kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2022年1月「年の通い路いかならむ…」どのような年になるのでしょうか?

すぎぬるか 年の通ひ路 いかならむ (ひま)ゆく駒は あとだにもなし  守覚法親王(しゅかくほっしんのう)

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 守覚法親王は、父を後白河天皇にもつ、平安時代後期から鎌倉時代にかけて活躍した皇族です。この歌意は、過ぎてしまったな~一年という時が通う路はどのようなものであろうか。「隙ゆく駒」は形跡を残さない…なんとなく分かるようで分からない歌なのですが、なかなかに奥深いものでした。

 元久二年(1205年)、歌帝と称される後鳥羽院の勅命によって「新古今和歌集」の編纂がはじまりました。鎌倉幕府に反旗を翻(ひるがえ)した「承久(じょうきゅう)の乱」で敗れ、隠岐の島に配流されながらも編纂し続けるほど。その想いがこもった勅撰和歌集だけに、今もその輝きが褪(あ)せることはありません。歌帝は、優れた和歌を集めるために、歌合を幾度となく開催しています。その中で最大規模を誇るのが、正治(しょうじ)二年(1200年)に開催された「三百六十番歌合(さんびゃくろくじゅうばんうたあわせ)」です。

 歌帝が、名立たる36名の歌人を選び、春夏秋冬雑の5テーマのもと、各々が期限内に出詠歌を選び抜く。それを同テーマで2首を歌合のように披露し、優劣を競うというもの。その歌合が360番あるということは、出詠歌は最低でも720首あるということに。その冬の掉尾(とうび)に登場するのが冒頭の歌です。

 日付が一日変わるだけで、新年が始まります。時の流れが途絶えるわけでもなく、境があるわけでもないのですが、1月1日には、昨日は去年となり、なにやら新たな人生の門出を迎える心地を覚えます。「去年今年(こぞことし)」とは、この不思議な人間ならではの感覚が込められている気がします。守覚法親王は、この新年を迎えた頃に詠ったのでしょうか。それとも立春を迎えた頃なのでしょうか。

 旧年を顧みた時、楽しかった辛かったなど多くの思い出が、脳裏を走馬灯のように過ぎていきます。歳暮(としのくれ)を迎えた時、誰しもが「あっというまの一年だった…」と感慨深さを覚えることと思います。どんなに文明が発達しようが、日々の生活が便利になろうが、宇宙へ旅行に行けるようになろうが、「時の流れ」を止めることはできず、この流れるスピードは今も昔も変わりません。

 あっという間に過ぎてしまった旧年を懐かしく思う中で、「如何(いか)ならむ」と今年一年はどのような世相になるものかと思案する。歌合に出詠したことを考えると、「承久の乱」以前に詠まれたもので、鎌倉幕府による一定の治世下にあった時代です。野心家の後鳥羽院は幕府に不満を持ってはいたものの、多くの貴族は平穏がもたらす文化の興生を謳歌していたのではないかと思うのです。今年の世相は如何ならむ…不安を抱きながらというよりも、何か希望ある未来を見据えての言葉なのではないかと思うのです。

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 「隙(ひま)ゆく駒」とは、なんとも面白い表現。「隙」は隙間(すきま)のことを意味します。家屋の内外を隔てる障子が少しばかり開いている、その隙間から垣根越しに通りを眺めると、馬(駒)が駆け抜けていった。隙間だからこそ、馬の姿は一瞬であり、跡形もなく過ぎ去ってゆくかのよう。この表現には、「速い」という意味が込められているという。

 さらに、「隙」には、時間的な「あいだ」や「ゆとり」という意味もあります。煩雑な仕事に追われる中でも「憩いのひととき」がある。その時間の長さは個人個人で異なるものの、時が流れるスピードは変わらない。「馬(駒)」が「時の速さ」であれば、「隙(ひま)の間隔」は、各々の持つ「ゆとりの長さ」ということなのか。

 世相は思いのほか速く流れてゆきます。長いようであっというまに過ぎ去ってゆく一年を思うと、時と有限なものであり、大切に思わなければならない。各々もつ「心のゆとり」が障子の隙間であるならば、それが狭ければ、時(馬)を見過ごしてしまうもの。大きく隙間を開けることで、馬が過ぎることを目にすることができる。跡形もなく去りゆく世相であっても、人世の機を捉えることができる。そう守覚法親王は、日々のひとときひとときを大切にすることで明るい未来が待っている、そう言祝(ことほ)いでいる気がいたします。皆様は、どう思われますか?

 

 「時の通ひ路 いかならむ」ということで、今年の干支を「壬寅(みずのえとら)」を語源辞典片手に、古人の想いを読み解こうと思います…12年目の挑戦です。漢字とは、一文字が実質的な意味を持つ表意文字です。古代中国の賢人は、毎年の世相を分析し、時代時代を表現する漢字一文字をあて、後世に伝えようとしました。この漢字の組み合わせが「干支」です。賢人は、漢字に何を託し、我々に伝えようとしたのでしょうか?

※自分は占い師ではありません。

kitahira.hatenablog.com

 

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com