kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年12月 表裏一体?「太陽と月の関係」に想うこと

 古代中国の賢人は、「宇宙の万物は全て陰と陽の2つのエネルギーで構成されている」と喝破しました。これが陰陽説です。全てを2つに分類することで、森羅万象を説明することにいささか無理を感じますが、時を経ることで多くの要素が加味されてゆき、陰陽五行説が誕生します。この説が今でも活用されていることを思うと、なかなかな説得力があるのでしょう。もちろん自分は専門家ではないので詳細は語れませんが、気になるのが太陽と月の関係です。

 相反する2つの事象を分けるこの陰陽説とは、一方が「善」で他方が「悪」という考えではなく、お互いが相互関係にあり、欠かせないものであること。表(陽)なくして、裏(陰)はない。活発・敏速な行動(陽)なくして、不活発・緩慢(陰)という概念は生まれない。こと、一日というものを考えると、昼(陽)があるから夜(陰)がある。そして、昼夜を代表する天体といえば、太陽(陽)と月(陰)ということになります。

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 カレンダーも時計もない時代から、北極圏や南極圏に見られる白夜のような現象を除いて、人類は太陽が姿を見せる時を一日の始まりとしていたはずです。そして、西の端に陽(ひ)が沈み、漆黒の闇夜が訪れる時、得も言われぬ輝きを放ちながら天空を巡るのが月。それぞれの動きを判断基準とした暦が発明されていることからも、太陽(陽)と月(陰)が陰陽説の判断基準の元になったのではないかと思うのです。前述した分類も、太陽と月から考えてゆくと、なんとなく納得してしまうものです。

 この陰陽説の分類の中に、時間(陽)と空間(陰)というものがあります。「時空(じくう)」とは、時間と空間とを合わせて表現する物理学用語です。難解な言葉で、調べてみると、ニュートンやらアインシュタインという名立たる物理学者の名が挙がります。この言葉は、自分のような素人には分かるようで分からない、分かれば物理学者なのでしょう。まさか!古代中国ではすでに「時空」の概念が存在し、陰陽に分けることで人々に周知させようとしていたのか?

 天才とはどの時代にもいるもので、時空の概念を陰陽説に取り入れたのかもしれません。きっぱりと否定はできないものの、陰陽説は紀元前の誕生したものであり、時空という概念があったようには思えません。では、時間と空間はどうゆう理由で陽と陰に分けられたのでしょう。推論の域を抜けませんが、これまた太陽と月が関わっているような気がするのです。

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 雲に覆われ雨の日であっても、夜半よりは明るいもの。東の空が白々しくなるころに目覚め、西の空が紅(あか)くなるころに仕事を終える段取りを始める。夜の帳(とばり)がおりてくる頃には、一日の疲れを癒すかのように憩いのひとときを過ごし、床に就く。連綿と続いてきたこの生活様式は、電球の発明によって活動時間が夜へ夜へと移りゆくも、多くの人々にとっては、昔よりも夜長を楽しむぐらいで、さほど変わらないのではないでしょうか。

 人間には、一日の生活リズムというものが「時計遺伝子」という形で細胞内に刻まれているといいます。これにより、自律神経の調整やホルモンの分泌、さらには臓器などの動きを掌(つかさど)り、生命と健康を維持している。これを我々は「体内時計」と言っています。面白いことに、この刻み込まれた体内時計の時間というものが、24.2時間なのだというのです。一日が24時間なために、日々を過ごすうちに「ズレ」が生じてくることになります。

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 では、人間はどのようにしてこの「ズレ」を解消しているのか?これを修正してくれるのが、太陽の陽射しなのだといいます。人間は、太陽の光を浴びることで、それとなく皮膚が感知し、体内時計の針を調整するのだというのです。生きとし生けるものには休眠が必要です。活動できる時間というのは限られたものであり、これにはもちろん個人差があるでしょう。10時間なのか12時間なのか?陽射しは、体内時計を○○時に調整するのではなく、限られた活動時間を始まったことを、体に指示をだしているのではいかと思うのです。

 天気の良い日中に野原でぐっすり寝ていても、睡眠不足は解消するかもしれませんが、疲れがとれることはなく、かえって疲労感にさい悩まされるという経験はないですか?これは、身体の細胞が活動を促されてるために、「休息」はできても「休養」にはいたらないということなのでしょう。どれほど長時間、陽射しの降り注ぐ中で昼寝をしても、ただたんに「休憩」にしかなっていないのかもしれません。

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 夜行性の動物でもない人間は、火や電気の明かりがなければ夜の行動は難儀なものです。太陽の恩恵で活動を始め、西の端に沈みゆく太陽をもって活動を収めてゆく。この活動時間は限られたものであるということは、前述した「時空」の概念よりも、日々体感しているからこそ大いに理解できるものです。太陽が我々に、活動の「時間」を教えてくれる、だからこそ「陽」なのでしょう。

 

 日中の活動を癒し明日への活力を得るために、食事や休息をとるのは陽(ひ)も沈んだころ。空には満点の星が姿を見せます。中でも、冴えるような輝きをはなつ月は、どれほど人々を魅了したことでしょう。日ごとに姿を変えながら、時として姿を見せない日もありながら、我々は月の姿を眺め楽しむことができ、直視することはできない太陽とは対照的です。

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 屋戸(やど)で食事をしながらの語らいは、今日の思い出話や明日の予定などでしょうか。ふと外を眺めると、庭の樹々が白々しい光の中に影を落としている。まるで白砂のような光に誘われるかのように、外に赴くと…満天の夜空をゆっくりゆっくりと横切る月を望むことができます。

 吸い込まれるような漆黒の闇がどこまでも続くかのような夜の空。星々が輝くも、月は他を圧倒するほどの光をはなちながらゆっくりゆっくりと暗天の中を移動している…。青天の太陽を仰ぎ見ることはできませんが、月は凝視することができる上に、その日その日で違う美しい姿で我々を照らしています。三日月、小望月(こもちづき)、望(もち)、十六夜(いざよい)、立待ち月、居待ち月、臥し待ち月…古人は月の姿に愛称をつけ楽しんでいたのでしょう。

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 誰に何かを告げられるわけでもない、月が何かを語るわけでもない、我々が月に魅せられてしまったからなのか、知らず知らずのうちに自分自身の人生を省み、未来に思いを馳せてしまうものです。人にとって憩いのひとときであるからこそ、心穏やかに月を眺め、想いに耽(ふけ)ることができる。心躍る思いか沈んだ思いとなるかは、その日の自分の行動如何によるかと。

 神々(こうごう)しく輝く満月の時などは、見続けているうちに手に届きそうにさえ思えてしまうものです。もちろん手が届くわけもなく、物干し竿でも遠く及ばぬところに月は存在します。さらに、星々はさらに遥か彼方(かなた)に…なんと自分は小さな存在なのか…そう思わではいられません。この空間を意識することで、自分の存在を認識でき、存在価値が見出せる。月は我々に、考える時を与えてくれているのでしょう。

 

あまのはら 雲ふきはらふ 秋風に 山の端たかく いづる月かげ  後鳥羽院

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 陽(ひ)が西の端(は)に姿を隠し、夜の帳(とばり)がおりてくる。澄みわたる青天の時とは違い、闇夜の空はいっそう深く広く感じる。秋風が雲を吹き散らし、舞台は整った。山の端より姿を見せた月は、得も言われぬ初々しさを感じるものです。ゆっくりゆっくりと中天へと向かうに従い、荘厳なる輝きが増してくる。

 後鳥羽院は、数々の名歌を詠い遺しているばかりか、自らが歌会・歌合を主催し、1201年(建仁元年)に新古今和歌集の編纂を下命(かめい)するなど、和歌の世界に与えた影響は計り知れません。しかし、なかなかの野心家であったようです。時は鎌倉幕府の治世、朝廷の政治力を高めようと画策。ついに、1221年(承久3年)に執権北条義時追討の院宣(いんぜん)を下します。世にいう「承久(じょうきゅう)の乱」の勃発です。

 しかし、時勢は鎌倉幕府にありました。幕府に動揺が走るも、北条政子のもとに集結。後鳥羽院が思いもよらぬ勢いで西進し、ついには京都を制圧します。これにより首謀者である後鳥羽院島根県隠岐の島へ、順徳天皇新潟県佐渡ヶ島へと配流(はいる)されるのです。この事件を機に、朝廷側は勢力を失い、武士の天下が到来するのです。

 朝廷の復権をもくろむほどの賢才の持ち主であった後鳥羽院が、勝算無くして挙兵などしないはず。院の誤算は、武士というものを見誤ったのではないかと思うのです。院宣は、確かに効果があり、東国の武士は動揺したでしょう。しかし、武士とはその土地を開墾し、生計を成り立たせたグループの代表であることを見落としていたと思うのです。

 平家物語141段「敦盛最後(あつもりのさいご)」の中で、組み伏せられ最後を悟った平敦盛は「汝は誰そ」と源氏側の武士に問う。「物その者で候はねども、武蔵国住人、熊谷次郎直実」と返す。「物の数に入る者ではございませんが、武蔵国の住人、熊谷郷の次郎直実(なおざね)」。関東一帯の旧名である武蔵国の住んでいる、熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)という地に田畑を領している、次男の直実であるという。かつて武士とはかようなもので、苦労して開墾した地をまとめる長が武士の始まりであり、見たこともない架空のような朝廷への忠誠心が無いわけではないですが、自らの所領を維持すること、大きくすることが大事であったはず。幕府は武士の集団だけに、このことをもちろんよく知っていたはずです。

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 今回ご紹介した後鳥羽院の一首は、言葉に端端に得も言われ威厳を感じさせます。いつ詠ったのか定かではないのですが、隠岐の島に配流されてから詠った歌には、もの寂しさや弱弱しさを感じるのです。きっとこの歌は、在京中の勢いあまっているころの作品でないかと思うのです。

 天の原とは、神々のいる天上界という意味もあります。秋風が邪魔な雲を吹き払い、山の端から見事な月が姿を見せる。月が空間を意味するのであれば、その空間とは神々の創り上げた日本国ということか。秋には、季節の意味の他に「実り」という意味も含まれる。後鳥羽院の朝廷復権という願いは、秋風が吹き払い、月が成就することを望むかのように神々しい輝きをはなちながら中天へ向けて昇ってゆく。後鳥羽院はどのような思い巡らせていたのでしょう。まったく推論でしかなのですが、意味深長な歌のような気がします。さて、皆様はどう思いますか?

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 無償に降り注がれる陽射しは、夏場であれば悪態の一言も漏れ出てしまうものですが生きとし生けるものにとって欠かすことができないものです。光の射す時間は一日の中では限られたものだからこそ、大切にしたいものです。ただ、太陽が我々の行動を急(せ)かしているのではなく、地球が自転しているために、昼夜という区別が生まれ、人類に休息と休養を与えてくれているような気もします。

 ここで人類と書いたのですが、動物の中で人間は長寿な生き物ではないかと思うのです。野生界では「寿命」という言葉などあってないようなものですが、動物園で飼育されている動物は、野生よりも平均的に長寿のような気がします。獣医師さんもいることも一因かもしれませんが、太陽が関係している気がするのです。

 人間は、陽射しによって体内時計がリセットされることは前述しました。他の動物も同じではないかと思うのです。しかし、野生は弱肉強食であり、気の緩みが命を落とすことになる。陽が昇り明るくなることは、生きるために食事を摂るためには都合がいい反面、捕食されるという危険と隣り合わせです。では夜は安心かというと、闇に活動する捕食者がいる。野生では、休息と休養ができないのでは。だから、動物園では長寿なのではないかと思うのです。

 太陽が降り注がれる中で昼寝をしても、睡魔は解消しても、身体は癒されないもの。陽射しを受け、体が活動するように脳から指示されているからなのでしょう。だからこそ、太陽が隠れる夜が、休息と休養には最適です。太陽によって、限られた活度時間を悟り、夜には安心して休める環境を整える。その環境を築くには精神の安定も欠かせません。心穏やかに月を眺めることで、今生きている空間に自分の存在を見出し、ゆっくりと人生を省みることで、新たな希望や夢を見ることができるのではないでしょうか。

 どれほど時が経とうとも、月の姿は今も昔も変わりません。歴史上の賢人も同じ月を眺めていたと思うと感慨深いものです。晩秋の夜長を、日ごとに姿を変える月を眺めながら、後鳥羽院へ思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか。そして、自分自身のことを思い直すにも、いい機会になるような気がいたします。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が終わりを迎えようとしています。その「辛」の字の如く優しい年ではありませんでした。しかし、時世は我々に新地(さらち)を用意してくれていた気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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