kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2022年夏 Benoitの特選食材≪桃≫ 「岐阜県の亀山果樹園さん」のご紹介です。

 「飛山濃水(ひざんのうすい)」とは、見事なまでに岐阜県の地形を言い当てています。往古、彼の地には美濃と飛騨という2国があり、これが合併して岐阜県となります。もともと2国だったということは、あまりにも自然環境が違うことを示唆しているのでしょう。

 北部の飛騨地方は、標高3000m級の飛騨山脈を誇る山岳地帯。その山の麓(ふもと)に広がる裾野が、南部の美濃地方。この南北を貫くように川があります。北部の山々を源流とする数多(あまた)あるせせらぎが、落合い落合うことで川となり、海へそそがれる。木曽三川(きそさんせん)と呼ばれる、揖斐(いび)川、長良(ながら)川、木曽川の豊富な水資源なくして、美濃の肥沃な濃尾平野はありえません。

 かつては、急峻な山道は危険があり往来が難儀であったことでしょう。そして、ひとたび雨が続こうものならば、木曽三川が暴れ川になることもしばしばあったことでしょう。「飛山濃水」とは、そのような厳しい自然環境を揶揄するかのように使われていたようです。

 ところが、道路が整備され治水が施されることで、飛山濃水という環境が類稀なものであることを悟るのです。深山(みやま)が雨水を清らかなせせらぎへと変え、豊富に保水しているからこそ絶えることがありません。その水の流れは、悠久の時の中で山を削り岩を穿ち、自然美が極まったかのような景勝地を造り上げる。そして、あまりある水は肥沃な濃尾平野を潤すことで、美味なる農産物を約束してくれる。全てが飛山濃水の賜物であり、今では人々から羨望の目を向けられるようになるのです。

 さて、木曽三川の一つが木曽川であることは前述いたしました。この川は、長野県の西部の鉢盛山(標高2,446m)の南側を源流とし、長野県では南へと流れ、岐阜県に入ると西へと流路を変え、岐阜市の南側を通過した後に南へと向きを変え、木曽三川の他二つ長良川揖斐川に合流し、伊勢湾に流れ着きます。

 その木曽川には、美濃加茂市可児市境界で、北部から流れ落ちてくるかのように落ち合う川がある。飛騨山脈の山々と平原の集合体である乗鞍岳の南麓に端を発します。湧き出ずる「せせらぎ」が、山間(やまあい)をぬうように西へ西へと進みます。その流れも、高山市の久々野(くぐの)町で南へと向きを変え、御嶽山(おんたけさん)からの数々の流れと落ち合うことで勢いを増しながら、美濃加茂市まですすみ、木曽川へ流れ落ちる「飛騨川」です。

 流れ落ちる?高山市から美濃加茂市まで、直線距離では80kmほどです。しかし、両市それぞれの海抜が約800mと約80mということを考えると、80km距離で高低差720m、1km進むごとに90m下がる…1mで9cmという勾配で水が流れてくる。緩急はあるものの、水の勢いはなかなかのものです。この水勢があるからこそ、見入ってしまうほどに美しい渓谷の数々があるのです。飛山濃水の所以(ゆえん)たる荘厳たる山々の姿は、まるで緑の叢(むら)のようであり、その色調の違いの美しさに魅せられる。さらに、その山間(やまあい)を流れる川は、透き通らんばかりに澄んでおり、多様な表情を見せる岩肌を演出するかのように輝きをはなっているかのようです。

※画像は一番上から「笠ヶ岳」、ガイド同行が必須の「五色が原の森」、飛騨川の支流「馬瀬川」、七宗町(しちそうちょう)の「飛水峡」です。

 

 なぜ飛騨川をご紹介したかというと、今回ご紹介したい果樹園は、この川を上がった先にあるのです。濃尾平野の一翼を担う美濃加茂市から、この川と並走するかのように国道41号線が走っています。山々の稜線に沿うように進むこの国道は、今でこそ道が整備されていますが、かつては相当の難所だったはずです。しかし、この道からは、人々をして「岐阜百山」と称させた美しい山並みを堪能できます。四方に聳(そび)える峻嶮なる嶺(みね)が尾根をなし、雄大なる自然の造形美を堪能できます。

 国道41号線を北上するように、飛騨川の上流へ。先に書いたのは水の流れを追うように「川を下る」であれば、今度は道路をつかって「川を上る」ことに。なんと忙しい内容なのかと思いつつ、温泉で有名な「下呂市」を過ぎ、向かう先は高山市です。高山市は、観光ガイドで「飛騨高山」という表記で紹介されていることが多いのですが、やはり中心地は高山市の中心街でしょう。江戸時代から続く城下町の風情を、市民皆の努力によって保全していることで、「飛騨の小京都」と称されているのです。海外のガイドブックでは軒並み高評価、名高いフランスのガイドブックでは3ッ星です。

 高山市の南側で飛騨川の流れは、久々野町で西から南へと転じると前述しました。今回の訪問先は、この高山市の南に位置している久々野町に居を構える「亀山果樹園」さんです。

 標高750mの高冷地の大自然の中に2.5haの園地を有し、今は二代目園主の亀山忠志さんが陣頭指揮を執っています。甘く香り高い高品質の果実を皆様へお届けすべく、研鑽に励む日々。1年に一度迎える果樹の収穫は、6月のサクランボの収穫に始まり、8月に「モモ」、そして9月の「ナシ」、それを追うようにして12月までの「リンゴ」をもって終わりを迎えます。そう、彼にとってこの期間は休みなどあろうはずもなく、毎日畑に赴き、自然の機微を感じとり、果実の声を聴きながら、深い経験に裏打ちされた慧眼(けいがん)で果実の熟度を見極め、収穫に臨(のぞ)みます。

 標高の高さは、夏にもかかわらず昼夜の寒暖差を約束してくれます。ましてや、800m近い標高ともなれば、寒暖差はかなりのもの。これは、果実に大いなる甘みをもたらすのです。生きとし生けるものにとって共通していることは、「呼吸」によって酸素を取り込み、体に蓄えられた養分をエネルギーに変え、代謝として生み出された二酸化炭素を「呼吸」によって体外に排出します。ここに、植物特有の「光合成」が同時に行われるとどうなるか。降り注ぐ太陽の下では、呼吸によって消費する養分よりも、光合成によって蓄えられる養分の方が多くなるのです。

 動植物全てが、昼夜に関係なく「呼吸」をしていること、これが生きているということ。植物は、光合成によって養分を蓄える能力を持つため、陽の射すときは、養分の消費よりも貯蓄が大きくなる。陽が沈むと、呼吸によって養分は消費するのみ。この消費と貯蓄の差が、日増しに果実に蓄えられていくことで、養分に満ちた完熟の美味なるものへと姿を変えるのです。日照不足が、どのように影響するのかは、ご想像の通りです。では、昼夜の温度差は、どのように影響するのか。

 果樹の場合、昼夜に呼吸していることは前述しました。あまりある陽射しによって光合成が成され、養分を消費よりも貯蓄するほうが上回ることで、その過剰の養分が果実に包含されてゆきます。陽が沈むと、果樹は呼吸によって養分は消費するのみ。夜明けまでの間、気温が高いと樹は活発に活動することになり、低いと鈍るのです。この消費量が少ないということが大切で、余剰な養分が果実に多く残ることに。これを繰り返すことで、寒暖差のない地域よりも間違いなく、養分に満ち満ちた、つまりは美味しさの詰まった果実が実るのです。

 では、全ての果樹を標高の高い山に植栽すればよいかというと、そうではありません。それぞれに適した温度帯があり、寒すぎても暑すぎても成長を止めてしまうのです。これは人もまた同じです。動物の冬眠とは、厳しい寒さを利用し、体内の活動を鈍化させ、養分の消費量を抑えることで春まで乗り切ること。冬が寒くならなければ、冬眠することもできず、生きるエネルギーを得るために、さまよい歩くことになるのです。

 桃栽培の北限は、新潟県山形県のラインでした。「た」、このラインは過去形のものとなり、いまでは温暖化の影響で秋田県まで上がっているようです。暑ければ良いわけではなく、寒ければよいわけでもありません。亀山果樹園のある地は、本州中央に位置していますが、標高が高いこともあり「高冷地」と言われています。昼夜の温度差はあるものの、桃栽培においてはかなり厳しい自然環境であることは確かです。

 過去、2018年9月の台風21号と24号、特に24号の日本縦断の被害は深刻なものだったようです。早朝に果樹園の見回りに向かった時、惨禍な姿に変わり果てた樹々に、「ガックリ肩を落としました」と。「桃栗三年柿八年~」、実際には新植しても実を成すのに4~5年を要します。

 そして2019年では、4月は開花したにもかかわらず、冷害によって受粉せずに花を落とす「花ふるい」や結実不良を引き起こし、さらに6月には雹(ひょう)によって、緑果や葉が痛めつけられました。2021年は、春に霜が降りたことによって、新芽が霜焼けとなり枯死、収量の激減を招きました。さらに、予想だにしなかった台風の進路によって、実を落とすばかりか、樹自体にダメージが加わることに。追い打ちをかけるように昨年ほどではないですが今年も7月に長雨が続き、これによって日照不足に陥ったのです。

 農業は天候に左右されるばかりではありません。獣害もまた、深刻な被害をもたらします。他の桃産地であれば、イタチやタヌキにハクビシンという厄介者ですが、ここは山々に囲まれた風光明媚な大自然ゆえに、果樹園に姿を見せる動物たちの危険度が違い過ぎるのです。イノシシやシカの被害ばかりではなくクマまでもが、美味しい果実を目当てに園地を訪問してくるようです。

 この招かれざる珍客は、闇深き中を甘い桃の香に誘われるかのように果樹園に入り込み、たわわに実る美味なる桃を貪(むさぼ)り食らう、まさに食べ放題のように。丁寧に一玉一玉を味わいながらお召し上がりいただければ、少しは心穏やかになろうものを…

 しかし、野生はそう一筋縄ではいかないものです。熊は枝に寄りかかるように枝はバキバキに折られ、中途半端にかじった桃が点在している光景を目の当たりにした時には、怒りを通り越して、無感に襲われたように呆然と立ち尽くすのみなのだと。園地全体を囲うように柵を張り防御しようとするも、この彼と動物のせめぎ合いは、いまだ終わりを見せようとはしておりません。

 それでも、「農業は自然相手です。」と言い切る亀山さん。抗しがたい自然に辛酸を舐めること幾度となく。「厳しい」と簡単に書くことができないほどの試練に直面しながら、「自然災害に負けない安定した収量を確保する為の対策も考える良い機会となりました」と、前向きなコメントが届きます。自然の厳しさを克服するのではなく受け入れるのだと。なぜ、亀山さんは「諦める」という選択肢を選ばないのか?

 亀山忠志さんが幼き頃より、この果樹園で素晴らしい品質の桃が実を成すことを、毎年のように見ていたからです。厳しい自然環境であることは百も承知。それを乗り越えた先には、最初の一口の出会いの瞬間(とき)に「香り」「甘さ」「食感」に感動していただける逸品との出会いが待っていること身をもって知っているのです。

 この果樹園は、彼のお父様である亀山烈(いさお)さんが一代で築き上げました。開拓と同時に栽培ノウハウの試行錯誤を繰り返す日々だったことでしょう。しかし、彼もまたこの地で美味しい桃が実ることを肌身で感じていたはず。妥協することなく「美味しい桃」を実らせることを追求する弛まぬ努力が、父烈さんを「飛騨美濃特産名人」の認定へと導きました。そして、そのノウハウと心意気はそのまま息子さんの忠志さんへ引き継がれるのです。

 桃名人と称される父を持ちながら、「さらなる高みへ」という志は今なお衰えを見せません。栽培に関しましては、有機質肥料を主体とし養分の微量要素のバランスも考え、食味の良さ、栄養価の高い実を成すように。そして、農薬の使用は最低限に抑え、安心して皆様がお召し上がりいただけるように。彼は「努めています」と短い言葉で話をまとめていますが、弛まぬ努力と途方もない手間暇を必要としていることを忘れてはいけません。そして、まだあまり認知されておりませんが、岐阜県GAP(農産物の安全を確保し、より良い農業経営を実現する取り組み)を実施しており、2020年9月には県から認定されています。

 

 数々の試練を乗り越えながら桃栽培を続けることに、「桃名人」と称される父の存在は、どれほど心強かったでしょうか。家族という絆は、「優しさ」とは違う深い深いつながりであり、厳しさの中にも「子思う愛」がある。反面、「桃名人」の後を継ぐことに、忠志さんに気負いはなかったのか?ご本人に聞いてみました。

 「正直なところ、若い頃は農業を継ぐ気はありませんでした。営業という仕事が楽しくて、黙々と農作業をこなすという事が自分には向いていないと思っていたからです。」と、今の後継者不足による農業の衰退を思えば、至極まっとうな考えだと思います。そして、農業を生業とはしない進路を進みます。

 しかし、「父親が一代で築き上げてきた職業を、長男である自分が無くしてしまうことに対して申し訳ない気持ちが、心の中にありました。」と当時の心情を吐露してくれました。

 長男が継がなくてはならない、という考えは今や昔の話であることを、父である烈さんは感じていたのでしょう。家族での会話の中で、「継いでほしい」と思いつつも無理強いはせず、農業以外の進路に反対をしなかった。農業とは、自然に左右される不安定なものである、苦労と危険をともなうものを肌身で感じているからでしょう。息子には息子の人生がある。

 この亀山果樹園存続の危機ともなる、この親子の決断が大いなる好機を導きました。「作業を手伝っているときに、ふと分野が違うだけで果物も商品だと思った瞬間があり、自分で作った物を自分で売る事もできるのだ!と思った時に、農業に対しての自分の中の思い込みが無くなり、視野が広くなった気がしました。」と、忠志さん。亀山果樹園の歴史が動いた時です。

 若かりし頃は、暑いわ重いわ疲れるわと、悪態をつきながら農作業の手伝いをしていたはずです。栽培しているこだわりの農産物が、あまりにも身近であったために、価値が分からなかった。それが、農から離れることで、父によって育まれたものが、どれほどの逸品であるかを知る由となるのです。父親の背中を見ながら成長しながら、その大きさを実感した時です。

 さらに、営業という職業を社会人として経験したからこそ、「自ら育てた逸品」を、「自ら販売する」という発想を生み出しました。日本全国に、桃の名産地が多々あるなかに、亀山果樹園としての販路を見出すことに、楽しみを見出したのです。そして、苦労を厭わず誠心誠意を込めて収穫したものを、自ら販売することで、我々消費者の声を聴くことができた。溢れんばかりの笑顔で「美味しい」と声は、職人冥利に尽きるというものです。

 忠志さんが「亀山果樹園を継ぐ」と心に決めると同じくして、父の偉大さを気付かされることになります。「桃名人」の称号は、生易しいものではありませんでした。

 「プレッシャーは、ありました。絶対、比較されると…。」と。圧し潰されそうな重圧の中で、「それが逆に良いプレッシャーとなり、息子の代になって落ちたねと言われないよう、常にお客様に喜ばれる果物を作ろうという、強い向上心へと変わりました。まだまだ未熟ですが…」。慢心ではなく、未熟という気持ちが大切なのです。

 自然の機微を捉え反映しながら栽培方法を臨機応変に変えなければならない。この難しさは、経験に裏打ちされたものであり、マニュアル化はできません。父である烈さんの桃は美味しかったことでしょう。まだ父の桃を越えられない、と心の中で感じているかもしれません。経験を知識で置き換えることはできないが、補うことはできます。忠志さんの桃栽培とは、父のノウハウを踏襲しつつ、父とは別となる高みを目指しているのです。「妥協」を知らない彼には、一生「学び」がつきまといます。一段上れば、さらに上にもう一段。階段のように連なる先に、彼の追い求めるものがある、そう信じながら。

 「亀山果樹園 亀山忠志です。大自然に囲まれた果樹園の中で、季節を感じながら果物作りを楽しんでいます。農業は、天候に左右されやすい一面もありますが、お客様に、今年も美味しかったよ!と言っていただけるよう、努力と勉強を重ねていきたいと思います。」

 昨年の2021年、お盆を過ぎたあたりのことです。亀山さんから「昭和白桃」収穫予想日の連絡が入りました。そして待ち望んだその当日に、「もう3日ほど待たせてほしい」との連絡が入ります。「桃の追熟で桃の持つ甘さが増すわけではなく、もぎ取る前に十分に桃に糖分を蓄えさせてほしい。」と亀山さんが教えてくれました。

 Benoitへは中途半端な桃は送れない、発送が遅れて迷惑がかかることは十分承知しているが、桃農家としいて妥協はできない。語らずとも、ひしひしと伝わる彼のプロとしての意気込み。桃の重みが違う…これほどまでに想いの詰まった彼の桃が美味しくないわけがありません。

 2022年、あまりにも早い梅雨明けによる水不足。そうかと思えば、線状降水帯による局地的な大雨と、荒れた天候が続きました。亀山さんの果樹園のある岐阜県も例外ではありません。しかし、標高が高いために他地域よりも収穫期が遅くなることが幸いしたのです。7月の雨は恵みの雨となり、8月に日照時間を十分に確保できたのです。

 亀山さんの言葉の端端に表れる、自信と喜び。いただいた画像には、素敵な笑顔の姿が写っています。1年の集大成である収穫を無事に迎えることのできた安堵なのか、納得のいく美味しい桃へと育てることのできた喜びなのか。はたまた、照れ笑いなのか。さて、皆様はどう思われますか?

 

 遅きに失した感は否めませんが、6月半ばからBenoitへご尽力いただいた桃栽培者の方々を、ご紹介させていただきます。南は熊本県から、北は山形県まで。桜前線ならぬ桃前線の北上を追うようにBenoitに届く桃は、どれもが素晴らしい逸品でした。悪天候のため品質ままならず、栽培者の「Benoitへ送る品質ではない」との判断から、出荷断念と涙を呑むこともありました。

 それぞれの桃栽培者の方は、「美味しい桃を育て上げる」という志は同じでも、そこに辿り着く道のりが違うため、桃畑の姿が違います。旅行をするようにお楽しみいただけると幸いです。

 

 和歌山県紀の川市桃山町。自分が初めて桃の産地直送に踏み切ったのが、豊田屋さんとの出会いでした。半農半医という栽培を担う豊田さんには、多くを学ばせていただきました。無謀とも思える「無農薬栽培」に果敢に取り組む姿には感銘を覚えます。彼よりいただいたメッセージが心に響く…

kitahira.hatenablog.com

 

 桃探しも南へ南へと向かい、辿りつた先が熊本県の西川農園でした。お父様の代までは主力産物はメロンでした。しかし、現園長である西川さんが引き継ぐと同時に一念発起し、桃栽培が始まります。「園長?」、そうここに西川さんの桃栽培に対する思いが詰まっています。

kitahira.hatenablog.com

 

 香川県の大西さんは、桃名人の名声を得ながら、「桃が美味しくなるのを手伝っているだけです」とさらり語る。そんなわけはない!彼の桃に対する愛情は並々ならぬものがあり、夜中でも桃畑のお世話のために山に入る。齢80歳、とうとう今期をもって桃栽培は引退するという…

kitahira.hatenablog.com

 

 桜前線と同じように、桃前線も北上してゆきます。Benoitが桃を購入させていただいている北限は山形県にあるタキグチフルーツガーデンです。本来であれば、他の桃農家さんのように滝口さんをご紹介しなければいけないにもかかわらず、簡単なご紹介しか書き上げることができませんでした。自分の怠慢によるもので、決して書くに足らない栽培者というわけではありません。短いですが、滝口さんの「こだわり」をご紹介させていただきます。

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滝口さん、申し訳ありません。この場をおかりし、深く深くお詫び申し上げます。

 

 秋になり、初めて感じる涼しさを「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」というようです。温度計という便利なものがあるために、数字というものに縛られてしまい、体感できる涼しさを忘れてはいないでしょうか。ヒグラシの声はもちろん、夜な夜な奏でるスズムシやコオロギの音色もまた忘れてはいけません。そして、秋の風は、秋の薫りも運んできます。ここはひとつ、文明の利器を遠慮し、五感を利かせて秋を探してみるのも一興ではないでしょうか。そして、秋の味覚が恋しくなった際には、足の赴くままにBenoitへお越しください。深まり行く秋と歩調を合わせるように、旬の食材がメニューをもって皆様をお迎えいたします。

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com