kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

季節のお話「鴛鴦の鴛を目にした時の兼昌の想い」

山川に ともなき鴛(をし)は 影をみて ひとつがひある 心ちすらしも  源兼昌(かねまさ)

 漢字検定準一級に属する難読漢字である「鴛(おし)」。さらに「鴦(おう)」という、これまた難読漢字が加わる「鴛鴦(えんおう)」とは、鳳凰(ほうおう)のように何やら空想世界に羽ばたく鳥なのかと思ってしまいます。ところが、鴛鴦なる鳥は身近な存在で、「おしどり」のこと。一部国外から渡ってくるものもあるようですが、日本国内を北に南にと住み替える漂鳥(ひょうちょう)に分類されています。関東では越冬するため南下した姿を見ることができます。

 いつも雌雄で行動していることから、「鴛鴦」とはこの「つがい」そのものを意味しています。派手な冠羽や羽色で飾った「鴛」は雄で、地味ながら可愛げのある「鴦」は雌のオシドリのこと。そのため、この2文字の成句は、夫婦愛の象徴であるという解釈がなされています。「鴛鴦の偶(ぐう)」とは、相愛の夫婦のことを言い表します。そう言えば、「おしどり夫婦」とは、よく結婚式で耳にする言葉ではないでしょうか。

 ところが、生物学者の性(さが)というものでしょうか。長年にわたり観察することで、オシドリは年ごとに「つがい」は異なるということを発見してしまうのです。雌雄仲良きオシドリが好きで好きで研究をはじめ、途方もない時間をかけて知ってしまう真実は、じつに寂しいことではないでしょうか。とはいえ、これは人間が勝手気ままにイメージを付けただけのことで、当のオシドリは苛烈な生存競争を生き抜くためには必要不可欠なことなのです。

 毎年、つがいが異なるということは、お相手を見つけることができない雄「鴛(おし)」が出てくることになるのです。兼昌は、オシドリのこの習性を知っていたのでしょうか?きっとそこまでは知らず、つがいでいる鴛鴦がなぜか鴛だけで水辺にいることを、鴦とは自然の厳しさゆえに死別したのだと見ていたのではないでしょうか。

 山川にひっそりと佇(たたず)む相手のいない一羽だけの鴛。水面(みなも)に映る自分の姿を見たときに、雌雄のつがいとなっている心地にひたっているのではないだろうか。

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 この画像は、オシドリではなく、カルガモです。昨今のコロナウイルス災禍によって、探し求めることが憚(はなか)れるため、同じ鴨の仲間ということで、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

 

なぜ、人は人と会いたくなるのでしょうか。

 目と目を合わせ、触れることのできる距離で「語らい」合うことを求めているから。馴染みの言葉で、聞き慣れた声色は、得も言われぬ安心感を与えてくれます。オンラインでも可能ではないか?とも思いますが、画面の向こうには本人がいるにもかかわらず、違和感を覚えずにはいられません。どんなに声色が似ていても、一度は「0」「1」というパソコン語に変換された電子音です。濃縮還元ジュースのように、似てはいても別ものです。発せられる声には、耳が聞き取れなくとも、心に響く音階があるはずです。

 オンラインは、確かに便利で有用でした。冒頭の詠者である兼昌のみた鴛のように、水面に映る姿を愛しい相手と見、寂しく思うのであれば良いですが、そこで満足してしまうと、空想と現実とが区別できなくなるのということが危惧されるのです。AIの発達により、画面の向こう側に新しい世界ができないとも言い切れません。極論を言ってしまえば、画面の向こうに映る人が、いま生きているのかすら分からなくなる可能性があるのです。

 昨今のコロナウイルス災禍で失いつつあるのが、この「語らい」ではないでしょうか。お隣さん同士での門口での「語らい」や、お盆やお正月に親族で集まる「語らい」などがあります。さらに、それぞれの町内や市内で開催される「祭り」などは、地域結束も含めた大いなる「語らい」の場です。その場を失うことで、心にゆとりがなくなり、疑心暗鬼となることでSNSなどでの誹謗中傷や陰口といったような、言葉の暴力が絶えないという負の連鎖に陥っているような気がしてなりません。

 現実と架空の世界の区別がなくなってしまう気がすることが、思い過ごしであることを切に願っております。

 

(うづ)み火の あたりに冬は 円居(まどゐ)して むつがたりする ことぞ嬉しき  隆元(りゅうげん)

 

 今後しばらく外出を控え、ご自宅で過ごされた方が多いのではないでしょうか。火鉢や囲炉裏は無くとも、家族や親しい友人と食卓やコタツを囲むことで、普段は気にも留めないことが話題となり、心地良いひとときを過ごすこことができるはずです。密を避け、十分なウイルス対策を講じ、騒ぐではなく「語らう」ことは、忌避すべきことではないはずです。

 そこで、Benoitで「新春特別テイクアウトボックス」をこしらえたみました。皆様のご自宅での「語らい」をするために、一翼を担わせていただきたいのです。今回のテイクアウトボックスは、ご自宅で一手間かけねばなりません。さらに、別途お野菜などを購入することで彩りも美味しさも増してきます。自信を持ってお勧めする料理の数々が、「語らい」のキッカケとなれば幸いです。

 「むつがたりする ことぞ嬉しき」は、今も昔も変わりません。

kitahira.hatenablog.com

 

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご多幸とご健康を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com