kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2021年12月 年の瀬に想うこと…

 澄んだ冬晴れの中、年の瀬の喧噪から逃れようと、近所の公園へと向かう。このメールを書くようになりはや10年、何か思い悩んだ時などは、カメラ片手に公園へ赴きます。何か目的がある時もある。しかし、大半はふらりと思いのままに。何度通っても、何かしらの発見があるもので、季節というものは待ってはくれず、また巡ってくるということを実感させられるものです。自分が見失っていたものを教えてくれる。

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 樹々は葉を落とし、草は冬枯れし、閑散とした光景の公園と思うも、其処此処(そこここ)で常緑樹が緑濃い葉を茂らせている。花こそ少ないが、不思議と赤い樹の実が目につく。冬の公園はもの静かなものと思いながら…この時期は、我々が年越し準備に忙しいように、公園の中もなかなかに忙しいご様子。

 喧騒とは程遠い、澄んだ声音が公園に響き渡る。寒々と冴えたような空気感が、この思いをさらに強くするようです。チチチチッチかな?多くの小鳥が囀(さえず)りながらたわわに実った木の実に群がっている。ツグミかな?ツグミであれば、冬に日本に渡来する渡り鳥。ハクチョウなどは雪国の大きな湖沼を棲みかにする。しかし、小鳥であるツグミは雪のない地を越冬の地に選び、旅疲れを癒すかのように木の実をたらふく喰らっている。

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 どうもこの時期は、自然界そのものが越冬するために忙しいようです。この小鳥の声音は、すでに冬眠中の生物にとって眠りを妨げる音なのでしょうか?はたまた、子守歌なのでしょうか?土中に佇(たたず)む彼らに聞いてみたいものです。

 

かち人の いそぐゆききの 日にそへて 春にちかづく 年の暮れかな  小倉実教(さねのり)

 

 「かち人」とは、勝者のことではなく、徒歩の人のこと。道々を急ぎ行き交う徒人(かちびと)を目にする日が経つにつれ、日一日と春は近づいてきている。まもなく年の暮れだな~。歳暮(としのくれ)を迎えるに、せわしなく行き交う徒人の光景を前に、実教は、一年という時があまりにも速く過ぎ去っていることを感じ入っていたのでしょうか。徒人だからこそ、日に日にというよりも一歩一歩と近づく春を待ち望んでいたのかもれません。

 12月のことを「師走(しわす)」と学校で教わりました。万葉の時代から、「十二月(しわす)」と読み、語源はいまだ定かではありません。諸説ある中で「四季が果(は)つる」から「しはつ」→「しわす」であると江戸時代の新井白石はいう。しかし、1000年以上も前から、12月に「師走」を使用していることは、世間一般に大いに受け入れられた証であり、馴染みの光景だったのでしょう。

 かつて陰暦12月には「正月事始め」を執り行っていました。これは正月の神様と歳神(としがみ)様を迎えるため準備のこと。屋内の煤(すす)や埃(ほこり)を落とす「すす払い」という大掃除。門松や松明(たいまつ)のために、その字の如く「松」を伐採に山に向かう「松迎え」。さらに、正月飾りのために美しい草木をも山に探し求めなければなりませんでした。この一切合切を取り仕切るのが「年男(としおとこ)」です。

 さらに、この時期は、家々に僧侶を招き仏名会(ぶつみょうえ)を執り行っていたといいます。これは、過去・現在・未来の三世諸仏の仏名を唱えていただくことで、一年間に積み重ねた罪を懺悔(ざんげ)し、清らかな身となり新年を迎えるため。そのため、名家や豪商が名を連ねる町では、お坊さんもさぞや忙しかったことでしょう。「僧を迎え迎えて仏名会(ぶつみょうえ)をおこない、東西に馳(は)せ走るゆえに、師馳せ月」である、平安時代末の歌学書である「奥義抄」にこう書き記してあります。

 小倉実教は、鎌倉時代後期から南北朝の時代にかけて活躍した公卿です。平安京左京で南北に走る道路のお屋敷があったのでしょう。富小路(とみのこうじ)という通称を持っています。往日、実教が門外で見た徒人とは、足早に道を行き交う人々だったのでしょう。仕事をしながら「正月事始め」の準備に勤しむ町人だったのか。京へ正月飾りや年越しの食材をたっぷりと積んだ荷車を引く行商人だったのか。仏名会へと向かうため、袈裟(けさ)をまとったお坊さんだったのか。

 歳暮(としのくれ)を迎えることで湧きおこる惜年の想い。この得も言われぬもの寂しさは、もの静かに映える庭木ではより深くなる。実教はこの寂しさを晴らそうと思ったのでしょうか、彼の視線は庭木ではなく動きのある徒人へと向かう。そして、待ち望む新年(春)を迎えるという心持ちが、徒人の動きになおいっそうの「せわしなさ」を与えたのかもしれません。

 「松迎え」も「仏名会」も、今では馴染みではありませんが、12月は多忙を極める時期であることは、今も昔も変わりがないようです。皆様、無理は禁物です。十分な休息と休養をお心がけください。皆様が健やかに、歳暮そして新春を迎えることができるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

 草木の花々は移りゆく季節の機微を捉え、順を追って咲き誇るもいずれは散りゆきます。食材も同じように「旬」という期間は限られたものであり、「待つ」という優しさはありません。

 そこで、全ての旬食材は無理でも、Benoitに少しだけ顔を向けてくれた食材で、「口福な食時」ひとときをお過ごしいただきたく、「新春特別プラン」と銘打って、皆様にご紹介させていただきます。さらに、2022年が素晴らしき年となるよう、特選シャンパーニュを特別価格でご案内させていただきます。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 今年の辛丑が終わりを迎えようとしています。その「辛」の字の如く優しい年ではありませんでした。しかし、時世は我々に新地(さらち)を用意してくれていた気がいたします。思い思いの種を植えることで、そう遠くない日に、希望の芽が姿をみせることになるでしょう。

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 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com