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徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

岐阜県「恵那川上屋さんの和栗」のデザート

 歳時記の中で、「花」といえば春を、「月」といえば秋を指し示します。和歌の中で、平安時代を境に「花」は梅から桜に変わりましたが、どちらにせよ季節は春です。ところが、「花園」となると季節は「秋」です。秋の七草を筆頭に、低木を含め草花が地表を彩るからでしょうか。一面に咲き誇るコスモスの光景などは圧巻です。ところが、「竹の秋」と「麦秋」は秋と書きながら季節は秋ではありません。秋には神嘗祭(かんなめさい)や新嘗祭(にいなめさい)を代表に、日本各地で収穫祭が行われます。つまり、「秋」には「実り・収穫」という意味が込められています。タケノコの収穫は竹が黄葉する春、麦の刈り取りは夏。というわけで、「竹の秋」は春で「麦秋」は夏なのです。

 

 「月」といえば秋。古代中国で生まれた「中秋の名月」という美意識が日本にもたらされ、秋の風物詩として確固たる地位を確立いたしました。影ができるほどの月明りが、月が発する光ではなく、太陽光が月に当たり反射したものであることは周知の事実。では、どれほどの明るさなのかというと、身近なもので例えると「20mの高さに吊るした100ワットの電球」だといいます。LEDが普及しつつあるも、まだまだ随所で見かける100Wの白熱球。高さ20m、ビルでいえば7階から、この電球で照らす明るさを想像できるでしょうか。闇の中では、無いよりはましだけれども、何をするにも不自由な暗さです。科学的な説明では、なんとも味気ないものですが、澄み渡る秋の空一面の星月夜、その星々を凌駕するかのような光を放つ秋の月は、美しく魅力的なことは間違いありません。

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 「秋」が「実りと収穫」を意味し、「秋」を指し示すものとして盤石の地位を得ている「月」。芸術として中国よりもたらされた月を愛でるという感覚に、農耕民族の感性が加味され、農の神々へ五穀豊穣を感謝する意味合いも持ってくることになったのでしょう。中秋の名月は「十五夜(じゅうごや)」として、後の名月とうたわれる日本発祥の「十三夜(じゅうさんや)」として定着していきました。収穫への感謝の意を込め、「十五夜」は「芋名月」と呼ばれます。ジャガイモとサツマイモが日本に伝えられるずっと以前のお話です、この芋は「サトイモ」のこと。十五夜に飾る小丸の団子はサトイモに見立て、月を介し神々への感謝を表したもの。ちなみに、ススキは頭を垂れた稲穂といいます。では、続く「十三夜」はというと、「豆名月」といいます。和食には欠かせない「大豆」なのですが、この時期は完熟前の「枝豆」のこと。今は、真夏に渇望するビールのお供にと品種改良されたもので、昔々はこの時期が旬でした。さらに、十三夜にはもうひとつの呼び名があります。

「栗名月」

 

 ブナ科クリ属の果実は、日本ではすでに縄文時代から食料として重宝されていたようです。これは日本に限ったことではありません。世界には大きく分けて四つの品種があり、その自生している大陸名が品種名になっています。フランスのマロングラッセでも有名なヨーロッパグリ、天津甘栗の中国グリ、今はほとんど栽培されていないアメリカグリ、そして和栗こと日本グリです。和栗は世界に誇る栗の品種です。ヨーロッパの洋栗や天津甘栗で有名な中国栗とは一味違った優しい甘さだからこそ栗の風味を十分に感じ取れ、瑞々(みずみず)しさが特徴。栗おこわのように、お米との相性は抜群なのはもちろん、栗きんとんも忘れてはいけません。栗そのものの美味しさを生かす和の技法は、すでに何百年も前から伝統として確立しているのです。

 

 栗の産地は日本全国多々あります。それぞれの地が、ブランドの栗を有し、美味なる栗を産することに誇りを持つがゆえに、そのブランドを壊さぬよう細心の注意を払っています。そこに、新参者いや洋参者であるBenoitが入って行けるのか?その思いを抱きながら和栗探しに取り組んだのが5年前のことです。何の結果も見いだせず1年が過ぎるも、今までフルーツを主に食材を探してきた意地もある。そうこうしているうちに探し始めて2年目の栗の収穫が終わりを迎えようとしている、その時にBenoitに一筋の光明が射しこみました。美味しい和栗の入手の失敗をお客様に笑いながら話していたその時、「甥っ子が働いているから聞いてみようか?」と。「運命の出会い」とは、このようなこと言うのかもしれません。

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 岐阜県東南部の恵那市中山道の宿場町として旅人で賑わを見せている時代、山栗を使った料理やお菓子が評判となり、「栗菓子の里」として歴史に名を残すことになります。彼の地にて、創業以来、「美味しい栗無くして美味しい栗菓子はなし」という信念のもと、恵那山の麓の広大な地に、栗の木を植栽し続けています。伝統にあぐらをかくことなく、栽培を担う人がより良い栗を育めるよう環境づくりを整え、その栗の美味しさをいかんなく発揮できる栗菓子を追求する、スタッフ皆が自らの担当する分野において日々研鑽に励み続けている老舗。栗きんとんの発祥の地である岐阜県の中津川、恵那峡に居を構える、「恵那川上屋(えなかわかみや)」さんです。

 

「地元に栗を呼び戻そう」

 老舗である恵那川上屋さんの軌跡は、順風満帆だったわけではありませんでした。これほどの伝統と、栗の名産地としての名声を得ながら、人々の「農業離れ」には逆らうことができず、生産量が最盛期の10分の1にまで激減した時代がありました。栗無くして栗菓子はできず、まして素材以上の美味しさなどありえません。素材の確保と品質追求という難題が老舗を苦しめていたといいます。思い倦(あぐ)ねるままで、これといって解決の糸口が見つからない中、鎌田真悟さんが老舗の代表に就いた1998年を機に、「老舗の時」が動き始めます。JA東美濃が、特選栗評議会のメンバーの中から優れた栗生産者を認定し「超特選栗部会」という精鋭チームを発足いたしました。これは、栗栽培名人である塚本實(つかもとみのる)先生の「低樹高栽培」を学び、自らも指導者としてこの栽培ノウハウを仲間に教え伝えていくプロ集団です。「地元に栗を呼び戻そう」のメッセージのもと、「栗の名産地」復権をめざし、地元一丸となり労を惜しまない日々。この取り組みが功を奏し、栗の生産量も回復を見ることになりました。

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 恵那峡の栗は、長年培われてきた伝統の上に、途方もない人智が加味されたもの。この英知をまとめ上げ、次世代への引継ぎを担う栗博士、塚本實さんがたどり着いた栽培方法が「低樹高栽培」という、並々ならぬ手間暇と技術を要する手法です。剪定方法だけを見てみても、心配になるほど厳しく低く実施します。これによって、年配の方や子供でも日々の手間暇をかけやすくなり、危険も減ることに。だからこそ、病気にもなりにくく、美味しい栗がたわわに実るのです。と書いてしまうと簡単なことですが、庭木の選定をされている方は、剪定作業がいかに難しいかがお分かりかと思います。厳しすぎると徒長枝というビュンビュン伸びた枝を生み、剪定が緩いとだらだら葉だけが茂ります。ともに実をなさないのです。実をなさいということは、農を生業としている者にとっては死活問題。時には厳しく、時には優しく、まるで子育てのようです。

 

 順調に思えたこの取り組みも、「高齢化」の潮流に逆らうことができませんでした。プロ集団の「超特選栗部会」の平均年齢は65歳だったのです。一難去ってまた一難、このままでは20年いや30年後には地元の栗が消滅してしまうのではないか。そこで、恵那川上屋代表の鎌田さん自らが学び、栗の知識を身にまとい、一人の栗栽培者として、この恵那栗の魅力を自らが伝えてゆくことで、若手を募っていこうと考えたのです。この想いが、2004年「農業生産法人恵那栗」として実を結びました。毬栗(いがぐり)だったものが口を開き、岐阜県のみならず他県へまでこのノウハウを伝播するにまで成長いたします。ここに至るまでにどれほどのご苦労があったことか、計り知れません。

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 この厳しい管理のもと、実った栗が成熟し自然に落ちるのを待ち、朝一番で収穫したものが、プロの眼下の元で選別され、厳しい選果基準を満たしたものだけが「超特選恵那栗」として、工房へ届けられます。栗を知り尽くした職人の技をもって、栗の実はもちろんですが、渋皮の旨味までも生かすように丁寧に蒸されたのちにほぐされ、ほんの少しの砂糖が加えられ、優しく丁寧に炊き上げられます。それを手絞りで仕上げたものが、恵那川上屋さんの栗きんとんです。栗の品種や収穫時期によって、加減を調整しながらの作業は、栗を熟知している彼らだからこそ可能な職人技です。

 

 前述した通り、恵那川上屋さんの栗きんとんは栗と砂糖のブレンドです。ここまでの栗に対しての愛着があればこそ、相棒にもそれ相応のものを求めてしまうもの。栗の確保のめどがたった時、ふと思うことは「美味しい砂糖は確保できるのか」という問題でした。居ても立っても居られなくなった鎌田さんは、砂糖探しの旅に出ることを決め、南へ井波へと向かったのです。沖縄県に足を踏み入れるも、難題多く断念、次に向かった先が鹿児島県「種子島」でした。そして、会うべくして出会ったのが砂糖杜氏の竹之内和香さん。彼の黒糖を口にした時、まさにその瞬間に「10年かけて黒糖製造の技術を教えてください」と鎌田さんが申し出たのだといいます。伝統技能の保有者は、その技を伝承しなければならない宿命にあるのでしょうか。出会って10年後、竹之内さんは区切りを付ける英断を下し、全てを鎌田さんに託したのです。種子島「里の菓工房」として本格的に稼働したのが2006年。伝承の技に甘んじることなく、さらなる品質向上を模索する日々が、ついに褐色美しい無添加の黒糖を作り上げたのです。サトウキビが持ちうる甘さを最大限に引き出す。やはり、素材に勝る美味しさはありません。

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 Benoitには、恵那川上屋さん自慢の「栗きんとん」そのもののと(画像左側)、まったく加糖せずに栗を炊きほぐしただけのもの(画像右側)の2種類を送っていただいております。右側は、栗色が美しく、団粒のようにほろほろと、和栗のホクホクとした優しさと和栗らしい甘さが口中いっぱいに広がります。左側が黒糖が入ったもので、サトウキビからの香ばしいながらほのぼのとする甘さが、栗の風味を引き立てる、まさに栗菓子の完成品です。ひとつひととうでも十分に美味しい食材を、絶妙なる比率でブレンドしたものを、今回のデザートで惜しげもなく使用します。

 

 Benoitパティシエール田中が今回のデザートに求めたものは「和栗そのものの美味しさ」を生かすこと。ただでさえ和栗は優しく繊細な風味に感じるも深みのある甘さを兼ねそろえた食材です。栗菓子を食すと緑茶が飲みたくなるものです。フランスでは、デザートにする場合、栗との相性抜群なものは「カシス」といいます。そう、ここに田中が着目したのです。甘いだけでは芸がない。カシスは味わいが強いため、バランスを間違えると、栗の美味しさはどこへやら、カシスの味しかいたしません。そこで、彼女は、和栗の美味しさに、「苦さ」と「酸味」の要素を組み込むために選んだ欠かすことのできない特選食材、それが「瀬戸内レモン」です。このレモンを待っていたがために、栗のデザートの登場が今月なのです。

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 広島県、瀬戸内海に浮かぶ離島「大崎上島(おおさきかみじま)」。サンサンと降り注ぐ陽光に温暖な気候という恵まれた環境の中、飽くなき探求心と努力を積み重ね、類まれなる品質のレモンを育て上げているのが、岩﨑さんご一家。朝から晩まで費やす畑作業、電話をすると、かわいい声のお嬢様が対応してくれます。陽射しばかりでなく、愛情もたっぷり受けて育ったレモンは、まろやかな酸味が特徴で、そのまま食すると皮のほろ苦さと相まって、なんと美味しいことか。すっぱさに顔をしかめる必要はありません。さらに、摘んだそのままを届けていただくため、表皮のワックスを取り除く必要もありません。まだ時期が早いために少々緑色ですが、これからゆっくりと美しい輝かんばかりの黄色に変わっていきます。レモン同士をこすった時に、透きとおった爽やかな香りが放たれる。そのまま目を閉じると、遠く潮騒(しおさい)が耳に届き、レモン畑から一望できる瀬戸内海…話が長くなるので、「岩﨑さんの瀬戸内レモン」については、後日に語らせていただきます。

 

さあ、役者がそろったところで、パティシエール田中はどう組み立てるのか?

 

 前述した、黒糖を加えたものと無糖のものとを丁寧に混ぜ合わせ、裏ごししていきます。それをパスタのように絞り込みます。土台となる鉄板の上に、それも隙間なく、さらに3層に。これを丸くくり貫くことで、円盤状の栗菓子の蓋が完成です。さらに、このペーストから濃厚な和栗のアイスクリームを仕上げます。恵那川上屋さんの和栗のみを、贅沢にこれでもかという量を使用するのですが、パスタ状に絞り込むものとアイスクリーム用で、加糖・無糖の比率を変えるという密かな栗の演出を行っています。密かに、いや、もうばらしてしまったので知る人ぞ知る栗のブレンド「違い」を感じていただきたいのです。栗のペーストもアイスクリームも、それ自体でかなり美味であることは言うに及びません。なぜか?それはもちろん、もともとの素材が美味しいですから。

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 瀬戸内レモンはどうするのか?前述したように、岩﨑さんが丹精込めて育て上げた瀬戸内レモンのまろやかな酸味と、彼のこだわりでもある果皮のノーワックスであることが必要だったのです。だからこそ、レモンは「まるのまま」使用していきます。エグさを抜くように茹でこぼし、そしてほんの少量の砂糖と共にミキサーにかけていきます。これ以上でもなくこれ以下でもない。そのため、パティシエール田中がこだわったのが、果皮と果実のバランスでした。彼女は「露地栽培」に限定したのです。風雨により表皮に傷などがつき、刻一刻と変わる自然環境のために、均一な形状に結実しにくい。しかし、太陽の陽射しを十二分に浴びることで、丸みのある酸味となり、レモン自体にこくがでる。さらには、果実が大きく成長するため、果実・果皮が理想的なバランスを成すのだといいます。この意図的ではない、自然が育んだバランスが、今回のようにまるまる使用する場合には一番重要なのだよと、彼女が教えてくれました。何かの要素が足りない場合は、何かを添加して補いうのですが、今回は「全く必要ない」といいます。

 

 Benoitのデザートのメニューの中に「モン・ブラン」の文字はありません。なぜか?意図的にモン・ブランとは表現したくはない別次元の、Benoit史上最高傑作に仕上がっていると、自分は勝手に思っています 。盛り付ける一番下には、岩﨑さんの瀬戸内レモンのマルムラードを広げ、丸くドーナツ状にメレンゲを絞り焼き上げたものを。ドーナツ状ということは、その丸く開いたメレンゲの穴には、生クリームを絞ります。そこへ、蓋をするように円盤状にくり抜いた恵那川上屋さんの和栗のペーストを、さらに和栗のアイスクリームをのせ、アクセントにフランスの栗を散らす。最後に瀬戸内レモンを削り振ります。

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 アラン・デュカスの料理哲学に従い、素材本来の味わいを損なうことなく、仕上げた逸品。恵那川上屋さんの和栗の美味しさは折り紙付きです。栗の美味しさは最大限に生かすように丁寧に炊かれてゆく。奄美大島のサトウキビから仕上げられた黒糖が、コクと美味しさをさらに引き立てる。加糖・無糖の比率、ペーストとアイスクリームの食感と温度差の違いを楽しみながら。それぞれのパーツだけでも十分に美味しいが、全てのパーツを一口で味わったとき、えも言われぬ感動を覚えることでしょう。およそ想像のつきにくい「洋栗とカシス」がゴールデンコンビであるという理由を、「恵那川上屋さんの和栗と岩﨑さんの瀬戸内レモン」を体感していただきたいです。とはいうものの、自分は「和」の組み合わせの方が一枚も二枚も上手である気がいたします。かの聖徳太子も言っています。「和を以て貴しとなす」…失礼いたしました。

秋深い恵那峡に吹き抜ける瀬戸内の爽やかな風をお楽しみください。

 

 よほど天候不順に見舞われない限り、2019年1月末まで栗恵那川上屋さんの和栗のデザートを皆様にご用意いたします。ランチでもディナーでも通常のプリ・フィックスメニューの選択肢の中で+1000円でお選びいただけますが、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、さらにはこの長文レポートに目を通していただけている労に報いなければなりません。そこで、特別プランをご案内させていただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、201812月末までの平日限定。各コース料理の前菜とメインデッシュは、プリフィックスメニューからお選びいただけます。ご予約人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+栗デザート

4,800円→4,100円(税サ別)

ランチ

前菜+メインディッシュ+栗デザート+もう一つデザート ※

4,900円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+栗デザート

7,100円→,6,000円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+栗デザート+もう一つデザート ※

6,800円(税サ別)

※夢のダブルデザートプランです。それは、もう一つの特選食材がBenoitにとどいているからです。「福岡県井上さんのこいひめ柿」のデザートです。このお話は前回のご案内を参照ください。デザートは栗デザートx1でいいから、前菜x2がご希望の方も、※プランの価格で承ります。

ご紹介しましたプランは、BenoitのHPなどには記載いたしません。このメールを受け取っていただいている皆様への特別なご案内です。そこで、このプランをご希望の方は、ご面倒とは存じますがご予約のご連絡をいただけると幸いです

 

 恵那川上屋さんは、お菓子作りだけではなく、「名産品の栗菓子はすべて地元の栗を使いたい」さらに「ふるさとを栗の里にしたい」と夢を追い求めるがゆえに、農業生産法人「恵那栗」を立ち上げ、地元生産者とともに、良質な栗を求め、卓越した栽培方法を実践しています。この栗博士を筆頭としたノウハウは、恵那川上屋さんだけのものとせず、求められるがままに全国へと広がっています。熊本県の特産となっている「くまくり」は、その成果が実った代表例でしょう。さらに、スペイン栗菓子会社のホセ・ポサーダ社との技術・文化交流が進んでいるようです。とうとう恵那川上屋さんの強い思いが国境を超えたのです。彼らの自信と誇りは、今後もさらなる探求の手を緩めることはないでしょう。

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  丹精込めて育ててくれる栽培家、栗を知り尽くした熟練した技術工房スタッフ、そして栗を愛するお客様。恵那川上屋さんは、栗を愛する皆様を「栗人(くりうど)」と名付けました。栗を通して大きな喜びの和となることを目指しています。その和に、快くBenoitを加えていただけたのです。我々が栗の栽培ができないのはもちろん、栗の選別や下ごしらえなどは、経験に裏打ちされている経験がものをいい、さらに途方もない手間暇がかかるのです。その、貴重な栗のペーストを、Benoitへ送っていただいております。皆様にも、Benoitで「恵那川上屋さんの和栗デザート」を通し、「栗人の和」への仲間入りをいたしませんか?しつこいようですが、「和をもって貴し」です。

 

 「十六夜(いざよい)」には「ためらい」という意味が込められています。目標を達すると、生き甲斐を無くすことへの古人からの忠告かもしれません。栗人のように、最高品質の栗を育て上げる方法を模索し続ける、最高の栗菓子に仕上げる方法を探求し続ける。この弛まぬ努力の過程こそ称賛されるべきものであり、だからこそ素晴らしい結果が導かれるのでしょう。多くの支店を持たないため、恵那川上屋さんには、岐阜県内はもちろん県外から栗菓子を買い求めに出かけるのだといいます。この人々の多さこそ、彼らの取り組みが正しいことを物語っている気がいたします。さあ皆様、Benoitを介在し、「栗人」とならんことに、何をためらう必要があるでしょうか。足の赴くままにBenoitへ、皆様との再会を心待ちにしております。

 

以下、余談です。

 「月」は秋の季語であることは前述しました。暑さ治まり、乾燥した空気は澄み切った空を演出することになる。程よい降雨は、空気中に浮遊しているチリやホコリを地表に落とし込みます。さらに、秋の空には他の季節よりも星々が控え目に輝く分、尚いっそう月が輝きを増しているのだといいます。満月の美しさを、十二分に楽しむにはもってこいの時期なのだといいます。

 

 しかし、太陰暦が月の満ち欠けによって組まれたように、満月をふくめ月を鑑賞することは秋の特権ではありません。なぜなのでしょうか?憶測の域をでませんが、湿気の多い梅雨時期や暑さ厳しい夏を、無事に乗り切った安堵感があるからこそ、月の美しさに魅せられる心に余裕が生まれたのだと。まして、古き時代にあっては、農耕民族である日本人だからこそ、寒さの残る時期から田を起こし、機械ではない田植えは梅雨時期にまで及ぶ。夏の草取りの後に、やっと迎える稲刈り後も、稲木に「はざ掛け」。農作業が一段落する秋中だからこそ、実りを得たことの安堵と感謝とともに、ゆっくりと月を眺めることができる。すると、心にゆとりがあるからこそ、他の季節には感じることのなかった美しさに魅せられたのではないでしょうか。

 

 その「月」を、一番美しく眺めることができるというのが旧暦の8月15日の満月、「十五夜(じゅうごや)」です。旧暦では7月から9月が「秋」、その半ばに当たるため「中秋(ちゅうしゅう)の名月」というわけです。今でこそ馴染みのお月見の風習ですが、もともとは中国から伝えられたもの。古人は、中国の文明への憧れもあったのでしょう、この風習を取り入れてみるのですが。

 隈もなく 空晴れぬとも 秋といへば 雲間の月の 洩るもさやけし  覚性法親王

 雲もなく、空が晴れているとしても、ずっと見ていると飽きるでしょう。秋に限っては、雲間から覗く月も美しいものですよと。「秋」に「飽き」を含ませるという、なんたるテクニックを駆使し、垣間見ることのもどかしさを美しく表現していることでしょうか。日本のこの時期は「秋の空は七度半(ななたびはん)変わる」といわれる時期です。2018年は9月24日(新暦)、満月が姿を見せるも雲間からのほんのひとときでした。雲一つない晴天の夜空の中に、美しく光輝く十五夜の姿を見ることができるのは、人生の中でそう何度もあることではありません。

 

 このまま名月を楽しまずして、「秋」終われん、と。そこで、古人は考えた。そして、月の次の周期の「十三夜(じゅさんや)」と、さらに次の「十日夜(とおかんや)」を導き出したのです。 この時期になると、ものの見事な星月夜(ほしつきよ)を迎えることができるのです。雲一つない夜空に星が輝くも、圧倒的な輝きを誇る月光によって闇に消えてゆく。肌寒さが、いっそう身を引き締めるのでしょうか、美しさばかりではなく、なんともいえぬ神秘性をも月に感じます。多くの賢人が、この十三夜に魅せられ、多くの歌人は秀逸な歌を残しています。その中にあり、月を一切言及せず、見事なまでにその美しさを表現するものがありました。

昔より なぞ長月の 今宵しも 曇らぬものと 空もしりけん  源俊頼

 昔から、どうして九月の今宵にかぎっては、曇ってはならないと空も心得ているのだろうか。2018年は10月21日が「十三夜」でした。関東は雲一つない見事な星月夜に、ほんの少し左側が欠けているものの見事な月を鑑賞することができました。昨年も晴れていた気がいたします。十三夜の月見は、919年に宇多法皇が観月の宴からだといいます。過去の天気を知る由はありませんが、歌人たちの熱い思いが空に伝わったのでしょう、この日は「曇ってはいけない」と空が悟ったというのです。

 

 「十五夜」の慣習は中国からもたらされましたが、「十三夜」と続く「十日夜(とおかんや)」のお月見は日本で誕生し引き継がれてきました。さらに「空の忖度(そんたく)」に加え、日本人らしい美意識があるからなのでしょうか、歌人にとっては十三夜こそ、美しさ際だった月の姿を鑑賞できるのだといいます。満月が十五夜であるならば、月の満ち欠けの周期は30日となるのですが、実際には29.5日といいます。何事も人間が勝手に決めたカレンダーにあてはめるのがおこがましい限りなのですが、十五夜が満月ではない年もあるのです。2018年9月24日に、幸いにも月を眺めることができた方は気づかれたのではないでしょうか。左側が少し欠けていたのです。まんまるの満月を望みつつも、少し欠けているもどかしさを楽しむ。仮に曇に覆われ姿を見せずとも、その楽しみは約1か月後の旧暦9月13日の「十三夜」へ、さらに続く旧暦の10月10日の「十日夜」へ。この3点セットでお月見イベントは幕を閉じます。

 

 新月から満月の間は約15日間、だからこそ満月は「十五夜」。次の「十三夜」は、その名が示す通り満月の手前。さらに「十日夜」に至っては半月が少し膨らんだ姿です。雲一つない晴天の夜に輝く十五夜こそ美しい、そう完璧だからこそ美しい。ところが、日本人のDNAには、何か物足りなさに奥ゆかしさを感じ、そこに「美」をみつける感性が組み込まれているようです。この世にあり得ない完璧の一歩手前の状態、あくなき探求心のもと断念せずに求め続ける過程のことなのかもしれません。結果よりも過程が大切という考えが日本的だと感じるのはこのあたりに理由があるのかもしれません。

 

 このまま終われば良いのですが、どうも自分にはいろいろと勘ぐってしまう悪い癖があるようです。月の美しさに対しては、異論の余地は全くありません。ただ、調べていくうちに、ふと考えてしまったことが。お月見3点セットが、回を追うごとに欠けている姿になるということ、気になりませんか?最後の十日夜は、農の神々が山へ帰る日にあたり、五穀豊穣のお礼を農の神に伝え、送り出す「収穫祭」が其処彼処で執り行われます。この祭事が先か、お月見が先かは、自分には判断しかねますが、おそらく祭事が先でしょう。秋が「実り」の意味を含むこと、そこへ「月」という秋を代表する風物詩が加わり、感謝の気持ちを込めながら月を鑑賞したのではないかと。これほど大切な日であるならば、完璧な月の美しさを求め、再度「十五夜」にすれば良いのではないか。

 

 自然の機微を敏感に感じるからこそ、日ごとに変わる姿に魅力を感じるのかもしれません。しかし、子供の理科の資料集を眺めていると、ひとつの仮説が思い浮かびました。初めに断っておきますが、あくまでも自分の個人的な意見です。太陽と月と地球の位置関係によって、月齢と呼ばれる月の満ち欠けを目にすることができます。新月の「朔(さく)」から満月の「望(もち)」までは、約15日です。夜空に「望」を見る時を基準にすると、東の空に月が姿を現す時間が、「望」より前では早く、後では遅くなります。日ごとに月が姿を出す時間の差は約50分。2018年の今の暦で見てみると、「十五夜」は9月24日、「十三夜」は10月21日、「十日夜」は11月17日。そう、「寒い」です。防寒着のある今でも寒いのに、昔であればなおのことでしょう。寒さに震えながらでは、お月見どころではないし、感謝の気持ちが湧いてこないでしょう。そこで、古人が寒さに耐えうる範囲で導き出したのが、望より早くお月見を楽しめる、約1時間半前の「十三夜」と約4時間前の「十日夜」だったのでないかと。もちろん、真相は分かりませんが、寒中我慢大会ではなく、風情あるお月見ですから。

 

 「立冬」を迎え、暦の上では冬が始まりました。しかし、気分はまだ秋のようです。女心と秋の空、江戸時代には男心と秋の空。何はともあれ、不安定な天気が続くようです。皆様、無理は禁物です。十分な休息と休養をお心がけください。インフルエンザ予防接種もお忘れなきように。長々とお読みいただきありがとうございました。

末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈っております。

  

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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