kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

「郡上八幡への旅路」のご案内です。

もみぢ葉の ながるる竜田 白雲の 花のみよし野 おもひわするな 常縁(つねより)

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 室町の時代、今の千葉県にあたる下総(しもうさ)国に勢力を誇った豪族、千葉氏がいました。その一派が、東荘(とうのしょう)という荘園の荘官になったことから東(とうの)姓を名乗るようになります。源頼朝に旗揚げを促した東胤頼(たねより)、息子の重胤(しげたね)、孫の胤行(たねゆき)。彼の3人は、坂東武者でありながら、文学的才能に恵まれていたといいます。後鳥羽上皇鎌倉幕府(執権北条義時)に反旗を翻した「承久の乱」が勃発、幕府が朝廷を武力で抑え込んだこの合戦の武功により、胤行が美濃国郡上郡(こおり)を拝領します。篠脇城を築き、彼の地を郡上東家は12代340年にも長き期間を収め続けるのです。この歴代の城主の中の9代目に、数奇な運命に翻弄された東常縁がいます。

 常縁が本家である千葉氏の争乱を調停すべく、郡上の兵士と共に下向した。この関東滞在中に「応仁の乱」が勃発し、郡上の所領を斉藤妙椿(みょうちん)に奪われてしまうのです。常縁は「無念といふも愚かなリ」と悔恨の念にかられていたと鎌倉大草紙はいう。これを知った妙椿は「常縁はもとより和歌の友人なり。今関東に居住して、本領はかく成行きこと、いかに本意無き事に思い給ふらむ」と、なんとも奪った本人が言うセリフではない。さらに、「我も久しくこの道(歌道)の数奇なれば、いかで情なき振舞いをまさんや」とまで宣(のたま)う。

 郡上東家初代の胤行は、藤原為家の娘孫にあたり、藤原定家の血筋というのでしょう、文学的才能は抜群だったようです。その気質を受け継ぐ常縁より送られし悲哀のこもった十首、妙椿が感嘆しないわけがありません。返歌とともに郡上郡を返したのだという。なんだこのやり取りは?と思うのは、今の我々のこと。貴金属の美しさにではなく、言葉のもつ美しさに価値を見出す、かたや言霊思想もあるのかもしれません。この室町時代の典雅ともいうべき思考の賜物なのでしょう。この時の居城は「篠脇(しのわき)城」。今の郡上八幡から郡上街道をさらに上に進んだ地です。

 常縁の孫にあたる東常慶(つねよし)は、越前の朝倉氏との攻防に辛勝するも、篠脇城の損傷激しく赤谷山(あかだにやま)に城を築く。常慶を城主とする赤城山城のゴタゴタに巻き込まれるように、東家の分家として活躍していた遠藤胤縁(たねより)が暗殺され、その弔い合戦として弟の盛数(もりかす)が赤谷山城に攻寄ることに。盛数が本陣を張ったのは、この城の北北西に位置する目と鼻の先の山の上、今の郡上八幡城の場所でした。この砦こそ、後の郡上八幡城の礎となったのです。参考までに、この盛数の娘が、大河ドラマにもなった山内一豊の妻となる千代です。

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 時は戻り、常縁が郡上に戻りし頃。連歌宗匠(そうしょう)である飯尾宗祇(そうぎ)が、郡上を訪れ吉田川(上の画像)の支流である小駄良川の脇に草庵を結んで移り住みます。連歌を大成するために、和歌の真髄を極める必要に迫らていた。そこで、和歌の大家である二条派の祖二条為氏(ためうじ)から、綿々と秘説相承の形で口伝されてきた歌道の古今伝授(古今和歌集の解釈及び奥義)を常縁に願い出たのです。

 醍醐天皇は日本初となる勅撰和歌集の編纂の命を下したのは、万葉集の成立からはや150年は経とうとする平安時代。これ以前は漢詩文が宮中でもてはやされた和歌暗黒時代を思うと、画期的な勅命でした。撰者として名が挙がる4人の筆頭が紀貫之。彼は「心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり」と記す。万葉集に選ばれずとも当世に言い伝えられし歌「よみびと知らず」の多くは「古」とし、紀貫之を含めた撰者4名は「新」、この間の六歌仙時代の歌を「古今」とした。感じたままを直感的に表現することで、力強さと大らかさをもつ歌風の万葉集は、「大夫(たゆう)ぶり」と評される。対して、掛詞(かけことば)などの技巧を駆使した、繊細優美な作風「手弱女(ておやめ)ぶり」と評されるのが「古今和歌集」。多分に理知的なため、31文字で詠み人の真意を測るには、「解釈のガイドブック」を必要とします。これが奥義であり、「古今伝授」として綿々と口伝にて引き継がれていくのです。

 常縁の居城とする篠脇城と、宗祇の住む郡上八幡は、確かに郡上市内ではありますが、近くはない上に、篠脇城は山の上とくる。当時はもちろん車などはなく、連歌の達人が馬で駆けるようなイメージもなく、おそらく徒歩で通っていたことでしょう。そこで、常縁は切紙により古今伝授を宗祇に対して行うことにします。切紙とは、奉書紙(ほうしょがみ)を代表とする公文書に用いた真っ白の美しい和紙のこと。この切紙に要点を書き記し、間違いや語弊の無いよう伝授したのです。以降、歌道や神道ではこの「切紙伝授」が踏襲されるようになるのです。この常縁から宗祇への切紙伝授が史上初のこと、だからこそ常縁が「古今伝授の祖」と評されたのです。

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 古今和歌集編纂から100年も経てば、多くの解釈がなされてゆくものです。それを加味しながら、切紙伝授を駆使することで奥義を伝えるも、なんと3年の期間を要したのです。古今和歌集は20巻にも及び、その内の6巻342首が四季の歌です。四季折々の花鳥風月の移ろいを繊細に詠んでいます。場所は違えど、四季の機微を実際に目にしながら捉えなければならなかったのかもしれません。今のように写真があるわけでもなく、インターネットで探せるわけではありません。この長きにわたり古今伝授も終わりを迎えます。その際に、常縁から宗祇へ贈った歌が冒頭の歌です。

 この古今伝授の場は、今も篠脇城址の脇に、「古今伝授の里フィールドミュージアム」として、今もその功績を讃えています。そして、宗祇が草庵を結んだ地は、宗祇も愛飲したという清らかな湧き水が、今もこんこんと湧き出でています。夏は冷たく、冬は温(ぬく)いこの清水は、人々の生活の水として利用されていました。冒頭の歌にちなみ、「白雲水」と言われた時もありましたが、常縁と宗祇の古今伝授の優雅な遺徳に慕い「宗祇水(そうぎすい)」と呼ばれています。そして1985年(昭和60年)に、全国名水百選の第一番として環境庁から認定されました。「水の町」郡上八幡の名実ともに名勝となったのです。

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 皆様、郡上八幡とはかくも歴史深い地なのかと、感慨深く感じていただけたのではないでしょうか。そこで、皆様へは郡上八幡への旅路をご案内させていただきます。東海道新幹線で名古屋に向かい、JR東海道本線名古屋鉄道を利用するのも良いですが、今回は「街道」から、旅人になったように岐阜県に入ろうと思います。

 

 古事記日本書紀にも記載が遺る、京都に端を発した五畿七道(ごきしちどう)。へ向かうは太平洋側を進む東海道」、中央の山塊を抜ける東山(とうさん)」、そして日本海を望む「北陸道」です。これらの街道には、物資ばかりではなく、使者や親書などを、馬を使って迅速に送る「駅伝制」が整備され、30里(約16km)ごとに駅家(うまや)が設置され、駅馬(はまゆ)を10頭備えていたといいます。東山道とは、なかなか聞き覚えの無い名前ですが、江戸時代には整備された五街道の「中山道」が踏襲しています。群馬県には、東北へ抜けるか東京に向かうのかの分岐点があります。

 今回は、この歴史ある東山道を辿ろうと思います。しかし、東京からでは江戸時代に整備された、五街道があまりにも便利なため、最初は甲州街道を利用し、皇居から新宿、高井戸と抜けていった後に山梨県へ、そして山梨県を横断するように長野県に入り、諏訪湖の北側にある「下諏訪」で、中山道へ入ります。南信濃の伊那を過ぎて、岐阜県中津川市へ、美濃中山道十七宿は「馬籠(まごめ)宿」から始まります。

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 栗菓子で旅人をもてなしたという「中津川宿」へ。

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 そのまま岐阜県南部を横断するように、滋賀県へと向かいます。今回、途中の宿場町は割愛させていただき、県内10番目の「鵜沼(うぬま)宿」まで歩を進めます。

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 城下町として賑わいを見せたという県内11番目の「加納宿」。この手前、岐南町にある国道21号(中山道)と国道156号との交差点があり、ここが重要な分岐点「追分(おいわけ)」です。この国道156号こそ、今回の目的地へと我々を導く「郡上街道」です。中山道から郡上街道に入り、眼前に聳(そび)える金華山を東側へ迂回するように北上します。頂に堂々たる姿を見せるのが岐阜城を横目に見ながら、そして長良川に沿うように上流へ上流へと。

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 長良川へと注ぐ支流、津保(つぼ)川を渡ると、関市の「小屋名(おやな)」へと行き着きます。この地域は、山々が肩を寄せ合う中で湧きいずる清らかなる水が、山ひだを削り流れゆき、それぞれが「落合う」場所。中央を流れる長良川と、西から先述の津保川、北からは武儀(むぎ)川が落合います。高台のように思えるも、川の浸食が作り上げた、自然の地です。郡上街道と県道79号(関本巣線)が交差する手前左手に、今もひっそりと追分指標が遺っています。明治18年7月に建立したという石の指標には「美濃国武儀郡小屋名追分」とある。さらに、「右 飛騨街道」「左 郡上街道」とも。もちろん、向かうは「郡上八幡」。進路は左手に国道156号を上っていけばよい。

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 しかし、このまま山間を歩いて北上するには、なかなかに難儀な道のりです。そこで、この小屋名追分を右手に飛騨街道を進んだ先、文明の利器を利用するために関市中心街へ、目指すは「長良川鉄道」の「関」駅へ向かおうと思います。「関」と言えば、鎌倉時代に刀祖「元重」がこの地に移り住んだところから関刀鍛治文化が生まれました。

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 良質の焼刃土が産出し、長良川津保川の清水という恵まれた自然環境。さらに炉に使う松炭も豊富に作り出せるという、まさに刀鍛冶にとっては理想的な条件を兼ね揃えていたのです。室町時代には、刀匠が300人にも及んだといい、「折れず、曲がらず、よく切れる」と評された席の刀は、全国にその名は馳せたといいます。特に「関の孫六」と称された二代目兼元は、四方詰めという鍛治法を考案し、さらなる堅固な逸品に仕上げたといいます。この卓越した伝統技能は、今の刀匠や刃物産業に継承されているのです。

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 長良川鉄道の「関」駅から、北濃行へと列車に乗りこむと、4駅目で迎えるのは「美濃市」駅です。市内には伝統的建造物群保存地区「うだつの上がる町並み」があります。「うだつが上がらない」となると、仕事面ではなかなか出世できなかったり、生活面では日々厳しい家計に悩まされているという意味があります。「うだつが上がる」とは、何か幸せを呼び込むパワースポットなのか?下の画像が、美濃市の「うだつの上がる町並み」です。

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 「うだつ」とは、家と家の間に、壁のように建つ仕切りのようなもの。江戸時代には、隣家との間が狭く、火災の際に隣家に炎を移さない役割を果たすのだといいます。江戸も中期になると、この「うだつ」に装飾が施されるようになりました。上の画像の家と家お間に、ひときわ高く備えられた小さく細長い瓦屋根の壁が「うだつ」です。画像のような立派な「うだつ」を建てるには、それ相応の財力が必要で、これ富の証でもありました。ここから「うだつが上がる」から「うだつが上がらない」という前述した成句が生まれたといいます。画像の左右の家々に立つわ立つわ、「うだつ」が立っている町並みですよ。知らなければ見過ごしてしまうこの景観、確かにこん町並みを歩くことで、美濃商家の知恵を拝借できるかもしれません。

 美濃市と言えば、忘れてはいけないのが「美濃和紙」です。長良川や板取川の美しく澄んだ豊富な水資源、和紙を漉(す)くために必要な原料が、「コウゾ(楮)」を多く産することから、1300年以上も前、すでに奈良時代には美濃和紙が利用されていたといい、正倉院文書の中に美濃経紙が記されています。日本では伝統工芸品認定を受け、2014年11月には美濃和紙を漉く技術が「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。この伝統の技術と歴史は、美濃市にある「美濃和紙の里会館」で楽しめます。

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 前述した東常縁と宗祇の古今伝授が、「切紙伝授」だと書きました。美濃市の隣が郡上市であることを鑑みると、常縁が切紙に使用したのは「美濃和紙」だったのではないでしょうか?真っ白で筆の進みも良い、丈夫で美しい美濃和紙に書き記した古今伝授の数々。宗祇は幾度となく読み返し、宝物のように持ち帰り、大切に保管したことでしょう。古今伝授の奥義には、美濃和紙こそ相応(ふさわ)しい。

 「美濃市」駅から、山間を縫うように進み14番目となる駅が「郡上八幡」です。ここから4駅目の「郡上大和」駅に篠脇城址がある。ということは、宗祇は常縁に古今伝授を受けるために、この4駅分を日々歩いて通い詰めたことになります。さあ、長良川を右手に進んできた長良川鉄道が、この川を横切る橋梁(きょうりょう)を渡ると「郡上八幡」駅に到着です。

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 「郡上八幡」駅を下車すると、右手の山の頂から出迎えてくれる郡上八幡城があり、左手には長良川の美しい水面の輝きが出向かえてくれる。さすが「水の町」と評されるだけのことはある。先に見える支流が、郡上八幡の町を横切る「吉田川」です。

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 駅から長良川の上流方向へ進むと、郡上大橋が吉田川に架けられている。支流というが、十分な川幅の立派な川だ。それにしても、この両河川はあまりにも水が澄んでいて美しい。川の深さは浅いわけではないが、橋の中ほどから覗いてみると、川底の大小さまざまの石が判別できるほどだ。

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 さあ、橋を戻り郡上八幡城を目印とし、町中を歩いていこうと思う。水の町とは、清流があるらでもあり、町中に水路が張り巡らされ、防火用はもちろんですが、生活用水としても欠かせないものでした。古き良き町並みの中は、時の経過を忘れてしまうほど風情豊かなもの。

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 長良川と吉田川の小石を敷き詰めた小道の脇には、音なく流れる清らかな水路が並行する。郡上踊りの時期などは、行き交う人々の下駄の音が心地よく響いてくるのではないだろうか。

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 さらに、城を目指す。其処此処で目する資格の木の箱。端から水が流れ込み、反対から抜け出る。「水舟」と呼ばれる、冷たい川水を流れ溜め、野菜や飲み物を冷やすのに利用されている。水資源豊な上に、湧き出でたばかりだからこそ、夏は冷たく冬は温く感じる一定の水温を保っている。さらに進むと、水路の幅が広がりを見せた「いがわこみち」に出会う。この水路は、他とは一回り大きく、そのために鯉やウグイなどが優雅に泳ぎまわる。洗濯場が今も3か所ほど残っており、ご近所さんの社交場の様相を見せています。

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 そうこうしているうちに、吉田川に架かる八幡橋に辿り着き、眼前に聳える山からは郡上八幡城が我々を見下ろしている。この城については、多くを語ってきたので、ここでは割愛させていただきます。さらに、郡上市のみならず、郡上八幡の訪れたい地はまだまだあるのです。あまりにも多く、ご紹介できないほどで、語るなどは論外です。これは頃合いを見て次の機会へ。

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 郡上八幡城は江戸時代を乗り越え、激動の幕末を迎えることになります。最後の城主郡上青山家11代の幸宜(ゆきよし)。青山家の堅気な気質は、幕末にも影響を及ぼしました。新政府軍か幕府軍か。時代の趨勢は新政府軍にあることは、幸宜が一番肌身で感じとっていたはずです。郡上青山家を支えてきた人々を危険にさらすわけにはいかない。しかし、徳川幕府譜代の大名・藩士として意地と誇りもある。この葛藤の中で、郡上藩は二つに分かれて幕末を迎えるという選択肢をとります。

 郡上青山藩新政府軍側へ、そして有志が結成した凌霜隊(りょうそうたい)は、旧幕府軍に付き会津の戦に向かいます。「苦肉の策」かもしれませんが、これが最良の方法だったのです。誰にも正解は導きだせません。戦禍に見舞われなかった郡上八幡の町並みが、我々のそう語ってくれている気がいたします。そして、郡上八幡城には、この凌霜隊の慰霊碑と顕彰碑が建ち、今もその歴史を物語ってくれています。

 

 会者定離(えしゃじょうり)とはよく言ったもので、死生観を説いたものではりますが、今世でも十分に理解できるもの。伝授の大願を成した宗祇が帰路に就く時がくる。彼の草庵から吉田川に向かうと宮ケ瀬橋がある。その橋の袂(ふもと)まで見送ったのが、師である常縁であった。1473年(文明5年)の4月の頃。季節は山桜が咲いている頃だろうか。常縁は餞別に歌を贈った。そして宗祇が返歌を詠んだ。

もみぢ葉の ながるる竜田 白雲の 花のみよし野 おもひわするな  常縁

三年ごし 心をつくす 思ひ川 春たつさわに わきいづるかな  宗祇

 冒頭では紅葉の葉の画像を添付しました。万葉の時代、「花」は梅を指し示したが、平安時代以降は「桜」を指す。常縁の歌は、奈良県竜田川の紅葉(もみじ)と同県吉野の山肌一面に咲き誇る桜を指すのか。どちらも、群を抜いた美しさで名を馳せる有名な地であり、歌人にとっては憧れの地である。歌人として、この地の美しさを「おもひわするな」と、古今和歌集時代の懐古の念をいっているのか?

 紀貫之古今和歌集で「心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり」と記す。常縁がこの歌を詠んだのは4月のこと。万葉の時代は、樹々の葉が色を変えることを「もみつ」(動詞)といい、これが名詞のかたちをとり「もみち」なのだといいます。この時代に「ひらがな」は誕生しておらず、万葉仮名は漢字の音読みを利用して書き記されています。「もみつ」は「毛美都」や「もみち」は「毛美知」と。色の変わる葉の色を指すのであれば、美しく郡上の山々に咲き誇った山桜の、葉に色を言っているのか。山桜の新葉は画像の通り紅葉で、後に緑濃くなる。ともすると、賢人同士が相まみえたこの3年間は、賢人にしかわからぬ楽しみに満ちていたのかもしれない。

 白雲の美しい青空に輝かんばかりに咲き誇る郡上の山桜、この新葉の紅葉もいずれは積翠のごとく深い緑色へと姿を変える。郡上の山桜のように楽しい日々を過ごしたこと、時経つことで葉の色が変わるように記憶も色あせてゆくことだろう。しかし、私にとってはあまりにも有意義で楽しい3年間だった。誰しもが認める竜田川の紅葉や吉野の桜の美しさを忘れないように、古今伝授を忘れないでほしい。そして、私と過ごした3年間を忘れないでほしい。本当にありがとう。

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 宗祇も返歌を詠む。3年もの期間を、古今伝授に費やしていただきました。どれほどの心労があったことでしょうか。この感謝の想いを胸に、今春郡上を旅立たせていただきます。伝授いただいた奥義の数々は、今でこそ泉の如くではありますが、いずれは長良川のように大河となし、連歌を大成させてみせます。そして、師への感謝の思いは、湧きいずる清水のように絶えることがなく、いずれ川のようになるでしょう。

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 31文字に含めた、師弟の感謝の気持ち。古文文法など理解していない、勝手気ままな自分の解釈です。とはいうものの、なかなかに説得力がないですか。この常縁と宗祇の歌の真意はいかようなものなのか。古今伝授を受けていない我々は、「古今伝授の里フィールドミュージアム」に赴き、直に専門家に問わなければなりません。そして、常縁と宗祇の足跡を辿ることで、何か感じ取れるかもしれません。常縁と宗祇を思いながらの郡上への旅路は、きっと普段気にもかけない発見があることでしょう。長いようで短い3年間、いったいどんなやり取りがなされていたのでしょうか。気になりませんか?さあ、次の休みは

「郡上へ行こう!」

 

 余談ですが、常縁が宗祇に「古今伝授」を行って後、古今伝授はいくつかの流派に分かれます。安土桃山時代から江戸時代へ移る慶長年間、戦国大名であった細川藤孝が剃髪し幽斎と名乗ります。明智光秀の娘のガラシャの夫、忠興の父です。三条西実枝(さねき)に「古今伝授」を受け、これを集大成したことから近世歌学の祖と称されています。時は1600年、幽斎は、智仁親王に「古今伝授」を始めました。

 しかし、この時期は関ケ原の戦いの直前、石田三成方と徳川家康方の対立が極限に至る時期です。徳川方の幽斎は居城である田辺城へ帰るものの、石田三成方が包囲してしまうのです。ところが、「古今伝授」の断絶を恐れた後陽成(ごようぜい)天皇の勅命により、城の包囲が解かれることになりました。それほどまでに、東常縁が確立した「古今伝授」を、朝廷が重要視したのです。

 

 今回は、初となる三本立ての構成です。「郡上八幡への旅物語」を書くには理由がありました。Benoit特選食材「郡上クラシックポーク」です。どれほどの特選食材なの?どのような料理に仕上がるのか?「郡上クラシックポーク物語」は、以下より「はてなブログ」をご訪問ください。感動の誕生秘話が掲載です。

kitahira.hatenablog.com

 

 郡上クラシックポークが美味しいのには理由があり、十分にご理解いただけたのではないでしょうか。この特選食材「郡上クラシックポーク」とBenoitは、出会うべくして出会ったようなのです。「Benoitと郡上八幡」が、並々ならぬ縁があったとはどういうことなのか?「郡上八幡の物語」は、「はてなブログ」に記載しております。お時間のある時に、以下よりご訪問いただけると幸いです。キーワードは「梅窓院」です。

kitahira.hatenablog.com

 

 このご案内を作成するにあたり、株式会社明宝牧場、郡上市役所、一般社団法人岐阜県観光連盟、長青山寶樹寺梅窓院それぞれのご担当者様より、快く画像を提供いただきました。この場をお借りいたしまして、深く御礼申し上げます。さらに、郡上市役所より多くのご案内をお送りいただきました。どれほど自分の助けになったことか、重ね重ね御礼申し上げます。

 

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

「Benoitと郡上八幡とのただならぬご縁」の物語です。

 Benoitと岐阜県郡上八幡との並々ならぬ関係とは、いったいどういったことなのでしょうか?裏金がまわっているなどという野暮では決してありません。江戸時代に端を発した、壮大な歴史ストーリーが絡んでいました。郡上市の明宝牧場の代表である田中成典さんから教えていただいた、「青山に梅窓院というお寺がありまして~」と。ここから導き出された今回の歴史物語を、長文ではありますがお楽しみいただけると幸いです。「Benoit↔郡上八幡」となる理由に、納得していただけるはずです。

以下、登城人物の敬称は省略させていただきます。

 

 今から430年ほども前のこと。時は1590年(天正18年)、天下人である豊臣秀吉より関八州を与えられた徳川家康が譜代の家臣とともに江戸城に入城することになります。数多(あまた)ある合戦を家康と共に生死を分かち合ってきた屈強の名立たる武士(もののふ)の中に、控えめながら「政(まつりごと)」に才のある3人がいました。1603年(慶長8年) 江戸幕府の開府後は、老中に名を連ねるのです。本多正信(ほんだまさのぶ)を筆頭に、内藤清成(ないとうきよなり)、そして青山忠成(あおやまただなり)。一介の家臣から、波乱万丈人生の後に、大名にまで昇格したという事実は、その才を家康に認められ、見事その期待に応えた証なのでしょう。

 このお三方の中で、内藤清成と青山忠成の二人は、歴史に名を残す足跡も説話も似ていることが多いのです。江戸開府前には江戸町奉行であり、開府後は老中に名を連ねています。江戸で拝領した屋敷地が、これまたお隣同士というで、今もその名残を地名に残しています。内藤家の屋敷地は、下屋敷の名残を残す新宿御苑を中心に、西は四谷のあたりから東は代々木、北は大久保、南は千駄ヶ谷と、かなり広大な地でした。「内藤町」という地名が、その名残を今に伝えています。この地は、徳川家康が江戸に入府後、家臣の内藤清成を呼び、新宿御苑一帯を指し示しながら「馬で一息に回れるだけの土地を与える」と語ったとされ、清成を乗せた駿馬は、屋敷地となった広大な範囲を駆け抜け息絶えたのだといいます。今の新宿区内藤町にひっそりとたたずむ「多武峰(とおのみね)内藤神社」に、この伝説に由来する「駿馬塚(しゅんめづか)」を見ることができます。

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 では、お隣同士であった青山忠成の屋敷地はどこだったのか?もうお察しかと思いますが、彼の名字である「青山」が今も残っている地こそ、この青山忠成の屋敷地だったのです。ただし、今よりももっと広大な地でした。先述した内藤清成の逸話と同じように、忠成にも駿馬伝説があるのです。彼が徳川家康の鷹狩りに随行していたところ、家康が赤坂の麓から西の方向を見渡して、「馬で一息に回れるだけの土地を与える」と語ったというのです。原宿を中心に、赤坂の一部から渋谷に至るまでの広範囲を駆けたのだと。かつてこの一帯を「原宿」と言うも、この青山家の屋敷地となって以降のしばらくの間は「青山宿」と呼んでいたそうです。内藤町が、「新宿」の歴史の中に埋もれてしまい、町名だけを残すことになったにもかかわらず、「青山」は今でも地名としてのその名前の効果は抜群です。

 以前、自分は「青山のビストロBenoitの北平と申します。」が電話での第一声でした。現住所が「神宮前」なので、密かに「神宮前の」へと換えてみた期間があったのです。しっくりこなかったことが一番の理由です、元に戻しました。今思えば、「青山」という地名を使うことは、間違いではなかったようです。なるほど、ここに「Benoit↔青山」の繋がりを見せることになります。

 

 人の集う場には、必ず行き交う「道」が必要になります。そして「道」によって、村や町が形作られる。どちらの屋敷地の場合も、この大きな「道」が通っています。日本橋を起点とした「甲州街道(国道20号)」は、江戸城(皇居)を囲むように走る「外堀通り」と重なるように北側を迂回するように導かれ、江戸城西の「半蔵門」から、新宿方面へと舵を切り、内藤家の敷地へと進みます。現在の甲州街道は、皇居の南から迂回しているよ?実は、1699年(元禄12年)に南ルートの変わったのです。今は「内堀通り」もあるのですが、江戸時代にお堀の内側に入れる人は限られていたはずで、世間一般は「外堀通り」が通常ルート。

 外堀通りから甲州街道を分岐する半蔵門から少し南に進んだ、今でいう「赤坂見附交差点」から南西へと延びる道路、これが青山家敷地を横切る主要道路です。神奈川県厚木方面へと進み、静岡県沼津で東海道(国道1号)へ繋がります。今の国道246号ですが、起点の赤坂見附から、渋谷駅近くの明治通り(かつての鎌倉街道の一部)との交点をまでを、「青山通り」と呼んでいます。青山家敷地はこれほどの敷地面積を有していたのです。

 

 江戸時代は「所領の石高」と「家格」によって、階級分けされていました。所領1万石以上が「大名」、1万石未満が「旗本」「御家人」と続きます。このあたりの詳細は割愛させていただきます。一介の武将であった青山忠成が、家督を継ぎ、数々の功績を挙げながら石高が加増されていきます。江戸の入城時は、江戸町奉行に任命され5,000石だったものが、10年後の「関ケ原の戦い」後には、常陸江戸崎藩主として1万5,000石へ。ここに大名「青山家」が誕生です。混沌とした乱世の中で、家康が「政」の稀有の能力を忠成に見出し、厚い信任を得ることでなしえた証ではないでしょうか。

 「生者必滅(しょうじゃひつめつ)」とは、生きとし生けるものにとって例外はありません。時代劇などでも話題になるが家督相続です。江戸時代の武士の家督相続は、長男を嫡子(ちゃくし)として、家督も財産も単独相続が原則でした。では、次男三男はどうするのか?彼らは、養子に出るか僧侶となるか、はたまた兄の扶養家族になるか。分家して禄を与えられ、藩士としていきていくことは稀有だったといいます。青山家宗家では、初代忠成の長男忠次が病死したことにより次男忠俊が家督を相続します。三男泰重が朝比奈家へと養子で出る、そして四男の幸成(ゆきなり)が、彼の時代にあり、稀有なる「分家」を成しえたのです。元服した後に徳川秀忠の近侍として仕え、1602年(慶長7年)に下総国で500石の知行を得るのです。旗本として参加した大阪夏の陣を機に、功績を積み上げてゆき、ついに1619年(元和5年)、所領が1万3,000石と加増となり大名へと名を連ねたのです。ここに、分家である青山家分家初代幸成が誕生します。

 江戸にある広大な青山宗家の屋敷地の中には、もちろん宗家の下屋敷が建てられています。青山分家が誕生したことで、同じ敷地に分家の下屋敷を築くことになりました。もちろん、分家は幸成の家系だけではありません。この分家の下屋敷が建立されるのですが、同じ青山家であっても宗家と分家との違いは歴然としていた時代です。この屋敷の境界となったのが、「青山通り」でした。通りを挟み、北側が青山宗家、南側が青山分家です。

 

 地下鉄銀座線の「外苑前」のホームに降り立ち、階段を上り行くと、都会を象徴するかのように乱立するビル群の中に6車線の「青山通り」が眼前に広がります。近くには神宮球場があり、その奥には2020年の出番を待っている新国立劇場が控えています。青山通りを、皇居の方向へと進むと、いちょう並木の入り口があり、その先には赤坂御用地を左手に望め、他の都心と比べれば緑の多い地域かもしれません。しかし、駅周辺は高々と聳(そび)えるビルの数々に囲まれ、アスファルト舗装かコンクリートしか目に入りません。と、そこに目を惹く一角があることに気付きます。一方通行の細い脇道と、高層ビルの間に、ここだけ時がゆっくり流れているかのような、都内の喧騒とはかけ離れた静寂な空間が。その先に歩を進めると、人々には「梅窓院(ばいそういん)」として親しまれている寺院、「長青山寶樹寺(ほうじゅじ)梅窓院」が迎えてくれます。

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 地図を見ていただくと、メトロの駅「外苑前」は、路線に沿うように「青山通り」が通っています。梅窓院は青山通りの南側に位置しています。梅窓院を少しだけ南に下ると、名立たる英傑が眠る「青山霊園」に行きつきます。この地、かつては青山分家幸成の下屋敷跡地の一部です。そして、青山幸成が逝去された時、青山通りの南側に広がる広大な敷地の中に建立されたのがこの寺院。「梅窓院」とは、幸成の戒名から名付けられたといいます。浄土宗の教えのもと開山され、ご本尊の阿弥陀仏は、江戸時代には「青山の観音様」との愛称のもと、「山の手六阿弥陀仏」の一つとして厚く信奉されていたといいます。青山幸成から十三代にもおよぶ歴代のご当主を祀っている、「青山家の菩提寺」です。

 ここに、「Benoit↔青山↔梅窓院↔青山幸成↔青山家歴代藩主」と、いっきに繋がりをみました。

 

 青山家というのは、猪突猛進の猛者(もさ)というよりも、質実剛健の堅実な家系だったのでしょうか。言い過ぎれば、生真面目な気質が強かった気がいたします。青山宗家初代の忠成からして、江戸幕府町奉行、関東奉行、そして老中にまで昇進してゆく過程は、乱世を戦いぬく表舞台というよりも、煩雑な人間関係うごめく巨大な江戸幕府をまとめるために必要な能力だったのでしょう。家康から何かを託された忖度なのか。青山家存続よりも江戸幕府をもって泰平の世を維持しようとすることに重きを置いていた感すらある。宗家二代目の青山忠俊は、徳川三代将軍家光に幾度となく諫言(かんげん)し、改易(かいえき)の憂き目にあう。改易とは、武士身分の剥奪と領地没収を意味し、刑罰の中では「切腹」の一つ前という重きもの。それでも、今までの功績と、諫言の正しさが理解されたのか、誰かが諭したのか、家光からの再出仕の要請が来るも固辞し、嫡男である青山宗家三代目の宗俊のみが、旗本として返り咲くも、すぐに加増となり大名としてお家再興を遂げます。以降はお目付役的な譜代の大名として、中には大阪城代のような幕府の要職に就きつつ、明治を迎えます。※画像は郡上八幡城です。

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 戦国時代には、その土地土地に根付いた大名が、群雄割拠の様相を見せ、地元を中心に版図を広げていく、もしくは守るという意識が強いものです。これが世界的に見ても稀有の天下泰平の江戸時代にあっては、少しばかり様相を変えていきます。「国替(くにがえ)」という知行地の引っ越しです。大名以下、家臣全てで新天地へ移動する、大々的な引っ越しは、想像を絶するほどの大事業だったことでしょう。歴史上では、豊臣秀吉徳川家康の郷里である静岡県中部の駿河国駿府からに江戸への転封(てんぽう)を指示したことに始まるようです。これほどの大きな国替は、江戸時代にも例を見ませんが、小大名は意外にも頻繁に引っ越しをしていたようです。同じ場所で長年藩主として君臨することで馴れ合いが生じ、悪政につながるかもしれない。はたまた、善政によって藩が力をつけ反旗を翻さないとも限らない。天下泰平だからこその、幕府による諸藩の管理体制でした。この大引越しにともなう不平不満は、功績によって石高の加増によってうまくコントロールしていたのでしょう。もちろん、減ることも。

 こと、青山家に至っては、この「転封」には違った意味合いが込められています。質実剛健の堅実な信頼のおける譜代大名。家系なのでしょうか、この気質は、青山分家にも色濃く残っていたようで、青山家分家の初代幸成は、常陸の国で旗本となるも、まもなくして加増され大名となり、静岡県西部に位置する遠江(とおとうみ)国掛川へ移封され、藩主として歴史に名を刻むことになります。その2年後、兵庫県摂津国尼崎藩へ。幸成から家督相続は順次行われつつ、所領値は長野県の信濃国飯山藩、さらには江戸中期となり青山幸成から4代目となる幸秀(よしひで)の時に京都府の丹後宮津藩へと移りゆきます。

 曽山家直前の遠江国掛川は、駿河大納言と呼ばれていた徳川忠長(徳川秀忠の次男)、彼の附家老(つけがろう)である朝倉宣正(のぶまさ)が入藩するも、忠長の乱行の数々が目に余るようになり、とうとう兄である家光の堪忍袋の緒が切れる。忠長の改易の沙汰が下り、朝倉宣正連座の責任を取らされ改易の負い目を被るのです。藩主が短期間で変わることに加え、この大騒動による混沌とした掛川藩を立て直すべく声がかかったのが、青山幸成でした。その後に転封する地は、全てが幕府にとっての重要拠点ばかり。五畿七道(ごきしちどう)とは、京都大阪含めた江戸時代前の政権の中枢の地から四方へと整備されていった古き時代よりある道。その山陽道の要が摂津尼崎藩山陰道の丹後宮津藩、東山(とうさん)道こと中山道では信濃飯山藩です。※画像は郡上八幡

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 青山幸成から5代目となる幸道(よしみち)が丹後宮津藩2代藩主の時、世間を揺るがす大騒動が勃発しました。江戸時代半ば過ぎから、領主の厳しい年貢の取り立てや引き上げに対し、日本全国で農民一揆が頻発していました。その中でも、この地の藩主は外様大名ながら幕府と諸大名との橋渡し役である「奏者番(そうじゃばん)」という幕府の要職に就くこととなり、出費がかさむようになります。そこで、年貢の取り立てを従来の「定免取り(じょうめんどり)」から「検見取り(けみとり)」へ変えようとしたのです。「定免取り」とは、年貢の取り立ては過去数年の実績をもとに算出した定量を納めるもの。不正などもあり賛否両論はありますが、収入は安定する上に、農法改良による増産分や粟や蕎麦なの副産物は、農民の収入となるため人々の働く意欲を掻き立てました。「検見取り」は、今世のように毎年検地により、納入分を決める方法です。もちろん、農民の反発がおき、百姓一揆へと発展していきます。ここまでは、よく聞く話でが、今回は違ったのです。

 無法無策の上に、藩主であるの金森頼錦(よりかね)の名前が出てこないということは、無関与で奏者番という出世ルートのみが関心ごとだったのでしょうか。そこに、石徹白(いとしろ)騒動という、白山信仰のおひざ元である寺社の権力争いも加わり、泥沼化したのです。厳しい弾圧のもとで、耐え抜いていた一揆側が。ついに老中への駕籠訴(かごそ)に打って出ます。駕籠訴は死罪、そこまでの決意がありました。そこで、幕府が動きだし、終息へと向かうことになる、ここまでになんと4年間という月日を費やしています。この一揆は、藩主金森頼錦の改易はもちろん、一揆に関わる人が全て処分を受けるという、類稀なる大事件でした。さらに、この一揆が原因で、幕府の若年寄勘定奉行などの首脳部まで改易などの処分を受けたことは、江戸300年を通して、今回だけのことです。1754年(宝暦)に端を発したこの一大事件は、「宝暦郡上(ぐじょう)騒動」と呼ばれています。

 この大騒動を納めるべく、白羽の矢が立ったのが、青山幸道でした。ここに「美濃郡上藩初代藩主青山幸道」が、「郡上藩青山家」が誕生するのです。ということは、この青山家の初代である幸成は「青山幸成は郡上藩青山家初代」という肩書になります。郡上八幡城を中心に街並を広げた郡上藩は、いまでも郡上市八幡町にその面影を遺しています。とうとう、ここで「Benoit↔青山↔梅窓院↔青山幸成↔青山家歴代藩主↔郡上藩↔郡上八幡」という道筋がつきました。

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 歴史を振り返りつつ、「Benoit郡上八幡」との関係が、並々ならぬ深き関係があったことを考察してみました。なかなかに、興味深い歴史であり、ここまで江戸時代を探ったことは、自分の人生の中で初めてのことでした。最初の「Benoit」と最後の「郡上八幡」、今でいう「郡上市」が、見事につながったと思いませんか?Benoitにとって「郡上クラシックポーク」は、美味しさはもちろん、選ぶべくして選んだ、まさに運命づけられた特選食材なのです。

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 さて、盆踊りブームも加勢し、日本中の耳目を集めているのが「郡上踊り」。その名の通り、郡上市が発祥の地であり、日本全国を見渡しても、これほどの参加人数と開催日数を誇るものは類を見ません。この盆踊りは、「見る」ものではなく「参加」するもの。「郡上のナァ~」と始まる歌声、鳴り響く太鼓や笛の音が、郡上の町に響き渡る。7月から9月までの長きにわたる期間、踊りが開催される日は31にもおよび、そのうちの4日間は夜通し踊り続ける。踊り終えた時に訪れる静寂の中、せせらぎの水の音が心に響く。心身ともに癒されるひとときです。

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 青山にある秩父宮ラグビー場にて毎年開催される「郡上おどりin青山」は、2019年に26回目を迎えました。なぜ、青山で郡上踊りが毎年開催されるのか?もうお分かりいただけたのではないでしょうか。

 

 天下泰平が300年も続くことは、世界史をみても稀有なこと。その恩恵を謳歌するかのように、文化芸能の隆盛をなしえた江戸時代。豪族が点在する、特に際立った特徴のない荒野、関東八州を徳川家康が所領としてあてがわれたところから、現在の皇居である江戸城を拠点に町が形作られることで、江戸の文化が始まります。さらに、日本橋をスタートとする「五街道」が整備されていきました。人の行きかう処に宿場あり、各街道の最初の宿場町は「江戸四宿(えどししゅく)」と呼ばれ、人々で賑わっていたようです。江戸四宿とは、「東海道品川宿」、「中山道の板橋宿」、「日光街道千住宿」、そして「甲州街道は高井戸宿」です。

 甲州街道(国道20号線)は、日本橋から始まり、皇居の北側(1699年に南側へ変更)を迂回するように西へ西へと進みます。前述したように、一番目の宿場町は高井戸宿でした。しかし、ゆうに16kmと離れるため、いささか遠いのではないか?という理由から、途中に新たに宿場町が作られることになります。途中に良き地があるではないか、ということで、内藤家の広大な屋敷地の一部に「新」しい「宿」場町が作られることになりました。ここに、「内藤新宿」が誕生したのです。

江戸時代、日本橋からこの街道を歩き続け、四谷大木戸の関所(今の四谷四丁目交差点)をくぐると、目の前には宿場町「内藤新宿」が続きます。この人々で賑わう通りの両脇には多種多様の店が軒を連ね、裏手の軒先には畑が広がっていたようです。秋深くなる時期には、緑鮮やかな葉の間に、輝かんばかりの鮮やかな深紅の剣先を空に向けた「内藤トウガラシ」がたわわに実っていたそうです。このトウガラシは八房系に分類され、葉の上に天に向かって房状に実るのが特徴。一面のトウガラシ畑は、赤と緑の見事なコントラストを成し、それはそれは目をみはる光景だったことでしょう。

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 もともと新宿が、唐辛子の産地であったわけではありません。では、この内藤トウガラシは、どうして栽培が始まったのか?諸藩の大名を江戸城に出仕させる制度、「参勤交代」が大きく関わっていたようです。各地方に転封されている各大名が、江戸文化を肌身で感じるまでは良いですが、やはり美味し食べ物には恵まれなかったのでしょう。そこで、地元から持ち込んで育てようとなったのです。内藤家の知行地は、信濃国高遠藩。いまいう長野県南部伊那市です。ここから持ち込まれた多くの中で、新宿の地に適したものが、トウガラシとカボチャでした。前述のように、トウガラシは「内藤トウガラシ」と、かぼちゃは「内藤かぼちゃ」として、江戸の伝統野菜に名を連ねます。特に、内藤トウガラシは、江戸時代の蕎麦ブームに乗じて、新宿の土手が真っ赤になるほど人気を博したようです。

 もうひとつ、西新宿に「成子天神社」があり、この周辺は鳴子坂と呼ばれていました。ここで江戸時代に一世を風靡した野菜が「鳴子瓜(なるこうり)」です。まん丸ではなく長細いメロンと表現したほうが良いかもしれません。しかし、甘さが優しいため、今は馴染みのメロンに地位を追われ、今や栽培する人はほとんどいません。この鳴子瓜もまた、地方から持ち込まれました。甲州街道を西へと進む終着点は「下諏訪」。ここで南下してきた中山道と合流し、さらに西へと向かうと最後の宿場となる「大津宿」、最後は京都の三条大橋へと辿り着きます。滋賀県に入る手前、岐阜県の西濃地方に「真桑村」があり、その地の特産が「真桑瓜(まくわうり)」です。幕命によって真桑村の農民を江戸に呼び、新宿で栽培が始まり、江戸では「鳴子瓜」と呼ばれていたようです。甘いものが少なかった時代だからこそ、この「果実的野菜」の甘みのある美味しさは貴重な存在だったことでしょう。「果樹になる実が果実」なので、イチゴやメロンは果実ではなく野菜に分類されます。

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 人が行き交うところに道ができ、道は行き交う人の憩いの場を作り出す。そして、人が集うところに歴史が生まれる。今回、「青山↔Benoit」を調べるにあたり、バラバラだった情報の断片を結び付けたのが、「道」でした。「五畿七道」にしても「五街道」にしても、行き交うところに村や町が形成され、その名前も何かしらの意味付けがなされ命名されているのです。ここで調べ切れていない点があるのです。郡上青山家は、参勤交代をどのルートを通ったのでしょうか?距離を考えると、「東海道」から国道246の原型となる「矢倉沢往還(やぐらざかおうかん)」から「青山通り」へ向かうのが妥当です。しかし、当時は「入鉄砲出女(いりてっぽうでおんな)」を厳しく監視していた箱根の関所があります。そう考えると、青山家が転封した地があり、青山宗家が信濃国小諸藩にいたこと、さらには下屋敷がご近所の内藤家が信濃国高遠藩であったことから、「中山道」から「甲州街道」へと流れたような気がいたします。皆様は、どう思われますか?

 

 さて、日本橋を起点として「五街道」、それぞれの最初の宿場町を「江戸四宿」とご紹介いたしました。東海道甲州街道中山道日光街道の4街道にそれぞれの4つの宿場町です。おや?五街道のもう一つはどこへ向かう街道なのでしょう?この街道に宿場町は作れませんでした。日本橋小網町にある行徳河岸(ぎょうとくかし)と千葉県市川市の行徳を行き交う海上航路で、「行徳船航路」と命名されています。海上に宿場町ができるわけもなく、江戸五宿ではなく四宿なのです。千葉県の行徳は塩を産する地、江戸住民にとっては欠かせない塩を運びこむ重要なルートだったようです。

 かつて、街道が二つの大きな街道に分かれる地点を「追分(おいわけ)」と呼び、この呼び名は今でも地名に残っています。現在の甲州街道を四谷から西へ向かってゆくと、新宿三丁目交差点に辿り着きます。ここが、甲州街道から青梅街道の追分です。この交差点を中心に伊勢丹さんの点対称の位置に「新宿元標」として追分であったことの記念碑と路面にパネルがはめ込まれています。人々の雑踏の中で見過ごしこと間違いないのですが、しっかりと残っています。ちなみに、川が合流する地を「落合(おちあい)」といいます。まさに川が落ち合う地。今、皆様が住まわれている周辺や、旅路の中で探してみるのも一興ではないでしょうか。

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 今回は、初となる三本立ての構成です。「郡上八幡への旅物語」を書くには理由がありました。Benoit特選食材「郡上クラシックポーク」です。どれほどの特選食材なの?どのような料理に仕上がるのか?「郡上クラシックポーク物語」は、以下より「はてなブログ」をご訪問ください。感動の誕生秘話が掲載です。

kitahira.hatenablog.com

 

さらに、郡上八幡とはどのような地なのか?史跡を辿りながらご紹介させていただきます。「郡上八幡への旅物語」は「はてなブログ」に記載いたしました。以下よりお時間のある時にご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 このご案内を作成するにあたり、株式会社明宝牧場、郡上市役所、一般社団法人岐阜県観光連盟、長青山寶樹寺梅窓院それぞれのご担当者さまより、快く画像を提供いただきました。この場をお借りいたしまして、深く御礼申し上げます。さらに、郡上市役所より多くのご案内をお送りいただきました。どれほど自分の助けになったことか、重ね重ね御礼申し上げます。

 

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

特選食材「郡上クラシックポーク物語」のご案内です。

「春のはじめだったために雪が深く、粉雪という動くものを透かして見ているせいか、悲しくなるほど美しかった。」司馬遼太郎 街道をゆく・二より

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 「日本でいちばん美しい山城があるはずだと登ったのは~」と司馬氏。登る最中で出会った山城の姿を仰ぎ見て、「街道をゆく」に綴った感想が冒頭の一文です。この時から、いかほど時が経ったことでしょうか。2014年(平成27年)、やはり粉雪がちらつく凍てつくような寒さ厳しい季節の頃の物語。

 郡上街道が郡上八幡に差し掛かると、右手に富山県へと向かう国道472号が姿を現します。この国道と並走するように吉田川が流れるも、雪に覆われる景色だからなのか、流れが止まっているかのようにも見える。上流へと向かうと、「明宝(めいほう)」という地名が目に入ってくる。その「畑佐」という地区で、国道を離れ山中へ入り込むと、何やら建物が見えてくる。「郡上明宝牧場」だ。車から下りたつ一人の男が、「仕上がった豚肉を送るので、みんなで食べてほしい」、そう農場長へ語りかけていた。

 「一生懸命育てた想いをわかっていただける商売をしたい」との強い信念のもと、販売ではなく「飼育」の分野に乗り出し、やっと結果がでたその時だった。数々の困難の中で、打開策がないか模索する日々が彼の日常であり、彼と彼の意志に共感した農場スタッフの弛まぬ努力によって成し得た美味なる豚が、豚を扱うプロの面々から高評価を受けたのは、ほんの前日のこと。今までの苦労の日々を想うと、どれほど嬉しかったことか。この日は農場スタッフの労をねぎらい、この喜びを分かち合いにきていたのだ。皆に安堵の表情が浮かび、喜びに変わる。しかし、この男は喜び勇む中で、身の引き締まる思いでいた。郡上の寒さではない、「より安心・安全な美味なる豚肉を皆様の食卓へ」加工者ではない生産者としての責任が双肩にのしかかってきたからだ。

 

 山の頂から流れ落ちたせせらぎが、谷間を縫うように落合いさらに落合い、悠然と流れゆく長良川。この清流の上流を目指し、山間(やまあい)に深く深く入り込むと、突如として姿を現す古き良き京都のような街並み。さながら「隠国(こもりくに)」のような。ここは、奥美濃の小京都と称される、郡上市にある「郡上八幡(ぐじょうはちまん)」です。この歴史深い美しい地のご紹介は、このメールの後半に書かせていただきます。この郡上八幡を目前にして、郡上街道を右手には、富山県へと向かう国道472号が姿を現します。美しき山城を目前に、ここで右手にハンドルを切る、なんとも後ろ髪を引かれる思いでいると、意外にもこの国道はなかなかに興味深い絶景の街道でした。

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 この国道は、吉田川と並走するようにするように走っているため、「せせらぎ街道」と名付けられています。カーブを曲がる度に、姿を変える山々と清流とが織り成す景色は、四季折々の美しさで我々を迎えてくれる。蒼翠とした山の姿も良いが、秋の粧(よそお)いに勝るものは無いかもしれない。上流へ上流へと向かい、「明宝(めいほう)」の「畑佐」という地区で、国道を離れ山中の峠道へと入り込むと、そこに「郡上明宝牧場」が広がる。ひょんなことから、この明宝牧場の持ち主である田中成典さんと出会えたことで、この地よりBenoitに「郡上クラシックポーク」が届くことになりました。この出会いは偶然というよりも、出会うべくして出会ったのかもしれません。

 郡上明宝牧場は、澄んだ空気に清らかな水という自然環境の中で、ストレスなく健やかに育った三元豚が「郡上クラシックポーク」なのだといいます。三元豚とは三元交配により生み出された種豚のこと。母豚は柔らかく美味しい肉質を持つ、全農ハイコープSPF種豚(「ランドレース種」と「大ヨークシャー種」の掛け合わせ)。父豚は良質な脂肪を蓄える、ゼンノーDこと「デュロック種」。この三元交配によって生まれた種豚が、「郡上クラシックポーク」です。商標登録は「クラシックポーク」と「郡上明宝三元豚クラシックポーク」です。

 

 「クラシック」とは?「伝統的な」という意味ではなく、クラシック音楽が流れる落ち着いた環境の下で育てているからです。特にモーツァルトは副交感神経を効果的に刺激し、交感神経優位の状態を改善してくれるなどリラックス効果があると言われ、ストレス解消にも良いとされています。そして、「この効果は豚だけではかなったのです」と教えてくれたのは、田中さんご本人から。「我々スタッフも心穏やかになり、ストレス少なく、いきいきと仕事をしています」と。

 なるほど、この類稀なる自然環境に加え、モーツァルトを聴かせて育てることでストレスを軽減させて育て上げる。さらに、徹底した衛生管理を維持しています。外部からの入場者を制限し、飼料・資材搬入入場者にも場内専用衣類、場内専用長靴の義務付けで疾病侵入リスクの軽減に努めています。そう、全ては「安全・安心な美味しい豚肉」を皆様にお届けするために。

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 「まずは試食してみてください」と、豚バラ肉がBenoitに届いたのが、8月末のことでした。届いた豚肉の艶やかな美しい色合いに、Benoitで食肉加工を担当しているスタッフからの驚嘆の声が漏れたといいます。ランチ営業最中、キッチンが全ての料理を供し終えたのを見計らい、送っていただいた豚バラ肉を1cmほどの厚さにカットし、フランス料理の手法でもある「休ませる」焼きを施し、シェフはもちろんキッチンスタッフで試食をしていた。

 キッチンが試食できる頃というのは、サービススタッフにとってはデザートを提供しようかという頃であり、何かと多忙である。それにもかかわらず、キッチンよりお呼び出しがかかる。何か問題なのかと一抹の不安を抱えながら向かう先に、シェフが待ち構えていた。無言のまま差し出されたステンレスのバットの上には、見事な色に焼き上げた尾田バラ肉がのっていた。「郡上クラシックポークだ!」と、お礼も束の間、豚肉を片手に勇む心を抑え込み、ホールに戻る。お客様へのデザートを伺いに行かなくてはならない。豚肉は気になる、お客様は待っている。この葛藤の中で、もがきながらお客様の待つホールへ赴く。恨めしいかな、自分のデザートの自慢話は長かった…。ホールが落ち着く頃を見計らい、シェフももう少し後で焼いてくれればと悪態をつきながら、いざ郡上クラシックポークの下へ。

 なぜ、シェフが忙しい只中に、自分をキッチンへ呼び、焼き上げた郡上クラシックポークを渡してくれたのか。この理由は、この豚肉が自分に教えてくれた。「うわ!美味しい!」と心の叫びが体中にこだまするかのようだ。冷めている上に、ただ塩だけの味付けで、何たる美味しさなのか。脂と肉のバランスが良く、特に脂の美味しさは甘く澄んでいる。美味(おい)しいとは、美しい味と書きますが、この郡上クラシックポークの味わいは、「美しい」とはかくなるものかと教えてくれている。後から聞けば、あまりの美味しさに、シェフを始めスタッフ一同が絶賛したのだという。

 そのまま焼いて食しても、かなりの美味なる逸品を前にして、フランス人の職人魂が黙っているとは思えない。「この豚肉で、自家製生ソーセージ作ったら美味しいのでは?」と問いかけてみると、不敵な笑みを浮かべて「考えてみる」との返事。難しいから諦めるという反応ではない、美味なる逸品を仕上げようとする職人気質を感じ取った瞬間だった。フランスには、食肉豚を無駄なく保存性をもたせながら美味しく加工する職人技が、綿々と受けつがれている。「シャルキュトリー」という伝統技です。テリーヌやパテなどはもちろん、豚の血のソーセージ「Boudin Noir (ブーダンノワール)」などは、無駄なく美味しくの典型ではないでしょうか。そして、忘れてはいけないのが、豚バラ肉のコンフィやソーセージです。

 さあ、ビストロBenoitの出番です。フランスの伝統「シャルキュトリー」の技にならい、美しいバラ肉に塩を振り、タイムの香草を添えた後にパックにします。それを湯の中に投入。脂の美味しさを維持しながら、肉の旨味をひきだすかのように、肉質を固くならないよう、ぐつぐつではなく、じんわりと低温にて熱を加えてゆきます。この旨味を馴染ませるかのように、いったん冷蔵庫で休ませた後、再度温め直し、表面をかりっと焼きを入れる、これぞBenoitの豚バラ肉のコンフィ。美しい脂をもっている郡上クラシックポークは、他の豚とは別格の美味しさに満ちています。

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 もうひとつ。シャルキュトリーという分類の中で、豚肉の塩漬けで我々でいうベーコン雄のような「Bacon(バコン)」、これと双肩を成すものが「Saucisse(ソスィス)とSaucisson(ソシィソン)」でしょう。前者はソーセージで後者は乾燥させたサラミのようなもの。ソーセージというと、我々日本人には馴染みの食材であり、2袋結束で売っているのを其処此処で見かけます。しかし、フランスでは加熱加工されたものではなく、「生ソーセージ」のこと。各店ごとの比率で、こだわりの香草が入った「生ソーセージ」が何種類も販売されているのです。確かに、加熱加工されたソーセージは便利ですが、生肉を詰めてあるだけのソーセージは、生肉なので扱いに注意が必要ですが、格別の美味しさがあります。この美味しさに慣れ親しんだBenoitシェフのセバスチャンが、前述したような高品質の豚バラ肉が手に入ることを知り、職人魂に火がつかないわけがありません。「これほどの豚バラ肉であれば、肩肉もまちがいなく美味しいはずだ」、手をこまねいていないで「肉こねよう」となるわけです。

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 このBenoitの試みを待っていたのは、自分だけではなかった。田中さんに打診すると、「選りすぐりを送ります」と即答です。しかし、肉のプロフェッショナルである田中さんから、こう要望が付け加えられました。「生ソーセージは肉の鮮度が大切です。そのため、ご不便をおかけいたしますが、Benoitへ納品する日を限定させてほしい。」と。シェフに伝えるも、すました表情で頷くのみ。プロ同士の多くを語らない阿吽の呼吸なるものを見せつけられた一幕でした。そして、見事なまでの肩肉がバラ肉とともにBenoitに届くのです。田中さんから「〇日に出荷できる」との報を受けると、キッチンは受け入れる体制を整え待ち受けます。

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 届いたクラシックポークは、営業の隙をみて、大ぶりの大きさにカットされたのちにPiment D’Espretto(フランス・エスプレット村特産のトウガラシのようなもの)少々に 塩・コショウを加えた後に、旅疲れを癒すように冷蔵庫で一日お休みさせます。翌日にミンチにし、イタリアンパセリとセージの香草を加え、よく混ぜ合わせます。そして、腸詰へ。クラシックポークの美味しさを十二分にお楽しみいただきたく、肩肉を6割以上加えてバラ肉とともに仕上げる、食品添加物を全く使用しない、自家製の生ソーセージがBenoitにお目見えしています。

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 ただ焼き上げたのとは一味も二味も違う美味しさがある反面、家ではなかなか仕上げるには技と手間暇がかかる。そのため、フランスではシャルキュトリーの専門店があるほどです。フランス料理伝統のシャルキュトリーの手法で導き出された、「郡上クラシックポーク」バラ肉のコンフィとソーセージが、美味しくないわけがありません。さらに、「Le Puy-en-Velay(ル・ピュイ・アン・ブレ)」の特産である「緑レンズ豆」を座布団のように下に敷きます。ワインと同じように、原産地を名乗ることのできる、政府保証付きのレンズ豆。この町は、ちょうどDijon(ディジョン)から西へ向かった先にある。同郷のよしみではないですが、Dijonの特産である「Mutard(ムタード)」、通称ディジョンマスタードとの相性は抜群。今回の付け合わせのレンズ豆にも、もちろんこのマリアージュです。

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 Dijonの町から、ワイン街道を南下るとLyon(リヨン)の街がある。フランスでも多種多様のシャルキュトリーに満ち満ちてるのが、この食の都リヨン。ともすると、全てが一堂に会した時、そこには伝統に裏打ちされた郷土のマリアージュが、我々を迎えてくれる。さらに、日本の美味なる逸品「郡上クラシックポーク」と「鮮度」というエッセンスが加味されたとき、皆様を「口福な食時」へと導いてくれます。プリ・フィックスメニューのランチ、肉料理の選択肢としてお選びいただけます。ディナーでご希望の方は、ご予約の際にお伝えいただけると幸いです。

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 さて、冒頭で登場した「郡上クラシックポーク」の生みの親ともいうべき「彼」とは、岐阜県下で有数の食肉メーカーの「株式会社養老ミート」の代表取締役社長である田中成典さんです。食肉への加工はもちろん、ハム工房まで備え、肉の扱いには長けている。県下には、他県よりもずっと恵まれた飛騨牛を筆頭に、奥美濃古地鶏や養老山麓豚といった特選食材が多く、彼がそれらを美味しくないと考えているわけではありません。美味しい食材が巷に溢れる中で、彼は考えた。「丹精込めて育てた想いが、更なる美味しさの高みへと導く」と。

 こうして、「郡上クラシックポーク」の生産プロジェクトの火蓋が切って落とされたのです。しかし、ことはそう易々とは進まないものです。県内はもちろん近隣県も、希望に叶う農場と出会うことはありませんでした。半ば諦めかけていた中での、1本の電話。

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 「建屋は古いが条件次第で私の理想の豚肉が生産出来そうな農家がある」と。場所は郡上市、飛騨高山の市場に行く途中でした。田中さんすら、こんな山の中に豚を育てている農場があることを全く知らなかったといいます。農場の持ち主は故畑佐敏夫さん(当時83歳)、「JAめぐみの」の農協参事を歴任され、県下畜産への功績は計り知れません。田中さんが畑佐さんとお会いした時、生産者としての想いを熱く語られたそうです。そして、今まで感じた事のない不思議な感覚にとらわれたといいます。きっと、予期せずに運命の歯車がかみ合ったときの感覚なのでしょう。

 急ぎ会社に戻り、父である会長にこの話をしたところ、「豚飼いはな(養豚事業)・・・」、しばしの沈黙の後「大丈夫か?」と。田中さんは、事の重大さに気づき、「今なら止められる」と考えたそうです。しかし、養豚にかける畑佐さんの想いと田中さんの想いが重なる。そして、託された願い、「一生懸命やったが、わしのこの年では…息子たちや働く村のもんを頼む」と。重責に押しつぶされそうな自分がいる中で、不思議な感覚に囚われていることに気付く。「なんだろう、失敗する気がしない」。経験が少ないがための無謀なのか?はたまた傲慢なのか?

 会長と対峙する中で、沈黙がゆっくりと時を刻む。なぜ、自分にこれほど自信があるのだろうか?実際には短かったと思うが、自分を顧みるためには十分すぎるほどの猶予を与えてくれたようだ。「そうだそうなんだよ、畑佐さんの農場で働く人々に失望感や喪失感が無いのだ。生き物を飼うということを前向きな気持で捉えていることが表情に表れているからか。」これを肌身で感じとっていたのだ。

 会社を長年切り盛りしてきた会長が、まして父親が、息子のである成典さんの機微を捉えないはずはない。「迷惑かけんで」という息子の控え目の一言とは裏腹な、確固たる信念と自信を感じ取り、息子の「郡上クラシックポークプロジェクト」の申し出に応じるのです。

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 代表取締役を担っている養老ミートと、「食材」を「食卓」に届ける最終目的は同じであっても、「生き物を飼う」ということは、全くの別の発想をもって運営していかなくてはなりません。会長に「迷惑かけんで」と約束した以上、失敗は許されない上に、ゼロから始まる全てのことを自らで行わなければなりません。銀行との借り入れ交渉や、事業計画も会計事務所と昼夜問わず打ち合わせ、資金繰りもろもろと、プロジェクトが進むにしたがい、難題がでるわでるわ。「大丈夫だ!」と自らを奮い立たせること、数知れず。

 畑佐さんの農場を引き継ぐと決めた後、すぐに相談に向かった先は全農岐阜県本部です。前部長川尻さんへ心意気を話したところ、「全面的にバックアップするで、東日本くみあい飼料の田中と話してくれ」と何と心強い返事をいただいたことか。ご紹介いただいた田中さんに教えを請い、ともに取り組むことが農場再建の基本となったのです。

 まずは衛生レベルの引き上げです。築30年以上の豚舎の徹底的な清掃を始めることになりました。そして、外部からの入場者を制限し、農場スタッフはもちろん、飼料・資材搬入入場者にも場内専用衣類、場内専用長靴の義務付けしたのです。徹底的な清掃とは、言うは簡単ですが農場スタッフ皆が周知し、徹底することは容易(たやす)いことではありません。郡上市明宝とは、遠く離れた地から「新社長」として就任した田中さんが、「掃除してください」「キレイにしてください」と言ったところで、「豚を飼った経験は数か月だという素人社長で、本当に大丈夫なのか?」という懐疑的な想いが農場スタッフの中で沸き起こることは疑いようがありません。

 そこで、事業計画の段取りの合間に、幾度となく農場へ足を運び、田中さんの熱い想いをスタッフに語り、ともに行動する時間を可能な限りもったのです。「安全安心な美味なる豚肉を皆様の食卓へ届ける」という想いは、田中さんも農場スタッフの皆さんも同じ。「最高に美味しい」という枕詞(まくらことば)を付けることを目指す田中さんは、その想いを皆に理解してもらえるように語ることに終始する。彼はスタッフが自分の想いを素直に受け入れてくれ、志一つになれたことを、「幸運でした」と語る。いやいや、人を動かすことは並大抵な努力ではできません。きっと田中さんの背中が、雄弁に語っていたのです。「とにかく、やろう!」、プロジェクトの屋台骨が堅牢に組みあがります。画像は、立役者の町田農場長と息子さんです。彼らいなくして、このプロジェクトは成し得ません。

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 1頭もいなくなった豚舎の清掃に明け暮れる日々が、はや半年が経とうとする頃、母豚の導入準備に入るとの一報を受けます。「いよいよか!」と田中さんはもちろん、農場スタッフも逸(はや)る気持ちを抑えつつ、清掃の日々。さあ、次の課題はどう育てたものか?どう育てたら美味しい豚肉を作るにはどうしたら良いのか?多くの方に相談するも、リンゴジュースやパイナップル、梅やヨーグルトなど、美味しくなりという根拠がない。母豚の来園までに決めなければならないが、田中さんに焦りが募るも解決の糸口は見つからない。ここまで、頑張ってきたのに…

 飼育のプロフェッショナルではないからの、柔軟な発想がある。アマチュアではないから、何かしらの根拠がある。「豚舎にクラシック音楽を流しては?」愛知県でスーパーマーケットを展開している㈱フィール・コーポレーション会長の蟹江さんの一言が、田中さんが日々思い悩んでいた問題に光明を照らしたのだ。今まで、飼育することに囚われてしまうことで見失ってしまっていたこと。複雑に絡み合うことで難解怪奇なものと思っていたが、実は解きほどくカギは根本にあった。「飼育」ではなく「育てる」のだ。「美味い物を与えるだけじゃ美味しいお肉にならない。リラックスさせる環境だ!豚の気持ちを忘れてしまっていた。」農場に戻り、すぐに音楽が流れるよう準備したことは言うに及ばず。

 12頭が試験導入され、経過観察の後に本導入が決まりました。今までの努力が報われたかのように順調に事は進みます。これと時同じくして、「クラシックポーク」の商標申請に入ります。そして、待望の仔豚の誕生を迎えるのです。「本当に嬉しかった」と当時を振り返る田中さん。ところが、この喜びもつかの間、1週間ほどで農場には暗雲が立ち込めるのです。何だか発育の良くない仔豚が生まれたと連絡が入ったのです。生きた心地がしないとはこの時の事です。家畜保健所に検査を依頼しても、ウイルスは発見されません。最悪の結果が脳裏をかすめます

 不安を抱える中でも、農場スタッフの日々の努力の甲斐もあり、仔豚が次々と誕生し、成長していきます。仔豚の発育問題の原因が分からないまま、育てることの不安はいかほどのものか。原因が分からない以上、対策のとりようがありません。「とにかくやるしかない!」

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 後日、今回の仔豚の発育不良を引き起こした原因が解明されました。豚舎が無菌すぎて、母親から大腸菌に対しての免疫が受け取れなかったというのです。衛生レベルを極限まで高めようと、徹底した清掃をしたことが、あまりにもキレイすぎる無菌状態の豚舎としてしまい、大腸菌の免疫を仔豚が得られないという結果をもたらしたのです。しかし、決して皮肉でもなく無駄なことでもありません。当時の田中さん、農場の皆様の心配は、並々ならぬものであったことでしょう。清掃を徹底する意識を継続していることで、今の「郡上クラシックポーク」の美味しさの評判が消えることはありません。

 「郡上クラシックポーク」として販売が始まる前に、いままでお世話になった方々に集まっていただき、お礼の意味も込めた試食会を催しました。豚に関わるプロフェッショナルが集(つど)い、さながら品評会の様相です。大御所が田中さんへ、「湯を沸かして、鍋ごと持ってきてみい」と。意味も分からず、熱い湯の入った鍋を彼の目の前に持ってくる。すると、おもむろにクラシックポークを湯の中へ、しゃぶしゃぶと。「見てみい、灰汁(あく)がでとらん。田中さん、いい豚を育てたな。」極度の緊張下にある田中さんに笑みがこぼれるも、理解に苦しんだ。それを察したのか、「若いもんに、そこいらで売っている豚肉を買いに行かせ」と。買ってきた豚肉をしゃぶしゃぶすると、我々がよく見かける灰汁が浮いてくる。そう、大御所は最大の賛辞を田中さんへ贈ったのだ。

 続々と伝えられる賛辞のコメント。今までの労が報われた時だ。ただ、自分だけの業績ではない。明宝牧場の皆が、自分の無理難題に果敢に取り組んでくれたおかげである。一刻も早く、この喜びを皆と分かち合いたい。翌日、まだ雪が降り残るせせらぎ街道をひた走る、喜びを噛みしめながら、逸(はや)る気持ちを抑え込みながら。農場に着くと、寒い中に農場長が待っていた。田中さん、どうやら控えめな性格のようで、この喜びをどう皆に伝え分かち合おうか思案するも、うまい言葉が見つからない。

 冒頭でご紹介した場面こそ、まさにこの時のこと。畑佐さんに出会い、皆で同じ目標をめざし、徹底的な清掃から始めた日々。苦悩も分かち合えた仲間だからこそ、余計な言葉は必要ないのかもしれません。「仕上がった豚肉を送るので、みんなで食べてほしい」、この田中さんの一言で、皆には十二分に伝わったことでしょう。「より安心・安全な美味なる豚肉を皆様の食卓へ」加工者ではない生産者としての重責で、身が引き締まる忘れえぬ日になった。郡上の寒さが、いくばくか心地良いとさえ感じたことでしょう。

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 雪解けを迎え、明宝牧場よりまだ先に進んだところ、山肌一面に咲き誇る「國田家の芝桜」に魅せられる心癒されたころ、皆が努力した成果が表れ始めます。岐阜県では毎年6月に「トラックロードショー」と名付けられた品評会が実施されます。これは、40年ほど前から始まった品評会で、当時はまだ舗装していない道にトラックを並べ、荷台の豚の良し悪しを競ったのが始まりなのだといいます。田中さんは初出荷の2015年と翌年に出品し、見事に「金賞」を獲得。さらに2017年には「、岐阜県畜産共進会の「肉豚の部」では、優秀賞の栄誉をえることに。「郡上クラシックポーク」の美味しさを、プロフェッショナルが認めた証です。

 どれほどの栄誉に輝こうが、おごり高ぶることがない。ひたに基本に忠実に育て上げることを心がける田中さんと、農場の皆さん。彼らに妥協という言葉はなく、飽くなき探求心と弛まぬ努力は今も変わらない。今日もまた、豚舎隅々の清掃から始まる朝を迎える。

 

 今回は、初となる三本立ての構成です。郡上クラシックポークが美味しいのには理由があり、十分にご理解いただけたのではないでしょうか。この特選食材「郡上クラシックポーク」とBenoitは、出会うべくして出会ったようなのです。「Benoitと郡上八幡」が、並々ならぬ縁があったとはどういうことなのか?「郡上八幡の物語」は、「はてなブログ」に記載しております。お時間のある時に、以下よりご訪問いただけると幸いです。キーワードは「梅窓院」です。

kitahira.hatenablog.com

 

 さらに、郡上八幡とはどのような地なのか?史跡を辿りながらご紹介させていただきます。「郡上八幡への旅物語」は「はてなブログ」に記載いたしました。以下よりお時間のある時にご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 このご案内を作成するにあたり、株式会社明宝牧場、郡上市役所、一般社団法人岐阜県観光連盟、長青山寶樹寺梅窓院それぞれのご担当者さまより、快く画像を提供いただきました。この場をお借りいたしまして、深く御礼申し上げます。さらに、郡上市役所より多くのご案内をお送りいただきました。どれほど自分の助けになったことか、重ね重ね御礼申し上げます。

 

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoitシャンパーニュパーティ「DEUTZ(ドゥーツ)」のご案内です。

 猛烈な勢いを保ったまま台風19号が、静岡県から上陸し、暴風雨をまき散らしながら岩手県沖へと抜けていきました。前回の台風15号の教訓もあり、用心に用心を重ねたことと思います。しかし、自然の猛威にはなすすべもなく、ただただ何事もなく通り過ぎること祈るのみでした。皆様が台風の惨禍を被ることなく、無事息災であることを信じております。

 

 セリから始まりナズナに続く「春の七草」は、暗唱できる方も多いのではないでしょうか。では、「秋の七草」はというと、なかなか思い浮かばないものです。意外なことに、秋の七草の方が、先に世の中にお目見えしているのです。時代は万葉の時代まで遡ります。彼の時代に家屋から景色に、アスファルト舗装などあろうはずもなく、集落から少し歩み出れば大草原があり、その先には里山が広がっていたことでしょう。そこに、咲き誇る花々の中から、秋の風情にぴったりなものを数えてみると7種あったのでしょう。

秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七草の花 

萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) なでしこが花 をみなへし また藤袴(ふじばかま) 朝顔が花

   山上憶良万葉集より」

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 秋の七草の筆頭に上がるのが、「萩(はぎ)」の花。しかし、ハギは草ではなく樹です。太い幹を持つわけではなく、低い背丈に枝垂(しだ)れる枝なみを見ると、草のように見えなくもない。これほど自然の機微を、見事なまでに歌いつづる山上憶良が、気づかなかったのか。はたまた、かつては草という概念の中に樹が存在していたのか。どんなに自分が詮索したところで結論が出るわけなく、彼が「萩を七草に加えた」ことは周知の事実。さらに、萩を筆頭においたことは、秋を彩る可憐で美しい花として、身近に目にすることができたからでしょうか。

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 二番手に名を上げるのは「尾花」。これは、芒(すすき)です。花のように見えませんが、立派な小さな花の集合体。稲穂に似ていることから、豊穣を祝う新嘗祭(にいなめさい)や十五夜のお月見などにも欠かすことのできない、今でも秋を代表する花ではないでしょうか。毛がふさふさの尾のように見えることから「尾花」とは、名付けの妙というものでしょう。

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 さて、草冠に秋と書くだけあって、万葉の時代から秋の代名詞的な花だった萩の花。この字は、日本人が考え出した「国字」と思いきや、実は「国訓」だったのです。国字とは日本人が作り出した漢字で、国訓は既に存在する漢字に日本人が新たな読みを加えたもの。中国には、キク科の多年草であるヨモギの類のことを指し示す「萩(しゅう)」という漢字がすでに存在していました。日本のハギはマメ科多年草であり別品種です。古人は中国から伝来してきた「萩」の漢字に、日本のハギの美しさを見出したのでしょう。「萩(しゅう)」に「はぎ」という読みを当てたのです。「中国の萩」と「日本の萩」は別物なのです。

 もう一つ、我々が間違えやすい漢字に、「荻(おぎ)」があります。「萩」と「荻」は、ついつい書き間違いや読み間違いをしやすいもの。「荻」はイネ科のススキ属に分類されています。自分を含め、あまりにも姿が似ているため、ススキとオギを混同している方も多いはずです。オギは湿地帯で地下茎を伸ばすように生息域を広げ、ススキは乾燥土壌を好み、株を大きくしていくように成長していきます。しかし、ススキは湿地にも生息しているという。あまりにも姿が似ている「荻(おぎ)と芒(すすき)」。ともに、今の時期になると、其処此処で目にすることができます。

 山上憶良が、七草に数える最初の「萩」と「尾花(芒)」。ここに「荻」を加えないところに、彼の我々への「問い」が隠されているのかもしれません。言うなれば、深まり行く秋を代表する「萩・芒・荻」の花々、この違いを問うている。昔懐かしいコマーシャルではないですが、「違いの分かる男(女)」の言葉遊びでしょうか。余談ですが、苗字で「萩原」「荻原」はありますが「芒原」は聞きません。萩も荻も野原一面に広がるようですが、芒は局地的に密集するようです。そんな先人たちの見識が、この苗字に隠れているのかもしれません。下の画は、「芒」か「荻」か、さてどちらでしょうか?

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 有史以前から存在していたであろうワイン。収穫したブドウを、保管しようと器の中に入れることで、果実が圧し潰される、すると、果皮に付着している天然酵母が発酵を行うため、人類が最初に口にしたアルコール飲料ではないかと言われています。ブドウは液果に分類されるほど果汁に富んでいます。そのほとんどが水で数%の成分の違いが、ワインの品質に左右するというのです。ワインの造り手は、飽くなき探求心と弛まぬ努力を、この数%の僅かな違いに、まさに心血を注いできたのです。どんなに醸造技術が発達したとしても、最高のブドウ果実を無くして最高のワインは生まれません。5の能力のブドウから10のワインは、魔法でもかけない限り醸せません。例外はありますが、何も加えずに造られるワインだからこそ、素材そのものが重要なのです。さらに、10の能力のブドウから5のワインが生まれることは往々にしてあること。そのため、ヴィンテージが云々、造り手が云々と語られる所以はここにあるのです。

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 1838年、ウィリアム・ドゥーツ氏とピエール・ユベール・ゲルデルマン氏によってピノ・ノワールの聖地、シャンパーニュ地方・アイ村に設立された、シャンパーニュ・メゾン「DEUTZ(ドゥーツ)」。テロワールを重んじ、自然との紙一重の攻防を繰り広げ、妥協のない手間暇をかけて見事なまでの果実を育て上げ、さらに厳しい選別を乗り越えた高品質のブドウが、シャンパーニュという至高の飲物へ醸される。そして、厳しい選別の末に、年ごとにDEUTZの名を冠するに値するものだけを世に解き放つのです。1993年には、大手メゾンのルイ・ロデレールの傘下に入ることで、積極的な設備投資が行われ、調和された完璧なフィネスと複雑性を持ったシャンパーニュとの賞賛を得るに至ります。この立役者となったのが、1996年にCEOに就任したファブリス・ロセ氏です。

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 所有する畑は42haに及び、シャンパーニュ生産量の35%が自社畑。それ以外のブドウは、優良な農家との長期契約により、毎年高品質のブドウを確保しています。特級畑の比率は、シャルドネ種98%、ピノ・ノワール種99%、ピノ・ムニエ種97%と、平均で97%にいたります。熟成に必須な地下セラーは、最深部で65mともなり3kmの長さを誇ります。温度11℃に湿度95%を通年にわたり維持しているこの地下セラーは、常に足元が濡れているのだといます。

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 このDEUTZのシャンパーニュを、皆様に十二分にお楽しみいただきたく、来たる10月29日にファブリス・ロセ氏をBenoitへお迎えし、皆様に美味なる理由を語っていただこうと思います。彼がコンセプトに大きく関わった「アムール・ド・ドゥーツ」は多くのシャンパーニュファン憧れの1本。それを含むドゥーツ社の誇る5種のシャンパーニュをご用意いたします。DEUTZの魅力を十二分にお楽しみいただける、またとない機会です。

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Benoitシャンパーニュ・メーカーズディナー「DEUTZ(ドゥーツ)

日時:20191029()18:30より受付開始 19:00開演

会費:18,000(ワイン・お食事代・サービス料込、税別)

※ご予約を受け付けております。電話もしくは、Benoitへメールにてご連絡をお願いいたします。質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせ、もしくは返信をお願いいたします。

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ラインナップ

NV Brut Classic

2012 Brut Vintage

2009 Amour de Deutz

2007 William Deutz

NV Brut Rosé

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 日本のテロワールテロワールとは、その土地をとりまく自然環境であり気候風土のこと。地方地方で違うのはもちろん、細かく言うと畑の場所場所で違ってくるといいます。斜面や平面、土壌や土壌微生物などもひっくるめて、間違いなく同じ環境などありえません。ブドウの品質に差異が生じるのは、このテロワールが大きな要因である、とはワイン愛好家の常套句でもある便利な言葉です。日本人の場合、「お米」が分かりやすいかもしれません。コシヒカリという品種は、日本全国津々浦々で栽培されていますが、地方ごとに味わいに違いがあります。米どころ新潟県に限定しても、各地区だけではなく、同地区でも田ごとに違いがあり、格付けがなされています。日本でもテロワールという概念は古来より存在していました。土があり、四季折々の風が吹く、テロワールとは「風土」ということなのではないでしょうか。そして「風土」が育んだ味わいが「風味」となるのです。

 ロセ氏の手の下でどのようなシャンパーニュへと醸されたのか。彼はどのような想いをシャンパーニュに込めたのか。ワインを通して、さらに彼の話の中に見出すことの楽しみをお届けしたいと思います。それぞれのシャンパーニュは、何を我々に語るのか?料理とのマリアージュが、お互いの美味しさをどれほど引き立たせるのか?綿々と受け継がれてきた伝統に、ロセ氏の弛むことのない努力と飽くなき探求心を、経験に裏打ちされた匠の技と感を、そして揺るがぬ自信と誇りを、この一夜限りのディナーを通して美酒に酔いしれながら実感してみませんか。10月29日は最高の出会いをお約束いたします。この夜を境に、DEUTZの「違いの分かる男(女)」とならんことを望みませんか?

 

 世界一の収量を誇る果物は、「ブドウ」です。もちろん、生食と加工用を含めてです。世界規模で栽培されているだけに、その歴史は深く、紀元前3000年前には、黒海カスピ海沿岸ではすでに栽培化が成されていたといいます。文明の伝播が、そのままブドウ栽培地という様相を見せる中で、ローマ帝国時代に加速度的に版図を広げたのだといいます。彼の帝国が崩壊すると、ブドウ栽培の伝道者としての役割を担ったのが「修道士」でした。

 キリスト教を布教する目的で、イタリアからフランスへ、プロヴァンス地方を境に、さらに北へ西へと向かっていきました。その際に、拠点となる教会を中心に街を造り上げ、周囲には神聖なる「ワイン」を醸すために葡萄を植え付けていきます。しかし、肥沃な土地は葡萄など植えることなく作物を育て、民に食を提供しなくてはなりません。自給自足のできる農業国フランスとはいえ、昔々はまだまだ未開の地。生きるための糧こそ、まず先に確保しなければなりません。嗜好品のワインは「二の次」だったはずです。そこで、他の作物に比べ屈強な葡萄は、斜面や他の農作物が育たないような不毛の地に植えられることになりました。これが、今のワイン産地の礎を築くことになります。

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 過酷な環境でこそ高品質の葡萄が育つとは、今でこそ周知の事実です。かつては、生きるために必要不可欠な食料を確保しなければならない、その糧が育てられない「不毛な地だからこそブドウしか植栽できなかった」。斜面や地盤の緩い危険な地もあったことでしょう、過酷な環境の中で開拓を進めていったのです。彼らは、試行錯誤を繰り返すも、情報が無い中で多くの生死を分かつ失敗もあったことでしょう。そして、確たる情報もない中で、土壌ごとに適した品種を選び植えつける。先人たちの苦悩と苦労は計り知れません。フランス中央のブルゴーニュ地方を過ぎ、さらに北へ北へと向かった修道士達が行き着いた地は、霜(しも)や雹(ひょう)などの冷害と紙一重の厳しい自然環境もった地、フランス最北の地、シャンパーニュ地方です。

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 ワインを作るのに不可欠なものがブドウです。厳冬を乗り越え、休眠していた樹が目覚め涙する。ほっこりと芽吹き、可憐な花を咲かし小さな緑色の実を成す。葉は緑美しく太陽の恩恵を受けようと広く大きく成長し、夏場の陽射しを十二分に浴びる。白ブドウは透明感のある黄金色に、黒ブドウは色濃く美しいルビーの色あいに、これぞ完熟の証。一年間の弛まぬ努力の成果が秋に収穫という形で訪れます。そのブドウ栽培が、どれほどの苦労と労力を費やし、天候に左右されることか。

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 フランスに限ってみてみると、南の地よりも北の地の方が植えつかれているブドウ品種数が少ないと思いませんか。「品種を選び」と書きましたが、昔は今のような品種の知識はなかったはずです。南より修道士が持ち込んだブドウの品種は、今でいう多種にわたっていたはずです。それを植栽するも、厳しい環境に適応できずに枯死することで淘汰されていきます。生き残った中から、さらに優良株を選別し植え付けていったはずです。結果的に、それが同じ品種であり、「それぞれの地に適応した品種」という形で今なお残っているのです。南に比べ北に向かうほど品種が少なくなる理由は、このあたりに理由があるのかもしれません。

 

 抗することのできない自然の災禍は、何も葡萄に限ることではなく、農産物、海産物全ての産物に当てはまること。古今東西を問わず、刻一刻と変わる天気に一喜一憂することばかりではなく、絶望の淵に立たされるほど自然に打ちのめされることもあったでしょう。それでも、人類は諦めることなく試行錯誤のなかで継続することを選びました。なぜでしょうか?全て美味しいものを育て上げること、手に入れること。その先に、皆様の「口福な食時」のひとときがあるからに他なりません。計り知れない苦労と心労の中で手に入れた産物は、どのような姿に変えようとも、美味しくないわけがありません。生きとし生けるものは、食べなければ生きてはいけません。誰かが丹精込めて育て作らなければ食物を食べることができません。「いただきます」と「ごちそうさま」に込められた感謝の気持ち。これがために人々は頑張れるのかもしれません。

 

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoit特選情報「10月ダイジェスト版」のご案内です。

花すすき まねく袂(たもと)は あまたあれど 秋はとまらぬ ものにぞありける  藤原元真(もとざね)

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 其処此処で我々に秋の到来を教えてくれる「ススキ」。月とは群を抜いた相性も見せており、過日の仲秋の名月では皆様のご家庭でも活躍したのではないでしょうか。たわわに実る稲穂に似ていることからも、五穀豊穣を祝う祭事でも欠かせない存在です。平安時代に生を受けた藤原元真の頃には、ススキの草原が広々と根を張っていたことでしょう。今では限られた地でしか見かけないものの、それでも自生している立派な秋の風物詩。風になびくように穂を垂れたような姿は、こっちこっちと、まるで我々を手招きしているかのようではないですか。ホラー映画にも出てきそうな場面でもありますが、ここは、秋晴れの下での清々しい光景を思い起こしてください。

 大海原を想わせるようなススキの群生が、我々を秋の玄関口へと手招きしている。それにもかかわらず、秋という季節は、そ知らぬふりをして立ち止まることなく足早に過ぎ去ってゆくものですね。移ろいゆく秋の景色は、一刻一刻と姿を変えてゆく。その変わりゆく美しさに心惹かれるも、もう少しゆっくりと秋を満喫したいものだよ。そのような幽愁(ゆうしゅう)の想いのこもった一句のような気がいたします。

 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去るのと同時に、秋の食材もまた待ってはくれません。降り注ぐ太陽の陽射しが万物を育て上げ、四季折々の風はその土地土地に味わいをもたせる。その風のもたらした美味しさこそ「風味」であり、我々はここに「口福な食時」を見出すのです。そして、旬を迎える食材は、人が必要としている栄養に満ちています。そして、人の体は食べたものでできています。「美しい(令)」季節に秋食材が「和」する逸品に出会い、食することで無事息災に秋を過ごしていただきたい。この想いを込め、Benoitの10月のダイジェスト版を作成いたしました。

 

皆様にご紹介したい内容は、以下の17件です。

「特別プラン」のご案内 1件

「特選食材/料理/デザート」のご案内 15件

「イベント」のご案内 1件

 

「トレ・ボン!日本のテロワール 特別プラン」のご案内です

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 Benoitシェフのセバスチャンが、アラン・デュカスの料理哲学「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること」を踏襲しながら、日本のテロワールの魅力を「トレ・ボン!日本のテロワール」と銘打って、皆様にご紹介していこうと思います。日本の各地方が育んだ食材を通し、まるで彼の地を旅しているかのようにお楽しみいただけると幸いです。

 日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、さらにはこの長文レポートに目を通していただけている皆様の労に報いなければなりません。そこで、特別価格のご案内です。期間は、メールを受け取っていただいた日より、1130日までの平日限定。各コース料理の前菜とメインディッシュは、プリ・フィックスメニューからお選びいただけます。ご予約人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

ランチ

前菜x2+メインディッシュ+デザート

4,800円→4,300円(税サ別)

ディナー

前菜x2+メインディッシュ+デザート

7,100円→6,100円(税サ別)

 ご予約は、Benoitへのメール、もしくは電話にてお願いいたします。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせください。

www.benoit-tokyo.com

 秋風が育んだ風味豊かな食材は、他にも多数Benoitのプリ・フィックスメニューに名を連ねます。岐阜県を代表する「飛騨牛」はもちろん、「奥美濃古地鶏」や「郡上クラシックポーク」。香川県のハモや宮城県のサバなどなど。詳細は、このメールの後半でご紹介させていただきます。長い長いメールですが、そのままスクロールしていただけると幸いです。

  今回の「トレ・ボン!日本のテロワール第一回目を記念し、ディナーのプリ・フィックスメニューをお選びいただいた方の中で、岐阜県の特選食材をお選びいただいた方には、飛騨高山の民芸品「さるぼぼ」などの記念品をプレゼントさせていただきます。そう、「うしぼぼ」もあります!さあ今宵の旅路は、いざ岐阜へ!※数に限りがあるので、なくなり次第終了させていただきますこと、ご了承ください。

 

シャンパーニュ・メーカーズディナー「「DEUTZ(ドゥーツ)のご案内です。

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 1838年、ウィリアム・ドゥーツ氏によってピノ・ノワールの聖地、シャンパーニュ地方・アイ村に設立された、シャンパーニュ・メゾン。個性に富んだ魅力的な生産者で、骨格のしっかりとした洗練されたシャンパーニュとして知られています。1996年の社長就任以来、積極的な設備投資と着実なブランディングを行い、ドゥーツ社の名を確固たるものとしたファブリス・ロセ氏。当夜は彼をBenoitへお迎えし、皆様に美味なる理由を語っていただきます。

 彼がコンセプトに大きく関わった「アムール・ド・ドゥーツ」は多くのシャンパーニュファン憧れの1本。それを含むドゥーツ社の誇る5種のシャンパーニュをお楽しみいただく豪華シャンパーニュディナー。DEUTZの魅力を十二分にお楽しみいただける、またとない機会です。

 

Benoitシャンパーニュ・メーカーズディナー「DEUTZ(ドゥーツ)

日時:20191029()18:30より受付開始 19:00開演

会費:18,000(ワイン・お食事代・サービス料込、税別)

※ご予約を受け付けております。電話もしくは、Benoitへメールにてご連絡をお願いいたします。質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせください。

www.benoit-tokyo.com

ラインナップ

NV Brut Classic

2012 Brut Vintage

2009 Amour de Deutz

2007 William Deutz

NV Brut Rosé

 

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 日本のテロワールテロワールとは、その土地をとりまく自然環境であり気候風土のこと。地方地方で違うのはもちろん、細かく言うと畑の場所場所で違ってくるといいます。斜面や平面、土壌や土壌微生物などもひっくるめて、間違いなく同じ環境などありえません。ブドウの品質に差異が生じるのは、このテロワールが大きな要因である、とはワイン愛好家の常套句でもある便利な言葉です。日本人の場合、「お米」が分かりやすいかもしれません。コシヒカリという品種は、日本全国津々浦々で栽培されていますが、地方ごとに味わいに違いがあります。米どころ新潟県に限定しても、各地区だけではなく、同地区でも田ごとに違いがあり、格付けがなされています。日本でもテロワールという概念は古来より存在していました。土があり、四季折々の風が吹く、テロワールとは「風土」ということなのではないでしょうか。そして「風土」が育んだ味わいが「風味」となるのです。

 秋風吹き抜ける風土で育まれた風味は、旬そのものの味わいであり美味しくないわけがありません。それを、フランス料理という「技」をもって姿を変えた時、皆様の体の中に、得も言えぬ美味しさに満ちた風が吹き抜ける。「口福な食時」のひとときへとご案内いたします。それでは、10月の特選食材をダイジェスト版としてご紹介させていただきます。ランチ限定、ディナー限定とありますが、ご予約の際にご希望をお伺いできれば、ご用意が可能です。お気軽にお問い合わせください。

 

飛騨高山の伝統野菜「宿儺かぼちゃ」が届いています。

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 岐阜県の 飛騨高山に伝承される鬼神「宿儺(すくな)」の名を冠する伝統野菜がBenoitに届いています。大きなサイズになればなるほど栽培が難しくなると言われるなかで、この見事なサイズにまで育て上げられた逸品は、高山市で「かぼちゃ名人」と称される若林さんの手によるもの。シェフ曰く、「かぼちゃ個々にムラが無い」と。

薄い表皮を削ると、見事なほどの黄色がかったオレンジ色が姿を見せます。和かぼちゃの多くは、味わいが素朴であるのに対し、この宿儺かぼちゃはそれとは一線を画します。コクのある甘さを持ちながら、後引く旨さに和かぼちゃらしい優しさがあります。ここに、タマネギの甘さとバターのコクを加え、黄金色のとろりとしたスープに仕上げます。

 洋かぼちゃにはない和かぼちゃの美味しさに舌鼓を打つこと間違いありません。ランチのプリ・フィックスメニューで、前菜の選択肢に入っています。

 

≪フランス産「栗のスープ」が満を持しての登場です。≫

 この時期になると、必ず問い合わせがくるのが、「栗のスープ」です。ビロードのようなという意味の「ヴルーテ」という名前にてメニューに名を連ねます。滑らかでフランスの栗らしい甘さとコクがある。洋栗だけではちろん甘くなる。そこで、味わいを引き締めるために加えるのは、栗の渋皮です。赤ワインのタンニンと同じ「渋味」を加えることで、前菜として立ち位置を獲得したのです。なぜ、毎年秋にBenoitのメニューに登場するのか?あまりにも美味しいからです。お問い合わせをいただく理由をご理解いただけるのではないでしょうか。

 ディナーのプリ・フィックスメニューで、前菜の選択肢に入っています。

 

Benoitのサラダが秋バージョンです。

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 ランチは不動のスタイルを堅持している中で、ディナーは季節を追うようにBenoitサラダが様変わりしてきました。秋も深くなる昨今、ここはシェフのたっての希望もあり、山羊チーズをサラダの上に。フランスのロワール川の中流域は、言わずと知れた山羊チーズの名産地です。チーズ図鑑を紐解くと、出るわ出るわの山羊ミルクのチーズばかりです。その中から、シェフが選んだものが、Sainte Maure(サント・モール)という長細く筒状に整形し、型崩れしないように中央に藁を通した独特の姿。山羊ミルクは、他の牛や羊と違い、酸味が特徴の飲み口の良いミルク。そこで、この酸味を和らげるためにも、ポプラの炭を表面にまぶして熟成させるのです。しかし、今回は料理に使用するため、このミルクの酸味を生かしたい。そこで、炭のまぶしていない真っ白な種類を、シェフは選んだのです。

 このチーズを、2cm程の厚さの円柱状にカットしたあとに、コロッケのようにパン粉をまぶします。サラダを盛りつけると同時に、揚げ油の中へ。熱々を半分にカットしたものを盛りつけます。クルミの香ばしさと食感とのコントラストも、食欲をそそります。秋らしいBenoitサラダは、ディナーのプリ・フィックスメニューの前菜として、お選びいただけます。

 

≪「奥美濃古地鶏とフォアグラのプレッセ」が前菜として登場です。

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 昔も昔の物語。天照大神を岩戸の中に身を隠し、世は闇の中へ。これは一大事と多くの神々が天照大神を岩戸から引き出すために、試行錯誤した様子が古事記に書き記されています。その時に、肌もあらわに踊った天宇受賣命(あまのうずめりみこと)は、芸能の神様として飛騨市河合町の鈿女(うずめ)神社に祀られています。その鳥居の下には「金の鶏」が埋められた。この鶏は天照大神を自ら「天の岩戸」を開けさせるため、気を引くために鳴かせたという「常世の長鳴鳥」だと。そして、この鶏こそ「岐阜地鶏(天然記念物)」の祖先であると。岐阜県養鶏試験場が、この「岐阜地鶏」をもとに、「神代の味」の再現しようと研究を重ね、並々ならぬ努力の末に生み出したのが、「奥美濃古地鶏(おくみのこじどり)」なのです。

 雄大大自然のなかで、のびのびと育てあげられる奥美濃古地鶏。すべての生産者の鶏が、この名を名乗れるわけではありません。岐阜県では奥美濃古地鶏普及推進協議会を発足し、厳しい基準を順守する生産者のみに与えられるもので、定期的に調査を行うことで品質の維持に努めています。この徹底した管理のもとで育てられた鶏肉は、ほんのり赤みを帯びた歯ごたえのある肉質を生み出し、深みのある旨味に満ち満ちています。

 今回は、奥美濃古地鶏の美味しさを十二分にお楽しみいただきたく、シェフのセバスチャンは型の中で重ねていくように仕上げる「プレッセ」という前菜に仕上げました。コクがあり心地良い食感のモモ肉の小ブロックと旨味溢れる胸肉のミンチ、さらにはフランスから届いたフォアグラとトリュフを少々加えたものを、ミンチにしない胸肉で挟み込むように肩に詰めてゆきます。上から軽く押すようにゆっくりと低温で熱加え、冷ますことで完成です。いうなれば、奥美濃古地鶏の奥美濃古地鶏ばさみ。部位の違いは食感や美味しさの違いを生み出し、口に運ぶ場所場所によって、旨さの表情を変えてゆきます。鶏肉の持つ、美味しさを損なうことなくしっとりと仕上げたこの逸品は、「神代の味」を十二分にお楽しみいただけるはずです。時代を超えた神々の世界へ皆様を誘(いざな)うでしょう。

 プリ・フィックスメニューの前菜の選択肢の中で、ランチは+1,500円、ディナーでは+1,200円にてお選びいただけます。

 

Benoitのシャルキュトリーに「フランシュ・コンテ地方のパテ」が仲間入りしています。

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 Benoitシェフのセバスチャンが、満を持してメニューに加えてきたシャルキュトリー(肉の加工品)の新作です。このカテゴリーはフランス料理ではなくてはならない伝統の逸品であり、地方地方で特産が加わることで、味わいも千差万別。今回はフランス中央から東部に向かった国境沿いに位置している、旧フランシュ・コンテ地方。彼の地の伝統にならって仕上げた「パテ」です。

 今までの「テリーヌ」と何か違うのか?このフランシュ・コンテ地方のパテは、鶏と鴨のレバーを主体に仕上げるため、柔らかい食感にレバーの旨いがねっとりとくる美味しさがあります。そこへ、豚バラ肉の塩漬けやモリーユ茸、忘れてはいけない彼の地の特産であるコンテチーズが加わるのです。ゆっくりと熱を加えた後に、1週間ほど冷蔵庫で休ませることで、味を落ち着かせ、皆様の下へ。カットした場所場所によって、口中に広がる美味しさの変化もお楽しみください。

 ディナーのプリ・フィックスメニューで、前菜の選択肢に加わっております。

 

宮城県志津川より南三陸産サバが届きました。

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 海水温が下がってゆき、美味しくなるのは秋鮭やサンマばかりではありません。サバをお忘れではないですか?今期は、「南三陸のマサバ」です。宮城県志津川漁港で水揚げされた鮮度抜群の逸品が、Benoitに直送されているのです。見事なサイズに加え、パンパンな胴回り。捌いているキッチンスタッフは、「脂の乗りも素晴らしいですよ」と話しています。これほどの鮮度の良いものが手に入るのであれば、とシェフが考えたのが、生食でした!生食?

 毎年話題になるのは、サバなどを生食することで起こる食中毒です。原因は「アニサキス」によるもの。もちろん、そんな危険なものをBenoitで皆様に供することはできません。では焼くのか?生とかいているが?ということなのです。この食中毒の対処方法は、60℃以上で1分以上加熱すること。と、もう一つ、-20℃で24時間以上凍らすこと。そうなのです、後者の方法をとるのです。24時間以上凍らせた後に、旨味を逃がさぬようゆっくり解凍します。そして、営業直前に表面をバーナーで焙り香ばしさを加えた後に、すぐに冷やすことで中は生のまま。オーダーが入った時に、このマサバの切身に、心地良い甘酸っぱさに仕上げたエスカベッシュのソースを絡めるのです。

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 鮮度抜群の南三陸の旬のマサバ、生でいただけるこの美味しさは、一食の価値あり。ディナーのプリ・フィックスメニューで、前菜の選択肢に入っています。ランチでご希望の方は、ご予約の際にお伝えいただけると幸いです。

 

千葉県勝山漁港の「キンメダイ」が届いています。

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 千葉県房総半島の先端から、少し内房に入ったところに位置している「勝山漁港」。東京湾への入り口に位置しているため、内房外房の豊かな漁場から、網で巻き上げられた魚、釣り上げられた魚と、多くの種類が水揚げされる名立たる漁港。しかし、過日の台風15号の惨禍は、例外なくこの漁港にももたらされたのです。漁船はひっくり返る、電気は止まる。早朝から続く暴風雨になすすべもなく、ただ過ぎ去るのを待つことしかできない漁港の人々の苦悩は想像を絶するものでしょう。その惨禍を目の当たりにしたときは…。しかし、勝山の人々の漁師魂は屈強なもので、彼らに諦めるという選択肢はありません。1週間もかからずに、漁船の出港を可能とします。後は通電を待つのみ。そして、この界隈でいち早く復興を成しえたのです。

 養殖業は、壊滅的なダメージを負うも、天然の漁場は豊かなまま。 その中から、Benoitが選んだ魚は「キンメダイ」です。夜中に千葉沖で釣り上げられた勝山漁港のキンメダイは、脂ののりがほどほどに、海流にもまれているからなのでしょう、プリっとする食感と旨味は抜群です。さらに、漁港よりBenoitへ直送するため、水揚げ無しというリスクはあるものの、それ以上に「鮮度抜群」という大きな大きなメリットがあるのです。Benoitへ届けられたキンメダイ大きな目の、吸い込まれそうなほどの透明感が全てを物語っています。

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 プリ・フィックスメニューのディナーのみ、魚料理の選択肢として追加料金なくお選びいただけます。以下に記載いたしますが、フランスより美味しいキノコと組み合わせます。あまりにもキンメダイもキノコも美味しさをうったえてくるため、白身のお魚料理にも関わらず赤ワインのソースです。いったいどのような味わいのマリアージュとなっているのか、気になりませんか?

 

フランスから「キノコいろいろ」が飛行機に乗って到着です。

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 秋の味覚の代表ともいえる「キノコ」。冬本番を迎えるにまえに、ぜひとも味わっておかねばなりません。今は、ピエ・ブルー(シメジの仲間)、プルーロット(ヒラタケの仲間)、ジロール(アンズ茸の仲間)とトランペット・ドゥ・ラ・モー(「死のトランペット」という名前ですが毒キノコではありません)の4種類が、フランスから飛行機に載せられBenoitへ届けられています。ひとつひとつは地味ですが、ちゃっちゃと熱を加えることで放たれる芳しい香りと味わいは、4種それぞれが個性豊かに奏でることで、得も言われぬ美味しさへと変貌いたします。

 メインディッシュでは、ランチはマダイと、ディナーは前述したキンメダイと組みわせ、追加料金なくお選びいただけます。「海の幸と森の幸」がどれほどの出会いを見せるのか。さらに、ともに白身の魚にも関わらず、なぜ赤ワインを使ったソースを組み合わせるのか。きっとこの解答を導きだせることでしょう。

 

香川県小豆島から「島鱧」がBenoit初登場です。

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 香川県小豆島(しょうどしま)。穏やかで温暖な瀬戸内海に浮かぶ県下最大の島です。オリーブ栽培で有名な地ですが、島だけに海産物も豊富。一見穏やかに見える瀬戸内海ですが、小豆島近海は海流が早い。そして、ここはエビが多い海域でもある。ということは、この小豆島近海のハモは、筋肉質で実が締まり、美味しい海老をたらふく食すことで、ハモ自らが旨味をもつことになるのです。そこで、島の北西に位置している四海(しかい)漁港では、乱獲を防ぎつつ、厳しい基準を設けることでハモの品質保持し、他に類を見ない美味なるハモとして、「小豆島・島鱧(しまはも)」の確固たる地位を得ることになるのです。

 では、この美味しい島鱧を、Benoitのシェフはどうするか?もちろん、フランスではお目にかからないハモは、シェフのセバスチャンにとって初めてのこと。焼いたり煮たりと試行錯誤の末、ふっと脳裏に浮かぶフランス伝統の逸品、「リヨンのクネル」だ!フランスでは淡水に棲むカワカマスを使用します。我々には馴染みのないこの魚は、小骨が多く、取り除こうとは微塵にも考えたくないもの。そこで、フランス人は考えたのです、「骨ごとミンチにしよう」と。そして、リヨンが内陸の地ゆえにエビはいない。では、代わりにザリガニで濃厚なソースに仕上げ、カワカマスと合わせようとなるわけです。この発想と同じく、小骨の多いハモは、ミンチにし、団子に姿を変えます。しかし、味わいは雲泥の差ほどにハモが勝る。そこで、海には海のエビでソースを仕上げようと。誕生!「島鱧のクネルBenoit風」です。

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 プリ・フィックスメニューのメインディッシュの選択肢の中で、ランチは+1,000円、ディナーでは+800円にてお選びいただけます。

 

郡上明宝牧場“クラシックポーク”で仕上げるバラ肉のコンフィと自家製ソーセージがランチに。

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 岐阜市から清流長良川を上流へと上がった先に、山間(やまあい)から突如姿を現す古京都を思わせるような街並み、これぞ奥美濃の小京都と称される「郡上八幡(ぐじょうはちまん)」です。県のほぼ中央、飛騨高地の南側に位置し、山々より湧きいずる美しきせせらぎが落ち合い長良川へ。郡上市のほぼ全域が長良川流域ということもあり、この豊富な水資源は、水路として街並みに引き込まれ、「水の町」としての名声は今でも健在です。

 この郡上市の片隅に、明宝牧場の広大な地が広がっています。澄んだ清らかな水と空気という、この類稀なる自然環境中で、さらにモーツアルトを聴きながら、ストレスなく健やかに育った「クラシックポーク」が特選食材です。最初にBenoitに届いたバラ肉が、あまりの美味しさに、シェフを始めスタッフ一同が絶賛。脂と肉のバランスが良く、特に脂の美味しさは「甘く澄んだ美しさ」です。そのまま食してもかなりの美味なるものを、フランスのシャルキュトリーの「技」にて、姿を変えさせていただきます。

 今回は、肩肉とバラ肉を使い、バラ肉は塩ふって一晩置いた後に塩抜きして焼き上げる。この塩でマリネする一手間が、バラ肉の美味しさを引き出すのです。さらに、肩肉を6割以上加えてバラ肉とともに仕上げるBenoit自家製の生ソーセージ。食品添加物を全く使用しない、クラシックポークそのものの旨味を、フランス伝統のシャルキュトリーの手法で引き出したバラ肉のコンフィとソーセージが、美味しくないわけがありません。

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 プリ・フィックスメニューのランチのみ、肉料理の選択肢としてお選びいただけます。

 

仔牛のバロタンが登場、いったいどんな料理?

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 バロタンとは、なんと馴染みのない名前でしょうか。簡潔明快に説明するならば、「肉の肉巻き」です。ゴボウやアスパラガスなどを豚バラ肉などで巻いて焼き上げた料理はよく見かけるのではないでしょうか。それの肉々しいバージョンとでも言いましょうか。

 仔牛のやさしい旨味に、コクと脂の旨味を足すかのように豚バラ肉を加えひき肉に。さらに、ジロール茸とトランペット・ドゥ・ラ・モーで秋らしい森の風味を加え、イタリアンパセリで緑の味わいを足します。全てまとめたものを、仔牛のバラ肉でくるくると巻き上げる。ゆっくりと低温調理の後に、焼き上げるという、なんと手間暇のかかる料理でしょうか。

 食感の違い、旨味の違いを、シェフによって見事なまでにまるめ上げた、仔牛の仔牛巻き。プリ・フィックスメニューのディナーのみ、肉料理の選択肢としてお選びいただけます。

 

フランスのシャランなる地から「鴨胸肉」が届いております。

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 自分が若かりし頃、フランス料理といえば「鴨料理」だったような気がいたします。鴨南蛮蕎麦などもありますが、あまり和食では馴染みのない食材だけに、絶妙なる火加減で焼き上げた鴨胸肉の美味しさに感動を覚えたものです。今では、鴨肉の美味しさを求めるあまりに、フランスのCharente(シャラント)県へ辿り着くまでになりました。ここは、フランスでも有数の美味なる鴨を育て上げる地域なのです。

 フランス中央から西へ向かい、大西洋に面した旧地方名であるPoitou-Charentes(ポワトゥ・シャラント)地方。2016年に地域圏が再編されることで、大都市Bordeauxを内包するNouvelle-Aquitaine地方に組み込まれました。この北部の中ほどにシャラント県が位置しています。豊かな自然の中で、広大な農地で放し飼いのように育てるブランド鴨。食するものもトウモロコシや麦などを与えることで、旨味が増しています。この鴨胸肉がBenoitに届いているのです。

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 低温調理を施した鴨胸肉を、焼きを入れてから休ませる。この断面のロゼ色の美しさこそ、職人技ともいえる鴨料理の醍醐味。Benoitでは、スライスせずに、このブロックのまま皆様の下へお持ちいたします。好きな厚さでカットすることで、お好みの食感を楽しみながら、噛むほどに溢れる鴨特有の旨味を味わうことができます。プリ・フィックスメニューのディナーのみ、メインディッシュの選択肢の中で+1,200円にてお選びいただけます。

 

Benoitに和牛ブランド「飛騨牛」のランプステーキが登場です。

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 「清流の岐阜」の自然が育んだ逸品。誰しもが知る日本が誇る「和牛ブランド」です。岐阜県の全ての和牛が名乗れるわけではなく、黒毛和種であることはもちろん、飛騨牛銘柄推進協議会の厳しい審査をのりこえた牛肉のみに与えられる称号なのです。その肉質はきめ細かくやわらかで、とろけるような旨味に、舌鼓をうっていただけることでしょう。

 今回は、ランイチという腰の部位を選ばせていただきます。適度に入るサシが肉の旨味を引きたたせる、赤身の多い部位で、ステーキとして楽しむには最適。フランス料理の技法として、特徴的なのが「休ませる」という発想ではないでしょうか。素材を焼き上げた後に、肉でも魚でも必ず「休息の時」を設けます。鉄板焼きの場合には、焼き立てほやほやが提供されますが、Benoitでは、表面を鉄板で焼き色を付けた後に、温かい肉の休息場所へと移されます。肉の中の温まった肉汁は、まさに旨味そのものであり、この休息部屋で過ごす時間は、この旨味をゆっくりと肉に馴染ませるのに必要なひとときなのです。これにより、肉にナイフを入れた時、肉汁があふれでるということが無くなります。カットした一口サイズの肉の塊の中に、美味しさが内包されていることを意味するのです。肉の状態を見極め、切ることなく中の状況を把握せねばならない、まさに職人技。食材の美味しさを、生かすも殺すも調理次第です。飛騨牛の美味しさに感嘆の唸りを上げると同時に、肉の扱いに秀でたフランス料理の真髄を感じ取っていただけるはずです。

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 プリ・フィックスメニューのメインディッシュの選択肢の中で、ランチは+2,500円、ディナーでは+2,000円にてお選びいただけます。

 

岐阜県老舗の和菓子処から“和栗”がBenoitへ、2019年版モン・ブランに姿を変えます。

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 毎年姿を変えるBenoitの栗デザート「モン・ブラン」。2019年はどうなるのか?和栗の収穫を待ち続けてしまったがために、全ての食材がBenoitに集結したのは9月30日、まさに直前だったのです。その2019年版Benoitモン・ブランは、いったいどのように仕上がるのか?今回はBenoitパティシエール田中真理と、アジアを統括するパティシエであるジュリアンのニュアンスが加味されました。ジュリアンはアルザス出身、彼の地は栗デザートです。モン・ブラン発祥の伝統の地でもあるのです。彼の中でイメージしてきたのは、アルザスの伝統的なスタイル「Torche de Marron(トルシュ・ドゥ・マロン)」でした。トルシュとはトーチのことで、トーチの先に輝かんばかりに揺らめいている炎の模した姿のデザートということです。

 昨年に引き続き、岐阜県恵那市の「恵那川上屋」さんより、和栗を炊きほぐしていただいた栗のペーストを送っていただきます。55年間もの間、栗に向き合ってきた彼らの慧眼は本物です。今年は、さらに同県内の大垣市に店を構えること260年という「御菓子のつちや」さんに白羽の矢が立つのです。岐阜県の美味なる栗をつかった「渋皮煮」 を図々しくお願いしたのです。長きにわたり店を盛り立てる和菓子の技術は伊達ではなく、さらりと送っていただいた渋皮煮の美味しいこと美味しいこと。この、岐阜県に綿々と引き継がれる「和の技法」をもって仕上げらえた栗菓子の逸品。この2つの和栗が、Benoitでフランスの栗と出会います。

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 「そのままが美味しいのでは?」と皆様はお思いだと思います。素材が美味しく、確立した技の為せる逸品であり、間違いはありません。しかし、そこのフランスのエッセンスが加味されたとき、和のお菓子とは、一味も二味も違った美味しさを我々に魅せてくれるはずです。2019年のBenoitのモン・ブランは?トルシュの姿だけお披露目いたします。皆様、気になりませんか。

 プリ・フィックスメニューのデザートの選択肢の中で、ランチ・ディナーともに+1,000円にてお選びいただけます。

 

山形県朝日町大谷の遠藤農園さんからりんご「紅玉」」が届きました。

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 自分の 日本国内フルーツ探索が、とうとうリンゴにまで及びました。実りの秋・収穫の秋と言われるだけあり、他の食材に手を取られ、3年間もの期間、手付かずにいた食材です。リンゴはいともやたやすく購入できますが、「紅玉」という品種となると、栽培している方は、軒並み減少します。生食にて、しゃくっとした心地良い食感と甘みに満ちた新品種が続々と登場し、昔ながらの硬く酸っぱいりんごである「紅玉」は敬遠されているようです。しかし、ことデザートとしてリンゴを選ぶ場合、生食にて美味なる日本のリンゴでは、加熱した際に甘すぎて酸味がないため適しません。やはり、紅玉を探さねばなりません。

 今期は山形県朝日町大谷(おおや)の遠藤農園さんから直送していただけることになりました。10月6日に初収穫を迎えたばかりの初物です。この、可愛い小柄な紅玉を、1人2玉半ほど使用して、デザートに仕上げます。皮を剥き、スライスしたものを、ロメルトフというリンゴの形に模した素焼きの器にキレイに盛り込みます。リンゴ以外に加えるものはブラウンシュガーのみ。オーブンで焼くリンゴのそのものの美味しさは、紅玉の心地よい酸味無くして成しえません。今回いただいた遠藤農園さんの逸品を試食した田中は、「見事なバランスで素晴らしい!」と高評価です。過去何度となく直送に失敗した自分の念願が叶い、いよいよ遠藤さんが丹精込めて美味しく実らせた「紅玉をたっぷりつかったオーブン焼き」がBenoitデザートに登場します。

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 プリ・フィックスメニューのデザートの選択肢の中で、ランチ・ディナーともに+800円にてお選びいただけます。

 

 ススキの手招きにも応じず、立ち止まろうともしない「秋」への幽愁の想い。憂愁=幽愁と辞書に記載がありますが、ひねくれものの自分はどうしても調べずにはいられなく、我が家に鎮座する「漢字語源辞典」にて調べてみました。

 憂愁は、「悩み苦しむこと、悲しみ」とある。では、幽愁は「心の奥底の憂い、悲しみ」なのだと。分かったようで分からない、同じような気もします。両者に共通する「愁」は、「愁(うれ)い」とも読み、思い悩むことを意味します。また「憂」も「憂(うれ)い」と読み、同意です。そうすると、憂愁は、ダブルで思い悩むことで苦しい、日々の生活の中で起きうる人間関係や、金銭関係などで苦しみながら思い悩むこと。「幽」には奥深いという意があります。そうすると、自分ではどうすることもできない自然の摂理への、手の届かないどうしようもないことへ思い悩むことなのか。こう考えると、過ぎ去る秋への想いは、「幽愁」こそ相応しいのでしょう。

 Benoit特選食材で仕上げた美味なる料理の数々を逃してしまうことは、憂愁なのか幽愁なのか?ここは、皆様個々の判断にお任せいたします。よく見ると、「愁」の字は、秋に心と書いています。思い悩むことが多いのが秋なのかもしれません。ここはいっそのこと、足の赴くままにBenoitへお越しいただき、愁うことなく旬の食材をお楽しみいただく。そうすれば、憂愁でも幽愁でも、どちらもお構いなしという、全て万事解決に導かれるということでしょう。皆様との再会を、愁うことなく心待ちにしております。

 

いつもながらの長文、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸をお祈りいたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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トレ・ボン!日本のテロワール≪岐阜食材の饗宴≫メニュー確定のご案内です。

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 秋が深まりゆく今日この頃。9月13日には、夕刻には雲多く、半ば諦めかけていた「仲秋の名月」も夜半には見事な美しい姿は、まるで我々を励ましているかのようです。里芋に見立てた団子を積み上げ、ススキを飾り、感謝の気持ちを伝えた方々も多かったのではないでしょうか。そして、23日に太陽の分岐点ともいえるに「秋分」を迎えました。

 日本の季節の目安として欠かすことのできないものが「春分」や「夏至」に代表される「二十四節気」と、さらにそれを細分化した「七十二侯」。詳しい説明は割愛させていただきますが、両者の語尾を並べて作られた言葉が、「気候」です。その二十四節気の中で、季節の基準となる重要な目安となるのが、昼夜の時間が同じになる「春分」と、対をなすのが「秋分」。太陽の周りを一周する期間を1年とすることは周知の事実。しかし、365日では、徐々にずれが生じてくるために、閏年という仕組みで調節します。そのため、春分秋分にもずれが生じてくるのです。

 そこで、国立天文台が太陽の通り道である黄道と、赤道の延長線上に当たる天の赤道が同じとなる時期、我々からすると太陽が真東から登り真西に沈む時期を、「春分点」を毎年算出し、公表します。これが基準となり、秋分はもちろん、それぞれの節気もカレンダーにあてはめられているようです。とうことは、春分秋分の両日は、変動する祝日というわけです。この春分秋分の日を中日に前後3日の7日間、が2019年は9月20日から26日までが「彼岸」です。そして、仲秋の名月が「お月見団子」であるならば、お彼岸は「おはぎ」が欠かせません。

 

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく耳にいたしますが、古人の言うとおりに、日中はまだまだ残暑を感じるものの、朝晩には「涼しさ」を感じ取れるようになりました。夏の疲れを「おはぎ」の甘さで回復した後は、食欲がもどってくるというものです。この「食欲の秋」の到来を待ちかまえていたかのように、其処彼処で目にする秋食材は、我々を魅了して止みません。そこで、日本の秋食材と、地方地方に眠る美味なる食材とを組み合わせつつ、フランス料理という「技」を駆使した特選料理の数々が、10月からBenoitメニューに登場いたします。Benoitシェフのセバスチャンが、アラン・デュカスの料理哲学「素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること」を踏襲しながら、日本のテロワールの魅力を感じ取っていただけるはずです。

 その先駆けとして、皆様には10月1日に「一夜限りの特選メニュー」をご用意いたします。季節食材はもちろんですが、今回は「日本のテロワール」の素晴らしさも感じていただきたく、食を通して旅に出るかのように。日本全国津々浦々に特選食材を見出すことができる中で、今回の旅先は「岐阜県」です。飛騨牛奥美濃古地鶏や郡上クラシックポークが、そして岐阜伝統野菜の宿儺かぼちゃに和栗。岐阜県というひとくくりでは説明できない、育んだ地の魅力に満ち満ちた逸品の数々。フランス料理の技法によって仕上げられた料理に舌鼓を打つことで、まるで食を通して岐阜県へと旅をしているかのようなひとときを体験できるはずです。

 今回は10月にBenoitメニューに組み込まれるものの中から、10月1日のみの一夜限りの特選メニュー 「トレ・ボン!日本のテロワール≪岐阜食材の饗宴≫」特別メニューを組み立てます。当夜は、ミュージックディナーのように、何かイベントがあるわけでありません。通常通りのディナー営業なのですが、この一夜だけは、シェフのセバスチャンが、「今、これを食せずして岐阜県は語れない」という地の食材をつかって組み立てたコース料理のみご用意です。もちろん、皆様から「選ぶ楽しみ」を奪ってしまうため、特別な価格でご案内させていただきます。Benoitディナーの営業時間内のご都合の良い時をご指定いただき、ご予約いただけると幸いです。

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Benoit一夜限りの特選メニュー 「トレ・ボン日本のテロワール≪岐阜食材の饗宴

日時:2019101()17:30より(21:00LO)Benoitの営業時間内にお越しください。

コース料金:お一人様9,800(税サ別)

※ご予約をご希望の際は、Benoitへメールをお送りいただくか、直接ご連絡(03-6419-4181)をいただけると幸いです。何か質問などございましたら、何気兼ねなくお問い合わせください。

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 さあ、いったいどのような饗宴となるのか。岐阜を代表する食材を厳選し、手に入るかどうかの確認をとるのもなかなか難儀な作業でした。食材がほぼ決まり、シェフのイメージするコース料理の流れ、料理内容が確定いたしましました。特選食材のご案内と、垣間見える料理を少しばかりご紹介させていただきます。食材の都合により、直前に変更になる場合もございます。ご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

≪一口の前菜: 飛騨高山の伝統野菜“宿儺かぼちゃ”の温かいスープ≫

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 岐阜県の飛騨高山に伝承される鬼神「宿儺(すくな)」の名を冠する伝統野菜がBenoitに届いています。大きなサイズになればなるほど栽培が難しくなると言われるなかで、この見事なサイズにまで育て上げられた逸品は、高山市で「かぼちゃ名人」と称される若林さんの手によるもの。シェフ曰く、「かぼちゃ個々にムラが無い」と。

 薄い表皮を削ると、見事なほどの黄色がかったオレンジ色が姿を見せます。和かぼちゃの多くは、味わいが素朴であるのに対し、この宿儺かぼちゃはそれとは一線を画します。コクのある甘さを持ちながら、後引く旨さに和かぼちゃらしい優しさがあります。ここに、タマネギの甘さとバターのコクを加え、黄金色のとろりとしたスープに仕上げます。

 

≪前菜: 奥美濃古地鶏とフォアグラのプレッセ 黒トリュフ≫

 昔も昔の物語。天照大神を岩戸の中に身を隠し、世は闇の中へ。これは一大事と多くの神々が天照大神を岩戸から引き出すために、試行錯誤しる様子が古事記に書き記されています。その時に、肌もあらわに踊った天宇受賣命(あまのうずめりみこと)は、芸能の神様として飛騨市河合町の鈿女(うずめ)神社に祀られています。その鳥居の下には「金の鶏」が埋められた。この鶏は天照大神を自ら「天の岩戸」を開けさせるため、気を引くために鳴かせたという「常世の長鳴鳥」だと。そして、この鶏こそ「岐阜地鶏(天然記念物)」の祖先であると。岐阜県養鶏試験場が、この「岐阜地鶏」をもとに、「神代の味」の再現しようと研究を重ね、並々ならぬ努力の末に生み出したのが、「奥美濃古地鶏(おくみのこじどり)」なのです。

 雄大大自然のなかで、のびのびと育てあげられる奥美濃古地鶏。すべての生産者の鶏が、この名を名乗れるわけではありません。岐阜県では奥美濃古地鶏普及推進協議会を発足し、厳しい基準を順守する生産者のみに与えられるもので、定期的に調査を行うことで品質の維持に努めています。この徹底した管理のもとで育てられた鶏肉は、ほんのり赤みを帯びた歯ごたえのある肉質を生み出し、深みのある旨味に満ち満ちています。

 今回は、奥美濃古地鶏の美味しさを十二分にお楽しみいただきく、シェフのセバスチャンは型の中で重ねていくように仕上げる「プレッセ」という前菜に仕上げます。コクがあり地よい食感のモモ肉の小ブロックと旨味溢れる胸肉のミンチ、さらにはフランスから届いたフォアグラとトリュフを少々加えたものを、ミンチにしない胸肉で挟み込むように肩に詰めてゆきます。上から軽く押すようにゆっくりと低温で熱加え、冷ますことで完成です。いうなれば、奥美濃古地鶏の奥美濃古地鶏ばさみ。部位の違いは食感や美味しさの違いを生み出し、口に運ぶ場所場所によって、旨さの表情を変えてゆきます。鶏肉の持つ、美味しさを損なうことなくしっとりと仕上げたこの逸品は、「神代の味」を十二分にお楽しみいただけるはずです。時代を超えた神々の世界へ皆様を誘(いざな)うでしょう。

 

≪肉料理 1つ目: 郡上明宝牧場“クラシックポーク” バラ肉のコンフィと自家製ソーセージ レンズ豆の煮込み≫

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 岐阜市から清流長良川を上流へと上がった先に、山間(やまあい)から突如姿を現す古京都を思わせるような街並み、これぞ奥美濃の小京都と称される「郡上八幡(ぐじょうはちまん)」です。県のほぼ中央、飛騨高地の南側に位置し、山々より湧きいずる美しきせせらぎが落ち合い長良川へ。郡上市のほぼ全域が長良川流域ということもあり、この豊富な水資源は、水路として街並みに引き込まれ、「水の町」としての名声は今でも健在です。

 この郡上市の片隅に、明宝牧場の広大な地が広がっています。澄んだ清らかな水と空気という、この類稀なる自然環境中で、さらにモーツアルトを聴きながら、ストレスなく健やかに育った「クラシックポーク」が特選食材です。今回は、肩肉とバラ肉を使い、バラ肉は塩ふって一晩置いた後に塩抜きして焼き上げる。この塩でマリネする一手間が、バラ肉の美味しさを引き出すのです。さらに、肩肉を6割以上加えてバラ肉とともに仕上げるBenoit自家製のソーセージ。食品添加物を全く使用しない、クラシックポークそのものの旨味を、フランス伝統のシャルキュトリーの手法で引き出したバラ肉のコンフィとソーセージが、美味しくないわけがありません。

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≪肉料理 2つ目: 飛騨牛ランプポワレ 胡椒風味 自家製フレンチフライ≫

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 「清流の岐阜」の自然が育んだ逸品。誰しもが知る日本が誇る「和牛ブランド」です。岐阜県の全ての和牛が名乗れるわけではなく、黒毛和種であることはもちろん、飛騨牛銘柄推進協議会の厳しい審査をのりこえた牛肉のみに与えられる称号なのです。その肉質はきめ細かくやわらかで、とろけるような旨味に、舌鼓をうっていただけることでしょう。

 今回は、ランイチという腰の部位を選ばせていただきます。適度に入るサシが肉の旨味を引きたたせる、赤身の多い部位で、ステーキとして楽しむには最適。フランス料理の技法として、特徴的なのが「休ませる」という発想ではないでしょうか。素材を焼き上げた後に、肉でも魚でも必ず「休息の時」を設けます。鉄板焼きの場合には、焼き立てほやほやが提供されますが、Benoitでは、表面を鉄板で焼き色を付けた後に、温かい肉の休息場所へと移されます。肉の中の温まった肉汁は、まさに旨味そのものであり、この休息部屋で過ごす時間は、この旨味をゆっくりと肉に馴染ませるのに必要なひとときなのです。これにより、肉にナイフを入れた時、肉汁があふれでるということが無くなります。カットした一口サイズの肉の塊の中に、美味しさが内包されていることを意味するのです。

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 肉の状態を見極め、切ることなく中の状況を把握せねばならない、まさに職人技。食材の美味しさを、生かすも殺すも調理次第です。飛騨牛の美味しさに感嘆の唸りを上げると同時に、肉の扱いに秀で たフランス料理の真髄を感じ取っていただけるはずです。

 

≪デザート・: 岐阜県老舗の和菓子処から“和栗” モン・ブラン ブノワ風≫

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 毎年姿を変えるBenoitの栗デザート「モン・ブラン」。2019年はどうなるのか?和栗の収穫を待ち、待ち続けてしまったがために、いまだその全貌は明らかになっておりません9月も最後の30日に、2019年モン・ブラン用の全ての食材がBenoitに集結するのです。前日ですが、Benoitシェフパティシエールの田中を知るものは、皆様にご案内できないという焦りの中で、任せていれば大丈夫という、何か安心感のようなものを覚えるのです。今までのデザートを知る皆様も、期待感の方が大きいのではないでしょうか?

 昨年に引き続き、岐阜県恵那市の「恵那川上屋」さんより、和栗を炊きほぐしていただいた栗のペーストを送っていただきます。55年間もの間、栗に向き合ってきた彼らの慧眼は本物です。今年は、さらに同県内の大垣市に店を構えること260年という「御菓子のつちや」さんに白羽の矢が立つのです。岐阜県の美味なる栗をつかった「渋皮煮」を図々しくお願いしたのです。長きにわたり店を盛り立てる和菓子の技術は伊達ではなく、さらりと送っていただいた渋皮煮の美味しいこと美味しいこと。この、岐阜県に綿々と引き継がれる「和の技法」をもって仕上げらえた栗菓子の逸品が、Benoitに集うのです。

「そのままが美味しいのでは?」と皆様はお思いだと思います。素材が美味しく、確立した技の為せる逸品であり、間違いはありません。しかし、そこのフランスのエッセンスが加味されたとき、和のお菓子とは、一味も二味も違った美味しさを我々に魅せてくれるはずです。2019年のBenoitのモン・ブランは?皆様、気になりませんか。

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※苦手な食材や、アレルギー食材が組み込まれている場合には、お教えいただけると幸いです。アレンジするか、別の料理を提案させていただきます。

 

 今回のメニューを鑑み、シェフソムリエの永田から、「料理とワインのマリアージュ」の提案です。シャンパーニュ、白・赤ワインの計4杯のセットで、お一人様6,000(税サ別)にてペアリングをご用意しようと思います。数量に限りがあるため、当夜では承れないことがございます。ご希望の方は、ご予約の際に、「ワインとのマリアージュ」希望とお伝えいただけると幸いです。今回のワインのラインナップは以下を参照ください。

2012 Louis Roederer rosé vintage

2009 Riesling grand cru Schlossberg Albert Mann

2015 Chassagne-Montrachet 1ercru Les Caumées François D’Allaines

2004 Château Quinault L’Enclos

 

 山の頂から流れ落ちたせせらぎが、谷間を縫うように落ち合い、やがて岐阜市内を悠然と流れゆく。世界農業遺産に認定されている長良川は、まさに天からの贈り物ではないでしょうか。この豊かな自然が育んだ食材の数々はあまりある魅力にあふれ、我々を魅了してやみません。世界無形遺産に登録されたフランス料理の「食の技」によって姿を変えた時、新たな美味しさの感動を、歴史と伝統がつくりあげる食のマリアージュをお楽しみください。

 

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  冒頭でも書きましたが、秋の彼岸には「おはぎ」をお供えすることで、五穀豊穣と家族を見守ってくれているご先祖様への感謝の意を伝えます。何度となく自分の長文レポートに登場する「秋の七草」。筆頭に上がるのは「萩(はぎ)」の花です。そう、「おはぎ」は、秋に咲き誇る「萩の花」に見立てたものといいます。では、「春の彼岸」の時は、何をお供えするのか?春は「ぼたもち」、牡丹餅と書く通り、牡丹の花に見立てた丸い形だそうです。幸せを呼ぶ赤い色の小豆(あずき)は、赤飯を代表するように祝い事には欠かせません。その小豆も、収穫したての外皮が柔らかいものは、そのまま「粒あん」となり「おはぎ」へと姿を変えます。ながらく時を過ごして乾燥した小豆は、漉すようにして「こしあん」となり「ぼやもち」へと。諸説はあるかと思いますが、ついつい「なるほど」と頷いてしまいます。

 その「秋のお彼岸」も終わりを迎えました。それと同時に終わりを迎えるものがあると古人は遺しています。七十二侯で区分けされた秋分初侯は「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」といい、春分末侯の「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」と、これまた対をなすかのように始まった、雷鳴轟かす時期が終了するというのです。もくもく入道雲にピカピカゴロゴロの光景は、夏の風物詩そのもの。そう、「雷」は「神鳴り」とも書き、人が抗することができない神の怒りの象徴「神業」といい、夏の季語になっています。しかし、その象徴ともいうべきイナズマは、なんと秋の季語です。なぜでしょうか?

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 イナズマは、漢字で書くと「稲妻」。古語の「妻」は夫と妻の共用、ということは、稲にとって欠かせない役割を担うもの。稲に実りを導く神の一手というのです。古人は、夏場は怒りの矛先が向かぬようひたに祈り、秋は豊作をいざなうために祈念する。ピカリと照らされた田は、見事に稲穂の頭を垂れるというのです。

 もちろん何の因果関係もありません。しかし、過酷な労働に加え、自然の気まぐれに翻弄されながらの農の営みは、何か目に見えるものに、実り多き収穫を約束してもらいたいと願うものなのではないでしょうか。それが神の成せる業の神鳴りへ向かい、出会いたくない畏怖の雷から、招き寄せたい感謝の稲妻へ。これがひとつのゲン担ぎとなり、迎える収穫という一大イベントを乗り越える力となり、来季への活力へとつながる。其処彼処で執り行われる「お祭り」は、五穀豊穣を神々に感謝するものであり、新嘗祭などの規模の大きさは、人々が不安の中で切に願うその気持ちの表れなのでしょう。

さあ、Benoitで秋の収穫祭を楽しみましょう。すべてに感謝の気持ちをこめて、「いただきます」と。

 

いつもながらの長文、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸をお祈りいたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoit特選食材「新潟県白根 山田さんの≪白根白桃≫」満を持しての登場です。

野分(のわき)する 野べのけしきを 見るときは 心なき人 あらじとぞ思ふ  藤原季通(すえみち)

 野分(のわけ/のわき)とは、野を分けんばかりの暴風雨、今でいう台風のこと。野分の暴風がふきすさぶ光景を目の当たりにした時、抗しがたい自然の猛威になすすべなく、ただただ恐れおののくのみ。野分が過ぎさり、耐え抜いた樹々の中で、無念であったろう老木は裂け、若枝もまた。自然への畏怖の念をいだかずにはいられない。そう、思わない人はいないのではないだろうか。伊勢の船乗りは、暴風が吹き荒れることの多い日を、長年の経験から「二百十日(にひゃくとうか)」と「二百二十日(にひゃくはつか)」の雑節として、後世に残し船出を控えたといいます。立春から数えて210日目と220日目、2019年は、9月1日と11日です。

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 台風15号が関東に上陸し、千葉県を中心に甚大なる被害をもたらしました。かつては、空の機微を、はたまた動物たちの本能からの行動を読み取り、野分の到来を予測していたことでしょう。知らず知らずのうちに忍び寄る自然の猛威は、どれほどの恐怖であったでしょうか。今や、天気予報の精度は格段に向上し、台風の進路も状況も多少の誤差こそあれ把握できる時代となりました。今回の災禍は、人々が自治体が決して油断していたわけではなかったはずです。しかし、古今東西を問わず自然の猛威の前には、どんなに準備万端でも、なすすべはありません。

 皆皆様におかれましては、無事息災であることを願うと同時に、いまだ不自由な生活を強いらっしゃる方々には、いち早く平穏な日々を迎えることができるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。台風一過の鉄道の運転再開予定時刻が時と進むと同時に遅れ続けていったことや、千葉県の停電回復のめどについては、錯綜する情報の中で、少しでも我々に希望の兆しを届けようとの想いがあったものと思います。9日未明より不眠不休の、文字の如くに「必死」の復旧対応を続けてくださる方々には感謝の言葉しかございません。今のBenoitが営業できることは、彼らの尽力なくしてありえません。重ね重ね御礼申し上げます。

 

 ここ数年の世界規模での異常気象は、日本も例外ではありません。いままで逸れていた台風の進路が北上し、本州に上陸し続ける理由も、一因はこのことに関係しているかもしれません。和歌山県桃農家の豊田さんは、「亜熱帯化しているようで、桃の栽培方法を考えなければいけない時にきている」といい、千葉県の勝山漁港の漁師さんは、「海水温が上がっているようで、海流が読めない」といい、「野菜の高騰」がニュースとなることも、毎年の恒例のようになってきています。日本津々浦々より食材が集まる豊洲を代表とする「市場」のシステムが、あまりにも素晴らしいために、多少の過不足はあるものの欲しい食材が手元に揃います。ところが、原産地の良さを生かそうと指定した地より手に入れようとすると、この自然がこう教えてくれます。「人間が自然の産物をカレンダーにあてはめるとは、なんとおこがましいことよ」と。

 Benoitでは、今期に「白桃前線を追え!」と勝手に銘打って白桃の購入先を選んでいました。山梨県、次いで福島県、長野県の日本に於ける三大銘産地からではなく、他地域の美味しい桃を皆様に紹介していこうと考え、7月は「和歌山県桃山町の豊田さん」、8月は「岐阜県飛騨高山の亀山さん」へ、9月は「新潟県白根の山田さん」へと繋いでいく計画をたてたのです。収穫予想カレンダーと品種を鑑みた今回の計画には自信がありました。ところが、所詮は素人が立てた、机上の空論だったのです。皆様周知の、昨年の台風の傷が癒えぬ中で、今夏の長雨と日照不足が、大きく大きく影響を及ぼしたのです。和歌山県の豊田さんから岐阜県の亀山さんへは、薄氷を踏むような感じですが、何とか繋ぐことができたのです。そして、9月の新潟県の山田さんへと引き継ごうとした。ところが

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「白根白桃の収穫が遅れた」

この「白根白桃」とは新潟県の果樹の一大産地である白根(しろね)の地名を冠する、新潟県が生み出した白桃の品種名です。新潟県の桃栽培の最後を飾る晩生の桃で、通常は8月後半から収穫が始まり、暑さ穏やかになる時期にあたるため、熟すのがゆっくりとなり、9月半ば過ぎまでと意外に長い期間の収穫が見込めるのです。なぜ、Benoitが桃のデザートを3か月もの期間続けるのか?この白根白桃の美味しさを皆様にお伝えしたかったのです。関東では、この時期に「福島県」という大御所が君臨しているため、収量少なく桃のイメージの少ない新潟県の白根白桃は、北海道の方向へと出荷されるというのです。自分が昔ながらに親しんだ新潟県の桃の美味しさをして知っていただきたい、この強い想いから「白根白桃」の収穫を待っていたのです。しかし、「遅れた!」

 8月も半ば過ぎ、朝8時ほどに電話がかかってきた。「申し訳ない、今期の白根白桃の収穫は遅れそうだわ」と。今回の「白桃前線を追え!」の話を新潟県白根の山田さんに話していたため、この白桃の継投を危ぶんだ山田さんの心遣いだ。いつも思う、どの生産者も、出荷量が確保できない時や収穫が終了する時などに、「申し訳ない」と本当に申し訳なさそうに伝えていただける。確かに、美味なる食材が手に入れることのできない寂しさはある。しかし、自然産物である農産物・海産物が、そんな人間の勝手気ままに合わせてくれるわけではない。お気持ちを嬉しい、ただ一生産者の方から購入するということは、このようなリスクがつきものであることは十分に理解しています。今までも多くのお客様に、「収量が少なくて」と謝罪するも、誰一人として怒り出すようなお客様はBenoitにはいらっしゃらない。このお話は、山田さんにも話していた。彼が危惧していたのは、Benoitの桃デザートに、空白を作り出してしまうことだった。

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 この早い段階での山田さんの一報が、どれほどBenoitにとっての救いとなったことか。豊洲経由で桃を購入することで、繋ぐこともできる。この素晴らしい市場システムは、自分へ安心感を与え、「諦めずに白桃前線を追い続けろ!」と叱咤激励しているようだ。今回は岐阜県飛騨高山の亀山さんから、飛騨桃の晩生の品種「昭和白桃」購入させていただくことにし、新潟県の白根白桃を待つことにすると心に決めた。いったいいつから収穫できるのか?小野不安が日々脳裏によぎるも、全ては「自然の産物」、つべこべ山田さんと話をしても始まらず「時を待つ」しかない。山田さんも生粋の農家さんだけに、逸(はや)る気持ちを抑え桃が熟すのを待つのみ。

 待ち遠しいと思うほど、時の流れは緩やかに長く長く感じるもの。山田さんからの連絡は、9月初旬まで待たなければなりましでした。「初収穫を送り出すよ!」と、待ち遠しかったこの時が、ついに訪れたのです。翌日に届いた段ボールを、パティシエチームとともに、焦る気持ちを抑えながら、箱を開けると美しい白桃が丁寧に納められている。優しい白桃の香りが広がり、美しい桃色。産毛の輝きは鮮度の良さの証でもある。とうとうBenoitデビューと手にした時、大事なことを忘れていたことを、この白桃は自分に教えてくれた。そうだ、山田さん言っていた

「白根白桃は追熟させる桃です」と。

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 白根白桃が熟した今、期は熟しました。皆様、お待たせいたしました。桃次第ではありますが、17日前後から、この「白根白桃のピーチ・メルバ」が、Benoitに登場します。2019年Benoitのピーチ・メルバは、甘さを控えることで、白桃の美味しさを十二分に感じることのできる、過去10年間では最高の仕上がり。今期、和歌山県から岐阜県を抜け新潟県へと傾倒していった、「白桃前線を追え!」もとうとう最後の品種を迎えました。「ところ変われば味わいも変わる」ことを知ることができます。すでに、Benoitで、7月・8月とこのデザートをお召し上がりいただけた方にも、ぜひお勧めしたい逸品です。「白桃」という食材を通して、旅行をするかのように、美味しさの違いをお楽しみいただけます。

 白桃の風味を損なうような煮込みは一切行いません。食感と繊細な風味を生かすために、ラズベリーを利かせたジュースとともに、そのまま半日ほど漬けるようにした桃半実。妥協のないバニラビーンズを使った軽やかな生クリームと濃厚なバニラアイスクリーム、アーモンドのパリパリの食感と香ばしさを出したポリニャックを飾り、カラントの甘酸っぱいジュースをともに。食感と甘さ・酸味のバランスを意識した伝統を踏襲しつつも、新たなピーチ・メルバの世界へ皆様をご案内いたします。かつて天才料理人エスコフィエ氏が、オペラ座で奏でたソプラノのメルバ女史に心打たれたことで誕生したというデザートが、今度は「甘み・酸味・食感」のハーモニーを奏でることで皆様の心にうったえかけてきます。

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 ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+800円でお選びいただけます。しかし、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、さらにはこの長文レポートに目を通していただけている労に報いなければなりません。そこで、特別プラン延長のご案内です。期間は、メールを受け取っていただいた日より、白根白桃が終わるまでの平日限定。各コース料理の前菜とメインディッシュは、プリ・フィックスメニューからお選びいただけます。ご予約人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+桃デザート

4,600円→4,000円(税サ別)

ランチ

前菜+メインディッシュ+桃デザート+もう一つデザート ※

4,800円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+桃デザート

6,900円→5,520円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+桃デザート+もう一つデザート ※

6,400円(税サ別)

※夢のダブルデザートプランの復活です。デザートはピーチ・メルバx1でいいから、前菜x2がご希望の方も、同価格で承ります。

 

 ここ最近の動向の読めない暴風雨の数々、過去に和歌山県を直撃した際に、桃の収穫ができずに終了を迎えたことがございます。なにゆえ自然のことゆえ、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。ご予約の際に、「ピーチ・メルバ希望」とお伝えいただければ幸いです。ご予約は、このメールへの返信、土日や急ぎの場合には、

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よりお願いいたします。もちろん電話でもご予約は快く承ります。

 

新潟県で桃?米どころで名を馳せる越後が、美味しい桃を産するのか?皆様の率直なご意見かと思います。そこで、「白根物語」としてなぜ桃を栽培しているのかを「はてなブログ」に書いてみました。お時間のある時に、ご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 「白根白桃」。新潟県出身の自分だからこそ知りえる、白根の白桃の美味しさ。甘いだけではない、味わいのバランスの良さとしゃくっとした心地良い歯ごたえ、後引くの旨味をもっています。新潟県の方々は郷愁の念にかられることでしょう。そして、他県の方々には、新潟の自然が育んだ白根白桃が、美味しい桃というページに刻み込まれることになると思います。野分のような暴風雨は別として、その地方地方を吹く風は、雨を呼び、病害を減らす役割を担い「風土」を形成します。その風土で育まれた産物は、同じ品種であっても千差万別。その美味しさは「風味」という。そう風が地の美味しさをもたらすのでしょう。 

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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