kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年干支「辛丑(かのとうし)」のお話です。

 「人の人たる所以(ゆえん)は、人間関係にある。」と喝破したのは、ドイツの政治学オットー・フォン・ギールケです。自然界の弱肉強食の世界とは異なる人間関係は複雑怪奇であり、多くの賢人が果敢にこれに挑むも、いまだ結論が出ていません。人が社会で生きてゆくには、必ず人と人との接点があり、人間関係に一喜一憂するものです。いがみ合うばかりの動物ではない。思いは十人十色であり、その誤解を少しでも減らそうと、人は意思疎通のために「言葉」を生み出しました。

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 人類が初めて手に入れたのものは、目に見えるものを音にして伝えようとする「話し言葉」だったはずです。古代日本では、土器などに「絵」で描き記されているものはあるものの、「文字」として遺されるには古代中国から「漢字」もたらされるまで待たなければなりません。この圧倒的な「言語」の渡来は、古代日本文化を凌駕することになります。大和朝廷の公文書が「漢字」で記載されていることが、その証なのではないでしょうか。

 世界の言語は、「絵画文字」、「表音文字」、「表意文字」などに大別されます。絵画文字は、古代文明に書き記された絵文字を代表とし、表音文字はアルファベット(音素文字)や日本の仮名(音節文字)などがあります。そして、表意文字は、一文字が単語を成し、実質的な意味を持つもの、「漢字」です。

 古代中国の賢人は、毎年の世相を分析し、時代時代を表現する漢字一文字をあて、後世に伝えようとしました。甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)…と続く「十干(じっかん)」と、馴染みの子(ね)・丑(うし)・寅(とら)…と十二支。この10と12という数字が、我々の生活の中でどれほど溶け込んでいるか。算数を学ぶ上で、数字の区切りとなるのが10。そして、半日は12時間、1年は12ヶ月。10と12の最小公倍数は「60」。還暦のお祝いとは、この漢字の通り「暦が還(かえ)る」人生60年目の節目を迎えたことを祝うもの。そして、あてがわれた漢字は、それぞれに樹の成長を模したものだというのです。

今年の干支は、「辛丑(かのとうし)」です。

 むかしむかしのこと、お釈迦様が動物たちに「新年の挨拶に赴いた順番を十二支にしよう」と語ったのだといいます。そこで、動物たちは我先にと、お釈迦様の下へと馳せ参じることになる。己をよく知る牛は足が遅いことを理解しているため、前日からすでに出発します。一番先に門口(かどぐち)に到着するも、その背に乗っていた賢いネズミがひょいと先に門をくぐる。順を追ってぞくぞくと主役が到着する中で、犬猿の仲といわれる両者の仲裁に入ったがためにニワトリは10番目。猫はなぜ登場しないのか?猫はお釈迦様への新年の挨拶の日を忘れ、ネズミに聞いたところ2日だと。翌日に事実を知った猫は怒り、これ以降ネズミを追いかけ続けるのだとか。

 干支の中にある「丑」という漢字に、牛という意味もあるかため、其処彼処にイラストで姿を現します。ところが、上記の口伝は、古代中国の賢人が干支を生み出した際に、周知してもらうために身近な動物にあてはめて流布したのだというのです。辰(龍)という架空の生物も、当時は深く信じられていたのでしょう。

 しかし、「うし」には「牛」という立派な象形文字が存在することを鑑みると、「丑(うし)」という漢字に牛という意味を含めることは、後付けのような作為を感じなくもありません。表意文字だからこそ、その漢字一文字一文字に意味があるはず。賢人は、今年の世相をどのように分析し、漢字という形で我々に遺したのでしょうか。素人ながら、漢字語源辞典を片手に書き綴ってみようかと思います。

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 干支が十干と十二支の組み合わせ出ることは前述いたしました。表意文字だからこそ、2つの漢字一文字ごとに意味がある。2つの立ち位置の違う世相を組み合わせているのだと考えます。最初の漢字の世相は、人が抗しがたい「時世」の勢いであり、賢人は10年というサイクルを見出し、「十干」をあてがう。人生とは栄枯盛衰を繰り返すもの、これが「人世」である。賢人は、その人世を12年であるとし、十二支をあてる。

 干支とは、古代中国の賢人が「時世」と「人世」を読み解くことで導いた、その年ごとの世相のこと。この英知の結晶でもある干支を知ることで、我々がいかに無事息災に、はたまた多くの幸を見過ごさないために、と後世に遺してくれたものなのです。

 時世を意味する十干を、樹の成長になぞらえて漢字をあてています。最初から6番目までは樹そのものの成長期間、残る4つは次の時世への引継ぎを準備する期間であるという。

 かたい殻に覆われた状態の「甲 (きのえ)」、芽が曲りながらも力強く伸びるさまが2番目の「乙(きのと)」。芽が地上に出て、葉が張り出て広がった姿が「丙(ひのえ)」。そして「丁(ひのと)」は、重力に逆らうかの如く、ぐんぐんと勢いよく天に向かい成長し、「戊(つちのえ)」で大いに茂る。成長最後は、勢いよくぼうぼうと生い茂った樹が、理路整然と体裁を整え、効率よく光合成をおこなうことで養分を蓄えてゆく「己(つちのと)」です。

 2020年の「庚(かのえ)」から最後の「癸(みずのと)」の期間は、花を咲かせ種を生み出すにいたります。秋にたわわに実がついた様子を象るのだといいます。「庚」は「己」を継承し、人のへそに象るとも。「庚庚(こうこう)」とは、樹木がしっかりと実をつけたさまを意味するのだといいます。

 2021年は8番目の「辛(かのと)」。あまりにも馴染みがあり、「辛い」としか思い浮かばないかもしれません。語源辞典「漢辞海」で調べてみると、意外な意味が含まれてることを教えてくれます。「説文解字(せつもんかいじ)」によると、「会意文字」で秋の万物が成長して熟すとある。さらに、「釈名(しゃくみょう)」によると、「辛」は「新」であるという。はじめは新たなものがみな収まってしまう、そう書き記されている。昨年の「庚」は「更」であり、「更」は新しいものへとかえるという意味を含んでいました。

 昨年から、時世は引き継ぐための種を作る過程に入りました。「庚」には「道路」という意味があり、すでに向かうべき道のりが形成されているのでしょう。未曾有のコロナウイルス災禍により、「夷庚(いこう)=平坦な道」ではなく、「険庚」となった感もあります。今年の「辛」には、辛いの他に、悲しいや苦しいという意もあります。「辛艱(しんかん)=苦しむ・難儀する」や「辛苦」「辛酸」など厳しい単語が多いもの。しかし、何事も新しいことの門出には苦労や厳しさがつきものです。「新地(さらち)」となった時世には、新しいものが何でもいくらでも収めることができる。しかし、何を収めるかの取捨選択は各々にまかせられている。では、どうしたら良いのでしょうか?これは、人世の「丑」が教えてくれます。

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 人世における栄枯盛衰に、賢人は12年を見い出し、樹の成長にならった漢字をあてがいました。昨年は人世一年目の「子(ね)」。子供のことでもあり、果実の実や植物の種をも意味します。陽気が滋(しげ)り始めると「説文解字」は教えてくれる。さらに「釈名」では、「子」は「孳(し・じ)」であると。陽気が萌えて下に孳生(じせい)する。「孳」とは、「増える/産み育てる」という意味があり、「子」は「蕃孳(はんし)=おおいに茂ったさま」の状態だといいます。

 2021年の「丑(うし)」は、馴染みのない漢字です。「丑寅(うしとら)」とは、北東の方角を意味し、俗に鬼門などと呼ばれてます。「丑三(うしみつ)」とは、丑の時刻を4つに分けた3番目のことで、今でいう午前2時から2時半ごろのこと。「丑」には、いったいどのような意味があるのでしょう?

 「丑」の漢字の語源を調べてみます。「説文解字(せつもんかいじ)」によると、「象形文字」であり、手をぎゅっと紐(むす)ぶす姿を象るといいます。(冬の終わりの)12月は、万物が動き始めて手作業を起こす。時節の数えに「丑」を加え十二支にした理由は、手作業を始める時節であるからという。

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 さらに、「釈名(しゃくみょう)」によると、「丑」は「紐」である。寒気がみずから屈紐(くっちゅう=ちぢこまること)のである。「易経」では「艮(ごん)」の卦(か)に相当する。「艮」は「限」である。この時節に物が生まれるということを聞かない。生誕を限止(=制限)するという。

 「易経」とは古代中国の賢人が生み出した占い法です。自分が占い師ではないため、詳細は専門家のHPを参照ください。易を構成する基本形を八卦(はっか)と呼び、その八卦を上下で組み合わせたものが「六十四卦(ろくじゅうしか)」であるといいいます。この八卦のひとつが「艮」というもの。これを図象化したものが下の画像です。

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 3列で表現される卦にあり、下から2列に半ばに切れ目のある陰が並ぶも、その上に切れ目のない横棒の陽がある。まるで陰の力に蓋をするかのようにデザインされています。艮の卦の象意は、万物を山が受け止めている。まさに山であり、山のように高い高尚なものであり、安定や阻止を意味しているといいます。

 孔子は「彖伝(たんでん)」の中で、この卦について説明しています。「彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるべくは則(すなわ)ち止まり、時行うべくは則ち行う。動静其の時を失わざるは、其の道、光明なるなり。」と孔子は我々に教えてくれます。「艮」は止まることである。止まるべき時に止まり、行うべき時には行う。動くも止まるも、時(天命)を見失わなければ、その道の見通しは明るい。

 昨年の「坎」は「水」を象徴し、「険(けん)=険難」でした。水は高き所から低き所へと流れ続ける忙(せわ)しさもありながら、正確な平を意味する「水平の準拠」ともなります。今年の「艮」は「山」を象徴し、「限=制限する」であるといいます。天命である自らの道のりを、動かざること山の如し、俯瞰(ふかん)するように好機を見極め、動き止まる。その判断は、昨年に培われてきた良識を基準にせよと。

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 たびたび出てくる「説文解字」と「釈名」という名前。本というよりも辞典と言い表した方が良いかもしれません。しかし、これらが編纂されたのは、古代中国でした。「説文解字」は紀元後100年頃、六書(りくしょ)の区分に基づき、「象形」「指事(指示ではないです)」「会意」「形声」に大別され、さらに偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)によって分類されています。

 「象形文字」は、実物を絵として描き、その形体に沿って曲げた文字。「指事文字」とは、絵としては描きにくい物事や状態を点や線の組み合わせで表した文字をいい、「上」や「下」が分かりやすいと思います。十干の「己」は指事文字です。そして、「会意文字」は、既成の象形文字指事文字を組み合わせたもの。例えば「休」は、「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって休むことから。干支の「辛」は会意文字、「丑」は象形文字です。

 「偏旁冠脚」は、漢字を構成するパーツのこと。そのパーツの主要な部分を「部首」と定め、現在日本の漢和辞典は「康熙字典」の214種類を基本にしています。しかし、偏旁冠脚では、漢数字、十干や干支もこのパーツに含まれ、その分類区分は、「一」から始まり「亥」で終わる、総数が540です。数あるパーツの中から、殿(しんがり)を担ったのが「亥」です。十二支の最後もまた「亥」です。この後、さらに時は流れ紀元後200年頃、音義説によった声訓で語源解釈を行い編纂されたものが、「釈名」です。

 万物を陰と陽にわける陰陽説と、自然と人事が「木・火・土・金・水」で成り立つとする五行説が合わさった考え方が、陰陽五行説です。兄(え)は陽で弟(と)は陰。陽と陰は、力の強弱ではなく、力の向く方向性の違いのこと。陽は外から内側へエネルギーを取り込むこと、陰は内側から外側へ発することだといいます。運の良い人とは、陽の人であり、外側から自分自身へ力を取り込んでいる人のこと。「運を呼び込め」とはよく耳にいたします。陰の人とは、運が悪いわけではなく、自分自身のみなぎるエネルギーを外に発している人のこと。一方が良くて、他方が悪いわけではなく、すべては陽と陰の組み合わせです。陰陽の太極図を思い浮かべていただきたいです。2つの魂のようなものが合わさって一つの円になる。一方が大きければ、他方は小さくなり、やはり円を形成するのです。森羅万象全てがこの道理に基づくといいます。

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 2019年は、時世「己(紀)」が教えてくれるように、ひとつの区切りとして人倫の道を外さぬよう、なりふり構わず頑張ったことを省み、紀識(きしき=しるすこと)し紀念(きねん=こころにとどめて忘れないこと)することを促すのだと。忘れ去るのではなく、真摯に受け止め真実の核心となし、次へ引き継いでゆくこと。

 「庚」は「更」であることから、2020年は「更始(こうし)=古いものを捨て、初めからやり直すこと」の年であると。時世は成長から継承へと移る中で、先行きの見えない世相の一年でした。賢人は我々に人世は「子」であると教えてくれました。「子」は「孳」であり「坎(かん)」でもある。「孳孳(しし)」とは勤勉に努めることを意味します。「坎」の卦が上下に姿を見せる、六十四卦でいう「坎下坎上(かんげかんじょう)=坎為水」は、「重なる険難はあるが、真実をもって行動すればうまくいく。」ということを象っているといいます。山間を流れるせせらぎのように、一時に集中するのではなく絶え間なく努力を続けること、そして水でいう「水平」の如き確固たる準則を、いうなれば信念を持って、今年の時世を乗り切りなさいと教えてくれました。

 さて、2021年、干支は「辛丑」です。時世の「辛」には、「辛艱(しんかん)=苦しむ・難儀する」や「辛苦」「辛酸」など厳しい単語が多いもの。未曾有のコロナウイルス災禍は今なお猛威を振るっていることもあり、この漢字が心に突き刺さります。全ての希望に楔(くさび)を打ち込んでくる。しかし、「辛」は「新」でもある。何事も新しいことの門出には苦労や厳しさがつきものです。「新地(さらち)」となった時世には、新しいものが何でもいくらでも植えることができる。しかし、どのような種を植えるかの取捨選択は各々にまかせられている。

 今年の人世は「丑」です。(冬の終わりの)12月は、万物が動き始めて手作業を起こすこと。暗雲が覆いつくす中で、機運が動き始める。「丑」は「紐」である。寒気がみずから屈紐(くっちゅう=ちぢこまること)する、この機会を逃してはいけません。しかし、「易」では「艮(ごん)」の卦(か)に相当する。「艮」は「限」である。この時節に物が生まれるということを聞かない。生誕を限止(=制限)するという。艮の卦は山であり、動静を見極めよ、そう教えてくれます。

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 時世が機運を与えてくれる年。我々は度重なる険難に見舞われる中で、真実をもって行動したからこそ、今ここにいます。厳しいし辛い時世でした、しかし乗り越えてはいないものの、越えつつある。今までの努力が多くの果実を実らせ種を得ることができたことでしょう。昨年に学ぶことのできた良し悪しの判断基準をもとに、新地となった時世に、自らの手で自ら選んだ種を植えてゆく。1つではない、いくつも植えることができる。しかし、ことを急(せ)いてはいけない。山のように焦らず、よくよく見極めた種を植えてゆく。機械に頼ることなく手作業で、丁寧に丁寧に一粒一粒と新地に植えてゆく。時に休み、自らを省みる。「紐」には、結んではほどける衣服の紐(ひも)の意があります。

 2021年は、生きるに厳しい年であることに変わりはありません。しかし、時世は我々に新地を用意してくれています。「辛」を抱えるように辛抱し、自分の希望溢れる未来のために、よくよく選んだ種を植えてゆかねばなりません。いくつ植えても時世は受け入れてくれる。急がず焦らず、自分を省みることで、見極めた種を植えてゆきませんか?必ず芽吹き、実を成すはずです。

 1984年の「甲子(きのえね)」に幕開けした60年の世相のサイクル。「世」の字には30年という意味が込められていると聞きます。60年の中に30年の2つの世相。2014年「甲午(きのえうま)」からはすでに後半の世相が始まっています。還暦の中には6つの時世と5つの人世のサイクルがります。世相における栄枯盛衰は世の常であり、これを乗り越えなくてはなりません。その先で、宝の地図(人世のさらなる高み)を必ず見つけることができるはずです。

 

 蛇足ながら、「丑」には「牛」の意味もあります。牛の歩みはゆっくりしたもの。「牛の歩みも千里」とは、努力を怠らなければ、必ず成果が導かれるということ。そして、「角を矯(た)めて牛を殺す」は、わずかな欠点を矯正しようとして、かえって物事全体の台無しにしてしまうこと。丑に牛とは、後付けのような意味かと思いきや、なにやら意味深な思いが込められている気がいたします。さて、皆様はどう思われますか?

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最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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