kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年12月 Benoit特選ワイン「Dom.Saint-Préfert」のご案内です。

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 過ぎし2021年11月19日、日本では部分月食を眺めることができました。月が地球の影に入ることで起きる現象です。平面図で、太陽・地球・月と直線に並ぶ時におきる現象なため、満月の日ごとに月食がおきるように思うもの。しかし、地球が太陽を中心として公転している面と、月が地球を中心に公転して面は並行ではなく傾きがあるため、満月の度に地球の影に入るのではなく、地球の公転面に月の軌道が触れた時、その時が満月の位置であれば…月が地球の影に入り込む…

 地球の公転は約365.24日。月の公転は約27.3日。地球が常に公転軌道上を動いているため、月に満ち欠けの周期は、少しだけ延びるように約29.5日となります、なるほど!さらに、地球も月も、楕円のような公転軌跡であり、惑星同士が近い時には、動きが早まり、離れるとゆっくりとなるという「ケプラーの法則」なるものがある。そして、前述したように地球の公転面から月の公転面が5.1°ほど傾いているため、空を見上げた時に太陽の軌跡(黄道)と月の軌跡(白道)は一致しない。全ての要素がそろった時に、月食という天体ショーが開催されます。

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 上の図は、国立天文台より拝借いたしました。月の全てが地球の本影に入り込むのを「皆既食(かいきしょく)」、一部入るのが「部分食」です。さらに、本影ではなく半影だけに入るものが「半影食」。この半影食は、弱くはありますが太陽光が当たるのため、よくよく見比べてみると普段よりも暗いかな…ということのようです。

 なんとなく、分かってきたような月食。日食との違いは、同じタイミングであり、どこからでも同じ形の月食であるということ。日食は、太陽の前に月が現れ、太陽光を遮(さえぎ)ることで起きる天体ショーです。そのため、数百kmも離れると、日食の形も状況も変わってきます。対して、月食は月の表面の表情のため、望む地によって変わることはありません。しかし、地球の自転軸(地軸)が傾いているため、月食を見ることのできる場所とそうではない場所がでてしまいます。

 今回は、東北地方以北であれば、月食の始まりから見ることができたのですが、それ以南では月が姿をみせた時にはすでに月食が始まっていました。さらに、部分食であるにもかかわらず、月の約98%が本影に入り込んだ皆既食なみの月食。これほどの部分月食を日本で次に拝めるのは、遠く2086年11月21日のこと。その前に2022年11月8日に皆既月食が訪れます。

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 日本が部分月食を楽しんだ日、日本と同じ北半球にありながらほぼ反対に位置している地でも月を眺めることができたことでしょう。月食が限られた地域と時間しか見ることができないことは前述しました。そのため、約8時間の時差があるために、彼の地では半影食であったという。我々が部分月食を終えた月の姿と同じ姿を望んでいたことになります。

 一面に広がるブドウ畑に夜の帳(とばり)が下りてくる。街灯があるわけではない、ネオンが光っているわけでもない。車の通りすらまばらな闇夜では、満天の星空が広がる。星々の輝きの邪魔をするものは、東の山の端から上りくる満月にほかならない。半影月食とはいえ、その神々しい輝きがくすむということはない。月に照らされたブドウ畑は、白いベールに包まれたかのような美しい姿を見せてくれ、褐色の大地は白砂のようにも見える。そして、樹は地に冴え冴えとした影を落としている。

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 今も昔も月の姿に変わりはありません。月食などの限定された天体ショーがあるものの、同じ緯度であれば西も東も月の姿に変わりはありません。ワイン銘醸地なだけに、多くの人々がワイン片手に、輝かしい満月を楽しんでいたのではないかと思う。人々は月光の下で、家族や友人と語らっていたのかもしれない。はたまた、ひとり物思いに耽るように眺めていたのかもしれない。その中にいた…と思う一人の女性。彼女は毎年のように美味なるワインを醸し続けている…

 

 ここは、Vaucluse(ヴォークリューズ)県です。フランス南東部、地中海沿岸にあるのが、PACA(パカ)と略されるProvence-Alpes-Côte d’Azur(プロヴァンス・アルプ・コートダジュール)地域圏。この地域の内陸に入った東側にこの県があり、県庁所在地はAvignon(アヴィニョン)です。そして、この県内にはChâteauneuf du Pape(以下シャトーヌフ・ド・パープと記載)という街があります。

 「Pape(教皇)」の「Châteauneuf(新しい城)」。14世紀にキリスト教カトリックローマ教皇の座がアヴィニョンに移されていた「アヴィニョン捕囚(ほしゅう)」の時期に、第二の住居として城を築いたのが地名の由来と言います。時の教皇ヨハネス22世。教皇は財源確保のためにワインを醸すことを決め、アヴィニョンの銀行家とCahors(カオール)のワイン業者を招聘(しょうへい)し、ワインの原料となるブドウ栽培の地として選んだのが、このシャトーヌフ・ド・パープでした。

 カオールという街は、フランス南部Occitanie(オクシタニ)地域圏にあるLot(ロット)県の県庁所在地です。ワインの地域分類ではSud-Ouest(南西)地方にあり、カオールというワイン名の方が馴染み深いと思います。教皇が、この地の出身ということもあり、カオールのワイン業者に協力を求めたのでしょう。この英断により、シャトーヌフ・ド・パープというワインが誕生し、フランス国内はもちろん、世界中の人々を魅了してやまない銘醸地となっていったのです。

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 これほどの歴史ある地で、「将来的に伝説になる」と称賛されているワイナリーがあります。将来的に…そう、まだここの歴史は深くない。「Domaine SAINT-PRÉFER(ドメーヌ サン・プレフェール)」は、創業者が今なお現役のワイナリーです。彼女の名は、Isabel FERRANDO(イザベル・フェランド)さん。元銀行員という経歴は、あまりにも畑違いの職業に驚かけれるのではないでしょうか。フランスでも有名な銀行で辣腕を振るう中で、何か違和感を覚えたといいます。そして、ブドウ畑でのお手伝いをした時に、「これだ!」と自分がすべき本当の道を悟ったのです。シャトーヌフ・ド・パープに居を構えたことは、街の誕生にアヴィニョンの銀行家とカオールのワイン業者が貢献したことを思うと、何か縁があったのかと思ってしまいます。

 我々の生活に馴染みとなったワインという飲物は、お洒落な響きを持っていますが、農産物です。原料のブドウ無くしてワインはありません。ブドウを果皮ごと潰して器に入れておくと、発酵が始まりワインに姿を変えます。アルコール発酵は、化学式で表せますが、この発酵の仕組みを知らずとも大昔から酒は醸され続けてきました。

 シャトーヌフ・ド・パープのワインを産する畑は、地表を大きな石が埋め尽くしています。この石が、日中の陽射しを浴びることで熱を帯び、夜半に地表の空気を温めているという。確かに間違いではないと思うのですが、この理屈は後付けのような気がします。春先であれば、霜対策の一役を担うことでしょう。しかし、夏場は火照(ほて)った身体(樹)を冷まし休みたいと思うのは、人もブドウも同じではないかと。

 彼の地の石ころを多く含む地質なのでしょう。耕すことは、地中に埋まっていた石が地表に出てくることになるなるため、穀物や野菜を栽培するには勝手が良くない。そこで、古の賢人は屈強なるブドウを植栽することにした。きっと知っていたのではないか…このような地では、美味しいブドウが実ることを。そして、美味しい酒を仕込むには美味しい原料がなくてはならないことを。

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 かつて修道士たちは、この地を耕し…耕し…ブドウを植栽し、何十年も後には植え替えを行った。どれほど難儀な作業であろうとも、神の名のもとに続けてきた。今では、機械という文明の利器の助けてくれるも、為すことに大差はありません。シャトーヌフ・ド・パープの畑の姿は、この作業が連綿と受け継がれてきた証(あかし)なのです。

 創業して以来、彼女の醸すワインにワイン評論家が高得点を与え続けています。確かに、ワイナリーは新参ですが、彼の地のブドウ畑は大いなる歴史をもっている。

 

 日本では、風がその土地の環境を整え、その地で育まれた産物へ美味しさをもたらすと考えます。旅行先の地方料理を楽しむのは、風土の違いが風味を導くことを知っているからでしょう。農産物は工業製品ではないため、均一した品質のものが収穫できることはありません。その土地の個性であったり、その年の天候であったりと、多くの要因が絡んで育まれた産物には、「違い」があることは当たり前のことなのです。だからこそ、ワインでは風土の個性である「原産地」と、風味の違いを表すブドウ収穫年である4桁の数字「ヴィンテージ」を重視します。

 フランスは、ことさらこの違いというものを大切にする。選定や摘葉・摘果などのブドウに加える農作業は栽培者お判断に委ねられるものの、施肥などのように土地に人の手を加えることは厳しく制限されています。排水を促す設備はもちろん灌漑も一切禁止されています。どんなに旱魃(かんばつ)のような天候であっても、散水できないのです。だからこそ、毎年のようにブドウの品質に違いが生まれることになります。

 その年の天候に大きく左右されるブドウ栽培ですが、ただ手をこまねいているだけでは美味しいブドウは育ちません。ブドウ樹に手を加えることで、健康で質の高い果実を得ることもできれば、天候被害を最小限に食い止めることもできる。各畑の熟度を見極め、醸造所の稼働状況を把握しながら収穫のタイミングを計る。ひとつでも歯車がずれると、ブドウは腐り美味しいワインは醸(かも)せない。

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 イザベル・フェランドさんは、ドメーヌ サン・プレフェールのオーナーとして美味しいワインを醸し、至高の逸品へと仕上げるという重責を担います。年に一度しか醸せないのがワインであり、道半ばで劣化させるわけにはいかない。醸造所でワインの声を聴きながら、どうすべきなのか大いに思い悩むのでしょう。科学的な数値を証左としながらも、経験に裏打ちされたプロの勘を忘れない。

 どんなに多忙であろうとも、彼女は足繫くブドウ畑に赴き、仲間と共に農作業に勤しむことを忘れない。人智の及ばない天候は致し方ない。しかし、人が畑でなすべきことはある。丹精込めて世話をしたブドウ樹は、必ず応えてくれる。美味しいブドウが収穫できずして、美味しいワインは醸せない。そういえば、アラン・デュカスの料理哲学は、素材を厳選し、その素材の持ちうる香りと味わいを十二分に引き出し、表現すること。その道を究めんとする人は、同じような哲学をもっている。

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 実は、イザベルさんが初来日をした際に、ワインディナーを行ったのがBenoit東京でした。語られた一言一言に重みがあり、彼女の人柄やワインへの想いに大いに感銘を受けたものです。これは自分だけではありません。そのワインディナーを導き実現させたBenoit東京のシェフソムリエ永田にあっては一入(ひとしお)のこと。ひっそりと惚れ込んだワインをセラーの奥底に隠し持っていたのです。

 今回は、その秘蔵のワインを皆様にご案内させていただきます。世界中のワインラバーにとって、垂涎(すいぜん)の的ともいうべきワインです。永田のコメントとともに、ブルゴーニュボルドーだけではない、ローヌ地方の最高峰のワインをご紹介させていただきます。

 2022年1月末までの特別価格です!本数に限りがあるため、Benoitでのご予約日を決める前に、ご希望の方はすぐに自分へメール(kitahira@benoit.co.jp)をお送りください。公平を期すために受信の早い順とさせていただきます。※すでに特別価格でのご案内のため、Benoitのワイン割引はご利用いただけません。

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≪赤ワイン≫

2016  Châteauneuf du Pape Collection Charles Giraud

19,800(税込・サービス料別)

 ドメーヌ サン・プレフェールの最上級キュヴェ。樹齢60年~100年の葡萄から造られるその圧倒的なボリューム感。イチジクのジャム、ブラックベリーリコリス、ほろ苦いチョコレートなどの香りが満ち溢れ、熟したタンニンを偉大な酸がしっかりと支える。複雑で濃密でありながらも、エレガンスの極みといえる最上のシャトーヌフです。

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≪希少な白ワイン≫

20142015 Châteauneuf du Pape Blanc Vieilles Clairettes

55,000(税込・サービス料別) 1.5ℓのマグナムボトル

 イザベルさんがクレレット種の品質に惚れ込み、マグナムボトルのみの生産と決めた最高傑作。Benoitでも毎年2本しか購入できない希少なワインです。今回は2014・2015を1本ずつのご案内です。80-100年のクレレットの古樹から造られるスペシャル・キュヴェ。ブリオッシュやナッツの香ばしさに続き、南国系果実、洋ナシ、アップルクリーム、砂糖がけの桃の芳しい香りが現れる。非常にふくよかな熟した果実を引き立てるバターのヒント。豊満だが生き生きとしたキャラクターとしなやかさを備えており、柑橘系のほろ苦さが光るフィニッシュは非常に長い。

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2018 Châteauneuf du Pape Blanc

12,000(税込・サービス料別)

 ドメーヌ サン・プレフェールのスタンダードの白ワインながらその素晴らしさに驚かされるワインです。樹齢60年の低収量のブドウから生まれるアペラシオンの特性を見事なまでに表現した1本。熟した洋ナシ、白桃、アカシアの香りがグラスから溢れ、口に含むとその香り高さと凝縮感にうっとりさせられる。リッチで長い余韻を持つフルボディで、フレッシュさと繊細さ、そしてエレガンスのバランスが素晴らしい。果実とテロワールの魅力をダイレクトに感じることができる美しいワイン。

 

 2022年1月末までの特別価格です!本数に限りがあるため、Benoitでのご予約日を決める前に、ご希望の方はすぐに自分へメール(kitahira@benoit.co.jp)をお送りください。※すでに特別価格でのご案内のため、Benoitのワイン割引はご利用いただけません。

 

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« Dear Japanese Friends and Wine Lovers,

Thank you for your tasting my wines with Takashi KITAHIRA

 

I have extraordinary memories of my visit in Japan, and the delicacy of Japanese culture, in particular with gastronomy.

Harvest in Chateauneuf du Pape have ended in October the 1st in joy. Today the leaves are turning yellow and are reminding me of the colorful beauty of Japanese gardens.

 

I hope those wines will testify my Provençal sensitivity!  I hope to see you very soon in Tokyo, I will be there in 2022.

 

Isabel FERRANDO » 

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 皆様へのメッセージをイザベルさんにお願いしたところ、多忙を極める時期にもかかわらず快諾してくれました。今まで何度か他の造り手さんにもお願いしたこともあるのですが、返事が来ることはありませんでした。世界中を相手にしている方々なため、致し方ないもの。しかし、彼女からは丁寧なメールが届いたのです。この心遣いこそが、ドメーヌ サン・プレフェールのワインを生み出し、ワイン評論家からの高評価を博してる理由なのかもしれません。

 丹精込めて仕上げられたワインが、Benoitの秘蔵セラーから皆様のテーブルへ。コルクが引き抜かれた時に、イザベルさんの想いの詰まったワインが目を覚まします。どれほどの美味しさなのか?それは、ワインが皆様に語りかけてくれるはずです。この機会に、ぜひ彼女のワインをBenoitでお楽しみください。

 そうそう、ご指名に預かりましたので、Benoitの自慢の料理は自分が語りに伺わせていただきます。

 

 余談ですが、日本では「均一」を求めがちです。毎年同じような品質に仕上げないと…農家さんからは「今年は天候不順で品質が良くないので破棄しました」とよく聞きます。農産物は天候に左右されることはもちろんで、ワインと同じように天候に恵まれた年と不運な年との違いがあって然(しか)るべきもの。

 我々が意識を変えることで、この破棄がなくなるのではないかと思うのです。腐ってしまったものは致し方なし。しかし、丹精込めて育て上げた産物は、毎年違った味わいでいいのです。甘みがのらないので…それはそれで今年の風味である。フランスを見習い、「ヴィンテージの違い」を楽しみませんか。美味しくないようにと栽培する農家さんは、自分の知る限り、日本にはおりません。

 

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最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が終わりを迎えようとしています。その「辛」の字の如く優しい年ではありませんでした。しかし、時世は我々に新地(さらち)を用意してくれていた気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2021年12月 表裏一体?「太陽と月の関係」に想うこと

 古代中国の賢人は、「宇宙の万物は全て陰と陽の2つのエネルギーで構成されている」と喝破しました。これが陰陽説です。全てを2つに分類することで、森羅万象を説明することにいささか無理を感じますが、時を経ることで多くの要素が加味されてゆき、陰陽五行説が誕生します。この説が今でも活用されていることを思うと、なかなかな説得力があるのでしょう。もちろん自分は専門家ではないので詳細は語れませんが、気になるのが太陽と月の関係です。

 相反する2つの事象を分けるこの陰陽説とは、一方が「善」で他方が「悪」という考えではなく、お互いが相互関係にあり、欠かせないものであること。表(陽)なくして、裏(陰)はない。活発・敏速な行動(陽)なくして、不活発・緩慢(陰)という概念は生まれない。こと、一日というものを考えると、昼(陽)があるから夜(陰)がある。そして、昼夜を代表する天体といえば、太陽(陽)と月(陰)ということになります。

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 カレンダーも時計もない時代から、北極圏や南極圏に見られる白夜のような現象を除いて、人類は太陽が姿を見せる時を一日の始まりとしていたはずです。そして、西の端に陽(ひ)が沈み、漆黒の闇夜が訪れる時、得も言われぬ輝きを放ちながら天空を巡るのが月。それぞれの動きを判断基準とした暦が発明されていることからも、太陽(陽)と月(陰)が陰陽説の判断基準の元になったのではないかと思うのです。前述した分類も、太陽と月から考えてゆくと、なんとなく納得してしまうものです。

 この陰陽説の分類の中に、時間(陽)と空間(陰)というものがあります。「時空(じくう)」とは、時間と空間とを合わせて表現する物理学用語です。難解な言葉で、調べてみると、ニュートンやらアインシュタインという名立たる物理学者の名が挙がります。この言葉は、自分のような素人には分かるようで分からない、分かれば物理学者なのでしょう。まさか!古代中国ではすでに「時空」の概念が存在し、陰陽に分けることで人々に周知させようとしていたのか?

 天才とはどの時代にもいるもので、時空の概念を陰陽説に取り入れたのかもしれません。きっぱりと否定はできないものの、陰陽説は紀元前の誕生したものであり、時空という概念があったようには思えません。では、時間と空間はどうゆう理由で陽と陰に分けられたのでしょう。推論の域を抜けませんが、これまた太陽と月が関わっているような気がするのです。

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 雲に覆われ雨の日であっても、夜半よりは明るいもの。東の空が白々しくなるころに目覚め、西の空が紅(あか)くなるころに仕事を終える段取りを始める。夜の帳(とばり)がおりてくる頃には、一日の疲れを癒すかのように憩いのひとときを過ごし、床に就く。連綿と続いてきたこの生活様式は、電球の発明によって活動時間が夜へ夜へと移りゆくも、多くの人々にとっては、昔よりも夜長を楽しむぐらいで、さほど変わらないのではないでしょうか。

 人間には、一日の生活リズムというものが「時計遺伝子」という形で細胞内に刻まれているといいます。これにより、自律神経の調整やホルモンの分泌、さらには臓器などの動きを掌(つかさど)り、生命と健康を維持している。これを我々は「体内時計」と言っています。面白いことに、この刻み込まれた体内時計の時間というものが、24.2時間なのだというのです。一日が24時間なために、日々を過ごすうちに「ズレ」が生じてくることになります。

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 では、人間はどのようにしてこの「ズレ」を解消しているのか?これを修正してくれるのが、太陽の陽射しなのだといいます。人間は、太陽の光を浴びることで、それとなく皮膚が感知し、体内時計の針を調整するのだというのです。生きとし生けるものには休眠が必要です。活動できる時間というのは限られたものであり、これにはもちろん個人差があるでしょう。10時間なのか12時間なのか?陽射しは、体内時計を○○時に調整するのではなく、限られた活動時間を始まったことを、体に指示をだしているのではいかと思うのです。

 天気の良い日中に野原でぐっすり寝ていても、睡眠不足は解消するかもしれませんが、疲れがとれることはなく、かえって疲労感にさい悩まされるという経験はないですか?これは、身体の細胞が活動を促されてるために、「休息」はできても「休養」にはいたらないということなのでしょう。どれほど長時間、陽射しの降り注ぐ中で昼寝をしても、ただたんに「休憩」にしかなっていないのかもしれません。

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 夜行性の動物でもない人間は、火や電気の明かりがなければ夜の行動は難儀なものです。太陽の恩恵で活動を始め、西の端に沈みゆく太陽をもって活動を収めてゆく。この活動時間は限られたものであるということは、前述した「時空」の概念よりも、日々体感しているからこそ大いに理解できるものです。太陽が我々に、活動の「時間」を教えてくれる、だからこそ「陽」なのでしょう。

 

 日中の活動を癒し明日への活力を得るために、食事や休息をとるのは陽(ひ)も沈んだころ。空には満点の星が姿を見せます。中でも、冴えるような輝きをはなつ月は、どれほど人々を魅了したことでしょう。日ごとに姿を変えながら、時として姿を見せない日もありながら、我々は月の姿を眺め楽しむことができ、直視することはできない太陽とは対照的です。

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 屋戸(やど)で食事をしながらの語らいは、今日の思い出話や明日の予定などでしょうか。ふと外を眺めると、庭の樹々が白々しい光の中に影を落としている。まるで白砂のような光に誘われるかのように、外に赴くと…満天の夜空をゆっくりゆっくりと横切る月を望むことができます。

 吸い込まれるような漆黒の闇がどこまでも続くかのような夜の空。星々が輝くも、月は他を圧倒するほどの光をはなちながらゆっくりゆっくりと暗天の中を移動している…。青天の太陽を仰ぎ見ることはできませんが、月は凝視することができる上に、その日その日で違う美しい姿で我々を照らしています。三日月、小望月(こもちづき)、望(もち)、十六夜(いざよい)、立待ち月、居待ち月、臥し待ち月…古人は月の姿に愛称をつけ楽しんでいたのでしょう。

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 誰に何かを告げられるわけでもない、月が何かを語るわけでもない、我々が月に魅せられてしまったからなのか、知らず知らずのうちに自分自身の人生を省み、未来に思いを馳せてしまうものです。人にとって憩いのひとときであるからこそ、心穏やかに月を眺め、想いに耽(ふけ)ることができる。心躍る思いか沈んだ思いとなるかは、その日の自分の行動如何によるかと。

 神々(こうごう)しく輝く満月の時などは、見続けているうちに手に届きそうにさえ思えてしまうものです。もちろん手が届くわけもなく、物干し竿でも遠く及ばぬところに月は存在します。さらに、星々はさらに遥か彼方(かなた)に…なんと自分は小さな存在なのか…そう思わではいられません。この空間を意識することで、自分の存在を認識でき、存在価値が見出せる。月は我々に、考える時を与えてくれているのでしょう。

 

あまのはら 雲ふきはらふ 秋風に 山の端たかく いづる月かげ  後鳥羽院

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 陽(ひ)が西の端(は)に姿を隠し、夜の帳(とばり)がおりてくる。澄みわたる青天の時とは違い、闇夜の空はいっそう深く広く感じる。秋風が雲を吹き散らし、舞台は整った。山の端より姿を見せた月は、得も言われぬ初々しさを感じるものです。ゆっくりゆっくりと中天へと向かうに従い、荘厳なる輝きが増してくる。

 後鳥羽院は、数々の名歌を詠い遺しているばかりか、自らが歌会・歌合を主催し、1201年(建仁元年)に新古今和歌集の編纂を下命(かめい)するなど、和歌の世界に与えた影響は計り知れません。しかし、なかなかの野心家であったようです。時は鎌倉幕府の治世、朝廷の政治力を高めようと画策。ついに、1221年(承久3年)に執権北条義時追討の院宣(いんぜん)を下します。世にいう「承久(じょうきゅう)の乱」の勃発です。

 しかし、時勢は鎌倉幕府にありました。幕府に動揺が走るも、北条政子のもとに集結。後鳥羽院が思いもよらぬ勢いで西進し、ついには京都を制圧します。これにより首謀者である後鳥羽院島根県隠岐の島へ、順徳天皇新潟県佐渡ヶ島へと配流(はいる)されるのです。この事件を機に、朝廷側は勢力を失い、武士の天下が到来するのです。

 朝廷の復権をもくろむほどの賢才の持ち主であった後鳥羽院が、勝算無くして挙兵などしないはず。院の誤算は、武士というものを見誤ったのではないかと思うのです。院宣は、確かに効果があり、東国の武士は動揺したでしょう。しかし、武士とはその土地を開墾し、生計を成り立たせたグループの代表であることを見落としていたと思うのです。

 平家物語141段「敦盛最後(あつもりのさいご)」の中で、組み伏せられ最後を悟った平敦盛は「汝は誰そ」と源氏側の武士に問う。「物その者で候はねども、武蔵国住人、熊谷次郎直実」と返す。「物の数に入る者ではございませんが、武蔵国の住人、熊谷郷の次郎直実(なおざね)」。関東一帯の旧名である武蔵国の住んでいる、熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)という地に田畑を領している、次男の直実であるという。かつて武士とはかようなもので、苦労して開墾した地をまとめる長が武士の始まりであり、見たこともない架空のような朝廷への忠誠心が無いわけではないですが、自らの所領を維持すること、大きくすることが大事であったはず。幕府は武士の集団だけに、このことをもちろんよく知っていたはずです。

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 今回ご紹介した後鳥羽院の一首は、言葉に端端に得も言われ威厳を感じさせます。いつ詠ったのか定かではないのですが、隠岐の島に配流されてから詠った歌には、もの寂しさや弱弱しさを感じるのです。きっとこの歌は、在京中の勢いあまっているころの作品でないかと思うのです。

 天の原とは、神々のいる天上界という意味もあります。秋風が邪魔な雲を吹き払い、山の端から見事な月が姿を見せる。月が空間を意味するのであれば、その空間とは神々の創り上げた日本国ということか。秋には、季節の意味の他に「実り」という意味も含まれる。後鳥羽院の朝廷復権という願いは、秋風が吹き払い、月が成就することを望むかのように神々しい輝きをはなちながら中天へ向けて昇ってゆく。後鳥羽院はどのような思い巡らせていたのでしょう。まったく推論でしかなのですが、意味深長な歌のような気がします。さて、皆様はどう思いますか?

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 無償に降り注がれる陽射しは、夏場であれば悪態の一言も漏れ出てしまうものですが生きとし生けるものにとって欠かすことができないものです。光の射す時間は一日の中では限られたものだからこそ、大切にしたいものです。ただ、太陽が我々の行動を急(せ)かしているのではなく、地球が自転しているために、昼夜という区別が生まれ、人類に休息と休養を与えてくれているような気もします。

 ここで人類と書いたのですが、動物の中で人間は長寿な生き物ではないかと思うのです。野生界では「寿命」という言葉などあってないようなものですが、動物園で飼育されている動物は、野生よりも平均的に長寿のような気がします。獣医師さんもいることも一因かもしれませんが、太陽が関係している気がするのです。

 人間は、陽射しによって体内時計がリセットされることは前述しました。他の動物も同じではないかと思うのです。しかし、野生は弱肉強食であり、気の緩みが命を落とすことになる。陽が昇り明るくなることは、生きるために食事を摂るためには都合がいい反面、捕食されるという危険と隣り合わせです。では夜は安心かというと、闇に活動する捕食者がいる。野生では、休息と休養ができないのでは。だから、動物園では長寿なのではないかと思うのです。

 太陽が降り注がれる中で昼寝をしても、睡魔は解消しても、身体は癒されないもの。陽射しを受け、体が活動するように脳から指示されているからなのでしょう。だからこそ、太陽が隠れる夜が、休息と休養には最適です。太陽によって、限られた活度時間を悟り、夜には安心して休める環境を整える。その環境を築くには精神の安定も欠かせません。心穏やかに月を眺めることで、今生きている空間に自分の存在を見出し、ゆっくりと人生を省みることで、新たな希望や夢を見ることができるのではないでしょうか。

 どれほど時が経とうとも、月の姿は今も昔も変わりません。歴史上の賢人も同じ月を眺めていたと思うと感慨深いものです。晩秋の夜長を、日ごとに姿を変える月を眺めながら、後鳥羽院へ思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか。そして、自分自身のことを思い直すにも、いい機会になるような気がいたします。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が終わりを迎えようとしています。その「辛」の字の如く優しい年ではありませんでした。しかし、時世は我々に新地(さらち)を用意してくれていた気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

2021年12月 Benoit「クリスマステイクアウト」のご案内です。

 今から12年のさかのぼった2009年頃のこと。フランスで「Best of Chef」シリーズのレシピブックが刊行されました。10€という価格ながら、詳細な解説に幾枚もの写真が、素人の自分でも作れるのではないかという錯覚へと陥れる。1刊目は、BOCUSEさん。3刊目はROBUCHONさん。ともに夭亡しているが、カリスマシェフとして、今なおその名声は衰えを知らない。では、この二人の間に割って入る刊目は誰だったのか…

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 アラン・デュカスです。Benoitに10年近くも在籍することで、幾度となく話す機会に恵まれました。優しいのだが、ひとたび試食となると、得も言われぬオーラを発する。エグゼクティブシェフが、「もっと気軽に話しなさい!」といわれても…。

 超一流の料理人であることは間違いありません。Benoitの若いキッチンスタッフが、挨拶の握手をするのに手が震えていたことが、いかに憧れの存在であるかを物語っています。しかし、後世にまで語り継がれるであろう彼の偉業は、煩雑であったフランス料理を体系づけて、まとめ上げたことではないでしょうか。そして、持ちうる料理のノウハウを包み隠さず公開もしています。

 そのひとつが、このレシピ本。この本の刊行にあたり、アラン・デュカスが一番先にもってきた料理、それが「鴨のフォアグラのコンフィ」です。

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 初めてこのフォアグラの料理を口にした時、あまりの美味しさに、当時Benoitのシェフだった小島景から事細かに作り方を聞いたものです。なんと手間暇のかかる逸品なのかと感じ入ったことを今でも鮮明に覚えています。それが、このレシピ本では、家でも作れるのではないかとも思うほど詳細に、作り方が記載されていたのです。

 鴨のフォアグラは、塩・コショウをふって冷蔵庫で休ませます。そして、カットすることもなく、そのまま鴨のぬるめの脂の中へ。ゆっくりゆっくりと脂の温度を上げてゆく。揚げるわけではないので≪ぐつぐつ≫ではなく、鍋を覗き込むと、熱で脂が対流しているかのよう。何時間を要するだろうか…

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 湯に、いや油に浸かるフォアグラの中心温度が70℃に達した時点で、温度を維持するのではなく、そのまま脂から取り出し、粗熱をとります。この状態でも美味しそうなのですが、アラン・デュカスが求めるフォアグラのコンフィは、気の遠くなるほどの時を要求してくるのです。

 「コンフィ」とは、今では生活に欠かすことのできない冷蔵庫が無かった時代、先人たちが考えた食材の保存方法でした。水ではなく油で煮ることで、低温でじっくり熱が入り、素材の美味しさを逃がしません。そして、油に浸かったままにしておくことで、空気に触れいないため酸化せず、あらに悪玉菌が増殖することもなく保存が可能となるのです。ちなみに「フルーツのコンフィ」は、油ではなく砂糖漬けです。ばい菌が活動できないほど甘く仕上げるのです。この先人の知恵は、保存性ばかりではなく、あらたな旨味をひきだすとして、調理方法へと発展してゆきました。

 先述したフォアグラは、粗熱を取った後に、冷ました鴨の脂とともにパックし、そのまま冷蔵庫で眠りにつきます。何もしない…こと3週間。フォアグラは、そのまま調理してゆくため、1週間ではまだまだフォアグラのもつ内臓の荒々しさが残っています。それが、3週間という時が経過することで、口中でとろけてゆくような滑らかさのある、さらに旨味に満ちた逸品に仕上がるのです。

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 まさに「時がなせる美味しさ」とでも表現しましょうか。ここに「Benoit自慢のフォアグラのコンフィ」が完成するのです。今まで何人をも魅了し、問い合わせを受けている前菜です。もちろん、Benoitのプリ・フィックスメニューにも名を連ねることもしばしば。しかし、この12月だけは、クリスマステイクアウトのみで仕込ませていただきます。3週間前に。

 

 テイクアウトを考えた時、大いに悩んだのがメインディッシュでした。温かいお料理は、いつもBenoitのプリ・フィックスメニューで提供しております。しかし、時間が経っても美味しく、さらにお家で簡単にお召し上がりいただけるものとなると、なかなか難題なものです。

 ≪焼く≫というお料理は、ただ焼くのではなく、素材の本質を見極め、絶妙なる焼き加減でこそ、美味しさの本領を発揮します。これぞ、経験が成し得る職人技というもの。一度焼いたものを、時間が過ぎた中で、再度焼くことは、焼きすぎとなります。半生でお渡し、焼き加減を皆様にお任せするわけにもいきません。まして、電子レンジでは中から熱が入ってしまします。

 そこで、シェフ野口は≪茹でる≫≪煮込む≫という調理方法であれば、温かいメインディッシュを皆様のお家でお楽しみいただけると考えました。さらに、12月ならではの、贅沢な食材を使いながら…

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 フランス料理の中で、エビといえば間違いなく「オマールエビ」でしょう。海のギャングと称される巨大な姿とは裏腹に、美味しさも群を抜いています。プリっとした身質は、茹で上げることでその本領を発揮します。そこへ、オマールエビの頭や殻からじっくりと煮だした濃厚な、まるでオマールエビの旨味を凝縮したかのようなソースがまた格別なり。ともに同じ食材だけに、相性が悪いわけがありません。

 ショートパスタを少しだけ茹るという、お家で一手間をかけても良いかと思いますで、オリーブオイルを絡めたものを添えるアレンジをしても良いと思います。

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 お肉は煮込みます。「牛のホホ肉のドーブ」という、南フランスの伝統的な煮込み料理をご用意いたします。丁寧にトリミングされた牛ホホ肉を、赤ワインと香味野菜でコトコトと煮込んでゆきます。しかし、これでは赤ワイン煮込みでしかありません。ドーブという伝統料理では、煮込む際にオレンジとトマトが入るのです。トマトのコクと酸味、オレンジの柑橘の甘さとほろ苦さ、香味野菜が肉の旨味を引き出すかのように、じっくりじっくりと煮込んでゆきます。

 ホホ肉が崩れんばかりにやわらかくなった時、肉を避難し、その旨味の溶け込んだスープを少しばかり煮詰めてゆきます。そして、ホホ肉にまとわせるかのように絡めるのです。全てが相まったとき、そこにドーブという美味なる逸品が完成します。なぜ、伝統が今なお健在なのか。理油は美味しいからに他なりません。

 添えるのは、乾燥冴えてトウモロコシの粉末を、湯で練りシーズを加えたポレンタです。滑らかながら、ざらっとした粗挽きのポレンタ粉だからこその食感と、トウモロコシの香ばしさ、チーズのコク。ドーブとの相性は抜群です。一手間を加えるのであれば、青もの野菜や根菜を湯で、塩コショウをふりオリーブオイルを絡めたものをご用意すると、色合い地味な今回の料理に彩りをあたえることになり、さらに美味しさが引き立つことでしょう。

 

 地図で熊本県を眺めてみると、熊本市から南西に向かうと、天草へと導かれるかのように宇土半島が伸びています。この半島のつけねあたりの南側にあるのが、「不知火(しらぬい)地区」。この地名からして、我々を魅了して止まない柑橘を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。柑橘「不知火」の中で、一定基準を満たしたものが「デコポン」です。農業試験場で育種されたものの、栽培が難しいがために皆が二の足を踏む中で、果敢に挑戦し成功を収めたのが、不知火の人々でした。そして、その柑橘を「不知火」と名付けたのです。

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 八代海(やつしろかい)に面した丘陵な沿岸部は、一年を通して温暖。海に面した山の斜面は、太陽の恩恵を十二分に受けることができるうえに、柑橘のとって快適な水はけをももたらします。さらに、海からの養分たっぷりの汐風、阿蘇の伏流水である熊本の水、澄んだ空気で育まれた果実は、旨味たっぷりでジューシーで味わい深いものへ。

 この地で代々にわたり果樹栽培を続けている「のむちゃん農園」は、若き園主である野村和矢さん早苗さんに受け継がれました。彼らは、天の恵みである不知火の地の利に甘んじることなく、飽くなき探求心のもとで、さらなる安心安全・美味しい果実を育て上げるため、農薬に頼ることを可能な限り避け、細心の注意を払いながら手間暇をかけることを惜しみません。

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 沿岸部だからこその吹き上げる浜風は、病気を防ぐことに加え、八代海の恵みを運んでくれる。さらに、野村さんは果樹園にミネラルたっぷりの海水を散布することまでもする。黒毛和牛の堆肥に海藻を加えた肥料だけではなく、サンゴを含んだ魚介の肥料をも年に2回施肥することで、養分が満ち満ちた土壌の育成に取り組んでいます。

 露地栽培の果実は、暴風雨の晒(さら)されるため、傷がつきやすい。しかし、直射日光をさんさんと浴びることで、生い茂る葉は光合成をすることで、美味しさをなす栄養を果実に送り続けます。果実は、暴風雨にあたるために傷がつきやすい。しかし、この自然に鍛え抜かれることで、農薬に頼ることなく自らが持ちうる病原菌への抵抗力を生かしながら熟してゆきます。そこには、ハウス栽培では到底及ばない美味しさを内包します。これこそが、「旬の美味しさ」であり、風土が育んだ風味なり。

 「不知火海岸沿いの段々畑で潮風と海の恵(魚、サンゴ、カニ、カイ、にがり)をたくさんうけて育った汐風みかんです。皆様、お楽しみください!」とは野村さんから。不知火の自然の恵みと、彼らの愛情をたっぷりと受けて育ったミカン、「汐風みかん」がBenoitに届いています。

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 この「汐風みかん」は、前述した牛ホホ肉のドーブのオレンジの代わりではありません。Benoitで「ル・ショコラ・アラン・デュカス 東京工房」より直送されるショコラと出会うのです。これが、今年の2021年Benoitの「ビュッシュ・ド・ノエル」です。

 「ル・ショコラ・アラン・デュカス 東京工房」のショコラの美味しさをすでにご存じの方も多いのではないでしょうか。アラン・デュカスが、最高のショコラを作るために、原料であるカカオ豆の産地まで赴き探し当てた逸品です。美味しくないわけがありません。ただ甘いだけではなく、ほろ苦い中に心地よい酸味が後を引きます。

 このチョコレートで生地を作り、クリームを作り、丸めてゆく中に、プラリネと「汐風みかん」のマルムラードが加わります。たっぷりのショコラで包み込まれた中に、アーモンドの香ばしさが加わっている。生半可なミカンでは、その存在すら感じ取れないことでしょう。しかし、太陽の恩恵を十二分に受け、野村さんご一家によって丹精込めて育て上げられたミカンだからこそ、ショコラに包まれても、ミカンの持つ美味しさを見失いことはありません。

 ショコラとミカン、どちらも特選食材でありながら、どちらが突出しても美味しくはなりまん。ここはBenoitパティシエチームだからこその、絶妙なるバランスで組みあげることで、お互いの美味しさ引き立て合う、さらに食感の違いも生み出すことになる。2021年のBenoit「ビュッシュ・ド・ノエル」、気になりませんか?

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 ご自宅で、ご家族や大切な方と素敵なクリスマスをお過ごしいただきたく、このような内容でクリスマス限定テイクアウトメニューをご用意いたします。前述した自慢の料理とデザートを全てセットにしたクリスマスを彩る華やかなメニューです。Benoit自慢の本格的なビストロ料理をお楽しみください。

 

提供期間 : 2021年12月23日(木)~26日(日)

価格:2名様セット 25,920円(税込) ※1名様や3名様のご用意も可能です。

申込方法 : メール(kitahira@benoit.co.jp)への返信もしくは、電話(03-6419-4181)でご予約ください。

最終受付 : 2021年12月15日(水)

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Menu

・フォアグラのコンフィ 柑橘のコンディマン

オマールエビ カブ 甲殻類ソース

・牛ホホ肉の赤ワイン煮込み “ドーブ” クリーミーなポレンタ

・ビュッシュ・ド・ノエル ブノワ風

・パン・ド・カンパーニュ

 

 降り注ぐ太陽の陽射しが万物を育て上げ、四季折々の風はその土地土地に味わいをもたせる。その風のもたらした美味しさこそ「風味」であり、我々はここに「口福な食時」を見出すのです。そして、旬を迎える食材は、人が必要としている栄養に満ちています。そして、人の体は食べたものでできている。「美しい(令)」季節に冬食材が「和」する逸品に出会い、食することで無事息災に年末を迎えていただきたい。この想いを込め、2021年Benoitのテイクアウト・クリスマスメニューをご紹介させていただきました。

 

「2021年12月Benoitからのご案内≪目次≫」へ戻るにはこちらから

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が終わりを迎えようとしています。その「辛」の字の如く優しい年ではありませんでした。しかし、時世は我々に新地(さらち)を用意してくれていた気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2021年12月 コゲラが我々に音で告げるもの…

コツコツ…

 子供たちの楽し気な声が響く公園の中で、片隅の木立に立っていると、熟練の大工さんが細い木槌で樹を連打してるかのような音が耳に入ってきました。この澄んだ音色は、金属と金属が当たる音ではありません。いったい何の音なのか、意識して耳をそばだててみると、意外にも脇にある樹から響いてる…

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コツコツコツ…

 樹の幹から伝え響くかのような音。よくよく聞いてみると、なにやら樹の上のほうから伝わってくる。音を頼りに、今度は目を凝らしてみると、なにやら動くものが。陽射しに邪魔されながらも、小鳥の姿がそこにはあった。音の主は「コゲラ」だ!

 キツツキの仲間で、コゲラは日本にいるキツツキ中で、もっとも小さく、スズメほどの大きさ。全国に広く分布し、一部の寒冷地を除き、季節によって移動をしない「留鳥(とどめどり)」です。鋭いかぎ爪のような足は、なかなかの握力らしく、両足と尾を起用に使い、垂直に伸びる樹をひょいひょいと上下にすばやく移動するため、目で追いかけるにはせわしない。

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 雑食で、木の実はもちろん、春夏には生い茂る葉にいつく虫を、冬には樹の幹に巣食う虫を捕食しているようです。高速連打によって幹に穴を穿(うが)つことで、はたまた虫が驚いて顔を出したところを捕まえる。樹にとっては、死活問題ともなりかねない虫の浸食に比べれば、つつかれることは痛くもかゆくもないでしょう。

コツコツコツコツ…

 

 自然の機微を捉え、厳しい自然界を生きる野生の動植物たち。彼らにはカレンダーがあるわけでもなく、温度計があるわけでもありません。しかし、草花を見てみると毎年のように芽吹き、花咲かせ、枯れてゆきます。何を基準にタイミングを計っているのか?「本能」であるとは一言で終えことができない神秘性を感じるものです。

 この「本能」ともいうべき能力を我々は失っているのではないか?と思っていましたが、今では人間として生まれた時点で、この能力を持ち合わせていないのではないと考えるようになりました。寒暖乾湿は肌で感じることができますが、季節の移ろいなどは、どうしても何かの助けを得ねばなりません。「暦(こよみ)」という世紀の大発明により一年という概念が生まれたものの、毎日伝えられる天気予報や予報士さんのアドバイスにどれほど頼っていることか。

 では、そのような科学的な情報もない昔にあってはどうしていたのか?古人は野生動植物の動きを見ることで季節を悟っていました。草木は芽吹き、花咲き、実を結び、葉を落とす。鳥たちは声音を奏(かな)で、動物はいななく。虫たちは姿を見せたり、音色を奏でたり。古人は自然の機微を捉えることができないことを知っていた。だから、野生の動植物の動向を観察し、季節の動向を知ろうとする。思うに、この観察によって得ることのできた情報を、我々は「季語」と呼んでいる。

 

 初音(はつね)とは、その季節に初めて聞いた鳥獣や昆虫の鳴き声のこと。ウグイス(春)やホトトギス(夏)は、鳴き声で我々に季節の到来を教えてくれます。コゲラは「ギイー、ギイー」と鳴く。初音は何も鳴き声にばかりではないと思うのです。コゲラの初音は、樹をつつく音色なのでしょう。

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 コゲラは季節の機微を感じ取り、越冬するため糧を得ようと樹をつつく。雑木林に心地良くこだまするかのように、心地よく耳に響くこの澄んだ音は、冬本番が間近であることを我々に教えてくれています。そして、コツコツコツ…と我々に冬支度を急かしているかのよう。まもなく、「冬至(とうじ)」を迎えます。そして、時同じくしてクリスマスもやってきます。

 そこで、2021年のクリスマスを、ご自宅お楽しみいただくための提案をさせていただきます。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が終わりを迎えようとしています。その「辛」の字の如く優しい年ではありませんでした。しかし、時世は我々に新地(さらち)を用意してくれていた気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

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2021年12月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

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 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない12月の日程を書き記させていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

 先月は、皆様にご案内を送ることを怠ってしまったがために、北平がBenoitを去ったのでは?病に倒れたのでは?という憶測が生まれ、何人かの方からは連絡をいただくということになりました。自分が今までのコロナ災禍に甘んじ、怠けてしまったがために、緊急事態宣言明けの業務に追いつけなくなってしまったことが原因です。大いに反省し、滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。もちろん、本業であるサービスにも勤しませていただきます。

 師走というだけに、多忙を極める時期かと思います。皆様、無理は禁物、十分な休息と休養をお心がけください。以下の日程以外は、Benoitにて皆様を万全の準備をもってお迎えいたします。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。いつも温かいお心遣い本当にありがとうございます。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

 

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2021年11月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

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 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない11月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。また、新型コロナウイルス災禍如何によって変更の可能がございます。ご不便をおかけいたしますが、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

 

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 上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

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2021年10月11月 Benoit≪特選食材≫のご案内です。

ゆく川の 流れは絶えずして しかも もとの水にあらず ~方丈記鴨長明

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 時の流れもまた絶えることはなく、毎年のように季節は巡ってくるものの、今年の秋は昨年の秋ではありません。そして、「旬」もまた過ぎ去るのみで、待ってくれるという「優しさ」を持ち合わせていません。

 言葉は、その国の風土や文化を反映します。外国語を学ぶと、日本語には無い表現であったり、また日本語にしかない言い回しがあったりした経験があったはずです。この「旬」という漢字には、上旬・中旬・下旬のように、10日間という意味があります。「季節の食物が最も味の良い時期」とは、日本語独特の使い方だと語源辞典「漢辞海」は教えてくれます。

 我々日本人は、知らず知らずのうちに「旬」を心待ちにしているものです。ぜひ、日々の食事の中に「秋の味覚」を取り入れていただきたいです。「初物食べると寿命が75日延びる」とはよく言いますが、競うように他の誰よりも早く「初物ものを求めるのではなく、自分にとって季節の初物であることが重要です。旬の食材は美味しいばかりではなく、今我々が欲している栄養価が満ち満ちています。

 皆様に「秋の味覚」を感じていただきたく、10月11月の特選食材をご紹介させていただきます。「Benoitの料理も秋になりにけり」と感じていただき、お手の赴くままにご予約の連絡をいただけると幸いです。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

仲秋特別プランのご案内です。

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 草木の花々は移りゆく季節の機微を捉え、順を追って咲き誇るもいずれは散りゆきます。食材も同じように「旬」という期間は限られたものであり、「待つ」という優しさはありません。そこで、全ての旬食材は無理でも、Benoitに少しだけ顔を向けてくれた食材で、「口福な食時」ひとときをお過ごしいただきたく、「仲秋特別プラン」と銘打って、皆様にご紹介させていただきます。

  仲秋特別プラン

期間:土日を含めた20211031()まで

ランチ: 前菜x2+メインディッシュ+デザート

6,000円→5,000円(税込/サービス料別)

ディナー: 前菜x2+メインディッシュ+デザート

8,600円→6,800円(税込/サービス料別)

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営業時間のご案内

ランチ: 1130分から1530 (1400 ラストオーダー)

ディナー: 1700から2100 (1930 ラストオーダー)

※東京都の要請に従い、昼夜ともに酒類提供を再開させていただきます。

 

ヨーロッパから「キノコいろいろ」、飛行機に乗ってBenoitへお越しです!

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 秋の味覚の代表ともいえる「キノコ」が、フランスから飛行機でやってきています。冬本番を迎えるに前に、ぜひとも味わっておかねばなりません。今届いているものは、プルーロット(ヒラタケの仲間)、ジロール(アンズ茸の仲間)とトランペット・ドゥ・ラ・モー(「死のトランペット」という名前ですが毒キノコではありません)、カルドンチェッロ(エリンギ茸そっくり)、それとマッシュルームの5種類。生の時にはひとつひとつが地味ですが、ちゃっちゃっと熱を加えることで芳しい香りをはなつようになり、風味豊かな逸品へと変貌します。

 ここまで国産の食材にこだわりを見せながら、どうしてフランス産を購入するのか?シイタケやシメジにように、風味豊かな個性的なキノコが国産にはあります。ことフランス料理との相性となると、どうしてもフランス産に軍配があがるのです。さあ、どのような料理へ姿を変えるのでしょうか?

 

Benoitの秋は栗で始まり栗で終わる…≫

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 秋を代表する食材の中で、料理とデザートで主役を担うことのできるものは「栗」しかないのでしょうか。その栗ですが、大きく分類すると3つに分けることができ、それぞれに美味しさが異なります。天津甘栗などで有名な「中国栗」、マロングラッセなどには欠かせない「ヨーロッパ栗」、そして、日本の「和栗」です。Benoitには、ヨーロッパ栗と和栗が届いています。

 ヨーロッパ栗は、もちろんフランスから届きます。フランスの栗は特有のコクと甘さ、対して和栗の繊細で奥深い旨さが特徴でしょう。どちらが美味しいか?ということではなく、それぞれの特徴を生かして、料理とデザートに仕上げてゆきます。

 和栗は、岐阜県恵那市の「恵那川上屋」さんより、和栗を炊きほぐしていただいた栗のペーストを送っていただきます。60年近くもの間、栗に向き合ってきた彼らの慧眼は本物。かつて、岐阜県恵那の地は昔から中山道の宿場町として栄えていました。秋、旅人がこの宿場に立ち寄ることを心待ちにした理由は、美味しい栗料理と栗菓子を提供していたからに他なりません。

 そういえば、栗には東西を問わず渋皮があります。美味しく食べるには、この渋皮を取り除かねばなりません。フランスで栗の収穫を迎えると、この渋皮剥(む)きは女性の担当だったといいます。この作業を経験した方はご存知かと思いますが、手が渋皮で黒ずんでくるのです。特に爪が黒ばんでくることを、フランス女性たちの美意識が許しませんでした。そこで、考案されたのが「マニキュア」だと…そのような女性たちの想いを感じ入りながら、Benoitの栗料理と栗デザートお楽しみいただくことも一興かと。

 

飛騨高山に鬼神「両面宿儺(りょうめんすくな)」を冠した野菜あり!

「六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺」 日本書紀より

 65年、飛騨の国にひとりの人がいた。名を「両面宿儺(りょうめんすくな)」という。身の丈は3mはあろうか、それぞれに反対側を向いている顔を持ち、4本の腕を持つという。日本書紀によれば、暴れ鬼として書き記され、大和朝廷に敵対したとして、武振熊(たけふるくま)によって討伐されたといいます。

 しかし、ご当地である美濃・高山・飛騨では、人々を苦しめていた鬼神を退治してくれたこともあり、祀られているのです。数々の仏像を彫ったとされる、飛騨出身の円空の作品が、岐阜県高山市の千光寺(せんこうじ)に現存しています。2つある顔の優し気な表情が表に彫られているため、鬼神という印象はうけません。円空は、両面宿儺は彼の地を救った守り神なのだと喝破する。

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 その両面宿儺の名を冠する伝統野菜、「宿儺かぼちゃ」が今でも丹精込めて栽培されています。大きなサイズになればなるほど、栽培が難しくなると言われるなかで、この見事なサイズにまで育て上げられるには、どれほど手間暇をかけねばならないことか。岐阜県高山市で「かぼちゃ名人」と称される若林さん率いる、熟練の栽培者の方々よりBenoitへ送っていただいている品質の高さには脱帽するばかりです。

 表皮は薄く、中は見事なほどの詰まった黄色がかったオレンジ色が姿を見せます。和かぼちゃの多くは、味わいが素朴であるのに対し、この宿儺かぼちゃは一線を画します。優しいカボチャ特有の甘みの中に、ねっとりとしながらも、きれいな旨味の余韻が後を引く。洋かぼちゃにはない和かぼちゃの美味しさに舌鼓を打つこと間違いありません。

 なぜ、美味しいカボチャなのに、日本全国に出回らないのか。栽培が難しい上に、表皮が薄く日持ちがしないこと。そして、この大きさゆえなのでしょう。ご家庭で1本購入しようものならば、1週間はカボチャ料理が続くことになります。しかし、今なお栽培が続いている理由は、「美味しいから」の一言に尽きるでしょう。

 

≪秋ナスと秋サバは嫁に食わすな…!?

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「秋茄子は嫁に食わすな」

 体が冷えて流産してはいけないと嫁の体を労(いたわ)った言葉です。夏野菜であるナスは、水分が多い上にカリウムが豊富です。カリウムには利尿作用があり、余分な水分を体外に排出する際に体温を奪っていきます。さらに、ナスのアクも体温を下げるのだといいます。夏であれば良いことも、肌寒くなると困りもの…しかし、秋ナスは格別に美味しい。

 食べ過ぎいけないことはどの食材でも同じこと。アク抜きしたナスを適量であれば、妊婦さんでも美味しくお召し上がりいただけます。まして、ナスから摂れる葉酸を思うと、「秋ナスこそ嫁に食わすべし!」というものです。なにぶん、体が冷えることは体感的に分かっていても、葉酸などの含有成分などわかりようもない時代にあっては致し方ないことなのかもしれません。

 Benoitには、香川県のナスが直送されています。特にブランドナスではありません。なぜ?送料をかけてでも買いたくなるほど美味しいナスだからです!一日に1kgものナスを摂取するということがない限り、安心して美味しいナスをお召し上がりください。

 と、ここでBenoitがお世話になっている豊洲市場の老舗魚卸「大芳」の宇田川さんから面白い話を伺いました。「秋ナスは~」に続き、魚河岸ではこういうことも言うそうです。

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「秋鯖(さば)は嫁に食わすな」

 こちらは、お嫁さんの体調を気遣っての言葉ではなく、こんな美味しい物を嫁に食わすのはもったいない、という意味といいます。男尊女卑ということで、今では物議をかもすような文言ですが、これは男共の表面上の強がりというもので、目くじら立てて反発するものではなかったという気がします。

 東京の魚河岸は、もちろん江戸幕府成立に誕生したものです。世界的に稀有な平和を謳歌した時代であり、優れた多くの芸術を生み出しました。しかし、このような時代は知力がものを言い、武力は廃れるものです。所領の田畑や家屋を守るべく、武芸に励むことも必要なくなった男共は、遊び惚けることが多くなったようです。

 そのような男共が、自分の立ち位置を確固たるものにするため、「秋鯖は~」というセリフを吐いたのだと思うのです。全てがそうではないことはもちろんですが、江戸時代は「男心と秋の空」と言われていました。大衆の前では強がっていても、家に戻ると奥様に「ぷらぷらしてるんじゃないよ!子供のためにも働きな!」と責めたてられていたのではないかという、江戸の長屋の一コマが脳裏に浮かびます。

 そして、もう一つ、「さばを読む」という言葉もまた、鯖(さば)でした。大芳さん曰く「魚河岸の先輩方が、昔、鯖の本数をごまかして販売していたところから生まれた言葉です。話題に事欠かない魚です。」と。海水温が下がってくる、これからが旬の魚です。ただし、「鯖の生き腐れ」というほど鮮度落ちが早い魚。「吟味して最高の逸品をお持ちします!」との心強い言葉をいただいています。

 「Ça va ?」とは、フランス語で「元気?」ですよね。似てますよね、何せ魚河岸の人間はサバを食べて元気をつけていますので!?と、なかなか粋なこという…

 

≪美味しいカレイは、マツカワガレイなり!

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 背びれを上に置き、白い腹目を地につけた時、「左ヒラメに右カレイ」なのだといいます。ヒラメとカレイを見分ける時の決まり文句ですが仲間の中でも例外がいる上に、自然界のか中では稀にひねくれものもいるようです。どちらにせよ、ともに美味しい魚に変わりはありません。と、コメントしていては、飲食業を生業とはできません。

 眼の向きは、やはり美味しさに違いをもたらしますが、エビ・カニ・小魚を捕食することで蓄えられる旨味は甲乙つけがたいもの。しかし、その肉質には大きな違いがあります。カレイ目ヒラメ科の仲間がぷりっと堅めであるならば、カレイ目カレイ科はふわりとして柔らかい。

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 今回は、カレイの仲間の中で、美味であることで群を抜いている「マツカワガレイ」が、北海道からBenoitに届いています。見事なまでに美しい背ビレに腹ビレに描かれる帯模様。これぞマツカワガレイなり!ヒラメにも負けないほどの肉厚さながら、やはり肉質は繊細で、優しい旨味に満ち満ちています。

 

佐渡ヶ島から直送!アオリイカBenoit初登場です。≫

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 新潟県佐渡ヶ島は、沿岸一周約280kmもあり、東京23区の1.4倍の広さを誇る本州最大の島です。新潟港からカーフェリーで2時間半、ジェットフォイルを使えば1時間ほどで島の両津港へと着岸します。そこから少しばかり北に向かうと、「佐渡魚市場」が姿を見せます。まだ東雲(しののめ)の頃から、次々と水揚げされる魚介の量の多さは、いかに佐渡近海が好漁場であるかを物語っています。

 Benoitは、マルヨシ鮮魚店の石原さんに競りを託します。活気を帯びる市場の中で、彼にお願いしたのは旨味食味が抜群で、イカの中でも最高級の食材と称されている「アオリイカ」です。生きたものしか捕食しないという硬(かた)くなまでのこだわりが、この美味しさを生むのでしょう。

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 夏に生まれたアオリイカが、海水温が下がってくるころから沿岸部から深辺へと移りゆき、ぐんぐんと成長するといいます。確かに、今はまだ小さめだというのですが、いやいやこのサイズだからこその美味しさがあります。ただただ焼いただけのアオリイカにもかかわらず、その香りの高さに魅せられ、パリッという若々しい弾けるような…そして、イカ特有のムッムッとくる食感、その溢れ出る旨味に酔いしれる。

 石原さんがこのようなメッセージを送ってくれました…「ただただ美味しく召し上がっていただきたいという一心です。良いものを早く処理して一流の料理人に渡す事が魚屋の仕事だと思っています。さあ、定置網も始まりますよ!」と。

 

ジビエを代表する食材「エゾシカ」がメニュー名を連ねます!

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 Benoitのプリ・フィックスメニューには、通年を通して牛肉のランプステーキが鎮座しています。それに、対抗するかのように、日本のジビエ料理の代表格ともいえるエゾシカが、名乗りを上げました。のんびり歩いている牛とは違い、北海道を駆け回っているからエゾシカ。この行動パターンの違いは、赤身の肉質とはいえ、まったくの別物です。

 今回は、エゾシカのモモ肉をつかいます。硬そうなイメージをお持ちかもしれませんが、丁寧にトリミングされ、休ませながらしっとり焼き上げることで、モモだからこその肉の旨味を堪能できるのです。さあ、この美味しいエゾシカの肉を糧(かて)に、そ知らぬ顔で駆け抜けてゆく秋に追いつきましょう!

 

≪幻の酢ミカン「直七」が、幻ではなくなる?≫

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 この聞き慣れない「直七(なおしち)」とは、スダチやカボスといったような酢ミカンに分類されています。原産は広島県尾道市因島(いんのしま)の田熊で、学名は「田熊スダチ」といいます。これが高知県へと持ち込まれたのだろうというのです。今では因島で栽培している人はなく、高知県でも四万十市のさらに西隣にある宿毛(すくも)市とその周辺で栽培されているのみ。

 かつて、土佐の魚商人が、「魚に絞ると美味しいよ!」と触れ回ったことでこの名前が付いたのだと言います。そう、彼は「直七」さんでした。樹齢200年以上の古木が現存してることから、馴染みの酢ミカンであったようですが、地元以外では名前はもちろん、その風味を知る人は少なく、幻の柑橘と呼ばれているようです。

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 馴染みのスダチとは、外形も味・香も異なっています。ほのかな甘みに、心地よい酸味と柑橘の青々しさ。姿もそうですが、スダチとミカンを合わせたような柑橘です。青果での流通は昨年より初めてテスト的に一部のスーパーなどへ出荷しただけでした。今期、Benoitのシェフ野口が試食し絶賛!さらにシェフパティシエールの田中もま!そう、Benoitでは、幻の酢ミカンが幻ではなくなったのです。

 10月11月は、Benoitの料理とデザートにこの直七がふんだんに使用されます。メニューをご覧いただいても、どこにも記載がありません。いったいどのようにBenoitでは直七が姿を変えているのでしょう。※メニューに書かなかった理由は、皆様への問題のためではありません。希少な酢ミカンであるため、今期の収穫を待ってから野口と田中が試食したため、採用が決まったのは、10月になろうとしている頃だったのです。そう、自分の怠慢で記載を失念しておりました…

 

≪すでに!路地の早生みかん「汐風みかん」がBenoitに。≫

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 熊本県は知る人ぞ知る柑橘の産地です。その中でも、県中央部西側にある宇土半島のつけねの南に位置しているのが、不知火(しらぬい)地区です。この地名からして、我々を魅了して止まない柑橘を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。柑橘「不知火」の中で、一定基準を満たしたものが「デコポン」です。農業試験場で育種されたものの、栽培が難しいがために皆が二の足を踏む中で、果敢に挑戦し成功を収めたのが、不知火の人々でした。そして、その柑橘を「不知火」と名付けたのです。

 不知火海の沿岸地域は、一年を通して温暖。海に面した山の斜面は、太陽の恩恵を十二分に受けることができるうえに、柑橘のとって快適な水はけをももたらします。さらに、海からの養分たっぷりの汐風、阿蘇の伏流水である熊本の水、澄んだ空気で育まれた果実は、旨味たっぷりでジューシーで味わい深いものへ。

 この地で代々にわたり果樹栽培を続けている「のむちゃん農園」は、若き園主である野村和矢さん早苗さんに受け継がれました。彼らは、天の恵みである不知火の地に利に甘んじることなく、飽くなき探求心のもとで、さらなる安心安全・美味しい果実を育て上げる努力を惜しみません。どれほどのものか!このお話は後日に。

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 今回は、不知火の自然の恵みと、彼らの愛情をたっぷりと受けて育ったミカン、「汐風みかん」がBenoitに届いています。この時期にあり、露地栽培の早生みかん。シェフ野口も、シェフパテシエ-ル田中も、その品質の高さを絶賛しています。この二人の名前が挙がったということは…そう、直七同様にBenoitの料理とデザートに欠かせない食材となっています。

 「不知火海岸沿いの段々畑で潮風と海の恵(魚、サンゴ、カニ、カイ、にがり)をたくさんうけて育った汐風みかんです。皆様、お楽しみください!」と、野村さんからメッセージが届きました。

 

山形県の遠藤農園さんから、りんご「紅玉」」が届きました!

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 馴染み深いフルーツのリンゴは、いともやたやすく購入することができます。しかし、「紅玉」という品種となると、栽培している方が少ない上に、植栽本数も激減するのです。生食にて、しゃくっとした心地良い食感と甘みに満ちた新品種が続々と登場し、昔ながらの硬く酸っぱいりんごである「紅玉」は敬遠されてしまうのでしょう。しかし、ことデザートとしてリンゴを選ぶ場合、生食にて美味なる日本のリンゴでは、加熱した際に甘すぎて酸味がないため適しません。ことデザートにおいて、紅玉を勝るものは、まだありません。

 山形県の西に聳(そび)える山々は、新潟県との県境をなしています。その山より湧き出でる清らかな水は、落合い落合いせせらぎとなり、さらに川幅を大きくし、山間(やまあい)の沿うように蛇行しながら海へとそそぐ最上川。その上流域に朝日町があり、大谷(おおや)という地でリンゴ畑を拓(ひら)いているのが、遠藤果樹園の若き園主、遠藤直裕さんです。が

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 Benoitにとっての「リンゴの故郷(ふるさと)」から一報が入ります。「紅玉の収穫が始まりますよ!」と。なぜ毎年のように遠藤さんの果樹園からリンゴ「紅玉」を送っていただくのか?それは、美味しいからの一言に尽きます。知り合ってから、はや3年が経ちました。彼がリンゴに真摯に向き合い、想いを込めて育て上げていることを知ることになり、なぜ遠藤さんのリンゴが美味しいのかを納得してしまう自分がいます。

 どれほどの逸品であるのか?リンゴが皆様に教えてくれるはずです。

 

≪季節からずれたお話 「蓮に想う惜夏の念」のご紹介です。≫

 晩夏に書こうと思っていた話です。しかし、すでに蓮の花も咲き終わったこともあり、来年への持ち越しを検討していました。その折に、栃木にお住まいに木村様よりハスの画像が届いたのです。見事に実をなしたハスの姿に、ついつい時季外れではありますが、蓮の美しさをご紹介させていただきます。惜夏の念を覚えながら、読んでいただけると幸いです。

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北平のBenoit不在の日

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない10月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。また、新型コロナウイルス災禍如何によって変更の可能がございます。ご不便をおかけいたしますが、ご容赦のほどなにとぞよろしくお願いいたします。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が始まりました。その「辛」の字の如く優しい年ではないかもしれません。しかし、時は我々に新地(さらち)を用意してくれている気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com