kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2024年1月 Benoit特選食材「香川県まるまる農園大東さんのブロッコリー」のご紹介です!

 「霜」というのは、美しい自然現象ですが、こと農産物の栽培者にとっては厄介な代物です。霜や凍ることで起きる被害を「凍霜害(とうそうがい)」といいます。通常、冬を生き抜く植物は、寒さに対する抵抗力をつけるために、植物は糖類やアミノ酸類などを合成・蓄積して細胞内部の溶質濃度を高めて細胞内が凍り付かないように準備します。 そのため、冬の植物は、限度はありますが、氷点下でも生き抜くことができるのです。

 冬の植物は、この過酷な環境下でも臆するとなく、時には停滞しながら成長を続けます。寒さが厳しくなるほどに、植物は耐え抜くために持ちうる能力を発揮してゆく。これが冬の野菜や果実の美味しさとなるのです。暖冬の影響で、のんべんだらりとした日々を過ごしてしまうと、野菜も果実もだらけてしまうことになり、耐え抜くために栄養を蓄えることがなくなる…結果、味気ない産物となってしまうのです。冬は冬だけに、寒くなければなりません。だらけてしまうとダメになる…人間も同じですね。

 ところが、この冬の過酷な環境は野菜や果実を美味しくする一方で、「凍霜害」を引き起こすことにもなりかねません。この越冬の準備が整っていない晩秋や、暖かさに油断する初春に寒さに襲われると、凍霜害を招くのです。そして、予想以上の寒波に覆われた真冬も、甚大な被害をもたらします。

 生きとし生けるものにとって、氷点下とは内包する水分が凍ることを意味します。耐寒性のある植物であっても、あまりの冷え込みは、個々の細胞を包む細胞壁の内側の水分を「過冷却水」へと誘(いざな)います。しかし、凍っているわけではないので細胞内を破壊しないというのです。

 ゆっくりと冷やしていった水は、「凍る」というタイミングを逸することでとろみのある「過冷却水」へと変わります。冷えてゆきながら-2℃ほどまでは、とろみがでますが、水の状態を維持しています。ペットボトルに水を入れ、時間を掛けながらゆっくりと氷点下まで冷やすことで、この過冷却水ができます。このペットボトルを一振りするように衝撃を加えると、一気にシャーベット状になるのです。植物の細胞壁の内側で、同じ現象が起きるという…

 農を生業とする方々は、抗(あがら)うことのできないこのような自然環境と対峙しながら、どうやったら美味しく安全な農産物を育てられるかと、日々模索しながら研鑽に励んでいる。毎年のように、毎日のように表情を変える自然相手だけに、一筋縄ではゆかない。しかし、諦めることなく真摯に畑と向き合い、自然の機微を捉えることで、被害を最小限にとどめようと努めているのです。

 霜対策として、不識布をかぶせる、もみ殻で表土を覆う、散水する、送風機で風を送るなど、効果はあるが限界もある。それでも彼らには、「対策を施さない」という選択肢はない。この弛まぬ努力に応えるかのように、冬の野菜や果実が過酷な冬を乗り越えてゆくように成長を遂げるのです。旬の野菜や果実には、今我々が欲している栄養が満ち満ちています。そして、それ以上に、美味しさをこれらに感じるのは、この双方の努力の賜物なのでしょう。

 

 切り採った葉から、朝露がパンッとはじけるかのように宙に舞う。そして、その一粒一粒が朝陽(あさひ)に照らされることで、まるで「玉(ぎょく)」のごとき輝きをはなちながら大地に落ちてゆく…

 

 東の山々の稜線から太陽が姿を見せるころすでに、大東(だいとう)さんはブロッコリーの朝採りを始めています。陽射しの温もりをありがたく感じるほどに、まだまだ空気は冷え冷えとし、顔の肌がこわばるほど。防水・防寒着に身を包んだ彼が畑の畝間(うねま)を進んでいき、手際よく収穫用のナイフをいれていきます。採った葉をまとめる際に、露を払い落とす。

 なんと美しい光景だろうか…と感じるのは、暖かい部屋からこの光景を目にしているからです。彼からすれば、凍えるような寒さに加え、朝露に濡れることでさらに体温を奪われてゆく中での作業です。体験した者にしかわからない、過酷さがそこにはあります。自分であれば悪態をつきたくなるようなものですが、彼にそのような素振りは見て取れません。今までの苦労が報われる収穫を、まるで楽しんでいるかのよう。煌めきながら落ちてゆく露を目にし、安堵していることが表情に見て取れる。霜や凍っている場合は、解けるまで収穫を待つのだといいます。

 ブロッコリーの朝採りなのに、葉っぱ?とお思いではないでしょうか。実は、ブロッコリーの葉の収穫をBenoitがお願いしているです。今のランチに姿を見せている「ブロッコリーのVelouté(ヴルーテ※なめらかでトロリとしたスープのこと)」に欠かすことのできない食材なのです。

 このBenoit自慢のスープはブロッコリー特有の甘さとやさしいほろ苦さがある、なんとも春を想わせるような美味しさがあります。大東さんのブロッコリー無くして、この美味しさはありません。そして、誰しもが目の前でそそがれるスープに、「きれいな色」と感嘆の声を上げるのです。

 ブロッコリーは、花蕾の集まった頂頭部を美味しくいただきます。もちろん、Benoitも同じです。これだけでも美味しいスープに仕上がるのですが、色が白っぽくなることと味に深みが足りません。すでにお楽しみいただいた方も多いと思いますが、あの緑美しいスープの色は、色粉ではなくブロッコリーの葉によるものなのです。

 ケールの葉のように厚みがあり、思いのほか美味しいもの。同じDNAを持っているわけで、花蕾と葉の相性が悪いわけがありません。ブロッコリーでこの葉が加わることで、緑の葉特有の優しい苦さがブロッコリーの旨さを引き立て、奥深い美味しさとなるのです。まして、クロロフィルたっぷりのこの美しい濃緑色は、自然由来の成分だからこそ安心安全であり、目にも鮮やかなことが我々の食欲をかきたてるのです。

 毎朝のように多忙を極めるにもかかわらず、葉っぱ収穫という手間を快諾してくださった大東さん。そして、自分と大東さんとの橋渡しをしてくださった香川県の八百屋サヌキスの鹿庭さん。お二人の尽力がなえれば、Benoitにこれほどまでに鮮度抜群で美味なるブロッコリーとその葉は届かなかったでしょう。この場をお借りして、深く深く御礼申し上げます。

 大東さんのブロッコリーの美味しさは、Benoitのスープが教えてくれます。そして、鹿庭さんの野菜への想いと栽培者への尊敬の念は、送っていただくご案内と写真に宿っています。ここで皆様にご紹介している画像は、鹿庭さんからいただいたものです。一枚一枚の画像が、まるで語りかけてくるようです。そして、鹿庭さんが大東さんをこう紹介してくれました。

飽くなき探究心をもった、職人肌の農家さんです。」

 

 香川県は、都道府県の中で一番面積が小さい県です。北は瀬戸内海を挟んで山陰・山陽の境となる中国山地が聳(そび)え、南は四国山地讃岐山脈が峻険な姿を見せています。この南北の山が壁となり、豪雨をもたらす南風や、大雪をもたらす北風を防いでくれている。確かに降水量は少ないが、この穏やかな気候下に広がる讃岐平野がもたらす恩恵こそが、今の香川県を築いてきた。他では類を見ない「溜池(ためいけ)」を駆使した灌漑設備は見事としかいいようがありません。

 この讃岐平野に魅せられた一人が、まるまる農園園主、大東洋木さんです。

 大東さんがワーキングホリデーでオーストラリアを訪れたときのこと。語学ばかりではなく現地のことを識(し)るためにも、飛び込みで働きながら少しでも長く旅を続けることにしたのでしょう。彼の受け入れを快諾してくれたのが、バナナ農家であったといいます。「農業」という文字ではないそのものの職業というものを異国の地で経験することは、日本とはまた違った苦労と喜びがあるものです。これらを皆と分かち合ったことが、彼の人生のターニングポイントとなったのです。このときに、就農することを決意したといいます。

 日本のどの地域でも、就農者の受け入れを支援してくれる体制が整っています。どこで農を生業とするか?よくよく考える日々が続く中で、讃岐平野に向かうことを決意するのです。香川の土地や雰囲気が気に入ったからだといいます。ご本人が気づいていないだけで、知らず知らずのうちに何かに魅せられたのでしょう。

 大東さんが、念願の農園を拓く地として選んだのが、高松市の南側にある山の麓(ふもと)、西植田町でした。三方が山に囲まれた盆地で、昼夜の寒暖差が大きく、美味しい農産物を栽培するのに適した地で、ホタルが生息する美しい神内池もある。彼の地が彼を呼んでいたのかもしれません。ここに「まるまる農園」の歴史が始まったのです。

 農業の基本は土づくりから。土の中で微生物がどのように働くかを意識し、そのためにどんな有機物を土に施したらよいのかを熟考する。山で採れた竹から作る自家製堆肥や地元炭焼き場で生産された竹炭や木炭、さらに自家培養の酵母菌まで、あらゆる可能性を考慮し、良しとするものを躊躇(ためら)うことなく導入してゆく。野菜や果樹が成長してゆく中で、それぞれが根から必要なものを吸い上げてゆく。

 だからこそ、毎日のように畑に赴き、栽培している作物の成長を観察することを怠らない。さらに、土中の水分量やpH値を測定することで、不足した要素を補うようにすることで、健全な成長を促している。そして、植え付けから何日後に収穫を迎えるのが一番良いかと計りながら栽培の段取りを組んでいくのだという。

 ブロッコリーを手にしたとき、大東さんは厳しいまなざしをそこへ向ける。ブロッコリーの状態をよくよく観察することで、自分が目指す姿と遜色ないかと精査している。もし違うようであれば、自然からの贈り物である露のように、彼に改善すべき課題として降りてきます。収穫後は、いかに鮮度と美味しさを維持できるかを考え、その労を惜しまないという。

 今収穫時期のブロッコリーは、半年前の7月中旬には「播種(ばんしゅ)」が行われている。今季は猛暑の影響で、芽吹きがままならなかったと小耳にはさんだが、大東さんの口から洩れた言葉ではないことを考えると、この自然から与えられた試練は、想定内だったのだろう。8月中旬には植え付けがなされ、一月ごとに追肥が行われる。

 さらりと書いていますが、雨が極体に少ない香川県なために、いつどのタイミングでどれほどの量の灌水をすればよいのか?追肥もまた、いつ・何を・どれほどの量を施せばよいのか?大先輩に学び教えを請い、さらに自ら最善と思われる方法を模索する。若く、経験こそまだ浅いですが、この並々ならぬ努力の成果が、見事な収穫物となって表れるのです。

 追肥の失敗は、ブロッコリー茎の切断面に、「す」となって表れます。味に関係はないとはいうものの、何かしらの過不足があるからこそ「す」が入る。大東さんがBenoitに送ってくれるブロッコリーの中には、そのようなものは一つとして入っていません。彼が丹精込めて育て上げたひと株ひと株は、ずっしりとした重さがある。この重さこそが、彼のブロッコリーの美味しさの証であり、「皆様に安心安全で美味しいブロッコリーを届けたい」という想いの重さなのです。

 「普段は冗談ばかり話す気さくな人柄ですが一歩畑に入ると顔つきが全く変わります。そして、僕らのような八百屋を大事にしてくれて、集荷に行くたびにその時の状態や今後の状況を詳しく話してくれるのです。」と、鹿庭さんが教えてくれました。思うに、鹿庭さんのような志ある八百屋さんだからこそ、大東さんは彼を信頼し大事にしているのだ!お互いに直接会って語らうことで、それぞれのなすべきことを悟るのかもしれません。

 季節風日本海の湿気を帯びて中国山地にぶつかり、雨や雪を降らす。その山地を越えることで空気が乾いたものとなるも、瀬戸内海を渡るときにほどよく湿気を含むことになる。讃岐平野の内陸部へ向かうと、大地は放射冷却で冷え冷えとしている。その風は、そこに露をおいてゆく…

 霜とならんことを願いながら、露で濡れた畑に大東さんは赴いている。そして、鹿庭さんに収穫したばかりのブロッコリーを手渡し、彼との会話を楽しんだ後に、別れを惜しみながら畑に戻ることに。この写真のときには、雪が舞っていた…

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

野べよりや 冬はきぬらん 草の葉に おく白露の 霜となるかな 源師時(もろとき)

 この歌に出会ったとき、源師時のように「露」が凍えて「霜」となるものだと考えていました。ところが、「露」と「霜」を調べれば調べるほど、これほどまでに奥深いもので、自分がいかに浅はかな考えであったかを痛感することになるのです。その理由をブログに綴ってみました。

 なぜ霜が降ると表現するのか?「霜がつく」では、おかしくはないが、「をかし(趣がある)」くない

kitahira.hatenablog.com

 

 ダイレクトメールでのご案内をご希望の方は、以下よりメールアドレスの登録をお願いいたします。

メールマガジン 購読申込用フォーム

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com