残暑お見舞い申し上げます。

かつては、木陰に赴けば、吹き抜ける風が心地よく涼を感じることができました。しかし、今はその風が温風のごときで、汗ひくこともなく、息苦しさを感じるほどです。「夏山、蒼翠(そうすい)として滴るが如く~臥遊録~」と郭煕は漢詩に書き遺しています。夏の山は、見事に蒼々と翠(みどり)うつくし、滴(したた)らんばかりに葉を茂らす姿から、「夏滴る(したたる)」という日本の季語にまでなっています。なんと美しい言葉なのですが、今や賛美する余裕すらなく、「汗滴る」ほどに暑い日々。
8月7日水曜日には二十四節気の「立秋」を迎えます。しかし、秋は名ばかり、まだまだ猛暑日が続くはずです。外出の際は、永遠の夢の(意識の遠のいた)世界から抜けだせなくならないように…ゆめゆめ忘るることのなきようお心がけください。無理は禁物、十分な休息と睡眠、こまめな給水と塩分補給をお忘れなきように。

夏山も とよむばかりに 明けたてば まことに蝉(せみ)の 声ぞきこゆる 大弐三位(だいにのさんみ)
この歌を文字通りに読んでみると、「夏の山が勢いよく満ちあけていく夜明けに、蝉の声が本当に聞こえてきた」という意味です。しかし、女房三十六歌仙にその名を連ね、百人一首にも歌を採られているほどの実力者である大弐の歌。古語辞典を片手に、字面だけを追っかけて理解したなどとは思ってはいけない気がするのです。
「とよむ」
この古語が、この歌を理解するうえで大切なような気がします。このやわらかな発音の言葉は、古語辞典で立項されている「とよむ」では、「豊む」ではなく「響む」という漢字を当てています。これは、「音がどっと響く」「鳴り響く」「響きが満ちる」といったような音の現象のことを意味していることから、「とよむ」は「蝉の声」に呼応していることになります。空に響かんとばかりの蝉に鳴き声。さらに、共鳴するかのような蝉の諸声(もろごえ)の迫力は、夏を代表する風物詩ともいえます。

「とよむばかりに明けたてば」とは、「とよむように夜が明ければ」となります。当初、自分は「響む」と「豊む」の掛詞かと思ってしましまい、山の際(きわ)が、じんわりと情緒豊かに白(しら)んでくるかのような夜明けをイメージしていました。しかし、調べるほどに「豊む」というのは誤用であると識る。鳴り響く蝉の声が後押しするように太陽が姿を見せたのか…意図的に大弐は末句に「声がきこゆる」としているために、ここに蝉の声の意図はない。
夏の暑さの源泉は夏の太陽。山の端(は)からの陽射したるや、冬の比ではありません。そして、その姿を見せようものならば、陽射しはじりじりと肌を刺し身体が火照(ほて)り始めます。この夏の陽射しの力強ささながらに、夜が明ける勢いを、大弐は「とよむ」と表現した。
そして、「夏山」が「とよむ」とは、冒頭でご紹介した「夏山、蒼翠として滴るが如く」を念頭に置いている気がします。
「蒼翠(そうすい)」の「蒼(あお)」は青色のこと。往古では、青色という色彩の中に緑色が含まれています。春の若草色のような緑から、濃緑の色をまでも包括していたようです。そのため、「蒼蒼(そうそう)」とは、空が青々としているさまであり、草木が青々と生い茂っているさまを意味します。「翠(みどり)」は、鳥のカワセミのこと。そこへ、翡翠(ひすい)も加わります。どちらも、あの輝かんばかりの美しい深い青緑の羽の色、玉の色を表現する時に用い、緑とは一線を画します。
蒼翠とは、草木の葉に水玉が葉に宿ったとき、その水玉の輝いた色合いのことという解釈もある。それが「滴る」のだと。今回は、夏山という壮大な風景が目前に広がっている。いちいち葉に宿る水玉などを表現しているとは思えません。山の頂(いただき)から麓(ふもと)までが、蒼蒼(そうそう)とした美しい緑色に覆われる。自然界の草木の葉色(クロロフィル)を、緑色と一色単にすることはできない。緑色の範疇であっても、その色は叢叢(そうそう)とし、「翠」のごときにひときわ輝きをはなつ。夏の盛りともなれば、まるで滴りだすのではないかと思えるほどに…
秋山の紅葉は、彩(いろどり)があり艶(あで)やかさがあるものの、勢いには陰りを見せる。しかし、夏山は緑生い茂り、ギラギラとした日照りに負けじと、山そのものが活力に満ち満ちているかのよう。夏の勢いさながらに、夏山そのものの雄大な姿を、大弐は「とよむ」と表現した。
遠く夏山の蒼翠たる雄姿。その山際が白むころの太陽であっても、すでに感じる夏の力強さがある。その陽射しに導かれるように、山の勢いが麓(ふもと)まで下りてきて大弐に睡眠は妨げられる。夢心地であるときは、この肌身に感じる勢いを、山から響くかのようなセミの諸声かと錯覚していた。意識が遠いときの遠景から、意識がはっきりするときの近景へ移りゆく。よくよく耳にすると、庭でセミがけたたましく響んでいるではないか。
今ほどに酷暑ではないかもしれませんが、エアコンや扇風機のない日本の夏を快適に過ごすことが難儀なこと。だからこそ、「夏越の祓(なごしのはらえ)」や「土用信仰(どようしんこう)」が存在しているのでしょう。夏山は「鬱鬱(うつうつ/草木が生い茂るさま)」していますが、夏の暑さに辟易とした鬱鬱(うつうつ/心が塞いで晴れ晴れしないさま)しい感情を、この歌に感じません。大弐は夏山と夏の太陽から、逆に夏を乗り切るための力を、はたまた何か新しいことを試みるための力を得たのかもしれません。おぼろげなるこの思いが、響むセミの声で確信へとかわった。「今日の私ならできるわ!」と。
バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。
季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。
その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。
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「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。
ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬