kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2023年9月 下関・唐戸市場「道中さん」の「ふく」物語

 まだ夜が明けぬ中、本州最西端の地に人が集まり出す。日中の陽射しによって温められた地表が気温を上げるも、陽のかげりとともに下降の一途をたどり、闇が深くなる頃には身震いするほどの寒さに包まれる。夜が明ける直前が一番冷え込むことになるが、この地は三方を海に囲われているため、冬の時期の北風が、さらに体感温度を下げていく。

 時計に目を落とすと、午前3時ほど。研ぎ澄まされた寒空で、西の海へ沈みゆく輝かんばかりの満月を楽しむために、人々がここに集まった…ようには思えない。特に着飾っているわけでもない。車を降りた人は、出会う人へ物静かに挨拶をすませたかと思うと、まるで何かに導かれているように、海に面した建物の中へと姿を消してゆく。

 建物内は、外の月夜と比すれば明るいが、眩(まばゆ)いわけでもなく豪華絢爛(ごうかけんらん)な飾りつけもない。集いし者は、ひとつの部屋へと足早に赴く。夜も明けぬ時間だというに、人々の目に気だるさはなく、俯瞰(ふかん)するかのように部屋を一望している者、瞑想するかのように真剣に考えこんでいる者、鋭い眼差しで足元を見ている者、笑い声のこだまする和気あいあいとは全く異質の雰囲気を、この部屋にもたらしている。

 この静寂の終焉(しゅうえん)を告げるかのように、部屋にベルが鳴り響く。時は午前3時30分ほど。ざわつく中で、張り詰めた、何とも言えぬ緊張感みなぎる空気感へと一変する。「ええが、ええが」と小さく声を掛ける男が歩み寄る。彼のいでたちが、一風変わっている。右手には筒のような袋をかぶせているのだ。ドラえもんでいう「空気砲」のように。

 その男は、足元に並べてある「トロ箱」を順に廻り始める。各トロ箱の前で、数人がその男の袋で隠れた右手に握手をするかのような行動に出るも、ものの数十秒で隣のトロ箱へと移ってゆく。安堵する者、一喜一憂する者、この想いが交錯するこの部屋は、得も言われ雰囲気に包まれている…

 この本州最西端の地とは山口県下関市です。本州と九州とがもっとも近づく地であるからこそ、中継地として栄えた地。その下関市の南端に「彦島(ひこじま)」という、今では3つの橋からこの島に渡ることができるため、離島という印象こそ薄れてきてはいますが、日本海と瀬戸内海を結ぶ海上交通の要でした。余談ですが、昔々の源平合戦において、瀬戸内海の覇権を握った平家にとっては需要な拠点だったために、壇ノ浦の戦いでは平家が本陣をおいています。

 少し分かりにくいですが、添付した地図の左下、海の上に描かれた「フグの絵」の右下の島。この島の最西端に位置しているのが「南風泊市場」です。「トロ箱」とは、豊洲市場とは違う「競り」方法が、右手には筒のような袋をかぶせて各トロ箱をまわるというもの。魚を運搬する時に使うケースのことをいい、この中に魚が収まっているのです。

 この「南風泊市場」を初見で読める方はどれほどいるでしょうか?かつて、北前船海上輸送を担っていた頃、夏前に北海道で海産物を積み込んだ廻船が対馬海流に逆らうように日本海側を南下していき、本州最西端の関門海峡から瀬戸内海に入り、いざ大阪へと向かう。その関門海峡を通る際に、時として吹き付ける強い「南風(はえ)」は、帆を張る船にとってはゆゆしき事態。そのようなときは、無理はせず港に入って停「泊」しようじゃないかというわけで、名付けられたのが「南風泊(はえどまり)港」であり、隣接するのが「南風泊市場(はえどまりしじょう)」と。

 この南風泊市場で、冬の「北風(あなじ)」が吹く頃から春の「東風(こち)」吹く頃まで活況を迎えるのが「フグの競り」です。日本広しといえど、フグを専門にしているのはこの南風泊市場のみ。なんと!フグの水揚げ量は日本一を誇るのです。「フグが食いたし命は惜しし」、その美味しさは唯一無二であるがため、価格高騰を抑える意味でも独特な競りの方法が生まれました。これが「袋競り」と名付けられた独特なもの。今もなお、この伝統が踏襲されているのです。

 豊洲では「マグロ」が良い例です。人々が合図や掛け声で競り落とすのではなく、マグロは「札競り(ふだせり)」と呼ばれるもので、買い付けのプロが、マグロの見極め、札に入札金額を記入して伏せてマグロの脇に置いていきます。そして、その中での一番高額な札を出した人が購入とするもの。では、フグはどうするのか?

 毎年のように、新年1月4日未明に「新春の初競り」が行われ、その様子が報道陣に公開されます。ご覧になられた方は、なんと素早く競り落とされていることか、いや競り落とされていることすらよく分からなかたのではないでしょうか。フグは他で代用ができないため、かつては喧嘩になることもあったといいます。そこで、値段の駆け引きが分からないよう、競り人(売る側)の右手、競りの決め手となるこの右手を、袋で覆いかぶせるようにしたのです。画像の中央の赤いキャップの競り人の右手には、その「袋」が見て取れます。

 では、手を隠してどうするのか?仲買人(買う側)はその袋に手を突っ込み、購入希望額を競り人に伝えるというのです。買値の基準はその日の相場で決まれており、その金額を目安としながら、お気に入りのフグが入った「トロ箱」の希望金額を伝える。ポーカーフェイスで淡々と競りが行われているかのようで、実は袋の中では、お互いの右手によって駆け引きが行われているのです。でも、どうやって?

 人差し指を1本握れば「1」、中指が「2」、薬指が「3」、小指が「4」。親指は「5」、親指と人差し指で「6」という具合に。例えば、1,000円台の相場であれば、小指「4」を握ってから親指「5」を握ると、競り人はこの仲介人が4,500円を希望していると悟る。一切言葉を必要としない、この手だけのやりとりが、袋の中で次々と行われているのです。どうしても欲しい時には、つねっている…そんなわけはないと思いますが、こればかりは当事者にしか分かりません。

 通常の競りでは、最後の一人になるまで値が上がってゆくものが、袋競り(マグロの札競りも)は競り上げが無く、1回勝負。一つのトロ箱が数十秒ほどで競り落とされてゆくため、仲買人には、箱のフグの価値を素早く見定める力量と、競り勝つための経験が問われることになるのです。

 日本全国から南風泊市場へフグが集まる流通体制は、仲卸人の目利きに磨きをかけさせ、「下関ふく」とブランド化できるほど、確固たる地位を確立しました。そこで、2004(平成16)年に南風泊市場で水揚げされ、組合員が取り扱うフグのみに付けられる「本物の下関のふく」の証が特許庁に商標登録されました。山口県では「フグは福招く魚」であるとして、「ふく」と呼ぶこととで、縁起を担いでいます。

 おや?日本全国からフグ集まる?これはどういったことを意味しているのか。日本でも、少ないですが其処此処(そこここ)でフグの水揚げがあります。わざわざ下関まで持ってこずとも、現地で競りにかければよいものを、と思うのですが…ここには、フグならではの理由があり、これがために「フグといえば下関」といわれる所以がありました。そう、下関に運ばれてくる「ふく」が「福」をもたらしているのです。

 

 この関門橋山口県側のたもとには、壇ノ浦漁港があり、潮流激しいながらも好漁場であることから、大いに賑わいを見せています。さらに本州最西端を目指し、南西へと向かうと、下関市役所にほど近い場所の海沿いに、ひときわ大きな市場が登場します。「本州最西にある庶民の台所」とも呼ばれている「唐戸市場(からといちば)」です。

 山口県下関市は、陸路・海路の中継地として、かねてからの要所という位置付けづけだったようです。さらに、外国船の立ち寄り関所もあったため、おおいに刺激のある風土だったのでしょう。明治後半に建築された英国領事館は、現存する日本最古の異人館として、当時の様子を感じ取ることができます。

 商船の行き交う港町の下関は、明治時代の頃に、日本銀行の支店が、そして大手地方銀行の本店が立ち並ぶ、西日本最大規模の金融街としての地位を確立しました。人の集まる場所には、自然と商売の品々が集い、規模の大小はあれ、「市(いち)」が形成されることになります。唐戸町にある亀山八幡宮では、野菜や果物といった生鮮食品の市場が開かれ、さらに隣町である阿弥陀寺町には、鮮魚や干魚といった四十物(あいもの)を扱う市場も姿を現しました。これらが、知事の許可を得た市営の魚市場へと成長していきます。

 1924(大正13)年になると、阿弥陀寺町にあった市営市場は唐戸市場と合併し、「唐戸魚市場」が誕生します。1933(昭和8)年には規模を広げ、青果部、バナナ部、鮮魚部、雑部の4部門を抱える「下関市唐戸魚菜市場」が開場。通常、市場は業者向けの卸しとしての機能を担っていましたが、ここは一般の方々も購入できる市場としての先駆けとなった場所です。

 1971(昭和46)年の卸売市場法の制定により、2年後に「下関市地方卸売市場」へと改名。後に、さまざまな立地環境を考慮し、青果卸売部門は勝山地区へ移転することになり、唐戸の市場は「下関市地方卸売市場唐戸市場」と改名。平成13年2001(平成13)年に、ショッピングセンターが加わることでリニューアルされ、今に見る下関有数の観光スポットとなりました。「下関市地方卸売市場唐戸市場」という正式名称は、やはり口にするには長いこともあり、「唐戸市場」の名で人口に膾炙するのです。

 この唐戸市場では、当初は内海を漁場とするフグの水揚げのみでした。それが、漁場の広がりと地方で水揚げされたフグが持ち込まれるようになり、唐戸市場ではさばききれなくなる。フグを扱う市場を新設する必要に迫られるのです。そこで、本州最西端の彦島に「南風泊市場」を新設。ここに全国で唯一、フグ専門の市場が誕生いたしました。

 全国で水揚げされた約8割の天然フグが、さらにフグの養殖場が多く存在する九州からも多くの養殖トラフグが、この南風泊市場を通って出荷されていきます。遠方で漁獲されたものをわざわざ集積させるのは、効率が悪いように思いますが、「扱う魚がフグ」であるがために、下関という地が選ばれたようです。まさに「フグの玄関口」です。

 猛毒を持つフグは、捌くのに専門の資格を必要とします。以前から下関には熟練のフグ料理人が集まり「下関で調理されたふぐは安全」と、信頼されていました。その長年培われてきたフグ調理のスキルは全国から注目され、惜しみなく伝承されていったのです。このノウハウは、資格制度が確立された今も途絶えることはなく引き継がれ、全国で最も多くのフグ調理人が南風泊市場に集まっています。さらに、除去した有毒部位を処理する体制が整った場所でなければなりません。南風泊市場には、フグを捌く大きな共同工場が隣接しているのです。そして、トラフグの産卵地である玄界灘沖や瀬戸内海西部沿岸に近く、東シナ海日本海、瀬戸内海とフグ漁場として名立たる海域に囲まれた地の利があることも忘れてはいけません。

 フグがフグだけに、他にはない特別な市場が必要だった、そう人々が切望するからこそ、人々が集う下関の唐戸市場に「フグの市場」が誕生した。しかし、時代を追うごとにフグの美味しさが日本全国に知れ渡り、養殖技術の発展とともに取扱量が増してゆく。そこで、新たにフグ専門の市場を開場しようと白羽の矢が立ったのが、彦島の「南風泊市場」でした。

 「フグは喰いたし命は惜しし」、美味しい食材なのは分かるが、除毒しなければならない。フグの種類のよっては毒の部位も違うし、美味しさの優劣も出てくる。この地は、全国で最も多くの熟練したフグ処理師が集うのと同時に、他には類を見ない特別な目利きをもった仲卸人をも育て上げていったのです。

 海の恵みが豊かだからこそ、下関には魚市場は3つあります。フグ専門の卸市場「南風泊市場」、養殖鮮魚の相対売り(売る手と買い手が話し合いで決める)「唐戸市場」、そして、一般鮮魚を扱う「下関漁港市場」。2001年に、卸市場と観光客を対象とした市場を併せ持つのが、「唐戸市場」が新設されると同時に、「下関唐戸魚市場仲卸協同組合」が設立されました。

 それぞれの市場で「競り」に参加できるのは、多様な項目をクリアし山口県下関市から認可を受けた「下関唐戸魚市場仲卸協同組合」の24社のみ。特にフグという猛毒をもつ特殊な魚を扱うにあたり、この組合に登録されている現22社(2社はフグを扱いません)でないと、南風泊市場でフグを仕入れることができません。

 現在、唐戸市場には、多くの鮮魚が並ぶ中に、もちろんフグがあります。下関ではフグは「ふく(福)」と呼んでいます。この広大な敷地のどこかに、「フクマネキン」(福招金)の像があるのだとか。それ相応の大きさらしいのですが、広大ゆえに見つけることが難しいといいます。市場スタッフに聞いても、鮮魚情報は快く教えてくれるにもかかわらず、「フクマネキン」には口をつぐむ。ガイドブックへの記載もなし。だからこそ、見つけた時の喜びは一入(ひとしお)。その福招金には、皆様へのメッセージが添えられています。「僕はフクマネキン(福招金)。唐戸市場のマスコットです。僕の顔をなでれば、ご利益があるかもよ。一緒に写真に写れば開運の始まりです。いつでも唐戸市場で貴方をまっています。」とのこと。

 

 「フグと言えば下関」とイメージされる自信と誇りを胸に、フグの発信地としての「下関ブランド」という信頼を守るために、認可された仲卸人しか参加できないのです。この認可されている一つ、Benoitがお世話になり続けている1949年(昭和24年)創業の老舗の「道中(みちなか)さんです。

 この独特の世界に身を置くことを心に決め、「道中」の暖簾(のれん)を受け継いだ職人が、道中哲也さん。トラフグの水揚げ日本一を誇る下関に生まれ、自ら競りに赴き、父親譲りの鋭い目利きによって競り落とす。すぐさま、「ふぐ処理師免許」を持つ熟練の職人の手によって、除毒された「身欠き」へと捌かれてゆく。もちろん、冷凍などは一切なし。そして、この鮮度抜群のフグを、「唐戸市場(からといちば)」の中にある自らの店舗で販売、地方発送もしています。さらに、彼の目利きはフグのみにあらず。店舗には、下関漁港市場で水揚げされた鮮魚が所狭しと並んでいるのです。

 残念ながら、Benoitでは、フグの購入はしておりません。しかし、道中さんの目利きによって選ばれた魚介が直送されています。Benoitの晩秋から冬にかけて、「寒サワラ」を送っていただいたのを皮切りに、夏に確固たる地位を得た「剣先イカ(シロイカ)」はすでに3年目、さらに「マダコ(関門海峡タコ)」が今季より仲間入りいたしました。

 

 道中さんとの出会いがなければ、Benoitの夏を彩る「剣先イカ」と「関門海峡タコ」はなかった…といっても過言ではありません。そして、この出会いの架け橋となってくださったのが、グルメリポーターの菊田あやこさんです。7年ほども前のことでしたか…彼女が、山口県下関市の出身だと伺い、自分の食材探しの相談をさせていただいたのです。下関はもちろん、山口県にさえ足を踏み入れたことの無い自分では、なしえなかったこと。

 Benoitと道中さんの懸け橋となっていただいた菊田さんより、皆様へコメントをいただきました。

 「1949年創業、下関唐戸市場ふぐ専門店の道中さん。他界されたオヤジさんには可愛がっていただきました。帰省の折に会う温かい眼差し、楽しい会話に故郷の愛を感じていました。 いま週末に観光客で大人気の唐戸市場の寿司! これを最初に手掛けたのは道中のおじちゃん!大当りして、どの店もこぞって寿司や、食べ歩きの旨いものを並べ始めこんにちの賑わいとなっています。道中のおじちゃんの熱意が、全国・海外からのツーリストに伝わり下関の宝物を大発信しているのです。おじちゃんのDNAを引き継いでる息子さん、美人姉妹さんをBenoitさんに繋げることが出来て幸せです。」

 幸せなのは、自分のほうです。どれほどのご尽力を賜ったか、この場をお借りしまして御礼申し上げます。このご縁のおかげで、道中哲也さんとBenoitでお会いすることができました。優しい雰囲気をもちながら、言葉のはしはしに現れる自信のほど。握手を交わした時、「職人の手だ」と感じたのを、今でも覚えています。

 残念ながら、自分は道中さんのお父様とお会いすることはできませんでした。かつて唐戸市場から賑わいが消えてゆく中で、誰よりも下関を愛し、自分の仕事を天職と決め、唐戸市場のことを想っていたことか。だからこそ、一人の力でも何かをしなければいけないと心に決め、唐戸市場の復興に尽力したのでしょう。

 幼き頃の菊田さんは、唐戸市場をルンルンとスキップをしていたのだといいます。彼女がグルメレポーターとして独り立ちできた背景には、市場で当たり前に見ていた海からの贈り物があったため、目も舌も養われたのだと。「子供たちへ本物を遺してゆきたい」。菊田さんが見ていた、ピチピチ跳ねるシャコや青魚、もちろん河豚(ふぐ)!が並ぶ場内に活気に満ち溢れる唐戸市場は、道中のおじちゃん無くしてありえなかったことでしょう。

 下関市役所からいただいた「唐戸市場」の写真に、前列中央の貫禄のありながら笑顔が素敵な男性が写っている。道中哲也さんに似ていないか?人と人とは会うべくして出会うもので、その機会を生かすも殺すも自分しだい。心躍る心地を抑え、菊田さんに確認のメールを送りました。

 唐戸市場が直面する数々の苦難の壁を乗り越え、今の名声を得るにいたった立役者、道中さんのお父様と出会えたのです。写真という形ではありましたが、偶然にも、自分の手元に届いていたのです。どれほど唐戸市場への愛を、笑顔で語ってくれています。

 道中のお父様は、まだまだやり残したことが多々あったかと思います。幼き頃より彼の奮闘を目の前で見ていた哲也さんは、その意思を引き継ぐことを決意し、見事に唐戸市場の一役を担っているのです。お父様は息子を誇らしげに思っていることでしょう。そして、哲也さんは父からの叱咤激励を心で感じていることでしょう。

 この出会い、大切にさせていただきます。皆様におかれましても、「魚介」を通して道中さんの思いのたけを感じ取っていただけるはずです。下関をご旅行の予定がございましたら、「唐戸市場」を、もちろん「道中」をご訪問いただけると幸いです。

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

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 猛暑な日々も影を潜めてきたようです。これと入れ替わるかのように季節性インフルエンザやコロナウイルスが猛威を振るっているようです。過ごしやすい日々が訪れますが、ここで気を緩めると猛暑疲れがドッと押し寄せてくるでしょう。さらに、疲労・ストレスなどが原因による免疫力の低下を招きます。皆様、無理は禁物、十分な休息と休養をお心がけください。

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com