kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

季節のお話「秋風の色は何色?」

秋ふくは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり あはれなるらん  和泉式部

f:id:kitahira:20201108094313j:plain

 朝晩の涼やかな風は、秋の訪れを実感させてくれます。この心地良く吹き抜ける涼風に何色を見出したのでしょうか。その風が心に染み入るようで趣深いものです、と和泉式部は書き記す。確かに、夏の風とは違い、秋の風には何かしみじみとした情緒があるものです。ところで、風の色とは何を意味するのでしょうか?そもそも風に色はあるのでしょうか?

 漢字の語源辞典である「漢辞海」をパラパラとめくって「秋」を調べてみると、「秋色(しゅうしょく)」という成語が記載されていました。「秋の景色や気配。白色」であるという。白色?なぜ秋の色は白なのか。少しばかり調べてみました。

f:id:kitahira:20201107203332j:plain

 古代中国の賢人は、2つの偉大な哲学を見出しました。あらゆる事物・現象は、万物を生成する陰(いん)と陽(よう)の二気が消長や調和によって引き起こされるとする「陰陽説」。そして、万物を構成する根源的な要素は、「木・火・土・金・水」という5つであるとする「五行説」です。

 時下り、紀元前5世紀ごろ古代中国が戦国時代を迎えた時、歴代王朝の盛衰を見事に説いた賢人、鄒衍(すうえん)が現れました。この時の論法は、陰陽説と五行説を合したもので、ここに「陰陽五行説」が誕生するのです。この説の中では、すべての構成要素である五行に対して、時節・方位・感情・臓器などを配当し、天地人を総合的に解釈するようになり、全てのもの・事象は、陰陽と五行とが密接に関わり合い、良くも悪くも影響を及ぼすのだといいます。

 では、時節はどう配当されたのか。一年間に時節は5つあると説く。四季は四つの季節であると書くだけに、時節もまた春夏秋冬の4つではないないのかと思う。しかし、古代中国の賢人は、「春(木)・夏(火)・?(土)・秋(金)・冬(水)」とあてています。「土」が足りない。四季以外にどんな季節があるのでしょうか。

 古中国を発祥とする二十四節気では、四季の始まりを「立春」「立夏」「立秋」「立冬」と記しています。このそれぞれの日を迎えるまでの18日間の「季節の移り変わる期間」に、「土用」という時節を設けたのです。1年は365日とすると、四季は365÷4≒91日。各季節の最後に土用の期間があるので、四季は91-18=73日。土用は年に4回あるので、18✕4=72日。今でこそ簡単な計算ですが、これを紀元前2世紀に行っている古代中国の天文学には驚嘆するしかありません。

 すでにお気づきかと思いますが、五行の「土」には「土用」をあて、「五時」としています。「五時」があるのであれば、もちろんのように「五色(ごしき)」というものもあります。賢人は、「青・赤・黄・白・黒」が五元色であると。確かに、今のプリンターのインクの色には、シアン(青系)・マゼンタ(赤系)・イエロー・ブラックのはずです。白地に印刷することを思うと、白が無いのは当然のこと。

 この五時と五色を合わせ見ると、自分のような素人にも組み合わせの妙を感じ取れます。若葉青々しいというように、かつては緑も青に含まれていることもあり、「春は青」。ちなみに、若々しさ溢れる時期を「青春」といいますが、この由来はここにあります。灼熱の暑さの盛りでもある「夏は赤」。寒さ厳しい期間をどう乗り越えてゆこうか、そのような暗雲漂うような心地なのでしょう、「冬は黒」。さらに、寒暖乾湿の差が激しい季節の移り変わる時期は、健康管理に注意しなさいよとの警告なのか、「土用は黄」。そして、待望の実りの時期であり、紅葉・黄葉と彩り豊かな秋はというと、賢人は「秋は白」であると言う。

 この「五時」と「五色(ごしき)」に、東西南北と中央を意味する「五方」を合わせると、なかなか興味深い図が仕上がります。

f:id:kitahira:20201107203345j:plain

 各季節の中央に位置する「土用」は「土旺」とも書き、大地の勢いが旺盛になる時だといいます。そのため、土をいじくるような、地鎮祭上棟式なイベントは行わず、さらに昔の土葬なども避けていたようです。変化に伴う強大なエネルギーに満ち満ちているのが土用の期間であり、大地は人が太刀打ちできないほどの自然の力を備えているといいます。この土用という考え方は、日本では雑節(ざつせつ)として今もその名を暦に残し、「無理に農作業をしないで、体を休めなさい」と教えてくれます。

 菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」、菅原道真は春の東風が花の開花を促すのだと詠っています。和歌の世界では、春は東から、秋は西からやってくる。自分の感覚では、春は南西から、秋は北東からやってくる。

 この疑問の答えは、「五時」と「五方」を合わせた上の図が教えてくれています。道真は、実際の東風が梅の開花を促したのではなく、陰陽五行説の中で、春が東に配当されていることから、春は東からくるのだと考えているのです。そのため、春の風は東から吹いてくる。東風は「こち」とも、「はるかぜ」とも読みがついています。そして、秋は西からやってくる。秋を運ぶ風は西風(にしかぜ/せいふう)でという。興味深いことに、この風にだけ色があります。「五色」と合わせ見ると「秋は白」、秋の風は「白い風」です。

 秋の風にだけ色があるということは、もちろん風が特別に色付いているわけではありません。そうすると、特別に色で表現される秋の風は、その色そのものに何か理由がある。「白」には、colorの「白色」ではない、何か他に意味があるようです。

f:id:kitahira:20200930213613j:plain

 「白」を語源辞典「漢辞海」で調べてみると、「白い」という視覚的な色彩の色を筆頭に、「きよい・あきらか・あかるい」と書き記されていました。一度煮立たせることで不純物を取り除き、まろやかな口当たりとなった湯のことを、「白湯(さゆ)」といいます。「白」は白々しい色のことではなく、清らかであることを意味しています。

 もうひとつ難読漢字を挙げると「白雨(はくう)」と名付けられた雨があります。これを「ゆうだち」とも読み、意味はにわか雨や夕立(ゆうだち)のこと。真夏の炎天下で、熱せられた大地を潤し、気温を下げる。短い時間の雨ながら、雨後の景色には、なんともいえない清々しさを感じるものです。

 ひと月も前のことですが、2020年は9月7日に二十四節気の「白露(はくろ)」を迎えました。昼夜の気温差が大きくなり、夜半に空気中の水蒸気が冷やされ、水滴となり葉や枝に現れたものが「露」です。なかなか都内では見かけることはありませんが、旅行などで山間部に行かれた時の早朝は、陽に照らされきらきらと輝く朝露に、清楚可憐な美しさを目にするのではないでしょうか。そのため、「白」があい相応しい。

 

 秋風の色は「白」であると賢人はいう。この「白」はcolorの白色ではなく、「清らか」という意味を内包する、無色透明の風のこと意味している。秋の風には、「色無き風」との別称があることが何よりの証ではないでしょうか。この「白い風」が吹く秋は、澄み渡る空気に包まれる季節。空は青々しく、山々はくっきりと姿を見せ、草木の花々、木の実や果実、葉の色が鮮やかに映える。もちろん、夜空に輝く「星月夜」も。歳時記の中で「月」といえば「秋」を指し、「中秋の名月」は、白い秋にこそ、その美しさを際立たせます。

 日本では、秋を司る神は、「竜田姫(たつたひめ)」です。彼女は染色と裁縫が特技とされ、秋の野を駆け回るように染め上げる。この錦秋(きんしゅう)の女神の為せる業(わざ)を際立たせる色こそが、日本の秋の「白」なのでしょう。

風景とは、風が導く景色である。」

 

秋ふくは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり あはれなるらん

f:id:kitahira:20201107203632j:plain

 「色」には、「物の彩り」の他に、「光景や自然のようす」という意味があります。「景色」とは、「四季を感じる自然景観」のこと。「しむ(染む・浸む)」という掛詞を汲み、勝手気ままに歌意を考えてみました。

 錦秋の女神が秋風に乗り、其処彼処と色付かせてゆきます。秋の白さが際立たせた、その多彩なる景色はそれほど美しいのでしょうか。秋風が涼しさばかりではなく、秋の香りをも運んできてくれ、私の身に染みいるようです。さらに、その風情が私の心に深く入り込んでゆくことで、なんとしみじみとした情緒が沸き起こることでしょうか。

 素人にしては、なかなかに説得力のあると思うのですが、皆様はどのように感じましたか?

f:id:kitahira:20200930210034j:plain

 白秋の美しき頃は、五穀豊穣の実りを、さらに山の幸や海の幸の恩恵を十二分に堪能できる時期です。秋の「あはれ」を感じ入った後は、やはり彩り豊かな秋の味覚をお楽しみいただくことが良いでしょう。旬の食材には、いま我々が欲している栄養が満ち満ちている上に美味しいものです。必要な栄養が深く身に染み入ることで、免疫力を上げることになるでしょう。

 秋の景色に「あはれなるらん(なんと趣深いことか)」と感じ入りながらいただく秋の味覚は、きっと格別のものでしょう。美味しい食事は、人を笑顔にします。そして、笑いながら食事をすることは、さらに美味しさが増すということをお忘れなきように。

 

≪惜秋特別プランのご案内です。≫

 「秋の野」にゆかずとも、其処彼処(そこかしこ)で響き渡る「虫時雨」。マツムシは「待つ・虫」であると、古人はなかなか粋なことをいう。マツムシは、我々の訪れを待っていたのでしょうか?きっと違う。マツムシは美しい音色に、ついつい我々が忘れがちな「時は過ぎてゆく」というメッセージを込めているのではないかと思う。

 虫時雨に気付くことで、秋過ぎてゆくことを察する。うかうかしてはなりません、「秋はとまらぬものにぞありける」と教えてくれているのです。向かう先は秋の野ではありません。いざ、Benoitへ訪(ろぶら)はむ!

kitahira.hatenablog.com

 

≪秋のお勧め料理・デザートのご紹介です。≫

 降り注ぐ太陽の陽射しと風が「風景」を生み出し、万物の成長を促します。風景は画一的(かくいつてき)ではなく、四季折々に加え土地土地に特別な「風土」をもたらします。そして、この風土によって育まれた味わいが「風味」です。風味が満ち満ちたものが旬の食材です。

 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去ってゆくのと同じように、秋の食材も我々が楽しむまで待ってくれるという「情け」は持ち合わせていないようです。「秋はとまらぬものにぞありける」であれば、秋に旬を迎える食材もまた、「とまらぬものにぞありける」。11月の特選食材とお勧めの料理・デザートのご紹介です。

https://kitahira.hatenablog.com/entry/2020/11/08/3

kitahira.hatenablog.com

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com