kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

無事息災であることを祈念いたします。

おぼつかな をちかたびとや いかならん をやみだにせぬ 五月雨のころ  弁乳母(べんのめのと)

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 遠方人(をちかたびと)の実情がよく分からなく心配である。無事息災であろうか。「小止む」とは、「しばらくの間」という意。小止(おや)むことのない五月雨の頃だからこそ、止むことなく降り続く五月雨の頃、軒(のき)や庇(ひさし)から、絶え間なく滴る雨粒を見るほどに、心配は募るばかりです。

 弁乳母は三条天皇の皇女である禎子内親王の乳母であるという。彼の時代の「遠い」とは、今の時代とは感覚的に違うもの。ましてや、乳母としての務めがある以上、屋敷の壁の向こうも「遠い」と感じるのではないでしょうか。彼女は、誰の安否を心配していたのでしょうか?

 

 日本には、それぞれに全く様相を変え、その時々に美しさを誇る「四季」が存在します。降り注ぐ陽射しが心地よく感じる季節があれば、恨めしく思う季節もある。しとしとと大地を潤す恵みの雨もあれば、大地を崩さんばかりの激しい雨もある。人がどうこうできない、「自然」というものがそこにあります。

 古人は、自然を凌駕するのではなく「共存」する道を選びました。自然の理(ことわり)に習い、草木の成長や動物の行動に機を見出す。桜が咲き誇る頃を目安に田を耕し、ホトトギスの鳴き声にせかされるように田植えを急ぐ。長雨はしばしの休息を余儀なくされるも、田に豊富な水をあたえることになる。夏の陽射しは稲を大いに成長させ、秋には豊穣をもたらします。冬の凍てつく大地は、土中の悪玉菌を撃退する。

 しかし、自然は我々に、「豊かさ」と同時に、「厳しさ」も与えてきます。時として、あがなうことのできないほどの自然の猛威。自然の前に人間がいかに無力であるかを思い知らされます。悔しいですが、我々はこれを甘受しなければなりません。

 この度の熊本県豪雨の被災地は、熊本県を含め、帯を成すように広範囲にわたっています。多くの方に、並々ならぬ犠牲を強いることになりました。Benoitでは、熊本県の天草をはじめ、宮崎県、愛媛県香川県和歌山県岐阜県そして長野県から食材を購入させていただいております。栽培されている皆様の安否の確認はできておりません。さらに、ご愛顧を賜っているお客様にも、被災地に方がいらっしゃるかと思います。皆様が無事息災であることを、祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com