kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年2月 季節のお話「埋み火 (うずみび)」とは?

 暦の上では、「立春」を迎えたことで春が始まりました。陽気な春を思い浮かべますが、古人はこの時期を「三寒四温」だと教えてくれます。明治時代に太陰太陽暦からグレゴリオ暦へと改暦したこともあり、多少の季節の誤差があろうとも、今も昔もそう変わりはなく、寒暖の日々が交互に訪れてくるようです。しかも、今年はこの気温差が大きいような気もいたします。

 かつて暖房器具が乏しい頃にあり、暖を取る方法は薪(たきぎ)を燃やすことでした。しかし、屋内では火災の危険が付きまといます。昔の日本は住居が密集しているため、一歩間違うと町自体が焼け野原となり消滅してしまう可能性すらありました。そこで、先人たちは、「炭」という画期的な逸材を発明したのです。

 この炭の登場が、どれほど人々の生活を変えたことでしょうか。暖房器具としては、今のストーブとは比べてはいけないほど微力ながら、古くは平安時代に始まり、戦後の高度成長時代にまでの長きにわたり、我々の生活に密接にかかわってきました。

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 この炭の利点は、囲炉裏(いろり)や火鉢の中に深く敷き詰めた尉(じょう)の中で、種火の残った炭を保管することができたことです。火鉢の中で、炭や樹々を最後まで燃しきった時、グレーがかった白い灰となります。これが尉です。この中に火のついた炭を埋(うず)めておくことで、種火を残しておけるのです。これを「埋み火(うずみび)」や「埋(い)け火」といいます。ライターなどあろうはずもなく、火を起こすことが難儀な時代です。なんという生活の知恵でしょうか。

 

さよふけて かきおこすかげの くれなゐも 花の春ある 埋み火のもと  三条西実隆

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 詞書(ことばがき)には、「炉火(ろか)忘冬」と書き記してあります。冬を忘れさせてくれるものといえば、炉の埋み火である実隆はいう。夜が更けて、寒さ一段と厳しくなる頃。外はしんしんと雪が降ってるのでしょうか、それとも寒さに冴えわたる星月夜なのでしょうか。月明かりもない部屋の中で、あまりの寒さになかなか寝付けない。この寒さはなんとかならんものだろうか、と心に思いつつ、凍える手に吐息を吹きかけ、火鉢のもとへと向かう人影がある。

 暗がりに目が慣れることで、白みがかった灰色の尉が、闇の中でうっすらと浮かび上がってくるようだ。火箸でその尉をかき分けると、ぽっと闇の中から眩(まばゆ)いばかりの炎が姿をみせる。尉の下に埋もれいた炭にくすぶっていた埋み火が、空気に触れることで熾(おこ)るのです。

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 暗闇の中で、深紅から鮮やかな紅色へ、めらめらではなくゆらりゆらりと熾るその埋み火には、得も言われぬ優艶な美しさがあります。実隆は、ここに花咲き誇る春を見出します。彼は室町時代後期から戦国時代にかけて活躍したお公家さん。彼(か)の時代、「花」は「桜」のことを指し示すことが多いのですが、埋み火を想うと、今花笑っている紅梅や木瓜(ぼけ)の花の方がしっくりときます。「梅の花」を「花」と詠い遺した万葉歌人へ敬意の表れなのでしょうか。

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 皆様にご案内しているブログの画像は、ネット上のものを勝手に使用することをしておりません。可能な限り自らが赴き撮影するようにしています。しかし、どうしても訪れることができない遠方などは、現地の方々のご協力を仰いでいます。今回の「埋み火」の画像をご覧になって、「北平家には火鉢がある」と思われた方も多いのではないでしょうか。

 さすがに我が家に火鉢はありません。炭火の画をなんとかしようかと画策するも、このコロナウイルス災禍によって身動きままならず、撮影は諦めておりました。先月にお送りした「寒中お見舞い」のご案内で「埋み火」に触れてはいるのですが、画像はありませんでした。

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 このブログをご覧になっていただいたお客様から、「ちょうど最近、火鉢を復活させました。」とメッセージが届きました。一昨年の台風で倒れたままになっていた銀杏の木を、つい先日に小ぶりに切り分け燃やしたのだといいます。その熾火(おきび)や灰を眺めているうちに、ふっと蔵の中に火鉢が眠っていることを思い出したのだといいます。そして、彼女のお父様が炭焼きの技を習得していることもあり、ひっそりと家の片隅に見事なまでの炭があったのです。ここまで素材が整っていると、彼女の中に「熾(おこ)さない」という選択肢はなかったでしょう。

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 彼女が幼少の頃、ご自宅では薪を燃やしてお風呂を沸かしていたといいます。ということは、お風呂の壁の外側に釜戸(かまど)があった。その釜戸の熾火を利用して、寒くなった時には炭炬燵がお目見えしたのだといいます。そして、最後に床に就く人の仕事は、この炭炬燵の熾火を尉の中に埋めること、そう「埋み火」にすることだったと教えてくれました。朝一番に目覚めた人は、前述した三条西実隆の歌のように、「埋み火」を熾すことから始まるのです。まさに、「朝一に起きたものが熾す!」これが暗黙の家庭内ルールだったのでしょう。

 彼女は今回火鉢を復活させたことで、昔を懐かしむことができたのだと思います。そして、熾火を眺めることで、連綿と受け継がれてきた日本の生活文化の風情に浸ることができたのです。「今は灯油や電気を使っていますが、今考えると贅沢なことです!」と語っていましたが、彼女のご主人様からすると、さほど暖かくもなく灰が散る火鉢は不評なのだと、笑いながら教えてくれました。

 便利に快適になった今の生活によって、失ったものがそこにはあるのでしょう。今の生活を捨ててまで、昔に戻ろうとは思いません。しかし、時に時間を作り、ゆっくりと自然の機微を感じる時間を作ることは、日本人としての感性を呼び覚ますことができるのかもしれません。失ったからこそ気付く大切さを感じ取れるはずです。

 彼女から火鉢お話を聞いた時、熾火と埋み火の画像をいただけないものかと、自分の我がままを伝えさえていただきました。快諾していただいた上に、貴重なお話まで伺えたこと、この場をお借りしまして、深く深く御礼申し上げます。

 

 昨今のコロナウイルス災禍は、計り知れない試練を我々に与えています。今まで当たり前だと思ってきた日々が、たまたま守られてきただけであったことを知りました。そして、この災禍は、「食」を疎かにすることは日々を寂しいものとすることを、さらに「語らい」の場を失うことが人生におおきな喪失感を与えることを知ることができた気がいたします。

 微力ではありますが、Benoitという場所で旬の食材で美味しい料理に仕上げ、そして「語らい」の場を設けることで、皆様に「口福な食時」のひとときをお楽しいいただけるよう、最善を尽くさせていただきます。

 

 パリの4区、サン・マルタンと名付けられた脇道の一角に、1912年にBenoitさんが店舗を構え、今なおその場所に健在であり、約110年という長い歴史を誇ります。同じ名を冠する東京のBenoitは、この本店に連綿と受け継がれてきた料理への想いを引き継ぎます。フランス伝統料理を踏襲しつつも、アラン・デュカスの料理哲学を追究し続けた料理の数々が、プリ・フィックスメニューに名を連ねているのです。その中に、フランスの古き良き伝統料理の代表ともいえる2つが、メニューに姿を現しました。

 日本伝統の「埋み火」の話で心温まった後は、今Benoitのメニューに名を連ねるフランス伝統料理をお楽しみいただきたいと思います。温かいというより熱々の「オニオングラタンスープ」、そして自転車乗りの情熱を掻き立てる「パリ・ブレスト」をご紹介させていただきます。

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 最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご多幸とご健康を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com