kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2022年4月5月Benoit 「エイヒレとグルノーブルとの出会い」を調べてみました。

Aile de RAIE à la grenobloise, épinards juste tombés

フランス産エイヒレのムニエル グルノーブル ほうれん草

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 2022年4月5月と月をまたぎ、ランチ・ディナーともにプリ・フィックスメニューの「シェフのお勧め」の枠内に名を連ねるメインディッシュです。日本では馴染みのない食材であるエイヒレを使い、グルノーブルというスタイルの調理方法で仕上げる、このフランスの伝統料理は、いまでもビストロの定番料理としてゆるぎない地位を獲得しています。バターに、ケッパーとレモン、そしてクルトンを加えるこの調理方法は、今もそのレシピは変わらず、好みによって分量が変わる程度のものといいます。ところで、この「グルノーブル」とは何を意味している言葉なのでしょうか。

 

 Grenoble(グルノーブル※以下、地名はアルファベット表記、料理名はカタカナ表記とさせていただきます。)は、フランス南東部に位置している都市で、Isére県の県庁所在地です。1968年の冬季オリンピック開催地としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ドラック川とイゼール川が街中を流れ、車で30分も走ったところには、3000m級の山々が峰を連ねるアルプス山脈が聳(そび)える、まさに風光明媚な景観とはここのことかと思ってしまうほどの美しさです。パリからTGVで約3時間、リヨンからは電車で約90分と大都市からのアクセスも良好ということもあり、夏の登山や、冬のウィンタースポーツを楽しむ観光客の玄関口となっているようです。

 2016年、フランスの地域圏(région)の再編が行われ、Grenobleのあるイゼール県は、オーベルニュ・ローヌ・アルプ地域圏という大きな枠に組み込まれています。それ以前は、ローヌ河の東側から国境となっているアルプス山脈までの地、ローヌ・アルプ地域圏でした。経済ではなく、地理として考えると、旧地域圏はその特色が現れており理解しやすいものです。

 アルプス山脈の麓(ふもと)は、緩やかな傾斜をもつ裾野(すその)が広がっており、昔から酪農が盛んだったようです。牛乳そのままでは日持ちがしないため、いかに栄養価を維持しながら保存性を上げるか。この地の人々が生き抜く上での英知の結晶が、トム・ド・サヴォアやグリュイエールなどの「山のチーズ」です。その名声は、今も色褪(いろあ)せることはありません。

 この「山のチーズ」の原料は牛乳です。山羊や羊も飼育しているとは思いますが、牛に比べて飼育頭数は微々たるものであり、ミルクの量も及びません。この豊富な牛乳からは、チーズばかりではなくバターも作られていたはずです。その地の特産が伝統的な地方料理に反映されます。石がごろごろしている地が多いために牛の飼育が難儀なプロヴァンス地方が、オリーブオイルを多用します。その北に面するGrenobleでは、平面上の地図ではお隣でありながら、容易に手に入るバターが、日々の食事の中で欠かせない食材になっていたと思うのです。もちろん、オリーブなど栽培できる環境ではありません。

 

 すでにお気づきかと思いますが、Grenobleは山岳都市。およそ海産物とは無縁なほどに地中海からは距離があります。そのため、魚料理といえばマス(truite)やヨーロッパイワナ(omble de chavalier)などの川魚を使ったものばかりであるということは、想像に難くはありません。淡水魚は、淡白な白身なだけに、バターで調理したほうが旨味とコクが加わり美味しいものです。

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 ふつふつと泡立つバターの中で、小麦粉をまぶした魚を焼き上げる調理方法は「ムニエル」といい、フランスでは一般的な調理方法です。牛の飼育が盛んな地であれば、潤沢にあるバターを使ったムニエルに、さらにアレンジされたスタイルが確立され、伝統料理として今もその名を残しています。その一つが、今回の「グルノーブル」。ムニエルした後に、レモンとケッパー、そしてクルトンを加えたものです。

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 ふっと疑問が頭をもたげる。料理名にグルノーブルと名前が入る以上、Grenobleが発祥の地であると考えても良いと思います。地方の伝統料理には、その地の特産が使われるからこそ、連綿と引き継がれてきた。そう考えると、Grenobleは山岳地域なので、日本でも西日本でしか栽培の適わないレモンや、地中海沿岸が主産地であるケッパーは、栽培することが不可能な食材です。

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 さらに、Grenobleから地中海へは南へ進めば一番近いとはいえ、直線距離でもほぼ180kmはある。しかし、南と東は峻嶮なる峰々が聳(そび)えているため、南の山塊を迂回するような道のりは、とても海から近いとは言い難いもの。エイヒレはGrenoble(街名)でグルノーブル(料理名)に出会ったのでしょうか?

 

 ここからの話は、自分の推論です。調べていった中で自分が納得のいくストーリーを書かせていただきます。あながち間違ってはいない気もするのですが、はっきりとした確証があるわけでもありません。フランス料理店に勤務している一スタッフの「ひとりごと」として、読んでいただければ幸いです。

 

 人々が集うことで村ができ、村どうしを繋ぐ道が作られ、その道によって人々が行き交うようになると、要所要所に町が形成されるようになります。村にしろ町にしろ、その地が受け入れることのできる人数の規模でしか発達しないものです。では、その地が受け入れることのできる人数制限は、何で決まるのか。以下の3点だと考えます。

  • 水の確保
  • 居住地の広さ
  • 人々を養う食料を得るための耕作地

 生きとし生けるものにとって必要不可欠のものが①であり、飲料水はもちろん、生活用水としても欠かせません。湧水や清流であれば喜ばしい限りですが、そこまで山奥に行くと、②と③が確保できなくなります。いかに②を確保したところで、人を養うほどの食料を得るための、耕作地を確保しなくては生活を続けることはできません。

 上記を全て満たすとなると、大きな町を造ることができません。そこで、食料を栽培する耕作地を周囲の地に託し、食料として運び込むことで大人数を養うことを考えたのです。これによって都市が誕生しました。都市には、水の道と、周囲から食料などの必要物資を運び込むため道が必要不可欠です。例えば大都市「江戸」には、墨田川に加え、飲用のため神田上水玉川上水という水の道があり、五街道という物資の道が整備されています。

 フランスに目を向けようと思います。以前、フランス本土の形をした型というかパネルというか、ついつい衝動買いしたものを思い出し、引っ張り出してきました。そこには、フランスの県名と県庁所在地の街名が印字されており、街の位置は小さな丸を穿(うが)っています。名立たる地名が並ぶフランス北部の画像が下です。黄色の丸で囲んだ街の名前は、右回りに上から「Rouen(ルーアン)」「Paris(パリ)」「Orléans(オルレアン)」「Blois(ブロワ)」「Tours(トゥール)」「Angers(アンジェ)」と、世界史に街名が登場するほどの主要都市です。

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 この地図の優れたところは、2枚組になっており、この2枚目には、川と標高の違いによって色変えをした山が印刷されているのです。そこで、重ねてみると…分かり難いですが、黄色の丸で囲んだ街名の位置を記した穴が、ものの見事に川に重なるのです。セーヌ川は、「Paris(パリ)」を通り「Rouen(ルーアン)」抜けてドーバー海峡へ。ロワール川は、古城で名立たる街「Orléans(オルレアン)」から「Blois(ブロワ)」へ、そして「Tours(トゥール)」に「Angers(アンジェ)」と通り、大西洋へと注ぎます。

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 では、フランス南西部へ。下の画像の上から時計回りに「Lyon(リヨン)」、「Grenoble(グルノーブル)」、「Avignon(アヴィニョン)」と、黄色の丸で囲みました。一見、何も関係ないように居並ぶ街ですが、川・山が記されている2枚目を重ねてみると…

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 見事にローヌ川と符合します。右上にスイスとの国境をなすレマン湖があり、その先にあるサン・ゴタール山塊に端を発する。山々にぶつかり迂回するように東から流れてくるローヌ川が、北からの支流ソーヌ川と落合う場所が「Lyon」で、そのまま南下して「Avignon(アヴィニョン)」を経由して地中海へと注ぎます。この両都市の中間に位置してるのが「Valence(ヴァランス)」の、少し北側で、ローヌ川は支流イゼール川と落合います。この支流を右往左往と上流へと向かうと、今回のテーマとなっている「Grenoble(グルノーブル)」の町に辿り着きます。ちょうどこの町が、イゼール川とその支流ドラック川が落合う場。

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 世界遺産となっている全長275m、高さ49mの巨大な橋ポン・デュ・ガールは、ガール川を横切るように架かる水道橋です。「Uzès(ウゼス)」という町から、人口が増えていった当時ネマウススと呼ばれた「Nîmes(ニーム)」までの約50kmにも及ぶ水の道の一部。およそ2000年前にローマ人によって作られ、6世紀頃まで実際に使用されていました。Avignonのすぐ左にNîmesの街があります。

 前述したように、人が集い生活を営むにあたり、水の確保がなによりも重要な課題でした。特に、ローマ時代には共同浴場のように、水を潤沢に使用することが何よりも富の象徴でもあったようです。日本のように多雨な気候ではないため、この水資源を確保するための一番の良策は、雄大な大河の脇に街を作り上げることです。清流ではないかもしれませんが、この水資源によって上下水道を備えることを可能にしました。

 そして、山間(やまあい)を抜けた川の流れは緩やかとなり、その川岸には耕作地に適した地が広がります。さらに、川を利用しての水運は、陸上輸送とは比べることのできない物資に輸送を可能としたのです。そのため、川が落合う場所や、人々が集うに適した開けた地に、街が形成されてゆきました。

 Lyon(リヨン)が「食の都」と評されている理由は、ローヌ川の水運を使うことで、海産物と陸産物の交易の地として最適な場所であったからと考えています。この町から北はワイン銘醸地であり、東西には酪農による乳製品や農産物の銘産地、さらに鴨やブレス鶏など家禽類も美味とくる。内陸の地でありながら、Morue(モリュ)という、塩干乾燥タラを使った伝統料理があることは、なによりの証ではないかと思うのです。そして、この交易は海産物に限らず、南フランスの特産品や国外からの輸入品にまで及んだはずです。食材に限らず、Lyonからは、絹織物も旅立って行ったことでしょう。

 全ての商人(あきんど)が、水運の良さに従いLyonへ行ったのでは、相場は下がる一方で大手には敵いません。そこで、野心家は考えた。大きな船では辿り着きにくい支流を上がっていこう、と。イゼール川を遡って進むと、そこにはアルプスのお膝元ともいえる地Grenobleがありました。彼らは、ここで山の幸と海の幸との交易に加え、南フランスの特産品も持ち込んだと考えると、グルノーブルという料理に必要なケッパーやレモンであることも、合点がいくのではないでしょうか。

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 ここから知っているようで知らない「エイ」の話です。

 魚類は、「無顎(むがく)類」と「軟骨魚類」、そして最も繫栄している「硬骨魚類」の3つに大別できます。軟骨魚類とは、体のすべての骨が弾力性のある軟骨でできた魚のことで、約5億4300万年前の古生代カンブリア紀に出現した魚類は、全て軟骨で体を支えていたといいます。その中で、顎(あご)の骨があるものとないものに分化する。無顎類の魚は、その字の如く、顎骨が無いため、丸口で吸いつくように捕食する至極原始的な体の構造をもっています仲間です。ほとんどが絶滅するなかで、ヤツメウナギヌタウナギが今なお生存し続けています。

 顎骨をもつものが軟骨魚類として進化を続ける中で、硬い骨で体を支える魚類が誕生しました。それが硬骨魚類です。その中にあり、我々に馴染みの魚群を真骨魚類と総称されています。日本人にとって、一部の熱帯魚以外で名前を耳にする、スズキやアンコウ、カレイにコイなど、ほぼほぼ全てがここに収まります。

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 しかし、今回のテーマであるエイは軟骨魚類に分類されています。その中でも最も分化され、世界に約450種、日本近海には70種が生息しているといいます。生息域も、沿岸域から深海底まで、さらには熱帯の淡水にまで及ぶのです。エイまで多種に及ばないものの、同じ軟骨魚類の中にサメがあり、このグループで最も繁栄しているのが、この2種です。

 魚類が魚類である所以は、水の中で呼吸するために「鰓(えら)」があること。水または海水は口から取り込みこまれ、鰓を通り、後方にある「鰓孔(えらあな)」から抜けてゆきます。よく見かける硬骨魚類は、体の側面に一対しかありませんが、軟骨魚類は数対をあります。そういえば、サメは両サイドに鰓孔がいくつかあるのが見て取れます。ではエイは?

 左右の両サイドではなく腹面、下側にあります。この違いが、「サメ」と「エイ」を分類する重要なポイントです。図鑑やネットで姿を見てほしいのですが、「サカタザメ」は前の半分がエイのようで、後の半分はサメのような姿をしています。「サメ」と名前がついていますが、エイに分類されます。それと、「カスザメ」は、エイのような姿をしていますが、鰓孔が側面にあるため、サメの仲間です。

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 硬骨魚類にはない軟骨魚類の特徴として、歯が次々に生え代わることと、楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる歯と同じ構造をもつ鱗(うろこ)をもつこと、浮き袋がないことが挙げられます。わさびを擦り下ろすために、鮫皮(さめがわ)を使うのも、この楯鱗だからこそ。硬骨魚類では、体内に浮き袋があり、ここに気体を溜めることで体重と同じ程度の浮力を得ることになり、上下左右にと水中を自由に動き回ることができるようになります。この浮き袋がないと、体は沈んでいく一方で常に体を海底から浮かせる力を維持し続けなければなりません。弱肉強食の自然界の厳しさの中、これほど余計な体力を消耗し続けていなくては生き抜けないと思うのですが…

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 そこで、軟骨魚類は生き抜くために体を進化させていった。浮き袋を手に入れることは生態的に無理だったのでしょう。彼らは尿素を身体(からだ)にため込むことで、自然淘汰の荒波を乗り越えてきた。いや、海の中でゆうゆうと潜(くぐ)り抜けてきたというのでしょうか。では、この尿素とは何ぞや?漢字から想像するに、なにやらばっちいものを想像してしまうのですが、動物にとって欠かせないものです。我々馴染みのハンドクリームの成分表をみると…肌の保湿には必要不可欠な成分です。

 人間を含めあらゆる動物は、活動のエネルギーを得るため、そして成長してゆくために代謝(たいしゃ)を行い続けます。タンパク質はα-アミノ酸に分解され体に摂りこま、代謝によって有用な成分と有毒なアンモニアを生成してしまう。このアンモニアは、血液によって肝臓に運ばれ、この臓器のオルニチン回路によって無毒の尿素へと姿を変えます。そして、余分な尿素は腎臓によって尿として体外に排出されるのです。

 魚類にとって、つねに水の中で生活するため、浸透圧調整が必要不可欠な能力です。海水魚の場合、自分の身体よりも海の塩分濃度が濃いため、体内の水分がどんどん抜けていってしまいます。反対に淡水魚は体内の塩分濃度の方が高いため、体内の塩分濃度下げるために水分がどんどん体の中に入ってきます。水棲生物でありながら、淡水魚が海水で、その逆も生きてはいけない理由はここにあります。

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 さあ、軟骨魚類が、この尿素を身体に溜め込む理由が、なんとなく想像がついたのではないでしょうか。決して肌の保湿のためではありません。尿素が海水よりも比重の軽いことを利用し、身体(からだ)に溶け込ますことで、硬骨魚類の浮き袋のように浮力を得ていたのです。さらに、海水と同じくらい濃い体液・濃い血液を作り出すことになり、浸透圧による体内の濃度調節の必要がないのです。硬骨魚類は、変化する体内の塩分濃度を、飲水や尿による塩分の排出によって維持します。軟骨魚類はその必要が無いため、ほとんど水を飲まないといいます。

 サメやエイの軟骨魚類にとっては生きていく上で必要不可欠な尿素が、捕食者である我々にはなかなかの厄介者でした。硬骨魚類は、死後数日も経つと生臭さがでてきます。しかし、サメもエイも美味しい魚でありながら、時間の経過とともに生臭さではなく、鼻をつんざくようなアンモニア臭を発するのです。なぜ?尿素は無味無臭なのに…理由は、微生物がこの尿素を分解してしまい、アンモニアに戻してしまうからでした。

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 サメもエイも鮮度が良いと美味しい魚です。このアンモニア臭は腐っているわけではなく、微生物のいたずらなため、魚自体の美味しさは変わりません。人によっては、このアンモニア臭の香りが美味しさを引き立てると言うのです。しかし、この香りはなかなか万人受けするものではありません。我々がサメやエイを美味しくいただくことを妨げている、一番の理由です。

 

 ところが、先人たちは、この厄介者のアンモニアを利用することを考えたのです。アンモニアのおかげで、軟骨魚類は腐りにくい!冷蔵技術の発達していない時代に、山間(やまあい)の村々で食べることのできる海の幸だったのです。今でも山陰地方の山間部では、「わに肉/わに料理」として名物のひとつになっています。

 お刺身としていただくにも、焼いていただくにも、やはり刺激のあるアンモニア臭が困りものです。「クサヤ」のように、慣れると病みつきになってしまうものかもしません。しかし、この香りが無くなることで、もっと馴染みやすい食材になるというものです。古人は多くのことを試したのでしょう。試行錯誤する中で、ミカンやユズ、そしてカボスのような柑橘に浸すのが効果的だと知ったのです。山陰地方の南側には瀬戸内海があり、まさに柑橘の宝庫。出会うべくして出会ったのでしょう。柑橘に含まれるクエン酸が、アンモニアと反応することで、クエン酸アンモニウムに変わり、臭みがなくなるのです。

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 料理とは、「理(ことわり)を料(りょう)るもの」であり、美味しく、安心・安全に食べるための知識であり技術です。鮮度の良い食材が多く手に入る地では、シンプルに生食や、焼く蒸すなどの調理で十分美味しくいただけます。しかし、生きるために食材を確保することが困難な地では、いかに保存して食いつないでゆくか。さらに、その保存食をさらに美味しく食べることができないかと、試行錯誤の後に見つけ出したものが、伝統料理として今も息づいているものです。

 エイは、地中海にも生息しています。プロヴァンス地方の港で水揚げされ、すぐに調理されてしまえば、そのまま美味しくいただけるのです。その美味しさを知っているからこそ、彼らは保存食に加工することで、ローヌ川を上った内陸の地へ運べないものかと考えた。冷蔵技術のない時代であれば、沿岸の民もエイがアンモニア臭を放つことを知っていたはずです。そして、誰かが口にしたのでしょう…臭いけれども、腐っているわけではなく、美味しいことに気がついた。これはいける!

 彼らは、エイばかりではなく他の食材とともにローヌ川を遡(さかのぼ)ったはずです。そして、食の都と称されるLyonに辿り着く。しかし、他の多くの逸材に埋もれてしまい、エイの魅力はかすれるばかり。そこで、支流を上がりさらに山間部へと向かうことにした。さらなる時間を要するため、多くの海産物は腐敗したことでしょう。しかし、エイだけはアンモニア臭があるが腐っていなかった。いや、アンモニアのおかげで腐らなかった!

 Grenobleは山岳都市です。かつては、山の幸は豊富でも、海の幸は皆無といってもいいでしょう。この街の人々が、水運によって持ち込まれたエイという食材に出会った時、アンモニア臭はするが腐っていない海産物を手にした感動は一入(ひとしお)だったことでしょう。彼らは考え実行したはずです、どうしたらこの香りを消せるのか…。答えは同じ船の積み荷にあったのです。南仏特産のレモン!もちろんレモンは柑橘でありクエン酸を多く含みます。日本の山陰地方の人々と同じことに着目したのです。

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 ここに「エイヒレグルノーブル料理」が誕生した。Lyonのように食材の宝庫では、この着想はなかったでしょう。しかし、この料理が美味しかったからこそ、Lyonのブション(ビストロの前身)と呼ばれるレストランでお目見えしたことでしょう。美味しいからこそ伝播してゆく。ついにはParisのビストロで、セーヌ川の水運がもたらしたエイヒレと出会ったことで、ビストロ伝統料理へと昇華し、今なおエイの料理として色褪せることはありません。

 Grenobleで発案されたグルノーブルという料理スタイル。当初の手順では、エイヒレにレモンを搾りかけてから小麦粉をまぶしてバターで焼いていたのではないか…なんの確証もないですが、ついついそう考えてしまうもの。今は、運送と冷蔵・冷凍技術の発展により、エイヒレアンモニア臭がないため、レモンを搾りかけるという手間が省かれているのではないか。

 今回のブログ自体が、自分の推論でしかありません。しかし、調べるほどに分かってくる事実を考えていくうちに、全てが紡がれていくことで見えてくるものがありました。確かに、史実にそった確証はありません。ただ、理屈が通る物語を書けたように思います。さて、皆様はどのように思いますか?Benoitで「エイヒレグルノーブル」という料理をお召し上がりいただきながら。思いを馳せることも一興なのではないでしょうか。

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com