kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoitデザート物語「テオブロマ」のご案内です。

 2019年「己亥(つちのとい)」の幕開けは穏やかなものでした。漢字の語源を調べ、賢人からのメッセージを推し量り、推敲を重ねながら書いている「干支の話」。いつもであれば、「早く書き終えなければ松の内が終わる」と焦る日々が、書き慣れたのか?今年は早々に書き終え、ゆとりをもって皆様へ新年のご挨拶を送ることができていたのです。

kitahira.hatenablog.com

 今年は「努力の成果を導き、次の人世のサイクルへと引き継ぐ」のだと。その想いを胸に、Benoit年間計画を組み立てる。心にゆとりがあるのか、食材やイベントのことを考えている時間に苦痛を感じません。ただ、人間というものはある程度のプレッシャーがないと、良いアイデアは生まれないもののようで、ただただ時を過ごすだけでした。「年末の慌ただしさがすでに遠い過去のような日々」は、1通のメールによって霧散します。

 「全世界でほぼ取り扱いのない原料≪カカオの果肉部分≫をつかってストーリー性のある企画を開催できないかという相談です。年明けのお忙しいところ大変恐縮ですが、詳細をお会いし、お話するお時間いただけないでしょうか。実際の商品も見ていただいた方がよろしいかと思いますので、お持ちいたします。」

 メールの送り主は会員制のネット予約を管理運営する会社に勤務する影山さんからでした。彼女がBenoitの食材やイベントに関して知る由もなく、このメールはレセプションを管轄している副支配人澁谷へと届いたのです。時は201917日夜、そう新年早々に、ぽやーと自分が日々過ごしている最中です。澁谷はすぐにシェフパティシエール田中と自分へと転送します。全く想像もつかない「カカオの果肉」という食材に、興味津々で調べ始めた自分。流石というべきか、田中はいちはやく返信が来ました。「興味あります」と。ただし、使用できるかどうかはアラン・デュカスグループの許可が必須とも。

 

 ここで、Benoitで料理がどのような流れで決められるのかを簡単に説明いたします。Benoitのシェフが使用したい食材を決め試作しレシピを作成します。そのレシピを、グループを統括しているフランスのエグゼクティブシェフチームへ伝え、必要があれば電話で協議が始まるのです。この統括しているシェフチームとは、アラン・デュカスの側近という表現が良いかもしれません。グループの展望を考え企画し実行に移しながら、世界に点在する30近いレストランに赴く。多忙を極めるアラン・デュカスが直に各レストランのメニュー作成に関与することは不可能です。そこで、彼の嗜好を良く知り、今後どのようなものを皆様に提案すべきなのかを常に彼と話をしているエグゼクティブシェフチームがあるのです。Benoitシェフがこのエグゼクティブシェフチームと協議し、決定したメニューがアラン・デュカスの下に伝えられ、承認が得ることができれば、晴れてBenoitのメニューに採用なのです。

 そのため、メニューに載っていない「今日美味しい魚が手に入ったのですが、いかがですか?」ということはできません。不自由な面もありますが、アラン・デュカスの意向を反映したメニューのため崩れることはありません。興味深いことは、フランスからの押し付けメニューではないといいうこと。それぞれの国を尊重し、食材の確保は可能な限り自国のものを使うこと、そのためBenoit東京の食材の約95%は日本の食材です。あくまでもそれぞれのレストランのシェフが、それぞれの国の気候風土に着想を得た料理を、統括シェフチームへと提案しています。ここで、アラン・デュカスの意向と鑑み、そのままかもしくは微調整がなされます。あまりにも違えば、もちろん不採用です。このやり取りは、メールであり電話で随時行われているのです。フランスとは時差が8時間ほどあるため、Benoitシェフが夜半までいるときは、このレシピをめぐる攻防が繰り広げられた時、その表情から結果を察することができます。

 

 話を戻します。この影山さんのメールから始まり、間髪入れずの澁谷のメール転送は、20191720:30、すぐさま転送され、田中の返事が21:00、自分が遅れること10分後。澁谷から影山さんへ返信が送られたのが21:30でした。送信先が会社のメールアドレス、時間が時間だけに彼女が目を通すこともないものと澁谷は判断し、非礼は承知の上で電話を何度となくかけることに。影山さんとコンタクトが取れたのが22:00でした。このわずか1時間30分が、Benoitパティシエチームにどれほど影響を与えることになろうとは、この時点で誰も予想しておりません。後から影山さんから聞いたところ、携帯電話の着信回数にただならぬものを感じ取ったのだといいます。なぜ、これほどまでことを急(せ)いたのか?

 料理がフランスの承認を必要としていることは前述しました。もちろん、デザートも例外ではありません。メールや電話のやり取りでは、どうしても食材の違いがあるために微妙な誤解が生じます。これを解消すること、技術のアドバイス、そして一番の目的はアラン・デュカスの意向を直接伝授すること。そのため、エグゼクティブシェフチームが定期的にBenoitを訪れ、2日間という短さではありますが朝から晩までキッチンに入ります。この2日間が、今後のBenoitの方向性を決定づけるといっても過言ではありません。サービスチームにとっても、直接にフランスの意向を行くことのできる貴重な時でもあります。料理を担うMatthias HAHN(マティアス)とデザートのJean-Marie HIBLOT(ジャンマリ)。19に、彼らがBenoitに来ることになっていたのです。

 このタイミングを逃すまい。9日はすでに朝から忙殺されることは目に見えていました。我々に残されているのは、18の一日のみだったのです。なんとしても影山さんとコンタクトを取り、8日に会わなければならない。澁谷が無礼を承知で何度となく携帯電話に連絡したのは、これが理由でした。そして、8日午前に、影山さんとパティシエールの田中、そして自分が会う段取りがついたのです。この絶妙なるタイミングを影山さんが知る由もありません。突然の「明日午前に会いませんか?」との返答に、会員制のネット予約に勤める影山さんが、食材サンプルを持っているのか?間に合うのか?

 18日午前三者が一堂に会しました。自信満々に影山さんが保冷バックから特選食材を取り出しました。昨日の今日、それも夜中を挟み12時間の猶予しかないにもかかわらず、彼女は特選食材を準備できていたのです。説明を受けながら、口にした特選食材は、この職業に就き20数年経っていますが、初めてのこと。あまりの美味しさに言葉を失いました。田中も想像をこえていたようで、一同無言。固唾をのんで我々の言葉を待つ影山さんをよそに、自分の中では、いかに皆様へこの美味なる逸品を提案すべきなのか?その可能性を模索していたのです。この静寂を破るかのように、「美味しい」と自分が言葉を発することで、田中もまた納得するかのように「美味しい」と。安堵した影山さんが。この後に影山さんから、どれほどの逸品であるかの説明を受け、この試食は終わりを迎えます。すでにこの時には、自分の中では購入を決め、皆様へ提案するひとつを決めていました。田中の中でも新デザートへの兆しを見出していたようです。そして、ついに19日のエグゼクティブシェフチームのBenoit訪問を迎えます。

 

 この時に、影山さんから紹介いただいた特選食材は2つ。ひとつは「Pulpe de CACAO(ピュルプ・ドュ・カカオ)」というカカオの果肉。これは別にブログで書かせていただきました。以下をご参照いただけると幸いです。


kitahira.hatenablog.com

f:id:kitahira:20190317143119j:plain

 もう一つが、「Cupuaçu(クプアス)」です。まったく馴染みのないこの名称に、なんのことやら全く想像もつかないかと思います。実っている姿はきキウイフルーツのようですが、もっともっと大きく、ラグビーボールほどもあり、重さは2kg前後にまで。カカオ属の属し、アマゾン地帯原産の固有品種で現地ではアサイーと同じくらい人気のフルーツなのだといます。何とも言えない独特な香りは、熟したバナナのようでもあり、エキゾチックな香りというべきなのでしょうか。その香とは対照的にシャープな酸味と甘くコクのある味わいが人々を魅了してやまないのでしょう。後引く心地良い酸味がまた格別。「Theobroma(テオブロマ)」は、「theo=神様」と「broma=食べ物」という語源であり、現地ではクプアスを「神の果実」と呼んでいます。かつて、シャーマンがクプアスのジュースを安産祈願の妊婦さんや、妊娠を望むご夫婦に、さらには病気の薬として与えていたといいます。ビタミンCと鉄分を多く含むことが特徴だということがわかる以前から。

f:id:kitahira:20190317143211j:plain

 学生時代に学び、今でも問題になっている「焼き畑農業」。いち早く畑を開墾できる反面、森が姿を消してしまう諸刃の剣です。アマゾンでも例外ではありません。そこで、登場したのは「アグロフォレストリー」という農法です。高さの異なる植物を、森の如く植栽していくことで、自然界の多様性を導きながら実りを得ようというもの。病気や天候不順によるリスクを減らし、持続可能な農業を目指すのです。クプアスは、生育時に影を必要とするため、この農法に適した植物果肉は食品へ、種は油脂へ、殻は有機肥料となり全てを有効活用しています。そう、アマゾンでは重要な作物のひとつなのです。

 なぜ、今の今まで美味しい食材として日本で確立しなかったのか?あまりに力強い香と味わいは、果肉そのものはでは、好き嫌いが出てしまうのです。好きになってしまうと、病みつきになってしまう食材でもあります。美味しいにもかかわらず、この果実に自分はお手上げ。ところが、パティシエールの田中は違っていました。何も語らない彼女は、一つの可能性を試食の際に見出していたのです。テオブロマにはテオブロマ、はて?

 

 19、エグゼクティブシェフチームがBenoitに到着し、時差の辛さを微塵も見せず、すぐに事を始めたのです。1日目は座談のミーティングが行われ、Benoitのシェフセバスチャンと田中が同席。現状をヒアリングし、今後のアラン・デュカスの方向性を語ります。その後に、料理とデザートに分かれ、個別に話し合いが行われたのです。田中がフルーツを中心とする1年の計画をジャンマに話すなかで、満を持してのもちだしたのが「カカオの果肉」と「クプアスの果肉」。間髪入れず自分が現物を持ち出し、試食へ。すでに存在を知っていたために、何も支障がなくあっさりとしたものでした。その最中、そこいらで見ていたのではないかというほどのタイミングで、自分宛にメールで見積書が届いたのです。焦る心をひた隠し、見積もりに目をやり、購入できる金額を確認した後に、彼女の下に。彼女が見出したデザートの可能性が実を結ぶ。Benoitの食材として「カカオの果肉」と「クプアスの果肉」が確定したのが、この時です。

f:id:kitahira:20190317143250j:plain

 そして110、に本格的に試作が始まります。残念ながら、他の重要事項を先に済ませなければいけないため、今回の特選食材は後回しになります。自分が「Benoitの御三家」と呼んでいる、そのババとミルフィーユに手が加わり、ショコラデザートに関してはまったく別物へと変貌を遂げます。さらに2月から始める「イチゴ」の試作も。静岡県掛川の「赤ずきんちゃんおもしろ農園」さんより「紅ほっぺ」を送ってもらっていたのです。このイチゴの美味しさを絶賛したジャンマリと田中が仕上げたのものが、今メニューに載っている「イチゴ“紅ほっぺ”とレモンのクープ」です。

 この時に、試作はできなかったものの、すでに日本で手に入れることのできる「カカオの果肉」と「クプアスの果肉」を試食できたことは、大きな成果を生んだのです。会話の中ではありますが、新しいデザートのイメージが出来上がり、ジャンマリが参考になるデザートのレシピを後日送るというところまで進んだのです。こうして、エグゼクティブシェフチームがBenoitを去っていきます。

 この日から、Benoitパティシエチームが多忙を極めることになります。御三家のデザートが変わることは、今までの仕込みの段取りから組み立てなおさなければなりません。さらに、アラン・デュカスがデザートに求める味わいは、手間暇をかけなければ仕上がらず、今まで以上の負担を強いているのです。田中から他のスタッフへ技術伝授がなされると同時に、「季節のフルーツ」のデザートも考案しジャンマリへ提案しなくてはなりません。すでに始まっている2月からの「不知火とパール柑」のデザートは緊急を要するものでした。この最中、彼女は着々とジャンマリと「新しい食材による新たなデザート」の話を進めていたのです。そして、新しい食材を紹介していただいた影山さんの提案した「企画の開催」が決まったのです。3月13日から15日の3日間限定でした。

 

 時は2月を迎え、様変わりしたBenoitのデザートが一段落したときに、いよいよ本格的に新しいデザートの仕込みに入ります。田中がジャンマリより受け取ったデザートのレシピを鑑み、彼女がデザート求めたものは「テオブロマにはテオブロマ」でした。カカオの種は発酵させて乾燥させるとチョコレートの原料です。そこで、日本橋のアラン・デュカスのチョコレート工房のチョコらをベースに、「カカオの果肉」と「クプアスの果肉」を加え、さらにこの特選食材のソルベを合わせるものでした。2月半ばに実際に試作を仕上げ、写真とともにジャンマリへレシピを送り出す。後は返信を待つのみ。彼は全てのレストランのデザートを管轄しているため、時間を要することは分かっていましたが、思いのほか早く返事が届いたのです、「OK」と。

 ここに「Barre au chocolat/cupuaçu, sorbet cacao (ショコラとクプアスのバル、カカオのソルベ)」が誕生したのです。

 ショコラは全てアラン・デュカスの工房から届いた75%カカオ含有のビターながらカカオの風味を堪能できる逸品です。このショコラにアーモンドとヘーゼルナッツを加えプラリネに仕上げ、カカオ豆をローストして砕いたGrué de Cacao(グリュエ・ドゥ・カカオ)とココナッツを加えてカリカリに焼き上げます。この上には、たっぷりとショコラを使ったサクサクの食感のビスキュイを。そして、「カカオの果肉」と「クプアスの果肉」のなめらかなクリームを載せ、ショコラに「クプアスの果肉」を加えた生クリームを絞り込む。最後に艶やかなショコラのシロップをまとわせることで「バル(横棒)」が完成。添えるのは、「カカオの果肉」と「クプアスの果肉」のソルベです。カリカリ・パリパリにまとわりつくようなクリーム、この食感の違いに、様々な味わいが加わります。ショコラの美味しさは言うにおよばず、カカオ種子の香ばしさとほろ苦さ。カカオの果肉のライチのような風味にバナナのコクに心地よい酸味。クプアスの果肉は濃厚な南国裕由来の、まさにエキゾチックフルーツと呼ぶにふさわしい味あいに、後引く酸味。テオブロマ属を一堂に会するかのような逸品に仕上がりました。

 

 イベントのことは知らなかったよ、皆様お怒りのこと思います。実は、このイベントは冒頭でお話した通り、「会員制のネット予約」のための特別プランのデザートだったのです。あまりにも美味しいデザートに仕上がったため、パティシエチームに負担をかけるのを承知の上で、多目に仕込んでもらったのです。そして、このイベントが終了した今、このblogを見ていただいて皆様に、このデザートをご賞味いただきたく、ここにご案内させていただきます。

限定50人様、プリ・フィックスメニューのデザートの選択肢の中で、ランチ・ディナーともに追加料金なくお選びいただけます

 限定数の準備のため、必ずご予約をお願いいたします。その際に「クプアスのデザート希望」とお伝えください。ご予約は、自分よりお送りしているメールへの返信、もしくはBenoitへご連絡をいただけると幸いです。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。未知なる食材を知る喜びはもちろん、この美味しさは、皆様を「口福な食時」のひとときへと誘(いざない)います。2月に自分が試食した時、あまりの美味しさに他のスタッフの分けることを忘れ、全て食べきってしまった逸品です。限定数のためメニューには載せません。御三家のショコラのデザートが君臨する限り、今後もメニューに載ることはないでしょう。

 2月にイベントに関して影山さんと話をする機会が増えた時、なぜ8日午前に「食材のサンプル」が間に合ったのか伺いました。彼女が言うには「2018年末に提案する予定でした」と。そのため、サンプルを冷凍庫に保有していたのだといいます。自分が思うに、年末に提案のメールが来た場合、多忙のためこの話は消えていたことでしょう。全ては、神がかり的な、絶妙なタイミングでなければ、姿を見せなかった「クプアスのデザート」。皆様も、今のタイミングを逃すと…

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、イノシシ(風水では無病息災の象徴)が皆様をお守りくださるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬


www.benoit-tokyo.com