kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年9月 季節のお話 「言の葉はあはれおよばぬ撫子の花…」

 平安時代の美的理念を表現する言葉に、「をかし」というものがあります。これは、風情がある、趣きがある、美しい、というような意味があり、皆様も学生時代に古文でまっさきに覚えたのではないでしょうか。清少納言は、随筆「枕草子」の中でこの「をかし」をランク付けするように紹介しています。「春は曙(あけぼの)」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて(早朝)」と喝破しています。その64段ではこう言っています。

 

草の花は撫子(なでしこ)。唐(から)のはさら也、大和のもいとめでたし

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 草の花では撫子が「いとをかし」であるという。撫子といえば、女子サッカーで活躍した選手たちを「なでしこジャパン」と称したことが記憶に新しいのではないでしょうか。その花は、小さいながらも艶(あで)やかさがあり、美しいと感じる以上に可憐という言葉が似つかわしい。そうは言うものの、自然界で生き抜いていくため、他の植物との覇権争いに勝たねばならず、見た目以上の力強さをも持ち合わせている。小柄ながら芯のある力強さと美しさを兼ね揃えた女性を讃えるように、大和撫子(やまとなでしこ)と呼んだりもします。

 唐のものは言うまでもないが、日本のものも甲乙つけがたく美しい。さて、問題はここです。いったい何を言いたいのか、ナデシコを調べてみました。しかし、調べるほどに、まるで泥沼に足を突っ込むかのような一筋縄ではゆかない難解さをもっていました。確証がなく、推論の域を出ませんが、なんとなく納得していただけるのではないかと思う「撫子の話」、ご紹介させていただきます。

 

秋の野に 咲きたる花を 指折(およびお) かき数うれば 七草(ななくさ)の花  巻8 1537

萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 おみなゑし 藤袴(ふじばかま) 朝顔の花  巻8 1538

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 万葉集の中で、山上憶良(やまのうえのおくら)は上記の二首を詠い遺し、秋の七草を見事なまでに定義づけしました。野原を見渡し、美しく咲き誇る花々を指折り数えたならば7種あった、そこに挙げられた花の中に「撫子(なでしこ)」の花があります。

 万葉の時代、話し言葉としての日本語はあるものの、書き言葉としてはままならなかったようです。「ひらがな」は存在せず、知れば知るほどに便利で文明的な漢字が中国から伝来した時、大和朝廷の宮中の賢人は驚愕し、貪欲に取り込んでいくことにしました。宮中での文書は漢文となり、漢詩が主流となるご時世の到来です。

 母国語を失うことは国を失うに等しい、そう危機感を感じる賢人は、漢字の音読みを利用して日本語の書き言葉を表現する「万葉仮名」を生み出します。額田王(ぬかたおう)を筆頭に歌聖と称される柿本人麻呂山上憶良ももちろん、多くの万葉歌人によって万葉集が編纂され、今もその功績が讃えられています。しかし、万葉時代以降は、唐風文化の繚乱(りょうらん)を迎えることとなり、日本語の書き言葉が衰退の一途を辿るばかり…和歌にとっては暗黒時代でした。

 しかし、平安時代になり「ひらがな」が誕生したことで攻勢に転じます。ここに、話す・書くという日本語が言語として形成されたのです。どの言語もそうですが、まだ言語として大成していない時代にあっては、その物足りなさを物語や詩歌に求めたようです。日本の歴史を振り返ってみても、各時代の激動の時世の勢いが言語に革新を求めてくるようで、多くの素晴らしい作品が生まれています。今は言葉の乱れはあるものの、現代日本語としては画期的な飛躍を遂げた時期であり、その礎(いしづえ)は明治の文豪たちです。そして、日本語は、万葉歌人なくして成し得なかったでしょう。

 もし、万葉の時代に、中国語をそのまま導入していたならば、日本語は存在していませんでした。ここが、大和の賢人の素晴らしい所だと思います。文化を鵜吞みにせずに、咀嚼(そしゃく)するように良い所だけを取り込もうと考えたのです。理路整然と確立していた漢字を学び得ながら、万葉仮名を駆使し書き綴る。日本にも存在する、もしくは似ているものがあると理解した単語は、そのまま導入するも、古来より連綿と受け継がれてきた日本語の読みをあてました。「山」や「川」はという象形文字である漢字を使いながら、「やま」「かわ」と読むのです。

 

 先の山上憶良2首目の歌の中で、ナデシコを「瞿麦(くばく)」と漢字をあて、「なでしこ」と読んでいます。あまりにも馴染みのない「瞿麦」という単語は、日常生活ではまず使うこともなく、自分もナデシコをテーマに掲げなければ、知ることもなかったでしょう。瞿麦とはナデシコのことでもあるのですが、美しい花を咲かせる緑美しいナデシコではなく、これを乾燥させて漢方にしたものを意味するというのです。中国で自生しているナデシコは「石竹(せきちく)」と名付けられ、これを漢方薬にしたものが「瞿麦」という。

 隋を亡ぼし興った王朝が唐(618~907年)です。遣隋使・遣唐使が持ち帰ったのか、はたまた日唐貿易の中でのことなのか定かではないですが、中国のナデシコ「石竹」が渡来しました。思うに、漢方の「瞿麦」も一緒だった…異国の言葉を何とか理解しようとするなかで、「漢方の瞿麦はこの草だよ」と、美しい花を咲かせる石竹を指さし説明したとすれば、ウィキペディアもなければ辞書もない時代にあり、瞿麦は石竹で、石竹は瞿麦だと思ってしまうもの無理はないものです。

 古人は、渡来してきた「石竹」に似ている花が日本にも自生していることを知っていた。その花は、知っていたというよりも、秋の七草に詠われるほど可憐に咲き誇るナデシコのこと。馴染みの花であったればこそ、同じ仲間だと気づいたのでしょう。そこで、古人は日本に自生していたものを「大和撫子(やまとなでしこ)」と、中国から渡来したものを「唐撫子(からなでしこ)」と呼び分けることにしたのです。「唐」という字がつくことから、やはり唐王朝の時代に海を渡ってきたのでしょうか。

 ここで、予想だにしなかったことが起きます。「石竹」が日本に自生し、「大和撫子」と自然交配していったのです。時が経つほどに増えていく交雑種は、あまりにも美しい花を咲かすこともあり、人々は忌避することなく「常夏(とこなつ)」という名前をつけて愛(いと)おしんだといいます。順を追って花を咲かすために、夏から秋にかけてと花期が長いことから、「常夏」なのだといいます。

 日本タンポポと西洋タンポポとの押しつ押されつの領土争いとは違い、自然交配してしまうということは、古来より日本に自生していた「大和撫子」が自然淘汰されてゆき、「常夏」へ変ってしまうことを意味します。

今、我々が目にすることのできる「ヤマトナデシコ(※以下、昔の花は大和撫子、今の花はヤマトナデシコと表記させていただきます)」は、花の姿から「常夏」のようなのです。その花びらは、淡いピンク色に少しばかり紫がかったかのような色合いであり、花弁の付け根は白い。そして、その先端は歯牙状で、細やかに深く切り込みを入れたかのよう。この色のコントラストと花の姿は、柔らかな優しさを感じさせ、撫でたくなるほど可愛いい守ってあげたくなる子供のよう。まさに「撫子」名前にあい相応(ふさわ)しいもの。

 もともとの「大和撫子」はどんな花なのか?江戸時代中期の歌人であり国学者でもある小沢蘆庵(ろあん)の歌が興味深い。彼は大和撫子をこのように詠っています。

 

花の色は からくれないに 匂へども みな敷島の 大和なでしこ

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 花が美しく輝いていることを「匂(にほ)ふ」といい、ただ咲いているだけではない、と古語辞典は教えてくれる。それと、崇神(すじん)天皇と欽明(きんめい)天皇の両天皇の宮があったという磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)の「磯城(しき)」と、日本列島が島国であることから、大和の国は「磯城の島」であるといい、それが「敷島」へ。そのため、「敷島の」は「やまと」にかかる枕詞とされています。

 「からくれない」色に、鮮やかに咲き誇る花は、全てが日本の大和撫子ではないか!と蘆庵はいう。ポイントはこの「からくれない」という色です。「韓紅(からくれない)」と漢字で書き、紅花で染めた濃い紅赤色のこと。奈良時代には「紅の八入(やしお)」とも言われています。「一入(ひとしお)」は、生地を染料に一度漬けること。8回漬けることが「八入」ではあるのですが、八百万の神々というように、「八」には多いという意味も含まれます。「紅の八入」とは、紅の染料に幾度となく漬けることで、最も濃い深みのある紅色に染め上げた色のこと。

 大和撫子とヤマトナデシコとは、まったく相容れないほどに違う花の色合いです。しかし、古人が石竹と大和撫子とを同じ仲間だと判別できた理油は、特徴的な歯牙状の花びらだった気がします。しかし、石竹に見て取れるような「浅い切れ込み」だったのではないかと。深い歯牙状の花びらであれば、その可愛らしさが、歌人の琴線(きんせん)に触れてもいいものです。

 かつて、多くの風流人がナデシコの花を庭などに植栽してまで、花咲く時を心待ちにしていたといいます。それほどまでに愛されていたのであれば、「瞿麦」と「石竹」の混同はあれど、「唐撫子」と「大和撫子」、さらに「常夏」の違いを十分に理解していた、頭の中では。しかし、今のように検索して画像がネット上で表示されることもなく、カラー図鑑があるわけでもない時代にあれば、間違いがあってもおかしくはないもの。杜若(かきつばた)、花菖蒲(はなしょうぶ)、菖蒲(あやめ)もまた、あまりにも美しく似ているために混同されてしまうことが多かった。

 世界史上、類を見ないほどに発展した江戸文化の只中で、小沢蘆庵が間違えたとは考え難(がた)いものです。韓紅の貴(あて)やかな花を匂わせ(咲き誇っ)ているのが、大和撫子であると思いたい。時が経つにつれ、生きてゆくのが難儀になったのか、それとも石竹と交配することで常夏へと姿を変えてしまったのか。それとも、常夏と交配することでヤマトナデシコになっていったのか。専門家ではないために、自分の推論はここまでで、結論はでません。ここから先は、皆様のご想像のご想像にお任せしようと思います。

 これからご紹介するナデシコの花の歌は、どのナデシコを詠ったものなのか。あれやこれやと想い描きながら読んでいただきたいと思います。

 

われのみや あはれと思はむ きりぎりす 鳴く夕かげの 山戸撫子  素性(そせい)

われのみは あはれともいはじ 誰もみよ 夕露かかる やまとなでしこ  式子内親王

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 素性は、山近くに隠棲していたのだろうか。自らの屋戸(やど)に植栽したナデシコを、あえて「山戸撫子」と表記することで、山里の夕暮れの寂しさを表現しているかのよう。昔々の「きりぎりす」は、今でいうコオロギのことをいうらしい。蝉の「もろごゑ」も止み、コオロギのチリチリチリという声が心地よく耳に響く。鳴き声の方へと目を向けてみると、夕陽に照らされて大和撫子が咲いているではないか。なんという可憐な美しさだろうと思うのは自分だけではないか、と自問している。

 夕露は朝露と違い、空気中の水分が結露したものとは違うため、式子内親王は夕立の後の光景を詠ったのでしょうか。ナデシコの花を可憐だと思うのは私だけではありません!と喝破する。皆に見てほしい、ナデシコの花に残る雨粒に夕陽が射したときの美しさを。

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 二人にこれほどの賛辞をいただければ、大和撫子も本望なのではないでしょうか。この大和撫子が、石竹でも常夏でも、それぞれの詠い上げた光景に遜色はなく、美しいものです。「ひらがな」が誕生して歴史が浅いにもかかわらず、31文字でここまで表現する詠い手の自然の機微を捉える感性は、今でも十分に共感できてしまうものです。

 

 和歌では、31文字という世界に自らの想いの丈を反映させることに鎬(しのぎ)を削りました。日本語として確立して間もない時期だからこそ、歌人たちは「自然の美を、自分の気持ちを、いかに言葉で表現すべきか」に精力を注いだともいえます。彼らは大いに悩み、言葉を選び、または創作し、文字としてしたためたはずです。切磋琢磨の中で生まれる美しい描写の数々は、千年経った今も、なんらくすむことはありません。我々は、その詠者の想いのこもった言葉の力を感じつつ、各々の人生を反映した光景を脳裏に描きながら読むことができます。

 かつて、絵はあるものの抽象的なものであり、写真のように細部までありのままを写す術はありませんでした。今は、カラー図鑑やネット検索という情報が溢れている時代です。考えようによっては、当時に詠者がどのような光景を眺め詠ったのかを想像しやすくなったともいえます。今なお輝き続ける和歌を知ることで、便利になり過ぎたために失った何かを、我々はそこに見出すことができるのではないでしょうか。

 

 冒頭で紹介した清少納言は、枕草子112段でこう我々に教えてくれています。三大随筆を執筆しただけの彼女の感性には、感服いたします…

 

絵にかきおとりするもの、なでしこ。かきまさりするもの、松の木。

 

 確かに!屏風絵や掛け軸には、見事な松の木が描かれていても、可憐なナデシコの花は描きようがないもの。それに加え、このような思いが込められているような気がします。簡単に手に入る情報を鵜吞みにせず、そのものを見なさい。樹形が美しいとはいえ朴訥な松の姿は想像しやすいもの。しかし、世界中の人々が愛してやまない「花の姿」は、文字では表現しがたいほどに美しく、画像では感じ取ることのできない、花そのものがはなつ貴品があるものです。

 「知る」ことと、「識(し)る」ことは違うのですよ、そう教わった気がします。やはり、画像で思うだけではなく、自分で足を運び、何かを感じ取りなさいという。今は外出が憚(はばか)れますが、そう遠くない日に、「識る」ために散策に出ることを許されることと思います。今も昔も変わらぬ、太陽や月を感じながらの散策も一興なのではないでしょうか。

 

 江戸時代前期の歌人であり歌学者でもある松永貞徳(ていとく)は、清少納言枕草子を読解した後なのでしょう。このような一首を書き遺しています。

 

絵にかきて おとるのみかは 言の葉も あはれおよばぬ やまとなでしこ  松永貞徳

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 絵で花の美しさ表現することに加え、言葉でもまったく実物には遠く及ばない…おっしゃる通りでございます。下句が「やまとなでしこ」で終わっています。山上憶良を先に覚えたこともあるのかもしれませんが、ここを「撫子の花」とするほうが個人的には可愛らしく終えることができるような気がしています。そう考えると、この「やまとなでしこ」が、なにやら意味深長なものに感じてしまうもの。皆様はどう思いますか?

 

≪晩生のピーチ・メルバを楽しまずして、9月は終われません!≫

 晩生(おくて)の桃を使ったデザート「ペッシュ・メルバ(ピーチ・メルバ)2021」をご案内せずして、自分は10月を迎えることはできません。そうなのです、皆様!このデザートの美味しさを楽しまずして、9月を終えることはできません。

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≪ピーチ・メルバ2021の全貌を公開!≫

 どれほど美味しいのかお伝えることはできませんが、どうしても皆様に2021年版ピーチ・メルバをお勧めしたく、自分の持ちうる言の葉を使い、それぞれのどのような「葉(パーツ)」であるのかを説明させていだきます。皆様には、それぞれの「葉(パーツ)」を知っていただき、どのような「樹(デザート)」であるかをご想像いただけると幸いです。

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岐阜県の飛騨もも「亀山果樹園」のご紹介です。≫

 今回の訪問先は、高山市の南に位置している久々野町に居を構える「亀山果樹園」さんです。標高750mの高冷地の大自然の中に2.5haの園地を有し、今は二代目園主の亀山忠志さんが陣頭指揮を執っています。甘く香り高い高品質の果実を皆様へお届けすべく、研鑽に励む日々。どのような果樹園なのか、少しばかり岐阜県を観光するようにご紹介させていただきます。

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9月お勧め料理「エイヒレのムニエル」≫

 エイヒレとはその名の通り「エイの鰭(ひれ)」です。北日本で「かすべ」として親しまれている食材ながら、まだまだ周知されるにいたっておりません。しかし、フランスではエイヒレは馴染みの食材であり、ビストロでは欠かすことができません。。伝統料理として確固たる地位を確立している、「グルノーブル」というスタイルとは、いったいどのような料理なのでしょうか?

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≪エイヒレグルノーブルの出会いについて考えてみました…≫

 フランスのビストロ料理として欠かせない「エイヒレのムニエル」。我々日本人には馴染みのない食材である「エイ」、それがグルノーブルという調理スタイルで仕上げた逸品は、美味しいからなのでしょう、今なお多くの人々に愛され続けられている料理です。そもそも、グルノーブルとは何を意味しているのでしょう。そして、どうしてエイなのでしょう。皆様、気になりませんか?

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≪特選食材「六条大麦」を使ったお勧め料理のご紹介です!≫

 六条大麦の国内シェア約3割を有し、堂々たる全国1位の生産量を誇るのが福井県。6月初旬に麦秋を迎えた「六条大麦」がBenoitに届いています!さあ、この栄養価満点に旬の食材を、Benoitではどのような料理に姿を変えるのでしょうか?

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≪初秋特別プランのご案内です。≫

 気がつけば、蝉の諸声(もろごえ)が止んでいる…

 コロナウイルス災禍が猛威を振るう中でも、季節は巡り去ってゆく。蝉は我々に秋の到来を教えてくれた気がします。そして、季節と同じように、旬と呼ばれる季節の食材も巡り去ってゆきます。彼らに「待つ」という優しはありません。そこで、この機を逃してはならないとの思いから、「初秋」と銘打った特別プランと、個室貸切プランをご案内させていただきます。

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北平のBenoit不在の日

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない9月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。緊急事態宣言如何によって変更の可能がございます。ご不便をおかけいたしますが、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬 www.benoit-tokyo.com