kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2022年夏 Benoitの特選食材≪桃≫ 「香川県の大西さん」のご紹介です。

いく先も まだ遥かなる 山みちに まだき聞こゆる ひぐらしのこゑ  藤原輔尹(すけただ)

 

 この話を書きながら、ふっと思い浮かんだのがこの歌でした…

 

 シェフの力量はメニューに、ソムリエの実力はワインリストに、八百屋さんは取り扱っている野菜や果実に表れる。商品に添えられるPOPを読んだ時、スタッフに問うた時、この八百屋さんの野菜や果実に対する愛情を垣間見ることができる。一口お召し上がりいただけば、その愛が本物であることを知ることになる。

 香川県に新進気鋭の八百屋さんがいます。3年ほど前のことでしょうか、同県香南町の薫る農園さんからグリーンアスパラガス「さぬきのめざめ」を購入させていただくとき、その農園の代表である河田薫さんからこう紹介していただきました。「信頼のおける八百屋さんだから」と。

 サヌキスという店舗名で八百屋さんを展開しながら移動販売までをもこなす、鹿庭大智さん。畑に赴くと、言葉では伝えることのできない大切な何かを感じ取ることができる。さらに、それぞれの栽培者の「こだわり」は一言では言い表せない、だから自ら畑に赴き、栽培者の方々の話を聞くことを常(つね)としている。そして、彼らが苦労しているときは見過ごすことができず、手伝いをすることを厭わない。まだまだ経験不足なため手伝いとはいえませんと言うが、この行動がどれほど栽培者の方々の励みとなっていることだろう。

 彼のfacebookの中で、タケノコのお父ちゃんの話がありました。竹が生い茂る山に足繁く入り、竹のお世話をしなければ、春に美味しいタケノコを収穫することはできません。言うは易いですが、山の斜面での作業は、平地とは比べものにならないほど過酷であり、危険がつきものです。それでも、お父ちゃんは今年も山に入ってくれた。タケノコはもうやめると言っていたけど…鹿庭さんが毎日来るから、自分も登る気になったのだと、彼のおかあちゃんが教えてくれた。80歳の力を振り絞って急な斜面を登り、タケノコに鍬(くわ)を入れる…

 鹿庭さんに自分が連絡をする度に、彼はどこかに赴いている。最初は移動販売なのかと思っていたが、どうやら毎日のように野菜を仕入れに自らが畑に足を運んでいるようなのです。それも、ただ仕入れのためだけではなく、草むしりや収穫のお手伝いなどをこなしている。「商品としての野菜を仕入れるのではなく、美味しい野菜がそこあるから自ら赴く」のです。彼の行動範囲は香川県内にとどまらず、隣県にまで、さらに瀬戸内海までも渡ってしまう。

 愛媛県の中央部に久万高原(くまこうげん)町で、ダイコンを丹精込めて育てている方がいるので、鹿庭さん自らが毎回そのダイコンを受け取りにゆく。彼が取りに来るからと、待っていてくれるおとうちゃんとおかあちゃん。お互いが顔を合わせ、何気ない会話の弾んだ後に、手渡されるダイコン。お礼を伝え持ち帰る車の中で、彼は喜びを隠せないでいるに違いない。八百屋に戻れば、「美味しいダイコンです!」と自信をもって進めるスタッフがいる。そして、美味しいからと再度買い求めてくださるお客様がいる。そう、鹿庭さんが掲げたサヌキスの看板の下に皆が集う。

 自分が鹿庭さんに食材の相談をしている中でも、栽培者への思いやりと、野菜や果実に対する愛がひしひしと伝わってくるのです。彼は自らの行動を誇ることなく、真摯に栽培者の方々に寄り添い応援している。八百屋の経営者であるからこそ利潤を追求しなければならない。しかし、彼の求めるのは近江商人のいう「三方よし」の経営なのでしょう。だからこそ、河田さんが「信頼のおける八百屋さんだから」と紹介してくれたです。

 鹿庭さんとの出会いが、どれほどBenoitに影響を与えたことか。自分から皆様に料理説明をする際に、ちょくちょく特選食材で名が挙がる香川県という地名は、鹿庭さんのご尽力無くしてありえません。いや、何かしっくりこない…鹿庭さんが仕入れている野菜や果実が抜群に美味しいからBenoitで頻繁に「香川県」が登場するのです。

 鹿庭さんのお勧めする「桃」がある。香川県で桃?とお思いの方も多いのではないしょうか。歴史を紐解くと、江戸時代にはすでに桃の産地としての地位を確立していました。今では全国9位の生産量…都道府県の中で、一番面積が小さいことを考えると、この順位は桃の名産地であることの証でしょう。

 12年ほど前のこと、鹿庭さんはまだまだ八百屋駆け出しの頃である。こんぴらさんの参道入り口でお土産屋さんをされている方が、「美味しい桃を作ってる方がいるから」と紹介してくださったのが大西幸三郎さんでした。この出会いが、後ほどの鹿庭さんが八百屋として農家さんから大いなる信頼を得ることになるきっかけになったのかもしれません。

 大西さんは、「わしゃ桃がおいしくなるんを手伝うだけじゃが。そのために何をしたらいいのか考えるんよ。」という。雨が続いたり、霜が急に降りたり、雹が降ったりと、毎年いろんなことが起こるけど、それでも桃が自分の力でおいしくなれるよう手助けをしてく。

 彼が桃の栽培を始めたのは、なんと50年も前のことです。讃岐の西寄り、「こんぴらさん」で親しまれている金比羅宮が鎮座する象頭山(ぞうずさん)の麓(ふもと)あたりの斜面に桃畑を切り拓きました。彼の若かりし頃は本業が別にあり、平日の桃の作業は奥様が担っていたといいます。彼は何をしていたのか?麻疹ワクチンなどの開発に携わる仕事に就いていました。この経歴は、大西さんの農業への取り組みに大きな影響を与えます。

 大西さんは、得意とするこの化学の知識を農業に活かそうとします。土壌の分析や肥料の有効的な効かせ方、有機肥料の使い方など、農業研究の第一人者の技術や知識をどんどん学び、ご自身の畑で実践してきたのです。自らがこしらえた有機堆肥と、賢人に学んだ良質な有機合肥料を駆使することで、土の中の微生物を生き生きとさせる。これにより、土は豊かになり根が良く張る。さらに、桃の木から出る糸のような細い根っこの大切さを識るからこそ、その根を傷めないように除草剤は使用していません。

 桃を含めた他の多くの樹の根っこは、太い「主根(しゅこん)」が数本広がり、そこから「側根(そっこん)」が、何本も何本も左右に広がっている。さらにその先にはもしゃもしゃと髭のような短い「ひげ根」があります。地上部に出ている樹の本体を支える役割を果たすのが、地下部の主根と側根です。では、成長に欠かせない水分や養分を吸い上げるのはどこ?それが、「ひげ根」です。

 我が家では、家にいながら少しでも自然の移り変わりを感じたく、ブドウのベランダ栽培を18年間続けています。過去、コガネムシの襲来を受け、植木鉢の2/3が枯死しました。やけにふかふかした土だな~とのんきに思っていたのが、土の中ではやつらの幼虫の猛威に晒されていたのです。側根を貪り食われ、ブドウの樹を引き抜いてみると主根しか残っていなかったのです。あ~大西さんの話の中で、なんと小さな小さな、どうでもいい情報なのだろうか…

 大西さんは、糖度の高さではなく、味の濃さと「渋」がない桃を育てることを目指していたという。同じ有機肥料でも、安価なものは不純物が多く、それが桃の雑味にもつながるのだと喝破する。微生物が活発に働く土作り。葉にまんべんなく光が当たる枝の剪定。実にしっかりと養分の入る肥料の使い方。「桃が自分でおいしくなる手伝いをしているだけ」と彼は言うが、言うは易く行うは難しとはこのことで、「手伝い」という軽い表現ではまったく意味をなさない。並々ならぬ努力の賜物こそが、大西さんの桃なのです。

 前述したように、大西さんが桃栽培を始めたのは50年ほどまえのこと。そう今年で御年80歳です。桃は斜面に植栽されている上に、冬の剪定や、春からの摘花に初夏の摘果と脚立を使っての作業も多く、若いからといって楽なものではありません。斜面の草刈りや施肥することも難儀になってきた。

 

 大西さんは今期をもって桃の栽培から身を引く決断を下しました。

 鹿庭さんは、「代わりにやりたいけれども、美味しい桃を作る技術はちょっとやそっとでは学べない」という。大西さんの身体の事を思うと、無理はいけないことを十分理解しているものの…安堵の中に寂しさがある。自然の機微を感じ取り臨機応変に行動に移す判断は、50年という経験がものをいう。微生物を大切にした土づくりや、畑の管理をした大西さんの桃は今年もやはり美味しいと、鹿庭さんはしみじみと感じ入る。

 農産物は栽培者の想いが宿ると自分は思っています。大西さんの桃は美味しい…いや、大西さんだから彼の桃は美味しいのです。

 桃を手に取った時、ちくちくとする心地良い肌触りに、やさしい甘い香りに魅せられる笑みを浮かべる人がいる。喜びにはしゃぐ子供たちかもしれない。口に運んだときには、声にならない桃そのものの美味しさが口中に広がり、心の奥底からこぼれる…美味しいというひとこと…そして笑みがこぼれる。子供たちは喜びの声を上げ、次をねだる。大西さんは皆が美味しそうに桃をほおばる姿を望みながら、桃を送り出していたのでないでしょうか。

 お召し上がりいただいた皆様から、大西さんが直接にお礼や感想を伝えられることは稀でしょう。しかし、鹿庭さんのような志のある方が代弁しているはずです。口伝であれ、大西さんには日々の心労を癒す一番の処方箋だったはずです。だからこそ、50年もの長きにわたり、労を惜しまず桃を育て続けてこれたのだと思うのです。

 自分などは、鹿庭さんから大西さんの桃を紹介いただいて、3年という短い期間でした。それでも、出会えたことに感謝しております。大西さんの桃をBenoitパティシエールチームに自慢し、さらにお客様にどれほど美味しい桃なのかを語らせていただき、皆様が「口福なひととき」を過ごされたのを見てきました。大西さん、深く深く御礼申し上げます。

 お気づきの方も多いのではないでしょうか。このメールの前半でご紹介した「たけのこのお父ちゃん」とは、大西さんのことです。彼にとって鹿庭さんは孫のような年齢差があります。それでもこれほどの深い信頼関係で結ばれているのです。

 鹿庭さんはfacebookでこう綴っています、「生産者さんの心は顔に出て 生産者さんの想いは味に出る 想いはただ見えないだけじゃない 見えるもの、感じられるものになって現れてくる」と。笑みを浮かべる大西さんは、鹿庭さんに「自分の夢」を託したのかもしれません。

 

 屋号である、「サヌキス」について鹿庭さんに聞いてみました。まだ雇われ八百屋だったころ、高松市内のコンビニ2店舗に野菜を置く取り組みをしていたといい、キャッチコピーのような店舗名が必要になりました。香川県の野菜を中心にと考えていたので、「讃岐(さぬき)」は入れたい。そして、昭和の時代にはどこにでもあった地域の小さなストアのような親しみのある名前にしたい。ということで、当時は「まいにちストアsanukis」として活動し、独立してから「sanukis」と名前を変えたのだといいます。

 「深い意味はないのですが、お客さまとの距離が近くて地域に密着したマーケットのような感じにしたいと言う意向がありました。」と鹿庭さんから。言霊ではないですが、彼が思を込めた屋号は、十分に深い意味があり、着実に地域に密着した店舗へと成長しています。新店舗もオープンし、仲間が集うことがなによりの証でしょう。

 

いく先も まだ遥かなる 山みちに まだき聞こゆる ひぐらしのこゑ  藤原輔尹(すけただ)

 

 夢に向かって着実に歩みを進める中で、ヒグラシの声を耳にする。かなかなかなかな…まもなく夜の帳(とばり)がおりてくると教えてくれるかのよう。休憩というよりも、一晩の休養を促しているかのよう。人生は苦難の連続かもしれない。しかし、壁にぶつかるもその高さは、各々の力量によるもので、乗り越えられないものではない。時には立ち止まり、ゆっくり休養することで心身リフレッシュすることも必要なのではないか。一陽来復、闇夜の後には太陽は再び姿を見せてくれる。

 困難にぶつかった時、ひとたび休養することで正しい判断を下せるようになるものだよ…50年もの長きにわたり桃栽培を続けてきた大西さんが、そう教えてくれているような気がします。この歌が脳裏から離れないのは、このような理由からなのかもしれません。

 

仕事のこだわりってなかなか伝わらない

いくら伝えても美味しくないとまた選んでもらえない

要は味なんだよ

でも、そのこだわりを知って販売しているから、また選んでもらえた時の喜びは大きい

そして食べる時もそのこだわりを知っていた方がきっとより美味しいはず

だから知っていたいし伝えたい 「見えないこだわり」は野菜の味を濃くする添加物であり、味覚を彩る調味料 そんなことを考えながら、今日も車に満載の仕入

 寒風吹きすさぶ極寒の畑仕事では、鼻水も凍ります…確かに凍るが…このようなことはありません。鹿庭さんの写真をお願いした時に笑いながら送ってくれた一枚です。この遊び心がなければ、果敢に挑戦することはできないでしょう。鹿庭さんの言葉が心に響くなかで、くすっと笑みを浮かべる。このような形でこのご案内を締めくくらせていただきます。

 香川県へ足を踏み入れた暁には、必ずsanukisを訪問させていただきます!Benoitへご尽力いただき、誠にありがとうございます。

 

 遅きに失した感は否めませんが、6月半ばからBenoitへご尽力いただいた桃栽培者の方々を、ご紹介させていただきます。南は熊本県から、北は山形県まで。桜前線ならぬ桃前線の北上を追うようにBenoitに届く桃は、どれもが素晴らしい逸品でした。悪天候のため品質ままならず、栽培者の「Benoitへ送る品質ではない」との判断から、出荷断念と涙を呑むこともありました。

 それぞれの桃栽培者の方は、「美味しい桃を育て上げる」という志は同じでも、そこに辿り着く道のりが違うため、桃畑の姿が違います。旅行をするようにお楽しみいただけると幸いです。

 

 和歌山県紀の川市桃山町。自分が初めて桃の産地直送に踏み切ったのが、豊田屋さんとの出会いでした。半農半医という栽培を担う豊田さんには、多くを学ばせていただきました。無謀とも思える「無農薬栽培」に果敢に取り組む姿には感銘を覚えます。彼よりいただいたメッセージが心に響く…

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 桃探しも南へ南へと向かい、辿りつた先が熊本県の西川農園でした。お父様の代までは主力産物はメロンでした。しかし、現園長である西川さんが引き継ぐと同時に一念発起し、桃栽培が始まります。「園長?」、そうここに西川さんの桃栽培に対する思いが詰まっています。

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 岐阜県飛騨高山で果樹園を営む亀山さん。桃名人とうたわれる父からバトンを受け、見事に果樹園を盛りたてています。交錯するご家族それぞれの想い、葛藤があった中で、彼は引き継ぐ決意をします。父の背を見ながら、彼ならではの新たな道を模索する。彼が名人と呼ばれる日も、そう遠くはないでしょう。

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 桜前線と同じように、桃前線も北上してゆきます。Benoitが桃を購入させていただいている北限は山形県にあるタキグチフルーツガーデンです。本来であれば、他の桃農家さんのように滝口さんをご紹介しなければいけないにもかかわらず、簡単なご紹介しか書き上げることができませんでした。自分の怠慢によるもので、決して書くに足らない栽培者というわけではありません。短いですが、滝口さんの「こだわり」をご紹介させていただきます。

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滝口さん、申し訳ありません。この場をおかりし、深く深くお詫び申し上げます。

 

 秋になり、初めて感じる涼しさを「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」というようです。温度計という便利なものがあるために、数字というものに縛られてしまい、体感できる涼しさを忘れてはいないでしょうか。ヒグラシの声はもちろん、夜な夜な奏でるスズムシやコオロギの音色もまた忘れてはいけません。そして、秋の風は、秋の薫りも運んできます。ここはひとつ、文明の利器を遠慮し、五感を利かせて秋を探してみるのも一興ではないでしょうか。そして、秋の味覚が恋しくなった際には、足の赴くままにBenoitへお越しください。深まり行く秋と歩調を合わせるように、旬の食材がメニューをもって皆様をお迎えいたします。

 

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com