kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年8月 「涼をとるために月を待つ。」藤原基俊が待っていたのは月なのでしょうか?

夏の夜の 月まつほどの 手すさみに 岩もる清水 いくむすびしつ  藤原基俊(もととし)

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 枕草子の著者である清少納言は、なにかと優劣をつけることを好んだのでしょう。「春はあけぼの」に「秋は夕暮れ」…では夏は?彼女は「夏は夜」であり「月のころはさらなり」だと喝破する。今のように「冷房機器」などあろうはずもない時期にあり、夏に涼をえるためには、水辺や木陰に佇(たたず)むのも良し。しかし、これもつかの間のこと。暴風雨のもたらす涼しさとは別の、心安らぐ涼とは、日が沈んだ夜にしか訪れません。アスファルトの余熱がムンムンとする昨今とは違い、かつては地面が土だからこその、夜の涼しさがありました。

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 夜の涼しさに加勢するかのように、大地を白く照らす月かげ(月の光)。太陽が作り出す影とは一線を画す月光の影は、見入ってしまうほどに白々しく美しいもので、得も言われぬ冷気を帯びているかのよう。さらに、これが水辺であれば、その清らかな水の音色が涼やかさを我々に与えてくれる。多少の気化熱による温度差はあるかもしないが、そう大きく気温は変わらない。我々が涼を感じるのは、この自然の演出があればこそのこと。これは今も昔も変わりません。

 猛暑な日中を耐え抜き、待ち望んだ夜の帳(とばり)が降りてくる。冴える月かげを待ち望む中、岩間より流れ出る清水を両手ですくってみるも、指や両手の隙間より漏れ出でてしまう。月が顔を出すまで幾度となくすくい上げたであろう。「手すさみ」は「手遊み」と書く。月が姿を見せるまでの持て余す時間を、のんべんだらりと待つのではない。だからこそ、基俊は「むずぶ」と表現したのでしょう。

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 両手のひらで水をすくうことを「掬(むす)ぶ」という。さらに、「結ぶ」という意も掛けている。この「結ぶ」は、物のはしとはしを繋ぐという以外に、縁を結ぶというように、人間的なつながりを作る・保つという意味があります。ということは、藤原基俊は、夏の夜の月をともに眺めようと、誰かと約束をしていたのではないか?それとも、愛しい人が月夜の時に訪れることの多い「清水が岩もる」場所で、「涼をとる」ことを名目に恋が結ばれることを願い、何度も日を変えながら待ち忍んだのでしょうか?

 古文の専門家ではないので邪推の域を抜けませんが、涼やかなる「夏の夜の月」を詠いながら、その実は恋心を相手に伝えようとする「むすぶ」ための恋文なのではないかとも思う。もしそうであるならば、この31文字の和歌に込められた想いを、読み手は読み取ったのだろうか。涼をとるために月夜に赴くことに偶然を装い、出会うことを期していたのではないか…これ、今も昔もそう変わらないのではないでしょうか。皆様、思い当たる節があるのでは?

 

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 「手遊(てすさ)み」に清水を両手で「掬(むず)び」ながら、夏の夜の月を待つ。「言の葉遊み(ことのはすさみ)」でハイレベルな恋文を詠い、愛しき人と恋「結ばれる」ことを願いながら、月下にて待つ。ドラマのワンシーンのような光景を想い描いてしまいます。自分は、というと。夏の夜の月を待ちながら、手遊みに清水を掬ぶのではなく、皆様に長文のご案内を書いています。清水を「掬ぶ」のではなく、PCに向かってパチパチ打ち込む「手遊み」であれば、文章は「言葉遊び」なのかもしれません。

 オリンピックは、Benoitが現状に甘んじることなく、倦(う)まず弛(たゆ)まず努力し続けねばならないことを教えてくれました。何かしなければならないと思いあぐねる中で、つい口遊(ずさ)んだ一言によって今回の特別プランが誕生いたしました。Benoitは手遊みだからといって、消毒を掬(むす)ぶだけではいけない。陽が西の山の端へと沈み夏の夜の月が昇るまで、Benoitが待っているのは営業終了時刻ではない!皆様との「結び」なのです。

 そこで、皆様との再会の機会を得るために、一案を講じさせていただきます。「8月限定 新・個室プラン」のご紹介です。

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北平のBenoit不在の日

私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない8月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

kitahira.hatenablog.com

 

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

 

www.benoit-tokyo.com