kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2025年1月 寒中見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。

 

 皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。郷里に帰る、新天地を旅する、異国の地に赴く、自宅でゆっくりと過ごすなどと十人十色だったのではないでしょうか。どの様な過ごし方であっても、人が社会の中で生きている以上、どうしても他の誰かに出会うように日々を過ごしたことになると思うのです。一歩も部屋を出ない一人暮らしであっても、電話で友人と話ができるし、テレビやネットからは溢れんばかりの人々が姿を見せています。そのネットワークを遮断して読書に耽っていたとしても、そこには登場人物がいる。人恋しいと思ったときには、なんと便利な世の中であるのかと。

 しみじみと考えてみたときに、どうも人は誰かと会話をしなければ、心の安定が保てないのではないかと思うようになりました。自分が自分であるために、自分の存在を確かめるためにも、誰かとの会話を欲している。言葉のみならず、音声や音楽、そして文字によって、意思疎通を図ろうとする。その中で、得も言われぬ安心感を得ることができるのです。

 手段方法は時代によって変わってくるものですが、古今東西を問わず続いているものが「団らん」です。旧知の仲であれ、初顔合わせであれ、集(つど)うことでなにかしらの会話が生まれるものです。自分が雪国育ちで、今のような快適な住居などには住んでいなかったこともあり、寒い冬は自(おの)ずと暖かい炬燵(こたつ)のある部屋に家族が集ったものです。些細などうでもよい話ばかりですが、いま思えば子供ながらに楽しかったのだろうと思うもの。極寒の地であれば薪ストーブか、西洋であれば暖炉か、古民家であれば囲炉裏(いろり)でしょうか。暖炉は難しいですが、日本の暖房器具は、周りに集うことができるもので、円居(まどい)するという言葉があるということは、往古より続いている風習なのでしょう。

 かつて暖房器具が乏しい頃にあり、暖を取る方法は薪(たきぎ)を燃やすことでした。しかし、屋内では火災の危険が付きまといます。昔の日本は住居が密集しているため、一歩間違うと町自体が焼け野原となり消滅してしまう可能性すらありました。そこで、先人たちは、「炭」という画期的な逸材を発明したのです。この炭の登場が、どれほど人々の生活を変えたことか。暖房器具としては、今のストーブとは比べてはいけないほど微力ながら、古くは平安時代に始まり、戦後の高度成長時代にまでの長きにわたり、我々の生活に密接にかかわってきました。

 この炭の利点は、囲炉裏(いろり)や火鉢の中に深く敷き詰めた尉(じょう)の中で、種火の残った炭を保管することができたことです。火鉢の中で、炭や樹々を最後まで燃しきった時、グレーがかった白い灰となります。これが尉です。この中に火のついた炭を埋(うず)めておくことで、種火を残しておけるのです。これを「埋み火(うずみび)」や「埋(い)け火」といいます。ライターなどあろうはずもなく、火を起こすことが難儀な時代です。なんという生活の知恵でしょうか。

おもうどち 思ふこという 言の葉の おこりとなりぬ 埋み火のもと  堯孝(ぎょうこう)

 

 気心の知れた者同士が、冬の寒さをしのぐために火鉢のあたりに円居する。寒さで口元もこわばっているのか、口をつぐんだまま、暖をとるかのように手を差し伸べる。一人が火箸で尉をかき分けると、ぽっと闇の中から眩(まばゆ)いばかりの炎が姿をみせる。尉の下に埋もれいた炭にくすぶっていた「埋み火」が、空気に触れることで熾(おこ)ってきた。暗闇の中の鮮やかな深紅の炎は、めらめらではなくゆらりゆらりとし、得も言われぬ優艶な美しさがある。暖を得たからかこの炎に魅せられたからなのか、円居する人々からは、炭が熾ったことを皮切りに、楽しい会話が起こり始めたのだという。勝手な思い込みなのかもしれませんが、陰謀術策に満ちたかのような陰湿な会話ではなかった気がします。

 そんな楽しい時というのは、あっというまに過ぎ去ってゆくもの。すべては歌中の「ぬ」が物語る、もの寂しさ。確かに完了したと認める助動詞「ぬ」。円居する仲間が家路に就いて行くことで、残ったのは堯考のみ。火種を絶やさぬようにと火箸で炭を尉の中に埋めてゆく。陰りゆく埋火を眺めながら、しみじみと先の楽しい会話を思い返しているのでしょう。熾ることで弾んだ会話、その火は消えゆくも、思い出は消えない。

 2025年が始まりました。「季節は去ってゆくもので、待つという優しさはもってはいない」ということを肝に銘じ、ぬかりなく旬の食材や料理・デザートをご案内させていただきます。そして、Benoitで過ごされたひとときが、「口福な食時」となるよう努めてまいります。願わくは、まだまだ先ですが本年度末に皆様が円居する際、よき話題となれますように…

今年もまた、変わらぬご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

2025年の干支「乙巳(きのとみ)」のお話です。

 むかしむかしのこと、お釈迦様が動物たちに「新年の挨拶に赴いた順番を十二支にしよう」と語ったのだといいます。そこで、動物たちは我さきにと、お釈迦様の下へと馳せ参じることになる。己をよく知る牛は足が遅いことを理解しているため、前日からすでに出発します。一番先に門口(かどぐち)に到着するも、その背に乗っていた賢いネズミがひょいと先に門をくぐる。順を追ってぞくぞくと主役が到着する中で、犬猿の仲といわれる両者の仲裁に入ったがためにニワトリは10番目。猫はなぜ登場しないのか?猫はお釈迦様への新年の挨拶の日を忘れ、ネズミに聞いたところ2日だと。翌日に事実を知った猫は怒り、これ以降ネズミを追いかけ続けるのだとか。

 古代中国の賢人が「十二支」を周知してもらうため、それぞれの漢字に身近な動物をあてがったといいます。今年の十二支「巳」に、彼らは「ヘビ」の意味をあてました。架空の動物である「竜」から実在の「ヘビ」へ、それも怖いと嫌われている。きっと何かしらの理由がある。そこで、今年の干支「乙巳」を、語源辞典片手に読み解こうと試みます。※自分は占い師ではありません。「竜頭蛇尾」たらんことを願いながら…

kitahira.hatenablog.com

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

 ダイレクトメールでのご案内をご希望の方は、以下よりメールアドレスの登録をお願いいたします。

メールマガジン 購読申込用フォーム

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com