2026年の干支(えと)は、「丙午(ひのえうま)」です。

世界の言語は、「絵画文字」、「表音文字」、「表意文字」などに大別されます。絵画文字は、古代文明に書き記された絵文字を代表とし、表音文字はアルファベット(音素文字)や日本の仮名(音節文字)などがあります。そして、表意文字は、一文字で単語を成し、実質的な意味を持つもの。それが「漢字」です。
古代中国の賢人は、毎年の世相を分析し続け、世相は繰り返すことを見出した。そこで、時代時代を表現する漢字二文字を選び、この漢字の組み合わせをもって後世に伝えようとしました。それが「干支(えと)」というもので、十干(じっかん)と十二支の組み合わせで成り立っています。甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)…と続く「十干(じっかん)」と、馴染みの子(ね)・丑(うし)・寅(とら)…の十二支。
この10と12という数字が、我々の生活の中でどれほど溶け込んでいることか。算数を学ぶ上で、数字の区切りとなるのが10。そして、半日は12時間、1年は12ヶ月。10と12の最小公倍数は「60」。還暦のお祝いとは、この漢字の通り「暦が還(かえ)る」人生60年目の節目を迎えたことを祝うもの。
干支にあてがわれた漢字は、それぞれに樹の成長を模したものだといいます。賢人は、今年の世相をどのように分析し見定め、干支という形で我々に遺したのでしょうか。今年は「丙午(ひのえうま)」。素人ながら、漢字語源辞典「漢辞海」を片手に、賢人の想いを書き綴ってみようかと思います。

干支が十干と十二支の組み合わせであることは前述いたしました。2つの漢字一文字ごとに意味があり、2つの立ち位置の違う「世相」を組み合わせているのだと考えます。最初の漢字の世相は、人が抗しがたい「時世」の勢いであり、賢人は10年というサイクルを見出し、「十干」をあてがう。人生とは栄枯盛衰を繰り返すもの、これが「人世」である。賢人は、その人世を12年であるとし、十二支をあてる。干支とは、古代中国の賢人が「時世」と「人世」を読み解くことで導いた、その年ごとの世相のこととみる。
「時世」を意味する十干、2026年は「丙(ひのえ/へい)」で、昨年の「乙 (きのと/おつ)」を引き継ぎます。一昨年の「甲(きのえ/こう)」から始まった十干。最初の2文字の組み合わせに成句に「甲乙つけがたい」というものがあり、2つのものに差がないため優劣をつけることができないとい時に使うもの。さらに、昔の学校の成績を「優・良・可」ではなく、十干の順にならい「甲・乙・丙」と表記していたといいます。では、「丙」は底辺をゆくどうしようもないことなのか?と思うも、これらの使い方は、ただ単に十干の順番を意識しただけのことで、漢字そのもののもつ意味は全く反映していません。

「丙」は、十干の第三位、方位では翌年の「丁(ひのと/てい)」とともに南に配され、五行でも同じく「火」にあてています。そして、「説文解字(せつもんかいじ※文末に説明を記載します)」はこう説いている。「丙」は会意(既成の象形文字や指事文字を組み合わせたもの)であり、「一」「入」「冂」から構成される。南方に位置し、万物が成熟して炳然(へいぜん=輝きわたる)としている。そして、陰の気が兆しはじめ、陽の気が欠けることになるという。さらに、「釈名(しゃくみょう※文末に説明を記載します)」によれば、「丙」は「炳(へい)」である。ものが生まれて「炳然(へいぜん=輝くようなさま)として、みな表に現れるのだという。
「丙丁(へいてい)」とは、五行でともに「火」にあてていることから、燃え盛る「火」そのものを意味しているといいます。昨年の「乙」が、指事文字(抽象的なものを点や線で文字化したもの)であり、春に草木が屈曲しながら伸びだす姿を象(かたど)るという。なぜ屈曲しているのか?冬の陰の気が相変わらず強いので、その芽吹きは「乙乙(いついつ=、出ようとして難渋するさま)」なのだという。おや!せっかくの芽が、「火」で燃え尽きるのか?
どうも「火」というよりも火に照らされる「明るさ」にことを伝えようとしている気がします。語源辞典が教えてくれるように、「丙」は「炳」である。この馴染みのない漢字には、形容詞として「炳(あき)らか(=輝いているさま)」、動詞として「炳(と)る(=手に持つ)」や「炳(とも)す(=明かりをつける)」という意味がありました。「炳蔚(へいい=文様やいろどりがあざやかなさま)」や「炳然(へいぜん=明白なさま/明らかなさま)」、そして「炳燿/炳耀(へいよう=照り輝く/顕彰する)」という単語があります。

時世という樹(十干)は、2024年に還ってきました。先の十干(10年)で育まれた新たな種は、大地に落とされたものの、機を計っているのか、その種に動きはなかった。「甲」「乙」は、五行という思想の中でともに東の方位をあてている。そして、五行では東に春があてられています。季節は風が運んでくると古人は考えていたようで、東風(こち)が春を導いてくる。菅原道真の秀歌「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」も、これで合点がいきます。
そして、上の画像からお分かりいただけるかと思いますが、季節と色を組み合わせたもが「青春」「朱夏(しゅか)」「白秋(はくしゅう)」「玄冬(げんとう)。「青」には「緑」という意味も含み、「朱」はまさに「赤」、「白」は色とというよりも「透明」に近く、「玄」とは「黒」のこと。「玄鳥(げんちょう)」とは、カラスではなくツバメの異名。秋の「白」については、ブログに詳細を綴っているので、お時間のある時にご訪問いただけると幸いです。
kitahira.hatenablog.com
余談ですが、画像中央の「土用」は、ウナギを食べることで周知されている「土用の丑の日」の土用です。決して夏だけのものではなく、各季節の始まりである「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前、18日間のこと。「土旺用事(どおうようじ)」の略で、「土が旺(さかんに)なり事を用うる」という意味です。土が最も働く時期ということで、土を動かすことを避けるのが良いという。黄色には、自然界の調和やバランスを象徴する色といい、農作や知恵/徳、さらには魔除けや願いが成就するための色でもあるという。
この陰陽五行説を基として、日本で雑節(日本の気候に合わせて作られた季節の言葉)「土用」が定着したといいます。体調を崩しやすい季節の変わり目なため、農耕民族だけに「土をいじらない(農作業をしない)」、「引っ越さない」、「新しいことを始めない」のが良いとしています。とはいえ、18日間も何もできないというのは困りもの。そこで、土の神様が地を離れるひととき「土用の間日(まび)」だけ、上記の避けるべきことが許されるのだという。この黄色は、日本の寺社仏閣ではあまり見かけない色なため、日本では注意喚起の意味が加味されてきたのではないかと思うものです。
本題に戻ります。四季と色の組み合わせは、「青春」→「」朱夏」→「白秋」→「玄冬」と移りゆく。これが人生をも言い表しているといいます。「青春」は少年期から若々しい青年期で、活力に満ち夢や希望に溢れている時期である一方、「青二才」のように未熟さがまだ残る時期。孔子は論語の中で「学を志す」と言い遺す。「朱夏」は、燃え盛る勢いに満ちた壮年期。論語の中で、前半は「身を立て」「惑わなくなる」、そして後半には「天命を知る」ことになる時期であると綴る。「白秋」は、落ち着いた雰囲気や様子に深みを覚える中年期でありとなる。論語では「人の話を素直に聞けるようになる」時期だと記す。「玄冬」、玄にはく黒のほかに、「天や万物の根源となる道」という意味もある。素人(しろうと)に対して玄人(くろうと)という言葉もあります。人生最後で物事を完成させる時期。論語では「思うままにふるまっていても道を外れない」と教えてくれる。
青春時代から学び続け、大いに悩み熟考した人生だからこそ、暴走老人にはならないという。書きながら思う…なるほど、頑固爺(がんこじじい)にならないようにという自分への戒めなのかな…
時世は、春の陽気に誘われるかのように、種の芽吹きが促される。「守る」ためにあるのが陰の気であり、「成長」のためにあるのが陽の気であれば、種の堅い外皮や殻は、芽を守るために陰気のプロテクターともいえる。2年前の「甲」は、まだまだ芽が未熟であったからこそ、いまだ堅い外皮や殻である「陰の気」によってその芽吹きが妨げられ、その兆しを見ることなかった。それが、「乙」をもって、いよいよ陽の気が勝りはじめ、芽が姿を見せ始める。しかし、まだ陰の気が残っているため、その成長は「乙乙(いついつ)=進みがたいさま」としたものだった。
2026年となり、「乙」から「丙」へ移る。「丙」は、「一」「入」「冂」から構成された漢字で、「一」は陽であり、「乙」を受けて人の肩に象るという。まさに、陽の気が人の両肩に宿るかのよう。いよいよ「丙」をもって、「丙向(へいこう)すること=火/南/陽へ向かうこと」になる。そして、時世の樹は、いよいよ陽気に引き上げられるかのように上へ上へ幹を伸はし、枝を広げている。
生きとし生けるものにとって欠かすことのできない太陽こそが、お天気でも陰陽でも陽気の源である。(お天気でも陰陽でも)陽気が勝ってくることで、守りから成長を促す。「青春」から「朱夏」へ!南の太陽の放つ陽の気が両肩に宿る。この時世の勢いは、「炳然(へいぜん=輝くようなさま)」とし、燃え盛るかのように勢いのある陽の気が満ち満ちている。論語にいう「身を立て」「惑わなくなる」の如し。

「人世」を意味する十二支。人世における栄枯盛衰に、賢人は12年を見い出し、樹の成長にならった漢字をあてがいました。2026年は「午(うま/ご)」、十二支の中で7番目です。方位は「南」で、五行では昨年より続き「火」に、動物では「馬」に当てます。一昨年の架空の生き物「辰 (たつ/しん)」を、昨年には誰しもが知る動物の「蛇」引継ぎ、お馴染みの動物「馬」へ。農産物を守る益獣であるにも関わらず、嫌われているしまっている「蛇」から、往古より人間と深い関りをもった愛らしいクリクリの目をした「馬」へ。
語源辞典「漢辞海」で「午」を紐解いてみる。「午」には、お馴染みに「正午(午前12時)」という意味もあり、一日(24時間)の半分の時。そして、「縦横に交わるさま」ということで、「十字に切ること」を「午割(ごかつ)」という。さらに、「そむく」と「出迎える」という意味まである。

「説文字解」によると、象形文字で、陰暦5月を表すという。この月は、陰の気が陽の気に逆らい、大地を冒(おか)して出てくる。そして、「午」は「矢」と同じ意味であるという。「冒す」とは、危険や困難に立ち向かう。物事に挑(いど)む。この一方で、何かを侵(おか)すという意味もあります。危険を冒して山に登るというような肯定的な意味がある半面、規則を冒す行為は許されないと否定的な使うこともある。さらに、「釈名(しゃくみょう)」によれば、「午」は「仵(ご)」であるという。陰の気が下から上がって陽の気と「仵逆(ごぎゃく=ぶつかりあう)」する。「仵」とは、「匹敵する/同等である」と「そむく」という両意があります。
人世の樹は、一昨年の「辰」から引き継いだ大いなる成長を引き継いでいる。しかし、中国古代賢人は、昨年にあえて「蛇」に字をあてることで我々に「蛇蛇(いい)」とならないようにと教えてくれる。「蛇行(だこう)」してもいい、よくよく自らの行動を省み、陽の気が広がり已(や)む巳年に活かせと。そして、くれぐれも「蛇足」せんことを、と注意喚起しているように思える。「蛇蛇」とは、浅薄(せんぱく)でおごったさまをいう。思慮が足りない(全くない)「浅はか」ではなく、思慮が(ある程度あるが)足りない「浅薄」を使っているところが意味深い。

2026年、「巳」から人世を引き継いだ「午」の樹は、陽に牽引されて上へ上へと幹を伸ばすも、横へ横へと枝葉を広げなようとする力に、頭を抑えられているように見えなくない。人の成長という同じ勢いでありながら、縦と横とに分岐し「午(=十字に交わっているようなさま)ということなのでしょうか。
陽が極まれば陰に転じる。東から登ってきた太陽が真上に転じる正午、この先にはその陽射しの恩恵に授かった成果が如実に表れてくる。「午」をもって、今までの行動の成果を実感できるのかもしれません。しかし、「午」に関わる言葉の全てが、肯定的と否定的という相反する両面を持っているだけに、その成果は分かれるのか。
「午」の否定的なことを避けるためにも、「午」は「矢」と同じ意味であると教えてくれている。「矢」にはもちろん、弓につがえて射る武器の意味もありますが、「正しくまっすぐなさま」ともいう。「矢言(しげん)」とは、正直な言葉のこと。さらに「釈名」によれば、「矢」が「指」であり、指向する目標があって、迅速だということ。目指す目標に向かって自分に指示を出し、速やかに行動に移すようにと言いたいのかもしれません。
余談ですが、5月5日は「端午の節句」です。ここにも「午」が姿を見せる。「午月(ごげつ)」は陰暦5月のことで、「端午」とは、「端(=はじめ/最初)」の「午の日」ということ。この中国生まれの「端午」が日本に導入される中で、「午(ご)」と「五(ご)」が同じ発音であったために、陰暦5月5日を「端午の節句」として定着したいいます。
ちょうどこの時期は、梅雨が始まる前に季節の変わり目であるために、殺菌効果のある菖蒲の葉(しょうぶ※似ていますが、花菖蒲の葉ではありません)を入れた湯に浸って、高温多湿の過酷な時期を乗り切ろうというのです。江戸時代になり、この菖蒲が勝負と発音が同じで、菖蒲の葉が刀に似ていることから、「男子の健やかな成長を祈る行事」になったといいます。
確かに5月5日は梅雨入り前だけれども、梅雨入りはまだまだ先のこと、と違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。陰暦と陽暦の偏差が40日ほどもあるにもかかわらず、そのまま陽暦に移行したために、今の季節感とはずれが生じているのです。

2024年は「甲辰」。時世は「甲」であり、「孟」を導いた。「孟」によっていよいよ時世が動き出すことを知るも、いまだ「孟浪(もうろう)」としているからこそ、「孟」が努力の継続を求めてきている。それが芽となり育まれるも、いまだ「孚信(=真実)」と「介心(=高潔な心)」の介添えを必要としていた。人世は「辰」であり、「竜」「晨」「伸」を導いた。十二支の中で5番目に位置しているが、今まで4年にわたり育んできた種が、目に見える動きを見せる。時世の純粋な「晨光(しんこう=夜明けの光)」に導かれるように、大いに「伸展(しんてん=勢力や事業がのび広がる)する。
2025年の「乙巳」。時世は「乙」であり、草木が屈曲して地中から出るさまを象るという。陽の気に誘(いざな)われるように芽が出始めるも、まだ陰の気が残っているために、まっすぐに「丨(こん=進む)」することができないでいる。その傍らには人世の「巳」がある。一昨年の「辰」は「竜」であり、架空の生き物であったものが、なんとなく姿は似ているが「蛇」となる。陽の気が已(すで)に広がり已(おわ)っている勢いの中で、今までの努力の賜物を実感できないでいたものが、姿を見せることになるのでしょう。
2026年「丙午」。時世は「丙」であり、陽の気が極まることで、物事が大いに外側に展開してゆくことになる。万物が成熟し「炳然(へいぜん=輝くようなさま)となり、表に現れてくるという。その中で陰の気が生まれ、陽の気が欠けることになる。人世は「午」。五行説では、「丙」は「火」であり、「午」もまた「火」である。この勢いが追い風のようになり、陽の気が満ち満ちている中で、今までの頑張りが具現化してくる。そう、人世の樹は大いに生い茂るのです。

しかし、時世で陰の気が大地を冒して姿を見せることが気になります。人世での良きことか悪しきことかは拮抗しており、自らの考え、進むべき方向如何で変わってくるという。「午」は「矢」であり、「矢」は「指」である。目指すべき目標/目的に向かって、自らに指示を出し、迅速に進むべしという。では、どうやって良し悪しを判断し、進むべき方向を見つけ出すのか?そのヒントは、時世の「丙」がこう教えてくれています。「「炳燭(へいしょく=灯火を手に取って照らす)」であると。はて?
今までさんざん書いてきた「陽の気」と「陰の気」の関係は、決して運がいい悪いといったものではありません。呼吸は、息を吸って息を吐く、この2つの動作で成り立っていて、どちらかが欠けては成り立ちません。昼があるから夜がある、夏があるから冬がある。「陽の気」が朝陽の昇るときのように外に向かう力であれば、「陰の気」は夜の帳が下りてくるときのように内に沈む力。陽が極まれば陰に転じ、陰が満ちれば陽が生まれる。
「陽」は動く力であり、エネルギーの発散を意味します。明るい、温かい、活発、上昇する性質。行動力に溢れ、人と会う機会が増える。対して「陰」は静まる力であり、エネルギーの吸収を意味します。暗い、冷たい、静か、下降する性質。体力や気力を蓄える。さらに、学びの機会が増えるために、知力が養われる。
人世の「午」は陽と陰の気が拮抗しているといっている。一年中を「陽」の行動をすると人は疲弊してしまうため、上記の相反する2つのバランスを求めてきた。そのバランスを維持し、より素晴らしい人世を送るため、時世の「丙」が教えてくれたのが「陰」の「学び」であると、「炳燭(へいしょく)」の故事が教えてくれていました。
「炳燭の故事」とは、春秋時代の紀元前557~532に在位していた晋の君主「平公」と盲目の宮廷楽師「師曠(しこう)」とのやりとりです。史書によれば、平公は若くして晋の君主となり、賢臣に恵まれ徳を重んじた政治を執ることで栄え、軍事面でも楚を破り斉を攻め立てるという強さを誇ったといいます。しかし、後半では権力闘争に悩まされ、一時は自殺を図るも家臣に止められるということも。強さと脆さが同居する人間味のある君主だったそうです。
平公が嘆く、「私はもう70歳だ。今さら学ぼうとしても、もう遅いだろう。」
すると、師曠が答える、「どうして灯火(ともしび)をともさないのですか?」
平公は怒る、「臣下のくせに、なぜ私をからかうのだ!」
しかし、師曠は落ち着いて答えた、「盲の臣が、どうして主君をからかいましょうか。私はこう聞いています。
若くして学ぶのは日の出の陽射しのよう。
壮年で学ぶのは日中の光のよう。
老いて学ぶのは灯火をともす明かりのよう。
暗闇を歩くより、灯火をともして歩くほうが良いではありませんか。」
平公は深くうなずき、「善哉(よいかな)」と喜んだ。

経験が少ない若いころは、陽射しが射し示すものを学んでいく。真理や道理が分かりかけた壮年では、日中の陽射しの力強さに勢いづき、照らされた全方向を広く学んでいく。老年ともなると、真理や道理を識ることとなり、やみくもに学ぶのではなく、学ぶべきことが分かるようになる。だから「「炳燭(へいしょく=灯火を手に取って照らす)」でいいのだ。学ぶことに遅いということはない。学びはどんな年齢でも人生をその時々で照らすものだ、と師曠は教えてくれている。
老年となり、自分がまだまだ無知であることを悟ることになる。その無知という暗闇の中でさまようのであれば、灯火(ともしび)で照らしたほうが歩きやすいではないですか。やみくもに学ぶのではなく、学ぶべきことが分かるようになるのだという、と師曠は喝破する
なるほど、と思うものの、師曠は盲目の楽師ですと。「光」を感じることはなかったはずで、彼の専門分野である「音」で表現するものなのでは?と、そんな疑問が頭をもたげるのです。一説では、平公は視覚を持つ人間だから、彼を説得するために視覚的な「光」を比喩に使ったのだという。師曠は、生まれながらにして盲目なのか、それとも人生半ばで光を失ったのか。人生半ばであれば…と思うも、紀元前の人物だけに記録は残っていません。
思うに、師曠は視覚的ではなく感覚的に「光」と捉えていたような気がするのです。目に見えずとも、肌に感じる陽射しには温もりを感じるもので、この太陽の恩恵を「光」と考えていた。そして、古代中国には、「明=知」であり「暗=無知」という概念があったといいます。師曠は、「学び」が人生を照らす「光」のようなものであると解したのではないか。「学ぶ」ことに遅いということはなく、「学び」はどんな年齢でも人生その時々の道標(みちしるべ)となるかのように照らしてくれる。
老年ともなり人生を省みると、自らがまだまだ無知であることことを悟るもの。「暗闇(無知)」を「朝日が照らし始める(学び始める)」、「日中の陽射し(無我夢中に学ぶ)」、そして夜の帳が下りる「暗闇(無知)の中であっても、「炳燭(学び)」が導いてくれる。この師曠の意図を悟ったからこそ、「炳燭之明,孰與昧行乎(暗闇を歩くより、炳燭をして歩くほうが良いではありませんか)?」が、平公の心に強く響いたのではないでしょうか。
この師曠は、ただの楽師ではなく、公平に対してたびたび諫言(かんげん)を行っています。その中に、「師曠の五墨(ぼく=暗さ/曇りの比喩)」というものがあり、政治が曇る5つの原因を語っています。①「上が奢(おご)り、下が諫(いさ)めないこと」は、すぐに政治が暗くなる。②「小人が用いられ、賢者が退けられること」は、国の判断が濁る。③「賞罰が私情で行われる」と、秩序が乱れ民心が離れる。④「財貨を好み、民を苦しめること」は、国の基盤が暗く沈む。⑤「音を失うこと」は、国全体のバランスが崩れる。師曠は、盲目の楽師だからこそ、世界は光ではなく「音」と表現している。「音」は調和の象徴で、政治が乱れると音が濁ると考えていたようです。「師曠の聡」という成語があるように、音の清濁を驚くほどに聞き分けたという師曠だからこその捉え方なのでしょう。
「耳」偏の「聡」の漢字には、「よく音を聞き分ける耳の鋭さ」という意味があります。「よく見分ける目の鋭さ」を意味する「明」と組み合わせると、「聡明」という熟語ができます。「すべてを聞き分け、すべてを見分ける」 という意味ですが、そこには知識だけでなく、人柄や判断の清さといったニュアンスも含まれる、古代中国の思想に基づく誉め言葉といいます。師曠とは関係がないといいますが…「明」が「日(太陽=陽)」と「月=陰」の組み合わせと考えると、陰陽の気が拮抗する「午」の年に大いに学び、「音(=調和の象徴)」を聞き分ける「聡」を会得し、「聡明」たれ!と教えてくれているのかもしれません。

1984年の「甲子(きのえね)」に幕開けした60年の世相のサイクル。「世」の字には30年という意味が込められていると聞きます。60年の中に30年の2つの世相。2014年「甲午(きのえうま)」からはすでに後半の世相が始まっています。世相における栄枯盛衰は世の常であり、これを乗り越えなくてはなりません。その先で、我々は宝の地図(人世のさらなる高み)を必ず見つけることができると信じています。
本文中に出てくる用語を少しだけご紹介させていただきます。
たびたび出てくる「説文解字」と「釈名」という名前。本というよりも辞典と言い表した方が良いかもしれません。しかし、これらが編纂されたのは、古代中国でした。「説文解字」は紀元後100年頃、六書(りくしょ)の区分に基づき、「象形」「指事(指示ではないです)」「会意」「形声」に大別され、さらに偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)によって分類されています。
「象形文字」は、実物を絵として描き、その形体に沿って曲げた文字。「指事文字」とは、絵としては描きにくい物事や状態を点や線の組み合わせで表した文字をいい、「上」や「下」が分かりやすいと思います。十干の「己」は指事文字です。そして、「会意文字」は、既成の象形文字や指事文字を組み合わせたもの。例えば「休」は、「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって休むことから。干支の「壬」は指事文字、「寅」は会意文字です。
「偏旁冠脚」は、漢字を構成するパーツのこと。そのパーツの主要な部分を「部首」と定め、現在日本の漢和辞典は「康熙字典」の214種類を基本にしています。しかし、偏旁冠脚では、漢数字、十干や干支もこのパーツに含まれ、その分類区分は、「一」から始まり「亥」で終わる、総数が540です。数あるパーツの中から、殿(しんがり)を担ったのが「亥」です。十二支の最後もまた「亥」です。この後、さらに時は流れ紀元後200年頃、音義説によった声訓で語源解釈を行い編纂されたものが、「釈名(しゃくみょう)」です。
万物を陰と陽にわける陰陽説と、自然と人事が「木・火・土・金・水」で成り立つとする五行説が合わさった考え方が、陰陽五行説です。兄(え)は陽で弟(と)は陰。陽と陰は、力の強弱ではなく、力の向く方向性の違いのこと。陽は外から内側へエネルギーを取り込むこと、陰は内側から外側へ発することだといいます。運の良い人とは、陽の人であり、外側から自分自身へ力を取り込んでいる人のこと。「運を呼び込め」とはよく耳にいたします。陰の人とは、運が悪いわけではなく、自分自身のみなぎるエネルギーを外に発している人のこと。一方が良くて、他方が悪いわけではなく、すべては陽と陰の組み合わせです。陰陽の太極図を思い浮かべていただきたいです。2つの魂のようなものが合わさって一つの円になる。一方が大きければ、他方は小さくなり、やはり円を形成するのです。森羅万象全てがこの道理に基づくといいます。
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