kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

なぜ?我々日人はここまで桜に心惹かれるのか? なぜ?サクラと呼ぶのか? そして「花より団子」は、どうして生まれたのか? 少しばかり紐解いてみました。

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし  在原業平(ありわらのなりひら)

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 世の中に、まったく桜がなくなれば、いつ花開くのか待ち焦がれたり、風が花を散らさないかと気を揉んだり、散れば散ったで惜しんだりと、心を煩(わずら)わせることもなく、ゆっくりと春を過ごすことができるだろうに。今年ほど、この歌が心に染み入る年はないのではないでしょうか。

 

 「花」といえば、万葉の時代には「梅」のことを指し示しました。古代中国から律令制度を取り入れる中で、ともに海を渡って届いた梅の花に、ある種の憧れの念も加味されたようです。さらに、「梅と鶯(うぐいす)」の組み合わせも、同時に輸入されています。そして、勅撰漢詩集が3冊も立て続けに編纂される時代となりました。和歌の勢いは下火となり、国風暗黒時代を迎えます。「花」が「梅」である時代が続くのです。

 この国風暗黒時代を打破すべく、勅撰和歌集の編纂の命を下したのが、醍醐(だいご)天皇でした。万葉集の成立から、ゆうに150年もの後の平安時代こと。気鋭の歌人であった紀貫之を中心とした4人の撰者のもとで始まりました。

 万葉時代から詠われ続けてきた和歌は、「詠み人しらず」が多いものの、これが平安和歌との橋渡しとなるもの。まさに「古」にあたります。して、「掛詞(かけことば)」に代表さえれる技巧を駆使した繊細優美な歌風である、紀貫之の時代にみる「新」の歌の数々。この勅撰和歌集は「古今和歌集」と名付けられた所以です。この「新」の時代へと導くきっかけを作り出したのが、在原業平を含めた「六歌仙」たちでした。そして、日本に自生していた「桜」が、「花」としての復権を遂げるのもこの時代のこと。

 連綿と受け継がれていった、「花」への想い。だからこそ、桜咲く頃の肌寒さを「花冷え」、雨を「花散らしの雨」、強風を「花嵐」と、天気にまで「桜」が入ってしまうのでしょう。歌壇のなかでの「花」が「桜」であることは、理解できるも、なぜほれほどまでに我々日本人の生活に密接に関係してるのでしょうか。

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 花の名前が初めから決まっていることなどなく、誰かが名付けなければなりません。海外から伝来したのであれば、そのままの読みが名前であったり、姿が何かに似ていれば、その似ているものにちなんだ名前であったり、さらには名前に何か意味があったり。では「さくら」という名前はというと。

 「さ」は「田の神」を、「くら」は「座」を意味します。そう、山より舞い下りた神が宿る場が、「さ・くら」です。農耕民族である日本人が桜の開花に一喜一憂する理由は、日本人のDNAに刻み込まれた、古代の「田の神」信仰なのでしょう。神が舞い降りたことへの感謝の気持ちを表した「お祭り」こそ、「花見」のルーツなのだといいます。

 カレンダーの普及していない時代にあり、人々が何を根拠に、農作業を始めたのか。それが「桜の開花」でした。桜が花開くのを待ち望み、この時から、稲作作業の「田起こし」を始めたのです。東北の方では、桜の開花が遅いため、一足先に花咲く「コブシ」を目安としていました。そのため、彼の地では、このコブシを「田打ち桜」と呼んでいるのです。

 「農耕の神」にまつわる「サ」は、サクラ以外にもその名残を今に残します。もちろん、農耕の神様だけに稲作に関わるもの。収穫の源でもある田植え用の稲のことを、「早苗(サ・ナエ)」といいます。さらに、昔は、田植えを担うのは女性でした。彼女たちを、「早乙女(サ・オトメ)」と。稲作で欠かせない水資源は、梅雨にもたらされます。旧暦の5月が梅雨時期にあたり、この月を「サ・ツキ」と読み、この時期の雨は「五月雨(サ・ミダレ)」。「五」の語源を調べても、「サ」の読みはありません。

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 桜の花を愛でながら、小腹が空いた際に、ついつい口からでてしまう言葉が「花より団子」。なかなか的を射た表現であり、相手に気持ちがユーモアとともに伝わる素晴らしいフレーズです。この短い言葉には意外な歴史がありました。時は今を遡ること1300年、天武天皇により発願された平城遷都、710年頃の奈良時代でのこと。

 当時に建立された奈良仏教を代表する法相宗大本山、「薬師寺」が舞台です。今では世界遺産となり、修学旅行や観光で訪れたことがあるのではないでしょうか。ここは、よく我々がお世話になるお寺さんとは違い、お葬式などを行うところではなく、学ぶところ。言いかえれば法相宗の教義を学ぶところです。

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 3月の末に、この大寺が国家繁栄、五穀豊穣と万民豊楽を願い、執り行われる春の行事が「花会式(はなえしき)」です。この約1週間の法要では、薬師如来、日光・月光両菩薩の前に、季節をつかさどる10種の和紙で作られた造花とお餅が備えられます。このお餅のことを、「檀供(だんぐ)」と呼びます。そして、この法要後、「花わけ」として、和紙の花と檀供をご協力いただいた方々に贈られます。

 美しく織り込まれた和紙の造花は貴重でありがたい、素晴らしい想い出にと是が非でもほしくなるのが今の時代の我々です。しかし、奈良時代はそんなに食が豊かでない時代。当時の人々の気持ちは、造花よりお餅をいただきたい、それが正直なところではなかったのでしょうか。「花より檀供(ダング)」、このフレーズを10回も繰り返し口に出してみると…今で言う「花より団子」の誕生です。

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桜の花には花言葉とは別に異名があります。

「夢見草(ゆめみぐさ)」

 出会いや別れの重なる春らしく、桜ととともに思い出と輝かしい夢を重ねながら、新たな門出を迎える時期だからなのでしょうか。はたまた、桜の豪華絢爛な満開の姿が、これから迎える人世の門出を盛大に祝福していると見たからなのでしょうか。学業の1年の区切りが、海外では9月であるのに対し、日本では4月です。

 かつては世界競争力を養う上でも、変更すべきと話題になりました。賛否両論でましたが、やはり4月から変更しなかったことは、この「桜」にちなんだ、日本人ならではの感性が大きな要因だったのではないでしょうか。

 

夢のうちも うつろふ花に 風ふきて しづこころなき 春のうたたね  式子内親王

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 夢の中にさえ、春の風が吹いて桜の花が散ってゆく。春はうたたねといえども落ち着いた気分では眠れないことよ。さすがにここまで思いつめる方は、いらっしゃらないと思います。今年は、今までの人世での良き思い出とともに、夢の中でお楽しみいただくのが良いのでしょう。心を煩(わずら)わせることもなく、ゆっくりと春を過ごすことができるかもしれません。「桜は来年も咲きます。」

 世の中に、春を彩る食材がなくなれば、ゆっくりと春を過ごすことができるものを、とは夢の中でも思ってはいけません。これはいけません。四季折々の旬の食材は、今我々が必要としている栄養が豊富に含まれており、その時々を無事息災に乗り切ることを手助けしてくれています。生きとし生けるものへと与えられた、自然からの贈り物です。

 「春に三日の晴れなし」とはよく言ったもので、日々変わりゆく天気は落ち着きがありません。皆様、無理は禁物、十分な休息と睡眠をお心がけください。ウイルス対策もお忘れなきように。そして、日々の食卓に「旬の食材」を加え、美味しくいただきながら、体の中より免疫向上をお心がけください。

 

いつもながらの長文を読んでいいただき、誠にありがとうございます。

末筆ではございますは、ご健康とご多幸を、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

http://www.benoit-tokyo.com