな水で洗い流し、軒下に吊るされ、そのまま時を過ごします。腐らないのか?しっかりともみこんだ塩と、村上市の独特の気候が、鮭を腐らせないのです。さらに、日本海から吹きすさぶ冬の暴風と、まわりに降り積もる大雪が、湿度と天然の冷蔵庫のような冷気をもたらし、彼の地特有の熟成を生み出すのです。

 熟成途中で食べても美味なり。時がたつことで、身から水分が抜けると同時に旨味を有していきます。これも美味なり。さらに、夏を迎える頃には、黒々しく光沢があるほどの身が締まり硬くなります。これは「鮭の酒浸し(さかびたし)」と呼ばれる珍味です。そのまま、スライスしても食べても良し。名前の通りに地酒をふりかけても良し。ちなみに、村上市の地酒は「〆張鶴」と「大洋盛」です。

 ご紹介した、塩引き鮭の画像は、専門店で撮影したものではなく、一般家庭で撮らせていただいたものです。見る人が見るとすぐに気づく違いがある。画像では、がっぱり腹が開かれ、乾燥しやすいように木の棒で開かれています。もとは村上城を中心に拓かれた城下町です。武士にとって、がっぱり腹を掻っ切ることは、なにか縁起が良くない。

 そこで、この切腹を思わせるような行為を、控え目にしようと考えたのです。がっぱりではなく、腹の真ん中の部分をつなげたまま、前後2か所を切り開くのです。これが、村上藩の伝統の捌き方といいます。お家では面倒な上に、作業の効率から、がっぱりいきますが、今でも市内の専門店では、この捌き方を貫いています。

 これほどの歴史的な伝統があるからこそ、鮭への愛情も一入(ひとしお)ならぬ、八入(やしお)といいたいほどです。頭の先から尾ビレまで、残すところがないのではと思うほど、全ての部位に伝統料理が今なお健在です。鮭の「かぶと煮」になどは序の口で、額の辺りは「氷頭(ひず)なます」、えらは「かげなます」、中骨は「どんがら煮」、皮は「皮せんべい」、腎臓の塩辛「めふん」、「どんびこ(心臓)の塩焼き」、胃袋や肝臓などは「わた汁」などなど。

 

最後に、村上市三面川を、冬に撮影した1枚です。何の目的でこの画を撮ったのかお分かりですか?かなりの難問です。

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 案内していただいたのは、鮭獲りのプロの方。指さす方を見るも、何が何だかさっぱりわかりませんでした。ヒントは赤丸の場所です。

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 自分が素人のカメラ愛好家であることお許しいただきたい。「偏向グラス」を通すと見えてくる、川底に白く浮かび上がる場所があるのです。画像からでも、赤丸の箇所は、他とは違って白っぽく見えませんか?3年前に、いや5年前かもしれない、旅立った鮭が、母川に還ってきた証です。

 メスが必死の想いで、その名の如く、必死の思いで、川底を産卵に見合うように、砂利を掘り起こした場所なのです。そして、この地で息絶えた両親の面影を追うかのように、春には稚魚が大海原へと旅立ってゆくのです。

 

 明治の時代を迎え、鮭の研究が進むことで、人工孵化が成功しました。今では村上市の鮭の保全事業は、この人工孵化にとって代わっています。しかし、人工孵化の技は、上述した「種川の制」から、ゆうに100年の時を要したことを忘れてはいけません。村上藩の一藩士である青砥が、施行したこの自然孵化増殖が、どれほど重要なことであったことか。今なお引き継がれる村上市の伝統に垣間見ることができます。そして、村上市三面川沿いには「イヨボヤ会館」が設置され、青砥の偉業を我々に教えてくれています。

 今回の「新型コロナウイルス災禍」が終息を迎えた際には、ぜひ足の赴くままに、新潟県村上市へ「鮭の伝統」を見聞するのも一興ではないでしょうか。もちろん、他にもお勧めしたい場所は多々あります。美味しい料理や地酒も。旅行の際に、「鮭」を「しゃけ」と読むことなかれ。本場の村上では、「鮭」は「さけ」と読み、我々がつい声に出してしまう「しゃけ」は、彼らからすると方言です。

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

終息の見えないウイルス災禍です。皆様、油断は禁物です。十分な休息と睡眠、「三密」を極力避けるようにお過ごしください。「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、笑いながらお会いできることを楽しみにしております。

皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com