kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2024年5月 古人に学ぶ、春の「あはれ」なるものは春曙なのか、それとも春宵/春夕なのか?

 とかく今の時代は便利になったものだとつくづく感じます。水・電気・ガスなどのライフラインの完備、大都市に張り巡らされた交通網、スマホを使えば指先1本であらゆる情報に触れることができます。「時」の流れに緩急はないにもかかわらず。この環境の変化は日進月歩の様相を呈しており、十年も遡ると時代が違うかのような錯覚を覚えるものです。このような思いに駆られる時点で、自分も歳をとったのだな…と感じる今日この頃…

 「時」というものは生きとし生けるものに共通に過ぎてゆくもので、地球が少しばかり地軸が傾きながら太陽を周回することで、四季というものが姿をみせることになりました。緯度の高低如何(いかん)で変化の度合いが変わるものですが、この四季というものは、地球誕生から多少の誤差はあるものの連綿と繰り返されてきたはずです。今も昔も、自然が織りなす自然の姿は、そう変わりがありません。まして、月ともなると…全く変わってはいないのでしょう。

 自分が皆様にお送りしているBenoitご案内メールは、書くも書いたり14年を迎えました。当初は、さっぱりと料理や食材のご案内でしたが、多くの方にアドバイスをいただくことで、画像が加わり、さらに身近に感じる季節をご挨拶に取り入れるようにしました。それが今では、この季節のお話が独り歩きをしているかのように長文へ。よく「博識ですね」と言われるのですが、これはまったくの誤解で、旬の食材を紹介する以上、自然の機微に敏感たれ!ということで、学びながら書いています。

 では、何に学ぶのか?今の時代は便利になりすぎたがために、自然の機微を捉えることを怠ってしまっている、いや見失ってしまっている気がするのです。そこで、数々の季語を生み出してきた和歌に学ぼうと思い立ったのです。季節は廻り、去ってゆく。万葉の時代も、平安の時代も、賢人の目にした光景は、今とそう大差はなかったはずです。梅雨や雪などの気候現象もあったであろう。草木も、品種改良による違いはあるものの、季節に従って花笑ったであろう。だから、先人に学ぼうと考えたのです。

 

春はなほ 花のにほひも さもあらばあれ ただ身にしむは (あけぼの)の空  藤原季通(すえみち)

 春はやはり桜が満開のときが素晴らしいと誰しもが言う。大衆に烏合するかのようで不本意だが、確かに咲き誇る桜は何人(なんぴと)をも魅了することは間違いない。ただ、私が浸(し)むほどに執心しているのは、心に染(し)むほどに趣深い曙の空である。万葉の時代では「花」は「梅」のことでしたが、平安時代ともなると「山桜」となる。「さもあらばあれ」という感情が、はいはい、誰しもが春といえば桜が咲き誇る光景が「おはれ(趣深い)」であるという。確かにその通りではあるが、桜が咲く時期だけが春ではない!孟春(もうしゅん)の曙の美しさを忘れてはいけない…こう藤原季通は喝破している。

 春でなくとも夜明けの空は美しいものです。しかし、さもあればあれ「春の曙」は格別だという。今ほどに防寒・暖房設備のない時代にあっては、暗く寒い冬の日々は当時の人々にかなりの忍耐を強いていたはずです。晴れた日であっても、寒いものは寒い。春の陽気を切望するからこそ、暦が春に変わったときの曙に、大いなる喜びを感じたのでしょう。

 今では防寒・暖房設備が発達したおかげで、寒風吹きすさぶ季節でも快適に過ごすことができます。暖房器具としてストーブが登場するのは明治に入ってからのことであり、それ以前は「炭火(すみび)」によって暖をとっていたのです。家の中で焚火(たきび)をするわけにもいきません。この「炭」の発明がどれほど、どれほど冬の生活を快適にしたことか!皆様ご想像ください。そして、この炭火の活用により「埋火(うずみび)」という言葉が生まれたのです。

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 さらに、梅や柳の花が順を追って花開いてゆく姿を目にし、待望の桜の花が笑う時が近づいてきていることを知る。日増しに強まる、抑えることのできないきれない心躍る心地が、「春の曙」を他のどの季節のものよりも美しく、瞼の裏に焼き付くことになるのでしょう。

 夜の闇を西へ西へと追いやるかなおように、東から太陽がゆるりゆるりとその姿を見せてくる。古人は、「日の出」という中に、刻一刻と姿を変える空模様に「美」を見出したからこそ、その時々に名前を付けた。東の山の端が一筋の茜色に染まる頃から、「暁(あかつき)→東雲(しののめ)→曙(あけぼの)→朝ぼらけ」という順に、ほんの30分足らずの間で、空の呼び名が変わってくるのです。中でも「春は曙」だという。

 冒頭で書いた通り、自然の機微を捉えるため、自分は古人の秀歌にその季節感を学んでいます。どうも、先人たちも同じように過去の秀歌に、季節感ばかりか言葉遣いや歌の技法などを学んでいたようです。もちろん、趣味でやっているような自分とは違い、人生の栄達が深く絡んでくる平安・鎌倉時代にあっては、取り組む真剣さに雲泥の差がありことをお忘れなきように。歴史に学ぶというものとは違い、先人たちの遺した英知の結晶ともいえる日本語を学ぶことの大切さは、今も昔も変わらないのでしょう。

 藤原季通は、春に「身にしむは曙の空」だと詠う。自分なりに考えた理由(わけ)を先に書いてみました。一理あるかと思いますが、これでは「さもあればあれ」と表現するまでの根拠としては、心もとないものです。彼が和歌を学ぶ中で、先人が遺した偉大な随筆に感銘を受け、これを玉条(ぎょくじょう)とした。それは、我々も学生時代に学んだ清少納言が綴った「枕草子」です。

 

春は曙 やうやう著(しる)くなりゆく 山ぎは少し明かりて紫だちたる 雲のたなびきたる

 万葉の時代から約300年もの長きにわたり、世の趨勢(すうせい)は漢詩で和歌にとっては暗黒時代でした。その中でも、古代の日本の賢人は日本語を書き遺すことに希求する。しかし、書き言葉がなかった。そこで、表意文字である「漢字」の意味を無視して音(おん)読みのみを駆使し、まるで当て字のようなならべて日本語を表現する「万葉仮名」を生み出したのです。この発明なくして、日本最古の和歌集「万葉集」はありえなかったことでしょう。しかし、時代が漢文を選んでいただけに、日本語として遺されたものは極めて僅かなものでした。

 古代日本人が連綿と受け継いできた日本文化、特に日本人ならではの自然に対する「美」へのこだわりは、カクカクとした漢字では表現しきれなかった。万葉仮名では、納得がいかなかった…と思うのです。そこで、平安時代の賢人は漢字をもとに表音文字である「ひらがな」を生み出したのです。表意文字である「漢字」の素晴らしさを生かしながら、「ひらがな」との融和を図るのです。これにより、やわらかで語りかけてくるかのような書き言葉、今にも通ずる日本語が誕生しました。

 多くの貴族や識者がこぞって「漢字」と「ひらがな」学ぶなかで、和歌が人生の栄達にかかわる一つの要素となっていくのです。経験に裏打ちされた言葉は、人々に感動を与えるもの。しかし、経験には長きにわたる「時(とき)」が必要ですが、これを少しでも補うことができるのが知識です。現在(いま)のように情報溢れるネット環境にあるわけではないため、学ぶにはすでに大いに学んだ師匠に頼るしかない。では、その師匠は何に学んだのか?書き遺された書物に頼るしかなかった…

 「印刷」などという技術がない時代にあっては、遺された書物は貴重な宝物であり、読むことができた人は限られていたはずです。幸運にも、その書物に触れることのできた人は、諳(そら)んじるほどに繰り返し読むばかりか、書写もしたことでしょう。素晴らしいと評価された書物の読書履歴があるのであれば、そこには数多(あまた)の人々の名が記載されていたことでしょう。そして、その名前の中には、歴史に名を残した賢人の名が記(しる)されていたはずです。

 なるほど、「春は曙」なのか!と思うと…

 

あけぼのを なにあはれとも 思ひけん 春暮るる日の 西の山かげ  後鳥羽院

 曙をどうしてあれほど情緒の富むと思ってきたのであろうか。夕刻ともなると陽が山の端へと落ちてゆき、山際が夕陽に赤く照り映(は)えることで浮かび上がる山影…春は「夕映(ゆうば)え」の暮れなずむころこそが「あはれ(趣深い)」であるという。歌帝と称される後鳥羽院なだけに、どれほどの影響を及ぼしたことでしょう。いくら歌帝でも、誕生したときからこれほどまでに和歌に精通していたわけではありません。何か玉条たるものがあったはず。それは、蘇軾(そしょく)は漢詩「春夜」の中で詠っているものでした。

 

春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)

 前述したように、万葉の時代から平安時代までの長き期間、世は漢詩が全盛を誇っていました。だからこそ、この蘇軾の歌がもたらした美意識が、どれほどの影響を知識人たちにもたらしたことかは、想像に難くはありません。

 いまにも通ずる美しい日本語表現の数々は、平安時代に誕生した「ひらがな」によって胚胎したといっても過言ではないでしょう。賢人たちは、この日本語ツールを駆使し磨きをかけ、美しい言の葉の数々を誕生させました。「春曙(しゅんしょ)」に美を見出したならば、「春宵(しゅんしょう)」に対しての優位性を大いに語ったことでしょう。喧喧囂囂(けんけんごうごう)とした議論もあったことでしょう。

 冒頭にご紹介した藤原季通の「春はなほ 花のにほひも さもあらばあれ ただ身にしむは (あけぼの)の空」の中にある「ただ」という表現は、「唯/只」という漢字を当て、「ひたすら/もっぱら」という意味があります。しかし、意味は違いますが「」を当てることもできます。そして、蘇軾の「値千金」という表記を、語源辞典「漢辞海」では「千金」と書いています。古文書すぎて「人偏がすり消えた?」のかどうかはわかりませんが…。藤原季通は、意図的に春宵派の玉条としている蘇軾の歌を意識して詠ったのか?「さもあらばあれ」とは、春宵派に対しての思いなのでしょうか。ついつい勘ぐってしまうものです。

 では、歌帝は「春曙」を軽んじていたのか?決してそうではなかったことは、遺された数々歌が教えてくれます。「春曙」なのか「春宵/春夕(しゅんせき)」なのか?好みはそれぞれであり、歌帝とはいえ、この2つに優劣などつけることはできておらず、ともに「あはれ」なのだという。

 しかし、今回ご紹介した歌の中に、「春暮るる日」という表現があります。ここを「春暮るる」と「暮るる日」と折り返して読むことで、少し意味深くなってくる。歌帝は「春暮るる(晩春)」の「暮るる日(陽が西に沈みゆく夕刻/宵)」こそが「あはれ」であるという。であるならば、初春は曙であると、暗に我々に伝えようとしているの気がするのです。

 日本人として、春の花といえば古今を問わず「桜」です。古来に「梅」とってかわられるという不遇の時代がありましたが、それは一部の知識人の中だけだったはずです。農耕の神を意味する「さ」が「くら(座る)」樹という名づけからわかるように、畏敬の念ととも我々の心に根付いているのです。この桜が笑うのを、「心待ちにする」のか「惜しむ」のか。

 桜が笑うのを待ち望むからこそ、一日の始まりである「曙」に対して大いなる期待感と喜びを感じてしまう。この思いが強いからこそ、花が散ることで押し寄せる喪失感は並々ならぬものであり、この惜しむ思いが強いからこそ「春宵/春夕」に得も言われぬ美しさを感じ取るのではないか。「春曙」か「春宵/春夕」はともに美しい、しかし「あはれ」と感じることは、その花笑う前後によって違うのだよ、そう歌帝は教えてくれているのかもしれません。

 往古、和歌は長けることは必須の教養だったはずです。「和歌入門」などという解説書があったのかもしれませんが、寡聞(かぶん)にして知りません。先人が遺した秀歌や物語・随筆などを玉条としていたのでしょう。、詠者の思いをくみ取りながら、歌/文章の着眼点を捉え、よくよく考察してゆく。そして、技巧を凝らした文体や巧みな言葉遣いを識(し)ることで、自らに取り込むことを心がけたと思うのです。その中のほんのわずかな天才が、今なお心に響く秀歌だけではなく、自然の機微を今までにない言葉として遺すことになる。

 今も昔も、学ぶことに基本は変わりません。しかし、彼らにとって和歌は栄達のひとつの要素であって、自分のように軽い学びではなく、まさに「競う」かのような学びだったはずです。だからこそ、春に山桜が「にほふ(咲き誇る)」ことは、誰しもが認める春を代表する光景であるが、いやいや春の趣を感じるものはそれだけではない、そう藤原季通は問いかける。

 さらに、「競う」かのような学びは、春曙か春宵/春夕がどちらも趣があることは理解している中で、少しでも優位たらん理由(わけ)を見出そうとすることを導くのです。先人の想いをよくよく理解しながら、そこに自らの経験と思いを上乗せしてゆくことで、この上ない「身に染むような美しさ」を、そこに見出すことになるのでしょう。

 藤原季通の「さもあらばあれ」という感情は、春という季節に桜のみに執着する人々に向けたものなのか?それとも、春宵/春夕にこの上ない美しさを見出している人々に向けたものなのか?きっと彼の時代には、「春曙」派と「春宵/春夕」派とで激論を交わしていたのではないかと思うのです。さて、皆様はどちらに組しますか?それとも、時期によって気持ちが移りゆく歌帝に賛同しますか?

 晴れた日のお休みの時に、少しばかり早起きをして「春曙」を楽しみ、惜春の思いで一日を楽しんだ後、「春宵/春夕」を眺めるというのも一興かと思います。1000年経とうが、2000年経とうが、眺める景色には、多少の人工的建造物が入り込みますが、同じ姿と言い切っても差し支えないでしょう。清少納言や藤原季通、後鳥羽院もまた、同じ光景を目にしていたかと思うと、何気なく見ている太陽や月に、なにやら感慨深さを覚えてしまうものです。

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

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最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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