kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoit11月のご案内です。

 日本の四季は風にのってやってくる。この齢(とし)になって、少しばかり理解できるようになってきた気がします。秋晴れの昼下がり、心地良く吹き抜ける「涼風(すずかぜ/りょうふう)」に癒される。夕暮れともなると、肌寒さを覚える「冷風」となり、我々を得も言われぬ幽愁(ゆうしゅう)の思いで包みこみます。

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 薫風(くんぷう)とは、夏の季語になっている言葉ですが、それぞれの季節に「香り」があると感じています。先日の台風接近による大雨によって花散らされるまでは、金木犀(きんもくせい)の芳しい香りを、秋風が我々に届けてくれました。しかし、この草木の香りではない、季節それぞれに「香り」がある気がしてなりません。言い当て妙なる言葉が見つからないので、今後の課題にさせていただきますが、皆様もそのように思いませんか?

 

 さて、季節の風は香りばかりを運んでくるのではりません。目に映る自然景観のことを「風景」と言います。「景」には、≪日の光≫という意味があり、さらに≪明るく照らす場所には境限(きょうげん)があるため、「景」は「境」である。≫と語源辞典「漢辞海」は説いている。風と陽の光による四季折々の境に「風景」がある。そこに自然美を感じると、「風光明媚(ふうこうめいび)な」という形容詞がついてきます。「明媚」とは清らかで美しい「景色(けしき)」のこと。

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 「風景」が「風」と「日の光」であるならば、「景色」は、「日の光」と「風の色」のことを言うのではないでしょうか。そう考えると、太陽の陽射しと風の色が相まって「風景」や「景色」となり、我々に四季のそれぞれの到来を教えてくれることに。では、この「風の色」とは何色なのでしょうか?

 

≪秋風の色は何色?≫

 黄葉・紅葉で彩られる「秋の色」は、深まりゆく秋を我々に教えてくれます。寒暖差が大きいほど美しく色づくのだといいます。この寒暖差は、秋という季節がもたらすもの。そして、秋は風が導いてくる。では、「秋風の色」は何色なのでしょう?季節のお話として、ブログに書き記しております。お時間のある時に以下よりご訪問いただけると幸いです。

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≪惜秋特別プランのご案内です。≫

 「秋の野」にゆかずとも、其処彼処(そこかしこ)で響き渡る「虫時雨」。マツムシは「待つ・虫」であると、古人はなかなか粋なことをいう。マツムシは、我々の訪れを待っていたのでしょうか?きっと違う。マツムシは美しい音色に、ついつい我々が忘れがちな「時は過ぎてゆく」というメッセージを込めているのではないかと思う。

 虫時雨に気付くことで、秋過ぎてゆくことを察する。うかうかしてはなりません、「秋はとまらぬものにぞありける」と教えてくれているのです。向かう先は秋の野ではありません。いざ、Benoitへ訪(ろぶら)はむ!

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≪秋のお勧め料理・デザートのご紹介です。≫

 降り注ぐ太陽の陽射しと風が「風景」を生み出し、万物の成長を促します。風景は画一的(かくいつてき)ではなく、四季折々に加え土地土地に特別な「風土」をもたらします。そして、この風土によって育まれた味わいが「風味」です。風味が満ち満ちたものが旬の食材です。

 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去ってゆくのと同じように、秋の食材も我々が楽しむまで待ってくれるという「情け」は持ち合わせていないようです。「秋はとまらぬものにぞありける」であれば、秋に旬を迎える食材もまた、「とまらぬものにぞありける」。11月の特選食材とお勧めの料理・デザートのご紹介です。

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≪北平のBenoit不在の日≫

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 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない11月の日程を書き記させていただきます。10月は滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

9日(月)

12日(木)

15日(日)

19日(木)

22日(日)・23日(月)

28日(土)

 上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。

 皆様にお会いする機会を賜りながら、自ら放棄する無礼、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 「憂愁(ゆうしゅう)の秋」かと思いきや、「幽愁(ゆうしゅう)の秋」とも表現します。辞書には「憂愁=幽愁」と記載があります。憂愁は、「悩み苦しむこと、悲しみ」とある。では、幽愁は「心の奥底の憂い、悲しみ」なのだと。分かったようで分からない、同じような気もします。

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 両者に共通する「愁」は、「愁(うれ)い」とも読み、思い悩むことを意味します。「憂」もまた「憂(うれ)い」と読み、同意です。そうすると、憂愁は、ダブルで思い悩むことで苦しい、日々の生活の中で起きうる人間関係や、金銭関係などで苦しみながら思い悩むこと。「幽」には奥深いという意があります。そうすると、自分ではどうすることもできない自然の摂理への、手の届かないどうしようもないことへ思い悩むことなのか。こう考えると、過ぎ去る秋への想いは、「幽愁」こそあい相応しいのでしょう。

 Benoit特選食材で仕上げた美味なる料理の数々を逃してしまうことは、憂愁なのか幽愁なのか?ここは、皆様の判断にお任せいたします。よく見ると、「愁」の字は、秋に心と書いています。思い悩むことが多いのが秋なのかもしれません。

 ここはいっそのこと、足の赴くままにBenoitへお越しいただき、愁うことなく旬の食材をお楽しみいただく。そうすれば、憂愁でも幽愁でも、どちらもお構いなしという、全て万事解決となることでしょう。皆様との再会を、愁うことなく心待ちにしております。

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com