kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoit特選食材「恵那川上屋さんの和栗」のご案内です。

f:id:kitahira:20191125163058j:plain

 「秋」が「実りと収穫」を意味し、「秋」を指し示すものとして盤石の地位を得ている「月」。芸術として中国よりもたらされた月を愛でるという感覚に、農耕民族の感性が加味され、農の神々へ五穀豊穣を感謝する意味合いも持ってくることになったのでしょう。中秋の名月は「十五夜(じゅうごや)」として、後の名月とうたわれる日本発祥の「十三夜(じゅうさんや)」として定着していきました。収穫への感謝の意を込め、「十五夜」は「芋名月」と呼ばれます。ジャガイモとサツマイモが日本に伝えられるずっと以前のお話です、この芋は「サトイモ」のこと。十五夜に飾る小丸の団子はサトイモに見立て、月を介し神々への感謝を表したもの。ちなみに、ススキは頭を垂れた稲穂といいます。では、続く「十三夜」はというと、「豆名月」といいます。和食には欠かせない「大豆」なのですが、この時期は完熟前の「枝豆」のこと。今は、真夏に渇望するビールのお供にと品種改良されたもので、昔々はこの時期が旬でした。さらに、十三夜にはもうひとつの呼び名があります。

栗名月

 

 ブナ科クリ属の果実は、日本ではすでに縄文時代から食料として重宝されていたようです。これは日本に限ったことではありません。世界には大きく分けて四つの品種があり、その自生している大陸名が品種名になっています。フランスのマロングラッセでも有名なヨーロッパグリ、天津甘栗の中国グリ、今はほとんど栽培されていないアメリカグリ、そして和栗こと日本グリです。和栗は世界に誇る栗の品種です。ヨーロッパの洋栗や天津甘栗で有名な中国栗とは一味違った優しい甘さだからこそ栗の風味を十分に感じ取れ、瑞々(みずみず)しさが特徴。栗おこわのように、お米との相性は抜群なのはもちろん、栗きんとんも忘れてはいけません。栗そのものの美味しさを生かす和の技法は、すでに何百年も前から伝統として確立しているのです。

 栗の産地は日本全国多々あります。それぞれの地が、ブランドの栗を有し、美味なる栗を産することに誇りを持つがゆえに、そのブランドを壊さぬよう細心の注意を払っています。そこに、新参者いや洋参者であるBenoitが入って行けるのか?その思いを抱きながら和栗探しに取り組んだのが6年前のことです。何の結果も見いだせず1年が過ぎるも、今までフルーツを主に食材を探してきた意地もある。そうこうしているうちに探し始めて2年目の栗の収穫が終わりを迎えようとしている、その時にBenoitに一筋の光明が射しこみました。美味しい和栗の入手の失敗をお客様に笑いながら話していたその時、「甥っ子が働いているから聞いてみようか?」と。「運命の出会い」とは、このようなこと言うのかもしれません。

 岐阜県東南部の恵那市中山道の宿場町として旅人で賑わを見せている時代、山栗を使った料理やお菓子が評判となり、「栗菓子の里」として歴史に名を残すことになります。彼の地にて、創業以来、「美味しい栗無くして美味しい栗菓子はなし」という信念のもと、恵那山の麓の広大な地に、栗の木を植栽し続けています。伝統にあぐらをかくことなく、栽培を担う人がより良い栗を育めるよう環境づくりを整え、その栗の美味しさをいかんなく発揮できる栗菓子を追求する、スタッフ皆が自らの担当する分野において日々研鑽に励み続けている老舗。栗きんとんの発祥の地である岐阜県の中津川、恵那峡に居を構える、「恵那川上屋(えなかわかみや)」さんです。

f:id:kitahira:20191125163045j:plain

「地元に栗を呼び戻そう」

 老舗である恵那川上屋さんの軌跡は、順風満帆だったわけではありませんでした。これほどの伝統と、栗の名産地としての名声を得ながら、人々の「農業離れ」には逆らうことができず、生産量が最盛期の10分の1にまで激減した時代がありました。栗無くして栗菓子はできず、まして素材以上の美味しさなどありえません。素材の確保と品質追求という難題が老舗を苦しめていたといいます。思い倦(あぐ)ねるままで、これといって解決の糸口が見つからない中、鎌田真悟さんが老舗の代表に就いた1998年を機に、「老舗の時」が動き始めます。JA東美濃が、特選栗評議会のメンバーの中から優れた栗生産者を認定し「超特選栗部会」という精鋭チームを発足いたしました。これは、栗栽培名人である塚本實(つかもとみのる)先生の「低樹高栽培」を学び、自らも指導者としてこの栽培ノウハウを仲間に教え伝えていくプロ集団です。「地元に栗を呼び戻そう」のメッセージのもと、「栗の名産地」復権をめざし、地元一丸となり労を惜しまない日々。この取り組みが功を奏し、栗の生産量も回復を見ることになりました。

f:id:kitahira:20191125163056j:plain

 恵那峡の栗は、長年培われてきた伝統の上に、途方もない人智が加味されたもの。この英知をまとめ上げ、次世代への引継ぎを担う栗博士、塚本實さんがたどり着いた栽培方法が「低樹高栽培」という、並々ならぬ手間暇と技術を要する手法です。剪定方法だけを見てみても、心配になるほど厳しく低く実施します。これによって、年配の方や子供でも日々の手間暇をかけやすくなり、危険も減ることに。だからこそ、病気にもなりにくく、美味しい栗がたわわに実るのです。と書いてしまうと簡単なことですが、庭木の選定をされている方は、剪定作業がいかに難しいかがお分かりかと思います。厳しすぎると徒長枝というビュンビュン伸びた枝を生み、剪定が緩いとだらだら葉だけが茂ります。ともに実をなさないのです。実をなさいということは、農を生業としている者にとっては死活問題。時には厳しく、時には優しく、まるで子育てのようです。

 順調に思えたこの取り組みも、「高齢化」の潮流に逆らうことができませんでした。プロ集団の「超特選栗部会」の平均年齢は65歳だったのです。一難去ってまた一難、このままでは20年いや30年後には地元の栗が消滅してしまうのではないか。そこで、恵那川上屋代表の鎌田さん自らが学び、栗の知識を身にまとい、一人の栗栽培者として、この恵那栗の魅力を自らが伝えてゆくことで、若手を募っていこうと考えたのです。この想いが、2004年「農業生産法人恵那栗」として実を結びました。毬栗(いがぐり)だったものが口を開き、岐阜県のみならず他県へまでこのノウハウを伝播するにまで成長いたします。ここに至るまでにどれほどのご苦労があったことか、計り知れません。

f:id:kitahira:20191125163043j:plain

 この厳しい管理のもと、実った栗が成熟し自然に落ちるのを待ち、朝一番で収穫したものが、プロの眼下の元で選別され、厳しい選果基準を満たしたものだけが「超特選恵那栗」として、工房へ届けられます。栗を知り尽くした職人の技をもって、栗の実はもちろんですが、渋皮の旨味までも生かすように丁寧に蒸されたのちにほぐされ、ほんの少しの砂糖が加えられ、優しく丁寧に炊き上げられます。それを手絞りで仕上げたものが、恵那川上屋さんの栗きんとんです。栗の品種や収穫時期によって、加減を調整しながらの作業は、栗を熟知している彼らだからこそ可能な職人技です。

f:id:kitahira:20191125163049j:plain

 前述した通り、恵那川上屋さんの栗きんとんは栗と砂糖のブレンドです。ここまでの栗に対しての愛着があればこそ、相棒にもそれ相応のものを求めてしまうもの。栗の確保のめどがたった時、ふと思うことは「美味しい砂糖は確保できるのか」という問題でした。居ても立っても居られなくなった鎌田さんは、砂糖探しの旅に出ることを決め、南へ井波へと向かったのです。沖縄県に足を踏み入れるも、難題多く断念、次に向かった先が鹿児島県「種子島」でした。そして、会うべくして出会ったのが砂糖杜氏の竹之内和香さん。彼の黒糖を口にした時、まさにその瞬間に「10年かけて黒糖製造の技術を教えてください」と鎌田さんが申し出たのだといいます。伝統技能の保有者は、その技を伝承しなければならない宿命にあるのでしょうか。出会って10年後、竹之内さんは区切りを付ける英断を下し、全てを鎌田さんに託したのです。種子島「里の菓工房」として本格的に稼働したのが2006年。伝承の技に甘んじることなく、さらなる品質向上を模索する日々が、ついに褐色美しい無添加の黒糖を作り上げたのです。サトウキビが持ちうる甘さを最大限に引き出す。やはり、素材に勝る美味しさはありません。

f:id:kitahira:20191125163053j:plain

 Benoitには、恵那川上屋さん自慢の「栗きんとん」そのもののと(画像左側)、まったく加糖せずに栗を炊きほぐしただけのもの(画像右側)の2種類を送っていただいております。右側は、栗色が美しく、団粒のようにほろほろと、和栗のホクホクとした優しさと和栗らしい甘さが口中いっぱいに広がります。左側が黒糖が入ったもので、サトウキビからの香ばしいながらほのぼのとする甘さが、栗の風味を引き立てる、まさに栗菓子の完成品です。ひとつひとつでも十分に美味しい食材を、絶妙なる比率でブレンドしたものを、今回のデザートで惜しげもなく使用します。

 

 恵那川上屋さんは、お菓子作りだけではなく、「名産品の栗菓子はすべて地元の栗を使いたい」さらに「ふるさとを栗の里にしたい」と夢を追い求めるがゆえに、農業生産法人「恵那栗」を立ち上げ、地元生産者とともに、良質な栗を求め、卓越した栽培方法を実践しています。この栗博士を筆頭としたノウハウは、恵那川上屋さんだけのものとせず、求められるがままに全国へと広がっています。熊本県の特産となっている「くまくり」は、その成果が実った代表例でしょう。さらに、スペイン栗菓子会社のホセ・ポサーダ社との技術・文化交流が進んでいるようです。とうとう恵那川上屋さんの強い思いが国境を超えたのです。彼らの自信と誇りは、今後もさらなる探求の手を緩めることはないでしょう。

f:id:kitahira:20191125163040j:plain

 丹精込めて育ててくれる栽培家、栗を知り尽くした熟練した技術工房スタッフ、そして栗を愛するお客様。恵那川上屋さんは、栗を愛する皆様を「栗人(くりうど)」と名付けました。栗を通して大きな喜びの和となることを目指しています。その和に、快くBenoitを加えていただけたのです。我々が栗の栽培ができないのはもちろん、栗の選別や下ごしらえなどは、経験に裏打ちされている経験がものをいい、さらに途方もない手間暇がかかるのです。その、貴重な栗のペーストを、Benoitへ送っていただいております。皆様にも、Benoitの栗のデザートを通し、「栗人の和」への仲間入りをいたしませんか?

 

十六夜(いざよい)」には「ためらい」という意味が込められています。目標を達すると、生き甲斐を無くすことへの古人からの忠告かもしれません。栗人のように、最高品質の栗を育て上げる方法を模索し続ける、最高の栗菓子に仕上げる方法を探求し続ける。この弛まぬ努力の過程こそ称賛されるべきものであり、だからこそ素晴らしい結果が導かれるのでしょう。多くの支店を持たないため、恵那川上屋さんには、岐阜県内はもちろん県外から栗菓子を買い求めに出かけるのだといいます。この求める人々の多さこそ、彼らの取り組みが正しいことを物語っている気がいたします。さあ皆様、Benoitを介在し、「栗人」とならんことに、何をためらう必要があるでしょうか。足の赴くままにBenoitへ、皆様との再会を心待ちにしております。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com