kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2024年1月2月 Benoit特選シャンパーニュ「2012 Drappier Grande Sendrée」のご紹介です!

 シャンパーニュメゾンDRAPPIERは、シャンパーニュの南端、オーヴ県ウルヴィル村に居を構える。12世紀にシルタシアン派の僧侶によって築かれた地下セラーは現在も使われており、当時からこの地でワイン造りが行われていた事を示している(ドン・ペリニヨンより古い)。1808年よりこの地でシャンパン造りを始めたドラピエは、現当主ミッシェル氏で8代目。他の大手とは異なり、常に家族経営を続けている稀有なメゾンです。

 長女の誕生が、このメゾンの転換点となります。ミッシェル氏は「子供達の将来を考えた時に自然と今の自然な畑作りと葡萄栽培をやるべき」と決意し、所有する53haの畑では1989年から一切の農薬を使用しない有機栽培へ。さらに、極力CO2(亜硫酸塩)の添加を避ける醸造方法を実践。収穫された葡萄は小分けにし、できる限り短時間でタンクに運ぶ。18度の完全な温度管理の下、野性酵母を使ってゆっくりと発酵を開始。酸素を遮断する為、圧搾機を発酵槽の真上に設置したグラヴィティシステムを採用。SO2無しでも果汁はバクテリアに侵されるこなく美味なるワインに姿を変える。

 このDRAPPIERが醸す、Grande Sendrée(グラン・サンドレ)というシャンパーニュを、皆様のご紹介させていただきます。この名称は、キメリジャン石灰岩が特徴の区画のこと。1836年にウルヴィル村を襲った火災で灰(サンドル)に覆われたことに由来するといい、ピノ・ノワール種とシャルドネ種が最高のポテンシャルを発揮する地だといいます。彼の地の育まれ、醸された2012年ヴィンテージです。

 凍てつく冬が大地をリセットし、暖かな夏が成長を促した…しかし、類を見ない雹が降りつけることで甚大なる被害を被るも、収穫時期の好天候から、有史以来の最高のヴィンテージではないかと評されているのです。完熟したピノ・ノワール種(55%)による、アメリカンチェリーの香の中に、シャルドネ種(45%)由来の白い花やバニラのニュアンスを感じることができる。ドサージュが少ないことで、張りのるミネラル感があり、長い余韻を楽しめるという。9年にも及ぶ瓶内熟成がなしえる、調和と複雑さが相まった味わいというのでしょうか。

 DRAPPIER曰く、10年の歳月を経ることで、やっとGrande Sendréeは楽しめることになるだろう…と。

2012 Champagne Drappier Grande Sendrée

26,000(税込・サービス料別)

期間は、2024229()まで

※すでに特別価格でのご案内のため、Benoitのワイン割引はご利用いただけません。

 

 本数に限りがあるため、予約はお早めにご検討ください。ご予約はもちろん、何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。自分へメール(kitahira@benoit.co.jp)か、もちろん電話(03-6419-4181)でもご予約は快く承ります。先にご案内しました「新春特別プラン」とご検討いただけると幸いです。

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

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最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

2024年1月 Benoit特選食材「香川県まるまる農園大東さんのブロッコリー」のご紹介です!

 「霜」というのは、美しい自然現象ですが、こと農産物の栽培者にとっては厄介な代物です。霜や凍ることで起きる被害を「凍霜害(とうそうがい)」といいます。通常、冬を生き抜く植物は、寒さに対する抵抗力をつけるために、植物は糖類やアミノ酸類などを合成・蓄積して細胞内部の溶質濃度を高めて細胞内が凍り付かないように準備します。 そのため、冬の植物は、限度はありますが、氷点下でも生き抜くことができるのです。

 冬の植物は、この過酷な環境下でも臆するとなく、時には停滞しながら成長を続けます。寒さが厳しくなるほどに、植物は耐え抜くために持ちうる能力を発揮してゆく。これが冬の野菜や果実の美味しさとなるのです。暖冬の影響で、のんべんだらりとした日々を過ごしてしまうと、野菜も果実もだらけてしまうことになり、耐え抜くために栄養を蓄えることがなくなる…結果、味気ない産物となってしまうのです。冬は冬だけに、寒くなければなりません。だらけてしまうとダメになる…人間も同じですね。

 ところが、この冬の過酷な環境は野菜や果実を美味しくする一方で、「凍霜害」を引き起こすことにもなりかねません。この越冬の準備が整っていない晩秋や、暖かさに油断する初春に寒さに襲われると、凍霜害を招くのです。そして、予想以上の寒波に覆われた真冬も、甚大な被害をもたらします。

 生きとし生けるものにとって、氷点下とは内包する水分が凍ることを意味します。耐寒性のある植物であっても、あまりの冷え込みは、個々の細胞を包む細胞壁の内側の水分を「過冷却水」へと誘(いざな)います。しかし、凍っているわけではないので細胞内を破壊しないというのです。

 ゆっくりと冷やしていった水は、「凍る」というタイミングを逸することでとろみのある「過冷却水」へと変わります。冷えてゆきながら-2℃ほどまでは、とろみがでますが、水の状態を維持しています。ペットボトルに水を入れ、時間を掛けながらゆっくりと氷点下まで冷やすことで、この過冷却水ができます。このペットボトルを一振りするように衝撃を加えると、一気にシャーベット状になるのです。植物の細胞壁の内側で、同じ現象が起きるという…

 農を生業とする方々は、抗(あがら)うことのできないこのような自然環境と対峙しながら、どうやったら美味しく安全な農産物を育てられるかと、日々模索しながら研鑽に励んでいる。毎年のように、毎日のように表情を変える自然相手だけに、一筋縄ではゆかない。しかし、諦めることなく真摯に畑と向き合い、自然の機微を捉えることで、被害を最小限にとどめようと努めているのです。

 霜対策として、不識布をかぶせる、もみ殻で表土を覆う、散水する、送風機で風を送るなど、効果はあるが限界もある。それでも彼らには、「対策を施さない」という選択肢はない。この弛まぬ努力に応えるかのように、冬の野菜や果実が過酷な冬を乗り越えてゆくように成長を遂げるのです。旬の野菜や果実には、今我々が欲している栄養が満ち満ちています。そして、それ以上に、美味しさをこれらに感じるのは、この双方の努力の賜物なのでしょう。

 

 切り採った葉から、朝露がパンッとはじけるかのように宙に舞う。そして、その一粒一粒が朝陽(あさひ)に照らされることで、まるで「玉(ぎょく)」のごとき輝きをはなちながら大地に落ちてゆく…

 

 東の山々の稜線から太陽が姿を見せるころすでに、大東(だいとう)さんはブロッコリーの朝採りを始めています。陽射しの温もりをありがたく感じるほどに、まだまだ空気は冷え冷えとし、顔の肌がこわばるほど。防水・防寒着に身を包んだ彼が畑の畝間(うねま)を進んでいき、手際よく収穫用のナイフをいれていきます。採った葉をまとめる際に、露を払い落とす。

 なんと美しい光景だろうか…と感じるのは、暖かい部屋からこの光景を目にしているからです。彼からすれば、凍えるような寒さに加え、朝露に濡れることでさらに体温を奪われてゆく中での作業です。体験した者にしかわからない、過酷さがそこにはあります。自分であれば悪態をつきたくなるようなものですが、彼にそのような素振りは見て取れません。今までの苦労が報われる収穫を、まるで楽しんでいるかのよう。煌めきながら落ちてゆく露を目にし、安堵していることが表情に見て取れる。霜や凍っている場合は、解けるまで収穫を待つのだといいます。

 ブロッコリーの朝採りなのに、葉っぱ?とお思いではないでしょうか。実は、ブロッコリーの葉の収穫をBenoitがお願いしているです。今のランチに姿を見せている「ブロッコリーのVelouté(ヴルーテ※なめらかでトロリとしたスープのこと)」に欠かすことのできない食材なのです。

 このBenoit自慢のスープはブロッコリー特有の甘さとやさしいほろ苦さがある、なんとも春を想わせるような美味しさがあります。大東さんのブロッコリー無くして、この美味しさはありません。そして、誰しもが目の前でそそがれるスープに、「きれいな色」と感嘆の声を上げるのです。

 ブロッコリーは、花蕾の集まった頂頭部を美味しくいただきます。もちろん、Benoitも同じです。これだけでも美味しいスープに仕上がるのですが、色が白っぽくなることと味に深みが足りません。すでにお楽しみいただいた方も多いと思いますが、あの緑美しいスープの色は、色粉ではなくブロッコリーの葉によるものなのです。

 ケールの葉のように厚みがあり、思いのほか美味しいもの。同じDNAを持っているわけで、花蕾と葉の相性が悪いわけがありません。ブロッコリーでこの葉が加わることで、緑の葉特有の優しい苦さがブロッコリーの旨さを引き立て、奥深い美味しさとなるのです。まして、クロロフィルたっぷりのこの美しい濃緑色は、自然由来の成分だからこそ安心安全であり、目にも鮮やかなことが我々の食欲をかきたてるのです。

 毎朝のように多忙を極めるにもかかわらず、葉っぱ収穫という手間を快諾してくださった大東さん。そして、自分と大東さんとの橋渡しをしてくださった香川県の八百屋サヌキスの鹿庭さん。お二人の尽力がなえれば、Benoitにこれほどまでに鮮度抜群で美味なるブロッコリーとその葉は届かなかったでしょう。この場をお借りして、深く深く御礼申し上げます。

 大東さんのブロッコリーの美味しさは、Benoitのスープが教えてくれます。そして、鹿庭さんの野菜への想いと栽培者への尊敬の念は、送っていただくご案内と写真に宿っています。ここで皆様にご紹介している画像は、鹿庭さんからいただいたものです。一枚一枚の画像が、まるで語りかけてくるようです。そして、鹿庭さんが大東さんをこう紹介してくれました。

飽くなき探究心をもった、職人肌の農家さんです。」

 

 香川県は、都道府県の中で一番面積が小さい県です。北は瀬戸内海を挟んで山陰・山陽の境となる中国山地が聳(そび)え、南は四国山地讃岐山脈が峻険な姿を見せています。この南北の山が壁となり、豪雨をもたらす南風や、大雪をもたらす北風を防いでくれている。確かに降水量は少ないが、この穏やかな気候下に広がる讃岐平野がもたらす恩恵こそが、今の香川県を築いてきた。他では類を見ない「溜池(ためいけ)」を駆使した灌漑設備は見事としかいいようがありません。

 この讃岐平野に魅せられた一人が、まるまる農園園主、大東洋木さんです。

 大東さんがワーキングホリデーでオーストラリアを訪れたときのこと。語学ばかりではなく現地のことを識(し)るためにも、飛び込みで働きながら少しでも長く旅を続けることにしたのでしょう。彼の受け入れを快諾してくれたのが、バナナ農家であったといいます。「農業」という文字ではないそのものの職業というものを異国の地で経験することは、日本とはまた違った苦労と喜びがあるものです。これらを皆と分かち合ったことが、彼の人生のターニングポイントとなったのです。このときに、就農することを決意したといいます。

 日本のどの地域でも、就農者の受け入れを支援してくれる体制が整っています。どこで農を生業とするか?よくよく考える日々が続く中で、讃岐平野に向かうことを決意するのです。香川の土地や雰囲気が気に入ったからだといいます。ご本人が気づいていないだけで、知らず知らずのうちに何かに魅せられたのでしょう。

 大東さんが、念願の農園を拓く地として選んだのが、高松市の南側にある山の麓(ふもと)、西植田町でした。三方が山に囲まれた盆地で、昼夜の寒暖差が大きく、美味しい農産物を栽培するのに適した地で、ホタルが生息する美しい神内池もある。彼の地が彼を呼んでいたのかもしれません。ここに「まるまる農園」の歴史が始まったのです。

 農業の基本は土づくりから。土の中で微生物がどのように働くかを意識し、そのためにどんな有機物を土に施したらよいのかを熟考する。山で採れた竹から作る自家製堆肥や地元炭焼き場で生産された竹炭や木炭、さらに自家培養の酵母菌まで、あらゆる可能性を考慮し、良しとするものを躊躇(ためら)うことなく導入してゆく。野菜や果樹が成長してゆく中で、それぞれが根から必要なものを吸い上げてゆく。

 だからこそ、毎日のように畑に赴き、栽培している作物の成長を観察することを怠らない。さらに、土中の水分量やpH値を測定することで、不足した要素を補うようにすることで、健全な成長を促している。そして、植え付けから何日後に収穫を迎えるのが一番良いかと計りながら栽培の段取りを組んでいくのだという。

 ブロッコリーを手にしたとき、大東さんは厳しいまなざしをそこへ向ける。ブロッコリーの状態をよくよく観察することで、自分が目指す姿と遜色ないかと精査している。もし違うようであれば、自然からの贈り物である露のように、彼に改善すべき課題として降りてきます。収穫後は、いかに鮮度と美味しさを維持できるかを考え、その労を惜しまないという。

 今収穫時期のブロッコリーは、半年前の7月中旬には「播種(ばんしゅ)」が行われている。今季は猛暑の影響で、芽吹きがままならなかったと小耳にはさんだが、大東さんの口から洩れた言葉ではないことを考えると、この自然から与えられた試練は、想定内だったのだろう。8月中旬には植え付けがなされ、一月ごとに追肥が行われる。

 さらりと書いていますが、雨が極体に少ない香川県なために、いつどのタイミングでどれほどの量の灌水をすればよいのか?追肥もまた、いつ・何を・どれほどの量を施せばよいのか?大先輩に学び教えを請い、さらに自ら最善と思われる方法を模索する。若く、経験こそまだ浅いですが、この並々ならぬ努力の成果が、見事な収穫物となって表れるのです。

 追肥の失敗は、ブロッコリー茎の切断面に、「す」となって表れます。味に関係はないとはいうものの、何かしらの過不足があるからこそ「す」が入る。大東さんがBenoitに送ってくれるブロッコリーの中には、そのようなものは一つとして入っていません。彼が丹精込めて育て上げたひと株ひと株は、ずっしりとした重さがある。この重さこそが、彼のブロッコリーの美味しさの証であり、「皆様に安心安全で美味しいブロッコリーを届けたい」という想いの重さなのです。

 「普段は冗談ばかり話す気さくな人柄ですが一歩畑に入ると顔つきが全く変わります。そして、僕らのような八百屋を大事にしてくれて、集荷に行くたびにその時の状態や今後の状況を詳しく話してくれるのです。」と、鹿庭さんが教えてくれました。思うに、鹿庭さんのような志ある八百屋さんだからこそ、大東さんは彼を信頼し大事にしているのだ!お互いに直接会って語らうことで、それぞれのなすべきことを悟るのかもしれません。

 季節風日本海の湿気を帯びて中国山地にぶつかり、雨や雪を降らす。その山地を越えることで空気が乾いたものとなるも、瀬戸内海を渡るときにほどよく湿気を含むことになる。讃岐平野の内陸部へ向かうと、大地は放射冷却で冷え冷えとしている。その風は、そこに露をおいてゆく…

 霜とならんことを願いながら、露で濡れた畑に大東さんは赴いている。そして、鹿庭さんに収穫したばかりのブロッコリーを手渡し、彼との会話を楽しんだ後に、別れを惜しみながら畑に戻ることに。この写真のときには、雪が舞っていた…

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

野べよりや 冬はきぬらん 草の葉に おく白露の 霜となるかな 源師時(もろとき)

 この歌に出会ったとき、源師時のように「露」が凍えて「霜」となるものだと考えていました。ところが、「露」と「霜」を調べれば調べるほど、これほどまでに奥深いもので、自分がいかに浅はかな考えであったかを痛感することになるのです。その理由をブログに綴ってみました。

 なぜ霜が降ると表現するのか?「霜がつく」では、おかしくはないが、「をかし(趣がある)」くない

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ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2024年1月 「霜とは何か?どうしたら降(ふ)るのか?なぜ降るというのか?」

寒中お見舞い申し上げます。

 

 新暦では12月から翌年2月までが冬という季節。しかし、今までは、北海道や東北地方での大雪のニュースを目にするものの、都内は温かい陽射しによって冬という実感がわかなかったものです。その関東地方も、「寒の入り」を迎えることで、ようやく、身震いするような寒さを覚えるようになりました。

 都内でも雪が舞うか?との憶測がある中で、どうしても見たいものが「霜(しも)」という現象です。地方育ちなもので、馴染みの「霜」でしたが、都内ではとんとお目にかかれないものです。「露(つゆ)」ですら、皆無であることを鑑みると、関東の冬は乾燥しきっているのでしょう。「露」が凍(こご)えて「霜」となる…?

 

野べよりや 冬はきぬらん 草の葉に おく白露の 霜となるかな 源師時(もろとき)

 源師時の邸宅が京の都のはずれにあったのか、はたまた旅先なのでしょうか。「冬はきぬらん」の語尾は、現在推量の助動詞「らむ/らん」。寒さ堪(こた)える早朝のころ、彼が宿/屋戸を出たとき、野辺の地表が白々しくなっている光景が目に入った。それが、朝日に輝く露ではなく、霜であると気づいたとき、「野辺から冬がきたのだろうか…」と詠わせたのです。なぜか?

 葉の上に置いていったものが「露」ではなく「霜」であったこと。古人は「秋(晩秋)」が「露」を置き、「冬(初冬)」が「霜」を置いてゆくと考えていた。地方によって誤差はあるものの、今でも十分に通ずる考えか思います。源師時は、霜が降りている光景を目の当たりにし、季節が移り変わったことを知りえた喜びが、冬が野辺から始まるわけではことを識(し)っているにもかかわらず、師時をしてこう詠わしめたのではないでしょうか。

 さて、草の葉に置いていった「露」が「霜」となっているではないか…と源師時はいう。「露」が凍(こご)えて「霜」となる…お恥ずかしい話ですが、自分はこう思っていました。そして、師時を含めた往古の人々もまた、同じように考えていたようです。よくよく考えると、氷は無色透明で、急ぎ凍らすことで空気が含まれてしまい白い箇所ができてしまうものの、霜の降りた白々とした光景とはなりません。「露」や「霜」とは、いったいどのようなものなのか、少し調べてみました。

 

 空気中の水蒸気が冷えた物体に触れることで露点を下まわり、水滴とって表面に付着する現象を結露といいます。夏にキンキンに冷えたペットボトルを常温にさらすとどうなるか、皆様すでに経験があるのではないでしょうか。自然界でも、「放射冷却」などにより地表の草や土などの温度が気温よりも下回るとき、空気中の水蒸気がさらに冷えた地表の土や草に触れることで露点に達し、結露がおきます。露は水分なため、撥水性の物質に降りなければ、その存在を見ることができません。

 自然界には、常に水蒸気が含まれています。そして、この水蒸気は気温によってどれほどまで空気に水分が含むことができるかが変わってきます。気温が高ければ多くの水分を空気は含むことができますが、低温であれば少なくなります。この空気が水蒸気として内包することのできる限界量(飽和水蒸気量)となったとき、その気温を「露点(露点温度)」といいます。

 気温が下がってゆき、その気温の飽和水蒸気量をあふれてしまったものが、「露」として降りてくる。気温15℃の時の飽和水蒸気量は12.8g/㎥です。この時に10.0g/㎥の水蒸気を含んでいたとすると、明け方となり気温が5℃(飽和水蒸気量6.79g/㎥)となると、3.21g/㎥の過剰分が結露することになります。

 天気予報では「湿度」という言葉が登場します。湿度は、「その時に水蒸気量÷その時の気温の飽和水蒸気量」で計算されたものです。15℃の気温で6.4g/㎥の水蒸気量であれば、「6.4 g/㎥÷12.8 g/㎥=0.5(50%)」ということです。露点は、水蒸気量によって決まり、気温に左右されません。しかし、湿度は気温によって飽和水蒸気量が変わるため、正確な数字とはなりません。とはいえ、天気予報で「本日の露点は20℃です」と言われても…洗濯物をどうするか悩んだときは、「本日の湿度は30%です」と伝えてもらえた方が、自分のように物理に疎い者にはわかりやすいものです。

 湿気を含んだ海から吹く風が、山にぶつかり上へ上へと促されると、気圧の低下によって気温が下がり(断熱膨張)、雲となり雨となる。それが、川をつたって海に還るという水のサイクルを小学生時代に学んだ気がします。自然界においては、気温が低くなることで飽和水蒸気量を超えた場合、それは小さな水の粒となり雲を形成し、たまりたまって雨となり、「露」にはなりません。では、どのような条件下で「露」が生まれるのか?

 前述したように、「放射冷却」などにより地表の草や土などの温度が気温よりも下回るとき、空気中の水蒸気がさらに冷えた地表の土や草に触れることで露点に達し、結露がおきます。空気全体が冷えていくだけではなく、地表がさらに低い温度になっていなくてはなりません。飽和に近い水蒸気量を含んでいる冷えた空気が、それよりも数℃冷えている地表の草や土に触れたとき、空気が露点に達し、「露をおいてゆく」のです。その触れた狭い空間の温度差を起こすのが「放射冷却」という現象です。風が強ければ、地表の空気が攪拌されることになり、この温度差が生まれません。さらに雨上がりなどで、水が付着していたり、大地が湿っている場合には、水の比熱容量が大きいために、この放射冷却が起こりにくくなります。

 

 では、霜はというと…霜は馴染みの氷ではなく、氷の結晶が堆積したもの。これもまた、「放射冷却」などの影響で地表の草や土などが「0℃」以下に冷えたとき、それよりもほのかに暖かい空気が、その冷え冷えの草や土に触れることで一気に霜点に達する。すると、空気中の水蒸気は露(液体)とはならず、氷の結晶へと姿を変えるのです。小学生の時に学ぶ、「水蒸気→水→氷」の理論とは違う、「水蒸気→氷(結晶)」という「昇華(しょうか)/凝華(ぎょうか)現象」が起きるといいます。

 物質には固体、液体、気体と3つの状態があり、気圧と温度によってその姿が変わります。氷が融点に達すると融(と)けだして水となり、沸点に達すると水蒸気になります。ところが、0.6hPa(ヘクトパスカル)に減圧した0.01℃という状況は、この3つの形態が共存しているといい、ここを「水の三重点」といいます。これよりも減圧するか温度下げると、固体→気体(昇華)や気体→個体(凝華)が起きるという。※かつては、どちらも「昇華」と表現していましたが、2022年の化学の教科書から、固体が液体を経ないで気体となることを「昇華」といい、この逆を「凝華」と呼び分けています。

 1気圧が1,013hPaなため、0.6hPaという気圧は、真空に近い状態ということです。ここまで減圧すると、固体↔気体という「昇華/凝華」が起きることになります。この原理を利用したものが、「フリーズドライ」という食品の保存方法です。食品を凍らせ、減圧した中の保管し、少しだけ温度を上げます。すると、食材内の凍っていた水分が昇華することで乾燥してしまうのです。長期保存が可能となるばかりか、水分が加わると乾燥前の姿に遜色なく戻るのです。お味噌汁でお世話になっている方も多いのではないでしょうか。

 参考までに、馴染みの「ドライアイス」は二酸化炭素の固体で、素手では触れることができないほどに冷たく、常温では液体を経ずに気体へと変わります。この二酸化炭素三重点は、5,200hPaの-56.6℃です。1気圧が1,013hPaなため、常温では昇華してしまうということなのです。

 霜とは、自然界でこの「凝華」が起きている?調べるほどに疑問に思えてくるものです。どこをどう調べても、「霜は水蒸気の昇華/凝華現象によって発生する」という。霜が降(ふ)る夜明けは、気温0℃の中で足元の気圧が0.6Paまで激しく減圧している?そのようなことが起きるとは到底考えられません。字面だけを見ると、「昇華/凝華」という難しい言葉なために、なんとなく納得してしまうものですが、どうも違うような気がしてなりません。確かに、霜は水蒸気が氷の結晶となって地表に降ってきます…

 「霜」が降りるときは、「露」と同じような条件が必要になります。違いは、空気が地表1mほどの気温が4~5℃前後であり、地表の草や土などがが「0℃」以下に冷えているということ。気温が下がり霜点に達することで氷の結晶となるという。確かに、水蒸気が氷の結晶となるため、「凝華」という現象が起きているように思えるものです。しかし、「凝華」には前述したような気圧と温度という条件が必要になってきます。冷凍庫に入れておいた食材が乾燥する「冷凍焼け」も、一種の凝華現象だということから、ないとも言えないけれども…

 自分のような学者でもない素人は、素直に考えるのが良いのではないかと思うのです。飽和水蒸気量を含んだ空気が0℃の地表に触れたとき、空気は急激に冷やされ、露点を超えて霜点に達することになります。順番ではもちろん露点が先なため、空高くで発生する雲のように、水蒸気が水の微粒子に変わり浮遊する。そして、あっというまに霜点にまで及ぶため、微粒子が塊となり「露」となる前に、雪のように氷の結晶となるのではないでしょうか。

 水蒸気が氷の結晶へと姿をかえているように思えるため、「昇華/凝華」という言葉を当てているような気がします。その実は、水蒸気が露点を迎えることで水の微粒子となり、すぐに霜点に達することで氷の結晶へと姿を変える。それが「霜」となる。この変化がゆっくりであると、水の微粒子が粒となり「露」となって降りてくる。そうなると、水の「比熱容量」が大きいために、温度変化が緩慢となり、氷の結晶である霜とはなりません。「露」が凍った場合は、「霜」ではなく「氷」です。霜柱は、地中の水分が凍ったもので、「霜」の字が入っていますが「霜」とは別物です。

 「霜」について考察してみました。化学でいう「昇華/凝華」とは違う現象が、凍えるような地表で起きていると思うのです。大地や草などの地表から数cmほどのごく限られた空間で繰り広げられる、それも毎日ではなく必須条件を満たしたときのみに起こる、美しき自然現象なのでしょう。冬の空気が、そっと地表に「霜をおいてゆく」のです。皆様はどう思われますか?

 

 「露」も「霜」も、空気と地表との温度差が必須です。今まで幾度となく文中に登場した「放射冷却」と「水の比熱容量」が、これらの自然現象のポイントなっていました。「放射冷却」とは、よく天気予報などでも耳にすることのある言葉かと思いますが、晴れた日の夜は冷え込むというほどの認識しか自分はもっておりませんでした。まして「比熱容量」となると、全く意味不明なもの。そこで、この摩訶不思議な言葉を少しだけ掘り下げてみようと思います。

 「放射冷却」とは、簡単に言ってしまうと、物が外へ熱を出して冷えること。熱したフライパンを放置しておくと冷めていきます。温度こそ違え、自然界においても、「もの」は昼夜を問わずして微々たるものですがエネルギー(熱)を発しています。昼間は、太陽の陽射しによって放出以上に温まるため気になりませんが、陽が落ちると熱を放ち続けることになります。

 今の時期に、我々が布団を掛けずに寝てしまうと、体から熱が放たれつづけるため、寒さに耐えきれずに目が覚めてしまいます。これを防ぐのが、掛け布団です。これと同じような現象が、自然界での雲の存在です。空を雲が覆うと、まるで掛け布団のように、地表から放たれた熱を滞らせてくれる。さらに、風が強い場合には、寒暖の空気が混ざり合うように地表に吹き付けるため放射冷却が弱まる。なるほど…そして、身近な存在である「水」の存在も忘れてはいけないようです。

 水は常温にて安定している物質ですが、比熱容量が他の物質に比べてとても高い。こと、通常の温度範囲の液体だけみれば、最高値を誇ります。比熱容量とは、1g の物質の温度を1℃上げるのに必要な熱量のこと。この数値の大きい物質は、温まりにくく冷めにくい。逆に、小さい物質は、「温まりやすく冷めやすい」ということを意味します。少し言葉を変えると、水を温めるのに大きな熱量を必要としますが、「いったん温まると冷めにくい」ということ。

 よく、「盆地の夏は暑くて、冬は寒い」とよく耳にします。多々理由はあるかと思いますが、要因は「水の比熱容量」だといいます。大地は構成する要素は、水に比べて比熱容量は圧倒的に低いです。真夏の恨めしいほどの陽射しは、比熱容量の低い大地をすぐに熱するも、水はじわりじわりと温める。冬へ移りゆく中で、陽射しが柔らかくなるため、大地は温まるも冷めやすい。半面、水は今までの温(ぬく)さがあるため、ゆっくりと日増しに冷めてゆく。

 日本の北緯35度の2つの地域、盆地の京都府京都市と意味に面した千葉県の館山市。8月初旬ともなると京都は最高気温が32℃最低気温24度 対して館山は30℃に24℃。1月下旬では、最高気温7℃最低気温0℃、館山は10℃3℃となる。数字だけ見ると、たいしたことがないような気がしますが、気温1℃の違いは、身体にはかなりの気温差として感じるものです。

 もうひとつ、真夏の両都市の寒暖の差を見ていただきたい。京都は8℃で、館山は6℃です。太陽が昇ると同時に、大地と海は温められてゆくのですが、温まりやすくて冷めやすい大地と、温まりにくく冷めにくい海との間に、温度差が生まれ涼しいところから暖かい方へと対流移動がおこります。海側からが海風、反転したときが陸風です。海辺は真夏でも過ごしやすいと思うのは、大海原の景色に加え、この心地よい風が要因なのではないでしょうか。盆地である京都は、清々しい緑美しい光景に山より吹き下ろす山風が来る…しかし、大地も樹々も比熱容量が水にくらべて圧倒的に小さいのです。山風が吹くも、ぐんぐんと温度の上がる大地を冷ますにはいたらないのでしょう。

 常温において、これほどまでに安定していて、生きとし生けるものにとって必要不可欠な「水」。あまりにも身近なものであるための、その驚異的な能力を見過ごしがちです。「キンキンに冷えたビールが飲みたい!」という時に、缶ビールを冷やし忘れた!という経験はないでしょうか?この時に、冷蔵庫や冷凍庫に缶ビールを入れるよりも、氷水に入れたほうが早く冷えて飲み頃ごろになります。これも空気と水の比熱容量の違いなのです。水は4.18で空気(20℃)は1.01、参考までに鉄は0.45 で銅は0.38 ※単位はJ/(g・k)。断トツに数値が高い水は、接しているものから大量の熱を奪うことで水温を上げてゆくということなのです。

 もうひとつ、真夏の猛暑対策として、「夏の打ち水」をされたこがあるのではないでしょうか。水という液体が気体になるときに必要な熱量を周りから奪うことを利用して、気温を下げようというものです。水を撒くよりも、液体窒素を撒いたほうが冷えるのではないか?ということで、これも少し調べてみると…いかに自分の考えが浅はかだったかが判明しました。

 液体が気体になるときに必要な熱量を蒸発熱といい、数値で表しています。水(沸点100℃)の状発熱は2,250で、あれば、エタノール(沸点80℃)は393、 こと液体窒素(沸点-196℃)は199でしかない、※単位はkJ/(kg)。細かな数字の意味は、物理を専攻している方に任せるとして、この抜きんでた水の数値に注目していただきたいのです。液体窒素は、確かに触れたものを瞬時に凍らせることができるが、周囲の気温を下げるには蒸発熱が低すぎる。これに対して、水は気化するために大量の熱を必要とする。真夏の道路に水を撒くもすぐに乾いてゆく光景は、水が道路や空気から「どしどしと熱を奪っている」ので、涼しくなるのです。これほどまでに安定した物質で、無害な液体は他にはありません。

 地球は、砂漠にアマゾン、さらにシベリアなどと、地域によって寒暖差が激しいものです。しかし、他の惑星に比べれば大きな差ではありません。参考までに火星は平均気温が-62.7℃で、最高気温30℃で最低気温は-140℃といいます。いろいろな理由があるかと思いますが、要因のひとつは地球の表面の70%を占める海の存在です。そして、我々が体温を一定に維持できるのも、成人の約60%をなす水分のおかげだといいます。水が喉の渇きを癒すだけではなく、その比熱容量の大きさが、知らず知らずのうちに我々に大いなる恩恵をもたらしていたのです。

 「露」や「霜」が、涼しいから、寒いからだけで「降りる」ことはありません。秋から冬を挟み春までの、よく晴れた風の弱い日に「放射冷却」による地表の冷え込みが大きくなるといいます。雨上がりの水滴などが大地や草などに付着していては、「放射冷却」の効果は薄れます。しかし、空気中には飽和に近い水蒸気量を含んでいなければなりません。すべての要因が合致したとき、寒さに応じて「露」や「霜」が降ってくるのです。

 古人は、夏の空気から秋の空気へ、秋の空気から冬の空気へと引き継がれてゆく感じたとき、「露」や「霜」が降ることを予見した。源師時は、「草の葉に おく白露の 霜となるかな」と詠っているが、「露が凍えて霜となる」というよりも、「秋」が「朝露」をおいていた時期から、とうとう「初冬」が「朝霜」を降らせることを確信したのでしょう。子供が大人になるというような、時間的な経過が言外に含まれている「なる」なのではないか。そして、季節の機微を捉え言の葉を自在に操るという歌人だからこそ、この兆候に気づいたとき、誰よりも先んじて詠じようとしたのではないかと思うのです。

 「露」や「霜」の現象のメカニズムを知ってか知らずか、この美しく不可思議な自然現象を、「露/霜が降りる」「霜が降(ふ)る」という表現を古人は導いてきた。自然の機微を捉えようとする彼らの観察眼が成しえた表現であり、なんと的を射たものかと驚嘆するばかりです。

 氷の結晶は無色透明ですが、同じ氷の結晶である雪が光の反射によって白く見えます。これと同じように、霜もまた目には白く映るのです。源師時が朝霜を目にした光景は、「草の葉についた霜」ではなく、「(冬が)草の葉においた霜」であった。主語がなく「露/霜をおく」という表現が、読み手に想像をかきたてさせ、美しい光景を脳裏に浮かばせることになる…

 「霜がつく」では、おかしくはないが、「をかし(趣がある)」くない…のだと教えてくれている気がします。

 

 「霜」というのは、美しい自然現象ですが、こと農産物の栽培者にとっては厄介極まりないもので、霜や凍ることで起きる被害を「凍霜害(とうそうがい)」といいます。冬に旬を迎える野菜や果樹は、この寒さに抗(あがら)うかのように、糖類やアミノ酸類などを合成・蓄積して細胞内部の溶質濃度を高めて細胞内が凍りつかないように準備するといい、これこそが、冬ならではの美味しさです。しかし、何事にも限度というものがあります。

 寒さが「冬の味覚」を導くも、その寒さが限界を超えてしまうと、一夜にして今までの苦労が水泡と帰すことになりかねません。だからと言って、大寒波の訪れに対し何か対策がとれるのかというと、ベランダの植木鉢とは違って、広大な農園では移動もままならず、何かを施すとしても限られたものです。

 生きとし生けるものとって欠かすことのできない陽の恩恵を享受し、抗うことのできない自然の厳しさを甘受する。農を生業とすることの難しさがここにある。だからこそ、無事に収穫を迎えることができたときの喜びは一入(ひとしお)なもの。彼らが丹精込めて育て上げた野菜や果実を手にした時の我々の笑顔、さらに食したときに「口福」を覚えたとき、彼らの労が報われることになる。そして、我々は「いただきます」と感謝の気持ちを持つことで、彼らの労に応える。

 「農」の世界に魅せられ、就農を決意し、馴染みのない地に赴いた若者がいる。地元ではなく、香川の土地や雰囲気が気に入ったからということで、彼は讃岐平野を選んだ。今、Benoitの届く見事なまでのブロッコリーは、彼の地で彼が手塩にかけて栽培した逸品なのです。

 ブロッコリーは今が旬であり、多くの産地で育まれたものが所狭しと野菜売り場を占めています。どこで育ててもブロッコリーブロッコリーと思うことなかれ。なぜBenoitが、送料をかけてまでも大東さんのブロッコリーを購入しているのか…美味しいからに他なりません。なぜ美味しいのか?自分が尊敬してやまない鹿庭さんの力を借りて詳細をブログに書き綴ってみました。

kitahira.hatenablog.com

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

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ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2024年 干支「甲辰(きのえたつ)」のお話です。~なぜ竜/龍なのでしょう?~

 2024年の干支(えと)は、「甲辰(きのえたつ)」です。

 世界の言語は、「絵画文字」、「表音文字」、「表意文字」などに大別されます。絵画文字は、古代文明に書き記された絵文字を代表とし、表音文字はアルファベット(音素文字)や日本の仮名(音節文字)などがあります。そして、表意文字は、一文字で単語を成し、実質的な意味を持つもの。それが「漢字」です。

 古代中国の賢人は、毎年の世相を分析し続け、世相は繰り返すことを見出した。そこで、時代時代を表現する漢字二文字を選び、この漢字の組み合わせをもって後世に伝えようとしました。それが「干支(えと)」というもので、十干(じっかん)と十二支の組み合わせで成り立っています。甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)…と続く「十干(じっかん)」と、馴染みの子(ね)・丑(うし)・寅(とら)…の十二支。

 この10と12という数字が、我々の生活の中でどれほど溶け込んでいることか。算数を学ぶ上で、数字の区切りとなるのが10。そして、半日は12時間、1年は12ヶ月。10と12の最小公倍数は「60」。還暦のお祝いとは、この漢字の通り「暦が還(かえ)る」人生60年目の節目を迎えたことを祝うもの。

 干支にあてがわれた漢字は、それぞれに樹の成長を模したものだといいます。賢人は、今年の世相をどのように分析し見定め、干支という形で我々に遺したのでしょうか。今年は「甲辰(きのえたつ)」です。賢人は、漢字に何を託し、我々に伝えようとしたのでしょうか?素人ながら、漢字語源辞典「漢辞海」を片手に、賢人の想いを書き綴ってみようかと思います。

 

 干支が十干と十二支の組み合わせであることは前述いたしました。2つの漢字一文字ごとに意味があり、2つの立ち位置の違う「世相」を組み合わせているのだと考えます。最初の漢字の世相は、人が抗しがたい「時世」の勢いであり、賢人は10年というサイクルを見出し、「十干」をあてがう。人生とは栄枯盛衰を繰り返すもの、これが「人世」である。賢人は、その人世を12年であるとし、十二支をあてる。干支とは、古代中国の賢人が「時世」と「人世」を読み解くことで導いた、その年ごとの世相のこととみる。そして、それぞれの漢字が樹の成長になぞらえているという。

 

 「時世」を意味する十干、2024年は「 (きのえ/こう)」です。

 昨年2023年は「癸(みずのと)」であり、十干の殿(しんがり)を担っています。この見慣れない漢字を、「説文字解(せつもんじかい※文末に説明を記載します)」はこう説いている。「癸」は冬の時節に配される。そして、川も土地も凍り、草が枯れることで、地は平坦となることで「揆度(きたく)」するこができる、と。揆度とは「はかる」こと。さらに、川が四方から流れて地中に注ぐ形に象(かたよ)るという。

 さらに、「釈名」によれば、「癸」は「揆」である。時機を揆度して生じ、やっと土からでる。「揆」には、「はかる」という意味があり、その幅は広い。数値として「測る」に「量る」、タイミングを「計る」、計画を「図る」。「揆測(きそく)」は、「揆度」と同義であり、推しはかること。

 さて、十干は還ってきました。「甲」は十干の第一位です。漢字そのものは、草木の芽の外皮や殻、動物の体を包む甲羅などのから、さらに甲冑(かっちゅう)というように、鎧のことも意味します。この甲冑の甲は鎧で、冑は兜を意味しているのですが、象形文字だけに、頭を守る兜のように見えなくもない。さらに、鉄で組み立てたものが鎧であり、皮革で作ったものが甲という。十干での方位は「東」で、五行では「乙(きのと)」とともに「木」に当てています。

 もう少し、語源辞典「漢辞海」を使って深く調べてみます。「説文字解」によれば、「甲」は東方に配され五行の「孟(もう)」である。東に配される春には、陽気が兆し動くので、「甲」は木の芽などを包む、殻をかぶるような様子から構成される。さらに「釈名(しゃくみょう)」では、十干の「甲」は「孚甲(ふこう=種子の皮)」である。万物が種子の皮を解いて生ずる。鎧の「甲」は、生物が「孚甲(=から)」をもって自らを守るのに似ている。またこれを「介」「函(かん)」「鎧(がい)」という。

 「甲」は「孟」であるという。四季はそれぞれ3か月間あり、それぞれを「孟」「仲」「季」といい、春は孟春(正月)→仲春→季春。「孟」には「はじめ」という意味があります。さらに、「努力する」という動詞もある。しかし「孟浪(もうろう)」という、「とりとめがない」やら「だらしがない」という言葉がある。

 「孚甲」の「孚」。馴染みがない漢字だけに意味が思い浮(←似ているけれども)かばないものです。「説文字解」によれば、「爪」と「子」で構成される「会意」に分類されます。卵がかえること意味する。鳥は卵を抱きながら、爪で卵を回転させ孵化を促すという。そこで、「孵化する」という意味もあり、そこから「信服する」と派生し、さらに名詞では「誠意」と。「孚信(ふしん)」とは、心の中にある誠(まこと)、「真実」という意味です。

 時世という樹は、昨年2023年までの10年間で成長し、新たな種を大地に落とした。そこへ、四方から落合い落合い流れ込む川が大地を潤し、誕生することを促しているも、、「癶」が進むことを躊躇(ためら)わせているかのよう。時世はその機を計っているかのように、急ぐ気配はなかった…そう、なかっ「た」…

 昨年の時世である「癸」は「揆」である「釈名」はいう。「揆」には、「はかる」という意味があり、その幅は広い。数値として「測る」に「量る」、タイミングを「計る」、計画を「図る」。「揆測(きそく)」に「揆度(きたく)」と、タイミングを見計っていた。今年2024年の「時世」は「甲」であり、「孟」を導いた。「孟」によって、いよいよ時世が動き出すことを知る。

 種が動き始め芽吹くことになったものの、いまだ時世は「孟浪(もうろう)」としている。「孟」が努力することを求め、「孚甲」によって自らを守っている。「甲」には「介」「函(かん)」「鎧(がい)」という堅重な「よろい」を意味する漢字に通ずる。「鎧」はそのもの。しかし、「介」には他に「介添え(=引き合わせる)」という意味もあり、さらに「助け守る」や「心のとどめる」とまで。「函」には、「函迫(はこせこ=江戸時代に懐中した懐紙入れ)」のように、奥深くに含まれる、包み込むという意味もる。

 時世は、向こう10年にむけて動き出すも活発にでは、ひっそりとしたものであり、いまだ「孟浪」や「函胡(かんこ=曖昧ではっきりしない)」ものであるという。そこで、その時世を守るかのように、何かが介在する。それが、「孚信」であり「介心(=高潔な心)」なのだと。

 「人世」を意味する十二支。人世における栄枯盛衰に、賢人は12年を見い出し、樹の成長にならった漢字をあてがいました。2024年は「辰 (たつ/しん)」、十二支の中で5番目です。

 昨年2022年は4番目の「卯」。方位では「東」に位置し、五行では「木」にあてる。「説文解字」によれば、象形文字であり、門が少し開いた形に象るという。万物が大地を冒(おか)して伸び出すことを意味するという。卯木(うつぎ)の花が咲く月だからということで、日本では旧暦4月が「卯月(うづき)」です。しかし、古代中国では2月を指す。

 今年の「辰」は、もちろん十二支の5番目。方位は「東南東」で、五行では「木」に当て、「竜」の意味も併せ持つ。「芳辰(ほうしん=吉日や春の良き時期)というように、時間や時期を意味する「晨(しん/あした)」を含意し、さらに「北辰(=北極星)」や「三辰(=太陽・月・星の総称)」にように天空に見る星の意味もある。

 語源辞典「漢辞海」を紐解いてみる。「説文字解」によると、この字は意味ある漢字を組み合わせた「形声」文字であるという。震(ふる)う。3月に陽気が動き始め、雷鳴とどろかすことで空気や大地が震動することで、民が農作業をする時節であることを知る。万物がみな生じるときなので、「乙(=草が屈曲しながら地上に出るさま)」と「匕(=変化)」から構成される。草がまっすぐに達する意に象(かたど)るという。さらに「釈名」によれば、「辰」は「伸」であるという。物がみな「伸舒(しんじょ/のびること)」して出てくるという。

 さらに、「辰」は「晨」を導いていました。馴染みのない漢字ですが、鶏が夜明けを告げる、時を告げるという意味があり、「早晨」とは夜明けのこと。「晨」は、「辰」の上の「日」がのる。この「日」は「晶(=純粋な光)」を意味し、朝になると太陽光がまた伸びて現れることだと。この「また」というところが、繰り返されるこの太陽の陽射しに感謝の気持ちが込められている気がします。

 古代賢人は、「辰」に「竜/龍(以下は竜と書きます)」をあてた。十二支とは、それぞれ意味のある漢字を皆に周知してもらうため、身近な動物をあてたのだという。その中で、竜だけが唯一実在しない生きものです。帝王の象徴だから、古来はその存在を皆が信じていたからという。しかし、十二支の5番目に「竜」をもってくることに、何か意味があるような気がします。春分に天に昇り、秋分に淵に潜るという「竜」。「臥竜(がりゅう)」とは、非凡の人のこといいます。さらに、「竜」は自由に雲を起こして雨を降らすことができることから、めぐみや恩恵という意味もあります。

 昨年2023年の「卯」は象形文字であり、門が少し開いた形に象るという。万物が大地を冒(おか)して伸び出すことを意味するという。人世は、土が覆いかぶさった中で、各々が培ってきた種が着実に育まれていた。昨年は、土が人世の勢いを抑えるかのよう蓋となっていたものが、ついに押し上げられるよう。水が大地を覆い潤すことで勢いを得た。そして、いよいよ辰をもって、本格的に芽吹くことを暗示している。

 2022年は「壬寅」。時世の「壬」は「妊」であり、人の妊娠の姿を象る。人世の「寅」は「演」であり、物を演(ひ)いて誕生させるという意味も含む。偶然なのか必然なのか、時世も人世も新しいものが誕生していることを暗示している。人智及ばぬものが時世であり、人がどこうできるようなものではありません。2020年の「辛」を受け注いだ「壬」、新しい時世が誕生してはいるものの、まだまだ赤子のような姿で、どのような性格を持ち合わせているのかは定かではありません。

 そして、時世と歩調を合わせるかのように、それぞれの人世も育まれているかのようです。混沌とした世界の中で、もがき苦しみ行動してきたことが実を結び「種」となる。時世という地に植えられた「種」が動きだそうとするも、時世が抑え込むかのようで動きは鈍い。時世は、我々に肥沃な地を用意してくれたものの、今が芽吹く時ではないといっている。

 2023年は、ついに育んできた時世の種が動き出す。古代中国で生まれた五行説では、時世の「壬」と「癸」は「水」であり、人世の「寅」と「卯」は「木」である。水は木を生み出すという…五行相生(ごぎょうそうじょう)という相性のいい関係。陰の気が極まった「壬寅」から、「癸卯」は陽へと舵を切る。時世が大地を潤したことで、我々個々が育んだ種が演出した(=新たに生まれた)。それが、いよいよ動き出す。

 2021年「辛丑」は、止まるべき時に止まり、行うべき時には行う。動くも止まるも、時(天命)を見失わなければ、その道の見通しは明るい、と伝えていた。2022年「壬寅」は、従順さであらゆる事柄を受け入れることにより、大いに順調にゆく、そう教えてくれた。川がその大地を演(うるお)すも、時世に寄り添うように身をゆだねながら、芽吹きの機を待てといってた。

 そして、昨年2023年は、「癸」は「揆」であり、「卯」は「冒」であるという。時世は、我々に行動に移す時ではある教えると同時に、タイミングを「揆度(きたく=はかること)」しろといっている。さらに、「揆撫(きぶ=よくよく反省して考えること)」することを促しているかのよう。水でいう「水平」の如き確固たる準則を、いうなれば信念を持って判断するようにと。

 2024年は「甲辰」。「時世」は「甲」であり、「孟」を導いた。「孟」によっていよいよ時世が動き出すことを知るも、いまだ「孟浪(もうろう)」としているからこそ、「孟」が努力の継続を求めてきている。それが芽となり育まれるも、いまだ「孚信」と「介心」の介添えを必要としている。

 「人世」は「辰」であり、「竜」「晨」「伸」を導いた。十二支の中で5番目に位置しているが、今まで4年にわたり育んできた種が、目に見える動きを見せる。信念をもってはいたものの思い悩んでいた数々が、やっと実感できるときがくるのです。時世の純粋な「晨光」に導かれるように、大いに「伸展(しんてん=勢力や事業がのび広がる)する。しかし、「竜」が架空の生き物であることを忘れてはいけない。実在するには何かが足りない?それこそが、時世が教えてくれた「孟」の努力と、「孚信」「介心」なのではないかと。「探竜頷(りゅうがんをさぐる)」とは、竜のあごの下にあるという玉(ぎょく)を探りとろうとすること。これは、大きな利益を得るために、非常に危険をおかすことの例えのことをいいます。

 

 2023年の「癸卯」は、五行説でいう「癸」は水で「卯」は木、2024年の「甲辰」はともに木です。水が木を育む「相乗」の関係から、同じ気が重ねることでますます活発となる「比和」へと移りました。良いことは益々良くなると同じく、悪いこともまたしかり。今を間違わぬよう、くれぐれも慎重に行動することを求めている。

 「巳」には十二支でヘビをあてがっています。初めは盛んだが、終わりに振るわないことを「竜頭蛇尾(りゅうとうだび)」という。2025年の干支は「乙巳(きのとみ)」。まさに竜頭蛇尾とならないよう、本年の行動を今一度考える必要があるのかもしれません。「辰巳(しんし/たつみ)」とは、南東の方角を意味しながら、「巽(たつみ)」を導きます。この「巽」は八卦の一つで、「巽為風(せんいふう)」といい「風」を象徴します。この卦は、従順に道理に従うことで、対象にどこまでも入り込めるのだという。

 今までの人生の中で、成功と失敗を繰り返しながら学んできたものが、弛まぬ努力によって種となり地に植えられたのは4年前のこと。やっと実感できるときが到来することを「辰」は告げている。十二支を「十二辰」とも書くことは、成長を感じ取れるからこそ始まると考えたからなのではないでしょうか。

 自分自身の成長の片鱗を感じ取ることができるもの、まだ種はその全貌を明かしてはいない。種や芽は、「甲」で守られていました。守られている時期であれば、霜が降りようが寒波がこようが、耐え抜くことができるもの。しかし、いったん萌芽を迎えてしまうと、「ひととき」の無防備が生まれることにあるのです。ここで霜などが降りると芽が凍死してしまうのです。動きが目に見えたときに、隙が生まれる。

 古代賢人は、十二支の5番目「辰」に、タツノオトシゴではなく、架空の生き物である「竜」をあてている。なにやら、今までの努力が実を結ぶような感覚を覚えるも、実態はつかめていない。時世が勢いを増してくる中で、その勢いさながらに人世が「竜飛(りゅうひ=英雄が時を得て立ち上がる)」することに、少し慎重になれといっている気がします。急(せ)いては事を仕損じる。今年(/)は良くとも来年(/)に力尽きる…「頭蛇尾」となることを危惧している。さらに、「辰巳」は「巽」を導き、これが風(道理)に従えと説いている。

 古代賢人が十二支に「竜」を選んだ理由は、皇帝の象徴というよりも、その神格化した竜ほどの勢いが人世にありながら、その実態を掴みきれていないからではないかと思うのです。だから架空の生き物である「竜」をあてたのではないか。今までの努力の証ともいえる「臥竜」たらん資質を備えてきている。そう感じつつも、確認した(見た)わけではないために定かではない。

 確認できないまでも、その資質を感じていることは確か…だから「竜」なのではないでしょうか。架空の生き物だからこそ、好機を見計らうことが大切であり、軽率な行動を戒めている。「潜勿用(せんりゅうもちいることなかれ)」と古人は遺している。水中に潜み、まだ天に昇る時節がこない竜は、行動してはならない。そう、竜のごとき英雄豪傑であっても、機会に恵まれないうちは、強いて行動をしてはいけないということを意味します。

 しかし、行動せずに時世の勢いに流されたままでは、「頭蛇尾」となると告げている。いつ「飛」すべきなのか?よくよく考えて行動せよ…そして、その存在に時間を覚えたときこそが、行動に移すべき好機だというのか。そして、架空の「竜」だからこそ、その好機は人それぞれによって違う。だから実体のない「竜」こそが相ふさわしいと考えたのでは…皆様はいかが思いますか?

 

 1984年の「甲子(きのえね)」に幕開けした60年の世相のサイクル。「世」の字には30年という意味が込められていると聞きます。60年の中に30年の2つの世相。2014年「甲午(きのえうま)」からはすでに後半の世相が始まっています。世相における栄枯盛衰は世の常であり、これを乗り越えなくてはなりません。その先で、我々は宝の地図(人世のさらなる高み)を必ず見つけることができると信じています。

 

 本文中に出てくる用語を少しだけご紹介させていただきます。

 たびたび出てくる「説文解字」と「釈名」という名前。本というよりも辞典と言い表した方が良いかもしれません。しかし、これらが編纂されたのは、古代中国でした。「説文解字」は紀元後100年頃、六書(りくしょ)の区分に基づき、「象形」「指事(指示ではないです)」「会意」「形声」に大別され、さらに偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)によって分類されています。

 「象形文字」は、実物を絵として描き、その形体に沿って曲げた文字。「指事文字」とは、絵としては描きにくい物事や状態を点や線の組み合わせで表した文字をいい、「上」や「下」が分かりやすいと思います。十干の「己」は指事文字です。そして、「会意文字」は、既成の象形文字指事文字を組み合わせたもの。例えば「休」は、「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって休むことから。干支の「壬」は指事文字、「寅」は会意文字です。

 「偏旁冠脚」は、漢字を構成するパーツのこと。そのパーツの主要な部分を「部首」と定め、現在日本の漢和辞典は「康熙字典」の214種類を基本にしています。しかし、偏旁冠脚では、漢数字、十干や干支もこのパーツに含まれ、その分類区分は、「一」から始まり「亥」で終わる、総数が540です。数あるパーツの中から、殿(しんがり)を担ったのが「亥」です。十二支の最後もまた「亥」です。この後、さらに時は流れ紀元後200年頃、音義説によった声訓で語源解釈を行い編纂されたものが、「釈名」です。

 万物を陰と陽にわける陰陽説と、自然と人事が「木・火・土・金・水」で成り立つとする五行説が合わさった考え方が、陰陽五行説です。兄(え)は陽で弟(と)は陰。陽と陰は、力の強弱ではなく、力の向く方向性の違いのこと。陽は外から内側へエネルギーを取り込むこと、陰は内側から外側へ発することだといいます。運の良い人とは、陽の人であり、外側から自分自身へ力を取り込んでいる人のこと。「運を呼び込め」とはよく耳にいたします。陰の人とは、運が悪いわけではなく、自分自身のみなぎるエネルギーを外に発している人のこと。一方が良くて、他方が悪いわけではなく、すべては陽と陰の組み合わせです。陰陽の太極図を思い浮かべていただきたいです。2つの魂のようなものが合わさって一つの円になる。一方が大きければ、他方は小さくなり、やはり円を形成するのです。森羅万象全てがこの道理に基づくといいます。

 

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2023年12月Benoit 「歳暮(としのくれ)のご挨拶と新春のご案内です。」

春秋の あかぬわかれも ありしかど 年の暮れこそ なほまさりけり  藤原兼実

 春は春で、秋は秋で、なにやら満ち足りない気持ちで別れを惜しんだものですが、年の暮れこそが、どの季節が過ぎ去るときよりも、「飽かぬ別れ」をこれほどまでに感じ入ることはないものです…と、藤原兼実は詠う。

 何か特別なことがあるわけではありませんが、歳暮(としのくれ)ばかりは、他の月とは全く違うほどに重みがあり、惜しむ思いが募るものです。暦が太陽の軌道を基にするのであれば、一陽来復の観念からも「冬至」を歳暮とすればよかったのではないかと思うもの。しかし、古代賢人は、陽射しの恩恵が一番短い、玄冬(げんとう/玄には黒という意味があります)極まる冬至ではなく、約1週間の猶予をもって歳暮を迎えることにした。「飽く(望みなどが満ち足りて十分だと感じる)」人生を歩むべく、自らを省みる期間としたのではないかと思うのです。

 「あく」には、「明く」という言葉もあります。この上ない「飽くなき別れ」を感じる歳暮だからこそ、「夜が明ける」こと、「年が明ける」こと切望するのでしょうか。12月31日と1月1日とは、月末から月初へと変わるということだけのこと。しかし、この時期に募る思いが強いからこそ、「去年今年(こぞことし)」という言葉が胚胎されることになったのでしょう。

 

 今年は、新型コロナウイルス災禍が落ち着きを見せたかと思いきや、今はインフルエンザウイルスが猛威を振るっています。さらに、ロシアのウクライナ侵攻に加えパレスチナ問題、国内の政情不安という、人災に翻弄され続けた一年であり、今なお収束の兆しがみえておりません。何が正しく、何が間違ってるのか手探りの中で、安心安全に過ごすことに加え、なすべきことをしなければならないというご辛労は並々ならぬものだったはずです。心穏やかに過ごし日々のありがたさを感じ入った年ではなかったでしょうか。

 「≪成功≫の反対は、≪失敗≫ではない、≪何もしないこと≫である」と、お客様より教わりました。成功はもちろん、失敗からも、辛いですが多くのことを学ぶことができる。しかし、何も行動に移さなければ何もないままです。頭では理解していても、行動が伴いませんでした。さらに、自分の怠慢からご迷惑をおかけしましたことも数知れず。

 新年を迎えるにあたり、皆様より賜りましたご温情を徒(あだ)や疎(おろそ)かにせず、自分の今年の至らぬ行動を省み、倦(う)まず弛(たゆ)まず努力を続け、少しでも皆様のご期待のお応えできるよう最善を尽くすことをお約束いたします。皆様におかれましては、Benoitへの変わらぬご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 12月22日に「冬至」を迎えました。これからは徐々に陽脚が伸びてくるものの、古来より「畳の目ほど」と表現するほど微々たるものです。「冬至、冬なか、冬はじめ」というだけあり、本格的な寒さはこれから。木々は余計な体力を使わないよう冬籠りの準備中、まさに「山眠る」光景です。寒さ厳しい季節にはいります。

 古人は、冬に陽射しが降り注ぐ日を、恋しいからでしょう「愛日(あいじつ)」と呼んでいます。春秋左氏伝の「冬の日は愛すべし」からできた言葉のようです。冬は太陽が天高くまで昇らず、陽射しが低い角度で部屋の奥まで差し込むため、寒々しい中に暖かい「陽だまり」ができています。屋外でも、夏は木陰となっていた場所も陽だまりができているもの。

 今年にやり残したことがあるかと思いますが、ここはひとつ節目をつけ、「日向ぼっこ」で太陽の恩恵を十二分に享受いたしませんか。陽だまりでほっこりと温まるひとときは、何か心まで満たされる気になってしまいます。今年一年の自らを省みる時、暗闇よりも「陽だまり」のほうが、間違いなく明るい未来を見出すことができるはずです。

さらに、愛日には「時を惜しむ」や「親に孝行する日々」という意味もあるようです。「陽だまり」が導く「家族の絆」が心の拠り所となり、この乱世の波を乗り切る活力となる。そして、花咲き誇る春には、我々を鼓舞してくれる何かがある。歳暮に省み、新年に新たな未来を想い描き、行動に移してゆくことで、樹々が萌(きざ)す季節には、きっと明るい兆しを皆様が感じることができるようになるはずです。

 皆様におかれましては、歳暮(としのくれ)までを無事息災に過ごされますことと、希望に満ち満ちた新年をお迎えできますよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

 

2024年はBenoitから始まる…≫

 降り注ぐ太陽の陽射しが万物を育て上げ、四季折々の風はその土地土地に味わいをもたらします。その風がもたらした美味しさこそ「風味」であり、我々はここに「口福」を見出します。そして、旬を迎える食材は、人が必要としている栄養に満ちています。さらに、人の体は食べたものでできています。「美しい(令)」季節に冬食材が「和」する逸品に出会い、Benoitで「口福な食時のひととき」をお過ごしいただきたい。この想いを込め、「新春特別プラン」をご案内させていただきます。

 迎えし2024年は1月1日から4日までお休みをいただき、心機一転15()より、万全の準備をもって皆様をお迎えいたします。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなく返信ください。

 

新春特別プラン 

期間:土日を含めた2024年2月29(木)まで

 

ランチ

前菜x2+メインディッシュ+デザート

7,000円→6,500円(税込/サービス料別)

※前菜を1つにし、デザートを2つ選べるプランに変更できます。

前菜+メインディッシュx2+デザート

8,500円→7,700円(税込/サービス料別)

 

ディナー

前菜x2+メインディッシュ+デザート

9,000円→8,500円(税込/サービス料別)

※前菜を1つにし、デザートを2つ選べるプランに変更できます。

前菜+メインディッシュx2+デザート

11,000円→10,000円(税込/サービス料別)

 

 

20241Benoitは、ちょっと贅沢なシャンパーニュで始まる…

 シャンパーニュメゾンDRAPPIERは、シャンパーニュの南端、オーヴ県ウルヴィル村に居を構える。12世紀にシルタシアン派の僧侶によって築かれた地下セラーは現在も使われており、当時からこの地でワイン造りが行われていた事を示している(ドン・ペリニヨンより古い)。1808年よりこの地でシャンパン造りを始めたドラピエは、現当主ミッシェル氏で8代目。他の大手とは異なり、常に家族経営を続けている稀有なメゾンです。

 長女の誕生が、このメゾンの転換点となります。ミッシェル氏は「子供達の将来を考えた時に自然と今の自然な畑作りと葡萄栽培をやるべき」と決意し、所有する53haの畑では1989年から一切の農薬を使用しない有機栽培へ。さらに、極力CO2(亜硫酸塩)の添加を避ける醸造方法を実践。収穫された葡萄は小分けにし、できる限り短時間でタンクに運ぶ。18度の完全な温度管理の下、野性酵母を使ってゆっくりと発酵を開始。酸素を遮断する為、圧搾機を発酵槽の真上に設置したグラヴィティシステムを採用。SO2無しでも果汁はバクテリアに侵されるこなく美味なるワインに姿を変える。

 このDRAPPIERが醸す、Grande Sendrée(グラン・サンドレ)というシャンパーニュを、皆様のご紹介させていただきます。この名称は、キメリジャン石灰岩が特徴の区画のこと。1836年にウルヴィル村を襲った火災で灰(サンドル)に覆われたことに由来するといい、ピノ・ノワール種とシャルドネ種が最高のポテンシャルを発揮する地だといいます。彼の地の育まれ、醸された2012年ヴィンテージです。

 凍てつく冬が大地をリセットし、暖かな夏が成長を促した…しかし、類を見ない雹が降りつけることで甚大なる被害を被るも、収穫時期の好天候から、有史以来の最高のヴィンテージではないかと評されているのです。完熟したピノ・ノワール種(55%)による、アメリカンチェリーの香の中に、シャルドネ種(45%)由来の白い花やバニラのニュアンスを感じることができる。ドサージュが少ないことで、張りのるミネラル感があり、長い余韻を楽しめるという。9年にも及ぶ瓶内熟成がなしえる、調和と複雑さが相まった味わいというのでしょうか。

 DRAPPIER曰く、10年の歳月を経ることで、やっとGrande Sendréeは楽しめることになるだろう…と。

 

2012 Champagne Drappier Grande Sendrée

26,000(税込・サービス料別)

期間は、202415()から229()まで

※すでに特別価格でのご案内のため、Benoitのワイン割引はご利用いただけません。

 

 本数に限りがあるため、予約はお早めにご検討ください。ご予約はもちろん、何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。に自分へメール(kitahira@benoit.co.jp)か、もちろん電話(03-6419-4181)でもご予約は快く承ります。先にご案内しました「新春特別プラン」とご検討いただけると幸いです。

 

 

GH Mumm メーカーズディナー開催決定!≫

 4年に一度の来たるうるう年の特別な一日、2月29日にG・H Mummシャンパーニュディナーを開催いたします。

 プレステージでもある 「Cuvée Lalou」はもちろん、日本人画家の藤田嗣治氏の名を冠した「Rosé Foujita」など、G・H Mummの真髄を感じられるラインナップをご用意。アンバサダーを務めるクリストファー・シュビヤー氏を迎え、大いにG・H Mummの魅力を大いに語っていただきます。

を、Benoitで、5種類の豪華シャンパーニュとお食事と共にお楽しみ下さい。ご参加をお待ちしております。

 

GH Mummメーカーズディナー

開催日: 2024229()

時間: 18:30会場 19:00スタート

定員: 50名様 (相席をお願いする場合もございます)

料金: 22,000(サービス料/税込) ※お食事とワインを含みます。

 

ラインナップ

Grand Cordon / RSRV4.5 / Cuvée Lalou / Rosé Foujita / Ice Extra

 

 ご予約はもちろん、何かご要望・質問などございましたら、自分へメール(kitahira@benoit.co.jp)で、何気兼ねなくご連絡ください。もちろん、電話(03-6419-4181)でも快く承ります。

 

 

≪さらなる高みをテーブルマナー講習会≫

 

 食事の席というのは、知っている人ばかりとは限らず、知らない人のときもある。そこは、栄養を摂る場所ではなく、語らいの場です。美しい所作が相手に共感を覚えさせる、そして内面からはなたれる品位品格が感動を覚えさせる。これが相手との距離を詰めることとになり、会話が弾む。そこに美味しい料理が加わることで「口福な食時」となる。知性あふれる言の葉が発せられる口が福を呼ぶのか、はたまた舌鼓(したつづみ)を打つほどの美味しい料理によって口中に福を感じるのか。この2つが相まったときの「ひととき」に、我々は幸せを感じるのではないでしょうか。

 其処彼処(そこかしこ)で開催しているテーブルマナー講習会であれば、自分は皆様へご案内することはありません。テーブルマナーを知っていても、「見初(みそ)むる」心地になる、そのような講習会のご案内です。

 

世界基準の一流を学ぶ 「テーブルマナー講座」

開催日: 2024128()

※2月以降の予定は、年明けにご案内させていただきます。

時間: 11:30より講義を始めます。 

11:10までにお運びください。終了予定は15時15分を予定しております。

料金: 18,000(サービス料/税込) ※お食事とワイン2杯を含みます。

※事前振込制です。ご希望の日程がございましたら、北平宛(kitahira@benoit.co.jp)にご連絡ください。質問なども喜んで承ります。この講習会に関しては、電話でのご予約は受け付けておりません。

 

 

北平のBenoit不在の日

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない2023年1月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

202411日から4日まではBenoitはお休みをいただきます。

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上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 

 バランスの良い美味しい料理を日頃からとることは、病気の治癒や予防につながる。この考えは、「医食同源」という言葉で言い表されます。この言葉は、古代中国の賢人が唱えた「食薬同源」をもとにして日本で造られたものだといいます。では、なにがバランスのとれた料理なのでしょうか?栄養面だけ見れば、サプリメントだけで完璧な健康を手に入れることができそうな気もしますが、これでは不十分であることを、すでに皆様はご存じかと思います。

 季節の変わり目は、体調を崩しやすいという先人の教えの通り、四季それぞれの気候に順応するために、体の中では細胞ひとつひとつが「健康」という平衡を保とうとする。では、その細胞を手助けするためには、どうしたらよいのか?それは、季節に応じて必要となる栄養を摂ること。その必要な栄養とは…「旬の食材」がそれを持ち合わせている。

 その旬の食材を美味しくいただくことが、心身を健康な姿へと導くことになるはずです。さあ、足の赴くままにBenoitへお運びください。旬の食材を使った、自慢の料理やデザートでお迎えいたします。

 

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最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

2024年1月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない2024年1月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

202411日から4()まではBenoitはお休みをいただきます。

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 上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

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一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

2023年12月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない12月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

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 上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com