kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

「式子内親王と藤原定家の梅の歌」に想うこと

式子内親王藤原定家の梅の歌」について、つれづれなるままに書てみました。

 

 季節の話題に「梅の花」を選び、ご紹介したのが3月12日のこと。これほどの荒れた天候であれば、桜の開花も遅れるのではないかと、高を括(くく)っていた自分は、桜が花開いたと耳にした時に、慌てふためくことになりました。そういえば、コブシの花が、桜の開花が近いことを教えてくれていた気がいたします。

f:id:kitahira:20180317153839j:plain

 自然機微を感じとれなかった自分を反省し、皆様にはタイミングを逸した感は否めませんが、前回に引き続き、今回も梅の名句のご紹介です。この詠者の美しい感性に浸っていただきたいと思います。負け惜しみっぽいですが、梅は白梅から紅梅へと咲き移ります。※今は品種改良の結果、同時期に咲いているようですが…

f:id:kitahira:20200202115343j:plain

(むめ)の花 にほひをうつす 袖のうへに 軒もる月の かげぞあらそふ  藤原定家

 

 梅を「むめ」と読むのは、平安時代からのこと。諸説あるかと思いますが、平安時代のお公家さんのいでたちから想像するに、「う」と口が突き出た表情を嫌ったのではないでしょうか。「まろは~」と語る文化だからこそ、「む」という口を閉じた発音に美を感じたのでしょうか。

 歌に戻ります。「梅の花の香りを袖に薫(た)き染めようと袖を広げているしている人がいる。その袖には軒端(のきば)から漏れ射す月の光が照り、まるで梅の香りと競い合っているようだ。」

 暗闇の中でも、隠しようがない梅の香。その香りの先を眺めていると、何やら人影があるではないか。人知れず、梅の香を袖に移そうとしているようだ。そこへ、空高くと上がってきた月が軒端より姿を現す。きらきらとした月光がその人に降り注ぐ。美しい、梅の香とあいまって、幻想的な情景が目に浮かびませんか?

 

ながめつる けふは昔に なりぬとも 軒端の梅は われをわするな  式子内親王

さて、上記の歌は、式子内親王晩年が晩年に詠ったとされる名句です。詳細は、前回のブログを参照ください。

kitahira.hatenablog.com

 

 式子内親王が居とした大炊殿(おおいどの)には、見事なまでのの梅の樹があったといいます。この梅の樹が一輪また一輪と花開く時期、「軒端(のきば)の梅は われをわするな」と詠ったのは彼女の晩年のこと。そして、この歌は「正治初度百首(しょうじしょどひゃくしゅ)」に出詠されました。

 これは、後鳥羽院の命により、指名を受けた作者が百首を詠進し、その選りすぐりを集めた作品です。正治2年(1200年)12月末に完成を迎えます。そして、この中には、先ほどご紹介した藤原定家の名句も入っています。

 式子内親王が薨御(こうぎょ)されたのは、建仁元年(1201)1月25日です。選ばれし歌人が「正治初度百首」へ詠進していた前年の夏過ぎには、すでの病床についていたといわれる内親王が、心身研ぎ澄まして31文字に魂を吹き込むことに耐え抜いたものでしょうか。ここに、藤原定家が登場します。。内親王が過去に詠われた美しき歌の中から、定家が選び詠進したのだと。

f:id:kitahira:20150129102557j:plain

 さて、式子内親王が「移り香しるき人」詠う、秘めた思慕の相手は、藤原定家だという説があります。彼は、五摂家(せっけ)の一つで九条家の祖である九条兼実(かねざね)に、家政を掌(つかさど)る家司(いえのつかさ)として仕えていました。当時、九条兼実式子内親王を擁護していたため、定家は兼実の使いで内親王の館に出入りをしており、ともに歌の研鑽を磨く中で、恋愛感情を抱いたとも考えられますが、どうも腑に落ちないものです。

 定家を記す文献には、かなり気難しいという人物像が描かれておるのです。妥協を許さない厳しさを和歌に対してもっていたようです。和歌の世界で腕を競い合うライバルであったのではないでしょうか。お互いに切磋琢磨するなかで、定家は、式子内親王の女性らしい感受性によって詠われる、美しい世界観に魅せられた一人であったのではないでしょうか。そして、内親王の叶わぬ恋慕が誰なのか?知っていた気がいたします。

 彼女の悲しいまでの境遇を知るからこそ、病床の中で苦しむ内親王に負担をかけぬよう、代わりに選び、「正治初度百首」へ詠進する手間を惜しまなかった。命の灯が消えかけていると悟った定家は、彼女も思いと才能を詠進することで世に遺そうとしたのか。

 大炊殿の梅の樹が、誰もがほれぼれする樹形であるならば、軒端に植わっていては、枝の成長を屋戸が邪魔をする。この居住空間である屋戸の脇が「軒端」なのであれば、「軒端の梅」は近くにいてほしいと願う、思慕する相手のことではないのか。定家は、式子内親王の最後の想い「われをわするな」と、隠し通さねばならない恋だけに、彼への密かに伝えようとしたのか。

f:id:kitahira:20200314015221j:plain

 

藤原定家の歌を余談前半でご紹介いたしました。その歌意を「梅の花の香りを袖に薫(た)き染めようと袖を広げているしている人がいる。その袖には軒端(のきば)から漏れ射す月の光が照り、まるで梅の香りと競い合っているようだ。」と書きましたが、彼らのおかれた状況を知ることで、意味合いが少しばかり変わってくるような気がいたします。

 袖を薫き染めようとしているのは、式子内親王のことではないのか。秘めつ通さねばならなかった思慕する相手が薫き染める面影を幾度となく見た大炊殿の梅の花。今度は私が思うがままに貴方に薫ってもらいたいからからこそ、袖に梅の香りを移そうかと思う。貴方は近くにいらっしゃたのだろうか。軒端より漏れ射す月の光は貴方の想いの現れでしょうか。どちらの想いが強いのか、競い合っているかのようだ。

  此岸(しがん)では叶わなかった思いが、彼岸(ひがん)で成就(じょうじゅ)するだろう。そのような光景が目に浮かびませんか?定家は、式子内親王へのあまりある敬意を込め、色彩豊かな描写と光の輝きを放つ、さらには薫香をも感じてしまうような美の世界を表現している歌、そのような気がしてなりません。

 

(むめ)の花 にほひをうつす 袖のうへに 軒もる月の かげぞあらそふ  藤原定家

f:id:kitahira:20190914020406j:plain


 今年の干支は「庚子(かのえね)」です。古代中国の賢人の英知の結晶である干支「庚子(かのえね)」を、自分なりに解釈したものを、今年早々に皆様にご紹介いたしました。どのような世相なのか?詳細はブログを参照ください。

kitahira.hatenablog.com

 このブログの中で、「庚」は「更」であり、「更始(こうし)」とは、古いものを捨て初めからやり直すことを意味します。さらに、「庚庚(こうこう)」は、横に筋が何本も走るさまだと。そして、「子」は「坎」でもあると書きました。「坎」の卦は、下の画像を参照ください。上下の横棒が山を、中央の横棒が川を象(かたど)るのだといいます。六十四卦でいう「坎下坎上(かんげかんじょう)=坎為水」は、「重なる険難はあるが、真実をもって行動すればうまくいく。」と教えてくれています。

f:id:kitahira:20200105155301j:plain

 日本を含めた世界各国のウイルス災禍の情報が次次と明るみに出てきています。これが、「重なる険難」であれば、「真実をもって行動すればうまくいく」の真実とは、何のことなのか?

 「自然の理(ことわり)をもって食をなす」ことをいうのではないでしょうか。旬の食材には、我々が今欲している栄養価が満ち満ちています。つまり、「旬の食材を調理して食すこと」なのかもしれません。「調理」とは「理をもって調(ととの)えること」。この「調える」には、必要なものがそろう・まとまることを意味します。

 「庚庚」でいう横に走る筋は、「坎」の卦が、山と川を象るのであれば、度重なる険難と、この険難を乗り切るための解決策とが、交互に配されていると見ます。次々と表面化する険難に、四季を追うように旬の食材が次々と追いかけ解決に導く。この繰り返しなのだと。

 藤原定家が詠い幻想美は、梅の花だけでも、梅の香だけでも、月だけでも成り立ちません。美しさの理を識(し)り、全ての要素が一堂に会したとき、31文字の世界に、何人(なんぴと)をも魅了して止まない「美しさ」をもたらします。

 Benoitは、旬の食材の理を調えることで、美味しさを一皿に表現します。自然が育んだ食材が調理されることで、効率よく栄養を摂取できるかもしれません。さらに、「美味しい」と心が満たされることは、さらなる免疫力向上の手助けになるはずです。

 庚庚と直面する険難に、旬の食材の力を最大限に生かすように調理した、Benoitの美味なる料理の数々をもって、皆様にはこの険難を乗り越えていただこうと考え、期間限定「旬のお勧め料理」と特別プラン「三月尽」を提案させていただきました。詳細は、以下よりご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 暖かい日が続くようです。しかし、「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、まだまだ油断はできません。十分な休息と睡眠をお心がけください。ウイルス対策もお忘れなきように。いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご

www.benoit-tokyo.com

健康とご多幸を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬