kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

季節のお話「半夏生」~前編~

 まるでセミが催促するかのように、関東梅雨明けを迎えました。梅雨明けしてから、なかなかセミの声を聞かず、なにやら不穏な夏の迎え方をした昨年に比べ、やはり今年はセミが待ちきれないほど梅雨の期間が長かったようです。いよいよ、真夏の到来です。

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 今年の干支である「庚(かのえ)」という漢字を使った「庚伏(こうふく)」という言葉があります。夏の一番暑い時期という意味なのですが…考えすぎでしょうか、今夏は十分な暑さ対策が必要なのかもしれません。

 外すことのできないマスクは、体の暑さを逃す妨げになるばかりか、水を飲む行為すら億劫(おっくう)にいたします。今夏は、意識的にというよりも計画的に、こまめな水分補給と少しばかりの塩分補給をお心がけください。

 

 今回のテーマは「半夏生(はんげしょう)」です。今期の梅雨明けが伸びたこともあり、今更ですがこのテーマを少しばかり掘り下げてみようかと思います。2020年の雑節(ざつせつ)「半夏生」は、過ぎ去りし7月1日です。さて、雑節とは?

 日本の季節の目安として欠かすことのできないものが「春分」や「夏至」に代表される「二十四節気(にじゅうしせっき)」です。その中で、季節の基準となる重要な目安となるのが、昼夜の時間が同じになる「春分」と、対をなすのが「秋分」。太陽の周りを一周する期間を1年とすることは周知の事実。しかし、365日では、徐々にずれが生じてくるために、閏年という仕組みで調節します。そのため、春分秋分にもずれが生じてくるのです。

 そこで、国立天文台が太陽の通り道である黄道と、赤道の延長線上に当たる天の赤道が同じとなる時期、我々からすると太陽が真東から登り真西に沈む時期を、「春分点」を毎年算出し、公表します。これが基準となり、秋分はもちろん、それぞれの節気もカレンダーにあてはめられているようです。とうことは、春分秋分の両日は、変動する祝日となる。この春分秋分の日を中日に前後3日の7日間が「彼岸」です。

 農耕民族である我々のご先祖様は、これらでは物足りないということで、日本の気候風土に合わせた標(しるべ)をこしらえました。それが、「雑節(ざつせつ)」です。前述した「彼岸(ひがん)」も、なんとなく仏教の色濃くインドから伝わったかのようですが、実は日本独自の考え方なため、雑節です。

 雑節は、農や漁を生業にする者のとっては気をつけなければならない日が綴られています。立春から数えて88日目の日の「八十八夜」は、「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」といい、暖かくなったからといって、まだまだ遅霜には気をつけなけなさいと教えてくれる。さらに、210日目は「二百十日(にひゃくとうか)」は、野分(のわけ)が訪れるので海には出るなと教えてくれる。野分とは、いまで言う台風のこと。なんという先人達の知恵なのでしょうか。

 では、「半夏生」とは、いつのことか?さらに古人は我々に何を伝えようとしているのでしょうか?

 

 雑節の「半夏生」は、太陽の軌道が一番長くなる「夏至(げし)」から数えて10日目です。夏至は、一年で一番日中が長く、太陽の恩恵を十二分に受けることができる日ですが、日本は梅雨の最中(さなか)であり、あまりにも実感がわきません。2020年は7月1日にあたります。

 例年であれば、半夏生の後数日内に梅雨が明け、夏の猛暑の到来する頃です。稲作には豊富な水資源が必要なため、梅雨という長雨はまさに天の恵みともいうべきもの。そして梅雨明けと同時にさんさんと降り注ぐ陽射しが成長を促します。そう、かつては早乙女(さ・おとめ)が手作業で行っていました。今の我々が田植え機で行うのとはわけが違い、想像を絶するほどの時間と労力を必要としていました。「ちゅう(夏至)をはずせ、はんげ(半夏生)は待つな。」という言い伝えがある通り、田植えを終えなければいけないと古人が考えた目安が、「半夏生」なのです。さらに、半夏生以降は、「半夏半作」といい、十分な稲穂になるには日数が足りないため、無駄ですよと教えてくれる。

 この田植えの目安以外にも、半夏生の日には毒が降るから井戸に蓋をしろ」やら、「半夏生の日に採れた野菜などは食べてはいけない」と言伝(ことづて)されています。半夏生の頃ともなると、梅雨も後半へと移り、大雨に見舞われることが例年のこと。西日本では、この大雨のことを「半夏雨(はんげあめ)」といい、この雨により川より溢れ出る水を「半夏水(はんげみず)」というのだといいます。

 日増しに暑くなる中で、降り続く雨は、カビや雑菌が繁殖するには好都合であり、疫病が蔓延する危険すらあります。半夏雨により濁流となった川水は、飲み水には適さないほど雑菌を含有していることでしょう。それが、井戸に入り込むことで汚染される。さらに、半夏水となって溢れた水が、病原菌を運ぶ役割を担い、野菜に触れることで、人々の口々へと移りゆく。

 境内に設置された茅の輪をくぐることで、病気や禍を払う。6月の終わりに執り行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」という神事があります。高温多湿に加え、梅雨時期(田植え)の疲れが癒えない中で、無事息災に夏を乗り切ることは、神頼みをしなければならいほどに厳しいものだったことの表れです。

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 古人は、人々に注意喚起を促すため、半夏(はんげ)という植物に毒があることから、この半夏生には「毒がふる」と。さらに、半夏生の時期は、収穫という農作業をせずに、家でゆっくり休みなさい。そして、病原菌の付着しやすい時期だからこそ、「この日に採れた野菜を食べてはいけない」と言い伝えたのではないでしょうか。諸説ある中で、真相は分かりませんが、あながち間違っていることもないかと思います。

 さて、毒だ毒だと迷惑被っている「半夏」という植物。別に半夏にとって毒が有用であるわけでもなく、たまたま人間が口にすると具合が悪いというだけのこと。この可哀想ないや多々ある夏草の中で、歳時記の中に名を遺すいう「半夏」とは、いったいどんな植物なのでしょうか?

 話長くなったので、この「半夏」はどんな植物なのか?続きは次回へと引き継がせていただきます。

kitahira.hatenablog.com

 「半夏生」の与(くみ)する二十四節気の「夏至」の後には、「小暑」さらに「大暑」と1年で最も暑い時期が続きます。暦の上では、すでに「大暑」も末侯となり、まもなく「立秋」を迎えるのですが、今期の梅雨明けの大幅な遅れは、これから猛暑が来ることを教えてくれます。「半夏生」の後に、梅雨明けが訪れることが季節の流れてあるならば、1か月ほどの遅れではありますが、今まさに「半夏生」を過ぎた頃ともいえます。

 カレンダーに頼ることなく、自然の機微を捉えるように、柔軟に対応してゆかねばなりません。猛暑の到来を、古人は半夏生に託したのです。自分の体力を過信し、無理な行動は禁物です。十分な休息と睡眠、こまめな給水をお心がけください。木陰に入り、葉の間を抜ける心地よい薫風、陽射しにきらめきながら重なり合う木の葉、なんと美しい光景か、と夢心地に浸るのも良いですが、夢の(意識の無くなった)世界から抜けることができなくならないよう、ゆめゆめお忘れなきようにお気をつけください。

 

 今年の「庚伏」を乗りきるためにも、旬の美味しいものを食し、十分な英気を養わなければなりません。そこで、Benoitでは、「八月尽」と銘打った特別プランをご用意させていただきいました。詳細は、以下より次のブログをご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

半夏生~後編~」のご案内です。「ハンゲショウ」は「半夏生」?それとも「半化粧」?お時間のある時に、ブログをご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 そう遠くない日に、「マスク無し」で笑いながらお会いできることを楽しみにしております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、西日本豪雨によって甚大なる被害を被った地のいち早い復興を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com