kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

翠の叢に咲く「忘れ草」のご紹介です。

 陸路であり海路であり「道」の誕生は、人と物が行き交うことを容易にしました。積極的な交易は、人と物の移動にとどまらず、美味しい実りをもたらすものや、観賞用の草木にまで及びます。この人々の移動は、文化や芸術を伝播(でんぱ)させてゆくことにもなります。

 花言葉という文化は、ヨーロッパが発祥で、19世紀ほどに世界中へと広がり伝わったようです。花の好みこそあれ、どの国や地域に行っても、「花を愛(め)でる」という感覚があったはずで、この文化が書く国や地域に浸透することに、そう苦難はなかったはずです。いったい誰が決めたのか?それでも花言葉は、今なおその陰りを見せることはありまん。

 美しい草木そのものとともに、花言葉が伝来したのか。はたまた、美しい花言葉だからこそ、草木が伝来したのか。何はともあれ、花言葉の文化が浸透することで、ヨーロッパ以外の地域に自生している固有品種にも、花言葉をあてがわれることになりました。そして、地域ごとに根付いている文化とも融合し、同じ草木であっても、意味の異なる花言葉まで姿をあらわしたのです。

 多種多様の花言葉が生まれる中で、花の名前と花言葉が同じという美しい花があります。この花は、言語の違う他国に渡っても、同じ意味の名がつけられているのです。ヨーロッパを原産地とするその花は、中世ドイツの悲しい恋の物語に名前の由来があるといいます。

 騎士ルドルフが、ドナウ河の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタに贈ろうと岸に下りてゆく。花を手に入れるも我が身を河に落としてしまうのです。甲冑を着込んでいるがために、河の水に抗することができず、身を沈めてゆく中で…「Vergiss-mein-nicht !」と叫びながら、摘んだ花を岸へと投げたのだという。彼の最後の言葉を花の名前にしたのだと。このドイツ語の意味は「私を忘れないで!」です。

 英語では「forget-me-not」、フランス語では「ne-m’oubliez-pas」、中国語では「勿忘草」。明治の頃に日本に持ち込まれ、「忘れな草」と命名されました。「勿忘我(私を忘れないで)」という中国語を鑑みると、「忘れないでの草」であり、これを「忘れな草」とするあたりに、類稀なるセンスを感じます。花咲き誇る頃が季語であるならば、この花は「春」です。

 

 時期外れの画像もない花を、なぜご紹介しているのか?実は前述した内容は、前置きでしかありません。「忘れな草」が、「≪私を≫忘れないで」という意味であるならば、日本には古来より「≪私は≫忘れることができません」という、強い思いのこもった花があります。

「忘れ草」

 なんと意味深な名前ではないでしょうか。決して、ドラエモンの未来の道具ではありません。この花を目にすると「憂(うれ)い」を忘れることができる。そのような古人の想いが込められているのです。

 

忘れ草 我が紐に付く 時となく 思ひわたれば 生けりともなし (万葉集 詠者不詳)

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 愛しい相手を忘れようと、着物の下紐に「忘れ草」をつけてはみたものの、この想い消えることなくお慕い続けてしまう日々。あ~生きた心地がいたしません。この自分勝手な解釈があっているかどうかは疑問ですが、この恋心いだく女性の気持ち、いたいほど感じとれませんか。

 防人(さきもり)へと出向く人へ送った歌なのか?いや、文字を書き記せる貴族同志で、地方へ赴任する人へ送ったものなのか?現代のような交通網が整備されているわけではないため、任期中は一時帰郷ができるわけでもなく、今生の別れとなりかねない時代のこと。男女の愛しさは、今も昔も変わらないはずです。しかし、今生の別れともなりかねない彼の時代の想いは、今と比べようのない「重さ」がある。

 梅雨に濡れ、青々しく輝かんばかりに生い茂る翠(みどり)の叢(むら)の中に、鮮やかなオレンジと黄色を基調とした、百合を思わせるかのように咲き誇る大輪の花。これが「忘れ草」です。まさに今この時期に花開いているのですが、身近で見かけたことはないでしょうか。ワスレナグサ属の花で、今は「ノカンゾウ」と呼ばれています。

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 よく漢方薬の中に「甘草(かんぞう)」というものが入っています。これはヨーロッパではレグリースという名称で、お菓子に加えたりする独特な風味の香辛料として親しまれているもの。しかし、この「カンゾウ」とは、まったくの別物。今回の花は、「萱草(かんぞう)」と漢字で書き表し、甘草はマメ科であるのに対し、萱草はユリ科の植物です。

 狭義でのワスレグサは「ヤブカンゾウ」ですが、「ノカンゾウ」はその仲間なり。下の画像が「ヤブカンゾウ」ですが、花の美しい姿を見ると、どうしても「ノカンゾウ」を「忘れ草」と思いたい自分がいます。参考までに、この花の色に見立てたものが、「萱草色(かんぞういろ)」という伝統色です。

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 昔々は、「田植え」は手作業であり、並々ならぬ労力を必要としていました。ホトトギスが田植えの催促を告げる「時鳥」であるように、梅雨明けるまでにこの難儀な作業を終えねばなりませんでした。ノカンゾウが咲くのは、この多忙極める時期です。色恋沙汰にうつつを抜かすわけにもいかず、叶わぬことを知りつつも慕い続けてしまう。

 生い茂る翠(みどり)の叢(むら)の中に、艶やかな萱草色の花が咲き誇る。この美しさに心惹かれることで、憂いや悲しみを忘れることができるのか。あまりの鮮やかであり凛とした姿に、忘れるどころか思い出してしまうのではないかと思う。簡単に忘れることができるのであれば、何もする必要がありません。何か他に行動に移さなければ、忘れることができないほどの恋心を、この萱草の花に託したのでしょう。そして、その想いは萱草色に引き継がれてゆきます。

 この歌は、宮中の陰謀渦巻く世界の上級貴族ではなく、地元に密着した下級貴族たちの「恋文」だったのではないでしょうか。「詠者不詳」だということもその証では。これを相手に送ったとなると、古人のほうが現代人よりも、物怖じせずに、はっきりと気持ちを伝えることに長けていたような気がいたします、それも31文字で。

さて、この詠者。男性なのか、女性なのか、皆様はどう思われますか?

 

 萱草の花は、一日で花を落としてしまいます。それでも、ナンテンの話でも書きましたが、この梅雨時期だからこそ、一斉に咲き誇らずに、順を追って花開いてゆくのは、萱草が自然界の摂理の中を生き抜くための知恵なのだと考えています。もちろん、植物学者ではないので真相は別にあるのかもしれません。散りゆく萱草を愛おしみ、なんだかんだと思いを馳せる中で、7月も過ぎ去ろうとしています。

 そこで、今回皆様にご提案させていただくのが、≪七月尽ディナー特別プラン≫です。Benoitのメニューも、8月に大きく変わります。そこで、7月尽きる前に皆様にお楽しみいただきたく、ディナーを特別価格でご案内させていただきます。詳細は別ブログに書き記しております。以下よりご訪問いただける幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 そう遠くない日に、「マスク無し」で笑いながらお会いできることを楽しみにしております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、熊本豪雨によって甚大なる被害を被った地のいち早い復興を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com