kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

季節のお話「半夏生」~後編~

 まるでセミが催促するかのように、関東梅雨明けを迎えました。今年の干支である「庚(かのえ)」という漢字を使った「庚伏(こうふく)」という言葉があります。夏の一番暑い時期という意味なのですが…考えすぎでしょうか、今夏は十分な暑さ対策が必要なのかもしれません。

 8月をすでに過ぎながら、7月1日の雑節「半夏生」を、ブログ「季節のお話」として書いてみました。なぜ、今話題として取り上げることにしたのか。今回は「半夏生~後編~」です。「前編」をご覧になっていない方は,先日投稿しましたブログを、以下よりご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

さて、前編から引き継がせていただきます。

 雑節「半夏生」の時期に花開く、ドクダミ科の中にハンゲショウという植物があります。6月から8月にかけて、小さな花穂をのばし、下から順に花開いてゆくのですが、花びらが無く、雌しべを中心に、それを取り囲むように雄しべが6本あるのみです。虫媒花であるため、受粉に虫の助けを必要とするのですが、如何(いかん)せん、あまりにも地味な花だけに、虫にすら無視されることに。そこで、ハンゲショウは考えたのです。花の近くの葉を白くし、虫たちを誘おうではないかと。

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 この白い色は、色付いているのではなく、色が抜けているといいます。光合成の源である「葉緑素」を、虫を誘う時期だけ、葉のから抜いてしまうのだというのです。そして、開花期が終われば、また「葉緑素」を戻すという、大胆な方法を思いついたのです。この時期は、思いのほか白い花が多いことを考えると、葉を白くすることは、きっと虫たちの目には輝かしく映るのでしょう。

 この植物は、「片白草」とも「三葉白草」ともよばれていたことを、古い書物に見ることができます。梅雨時期であり空が雲に覆われる日々が続く中で、美しい群生に目を奪われる。いつの時代のことか、葉の半分ほどが白化粧しているかのような容姿ならぬ葉姿なため、どこそこの誰だか分かりませんが、「半化粧(はんげしょう)」と命名したのでしょう。いつも思うのですが、古人の名付けの妙には感服するばかりです。

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さらに調べてゆくと、「半夏生の頃に花が咲く」のでハンゲショウと名付けられたという説もありました。おや?この説が世にまかり出たということは、この花がハンゲショウ命名されたときに、すでに「半夏生」という単語が存在していたことになります。では、「半夏生」とはどこからきたのでしょうか?

 

 すでにご紹介した「二十四節気(にじゅうしせっき)」は、1年を24分割したもので、、「春分」や「夏至」に代表されるように季節の目安を、我々に教えてくれます。さらに、72分割に細分化したものもが、「七十二侯(しちじゅうにこう)」。ともに、古代中国の賢人が天文学の英知の結晶として、後世に遺したもので、その効力やいまだ健在。我々が、普段気にも留めずに使っている「気候」という言葉は、「二十四節気」と「七十二侯」の語尾の漢字を合わせたものです。

 中国と日本の気候とは、似ているようで違うもの。1年を24分割であれば、そこまでの大差はないものの、72分割ではなかなかに違和感があるものです。そこで、後者は明治期に日本風に手が加えられました。しかし、変わらないものもあります。その一つが、「半夏生」です。夏至の末侯、旧暦7月1日から7日までの期間にあてられました。

 七十二侯の「半夏生」は、「はんげしょうず」と読みます。これは、「半夏(はんげ)」という植物が地表に姿を現す時期ですよ、と教えてくれます。この「半夏」は「烏柄杓(からすびしゃく)」の漢名で、先が細く伸びた袋のような花を、カラスの柄杓(ひしゃく)に見立てて名付けられたといいます。

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 サトイモ科の植物で毒草です。この姿を見て、「うわ~美味しそう」と思うことは皆無だと思うので問題ないとは思いますが、間違っても口にすることは控えてください。「毒をもって毒を制す」とはよく言ったもので、フグの猛毒「テトロドトキシン」が沈痛債へ姿を変えるように、この半夏の根は乾燥させるとありがたい漢方薬「半夏」となります。体を温め、停滞してるものを動かし、発散させる効能から、痰をとり、嘔吐を鎮めるために服用するのだといいます。

 

 この半夏の草を、探してみようと行動に移すも、いったいどこで出会えるのか思いあぐねること2年間。七十二侯の夏至の末侯だけに、その時期は草むらに目をやり続けながらの捜索の日々でした。ところが、新潟へお盆休みで帰郷した昨年のこと、偶然に見つけることができたのです。散歩中の田の畦道(あぜみち)で出会った時、思わず声を上げてしまった自分がいました。

 あまりの喜びに、家に戻り皆に自慢したところ…「ヘビクサ」じゃないか、そこいらで生えていて、なにも珍しいものではないという。そう、あまりにも身近な草だけに、その地での呼び方があったのです。確かに、気づけば其処此処(そこここ)に生えている。「ヘビクサ」、確かに似ていなくもない。

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 さて、気なることは、自分がこのカラスビシャクと出会ったのは、8月のお盆で帰郷した時。夏至の末侯(7月1日から7日の期間)が「半夏生(はんげしょうず)」であるならば、1か月ほどの差があることになります。

 多くの草木の開花期は、意外に短いものです。その中にあり、このカラスビシャクは順を追うように花開き、いや花開くというよりも口開きという表現が良いのかもしれません。我々が、野でこの草を目にすることのできる期間は5月から8月にかけての長期にわたります。

 日本の旧暦は、太陽太陰暦と呼ばれるもので、月の満ち欠けを基準にしながら、太陽の軌道が加味されたものです。月と太陽の軌跡の違いは、暦の誤差として現れます。そこで、古代中国の賢人は、月の満ち欠けを基準にしながら、太陽が真東から上り真西に沈む「春分点」を導き出し、二十四節気という形であてはめたのです。そのため、新年を迎える前に「立春」を迎える年もでてきます。

 風流な二十四節気や七十二侯を、農を生業とする人々に周知させることは、なかなか難しい。そこで、古代日本の賢人は、稲の成長を促す太陽の陽射しが不可欠なため、太陰暦がどのように時を暦に刻もうが、春分秋分の中間点までに田植えを終えなければならないことを、幾年も繰り返してきた経験から知っていた。そこで、この中間点に標(しるべ)となる「雑節」を創作することにしたのでしょう。

ちょうど、この中間点は七十二侯が「半夏生(はんげしょうず)」と教えてくれている。そこで、そのまま引用することにした、日本語の読みに変えて。雑節「半夏生(はんげしょう)」が誕生する。ところが、雑節「半夏生」の頃は、ちょうどハンゲショウ(半化粧)が花咲かせ、葉色を白く変えています。

 七十二侯の「半夏生(はんげしょうず)」が、雑節「半夏生(はんげしょう)」に引用される。この時期には「半化粧(はんげしょう)」は花盛り。口伝される場合は、まさに伝言ゲームのごときなり。時が経つにつれて、この混同が生じてきてもおかしくはないでしょう。いまだ真相は分からず、もちろん諸説ある中で、自分が調べた上でひとつの推測を書いてみました。なかなか、説得力があるとは思いませんか?

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 「半夏生」の与(くみ)する二十四節気の「夏至」の後には、「小暑」さらに「大暑」と1年で最も暑い時期が続きます。暦の上では、すでに「大暑」も末侯となり、まもなく「立秋」を迎えるのですが、今期の梅雨明けの大幅な遅れは、これから猛暑が来ることを教えてくれます。「半夏生」の後に、梅雨明けが訪れることが季節の流れてあるならば、1か月ほどの遅れではありますが、今まさに「半夏生」を過ぎた頃ともいえます。

 人間が、自然の時の流れを、暦という枠にあてがうこと自体がおこがましいこと。カレンダーに頼ることなく、自然の機微を捉えるように、柔軟に対応してゆかねばなりません。猛暑の到来を、古人は半夏生に託したのです。自分の体力を過信し、無理な行動は禁物です。十分な休息と睡眠、こまめな給水をお心がけください。

 

 カラスは、「鳥(とり)」の漢字から、横棒を1本抜き「烏」と書きます。今回の「半夏」とは、「烏柄杓(からすびしゃく)」の漢名だと前述いたしました。筒の袋状の姿を柄杓(ひしゃく)見立て、人が使うには小さいのでカラスの柄杓という名前の由来だといいます。真っ黒で狡猾なカラスを好印象で見ることは少なく、バードウォッチングでカラスを見に行くこともないかと思います。鳩(はと)や雉(きじ)でもいいのでないかとも思う。なぜ烏(からす)?少しばかり「烏(からす)」を調べてみました。すると…

 今では嫌われ鳥としての扱いをうけるカラスですが、古代中国では親孝行の鳥としての地位を得ています。成長すると親鳥に餌を口移しすることで、養育の恩返しをすることから、孝鳥であると。

 さらに、中国神話の中では、太陽には三本足のカラス「三足烏(さんそくう)」が棲んでおり、人々からは「金烏(きんう)」と呼ばれていたようです。そのため、「烏(からす)」という漢字には、「太陽」という意味も含まれています。古代神話では、太陽にいる三本足のカラスを金鳥(きんう)と呼び、月にいる兎を玉兎(ぎょくと)と呼んだことから、「烏兎(うと)」という言葉が誕生しました。これは、太陽と月のことを指し示します。

 古代日本人は炎天下での陽射しを恨めしく思うも、太陽は生きとし生けるものにとって欠かすことのできないもの。夏に盛りを迎える「半夏」は、漢方として重宝していると古代中国より言い伝わる。そこで、太陽への感謝と、無事息災に夏越しできることを祈念するために。その手助けとなる薬効を期し、「半夏」を和名にする際に、「烏(からす)」を冠したのではないか。はたまた、日本神話の「八咫烏(やたがらす)」が関係してるのか。

 何はともあれ、見識のない自分が、あれやこれやと推測することは、なんとおこがましいことでしょうか。この「おこがましい」、漢字で表記すると「烏滸がましい」となります。おや、ここにも「烏(からす)」が…

 

 自分の体力を過信し、無理な行動は禁物です。外すことのできないマスクは、体の暑さを逃す妨げになるばかりか、水を飲む行為すら億劫(おっくう)にいたします。今夏は、意識的にというよりも計画的に、こまめな水分補給と少しばかりの塩分補給をお心がけください。

 木陰に入り、葉の間を抜ける心地よい薫風、陽射しにきらめきながら重なり合う木の葉、なんと美しい光景か、と夢心地に浸るのも良いですが、夢の(意識の無くなった)世界から抜けることができなくならないよう、ゆめゆめお忘れなきようにお気をつけください。

  そう遠くない日に、「マスク無し」で笑いながらお会いできることを楽しみにしております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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