kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

「熊本県天草の柑橘」今まさに旬なリ。

 ご実家が、農業を生業としている方からメールをいただき、「昨日(4月19日)はお米の種まきでした」と教えていただきました。お父様が苗代(なわしろ/なえしろ)をこしらえて、種籾(たねもみ)を蒔いたようです。きっと、苗の芽吹きを待ちながら、田起こし、畔づくり、さらに田水の引き入れと、お父様は多忙な日々を過ごされているのではないでしょうか。そして、メールの最後には、こう記されていました。

「人間の様子とは別に、自然は季節を着々と進めていますね。」

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 「旬の食材には、今我々が欲している栄養価が満ち満ちています。」とは、自分の口癖のようなもの。春野菜には、ほろ苦さがつきもので、これは冬の間に眠っていた体を目覚めさせるためだと。対して秋野菜は、これから迎える冬ごもりへ向け、栄養価の高いものが多いといいます。旬の食材は美味しいばかりではありません。

 と、いつもであれば、ここで特選食材を使用した料理やデザートをご紹介するのですが、残念ながら今春はそうもいかないようです。ただ、このまま旬の食材を見過ごすこともままならず、Benoitで購入していた、購入予定であった食材をご紹介してゆこうと思います。生活必需品をご購入の際などに、スーパーや八百屋さんで見かけた際の、参考になれば幸いです。

 

 今回ご紹介する産地は、熊本県熊本市の南西に位置している宇土半島。その先にある大小120の島々からなる天草諸島(以下「天草」と記します)です。この天草の「大矢野島」「天草上島」「天草下島」の大きな3つの島と、大矢野島の南東に位置している「維和(いわ)島」が今回の主産地。海沿いからゆるりと広がる山裾(やますそ)に、たわわに実るのが今回の特選食材「柑橘」です。

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 上記4つの島は、橋で結ばれるも、島だからこその輸送の不便が付きまといました。そこで、それぞれの島の山路(やまじ)を利用した広域農道が整備されたのです。そして、今回の特選食材にちなみ、こう名付けられたのです。

「天草オレンジライン」

 天草上島ほぼ中央に聳(そび)えたつ、天草最高峰の682mを誇る倉岳(くらたけ)山。その頂(いただきに)に、五穀豊穣と航海の安全を祈願する倉岳神社が祀られています。この鳥居は「天空の鳥居」と呼ばれ、天草の美しい島々を一望できる絶景ポイントです。

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 海から延びる山の端(は)をご覧いただきたい。目を凝らすと、たわわに実るミカンが…見えることはないですが、いかに輸送が困難かを物語っています。「天草オレンジライン」は、この倉岳山を含めた峰々の山間(やまあい)をぬうように進みます。

 

 ここで柑橘類を少しばかり学術的な観点から分類してみようと思います。柑橘属(ミカン属)の中に、ミカン類、オレンジ類、グレープフルーツ類などの8つの「類」が区分けされています。ちなみに、レモンは香酸柑橘類に組み込まれています。「香酸」とは、なんと分かりやすいことでしょうか。

 今回ご紹介する柑橘は、熊本県を代表する3種。しかし、それぞれがタンゴール類、ブンタン類、雑柑類に分けられているのです。タンゴール類は、ミカン類とオレンジ類の雑種群の総称のこと。ブンタン類は、まさに文旦の仲間のこと、ザボン晩白柚(ばんぺいゆ)などが加わります。雑柑類とは、なんとも「雑」な表現ではりますが、類縁関係が不明確で、その系統の種類しかないもの、日本は柑橘王国なのか、この雑柑類が意外に多いのです。

 

 最初にご紹介したいものは、まさに今食べずしていつ食べるという、「不知火(しらぬい/しらぬひ)」です。「清美」と「ポンカン」の交雑種で、大ぶりながら、果皮が薄く甘みが強いのが特徴で、柑橘属タンゴール類に分けられんます。画像を見るに、この凸っている姿から、「デコポン」と皆様お思いかもしれませんが、これは「不知火」です。

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 不知火とデコポンは、これほどまでに酷似している姿にもかかわらず何が違うのか?実は同じといえば同じもの。「不知火」の品種の中で、JAが定めた糖度と酸度をクリアしたものが「デコポン」です。では「デコポン」が優良品種なのか?そうとも言えますが、そうでないとも言えます。この2つの名称を、数値によって分けることは、我々消費者には分かりやすく、斬新な試みだと思います。だからといって「不知火<デコポン」ではありません。消費者から見れば、デコポンの方が品質に安定感がある。しかし、不知火の中には「デコポンを凌駕する品質のものもある」ということです。

 もともとは、長崎県島原の農業試験場で誕生したものの、見た目の凸などの理由から、栽培には至りません。それが、島原湾を横切るように対岸の宇土半島に苗木がもたらされ、不知火町が栽培に着手したのです。もともと甘夏の産地だったこともあり、見事なまでに美味なる柑橘に育て上げたのです。そして、町の名前から「不知火」と名付けられます。

 宇土半島の付け根南側、八代(やつしろ)海の最北端に位置している不知火町。この地が生まれた柑橘「不知火」が、柑橘に恵まれた環境下にある天草へ伝播してゆくのに時間はかかりませんでした。そして、日本を代表する銘産地へ成功してゆくのです。熊本県の不知火(デコポン含む)出荷量は、全国一を誇ります。

 熊本県は、「不知火」発祥の地。彼らには不知火を世に生み出したプライドがある。だからこそ、中途半端な不知火は出荷いたしません。天草の柑橘を購入し始めたのは4年前のこと。毎年のように繰り返される暖秋暖冬の影響下で、「天草の不知火」の美味しさの安定感には、ただただ驚くばかりです。

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 熊本県産「デコポン」も市場にあります。ここで、ひねくれものの自分がふと思う。「不知火」発祥の地でもある熊本県天草で、「デコポン」を名乗る理由が見つからない。言い換えると、熊本県産で「デコポン」名乗るには、何か理由がある。不知火として勝負する自信がないためにデコポンの名を利用するのか?何はともあれ、天草の不知火は美味であることに間違いはありません。

 

 自分が「フルーツ」探しを本格的に始めた頃、Benoitに熊本県出身の仲間がいました。そこで、彼に「今の時期(春)で熊本県特産の柑橘はないかな?」と聞いたところ、「不知火ですかね。特に他には思いつきません」との返答。これほどまでの柑橘王国にも関わらず、それはないだろうと別ルートで探しに探し、出会えたものが、2つ目の柑橘、「パール柑」です。

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 彼に「ほら、届いたよ」と自慢すると、「あ!パール柑じゃないですか」との返事。知ってるのであれば教えてくれよ、と思うものの、彼にとってあまりにも身近な柑橘だけに、特産だとは考えなかったようなのです。そう、自分の聞き方が間違っていました。「いつもどんな柑橘をこの時期に食べているの?」

 かつて、日本原産の柑橘フルーツのことを、「橘(たちばな)」と総称していました。一年を通して緑美しい丈夫な葉を成すことから、不老長寿の象徴でもあったようです。その中で大きな実を成すことから名付けられたのでしょう、「大橘(オオタチバナ)」です。ミカン属ブンタン類に与(くみ)し、宇城・天草地域の特産で、「天草文旦」とも呼ばれていますが、現地では宇土半島天草諸島を結ぶ天草五橋(パールライン)にちなみ、「パール柑」という名前で親しまれています。

 輝くような黄色のぽちゃっとしたまん丸の可愛い姿をしており、グレープフルーツを想わせるような爽やかさ、甘さと酸味の見事なまでのバランス、特筆すべきは放たれる芳しい香りです。心地よく爽快な黄色い柑橘特有の香りは、手の取った指にまで残るほど。これまた、今まさに旬を迎えている熊本県を代表する逸品です。

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 食後の果皮は、砂糖漬けも良いですが、お風呂に入れることで、夢心地なひとときを過ごすことができます。目を閉じれば、潮騒が聞こえるやもしれません。

 

 さらにもう1種類、これから旬の盛りとなる、今期の天草産柑橘の最後を飾る「天草晩柑(あまくさばんかん)」です。ミカン属の雑柑類の属する、謎多きことも魅力の一つでしょうか。1935年に、熊本市で偶然発見され、大矢野島を中心に植栽されています。

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 ジューシーオレンジと呼ばれるほど、ほどよい甘さと酸味の果汁をたっぷりと含むうえに、下の画像の左下のひときわ大きな玉が、天草晩柑です。画像右下が不知火なので、その大きさがお分かりいやだけるのではないでしょうか。画像上のパール柑とは違い香こそ地味ですが、グレープフルーツのような姿ですが、独特なほろ苦さはなく、甘みと酸味の得も言われぬ上品な美味しさには、天草の柑橘の最後を飾るにふさわしい。海岸近くの浜風あたり温暖な地で、太陽の恩恵を十二分に受けた晩柑は特に美味といい、熊本県産の約90%が天草で栽培されているといいます。

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 ここまで天草の特産をご案内しながら、彼の地をこのまま去るわけにはいきません。しかし、いまだ終息の見えないウイルス災禍に対し、今我々にできることは家にいること。そこで、一般社団法人天草宝島観光協会の助けをお借りし、皆様を少しばかり天草観光へ旅心地へご案内させていただこうと思います。

kitahira.hatenablog.com

 

 いまだ終息の見えないウイルス災禍です。皆様、無理は禁物、十分な休息と睡眠をお心がけください。旬の食材には、今我々が必要としている栄養に満ち満ちています。免疫力を高める意味でも、旬の食材を食し、この危機を乗り越えてゆきましょう。我々ひとりひとりの行動が、この未曾有のウイルス災禍を「収束」へ向かわせ、必ず「終息」するものと信じております。そう遠くない日に、笑いながらお会いできることを楽しみにしております。

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

完熟キンカン「たまたま」がたまたま教えてくれたこと。

 フランスのレストランはどのような組織になっているかということを少しばかり書いてみようと思います。耳慣れた言葉の中に「ソムリエ」や「パティシエ」があり、特にソムリエはそれだけが独り歩きをしている感すらあります。もともとはワインを専門にするサービス係のこと。

 さて、日本では調理長が全てを管轄していることが多く、「親方」がサービスも料理もすべての決定権を持っています。和食以外でも、オーナーシェフのお店は同じことです。

 フランスでは、総支配人が全てを統括しながら、その下に「シェフ」、「シェフパティシエ」「メートル・ド・テル(サービス責任者)」と「シェフ・ソムリエ」が、横並びに位置しているようなもの。お互いに余計な干渉はせず、自らの担った責務を果たすことで、他に貢献するのです。それらの責任者の元で、それぞれが独立した部門として成り立っています。

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 Benoitも例外ではありません。調理場の衛生管理を含めた責任者として、シェフはパティシエも管轄しています。しかし、完成形のデザートの確認はしますが、アドヴァイスはあったとしても、試作段階であーだこーだと過度に干渉することはまずありません。Benoitの場合は、シェフパティシエは環太平洋を統括しているエグゼクティブシェフパティシエと試作を重ね、デザートを仕上げていきます。料理の場合はもちろん、フランスにいるエグゼクティブシェフとの協議です。

 

今回の主役は「完熟キンカン」のお話です。

 日照時間や快晴日数が国内屈指の宮崎県。県内の柑橘栽培が沿海部に集中している中で、今回は内陸の地、宮崎市から西へ進んだ東諸県郡の綾町から送っていただいています。ここは、町の約80%が森林で、名水百選にも選ばれる水源を有するなど自然豊かな環境に恵まれているうえに、すでに30年以上も前から町全体で有機農法に取り組んでいる地なのです。

 見た目に美しく効率よく大量生産をめざす飽食の時代に、まさに逆行するかのような行動に出たのが、当時の綾町の町長でした。彼の英断は、今でこそ当たり前の農法も、当時は賛否両論だったはずです。反発して町を出てゆく人もいれば、賛同して転入してくる人もいる。それでも、ひたに有機農法を実践し続けたことで、今の名声を得ることができたのです。宮崎県綾町の詳しいご紹介は、同じく同県特産でもある「日向夏」の時にお話させていただこうと思います。

 彼の地より、届いている、いや「届いていた」という食材が、完熟まで収穫を待ちに待った「完熟キンカン≪たまたま≫」です。皮が薄く、完熟まで待ちに待つことで、十二分な甘さを内包したキンカン。綾町の徹底した減農薬有機農法、ノーワックスでBenoitに届いた「たまたま」は、そのまま口にすると、得も言われぬ甘さとほろ苦さのバランスに驚嘆することでしょう。

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 さあ、このキンカン、すでに収穫も終わっています。では、なぜこのタイミングでキンカンの話なのか?自分が、調理場内の職人としての彼らの仕事ぶりを知ったきっかけになった食材だったのです。本当はもっと早くのご案内したかったのですが、今回の「新型コロナウイルス災禍」のため、後手後手に回ってしまいました。ただ、闇に葬り去るわけないため、時期がずれたのですが、ここにご紹介させていただきます。

 

 Benoitは、皆様すでにご存じかと思いますが、ラ・ポルト青山ビルの10階と11階を占有しています。11階はレストランスペースで、10階がキッチンです。入口が10階にあり、皆様がBenoitのお越しいただき、お召し物などをお預かりする場所が、ちょうど料理とデザートを担うキッチンスペースの境目にあたります。

 正面向かって左手に酒の神バッカスがおり、こちら側が料理を担うキッチン(キュイジーヌ)。反対側の、ガラス越しに中を覗くことのできる場所が、デザートやパンを担うキッチン(パティスリー)です。この両者を分けているのが、ウォークインの冷蔵庫と冷凍庫。そう、全ての食材はここに保管されるのです。

 当初は、パティシエールの田中から、「美味しいキンカンある?」との相談がありました。相談とは響きがいいですが、「あるでしょう➔よろしく」との意味が含まれていることを忘れてはいけません。このプレッシャーが無ければ、宮崎県綾町に完熟キンカン「たまたま」には出会わなかったことでしょう。

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 収穫期を待ち、早々に購入した完熟キンカンが、Benoitに届きます。柑橘とはいえ、鮮度を維持したいがために、保管場所は冷蔵庫です。すると、キュイジーヌのシェフである野口が、食材管理の観点から、このキンカンを一口ぱくりと。すぐに、自分へ一言、「どれほどの量を、そしていつまで購入できる?」と。

 今まで、キュイジーヌとパティスリーで同じ食材を使うことはありました。しかし、今回はキンカンという同じ食材に加え、「コンフィ」という名前で、メニューに入ってきたのです。2月~3月の期間、料理では前菜としてフォアグラの脇に、そして柑橘のクープというデザートの中に入っていました。4月~5月は、ホワイトアスパラガスの前菜に添えられます。

 この「キンカンのコンフィ」が美味しいのです!間違いなく美味しいのですが、今回はそのお話ではありません。

 

 「コンフィ」とは、調理方法のことを言います。昔の冷蔵庫が無かったころ、いかにして食材を保存していこうかとの古人の英知の結晶ともいえるもの。食材を脂の中で煮るように仕上げ、そのまま冷ましてゆくと、油の中なので食材が空気に触れることがなく、酸化しません。そうすることで、保存ができるようになるのです。さらに、油だからこそ旨味を逃がしにくく、低温でゆっくり調理することで、肉が硬くならないのです。「鴨のモモ肉のコンフィ(confit)」は、この典型でしょう。

 では、キンカンを油で煮るのか。さすがに、油で煮たフルーツは誰も食べたくはないでしょう。フルーツの場合は、バイ菌が悪さできなくなるほどの、極々甘いシロップで煮ていったもの。大分県の特産である「ザボン(柑橘)果皮の砂糖づけ(confiserie)」やジャム(confiture)などです。昔は保存するため、甘く甘くジャムを仕上げます。

 

 日々の自分の日課ともなっていることは、料理やデザート情報を集めるために、カメラ片手に足繁くキッチンを訪問します。Benoitの調理人は、アラン・デュカスの下で働きたいという有志のメンバーばかりです。言うなれば、それ相応に経験を積んできたからこそ、その心意気が強いのでしょう。巨匠から見れば、「まだまだ」かもしれませんが、自分のような素人から見ると十分すぎるほどの腕を持っています。

 彼らにとって、当たり前だと思われていることが、自分からすると大いなる発見が多々あり、これが調理の「こつ」なのだと考えています。料理レシピ本を見れば、誰でも作れるのかといえば、きっと皆様も経験があるかと思いますが、全く別物に仕上がることがあります。この、行間に隠された「こつ」が、意外にも大切なことであったりします。

 しかし、この「こつ」というものが、料理を志す人にとっては、極々当たり前のことであり、文字として書き記すまでもないのだと考えているのでしょう。このレシピ本の行間に隠された、隠しているわけではないのですが、「こつ」を悟るのです。Benoitシェフ野口は、Benoitブランドの伝統的なレシピを読みながら、Benoit東京の器材や食材で可能な工程をイメージするのでしょう。そして、家との違いは、皆様のご希望のタイミングと量を測りながら仕込みの段取りを考えているのです。

 話がそれましたが、シェフやシェフパティシエはもちろん、調理人とはやはり「料理の理(ことわり)を料(はか)る」プロフェッショナルなのです。新しい料理については、説明を受けるのですが、「こつ」というものはあまりにも彼らにとって当然のことであり、語りません。素人の自分も知らないため問いません。

 確かに、十分詳しい説明を受けるので、それで充分です。しかし、自分などが気付かない中で、寡黙に作業を続ける中にその「こつ」があり、それを知ることで料理の説明に深みがでると考えています。その「コツ」は、知らなければ問うことができません。そこで、迷惑がられることを百も承知な上で、足繁くキッチンへ通い、作業工程を覗きに行くのです。

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 と3月のある日のこと。デザート用に、「完熟キンカン≪たまたま≫」を、コンフィに仕上げるというので、カメラ片手にキッチンへ赴きました。Benoitでは、ヘタを取ったキンカンを、甘さを控えたシロップを加えた後にパック詰めし、低温調理を施します。この調理方法によって、「たまたま」の持つ風味を損なうことなく、ほのかな甘みを加えることでキンカンの美味しさを最大限に引き出します。

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 そのまま、他のネタを探しに、料理を担うキュジーヌ側の調理場を覗きにいくと。偶然にも、「キンカンのコンフィ」を仕込んでいました。バットに入れられた、袋詰め前の状態のキンカンの山。よくよく見た時に、「え?」という声が口から洩れたのを覚えています。そのキンカンの山の画像は下です。皆様、違いに気付かれましたか?

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 シロップの甘さに多少の違いはあるものの、袋詰めの低温調理は同じです。何が大きく違うのか?袋詰めにするキンカンの姿です。デザート用では、ヘタだけ取って丸のままコンフィへ、種はその後に除きます。料理用では、ヘタ取って半分に割り、種を取ってからコンフィへ。なにやら、言葉遊びのようですが、この工程の違いには理由がありました。

 デザート用では、他の不知火(しらぬい)とパール柑という美味なる旬の柑橘と、器の中で競合しなくてはなりません。そこで、果皮の食感を生かしながら、キンカンの風味を最大限に生かしたい。対する料理用では、3月末まではフォアグラの滑らかさと、4月からはホワイトアスパラガスと、競合ではなく引き立て役に徹しなくてはならず、果皮の主張は穏やかに、風味を生かすように仕上げます。調理方法の違いは、仕上がる料理・デザートに合わせたものであったのです。下の画像の左が料理用、右がデザート用です。

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 シェフ野口に、パティシエでは、こうやってコンフィ作っていましたよと話すと、「そうなんだ」との返事。そう、完成したデザートは知っていても、過程には関与していない事実を物語っている。パティシエールの田中に話しても同じような返事。キュジーヌとパティスリーとの間にある、冷蔵庫からお互いに「キンカン」を持ち出し、最適と思える調理方法をひたに実践していたのです。

 同じキンカンが、一手間違うだけで、違った美味しさを発揮します。どちらを食しても美味しいことに変わりはありません。並べて食さないと分かりにくい違いです。しかし、彼らの中に「妥協」という文字はありません。この違いに「こだわり」ひとつひとつが絡み合い、Benoitの料理が、デザートを仕上げているのです。

 調理人にとっては、何気ない日々のルーティーンであっても、自分にとっては感慨深い、職人気質を垣間見た日となったのです。美味なる食材を、いかに美味しく皆様にお召し上がりいただくか。この想いのもとで、各部門の担当が何も語らず業務を遂行してゆく。このような下ごしらえの中にある「こだわり」こそ、我々サービスマンが皆様に語らなければいけない、美味しさを導くひとつの要素なので考えております。

 今回は、この「たまたま」を料理とデザートにと、同じ「コンフィ」という調理方法で仕込んでいたからこそ分かったことです。たまたまなのか、必然なのか、大いに学ばせていただきました。料理にしかデザートにしか使わない食材は、比較の使用がありません。ただ、間違いなくそれぞれが、食材を見定め、最適と思う下ごしらえ、調理を施していることに疑いの余地はありません。

 本来であれば、もっと早くお話すべきなのですが、「新型コロナウイルス災禍」に追われ、後手後手に回った感が否めません。これほど、お話しながら皆様にお楽しみいただけないこと、深くお詫び申し上げます。Benoitは営業を自粛しておりますが、自然のサイクルは待ってはくれません。旬を追うようにしてBenoitに届いていたもの、届く予定であったもの。そのような旬の食材のお話を、今後しばらく綴ってみようかと思います。

 

 いまだ終息の見えないウイルス災禍です。皆様、無理は禁物、十分な休息と睡眠をお心がけください。旬の食材には、今我々が必要としている栄養に満ち満ちています。免疫力を高める意味でも、旬の食材を食し、この席規模の危機を乗り越えてゆきましょう。我々ひとりひとりの行動が、この未曾有のウイルス災禍を「収束」へ向かわせ、必ず「終息」するものと信じております。そう遠くない日に、笑いながらお会いできることを楽しみにしております。

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2020年「座れば牡丹」に想うこと

立てば芍薬(しゃくやく) 座れば牡丹(ぼたん) 歩く姿は百合(ゆり)の花

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 この時期になると、八重桜の美しさについつい心奪われ、忘れがちなのがボタンの花です。日本人は桜に、中国では牡丹に想いを馳せるよう。「百花の王」と称され、唐代の詩人である王叡(おうえい)が、「牡丹妖艶亂人心 一國如狂不惜金 (牡丹妖艶にして人心を乱し 一国狂するが如く金を惜しまず)」とまで詠っています。「不惜金」であり「不借金」ではありません。

 日本での開花時期は、もちろんサクラ同様に地方によって差があり、関東では4月半ばから末にかけて。この短期間に、大輪の豪華絢爛に花咲くボタンの花に、狂喜乱舞したのでしょう。百獣の王「獅子」とボタンの花の柄は、「唐獅子牡丹」と呼ばれ、当時の磁器や織物に描かれています。今でいう「美女と野獣」ともいうべき組み合わせが、ここに誕生しているのです。

 4月半ばより咲き始めるので、牡丹の季語は春。ではなく、夏です。晩春を飾るにふさわしいと思うのですが、この豪奢な咲きっぷりが、春ではなく夏にこそ相応しいのでしょう。季語として「初夏」を指し示します。「牡丹の目」は初春を、「狐の牡丹」は晩春のこと。

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 秋の彼岸には、「おはぎ」をお供えすることで、五穀豊穣と家族を見守ってくれているご先祖様への感謝の意を伝えます。春の彼岸では、「ぼたもち」をお供えすることで、五穀豊穣と家族皆が息災であることをご先祖様にお願いします。この両季節の「あんころ餅」は、その季節を代表する花を使って名付けられました。秋は「秋の七草」の筆頭に上がる「萩(はぎ)」の花から、「お萩」。春は、「牡丹餅」と。なぜ、「桜」でなかったのか?これは、彼岸此岸(ひがんしがん)という仏教的な要素が強いからこそでしょう。

 「萩」はマメ科の花らしい楕円形の花びらが特徴。「牡丹」が豪快なまん丸の花の形。これが、両季節のあんころ餅の形に反映しています。さらに、幸せを呼ぶ赤い色の小豆(あずき)は、赤飯を代表するように祝い事には欠かせません。その小豆も、収穫したての外皮が柔らかいものは、そのまま「粒あん」となり「お萩」へ。ながらく時を過ごして乾燥した小豆は、漉すようにして「こしあん」となり、「牡丹餅」へ。諸説はあるかと思いますが、ついつい「なるほど」と頷いてしまいます。

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 冒頭の一文は、美しい女性を形容するのに使われています。なるほど、脳裏に浮かぶ姿は、どの花も美しい花を誇ります。ボタンの原産地は中国の西北部。このボタンが中国で寵愛されていることは、前述しました。ボタンが低木だからこそ、大輪の花が咲き並ぶかのような光景に、心奪われます。まさに「座れば牡丹」。では他の花は?

 

 シャクヤクはアジア大陸北東部が原産で、ボタンの仲間ですが、ボタンが樹であればシャクヤクは草です。花は酷似しているのですが、すらっと伸びた茎の先に、美しい花を咲かせます。「立てば芍薬」とは、良く言い表している気がいたします。しかし、シャクヤクはこれでは終わらないのです。

 フランスのL’OCCITANE(ロクシタン)は、すでにご存じの方が多いのではないでしょうか。厳選された植物原料とエッセンシャルオイルをベースとし、南仏プロヴァンスを想わせるスキンケア用品を、数々世の送り出しているブランドです。そこに、「Pivoine Flora(ピヴォワン・フローラ)」が登場します。

 英語では「Peony(ピオニー)」といい、美しい妖精「ピオニア」が他の女神の嫉妬を買い、魔法をかけられ一輪の花に変えさせられた。ここに、「ピオニー」の花が誕生しました。だからこそ、美しい花の姿はもちろん、花びらが響き合うようにはなたれる香は、何人も魅了して止まないのだと。

 さあ、もうお気づきでしょう。この「Pivoine Flora(ピヴォワン・フローラ)」こそ、「シャクヤク」のことです。実は、自分はまだシャクヤクと出会ってはおらず、どのような香りか知る由もありません。しかし、ロクシタンさんがシャクヤクの香を採用するということは…「le Nez(ル・ネ)」と呼ばれるプロの調香師が認める、心穏やかになる癒しの香りなのでしょう。

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 ユリは北半球のアジアを中心にヨーロッパやアメリカ大陸にも自生し、多種にわたります。その中で、15種ほどが日本に自生しているといい、その内の5種が日本固有種です。その中でも、ひと際目を惹くのが「テッポウユリ」と呼ばれる品種。残念ながら、画像がありません。「テッポウユリ」の姿はネットの中より検索いただき、ご覧ください。美しい姿の真っ白な花は、凛とした風格を感じさせます。

 ユリの分布は広く、もちろんヨーロッパにも12種類ほどが自生しています。その中でも代表的なものが「ニワシロユリ」、別名を「マドンナリリー」と呼ばれているのです。テッポウユリに似ていますが、花は小ぶりです。この白ユリは、冴える白さが聖母マリアの純潔の象徴とされ、キリスト教の宗教画にたびたび登場しているばかりか、バチカン国の国家になっています。

 古来よりキリスト教の祭事には、この「ニワシロユリ」が使われていました。ところが、19世紀に「テッポウユリ」がその地位を取って代わることになったのです。なぜ、日本固有種の「テッポウユリ」が?ヨーロッパに持ち込んだ人がいるのです。

 1829年の大事件で日本を追放された偉人、「シーボルト」です。彼がヨーロッパに持ち込んだ数多くのコレクションの中に、「テッポウユリ」の球根があったのです。多くのヨーロッパ人が、異国の地よりもたらされた「テッポウユリ」に魅了されたようです。英名では復活祭(イースター)にちなみ、「Easter Lily (イースター・リリー)」と呼び、キリスト教の祭事には欠かせない花となったのです。

 

立てば芍薬(しゃくやく) 座れば牡丹(ぼたん) 歩く姿は百合(ゆり)の花

  それぞれの花が、美しく人々を魅了して止まないことを紹介させていただきました。この3つの花は、面白いことに同じ時期に咲くことがありません。美人の形容としての花の順番は、「シャクヤク➔ボタン➔ユリ」ですが、花開く順は「ボタン➔シャクヤク➔ユリ」です。ボタンの開花が晩春であれば、シャクヤクは初夏で、ユリは品種が多いのため夏半ばから初秋あたりまで。

 さて、この順番に並べ替えてみると「座れば牡丹(晩春) 立てば芍薬(初夏) 歩く姿は百合(仲夏~)の花」。ブログを書きながら、ふと思うことがあります。この所作は、今の我々日本人へのメッセージなのではないかと。「座れ(動くな)→立て(復帰の準備)→歩け(活度開始)」と。かつて日本中に蔓延した疫病に対し、賢人が遺したメッセージなのでしょうか。ただ単に偶然の一致なのでしょうか?はたまた、こじつけなのか?このご判断は、皆様に委ねさせていただきます。

 

 終息の見えないウイルス災禍です。皆様、油断は禁物です。十分な休息と睡眠、「三密」を極力避けるようにお過ごしください。「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、笑いながらお会いできることを楽しみにしております。鬼百合(おにゆり)が、睨みをきかす晩夏には、「走れ」となることを信じながら。

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最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2020年4月Benoit「臨時休業」のご報告です。

 昨今の感染者数の増加に、いまだ収束の兆しが見えておりません。そこで、今週はランチのみの営業を予定しておりましたが、未曾有の「新型コロナウイルス」感染拡大防止のため、以下の予定で営業自粛をさせていただきますことを、ご報告させていただきます。

 

2020年4月14日(火)から28日(火)までの期間、「臨時休業」とさせていただきます。

※さらなる営業時間の変更や短縮の可能性もございます。ウイルス災禍収束のため、皆様にはご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

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 皆様より温かい応援のメッセージの数々をいただきました。それを励みに、少しでもお応えしようとスタッフ一丸となり奮闘してまいりましたが、この抗し難いウイルス災禍を前に、少しでも終息の方向へと向かうのであればと、忸怩(じくじ)たる思いの中で、「営業自粛」を決断させていただきました。皆様のご期待にお応えすること叶わず、重ね重ねお詫び申し上げます。

 すでに、ご予約をいただいた方々、Benoitでのお食事を楽しもうかとご検討いただいていた皆様には、多大なるご迷惑をおかけすることになりますが、ご容赦のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。営業再開の際には、自分を含めスタッフ皆が一丸となり、万全準備をもってお迎えいたします。

 

 

ときわぎ

 聞き慣れないこの言葉ですが、漢字で表記すると、「常盤木」です。これは、今でいう常緑樹のことを指し示します。一年中、緑鮮やかな葉を茂らせる「ときわぎ」に、古人は不老長寿の想いを重ね合わせました。今ほど病気に対しての治療知識があるわけでもなく、まして目に見えない疫病などには恐れおののくばかり。「もののけ」や怨霊の仕業ではないか、そう古人が思うのも致し方ないことです。

 「ときわぎ」の中でも、陽にあたり輝かんばかりの果実が目を惹く、柑橘の樹々。古人はこの柑橘類を総称して、「橘(たちばな)」とよんでいました。年中つややかな緑の葉、初夏にはさわやかな香りを放つ白い花を咲かせ、木々眠る季節にたわわに黄金色の実をなすことに、なにか「永遠」なるものを感じていたのでしょう。

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 古事記の中に、垂仁(すいにん)天皇の命により、田道間守(タジマノモリ)が常世の国から持ち帰ったものが「非時香木実(時じくの香の木の実)」、これが今の「橘」だと記載されています。まさに不老不死の理想郷の象徴のような木なのです。

 

橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝(え)に霜ふれど いや常葉(とこよ)の樹  聖武天皇

 

 聖武天皇国分寺の建立、奈良東大寺大仏開眼供養を執り行うなど、仏教に帰依(きえ)しています。大地震、大飢饉や天然痘の大流行などの災禍に、藤原氏の反乱などが加わるなど、日本国内は混乱へと陥りました。これは、聖武天皇ご自身の不徳が致すところ(天人相関説)と考えたのです。

 源平藤橘の四姓と呼ばれる中で、権勢を誇っていた橘家への忖度であるという話もあります。しかし、聖武天皇なればこそ、仏教の助けを得て、平穏無事な世界へと、日本国民皆を導きたいと考えたのではないか。ともすると、橘の樹にみる不老長寿の力を、国民皆とともに分かち合うための願いが込められているのではないでしょうか。

 

 「橘」に、一縷(いちる)の望みを見出したい。日本は柑橘が美味しい時期に入っているからこそ、美味しく旬の食材を食すことで、体の免疫力を上げ「新型コロナウイルス」に対抗する。Benoitでも、熊本県天草から「不知火」と「パール柑(天草文旦)」、宮崎県綾町から「日向夏」が届いています。さらには、「天草晩柑」に見るように、西日本を中心として栽培されている「晩柑」が今期の柑橘最後を飾ります。「橘」は、5月末まで我々を助けてくれます。

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旬の食材には、今、我々が欲している栄養価が満ち満ちています

 

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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Benoit特選チーズ「エポワス」のご案内です。

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 これは、Benoitで新年1月4日と5日の両日にご用意いたしました、フランスでの新年恒例の焼き菓子「ガレット・デ・ロワ」です。下の画像はオーブンに入る前の「ガレット・デ・ロワ」…

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 ではありません。今回ご紹介する逸品はフランスウォッシュタイプの代表格とも言えるチーズ、「Époisses(エポワス)」です。

 

 故郷であるブルゴーニュ地方のマール(ワイン用ぶどうの搾りかすから作られたブランデー)によって洗われた表皮から発する個性的な香りと熟成によるクリーミーな味わいは、美食家ブリア・サヴァランにして「チーズの王様」と称させたほど。このチーズの歴史は古く、16世紀の初めには修道院で作られ始めたという記録が残っており、19世紀にはパリやリヨンといった大都会にもその美味しさが伝わったと言われています。

 かの有名なナポレオンもこのチーズに魅了された人物の一人。うたた寝をしたナポレオンの目を覚まそうとした兵隊が、好物であるエポワスをナポレオンの鼻に近づけると、「ジョゼフィーヌ、今晩は勘弁してくれ」とつぶやいた、という小話もあるほどです。エポワスが好きすぎて、奥様でさえエポワスと感じてしまう。なんというエポワス愛だったことでしょうか。

 さて、今では定期的に食する事のできるエポワスですが、20世紀に入ると消滅の危機に見舞われます。2度の世界大戦で農家が焼失し、生産者は減少の一途をたどってしまいます。さらに、「大量生産」時代の到来が、追い打ちをかけたのです。一見、良いことのように思いますが、なんでもかんでも大量生産ということは、農畜産を生業(なりわい)にしている人々にとっては、今までの価値観を一変させなければなりません。

 

 野菜などの農産物は、病害虫に強く栽培期間が短いものが選ばれてゆくことに。土にはその土地土地の敵した自浄能力があるものです。しかし、それを無視した大量栽培に取り組むことで、土は疲弊し病気が蔓延する。結果、農薬と化学肥料の大量使用をもたらしました。そして、畜産も例外ではありません。成長の遅いもの、ミルクの搾乳量が少ない品種は、淘汰されてゆくのです。美味しいにも関わらず、栽培が難しく収量が少ない野菜が姿を消してゆく。肉質に優れ、得も言われぬ美味しさの家畜にまたしかり。

 しかし、美味しいからという理由で栽培や飼育を続けている人々がいました。フランスで昔から栽培されていた「白インゲン豆」があるのです。品種すら思い出せない話なのですが、美味しいが手間暇がかかり過ぎて、今は栽培している人が激減しているといいます。「激減」、そう「皆無」ではないのです。アラン・デュカスグループの旗艦とのいえるモナコのレストら「ルイ・キャーンズ」では、全量買うことを約束し、このインゲン豆を栽培してもらっているのです。なぜか?美味しいからに他なりません。

 フランスとスペインの国境に聳(そび)えるピレネー山脈。この山中で駆けまわっている「イノシシ」が、スペイン側に下りていったのが「イベリコ豚」であれば、フランス側に下りたものが「ビゴール豚」という。聞き慣れない後者の名前。それもそのはずです、いっときは5頭という「絶滅の危機」に瀕していました。これに危機感をもったのが、地元の有志達です。まだまだ飼育数は少ないですが、食肉の流通にのるようになりました。

 チーズは関係ないような気もいたします。しかし、この大量生産時代に、地方に根付いた多くの伝統的なチーズが姿を消していきました。なぜか?乳牛が激減したのです。フランスの地方地方には、その地で長年育まれた乳牛がいました。濃厚で美味しいミルクを産みだしますが、効率的に大量のミルクを作りだすことのできるホルスタイン種に取って代わろうとしていたのです。その結果、濃厚で美味しいミルクが手に入らなくなり、その地で育まれた伝統のチーズも姿を消すことになったのです。

 

 このエポワスは、1950年代にはたった2軒の農家でしか製造されていません。時代に淘汰されてしまうのか?

 この窮地を救ったのが、故郷であるブルゴーニュ地方エポワス村で生まれ育ったひとりの村人でした。チーズ会社BERTHAUT(ベルト―)社の初代社長ロベール・ベルトー氏。

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 ブルゴーニュ生まれだからこそ、エスポワを失いたくない。彼のこの一心から会社を設立し、伝統ある製法を引き継ぎ、1991年には原産地呼称制度(AOC)を獲得したのです。もし、ベルトー氏が「何が何でもエポワスを失いたくない」と思わなければ、エポワスの製法は失われ、歴史からその名が消えてたことでしょう。彼の故郷への熱い想いと、エポワスが何人をも魅了して止まないほどの美味しさがあったればこそ、今こうして楽しむことができるのです。

 

 今回Benoitでご用意するエポワスも、伝統的な製法で造られております。チーズの醍醐味でもある熟成。エポワスも同様に日々熟成しております。若い内は、熟成している時に比べ香りも味わいも優しく、熟成していればクリーミーで濃厚な味わいをお楽しみいただけます。

 さらに、特筆すべきは、その大きさでしょう。通常、目にする大きさは、約250gほどの大きさです。カマンベールチーズとそう大きさは変わりません。しかし、Benoitでは、約1kgのサイズが届いているのです。熟成が進むにつれ、トロトロへと姿を変えるチーズだけに、このサイズでは管理が難しく扱いにくいというのが本音です。だからこそ、流通もほとんどしていません。

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 なぜ、Benoitはこのサイズにこだわるのか?あまりにも美味しいからです。生産者も販売しにくいこのサイズを、敢えて作る理由は、この一言に尽きるのです。ワインが通常サイズのボトルよりもマグナムサイズ(倍量)のボトルが、熟成したときにより美味しさを発揮するように、チーズも大きいことで大きいからこその熟成をなし、美味しさを身にまとうのです。日増しに変わる味わいは、人々を魅了して止みません。

 Benoit自家製のパン・オウ・ルヴァンとの相性は抜群です。特に香ばしさとカリカリの食感の皮目を手でちぎり、たっぷりとエポワスをのせて、口には運ぼうものならば、なぜベルトー氏が、復活をさせようと思ったのか?なぜ、人々がこのチーズの復活を指示したのか?そして、「美味礼賛」を執筆するほどの美食家たるブリア・サヴァランが「チーズの王様」と称したのか?ご理解いただけるはずです。

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 歴史を感じながら楽しむのも、なかなかに趣きがあります。そして、どうせならば旅をするように同郷であるブルゴーニュのワインをお供につけることをお勧めしたいです。赤ワインも良いですが、個人的には樽の雰囲気のあるコクのある白ワインを。きっと、皆様をマリアージュの世界へ誘(いざな)うことでしょう。

 そういえば、このエポワスの香りは、フランスでは「神様のおみ足」やら、イギリスでは「豚の足の指の間」の香りと表現されています。およそ美味しいとは思えない香りの表現です。さて、皆様ならどの様に表現されますか?

 

いつもながら最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬は一部加筆。今回の語り手は小林でした。

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2020年 ウイルス災禍克服へ「西行の想いと釈尊の教え」 に思うこと

憂き世には とどめおかじと 春風の 散らすは花を 惜しむなりけり  西行

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 人生は苦そのもの「苦諦(くたい)」である、と釈尊は弟子に語りました。「諦」は「あきらめる」ではなく、仏教の観点からは、「真理を見極めること」を意味します。厭世の想いから「人生は苦ばかりだからあきらめなさい」ではなく、「四諦(したい)」なのだと説いている。「苦の真理を見極め(苦諦)、追究(集諦)することで、克服(滅諦)する。その道しるべ(道諦)となるものが八正道(はっしょうどう)なのだ」と。

 「八正道」とは、「正見(正しい智慧)」、「正思惟(正しい思索)」、「正語(正しい言葉)」、「正業(正しい行為)」、「正命(清らかな生活)」、「正精進(正しい努力)」、「正念(正しい思いを持ち続けること)」と「正定(心の安定を保つこと)」の8つ。これらを、ひたに実践しなさいと釈尊は説きました。

 諸行無常の憂きことの多いこの世に、今はとどめてはおくべきではないと、春風が慌ただしく桜の花を散らしてゆく。末法思想が蔓延する憂き世に、純真無垢な美しい花開くべきではない。人々が八正道に習うことで滅諦できるのは翌年なのだと西行は伝えたいのか。春風の桜の花への愛惜(あいせき)の熱い想いが込められている名歌です。

 今年の干支は「庚子(かのえね)」です。「庚」は「更」であり、「更始(こうし)」とは、古いものを捨て初めからやり直すことを意味します。そして、「子」は「坎(かん)」である。古代中国で誕生した占い「六十四卦(ろくじゅうしけ)」において、この「坎」の卦が上下に配置される「坎下坎上(かんげかんじょう)=坎為水」は、「重なる険難はあるが、真実をもって行動すればうまくいく。」と教えてくれています。

 

 冒頭の詠者、西行平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した、武士・僧侶・歌人です。後鳥羽院にして「生得の歌人と覚ゆ(生まれながらの歌人である)」とまで言わしめ、藤原俊成と並び称される人物です。奈良時代から続いた唐風文化から、国風文化へと移り行き、「ひらがな」の誕生が和歌を飛躍させることになります。そして、多くの歌才溢れる天才が歴史に登場してくる、その中でもひときわ異彩を放っていたのです。

 時は激動の最中。平安中期から始まる藤原氏による摂関政治から、上皇が実質的な権力を取り戻し、政務を執り行う院政が始まりました。天皇家復権で、安定するかのように思えたものの、貴族内部の権謀術数による紛争の解決を武士に頼らざるをえず、ここに台頭したのが伊勢平氏の棟梁である平清盛でした。しかし、時長くなく平安末期を迎えます。

 

 治承3年(1179年)の「治承三年の政変」と呼ばれる、平清盛のクーデターにより、後白河法皇が幽閉されることになりました。後白河院平氏との確執が重大局面を迎えることとなり、院の第三王子である以仁王(もちひとおう)と、平清盛が擁立した高倉天皇(院の第七皇子)の両兄弟が対峙することになります。以仁王平氏追討の令旨(りょうじ)を発し挙兵するも、ことを急いだ代償か、平氏側に知られることとなり、追われる立場になります。そこで、藤原家の氏寺である興福寺に助けを求めるために向かいます。時は治承4年(1180年)のこと。

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 源頼政は、以仁王を南に逃し、宇治川を挟み平知盛軍と対峙します(宇治川合戦)。しかし、多勢に無勢、善戦虚しく平等院へ敗走し境内にて自刃することに。この平等院敷地の片隅に、彼の墓碑(下の画像)がひっそりと建立され、いまでも辞世の句とともに宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見ることができます。

埋れ木の 花さくことも なかりしに 身のなるはてぞ 悲しかりける  源頼政(辞世の句)

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 一方、奈良県興福寺へ向かった以仁王も、京都府木津川市の光明山寺にあった鳥居前で落命します。興福寺より向かいし援軍の僧兵は、この手前5kmのところまで、あと一歩のところまで駆け付けていたのだといいます。この悲劇の王を哀れんだ里山の人々によって、高倉神社が建立され祀られました。当時は反逆者のレッテルを貼られていたために、脇にひっそりと御陵が築かれてたのだといいます。

 以仁王の館が、三条高倉にあったことから高倉宮とよばれていた名残から名付けられたのでしょうか。対峙していた異母兄弟の弟は高倉天皇であることを思うと、なにか因縁なのかとも思ってしまいます。

 この以仁王の一件を発端として始まったのが治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱。源平合戦とも呼ばれ、6年間にも及ぶ大内乱にまで発展していきました。どのような時代でったのか、多少の脚色はあるかと思いますが、古典「平家物語」が当時の様子や人間ドラマを生き生きと伝えてくれています。

 この平家物語の最後、壇之浦の合戦を下関の観光案内とともにブログに書き記しました。平家物語が、なぜ今なお輝きを放っているのか?かいつまんだ内容ですが、面白く仕上がったと思います。ぜひ、下関へ観光するような気分で、以下よりご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 西行は、このような時世の中を生き抜いていました。荒廃してゆく京の街を憂い、治承・寿永の乱を耳目に触れ、平氏一門の凋落(ちょうらく)を目の当たりにしたことは、「春に三日の晴れなし」といわれているように、春の晴れくもる不安定な天気を、何が正しく何が間違いなのかが分からなくなる混沌なる憂世(うきよ)になぞらえ、憂悶(ゆうもん)していたのでしょうか。

 諸行無常の憂世の中でも、刻々と過ぎ去る時の流れの中で、陽が昇り陽が沈む。連綿と繰り返してきたこの流れは変わらないものの、陽の昇る高さが変わることで、気温に違いが生まれ、多様な気象条件を生み出しました。そして、これに呼応するかのように、樹々の移ろいや鳥たちのさえずりなど、生きとし生けるものが動き出す。

 太陽が地表に顔を出す時間が一番短い日を「冬至」と定めています。「夏至」と比べると、日照時間が4時間も短くなるのです。暖房の完備されていない昔にあっては、降り注ぐ暖かい陽射しを、どれほど待ち望んでいたか。農耕民族ですから、なおさら切望していたのではないでしょうか。その想いが込められているからでしょう、冬至を「一陽来復」と表現していました。陰陽説の「陰の後には陽がくる」という言葉から派生し、「悪いことが続いたあとには福が訪れる」という意味もあります。

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 毎年春になると咲き誇る桜の花に、太陽に思うような、ある種の敬虔(けいけん)なるものを見出したのでしょうか。今の憂世の中に、桜を咲きおくことは、春風の桜に対する愛惜の思いが許さなかった。来年はきっと良い年となるはず、そこで咲き誇る桜こそ「花笑う」のであると。

 昨今の「新型コロナウイルス災禍」が、心身に与える影響は計り知れません。春風が愛惜の念で桜の花を散らしたように、今すべきことは耐え忍ぶことである。一陽来復、陽はまた昇る!必ずこの災禍を克服できると信じています。来年は、希望に満ち溢れた輝かしい花の笑顔が、陽気な春風とともに我々を迎えてくれる、そう西行は伝えてくれているのでしょうか。

 皆様と皆様のご家族ご友人の健康と命を、愛惜するものを守るために今すべきことは何なのか。Benoitスタッフ一同よくよく考えて行動に移してまいります。ウイルス災禍の終息した住み良い毎日の生活は必ず訪れると信じております。

 自分の勝手な解釈が入り込み、西行の思うことから逸脱していることは否めません。しかし、この世界中の人々を戦々恐々とさせて、「新型コロナルウイス災禍」の真っただ中だからこそ、冒頭に書きました釈尊の教えも心に響きます。西行の名歌にしても、釈尊の教えにしても、きっとなにかの縁があったのでしょう。

 終息の見えないウイルス災禍に対し、漠然と恐れ慄(おのの)くのではなく、「四諦」をもって臨んでいくのが良いかと思います。干支の話で登場した「坎の卦」が、「重なる険難はあるが、真実をもって行動すればうまくいく。」と教えてくれています。これを、偶然のことととするか、必然であるとするかは、皆様の判断におまかせいたします。悩んだ時には歴史に習うことも、一案かと思います。あまりにも古い歴史ですが、日本人に連綿と受け継がれてきた精神のような気がしてなりません。

 今年早々に皆様にご紹介いたしました「干支の話」からの抜粋です。どのような世相なのか?詳細はブログを参照ください。

kitahira.hatenablog.com

 

さくら色に 衣はふかく 染めて着む 花の散りなむ のちの形見に  紀有朋(ありとも)

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 「惜花(せきか)」の想いは、今も昔も変わることはありません。それが、開花を待ち望んだ桜であればなおのこと。散るを惜しむがあまりに、桜色を染め込んだ着衣を、さらにはお化粧に桜色を取り入れるのも、この時期ならではのこと。古人も観桜の際に、花散ってからも思い出にと、桜色の衣を身につけることが風流だったのだといいます。

 江戸時代には、頬がぽっと色付くような桜色で染める、「うっきり」というお化粧がありました。彼の時代はおしろいを使うも紙で抑えることで化粧をしていないような素肌を演出し、「紅花(べにばな)」で頬を染めていました。血色良く見え艶やかな「うっきり」を演出するのが「桜色」であり、下の画像の色合いです。

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 ところが、古今和歌集の編纂された平安時代は、少し色合いが違っていたようなのです。今の「桜色」であれば、「衣に深く染める」という表現に違和感を覚えます。染料を生地に一回染め込むことが「一入(ひとしお)」であれば、桜色は深く染め込む「八入(やしお)」ではないか。では、紀有朋が詠う「深く染めた着物」は、いったい「どのような色」だったのでしょうか。染織を生業とする人が継承してきた伝統色、八入の「さくら色」は、今の桜色とは別の色合いのようです。

 桜は桜でも、かつては「染井吉野(ソメイヨシノ)」ではなく、「山桜(ヤマザクラ)」のことを指し示します。その若葉の色こそ、桜色なのだと。若葉だからといって「透けるようで、やわらかい緑色」ではありません。百聞は一見に如かず、ご覧ください。

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 決して枯れているわけではなく、これが「山桜の若葉」であり、紅葉といえば紅葉ですが、この色から美しい深緑へと色変わりしてゆきます。これが山桜の「葉萌ゆる色」であり、この色を染織したものを身につけ、桜の花を愛でることが風雅の慣わしであったのだといいます。

 花散りし後に、咲き誇る姿を思い起こさせてくれるようにと、さくら色の染めた衣をまとう。そして惜花を偲びながら、初夏を迎える準備をする。まるで四季の色彩の機微を、自然に習いながら楽しんでいるかのようです。今年は愛でることなく散っていった桜への愛惜の想いを、色で表現してみるのも、なかなかに趣深いものです。

 

 予断を許さないウイルス災禍です。皆様、十分な休息と睡眠をお心がけください。手洗いうがいと言った基本的なウイルス対策をお忘れなきように。近いうちに訪れる、Benoitで皆様と再会できる日を心待ちにしております。その際は、万全の準備をもって、桜笑う前なので自分の笑顔でお迎えさせていただきます。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。いつも温かいお心遣い本当にありがとうございます。

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いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、青山の地よりお祈り申し上げます。そう遠くない日に、笑いながら皆様とお会いできることを信じ、

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2020年4月Benoit東京「営業自粛」のご案内です。

 未曾有の「新型コロナウイルス災禍」に対し、日本政府より「緊急事態宣言」が発せられました。そして、東京都より「緊急事態措置」が施行されることになります。これらの行動指針を鑑み、Benoitの営業日および時間の変更を実施させていただきます。

 すでに、ご予約をいただいた方々、Benoitでのお食事を楽しもうかとご検討いただいていた皆様には、多大なるご迷惑をおかけすることになりますが、ご容赦のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

20204月末までの期間

11()12()

18()19()

25()26()

上記の日程の営業を、「臨時休業」とさせていただきます。

 

2020414(火曜日)より

平日はランチのみ営業させていただきます。

月曜日~金曜日(429日祝日を含みます) 1130分から1530分まで(14時ラストオーダー)

※さらなる営業時間の変更や短縮の可能性もございます。ウイルス災禍収束のため、皆様にはご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

 Benoitでは、お客様の安全を第一に考え、従業員全員の手洗いと消毒を徹底しております。出勤時と営業時間の前後はもちろん、店内6か所に設置している除菌用アルコールを使い、営業時間内外を問わず徹底しております。そして、店内においては除菌清掃の徹底し、皆様がお手に触れるカトラリーや食器類にいたっては、業務用洗浄機を使い高温(80℃以上)にて除菌洗浄をしております。

 営業のオペレーションにおいては、お越しいただいたお客様が隣同士に隣接しないように、1テーブル以上席間を空けることで、「密」を排除いたします。出勤時にスタッフ皆の健康を確認し合い、自分を含めたスタッフ皆がいつも以上の体調管理を心がけるようにしております。

 先日お送りした「営業自粛」のメールの返信では、皆様より温かい応援のメッセージの数々をいただきました。それを励みに、少しでもお応えしようとスタッフ一丸となり奮闘してまいりましたが、この抗し難いウイルス災禍を前に、少しでも終息の方向へと向かうのであればと、忸怩(じくじ)たる思いの中で、「営業自粛」を決断させていただきました。皆様のご期待にお応えすること叶わず、重ね重ねお詫び申し上げます。

 

憂き世には とどめおかじと 春風の 散らすは花を 惜しむなりけり  西行

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  人生は苦そのもの「苦諦(くたい)」である、と釈尊は弟子に語りました。「諦」は「あきらめる」ではなく、仏教の観点からは、「真理を見極めること」を意味します。厭世の想いから「人生は苦ばかりだからあきらめなさい」ではなく、「四諦(したい)」なのだと説いている。

  西行の名句と、釈尊の教えが、どう関連付けられてゆくのか。詳細をブログに記載しております。今をどうすべきなのか、思いのたけを書き記させていただきました。お時間のある際にご訪問いただけると幸いです。アドレスは文末に記載しております。

 

 諸行無常の憂世の中でも、刻々と過ぎ去る時の流れの中で、陽が昇り陽が沈む。綿々と繰り返してきたこの流れは変わらないものの、陽の昇る高さが変わることで、気温に違いが生まれ、多様な気象条件を生み出しました。そして、これに呼応するかのように、樹々の移ろいや鳥たちのさえずりなど、生きとし生けるものが動き出す。

 太陽が地表に顔を出す時間が一番短い日を「冬至」と定めています。「夏至」と比べると、日照時間が4時間も短くなるのです。暖房の完備されていない昔にあっては、降り注ぐ暖かい陽射しを、どれほど待ち望んでいたか。農耕民族ですから、なおさら切望していたのではないでしょうか。その想いが込められているからでしょう、冬至を「一陽来復」と表現していました。陰陽説の「陰の後には陽がくる」という言葉から派生し、「悪いことが続いたあとには福が訪れる」という意味もあります。

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  毎年春になると咲き誇る桜の花に、太陽に思うような、ある種の敬虔(けいけん)なるものを見出したのでしょうか。今の憂世の中に、桜を咲きおくことは、春風の桜に対する愛惜の思いが許さなかった。来年はきっと良い年となるはず、そこで咲き誇る桜こそ「花笑う」のであると。

 昨今の「新型コロナウイルス災禍」が、心身に与える影響は計り知れません。春風が愛惜の念で桜の花を散らしたように、今すべきことは耐え忍ぶことである。一陽来復、陽はまた昇る!必ずこの災禍を克服できると信じています。来年は、希望に満ち溢れた輝かしい花の笑顔が、陽気な春風とともに我々を迎えてくれる、そう西行は伝えてくれているのでしょうか。

 皆様と皆様のご家族ご友人の健康と命を、愛惜するものを守るために今すべきことは何なのか。Benoitスタッフ一同よくよく考えて行動に移してまいります。ウイルス災禍の終息した住み良い毎日の生活は必ず訪れると信じております。

 予断を許さないウイルス災禍です。皆様、十分な休息と睡眠をお心がけください。手洗いうがいと言った基本的なウイルス対策をお忘れなきように。近いうちに訪れる、Benoitで皆様と再会できる日を心待ちにしております。その際は、万全の準備をもって、桜笑う前なので自分の笑顔でお迎えさせていただきます。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。いつも温かいお心遣い本当にありがとうございます。

 

 普段はBenoitでよく語っておりますが、最近はままなりません。この有り余るエネルギーを執筆の方へ向けさせていただきました。まだまだ書き足りないことばかり。お時間のあるときに、ブログをご訪問いただけると幸いです。

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より切にお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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