kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年4月 季節のお話「杜若 (かきつばた)の役割?」

 宇宙は誕生したのか?自分などには皆目見当が尽きません。その宇宙の中に、無数の惑星が集まり銀河系を形成し、その中に太陽系があり、我々の住んでいる地球があります。地球誕生以来、太陽の周りを公転していることは、この悠久の時の流れのなかで、なんら変わることが無かったはずです。そして、自転することで昼夜があり、公転することで季節というものが生まれました。さらに、地球の地軸が傾いてることで、我々は4つの季節を得ることができたのです。

 このような壮大な話のことなど全く分からなくとも、我々は地球から「季節」という贈り物をいただき、四季折々の移ろいを楽しんでいます。どれほど時が経とうが、多少の温暖化の影響があるものの、季節は毎年のように巡りに巡ってきます。古代日本人もほぼ同じ気候風土の中で生き抜いてきたことを思うと、感慨深いものがあります。

 人類の英知の結晶でもある「暦」があまりにも便利なため、我々は頼りききっています。暦は古代中国から百済を経由して日本に伝来したといい、飛鳥時代の604年に日本最初の暦が作られたと言われています。しかし、かつては月が基準の「太陰暦」であったがために、公転することで生まれる四季とは大きなズレが生じていたはずです。

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 そこで、古人は暦を参考にしつつ、自然の機微を本能で知ることのできる草木や野生動物の動きをかん参考にし、四季の移ろいを捉えていたはずです。和歌に多く詠われる題材であること、そして我々日本人に根付いている「花鳥風月」の想いが、なによりの証ではないでしょうか。

 かつて、今のように暖房機器が充実していない時の冬時期は、日々の生活をするのことがさぞ難儀だったことと思う。火鉢などは気休めであり、手は温められても部屋の気温を上げるほどの力はありません。お屋敷といえども、外界との境は障子(しょうじ)であり、隙間風を思うと今では考えられないほどの寒さの一冬を過ごさなければならなかったはずです。だからこそ、春を待ちわびた。

 

 春の陽射しに誘われるかのように花々は笑い、人々は笑みがこぼれたことでしょう。順を追って花開いてゆく花の中で、日本人にとっての心の花ともいえる「桜」が咲き誇ります。桜が散りゆく時は、すでに晩春であり、待望の春も終わりを迎えることになります。桜から引き継がれた花の笑みは、山吹そして藤の花へ。もう一つ、杜若(かきつばた)へ。

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 夏は、もうすぐそこまで来ている。しかし、春を待ちわびる思いが強いからこそ、喪失感も大きい。この惜春の想いを慰(なぐさ)めてくれるのが、杜若でした。古人は、「かきつばた」の「かき」を「垣(かき)」とみた。生垣、石垣、竹垣のように、仕切りとして意味を持つ「垣」。杜若の「かき」が、春の去りゆくのを引き留めているのだという。

沼水の あたりも匂ふ かきつばた けふのみ春と みてや帰らむ  藤原定家

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 花が美しく輝いていることを「匂(にほ)ふ」といい、ただ咲いているだけではない。湖沼の周りの新緑の「群(むら)」の中に、紫がかった濃い「青」色の杜若が咲き誇っている。夏を迎えたものの、今日は杜若がまだ春を引き留めてくれているではないか。この「群青(ぐんじょう)」に安心したように、定家は家路に就いたのでしょう。惜春の想いが強いからこその、杜若へ願っているのか。定家は、杜若の脇に晩春を見出したのか?見出したかったのか?

 

 気象庁が実施している「生物季節観測」というものがあります。「桜の開花宣言」のように花の開花であったり、ウグイスやセミの初音であったりと、気象庁のスタッフが自らの目と耳を使った確認方法というアナログなもの。この発想と、今まで継続されてきたことは、古人が花鳥風月に季節の機微を捉えようとしたことの名残なのかもしれません。

 昨年末に、この「生物季節観測」の観察対象となる動植物の大幅な削減が発表されました。日本各地に点在する観測地点の自然環境の変化から、観察対象を見つけることが困難になったことが要因です。寂しい気もするのですが、昨今の環境を考えると致し方ないのかもしれません。

 そこで、新型コロナウイルス災禍によって旅行もままならない今だからこそ、家の周りを散策しながら、皆様だけの「生物季節観測」をしてみるのも一興ではないでしょうか?メモにして残しておき、毎年比較することで四季折々の動向を予見できるようになるかもしません。

 杜若の群青、今まさに見ごろなり。さらに、菖蒲(あやめ)も咲き誇っています。どちらも素晴らしく甲乙つけがたいことを称(たた)えるときの表現に、「いずれ菖蒲か杜若」というのがあります。さあ皆様、下の画像は「杜若か菖蒲か」どちらだと思いますか?

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 「菖蒲(あやめ)」と同じ漢字の「菖蒲(しょうぶ)」と「花菖蒲(はなしょうぶ)」もあり、さらに「杜若」が加わると、何が何だか分からなくなってきます。この中で仲間外れは「菖蒲(しょうぶ)」です。この違いは後日にご紹介させていただきますが、5月5日の端午の節句が近いので一言だけ。「菖蒲湯(しょうぶ)」に使う剣先のような葉は、この仲間外れの菖蒲の葉です。

 

惜春特別プランのご案内です!

 杜若(かきつばた)が、垣となり去りゆく春という季節ばかりか、旬の食材をも留めてくれています。2021年5月5日に「立夏(りっか)」を迎え、暦の上では夏を迎えますがまだまだ名残惜しい春の味覚をお楽しみいただきたく、「惜春特別プラン」をご案内させていただきます。心ゆくまで、杜若の想いをお受け取り下さい!

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≪旬の魚「メバル」と仏産「ホワイトアスパラガス」が一堂に会します!≫

 魚を知り尽くしたフランス漁師さんの料理と言えば、南仏のブイヤベースが有名です。しかし、漁師さんは南フランスだけに存在するのではありません。北フランスのロワール地方にもいる。彼らの伝統料理「ショードレ」はどのようなものなのでしょうか。今回は旬のウスメバルを使い、この伝統を踏襲した一皿がBenoitに登場します。それも、5月からはフランス産のホワイトアスパラガスとともに!

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 最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご多幸とご健康を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com