kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoit特選食材「恵那川上屋さんの和栗」のご紹介です。

 毎年のように、秋冬にかけてBenoitのメニューに堂々と名を連ねるデザート「モンブラン」。なんと美しく心に響く音色でしょうか。西ヨーロッパアルプス最高峰のMont-Blancが、このデザートの名前の由来といいます、しかし、どこをどう見てもデザートのモンブランと、山のモンブランでは似ても似つかない、そう思うのは自分だけではないはずです。もしや、。「Mont(山)」「Blanc(白い)」という名だけに、雪を冠した姿は目を見張るほどに美しい。比類なきこのデザートの美味しさを讃えるために、人々を魅了してやまない山の名前をあてたのでしょうか。

 「食材の美味しさ以上の料理・デザートは作り出すことはできない。その食材を生かすも殺すも調理人しだい。」、これが自分の持論です。化学調味料をたっぷり使えば、美味しく感じるものです。しかし、それは化学的に調合されたもので、本来の美味しい料理とは、まったくかけ離れたもの。「料理」とは「理(ことわり)」を「料(はか)る」もの。食材をよくよく理解し、その美味しさである個性を生かすこと。

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 世界に名立たるモンブランとはいえ、主役となる「栗」という食材に個性豊かな美味しさがなければなりません。フランス産の栗ペーストは、確かに美味しいのですが、これで仕上げたモンブランは、どれも画一的な味となります。それはそれで良いとは思いますが、Benoitでは食材にこだわりたいものです。そこで、洋栗ちょいちょい、たっぷり「和栗」でモンブランをこしらえました。その「和栗」とは?

 

 ブナ科クリ属の果実は、日本ではすでに縄文時代から食料として重宝されていたようです。これは日本に限ったことではありません。世界には大きく分けて四つの品種があり、その自生している大陸名が品種名になっています。フランスのマロングラッセでも有名なヨーロッパグリ、天津甘栗の中国グリ、今はほとんど栽培されていないアメリカグリ、そして和栗こと日本グリです。

 和栗は世界に誇る栗の品種です。ヨーロッパの洋栗や天津甘栗で有名な中国栗とは一味違った優しい甘さだからこそ栗の風味を十分に感じ取れ、瑞々(みずみず)しさが特徴。栗おこわのように、お米との相性は抜群なのはもちろん、栗きんとんも忘れてはいけません。栗そのものの美味しさを生かす和の技法は、すでに何百年も前から伝統として確立しているのです。

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栗の産地は日本全国多々あります。それぞれの地が、ブランドの栗を有し、美味なる栗を産することに誇りを持つがゆえに、そのブランドを壊さぬよう細心の注意を払っています。その中でも、圧倒的な歴史と実績を持った地が、岐阜県東南部に位置している、「中津川市」と「恵那市」です。ここは、山栗を使った料理やお菓子が評判となり、茶巾で包む「栗きんとん」の発祥の地でもあることから、「栗菓子の里」として大いに賑わいを見せてたといい、今でも栗の銘産地として名を馳せています。

 Benoitが協力を仰いだのが、その恵那市に居を構え、創業以来「美味しい栗無くして美味しい栗菓子はなし」という信念のもと、恵那山の麓の広大な地に栗の木を植栽し続けている、「恵那川上屋」さんです。伝統にあぐらをかくことなく、栽培を担う人がより良い栗を育めるよう環境づくりを整え、その栗の美味しさをいかんなく発揮できる栗菓子を追求する、スタッフ皆が自らの担当する分野において日々研鑽に励み、美味なる栗菓子をこしらえ続けているのです。

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「地元に栗を呼び戻そう」

 今でこそ恵那川上屋さんの名前を知る人は多いですが、彼らの軌跡は順風満帆だったわけではありません。これほどの伝統と、栗の銘産地としての名声がありながら、人々の「農業離れ」には逆らうことができず、生産量が最盛期の10分の1にまで激減した時代があったといいます。栗無くして栗菓子はできず、まして素材以上の美味しさなどありえません。この現実が、恵那川上屋さんに重くのしかかってきたのです。

 思い倦(あぐ)ねる中、鎌田真悟さんが恵那川上屋の代表に就いた1998年、時(とき)が動き始めます。栗の確保と品質追求という難題を、良質の栗を栽培することで解決しようと考えたのです。至極まっとうな考えでありながら、自らが栗栽培を熟知してるわけではなく、さらに恵那川上屋さんだけで成し得ることができることでもありません。しかし、鎌田さんは諦めることはなかったのです。

 地元で栗栽培を生業とする12戸の農家さんと全量購入の契約を結び、ともに品質向上に取り組んだのです。この志(こころざし)はJA東美濃も同じこと。鎌田さんの働きかけもあり、地元で昔から親しまれている美味なる栗を復活させ、ブランドとして確立させようと動き出します。

 JA東美濃は、特選栗評議会のメンバーの中から優れた栗生産者を認定し「超特選栗部会」という精鋭チームを発足いたしました。これは、栗栽培名人である塚本實(つかもとみのる)先生の「低樹高栽培」を学び、自らも指導者としてこの栽培ノウハウを仲間に教え伝えていくプロ集団です。「地元に栗を呼び戻そう」のメッセージのもと、「栗の名産地」復権をめざし、地元一丸となり労を惜しまない日々。この取り組みが功を奏し、栗の生産量も回復を見ることになりました。

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「恵那栗」

 恵那の栗は、長年培われてきた伝統の上に、途方もない人智が加味されたもの。この英知をまとめ上げ、次世代への引継ぎを担う栗博士、塚本實さんがたどり着いた栽培方法が「低樹高栽培」という、並々ならぬ手間暇と技術を要する手法です。剪定方法だけを見てみても、心配になるほど厳しく低く実施します。新梢を含めた枝の管理の徹底は、効率の良い陽射しと適度な風通りをもたらします。これにより、病気になることも少なくなり、栗は大きく美味しく、たわわに実ることに。さらに、年配の方や子供でも日々の手間暇をかけやすくなり、危険も減ることになりました。

 文字で書いてしまうと、あまりにもあっさりとしたものです。しかし、庭木の選定をされている方は、剪定作業がいかに難しいかがお分かりかと思います。厳しすぎると徒長枝というビュンビュン伸びた枝を生み、剪定が緩いとだらだら葉だけが茂り、ともに実をなさないのです。実をなさいということは、農を生業としている者にとっては死活問題。時には厳しく、時には優しく、まるで子育てのようです。まして、樹は画一的なものではなく、人と同じように十人十色。樹1本1本と向かい合わなくてはなりません。

 順調に思えたこの取り組みも、「高齢化」の潮流に逆らうことができませんでした。プロ集団の「超特選栗部会」の平均年齢は65歳だったのです。一難去ってまた一難、このままでは20年いや30年後には地元の栗が消滅してしまうのではないかとすら感じてしまう。

 そこで、恵那川上屋代表の鎌田さん自らが学び、一人の栗栽培者として、この恵那栗の魅力を伝えてゆくことを決意します。そして、2004年に農業生産法人「恵那栗」を発足するのです。20haもの耕作放棄地に6,000本の恵那栗の樹を植栽し、有志の若手を募(つの)ります。この取り組みにより、栗栽培のプロ集団が誕生し、岐阜県のみならず他県へまでこのノウハウを伝播するまでに成長するのです。ここに至るまでにどれほどのご苦労があったことか、計り知れません。

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 徹底した管理のもとで実った恵那栗は、成熟し自然に落ちるのを待ち、朝一番で収穫。栗栽培を知り尽くした職人の眼下の元で選別されるのです。この厳しい選果基準を満たしたものだけが、「超特選恵那栗」として工房へ届けらます。ここに待ち受けるのは、栗調理職人チームです。栗の実はもちろんですが、渋皮の旨味までも生かすように、優しく丁寧に炊き上げる。そして、栗が熱々状態で手作業で栗を外皮と渋皮を取り除いてゆきます。

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 この地方発祥でもある「栗きんとん」は、栗と砂糖のブレンドです。シンプルだからこそ、その美味しさを左右するのは栗の品質なのです。恵那川上屋さんの栗への想いの原点はここにあります。そして、もうひとつ忘れてはいけない食材が「砂糖」でした。栗に対しての愛着があればこそ、相棒にもそれ相応のものを求めてしまうもの。

 栗の確保のめどがたった時、ふと思うことは「美味しい砂糖は確保できるのか」という問題でした。居ても立っても居られなくなった鎌田さんは、砂糖探しの旅に出ることを決めたといいます。南へ南へと向かい、沖縄県に足を踏み入れるも、難題多く断念。次に向かった先が、鹿児島県「種子島」でした。

 これが運命なのでしょう、出会うべくして出会ったのが砂糖杜氏の竹之内和香さんです。彼の黒糖を口にした時、まさにその瞬間に「10年かけて黒糖製造の技術を教えてください」と鎌田さんが申し出たのだといいます。伝統技能の保有者は、その技を伝承しなければならない宿命にある。出会って10年後、竹之内さんは区切りを付ける英断を下し、全てを鎌田さんに託したのです。

 種子島「里の菓工房」として本格的に稼働したのが2006年。伝承の技に甘んじることなく、さらなる品質向上を模索する日々が、ついに褐色美しい無添加の黒糖を作り上げたのです。サトウキビだけが表現できる甘い中に、自然の優しさを感じ取ることのできる、やはり素材に勝る美味しさはありません。

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 丁寧に炊き上げられた栗は、ほぐされた後に、ほんの少しだけ種子島「里の菓工房」の黒糖が加えられます。それを茶巾を使って、ひとつひとつ手絞りで仕上げたものが、恵那川上屋さんの栗きんとんです。栗の品種や収穫時期によって、加減を調整しながらの作業は、栗を熟知している彼らだからこそ可能な職人技。いつ口にしても美味しい「恵那川上屋さんの栗きんとん」の秘密はここにあるのです。

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 「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること。」とは、アラン・デュカスの料理哲学です。やはり、その道を究めんとする人は、同じような考えをもっているのだと、感じ入るばかりです。

 Benoitには、のと、その2種類を送っていただいています。

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 画像左側は、、Benoit用にまったく加糖せずに栗を炊きほぐしただけのもの。栗色が美しく、団粒のようにほろほろと、優しさを感じる中に和栗らしい甘さが口中いっぱいに広がります。右側が、恵那川上屋さん自慢の「栗きんとん」そのもの。種子島「里の菓工房」の黒糖が加わることで、サトウキビからの香ばしいながらほのぼのとする甘さが、栗の風味を引き立てる、まさに栗菓子の「栗きんとん」です。この2種類を、そのまま食べても美味しいことは、むべなるかなかと思います。

 丹精込めて育ててくれる栽培家、栗を知り尽くした熟練した技術工房スタッフ、そして栗を愛するお客様。恵那川上屋さんは、栗を通して大きな喜びの和となることを目指し、栗を愛する皆様をこうと名付けました。。

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栗人(くりうど)」

 その和に、快くBenoitを加えていただけたのです。我々が栗の栽培ができないのはもちろん、栗の選別や下ごしらえなどは、経験に裏打ちされている経験がものをいい、さらに途方もない手間暇がかかるのです。その、貴重な栗のペーストを、Benoitへ送っていただいております。皆様にも、Benoitの栗のデザートを通し、「栗人の和」への仲間入りをいたしませんか?

 

 毎年のように、秋冬にかけてBenoitのメニューに堂々と名を連ねるデザート「モンブラン」。なんと美しく心に響く音色でしょうか。西ヨーロッパアルプス最高峰のMont-Blancが、このデザートの名前の由来といいます。これほどに壮大なネーミングなだけに、Benoitではシェフパティシエールの田中が毎年苦悩しながら組み立ててゆきます。今期のBenoitのモンブランはいかようなものか、ご紹介させていただきます。

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 フランスのパリにある老舗Benoitの「Mont Blanc」が、フランス栗を使うのであれば、同じ名を冠するBenoit東京の「モンブラン」は和栗をつかいます。フランスでは、モンブランにアクセントとなる酸味を加えるべくカシスやレモンを加えます。これが洋栗とのマリアージュを成すのだといいます。では、Benoit東京では何を加えるのか…これもまた、今回の特選食材です。

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 山間を流れていた木曽川は、美濃加茂(みのかも)市の南東、可児(かに)市の北部のあたりで、が濃尾平野に流れ着きます。そして、この地で北アルプスこと飛騨山脈に端を発した飛騨川が落合います。急流から悠々と流れる「大河」へと姿を変え西へ西へと流れゆき、岐阜城を北に眺めながら、ほどなくして南に向きを変え、伊勢湾に注ぎ込みます。

 「大河」、そういえばNHKさんの大河ドラマ明智光秀を主人公に据えた「麒麟(きりん)がくる」です。「歴史は勝者が作る」というだけあって謎が多く、なんと魅力に満ちた武将でしょうか。木曽川の「大河」の話をしてきたので、少しばかり明智光秀の出生の地をご紹介させていただきます。

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 最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご多幸とご健康を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com