kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2023年干支「癸卯(みずのとう)」のお話です。

 2023年の干支(えと)は、「癸卯(みずのとう)」です。

 漢字とは、一文字が実質的な意味を持つ表意文字です。古代中国の賢人は、毎年の世相を分析し、時代時代を表現する漢字一文字をあて、後世に伝えようとしました。この漢字の組み合わせは「干支」と名付けました。今年は「壬寅(みずのえとら)」です。賢人は、漢字に何を託し、我々に伝えようとしたのでしょうか?素人ながら、漢字語源辞典「漢辞海」を片手に書き綴ってみようかと思います。

 

 世界の言語は、「絵画文字」、「表音文字」、「表意文字」などに大別されます。絵画文字は、古代文明に書き記された絵文字を代表とし、表音文字はアルファベット(音素文字)や日本の仮名(音節文字)などがあります。そして、表意文字は、一文字が単語を成し、実質的な意味を持つもの。それが「漢字」です。

 古代中国の賢人は、毎年の世相を分析し、時代時代を表現する漢字一文字をあて、後世に伝えようとしたのではないかと思うのです。そこで、十干(じっかん)と十二支の組み合わせた干支というものこしらえた。甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)…と続く「十干(じっかん)」と、馴染みの子(ね)・丑(うし)・寅(とら)…の十二支。

 この10と12という数字が、我々の生活の中でどれほど溶け込んでいることか。算数を学ぶ上で、数字の区切りとなるのが10。そして、半日は12時間、1年は12ヶ月。10と12の最小公倍数は「60」。還暦のお祝いとは、この漢字の通り「暦が還(かえ)る」人生60年目の節目を迎えたことを祝うもの。

 表意文字だからこそ、漢字は一文字一文字に意味があります。さらに、干支にあてがわれた漢字は、それぞれに樹の成長を模したものだといいます。賢人は、今年の世相をどのように分析し見定め、干支という形で我々に遺したのでしょうか。漢字を読み解くことで、我々がいかに無事息災に、はたまた多くの幸を見過ごさないために、この古(いにしえ)の賢人の想いを知ることができると思うのです。

 干支が十干と十二支の組み合わせであることは前述いたしました。2つの漢字一文字ごとに意味があり、2つの立ち位置の違う世相を組み合わせているのだと考えます。最初の漢字の世相は、人が抗しがたい「時世」の勢いであり、賢人は10年というサイクルを見出し、「十干」をあてがう。人生とは栄枯盛衰を繰り返すもの、これが「人世」である。賢人は、その人世を12年であるとし、十二支をあてる。干支とは、古代中国の賢人が「時世」と「人世」を読み解くことで導いた、その年ごとの世相のこととみる。

 時世を意味する十干を、樹の成長になぞらえて漢字をあてています。最初から6番目までは樹そのものの成長期間、残る4つは次の時世への引継ぎを準備する期間であるという。かたい殻に覆われた状態の「甲 (きのえ)」、芽が曲りながらも力強く伸びるさまが2番目の「乙(きのと)」。芽が地上に出て、葉が張り出て広がった姿が「丙(ひのえ)」。そして「丁(ひのと)」は、重力に逆らうかの如く、ぐんぐんと勢いよく天に向かい成長し、「戊(つちのえ)」で大いに茂る。成長最後は、勢いよくぼうぼうと生い茂った樹が、理路整然と体裁を整え、効率よく光合成をおこなうことで養分を蓄えてゆく「己(つちのと)」です。

 2020年の7番目「庚(かのえ)」から最後の「癸(みずのと)」の期間は、花を咲かせ種を生み出すにいたります。秋にたわわに実がついた様子を象るのだといいます。「庚」は「己」を継承し、人のへそに象るともいう。「庚庚(こうこう)」とは、樹木がしっかりと実をつけたさまを意味するのだといいます。

2021年は8番目の「辛(かのと)」。「辛い」としか思い浮かばないかもしれませんが、意外な意味が含まれてることを語源辞典は教えてくれます。「説文解字(せつもんかいじ)」によると、「会意文字」で秋の万物が成長して熟すとある。さらに、「釈名(しゃくみょう)」によると、「辛」は「新」であるという。「はじめは新たなものがみな収まってしまう」、そう書き記されている。

 2022年は9番目の「壬(みずのえ)」で、いよいよ佳境に入る。「説文解字」によると、「指事文字」で癶あるという。巧みで美しいという象形文字「エ」という漢字の中央に「ー」が加わる。「巫」という漢字は、両袖を広げて美しく舞っている姿を象(かたど)るのという。すると、「壬」は両手を広げるというよりも、指事文字だけに両手で中央を指し示しているように見えなくもない。

 北の方角に位置している「壬」。北の陰の気が極まると陽の気が生ずる。易経(えききょう)では、陰の気そのものである「坤卦(こんか)」極まり、陰陽の竜が外で戦うと伝えている。戦うとはいささか物騒ではありますが、これは交接を意味しており、お腹に子を宿すこと。妊娠の「妊」の漢字に「壬」が見て取れる。「壬」の両手は、新たな時世を宿したお腹を指し示していることに、ついつい納得してしまいます。

今年の2023年は「癸(みずのと)」、いよいよ十干の殿(しんがり)を担う。なんとも見慣れない漢字だけに、いったいどのような意味が込められているのか。部首は頂にある「癶(はつがしら)」です。これ自体が漢字としてなりたっており、「両足がそむきあう」という動詞です。まったく意味が分からない…

 十干の一翼を担う「癸」は、方位では「北」に位置し、五行では昨年の「壬」ともに「水」にあてる。「説文解字」によると、象形文字であるという。秦の始皇帝が中国を統一した際に文字をもとりまとめたという、それが「篆文(てんぶん)」と呼ばれるもので、これが漢字のもとになっている。「癸」は添付した下の画像のような姿です。

 十字に重ねる棒の先には、なにやら学術めいたものがデザインされています。これは、日の出・日の入りを測(はか)り、東西南北の方位を知る器具を象る。さらに、説文字解はこう教えてくれる。「癸」は冬の時節に配される。そして、川も土地も凍り、草が枯れることで、地は平坦となることで「揆度(きたく)」するこができる、と。揆度とは「はかる」こと。さらに、川が四方から流れて地中に注ぐ形に象るという。

 さらに、「釈名」によれば、「癸」は「揆」である。時機を揆度して生じ、やっと土からでる。「揆」には、「はかる」という意味があり、その幅は広い。数値として「測る」に「量る」、タイミングを「計る」、計画を「図る」。「揆測(きそく)」は、「揆度」と同義であり、推しはかること。

 時世は、この10年をかけて育んだ新しい時世を大地に宿したのでしょう。まっさらになった大地に、四方から落合い落合い流れ込む川が大地を潤し、誕生することを促している。しかし、「癶」が進むことを躊躇(ためら)わせているかのよう。時世はその機を計っているかのように、急ぐ気配はないようです。十干の10番目に配されたということは、次の10年を推測するための大切な時期と古人は判断したのでしょうか。

 人世における栄枯盛衰に、賢人は12年を見い出し、樹の成長にならった漢字をあてがいました。2020年は人世一年目の「子(ね)」。子供のことでもあり、果実の実や植物の種をも意味します。「釈名」では、「子」は「孳(し・じ)」であると。陽気が萌えて下に孳生(じせい)する。「孳」とは、「増える/産み育てる」という意味があり、「子」は「蕃孳(はんし)=おおいに茂ったさま」の状態だといいます。

 2021年の「丑(うし)」は「象形文字」であり、手をぎゅっと紐(むす)ぶす姿を象るといいます。さらに、「釈名(しゃくみょう)」によると、「丑」は「紐」である。寒気がみずから屈紐(くっちゅう=ちぢこまること)のである。「易経」では「艮卦(ごんか)」に相当するという。「艮」は「限」であり、この時節に物が生まれるということを聞かない。生誕を限止(=制限)するという。

 2022年の「寅」は、「説文解字」によると「会意文字」という。陰暦の正月に陽気が動き始めて地下の黄泉の国から地上に出ようとするも、陰気が強く叶わない。ウ冠(=屋根)があって突き抜けられず、地下に退けられるさまを象る。さらに「釈名」によると、「寅」は「演」であるといい、「物を演(ひ)いて誕生させる」のだという。多少の違いこそあれ、何かが誕生したことに間違いはないようです。

 「演」は、「劇や演技を行う」という、今でも馴染みの漢字です。しかし、部首に「さんずい」が入っていることから、元々の意味は、水に関わることを意味していたはずで、川の名称だったという説もあります。「長距離を流れる/遠くへ流れる」という原義から、「展開する/広がる」という意も含むことに。「水土通演」は、「すいどつうジうるおフ」と読むことからも、「湿る・潤う」という意味がある。脚本をもとに効果的に上演や撮影の工夫を加えることを「演出」といいますが、もともとは「変わって新たに生まれること」を意味する、そう語源辞典は教えてくれます。

 今年2023年は、十二支の4番目の「卯」。方位では「東」に位置し、五行では「木」にあてる。「説文解字」によれば、象形文字であり、門が少し開いた形に象るという。万物が大地を冒(おか)して伸び出すことを意味するという。卯木(うつぎ)の花が咲く月だからということで、日本では旧暦4月が「卯月(うづき)」です。しかし、古代中国では2月を指す。ぼんやり眺めると、ウサギの耳に思えなくもない…

 さらに「釈名」はいう、「卯」は「冒」であると。「冒」は、目を日(=おおう)から構成された会意であり、目を覆われながらも前進すると、「説文解字」が教えてくれる。「冒険」とは危険を冒すことをいい、無理な条件にもかかわらず、実行することをいう。そう、「冒」のは「おかす」という意味があるのですが、「物の上からかぶさり覆う」や「水が溢れおおう」という、「おおう」という意味が語源辞典では先にきます。

 人世は、土が覆いかぶさった中で、各々が培ってきた種が着実に育まれていた。昨年は、土が人世の勢いを抑えるかのよう蓋となっていたものが、ついに押し上げられるよう。水が大地を覆い潤すことで勢いを得たのか。来年より始まる新たな世相10年を前に、まっさらな大地で、門が開くかのように動きをみせはじめる。

 2019年は、時世「己(紀)」が教えてくれるように、ひとつの区切りとして人倫の道を外さぬよう、なりふり構わず頑張ったことを省み、紀識(きしき=しるすこと)し紀念(きねん=こころにとどめて忘れないこと)することを促すのだと。忘れ去るのではなく、真摯に受け止め真実の核心となし、次へ引き継いでゆく。

 「庚」は「更」であることから、2020年は「更始(こうし)=古いものを捨て、初めからやり直すこと」の年でした。時世は成長から継承へと移る中で、先行きの見えない世相の一年でした。賢人は我々に人世は「子」であると教えてくれました。「子」は「孳」であり「坎(かん)」でもある。「孳孳(しし)」とは勤勉に努めることを意味します。「坎」の卦が上下に姿を見せる、六十四卦でいう「坎下坎上(かんげかんじょう)=坎為水」は、「重なる険難はあるが、真実をもって行動すればうまくいく。」ということを象っているといいます。

 2021年は「辛丑」。時世の「辛」には、「辛艱(しんかん)=苦しむ・難儀する」や「辛苦」「辛酸」など厳しい単語が多いもの。未曾有のコロナウイルス災禍は今なお猛威を振るっていることもあり、この漢字が心に突き刺さります。全ての希望に楔(くさび)を打ち込んでくる。しかし、「辛」は「新」でもある。何事も新しいことの門出には苦労や厳しさがつきものです。「新地(さらち)」となった時世には、新しいものが何でもいくらでも植えることができる。しかし、どのような種を植えるかの取捨選択は各々にまかせられている。

 2022年は「壬寅」。時世の「壬」は「妊」であり、人の妊娠の姿を象る。人世の「寅」は「演」であり、物を演(ひ)いて誕生させるという意味も含む。偶然なのか必然なのか、時世も人世も新しいものが誕生していることを暗示している。人智及ばぬものが時世であり、人がどこうできるようなものではありません。2020年の「辛」を受け注いだ「壬」、新しい時世が誕生してはいるものの、まだまだ赤子のような姿で、どのような性格を持ち合わせているのかは定かではありません。

 そして、時世と歩調を合わせるかのように、それぞれの人世も育まれているかのようです。混沌とした世界の中で、もがき苦しみ行動してきたことが実を結び「種」となる。時世という地に植えられた「種」が動きだそうとするも、時世が抑え込むかのようで動きは鈍い。時世は、我々に肥沃な地を用意してくれたものの、今が芽吹く時ではないといっている。

 2023年は、ついに育んできた時世の種が動き出す。古代中国で生まれた五行説では、時世の「壬」と「癸」は「水」であり、人世の「寅」と「卯」は「木」である。水は木を生み出すという…五行相生(ごぎょうそうじょう)という相性のいい関係。陰の気が極まった昨年の「壬寅」であれば、今年の「癸卯」は陽へと舵を切る。昨年より時世が大地を潤したことで、我々個々が育んだ種が演出した(=新たに生まれた)。それが、いよいよ動き出す。

 一昨年の「辛丑」は、止まるべき時に止まり、行うべき時には行う。動くも止まるも、時(天命)を見失わなければ、その道の見通しは明るい、と伝えていた。昨年の「壬寅」は、従順さであらゆる事柄を受け入れることにより、大いに順調にゆく、そう教えてくれた。川がその大地を演(うるお)すも、時世に寄り添うように身をゆだねながら、芽吹きの機を待てといってた。

 大地が演(うるお)い、凍てつくことで大地がまっさらとなる「卯」月を迎えることで、門が開くかのように芽吹きを迎えたかのよう。次の十干、時世10年が、いまだ始まっていない。先行き不安の中ではあるが、人世は「冒(おか)す」ことを促しているかのよう。「冒進(ぼうしん)/冒突(ぼうとつ」とは、無理やり突き進むことを意味する。

 しかし、「冒」には軽率という意味もあり、「冒昧(ぼうまい)」とは、道理をわきまえないで無理やり行うことをいう。さらに、「釈名」によれば、「冒」には遺体を嚢(ふくろ)で韜(つつ)むこと。遺体を覆って人に嫌われないようにするという原義があるという。自分の欠点をよくよく省(かえり)み、覆い隠すように改善せよといっているのか。はたまた、今までの努力しつつも失敗していたことを省み、それを踏み台とし、さらなる高みへと踏み出せと伝えているのか。

 時世は、我々に行動に移す時ではある教えると同時に、タイミングを「揆度」しろといっている。さらに、「揆撫(きぶ)」することを促しているかのよう。この言葉は、よくよく反省して考えること。水でいう「水平」の如き確固たる準則を、いうなれば信念を持って判断するように…言葉遊びのように思える干支の話も、ここまでくると何やら意味深いものと思えてしまうものです。

 1984年の「甲子(きのえね)」に幕開けした60年の世相のサイクル。「世」の字には30年という意味が込められていると聞きます。60年の中に30年の2つの世相。2014年「甲午(きのえうま)」からはすでに後半の世相が始まっています。世相における栄枯盛衰は世の常であり、これを乗り越えなくてはなりません。その先で、我々は宝の地図(人世のさらなる高み)を必ず見つけることができると信じています。

 「走鳥飛(とそううひ)」とは、月日の経つのが速いということを言っています。「兎」は月、「鳥」は日のたとえだといいます。古代中国では月にウサギが住んでいると信じていたために、「玉兎(ぎょくと/たまうさぎ)」の話が生まれます。では、鳥はなんででしょう?「火の鳥」に由来するのでしょうか…これは今後の課題にさせていただきます。

 兎に角、皆様一刻一刻を大切に、気を逃がさないよう耳を立てながら卯(兎)の年を過ごしましょう。まもなく、世相の冬は終わりを迎えるようです。

 本文中に出てくる用語を少しだけご紹介させていただきます。

 たびたび出てくる「説文解字」と「釈名」という名前。本というよりも辞典と言い表した方が良いかもしれません。しかし、これらが編纂されたのは、古代中国でした。「説文解字」は紀元後100年頃、六書(りくしょ)の区分に基づき、「象形」「指事(指示ではないです)」「会意」「形声」に大別され、さらに偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)によって分類されています。

 「象形文字」は、実物を絵として描き、その形体に沿って曲げた文字。「指事文字」とは、絵としては描きにくい物事や状態を点や線の組み合わせで表した文字をいい、「上」や「下」が分かりやすいと思います。十干の「己」は指事文字です。そして、「会意文字」は、既成の象形文字指事文字を組み合わせたもの。例えば「休」は、「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって休むことから。干支の「壬」は指事文字、「寅」は会意文字です。

 「偏旁冠脚」は、漢字を構成するパーツのこと。そのパーツの主要な部分を「部首」と定め、現在日本の漢和辞典は「康熙字典」の214種類を基本にしています。しかし、偏旁冠脚では、漢数字、十干や干支もこのパーツに含まれ、その分類区分は、「一」から始まり「亥」で終わる、総数が540です。数あるパーツの中から、殿(しんがり)を担ったのが「亥」です。十二支の最後もまた「亥」です。この後、さらに時は流れ紀元後200年頃、音義説によった声訓で語源解釈を行い編纂されたものが、「釈名」です。

 万物を陰と陽にわける陰陽説と、自然と人事が「木・火・土・金・水」で成り立つとする五行説が合わさった考え方が、陰陽五行説です。兄(え)は陽で弟(と)は陰。陽と陰は、力の強弱ではなく、力の向く方向性の違いのこと。陽は外から内側へエネルギーを取り込むこと、陰は内側から外側へ発することだといいます。運の良い人とは、陽の人であり、外側から自分自身へ力を取り込んでいる人のこと。「運を呼び込め」とはよく耳にいたします。陰の人とは、運が悪いわけではなく、自分自身のみなぎるエネルギーを外に発している人のこと。一方が良くて、他方が悪いわけではなく、すべては陽と陰の組み合わせです。陰陽の太極図を思い浮かべていただきたいです。2つの魂のようなものが合わさって一つの円になる。一方が大きければ、他方は小さくなり、やはり円を形成するのです。森羅万象全てがこの道理に基づくといいます。

 

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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