kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

年末のご挨拶「誠にありがとうございます」

春秋の あかぬわかれも ありしかど 年の暮れこそ なほまさりけり  藤原兼実(かねざね)詠

  春ごと秋ごとに、過ぎ去る季節に名残惜しさが尽きず、満ち足りないものを感じていました。年の暮れとなり、季節というよりも1年間を振り返っての別れは、比べることができないほどに寂しいものです。太陽が昇り沈みゆく、ただこの繰り返し、約365日をかけて地球が太陽の周りを1周する。ただただ日一日と過ぎ去ってゆくのみのなかで、いったい誰が決めたのか「年の暮れ」。この「締めくくり」が、我々の生活に1年のサイクルを生み出し、今期の反省と来期の目標を考えさせてくれるようです。眠りに就き、夜が明けることで心機一転の機運が生まれる。「去年今年(こぞことし)」という言葉が生まれるのも、この時間に対する感覚があるからでしょう。どうやら今も昔もそう変わらないようです。

  黄葉・紅葉とまさに千葉(せんよう)の彩りが終わりを告げ、冬本番の到来を感じさせる、まさに「山眠る時期」を迎えております。地には緑少なく、樹々は葉を落とし、寂しげな風景の中で、ひときわ目を惹く青々しく茂らせた葉とそこへ実った真っ赤な実。中国原産の南天(なんてん)は、難を転じる「難転」に通ずるとして、お正月の縁起物として。とげとげの葉に真っ赤な実を成すセイヨウヒイラギはクリスマスならではのもの。しかし、古来より日本にも人々に重宝されていた樹があります。成長したときの樹高によって、十両(じゅうりょう)、百両(ひゃくりょう)、千両(せんりょう)に万両(まんりょう)と高くなり、万両でも1mほど。そっくりなのに、全てが別品種です。その中でも、縁起物ということで千両と万両は庭木や鉢植えに人気なため、其処彼処に見かけることが多いものです。千両は上向きに、万両は下向きに真っ赤な実を実らせています。

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 「両」とは、両親などのように「二つで一組となる双方」のことであり、喧嘩両成敗のように「二つとも」の意味も持ち合わせます。かつては重さの単位であり、江戸時代には通貨の単位としても使用されていました。両親、夫婦、兄弟姉妹のみならず、仕事や余暇の相棒を含め、誰一人として欠かすことのできない大切な人の無事息災を願う。重さとは、五穀豊穣を象徴するかのように。さらには金銭に困らぬようにとの願いを込める。草枯れ葉落とす樹々の中にあり、たわわに連なる真っ赤な実に、古人はこの願いを見出したのでしょう。分類学上では別品種であっても、この思いがあったればこそ、「両」という漢字を使ったはずです。先人たちの名付けの妙、巷溢れる情報の中で溺れているかのような我々よりも、数段上手な気がいたします。樹高の高さにそこまでの相違がない千両と万両。下向きに実を成すから「重い」と見立て、だからこそ「万両」と命名したのでしょう…なんという遊び心と観察眼だと思いませんか。

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 2018年、並々ならご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。今年の干支「戊戌(ぼじゅつ・つちのえいぬ)」は、時世の勢いが強い上に、人世と同じ方向を向いている。人世もまた成熟の極みにあり、時世の波をとらえた皆様は、今まで努力が人世の成果として現れたのではないでしょうか。こと自分に至っては、自分の怠慢から長文レポートの配信や返信を怠るとこと数限りなく、さらには皆様のご期待に応えることのできるサービスを目指しつつも、その高みには手が届くことはありませんでした。時世に荒波の中に何の準備もせずに飛び込み、溺れはしなかったものの、もがき苦しみ右往左往とした不甲斐なさ、反省しております。来たる年では、心機一転、皆様から大切なひと時をお預かりしているという気持ちを心に刻み、さらに皆様がBenoitで「口福な食事」を過ごすことができるよう、そして皆様のご期待に応えることのできるよう、日々精進してまいります。

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 Benoitは、新年1月1日から4日までお休みさせていただき、万全の準備をもって5日(土曜日)より皆様をお迎えいたします。そこで、今年に皆様より賜りましたご愛顧に感謝の気持ちを込め、Benoitの新春恒例イベント「フランス産黒トリュフの破格値での量り売り」を開催いたします。いつものプリフィックスメニューよりお好みのお料理をお選びいただき、心ゆくまで黒トリュフをお楽しみください。まだ正確な価格はわかりませんが、予想では200円/1g前後でご案内できるかと思います。他の1月の特選食材については、新年を迎えましてから、「ダイジェスト版」にてご案内させていただこうと思います。2019年は、今年以上に魅力あるお料理を皆様にご提案できるよう、最善を尽くす所存でございます。何かご要望・疑問な点などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 12月22日、一年間で一番陽の短い一日、冬至を迎えました。夏至と比べると、お日様の恩恵に授かれる時間が4時間も短くなる日です。暖房の完備されていない昔にあっては、降り注ぐ暖かい陽射しを、どれほど待ち望んでいたか。農耕民族ですから、なおさら切望していたのではないでしょうか。そのような想いも込められているのか、冬至を「一陽来復」と表現したそうです。陰陽説の「陰の後には陽がくる」という言葉から派生し、悪いことが続いたあとには福が訪れる…かつては、冬至が新年の区切りだったのも納得いたします。

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 日本と同じような緯度に位置しているヨーロッパにも、もちろん「冬至」という概念が存在します。生活するうえ狩猟民族も農耕民族も、太陽の大切さは変わりません。先日まで大いに賑わっていたイベントがヨーロッパの冬至。そう、「クリスマス」です。12月25日はキリストの生誕日とされ、かつてギリシャ時代に採用されていたユリウス暦と、その後のローマ法王が定めたグレゴリオ暦(今馴染みの暦の原型)とでは、13日ほどのずれがあるため、同じ12月25日でも、ユリウス暦の12月25日はグレゴリオ暦では1月7日にあたるのです。今でもロシア正教ではユリウス暦の名残が残っているため、1月7日がクリスマスのお祝いを行います。では、なぜローマ法王グレゴリオ暦を作ってまで、今の12月25日にこだわったのか?そこには、冬至が深く深く関わっているのです。4世紀に入り、キリスト教をヨーロッパに普及するために、クリスマス12月25日をヨーロッパの冬至に合わせてきたのです。他にも理由はあるかと思いますが、この点も理由の一つのはずです。太陽のさんさんと降り注ぐ陽射しは、生きとし生けるものにとって欠かすことのできない存在なため、太陽神という信仰が生まれます。そこにキリストの誕生日を合わせることで、人々に深く印象づけることになったのでしょう。古今東西、1年の大切な区切りが冬至なのです。

 これからは徐々に陽脚が伸びてくるのですが、古来より「畳の目ほど」と表現するほど微々たるもの。「冬至、冬なか、冬はじめ」というだけあり、本格的な寒さはこれから。木々は余計な体力を使わないよう冬籠りの準備中、まさに「山眠る」光景です。 この「眠る」季節の中で、緑鮮やかな葉を茂らせ、陽に照らされ輝かんばかりの実がひときわ目を惹く、ミカン科の木々。昔々の日本では、このような柑橘類を総称して、「橘(たちばな)」とよんでいました。

  一年中つややかな緑な上、初夏にはさわやかな香りを放つ白い花を咲かせ、木々眠る季節にたわわに黄金色の実。前述した千両や万両と同じように、古人は橘になに「永遠」なるものを感じていたようです。古事記では、垂仁(すいにん)天皇の命により、田道間守(タジマノモリ)が常世の国から持ち帰ったものが「非時香木実(時じくの香の木の実)」、これが今の橘だと記載されています。まさに不老不死の理想郷の象徴のような木なのです。

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 この橘(品種の橘ではなく、柑橘類を総称しての橘)を庭に植えようと決めた方は、家族代々不老長寿の願いを込めながら育てたのでしょうか。はたまた、収穫を楽しみにしていたのでしょうか。どちらにせよ、果樹は簡単には育てることができません。特に柑橘類の若木はアゲハチョウにとっては大好物ですから。都内とはいえ並々ならぬ苦労があったことと思います。身近に見かけることのできる「橘」。植栽を決め、手塩にかけて育てた主に感謝し、今年一年を健康で締めくくることができる幸せを橘に感謝をする。さらに来年もまた笑顔で過ごすことのできる日々、さらにご家族・ご友人様の長寿も橘に託す。願うことそこかしこ、師走の多忙な時期だからこそ、心和むこのような散策もまた一興なのではないでしょうか。

橘は実さへ花さへその葉さへ 枝(え)に霜ふれど いや常葉(とこよ)の樹 (聖武天皇)

 

末筆ではございますが、皆様のご多幸とご健康を、黄金色に輝く橘と真っ赤な千両・万両に託し、青山の地よりお祈り申し上げます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山10階

TEL 03-6419-4181

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長野県茅野 青木さんの「日本ミツバチの蜂蜜」

 天下泰平が300年も続くことは、世界史をみても稀有なこと。その恩恵を謳歌するかのように、文化芸能の隆盛をなしえた江戸時代。豪族が点在する、特に際立った特徴のない荒野、関東八州を徳川家康が所領としてあてがわれたところから、江戸の文化が始まりました。現在の皇居である江戸城を拠点に町が形作られるも、日本橋をスタートとする五街道が大きな役割を果たしていました。その街道沿いに宿場町が生まれ人々が集うようになります。

  五街道のひとつ、現在の甲州街道(国道20号線)は、日本橋から始まり、皇居の北側を迂回するように西へ。新宿を経由して高井戸、八王子と進みます。江戸時代、日本橋からこの街道を歩き続け、四谷大木戸の関所(今の四谷四丁目交差点)をくぐると、目の前には宿場町「内藤新宿」が続きます。その人で賑わう通りの両脇には多種多様の店が軒を連ね、裏手の軒先には畑が広がっていたようです。秋深くなる時期には、緑鮮やかな葉の間に、輝かんばかりの鮮やかな深紅の剣先を空に向けた「内藤トウガラシ」がたわわに実っていたそうです。このトウガラシは八房系に分類され、葉の上に天に向かって房状に実るのが特徴。一面のトウガラシ畑は、赤と緑の見事なコントラストを成し、それはそれは目をみはる光景だったことでしょう。

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 と、詳しく書いたものの、Benoitでトウガラシを使用することはありません。今回ご紹介する特選食材は、甲州街道をさらに下(くだ)った先から届いたものです。街道は下っていくのですが、地理的には山に上(のぼ)っていった地。甲州街道山梨県甲府を過ぎ、長野県の下諏訪のあたりで中山道と合流します。この合流手前に位置している、茅野(ちの)市が産地。そして今回の匠は、この地で信州ナチュラルフーズを営む青木和夫さんです。八ヶ岳の高原に居を構え、この雄大な自然とともに生きることを選んだ今回の匠。狩猟解禁ともなると、ジビエを求め山深くに入り、イノシシやクマ・シカを追い求める。山を知り抜いた青木さん管理の下、山の恩恵を十二分に受け育まれた「日本ミツバチの蜂蜜」が特選食材です。

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 ミツバチは独特の社会性を持っており、生まれ成長する段階で、蜂社会を営む役割が決まるようです。女王蜂を頂に据え、働き蜂が下僕かと思いきや、卵を産まなくなった女王蜂は働き蜂に巣を追い出されるそうです。女王蜂が生む卵は全てがメス。花粉や蜂蜜で育てられた個体が働き蜂、働き蜂より生み出されるローヤルゼリーを与えられた個体が未来の女王蜂といいます。え?全てがメス?働き蜂はオスではないの?そう、オスは繁殖に必要な時に女王蜂に生み出され、さっさと消えてゆくのです。全ての主導権は働き蜂、まさに「働き蜂の 働き蜂による 働き蜂のための政治」が成り立っているのかもしれません。しかし、女王蜂の寿命が2~3年なのに対し、働き蜂は1~3ヶ月という違いは、厳しい生存競争を生き抜くため、高齢化蜂社会に陥ることで活力が弱まることを避けるためなのか。はたまた、盛者必滅の理を蜂なりに受け入れたからなのか。もちろん、わたくしが知る由もありません。

 

 ミツバチは大別すると、日本ミツバチと西洋ミツバチに分けられます。もちろん日本土着の品種が日本ミツバチなのですが、養蜂場で飼育されているのは、ほぼ西洋ミツバチです。日本ミツバチは行動範囲が西洋ミツバチの約半分の2km、蜂蜜の生産能力は西洋ミツバチに軍配が上がります。この採蜜能力から、関東タンポポが西洋タンポポに生息地を奪われているかのような現象が起きている…かと思いきや、そこは大和撫子の意地があるのでしょう。日本にはミツバチの天敵であるオオスズメバチが其処彼処に。この蜂は巣箱に侵入し、ミツバチを蹴散らし、蜂蜜と幼虫を奪う獰猛なハチ。日本ミツバチはオオスズメバチを集団で取り囲む蜂玉(ほうきゅう)をつくり、激しく羽ばたくことで体温を上げ、酸素不足の中で熱し倒すのです。ところが、外来種の西洋ミツバチにはこの対抗能力がないため、全く太刀打ちできないといいます。そのため、野生化することはなく、人間の庇護の下でしか生きてゆけません。では、日本ミツバチはが悠々自適に過ごしているかと思いきや、実は全国的に激減しています。原因は除草剤とミツバチに寄生するアカリンダニというのです。蜂軍団としての数の力が無い場合、1匹の天敵であるオオスズメバチが偵察目的に襲撃に来た際に、蜂玉を駆使して撃退できずに取り逃がした場合、次にはオオスズメバチの大群が押し寄せるのだといいます。その結果、どうなるかはご想像の通りです。

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 多くの養蜂家が西洋ミツバチを飼育し、効率よく蜂蜜を産している中で、信州ナチュラルフーズの青木和夫さんは、頑なに野生の日本ミツバチにこだわります。蜂蜜を生み出す量は、皆様が思っている以上に少ないです。働き蜂1匹が一生で集めることのできる量は、ティースプーン1杯ほどといいます。そのため、巣箱から巣蜜を採取するのは年に一度のみ。それでも、日本ミツバチにこだわりたくなる理由は、惚れ惚れしてしまうほどの艶やかな琥珀色、粘性が強く、荒々しいほどにコクのある風味。甘さの中にほろ苦さを感じることが自然由来の証であり、洗練された味わいには程遠い、これほどまでにと思う味わいの濃さが、日本ミツバチ本来の持ち味です。今まで手にしてきた蜂蜜はなんだったのかと驚かれるのではないでしょうか。

 

 青木さんは勝手知ったる八ヶ岳に入り、要所要所の巣箱を設置します。野生の日本ミツバチは、新女王蜂に選ばれた個体が羽化する直前に、旧女王蜂がお供の働き蜂を引き連れて巣を離れます。これが分蜂(ぶんぽう)と呼ばれるミツバチの増える仕組み。春から夏にかけて、青らが青く風の少ない日に、ミツバチがおおきな玉をつくるかのように群がって移動している姿を分蜂球とよび、中に女王蜂を据え、周りを守るかのように働き蜂がびっちりと囲みます。このまま新住居へと移動するのです。行き当たりばったりの引っ越しかと思いきや、そのへんは緻密な社会を形成しているミツバチですから、抜かりありません。引っ越し以前に、働き蜂の中から選りすぐりの強者を選び、この「新住居探索部隊」が移住先を探しているのです。青木さんが狙うのは、この時。この捜索隊に見つけてもらい、いかに安全快適であるかを女王蜂に報告してもらわねばなりません。人が介入できるところは、いかに快適安心な巣箱を作り設置すること。そして、引っ越し当日の安全と日々の無病息災を祈ることのみ。

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 ミツバチの巣蜜は、巣箱の天井から垂れ下がるように作られます。そのため、季節によって咲く花が違うため、天井に近いあたりが春、下へ上るほどに季節が移り変わっていくのです。アカシアを含めた春の花から、山の樹々の花が咲き誇る夏の花、花園といわれる秋は草花から。山深ければ、高山植物が加わり、里山であれば畑の花も、そう茅野市では蕎麦の花も忘れてはいけません。日本ミツバチは蜂蜜の生産量の少なさは、前述した通りです。そのため、1年に1度しか、人間が蜂蜜をいただくことができません。西洋ミツバチであれば、春だけの「アカシアの蜂蜜」というように得ることができるものが、日本ミツバチでは生産性の低さと蜂自体が激減していることもあり、まず目にすることはないでしょう。しかし、けなげに働く日本ミツバチの希少な蜂蜜は、コクのある甘さの中にほろ苦ささえ感じるほどの複雑な味わいは、何人をも魅了して止みません。だからこそ、青木さんのような職人が健在なのです。

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 Benoitに送っていただいた巣蜜を手にし、とろりと流れ落ちる輝かんばかりの琥珀色の蜂蜜を目にしたとたん、八ヶ岳を思い起こさせるかのような山々の香りがあたりに充満する。口にすると、今までの蜂蜜とは一線を画す、まさに自然そのものの荒々しささえ感じさせる風味に圧倒され、長い余韻に酔いしれる。日本ミツバチが自然の厳しさ、天敵と対峙しながら、集めた季節それぞれの花の特徴が、流れ落ちるときに絡み合うことで生み出された「百花蜜(ひゃっかみつ)」。余計なことは何もせず足さず、だからこそ一瓶一瓶違った味わいになるのは至極当然のこと。ハーブティーなどに合わせるものではない!これは、料理を引き立てる副材ではなく、好敵手となりうるもの。ライバルは選ばれしものでなくてはなりません。Benoitで名乗りをあげたのが、以前にご紹介した特選食材である

Brise de mer Faisselle (ブリーズ・ドゥ・メール フェッセル)

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 北海道の酪農家が仕上げた、コクのあるミルクの風味豊かな至高のフレッシュチーズです。これと、日本ミツバチの濃厚な蜂蜜とのマリアージュは、北海道と長野県、それぞれの地で育まれた自然の生み出した逸品が一堂に会することを意味します。想い描くだけで、心躍る心地になりませんか?

※Benoitでは、この日本ミツバチの蜂蜜とフレッシュチーズのセットを1,000円で昼夜問わずご用意しておりますが、このblogを読んでいただけた方には800円でのご提案です。フレッシュチーズの入荷数には限りがございます。ご予約の際に、「フレッシュチーズ希望」とお伝えいただけると幸いです。

 

 日本在来種でありながら、いまだ謎の多い日本ミツバチです。巣箱の材質や形状、設置時期など、何が正しく間違っているかは、経験に頼るしかありません。今の情報化社会の弊害でもある「マニュアル化」は、便利であり初心者にはこれほどありがたいものはありませんが、融通が利かなく、臨機応変の対応を不可能にします。これでは野生日本ミツバチと対峙できません。先日に2018年の状況を伺ったのですが、なかなか蜂にとっては芳しい年ではなかったようです。しかし、その手助けとして、青木さんが新たな手法を見出したというのです。詳細をお話したいのですが…これが秘密というよりも、あまりにも専門的なので、素人の自分には話半分も理解できませんでした。その地に伝わる伝統を生かし、今なお試行錯誤を重ね、いかに多くの蜂の群れと出会うか。青木さんと日本ミツバチとの駆け引きに、幕引きはありません。

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 楽しげに語ってくれる青木さんの声には、老人めいた印象はまったくありません。いまだに雪に埋もれる時期でなければ、日に3回は山に入るといいます。その相棒が愛犬たちです。高知の四国犬「まる」、その任を引き継いだ和歌山の熊野犬「仮称:はち(名前は確認中です。)」、ともに猟犬として名高い勇猛果敢な犬種です。「熊野犬は若いのに、イノシシに向かっていくんだよ」と青木さんは話してくれるのですが、我々にはあまりにもなじみがない光景に、イメージがわきませんが、いうなれば「今年(2018)の干支が来年2019年の干支を追い回す」、まさに「去年今年」の構図ではないですか。

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「蜂たちが八ヶ岳周辺の高原より1年かけて集めた貴重な蜜です。ぜひ信州の自然の贈り物を多くのお客様に喜んでいただけたらと思います」。自然が豊かといことは、自然の厳しさを受け入れることを意味します。青木さんが労を惜しまずどのような苦難も甘受する理由は、全てこの青木さんのメッセージが物語っているのではないでしょうか。戌(いぬ)年の締めくくりとして、愛犬の尽力と声なきメッセージも、お伝えさせていただきます。

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以下、余談です。時間のあるときに読んでいただけると幸いです。

 

 関東に徳川家康江戸幕府を開府するのを機に、日本橋を拠点とする五街道が整備されました。人の行きかう処に宿場あり、各街道の最初の宿場町は「江戸四宿(えどししゅく)」と呼ばれていました。例えば東海道品川宿中山道の板橋宿、日光街道千住宿。当初、甲州街道は西へ西へと進む一番目の宿場町は高井戸宿でした。しかし、ゆうに16kmと離れるため、いささか遠いのではないかと?という理由から、途中に新たに宿場町が作られることになり、それがしい宿場町、「内藤新宿」の誕生です。内藤とは、この宿場町の脇が徳川譜代の大名である高遠藩内藤家の下屋敷あったことに由来します。

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 かつて、街道が二つの大きな街道に分かれる地点を「追分(おいわけ)」と呼び、この呼び名は今でも地名に残っています。現在の甲州街道を四谷から西へ向かってゆくと、新宿三丁目交差点に辿り着きます。ここが、甲州街道から青梅街道の追分です。この交差点を中心に伊勢丹さんの点対称の位置に「新宿元標」として追分であったことの記念碑と路面にパネルがはめ込まれています。人々の雑踏の中で見過ごしこと間違いないのですが、しっかりと残っています。ちなみに、川が合流する地を「落合(おちあい)」といいます。まさに川が落ち合う地。今皆様が住まわれている周辺や、旅路の中で探してみるのも一興かと。

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 甲州街道をひた進んでいくと、今回の蜂蜜を購入させていただいた長野県茅野市へた
どり着き、日本ミツバチに出会うことができますが、何もここまで行かずとも、ここ内藤新宿でも野生の日本ミツバチに会えるのです。前述した高遠藩内藤家の下屋敷跡地、そう「新宿御苑」です。明治維新後、上納されたこの地は、農業研究場となり、多くの植物が国の内外を問わず移植されました。その後、公園として開放されるも、いまだ草木豊かで、都心にいることを忘れさせてくれる憩いの地です。野生のカブトムシが息づく地だけあり、今は野生の日本ミツバチの巣を見ることができます。ミツバチにとって、人の暮らす地の方が、天敵スズメバチを人間が駆除するために、過ごしやすいのかもしれません。行動範囲が狭いですが、もしかしたらこの新宿御苑の日本ミツバチも、甲州街道を進み、何十年後かには茅野市を訪れるかもしれません。

 

 さて、日本橋を起点として「五街道」、それぞれの最初の宿場町を「江戸四宿」。おや?東海道甲州街道中山道日光街道の4街道にそれぞれの4つの宿場町。五街道のもう一つはどこへ向かう街道なのでしょう?なんと、日本橋小網町にある行徳河岸(ぎょうとくかし)と千葉県市川市の行徳を行き交う海上航路、行徳船航路です。海上に宿場町ができるわけもなく、江戸五宿ではなく四宿なのです。千葉県の行徳は塩を産する地、江戸住民にとっては欠かせない塩を運びこむ重要なルートだったようです。

 

長々とお読みいただきありがとうございました。

末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈っております。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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柞(ははそ)の秀歌が教えてくれたこと

「柞」

 普段の生活の中で、この漢字を目にする機会は皆無なのではないでしょうか。「ははそ」と読み、クヌギやコナラなどの樹々をひっくるめて、古人は「柞」と呼んでいたようです。これについては「12月の特選食材~ダイジェスト版~」にて、少し語らせていただいているので、お時間のある時にご訪問いただけると幸いです。

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 今でこそ馴染みのない「柞」ですが、かつては身近な存在であり、多くの歌人に、黄葉の移ろいの美しさをもって晩秋から初冬にかけての趣きを教えてくれていたようです。万葉の時代は、樹々の葉が色を変えることを「もみつ」(動詞)といい、これが名詞のかたちをとり「もみち」なのだといいます。この時代に「ひらがな」は誕生しておらず、万葉仮名は漢字の音読みを利用して書き記されています。「もみつ」は「毛美都」や「もみち」は「毛美知」と。しかし、古人の美的感覚はこれを許さなかったのでしょう。「もみつ」は「黄変」や「もみち」は「黄葉」と書き残しているのです。「もみじ」を「紅葉」とするのは、もう少し時が経たねばならなかったようです。

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 自分がこの漢字と出会うも、「ははそ」などと読めたわけではなく、もちろん調べたことは言うに及ばないでしょう。その最中、以下の一句に出会いました。偶然なのか必然なのか?

 

散らすなよ 老木(おいき)の柞(ははそ) いまひとめ あひ見むまでの露の秋風  正徹(しょうてつ)

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 「露」とは、空気中の水分が夜半の冷え込みによって地上の物体の上に水滴となって表れたもの。「朝露」は、陽が昇るにつれて消えてしまうため、無情ではかないものの比喩。「無情な秋風よ、老木の柞の葉を散らさないでくれ。今ひとめ対面しようと約束している、その日までは。」と、秋風に願っているのか。はたまた、「老木の柞よ、今いちど出会うまで葉を散らさないように頑張ってくれ。吹いているのは、それぐらい虚しい秋風なのだから」と、老木の柞を鼓舞しているのか。31文字の中に、正徹はどれほどの想いを込め、組み立てたのでしょうか。素直に受け止める自然や感情の機微に感嘆を覚え、識者があれやこれやと分析し解説することで、さらに歌の輝きが増す。これが秀歌であり、時代が変わってもなお輝き続けている理由なのでしょう。

 

 ところが、この一句にはさらに深い意味が込められているといいます。「柞」という言葉には、語頭の2音、「は・は」が同じ読みであることから、「母」に掛けられて詠まれているのではないかというのです。そう考えると、この一句が「母の延命」を願っていたのではないかと。正徹が詠んだ時が、どのような状況であったかは知る由がありません。しかし、母と別居していたのであれば、今ほどの交通の便がないからこそ、いつ会えるともしれない中、今いちど会うまでの延命を切に願ったのではないでしょうか。

 

 若かりし頃の福澤諭吉が、江戸幕府よって派遣された「文久遣欧使節団」の通訳として日本から旅立ったのは1862年のこと。どれほどの彼に影響を与えたかは、後に執筆した「西洋事情」に詳しい。その際に、ヨーロッパ移動に使用した「蒸気機関車」を体験したとき、日本で実現できれば、「郷里である大分県の病弱の母に会いに行ける」、そう考えたそうです。志をもって上京するも、残った家族への想いは募るばかり。もちろん、電話などは存在しないために、安否すら定かではない。だからこそ、快く送り出してくれたことの恩へ報いるためにも、必死の想いだったはずです。蒸気機関車の存在が、心の奥底にしまっておいた感情を呼び起こしたのでしょう。

 

 今では、飛行機や新幹線といった交通網が日本全国に張り巡らされることで、物理的な距離は変らずとも、気持ちの上では大いに縮まりました。さらに、携帯電話の普及は、時間を問わず相手との意思疎通を可能とし、インターネットにいたっては地球規模です。昔と比べて飛躍的に進んだ技術は大いに生活を便利にそして豊にしてきました。それと同時に、古き良き「人間関係」を失っていった気がいたします。「いつでも会いに行ける」という錯覚が、「いまひとめ あい見む」感覚を希薄にしたような気がいたします。

 

 偉そうに言う自分も見失った一人です。母親から最後の最後に教わったことは、「機会を見誤るな」でした。必要な時に必要なコミュニケーションをとること。いい歳になってもなお足りないことを教わるも、「いつでも会いに行ける」という心に隙があったがために、感謝を伝える最後の機会を逸しました。さらに今年に入り、自分からの「ご案内(長文レポートと呼ばれています)」を受け取っていただける方から、「終焉を迎える前のお礼」が届きました。余命宣告を受け、どれほど苦悩したかは、想像を絶するものでしょう。その後も継続して手紙を送り続けたのですが、なんとか自分の気持ちを失礼の無いようお伝えしようと模索している最中に、訃報を受け取ったのです。あれほど母親から叱責を受けながら、「いつでも連絡できる」という思いから、またしても同じ過ちをおかしました。

 

 どんなに努力したとしても、後悔しないことはありません。しかし、今一度「できること」を再確認し、機会を見誤らないようにすること。仏教では「生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)」といい、その言葉の通りの世の中の無常観を言い表しています。いつの時代にあっても、この考えは変りません。便利になることで希薄になりがちな「人間関係」を忘ないように、そんなメッセージを正徹の秀歌に込められている気がしてなりません。年末に迎えるにあたり、今までを振り返りながら自らを省み、新年に同じ轍を踏まぬように心に刻みこもうと思います。皆様も、ご家族をお世話になった方々への想いを考えるのも良いかもしれません。タイミングを見計らい、お礼の手紙や電話をするのもいいかもしれません。皆様にとって大切な「機会を見誤らない」ように。

 

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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12月の特選情報≪ダイジェスト版≫です。

 かつては、其処彼処で目にすることができた雑木林。整備された庭園とは違い、落葉広葉樹で構成された人が作り上げた林です。樹は薪(まき)や炭としての原材料となり、落ち葉は農産物の肥料として堆肥へと活用されるばかりか、降り積もることで、豊かな土壌を形成することになります。成長の早いクヌギやコナラは雑木林にとって欠かすことのできない木なのだといいます。江戸時代に、一面のススキ原に植樹して作り上げたのが「武蔵野の雑木林」。江戸っ子にとっては、生活するうえで欠かすことのできない資源だったことでしょう。

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  コナラとクヌギは子供たちには大人気の樹々です。きっと皆様も、子供の頃に果実を集めることに夢中になったのではないですか?そう、ブナ科の樹々の果実は「ドングリ」です。人の生活圏に隣接する雑木林を形成する、コナラとクヌギ、さらにはミズナラを総称して、古人は「柞(ははそ)」と呼んでいました。この身近な樹々を時雨が黄葉へと導いてゆく様を楽しみ、遠く山々で鮮やかに色付く黄葉と紅葉を想ったことでしょう。生地を染色する際に、染料に浸すことを「一入(ひとしお)」といいます。何度となく降る冬の時雨が、柞の葉を黄色へと染めあげ、その度ごとに色が深まるかのよう。そのため、この時期の雨を「八入(やしお)の雨」と呼んでいます。

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ははそはら 染むる時雨も あるものを しばしな吹きそ 木枯らしの風  藤原経家(つねいえ)

 「柞(ははそ)が生い茂る野原に、木立を一入一入と染めるかのように時雨が降っているではないか。柞の黄葉が染め上がるまで、しばらくは吹かないでくれ、木枯らしの風よ、聞いているかい?」とは自分の勝手な解釈です。「染(し)む」は「初(し)む」やもしれません。ともすると、今の時期よりももう少し早い時期、翠色濃い葉が、時雨にあたり葉一枚の所々が黄葉している姿を詠ったのでしょうか。2017年には、関東地方では10月30日に「木枯らし1号」が吹き荒れました。2018年は、藤原経家の願いが叶ったのでしょうか。木枯らしが吹くことなく、冬本番へと向かうようです。

  

 「木枯らし」もなく、暖冬のため冬の始まりを感じ取りにくい2018年。しかし、冬は一歩一歩着実に歩みを進めています。そして、12月は「師走」と書くほど、多忙を極める時期です。「人の体は食べのものでできている」、「旬の食材には、人が必要としている栄養に満ちている」のです。そこで、晩秋・初冬の旬の食材を食することで、無事息災に新年を迎えていただきたとの想いを込め、Benoitの12月のダイジェスト版を作成いたしました。まだ知らぬ食材もあるため、一部予想の域を脱しませんが、その点はご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。皆様にご紹介したい内容は、以下の12件です。

「特選食材」のご案内 9件

「クリスマス期間と年末年始」のご案内 1件

このメールでは、情報を簡単にご紹介させていただき、詳細は後ほど「長文レポート」にまとめさせていただきます。

 

 ≪下関唐戸市場より「トラフグ」が届きます。≫

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 山口県下関市関門海峡のたもとに位置している唐戸市場。下関を代表する海の食材といえば、真っ先に思い浮かぶのが「トラフグ」ではないでしょうか。美味なる食材であるにもかかわらず、随所に猛毒をもつため、日本人ですらうかつに手を出せない食材です。シェフのセバスチャンに話を聞いたところ、地中海でもフグは生息しているようですが、「フグには猛毒がある」ことが周知されているため、調理されることはないようです。確かに、フレンチではきいたことがありません。

 今回、下関の唐戸市場に昭和24年に創業したフグの老舗「道中」さんの全面協力のもと、Benoit史上初、いやアランデュカスグループで初となる「フレンチでフグ」の逸品をご用意いたします。競り落とされた鮮度の良いトラフグを、道中さん率いるフグの職人チームに捌いていただき、「身がき」の状態でBenoitに送っていただきます。これをシェフが「グジョネット」という揚げ物のようなスタイルに仕上げ、皆様のテーブルへ。フグの味わいを生かすように改良したタルタルソースとの相性は抜群。それと、トラフグの骨より引き出したコンソメスープもまた美味なり。和食とは一味も二味も違うトラフグの魅力を、Benoitを通して皆様にお楽しみいただこうと思います。

 12月より2019年1月末までの期間、プリ・フィックスメニューの前菜の選択肢の中で、ランチ+2,000円、ディナー1,500円にてお選びいただけます。唐戸市場より直送するため数に制限がございます。そこで、ご希望の場合は、ご予約の際に「トラフグの前菜希望」とお伝えいただけると幸いです。

 

≪下関角島産の「寒サワラ」のご案内です。≫

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 10月からBenoitのメニューに加わっていた下関の角島近海で水揚げされた「寒サワラ」が、美味なる脂がのってくる旬の最盛期を迎えるにあたり、追加料金なくディナーのプリ・フィックスメニューの選択肢に加わります。鮮度と群を抜いた美味しさの逸品を唐戸市場より送っていただくため、他産地からの購入はいたしません。そのため、海の神への「神頼み」のような食材であり、ご希望の日にご用意できないこともございます。2018年最後の運試しのようなご案内となってしまいますが、皆様のご理解のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。脂ののった寒サワラを、エスカベッシュというスタイルで仕上げる前菜です。ご期待ください。

 

≪千葉県勝山漁港の「キンメダイ」が届いています。≫

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 千葉県房総半島の先端から、少し内房に入ったところに「勝山漁港」があります。東京湾への入り口に位置しているため、内房外房の豊かな漁場から、網で巻き上げられた魚、釣り上げられた魚と多くの種類が集められています。その中から、Benoitが選んだ魚は「キンメダイ」です。夜中に千葉沖で釣り上げられた勝山漁港のキンメダイは、脂ののりがほどほどに、海流にもまれているからなのでしょう、プリっとする食感と旨味は抜群です。さらに、漁港よりBenoitへ直送するため、前述した寒サワラ同様に、水揚げ無しというリスクはあるものの、それ以上に「鮮度抜群」という大きな大きなメリットがあるのです。Benoitへ届けられたキンメダイ大きな目の、吸い込まれそうなほどの透明感が全てを物語っています。

 プリ・フィックスメニューのディナーのみ、魚料理の選択肢として追加料金なくお選びいただけます。以下に記載いたしますが、フランスより美味しいキノコと組み合わせます。あまりにもキンメダイもキノコも美味しさをうったえてくるため、白身のお魚料理にも関わらず赤ワインのソースです。いったいどのような味わいのマリアージュとなっているのか、気になりませんか?

 

≪フランスより「キノコいろいろ」秋の締めくくりです。≫

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 秋の味覚の代表ともいえる「キノコ」。冬本番を迎えるにまえに、ぜひとも味わっておかねばなりません。今は、ピエ・ブルー(シメジの仲間)、プルーロット(ヒラタケの仲間)、ジロール(アンズ茸の仲間)とトランペット・ドゥ・ラ・モー(「死のトランペット」という名前ですが毒キノコではありません)の4種類が、フランスから飛行機に載せられBenoitへ届けられています。ひとつひとつは地味ですが、ちゃっちゃと熱を加えることで放たれる芳しい香りと味わいは、4種それぞれが個性豊かに奏でることで、得も言われぬ美味しさへと変貌いたします。

 プリ・フィックスメニューの前菜では、ランチは+1,500円、ディナーでは+1,000円にて、サン・フェリシアンというチーズとジャガイモと組み合わせます。アランデュカスがデザインしたCOOKPOT(クックポット)という器で、焼き上げた、この3つのマリアージュ。牛乳から仕上げるとろりとしたミルクのコクを楽しめるチーズのサン・フェリシアンが、ふつふつとオーブンで焼きあがる。下にはジャガイモが並び、この相性は間違いなし。さらに下に敷き詰められたキノコとの組み合わせが美味しくないわけがありません。

 メインディッシュでは、ランチはマダイと、ディナーは前述したキンメダイと組みわせ、追加料金なくお選びいただけます。「海の幸と森の幸」がどれほどの出会いを見せるのか。さらに、ともに白身の魚にも関わらず、なぜ赤ワインを使ったソースを組み合わせるのか。きっとこの解答を導きだせることでしょう。

 

福井県の「六条大麦」のご案内です。≫

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 自然食品への回帰が叫ばれている昨今にあり、食文化を築き上げているフランスももちろん例外ではありません。フランスのアランデュカスグループのレストランでも「スペルト小麦」や「キヌア」などの食材が多用されています。その潮流の中、Benoitのシェフであるセバスチャンは、四季折々の食材が豊かな日本での食材探しが始まったのです。彼のこだわりは「国産」。そこで出会うことができたのが、福井県の「六条大麦」です。

 麦茶はもちろん、白米とともに炊き上げ食感と栄養を補う役割を担う「六条大麦」。もちろん、ビールや焼酎の原料となる「二条大麦」とは別品種です。二条種は穂を実らせたときの粒の配列が「2列」、ということは六条種は「6列」。六条大麦は二条種よりも小ぶりで、食すのには最適です。食物繊維を含めた栄養価も抜群であり、「グルテン」を含まないことも特筆すべきでしょう。この六条大麦の生産量日本一を誇るのが、福井県です。そこで、その主産地である福井県の「大麦倶楽部」さんよりBenoitへ送っていただいております。

 プリ・フィックスメニューの魚料理の「大海老」でランチ・ディナーともにご用意しております。美味しいお料理ですが、もっと多くの方に「六条大麦」の美味しさを楽しんでいいただきたいと考え、シェフとの相談の結果、ランチ・ディナーともに、800円でリゾットのようなスタイルでご用意いたします。大麦そのものの美味しさを生かすため、ほぼ透明に近い鶏から引き出したブイヨンで炊き、ほんの少しのパルメザンチーズとオリーブオイルで仕上げたものです。プチプチとした食感と、大麦由来のとろみに旨味、チーズとオリーブオイルとの相性は抜群です。メインディッシュの際に、1品を皆さんで分けてお楽しみいただくことが良いか思います。

 

≪世界一美味と評されるフランスの「ブレス鶏」のご案内です。≫

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 「世界一美しく、世界一美味しく、世界一値段の高い鶏」と評されているのが、フランスの「ブレス鶏」です。美しく白い羽毛をまとい、トサカは真っ赤、足は青い色という、まるでフランス国旗のような鶏肉は、厳しい審査の下に、一羽一羽に番号があてがわれ、飼育者はもちろん、エサの状況まで把握できるといいます。ワインと同じように、原産地地を名乗ることのできる唯一のAOPの鶏肉なのです。肉質は締まっており、ほどよい脂は、その筋肉に入り込むため、調理に失敗すると肉がぱさぱさという無残な結果に。そのため「調理人を選ぶ食材」とも呼ばれています。

 12月より2019年1月末までの期間、プリ・フィックスメニューのメインディッシュの選択肢の中で、ランチ+2,000円、ディナー1,500円にてお選びいただけます。フランスの唯一無二の食材を、これまたフランスの伝統に習い、相性抜群の軽めのクリームのソースを絡めるように仕上げたフリカッセのスタイル。全てはブレス鶏の美味しさを、十二分にご堪能いただきたいとおもいます。ご希望の場合は、ご予約の際に「ブレス鶏希望」とお伝えいただけると幸いです。

 前述した「六条大麦」との組み合わせも、お忘れなきように。皆様を「口福な食事」のひとときへとご案内いたします。

 

≪北海道のフレッシュチーズ「Brise de mer Faisselle (ブリーズ・ドゥ・メール フェッセル)のご案内です。≫

 今回は、寒さ厳しい地、北海道から届く特選食材はフレッシュチーズ、それもフランスのフロマージュ・ブランに習い誕生した至高の逸品、「Brise de mer Faisselle (ブリーズ・ドゥ・メール フェッセル)」のご紹介です。暑さに弱い「牛」だけに、すでに寒さ厳しい根釧台地では、牛たちが元気いっぱいに牧草を食んでいることでしょう。秋までに牧草を刈り、牧場の代名詞的な建造物であるサイロに貯蔵されることで、牛にとっては(きっと)美味しく、栄養を吸収しやすく仕上げたもの。これを夏バテを解消した元気な牛たちが食む。そのミルクが美味しくないわけがありません。そして、そのミルクで仕上げたフレッシュチーズは、これは言うに及ばずでしょう。

 どれほど特選食材なのか?以下のブログに思いのたけを記載させていただきました。お時間のある時に訪問いただけると幸いです。

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≪福岡県「井上さんの富有柿」デザートを継続いたします。≫

 10月から、Benoitでは初の試みである「柿」のデザートを始めました。Benoitシェフパティシエール田中真理が、恋焦がれ10月に福岡県久留米市田主丸まで見に行ってしまった井上果樹園さんの「こいひめ柿」。井上さんご夫妻が丹精込めて育て上げた「こいひめ柿」は逸品でした。当初は11月末で終える予定でしたが、次に続く「富有柿」もまた、あまりにも美味しいので、12月末まで延長することにいたしました。

 減農薬自然栽培を実践しているこだわりの「露地」栽培の柿です。どれほど特選食材なのか?どのようなデザートに仕上がっているのか?以下のブログに思いのたけを記載させていただきました。お時間のある時に訪問いただけると幸いです。

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岐阜県恵那川上屋さんの和栗」デザートのご案内です。≫

毎年この時期になると登場する栗のデザート。2018年は、「モンブラン」とはメニューに表記したくはない、まったくの別次元のデザートに仕上がっております。栗は岐阜県中津川に居を構える老舗の「恵那川上屋」さんから。栗の収穫は9月半ばから始まるのですが、Benoitのメニューに栗のデザートが登場するのは11月からでした。なぜか?広島県大崎上島の岩﨑さんの路地物ノーワックス「瀬戸内レモン」を待っていたからです。

恵那川上屋さんの栗がどれほどのこだわりのものであるか?このマリアージュがどれほどのものか?以下のブログに思いのたけを記載させていただきました。お時間のある時に訪問いただけると幸いです。栗デザート特別プランも記載しています。

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≪クリスマス期間と年末年始ののご案内です。≫

1222日土曜日から1225Beno火曜日の期間、ディナーはBenoitクリスマスメニューのみのご用意です。通常のプリ・フィックスメニューはご用意がございません。クリスマスメニューの詳細については、BenoitHPをご参照下さい。

 年末年始の営業についてのご案内です。今年2018年は1231()のディナーまで、営業を行います。この日のディナーはラストオーダーが20:00と通常よりも早く、皆様にはご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどなにとぞよろしくお願いいたします。新年2019年は15()のランチより、通常営業を始めます。心機一転、万全の準備をもって皆様をお迎えいたします。

  

 「冬至、冬中、冬はじめ」 今年は暖冬のようですが、冬至に向けて日増しに寒さが厳しくなることと思います。さらに、12月は師走と書くように、多忙を極める時期です。皆様、無理は禁物、十分な休息と睡眠をお心がけください。インフルエンザ対策もお忘れなきように。2018年残るもひと月です。皆様にとって素晴らしい年となるよう、青山の地よりお祈り申し上げます。いつも温かいお心遣い本当にありがとうございます。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山10階

TEL 03-6419-4181

www.benoit-tokyo.com

 

北海道根釧台地のフレッシュチーズ「Brise de mer Faisselle」

冬は時雨(しぐれ)から始まる

  暦の上では、11月7日の「立冬」が冬の始まりです。冬の到来を実感するのは、北風激しい「木枯らし」が吹き荒れた時。しかし、冒頭の文章が、なぜか人々の心に響くものです。「雨」は、時に猛威を振るうために我々に畏怖を抱かせるものの、生きとし生けるものにとって欠かすことのできないもの。農耕民族である日本人には、畏敬の念を込め、四季それぞれの雨の違いを、美しく表現しています。「催花雨」「菜種梅雨」「春雨」「五月雨」「梅雨」…そして、「時雨」。言葉の多さは、その国の古人の思い入れの強さの表れなのでしょう。フランスが自国の「料理」を表現するうえで、独特の料理用語を生んだように。日本が、多種多様な「魚」の名称が人々に浸透しているように。「雨」もまたしかり。

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  「時雨」とは、初冬にかけてパラパラと降ったり止んだりする通り雨のこと。分かったようで分からない、これが正直な意見だと思います。それもそのはず、厳密に時雨とは、都内はもちろん、日本海側全般や太平洋側の海に近い場所では滅多に見ることのできない自然現象なのです。北風が海の湿気を含み、日本列島を縦断している山脈にぶつかり、日本海側に雨をもたらす。乾いた空気はそのまま山を越え太平洋側へ。この山越えの際に、振り落とした雨粒の名残を運んだものが「時雨」です。

  この自然現象を体感できる有名な地は、「北山時雨」の名がつくほどの、京都府です。空が晴れていても、パラパラと風に運ばれてくる雨は、きらきらと美しく輝き、陽射しに温められた顔に、ある種の心地良さを感じることでしょう。しかし、古人にとっては、これから迎える厳しい冬に一抹の不安を覚える時期です。この憂いが、人生の無常観と重なり、何とも言えぬ物寂しさを、時雨に感じるようになったのでしょう。この歌が詠まれる所以はこのあたりにある気がいたします。

 神無月 ふりみふらずみ 定めなき 時雨ぞ冬の はじめなりけり (よみ人しらず 「後撰集」)

 

 今回は、寒さ厳しい地、北海道から届く特選食材はフレッシュチーズ、それもフランスのフロマージュ・ブランに習い誕生した至高の逸品、「Brise de mer Faisselle (ブリーズ・ドゥ・メール フェッセル)」のご紹介です

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  北海道東南部、根室と釧路にまたがる広大な牧草地が特徴の根釧地区。彼の地は、火山灰地な上に、独特の気候環境のため、作物の栽培には向きません。北風ではなく、南の海から陸に吹き上げる「潮風」は、暖かく湿った空気が、寒流の千島海流に冷やされ、時雨ではなく「海霧」を発生させます。これが上陸するも、根釧台地にそびえる山に阻まれ、滞留するのです。そのため、特に夏場は、冷涼な気候を約束された大地となるのです。

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 作物には厳しい環境も、これを嬉々としているのが牛たちです。牛は暑さに弱く、夏はミルクの量が少ないばかりか、乳脂肪分が減るために、薄くなりがちです。ところが、根釧台地は、この問題もなく、牛たちがのびのびと夏を過ごすことができる理想の地なのです。ただし、大消費地である東京とは距離があるため、牛乳というよりも、おのずとバターやチーズといった加工品に力を注がなくてはなりません。

  彼の地で酪農を生業としている多くの人々の中で、フランスにある濃厚で美味な「Fromage Blanc(フロマージュ・ブラン)」を作れないものか?と考える方々が現れます。フランスには、乳牛・肉牛含め300種類にものぼる品種が存在します。その中に、ジャージー種やホルスタイン種が入っているのですが、ほとんどがホルスタインとは比べ物にならない濃厚なミルクを出すため、チーズやバターなどの加工品が特化しているのです。なんとかして、フランスに匹敵する美味しいフレッシュチーズを造りたい…そう切望するのです。

  彼が思い悩んだ末に出した結論が、フランスから牛乳を持ってくる…のではなく、フランスのノルマンディー地方から牛を5頭連れてきたのです。ノルマンディー地方と言えば、世界に名を馳せるチーズ、「カマンベール・ド・ノルマンディー」発祥の地。この濃厚なチーズの元となるミルクを産みだすノルマンド種(通称パンダ牛)が、なんと根釧台地にいるのです。搾乳されたミルクは、厚岸郡(あっけぐん)浜中町に集められ、至高の国産フロマージュ・ブランへと姿を変えることになります。牛を連れてくる…この浜中町は有名な方の出身地でした。若い方はご存じないかもしれませんが、モンキー・パンチさんです。そう、ルパン三世の生みの親。もちろん、牛を泥棒してきたわけではなく、正式なルートで運ばれてきたことは言うに及ばず。ルパン三世といえば不可能を可能にする大泥棒。奇想天外だと思われているところに、勝機を見出す気質を育んだ地が浜中町。だからこそ牛を連れてこようという発想になったのでしょう。人は食べたものでできている、人格は育まれた地で形成される。

  この熱い思いに応えたのは牛ばかりではなく、ノルマンディー地方の雄、「イズニー・サントメール酪農協同組合」もまた。なんと彼らの伝統の乳酸菌を譲ってくれたのです。これで役者がそろいました。根釧台地の酪農家が目指すものは「ミルクの美味しさを最大限に生かした逸品」に仕上げること。

  ミルクを乳酸発酵させ凝固させたものをカートといいます。新鮮で濃厚なミルクで仕上げるカートが、美味しくないわけがありません。これをフェッセルと呼ばれる水切りかごへ移し、1日自然脱水したものがBenoitへ旅立ちます。乳酸発酵は、旨味を引き出すのはもちろん、保存性も向上します。しかし、生乳で仕上げるフレッシュチーズ、やはり賞味期限は1週間ほど。フランスで作られた、余計なことは何もしない伝統的なフロマージュ・ブランが日本に持ってくることができない理由は、このあまりにも短い賞味期限なのです。そのため、日本ではあまりにも馴染みがありません。

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 さらに特筆すべきは、ヨーグルトのように滑らかなバチュというタイプではなく、フランスでも現地でも産地に赴かなければ、なかなか見ることの無い、カートをフェッセルで自然脱水しただけのもの。もろもろとした食感を生かしたカンパーニュというものなのです。画像をご覧いただければ、違いは一目瞭然だと思います。染み出ている白っぽいジュースは、ホエーと呼ばれる乳清です。この乳清から再度チーズができるほど、これまた美味なのです。

  何かに調理するなどとは、夢想だにせず。北海道でも有数の酪農の産地、根釧台地が育んだ牛の新鮮なミルクの旨味をそのまま、ホエーもお楽しみいただきます。口に含むとヨーグルトのような心地よい酸味と新鮮なミルクの風味を感じるも、後から追いかけてくる濃厚なフレッシュチーズの味わいが素晴らしい。Brise de merは「潮風」、Faisselleは「水切りかご」を意味します。根釧台地ならではの、地の特徴が潮風であり、これゆえに牛が健やかにのびのびと成長していきます。その牛たちの生み出したミルクを、フランスの伝統に習い、フレッシュチーズに仕上げています。料理とは、素材以上の美味しさはなく、組み合わせや調理方法で、最大限に引き出すのみ。チーズもまたしかり。この想いが、名前に込まれています。

 

 このフレッシュチーズとの相性が抜群な逸材をご用意いたしました。長野県茅野市の青木さんの蜂蜜です。思い描くだけで美味しいさが伝わるのではないでしょうか。この蜂蜜もどれほど素晴らしいかを語らねばなりませんが、すでに長文のため、次回へ見送らせていただきます。

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 ランチでもディナーでも、Brise de mer Faisselle100g)を、このブログをご覧いただいた方には1000円→800(蜂蜜込です)でお楽しみいただけます。お二人で分けても良いですが、きっと100gはお一人でペロっといただけてしまうほど、それほど美味。ただし、まだまだミルクの量が少なく、Benoitでも購入数が制限されています。もし、ご希望の際には、ご予約の際に「フレッシュチーズとっておいて」とお伝えいただけると幸いです。本場であるフランスからお越しのお客様が、Benoitでいつもご賞味いただいている逸品。きっと皆様は、とうとう日本のチーズもここまでに至ったか!と感嘆の声を上げることになるでしょう。

  

 残念ながら都内では時雨を見ることはできそうにありません。「はらはら」ではなく、「ぽつぽつ」という表現でしょう。染物を作る際に、染料に一度漬けることを「一入(ひとしお)」と言います。冬本番を迎えるにあたり、降り続くのではなく、何度となく分け降るため、この時期の雨を「八入(やしお)の雨」と呼んでいます。一雨一雨が何を染めるのか?樹々を紅葉・黄葉へと染め上げるのです。さらに、「一雨一度」と言われるように、徐々に日々の気温が下がっいきます。皆様、無理は禁物です。十分な休息と休養をお心がけください。インフルエンザ予防接種もお忘れなきように。

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長々とお読みいただきありがとうございました。

末筆ではございますが、皆様のご健康とご多幸を、青山の地より祈っております。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山10階

TEL 03-6419-4181

www.benoit-tokyo.com

ミュージックディナー「フレンチでタンゴ」のご案内です。

道の辺(へ)の 尾花が下の思い草 今さらさらに 何か思はむ  「万葉集」作者不明

  道のほとりに、ススキ(尾花)の下で「思ひ草」がひっそり咲いています。今さら何を迷うことがありましょうか。私はあなたの愛を信じております。自分の勝手な解釈ではありますが、異論はあれどあながち間違いはないかと思います。色こそ地味ですが、秋を代表するススキの下に、秋の季語でもある「花園」とは全く無縁と思えるほど、ひっそりとうつむき加減に咲いている花があります。細身のすらりとした立ち姿に、頬に紅を指したかのような可愛らしい表情は、古人にして恋焦がれ、この忍ぶ恋に思い悩む女性(男性かもしれません)に見立てたのでしょう。名付けられた名が、「思い草」。歌にしたためたということは、お相手に送ったのでしょう。万葉の時代にあって、この想いの詰まった31文字の奥深さ、長々と書いてしまう自分は大いに見習わなければなりません。

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 自然界には、自然の淘汰を乗り越え進化してきた個性派ぞろいの動植物が多いものです。この花も例外ではありません。思い草には、葉がありません。つまりは葉緑体をもっていないために光合成を行えず、植物としての養分は他から得なくてはならないのです。そのため、自生はできず、ススキやミョウガなどに寄生し成長していきます。寄生とは野暮な表現でしょう、生き抜くうえでの良きパートナーを見つけ、寄り添いながら共存しているのです。たまに、想いが強く共倒れすることもあるようですが、このあたりは人間界の恋事情に似ていなくもありません。

 

 なんとも奥ゆかしさを覚えるこの花ですが、植物の図鑑の検索に「オモイグサ」という名は存在しません。7世紀から在り、未だ分類されていない未知なる新種ではありません。この花は「ナンバンギセル」と名付けられ、しっかりと図鑑にも登場しています。このユニークな姿が、南蛮人が使っていた「煙管(きせる)」に似ているからというのですが、この名前と花の印象があまりにもかけ離れているため、違和感を覚えるのは自分だけではないでしょう。確かに名付けられた時代に、ハイカラな洋物の「煙管」に似ているからとはいえ、もう少し趣きが欲しかったと思います。情報が豊かになればなるほど、この感性は消えていくものなのでしょうか。古人のほうが、今の人よりも甘美な表現に長けていたのかもしれません。

 

 知ることのできない、「ススキ」と「思い草」との恋愛事情。動物界においては、自ら動き語ることで、パートナーとの出会いを探し求めます。美しく響き渡る小鳥たちのさえずり。さらには、美しくもリズミカルに舞うタンチョウの姿もまたしかり。どちらも、鳥たちの言葉がなくとも通じる求愛の形です。人間の歴史を紐解いてみても、言葉という意思疎通のできるツールが無くとも、リズムを奏で、踊ることで神々と語り、感謝の気持ちを伝え、未来を占ってもらおう、もしくは導いてもらおうとしていることがわかります。力強くもリズミカルな太鼓の音に高ぶる気持ち、激しい舞を躍ることで神と一体化する儀式。神妙なる音楽に任せて、ゆったりと舞う巫女さんの姿には、尊厳の念を感じるものです。ほんの一例ですが、どちらも言葉を必要としません。神々への畏怖・畏敬の念から、愛情表現へと変わってゆくのも自然の流れであったはずです。そこで、「フレンチでタンゴ」と銘打って、皆様に音楽と舞の共演を、お食事も含め、五感を通してBenoitでお楽しみいただこうと思います。

 

 すでに、8回目を迎えるタンゴイベント。第1回目に舞を披露していただいた、パオラ・クリンガーさんとエルネスト・スーテルさんの来日に合わせ、12月の開催が決定いたしました。ペアを組んで18年、母国アルゼンチンの有名タンゴハウス「ミロンガ」を主舞台とし、定期公演やダンス指導の範囲は、ヨーロッパはもちろん、アジアにまで広がっています。情熱的・官能的でアクロバティックな踊りがタンゴダンスを思ってしまうのですが、彼らの舞を目の当たりにすることで、このようなタンゴのイメージが瓦解するのは必須。タンゴダンスの原点は「abrazo(抱擁)の舞」、彼らは我々に「パートナーと共に歩む」ことの大切さを伝えようとしているのです。

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 しなやかながら機敏に流れ、一糸乱れぬ見事なステップの織りなす彼らの華麗なるダンス…感情のぶつけ合いや、挑戦的な行為を全て削ぎ、パートナーの優しさを感じることで、共鳴する感情を表現する。水の流れのように…清流のごとく美しくも繊細にしなやかに。さらに、緩急を織り交ぜながら…そうかと思えば、時の流れとともに大きな川へと変わり、緩やかながらも随所に見せる力強さ。そして母なる海へと導かれ、全てがまとめあげられ、見るものに感動と安堵感を与える。これが彼らの表現する舞です。飛ぶ跳ねる投げるなどのアクロバティックなものは、華やかに感動を思えるものですが、一見で十分です。彼らはダンスは「魅せる」ものであり、見とれるほどに美しいもの。登場の度に雰囲気を変え、飽きさせることはありません。だからこそ、名立たるミロンガで名を馳せることがでるのでしょう。

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 本場の素晴らしさを体感していただきたく、タンゴの音を担っていただくのは、アルゼンチンタンゴバンド。タンゴ独特の音色を奏でるバンドネオンは、2015年アメリカで行われたバンドネオン奏者世界一の栄誉に輝いた川波幸恵さん。悪魔の楽器と評されているバンドネオンを操り奏でる、世界のが認めた彼女の音色は必聴です。そして、華やかなふくらみを与えるヴァイオリンは、専光秀紀さん。 タンゴ独特の馴染みの楽器でありながら、タンゴ独特の奏法により音色は、ところどころで深い味わいを残します。さらに、重厚感を与えるものといえばコントラバス、大熊慧さん。曲に骨格を与え、心地良く心の奥底に響くリズミカルな音色を忘れてはいけません。今回、今までにない試みとして、ヴォーカルが入ります。日本のタンゴ歌手として活躍している、KaZZma (カズマ)さん。自分にはイメージがなかったのですが、アルゼンチンではタンゴバンドを組むにあたり、ヴォーカルが入る方が多いのだといます。

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 この猛者ぞろいのアルゼンチンバンドを率い、ダンスを含め、ストーリーに仕上げていくのがピアノのSacco香織さんです。アルゼンチンでの経験はもちろん、日本で活躍するものの、さらなる高みを目指し、活動拠点をイタリアに移しました。そう、今回は彼女の来日を調整していただき、実現できたことなのです。ほぼ全てのBenoitでのタンゴイベントを担っていただきました。音楽に対して無知なる自分が、どうしてこのようにタンゴイベントを開催できるのか?彼女いなくしてありえなかったことです。彼女の実力がどれほどのものか、当夜に感じ入っていただきたいと思います。今回もグランドピアノを使い、遺憾なく発揮していただきます。

  

Benoitミュージックディナー アルゼンチンタンゴ

日時:2018125()18:30より受付開始 19:00開演

会費:18,000(パフォーマンス・ワイン・お食事代・サービス料込、税別)

※質問などございましたら、何気兼ねなくBenoit(03-6419-4181)にご連絡いただけると幸いです。

 

【 Sacco 香織 -ピアノ- 】

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 2011年ヌエボ・タンゴの巨匠パブロ・シーグレル氏、岩崎浤之氏に師事、その2年後にはアルゼンチンへ。エルナン・ポセッティ氏に出会い、教えを受け、カルロス・ガルデル・ミュージアムでコンサートを行うまでに。さらに現地のミュージシャンとレコーディングを行いファーストアルバム、「Tango de Buenos Aires」をリリース。Los 36 Billaresなどにてコンサートを行いつつ、Tango para musicosスクールに参加し、腕を磨く。編曲は、バンドネオンの巨匠、ロドルフォ・メデロス氏にノウハウを叩き込まれました。現在はカルテットやDuoなどで、コンサートやディナーショー、ミロンガなど企画し、活動範囲は東京を中心に全国にまで及びます。昨年より拠点をイタリアに移し活動中。

 

川波幸恵 -バンドネオン- 】

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 2015年、アメリカで行われたバンドネオン奏者世界一を決める「Che Bandoneon International Competition 2015」で優勝。翌年には、ブエノスアイレスでSaccoさんとラジオやコンサートに出演。3月には韓国にてパシフィックタンゴオーケストラの1stバンドネオンを任されるという逸材。

 

【専光秀紀 -ヴァイオリン- 】

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 2013年アルゼンチンにて、タンゴヴァイオリンをアリエル・エスパンドリオ氏、パブロ・アグリ氏、ガブリエル・リーバス氏の三名に師事する。タンゴバンド「メンターオ」のメンバー。

 

【大熊慧 –コントラバス- 】

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 アルゼンチンにて、タンゴベースをレオポルド・フェデリコ楽団のベーシストのオラシオ・カバルコス氏、コロール・タンゴのマニュエル・ゴメス氏の両名に師事する。タンゴバンド「メンターオ」のメンバー。

 

【KaZZma (カズマ) -ヴォーカル- 】

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 数多くのアルゼンチン・タンゴ楽団に歌手として長年務め続けている。バンドネオン奏者・小松亮太氏とのデュオ・ユニットや、KaZZma自身がリーダーを務めるギター楽団「KaZZma y sus uitarristas」等、活動を大きく展開している。C.ガルデル作品から、A.トロイロ楽団、J.ダリエンソ楽団、O.プグリエーセ楽団、A.ピアソラ作品まで、幅広いレパートリーを得意とする、日本を代表するタンゴ歌手である。

 

【Paola Klinger y Ernesto Suter –タンゴダンサー- 】

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 ペアを組んで18年、母国アルゼンチンの有名タンゴハウス「ミロンガ」を主舞台とし、定期公演やダンス指導の範囲は、ヨーロッパはもちろん、アジアにまで広がっています。タンゴダンスの原点は「abrazo(抱擁)」の舞、彼らは我々に「パートナーと共に歩む」ことの大切さを伝えようとしているようです。

  

 アルゼンチン生まれのバンドネオン奏者であり名作曲家、アストル・ピアソラ。幼少の頃は、両親の仕事の関係上、ニューヨークにいたそうです。父親がタンゴ好きということが功を奏して、馴染みにある音楽がタンゴ。そして7歳の誕生日にバンドネオンをプレゼントされます。この時、「歴史が動いた」のです。母国に戻った彼は色々なオーケストラでバンドネオン奏者として頭角を現します。しかし彼は古いスタイルのアルゼンチンタンゴになじめず、独自のスタイルを追求すべくフランスへ。クラシックの作曲を勉強したく渡仏したピアソラですが、どうもしっくりこなく、ナディア・ブーランジェ先生から、「本来の自分の演奏してみなさい」と言われ、タンゴを披露した所「これがあなたの音楽よ」という事を突き付けられました。それから彼は彼独特のタンゴをどんどん作曲していくことになります。

 

 当時、ピアソラの楽曲はアルゼンチンには受け入れられず、「タンゴの異端者」とまで酷評されます。しかし、時代とともに評価が変わり、いまでは偉大なタンゴの作曲家に名を連ねています。この彼の才能を見出し、後押ししたのが、フランスでした。ピアソラに限らず、アルゼンチンが軍事政権であった時代に、国を追われ逃れた地がフランスのパリでした。この国の寛容なる音楽への理解なくして、ピアソラの今は有り得なかったでしょう。「フレンチでタンゴ」と銘打って始めたBenoitのタンゴイベントが、当初は「なぜ?」と疑問が多かったことは事実であり、自分もその一人でした。しかし、フランスとアルゼンチンタンゴとのこの関係を教えてくれたのは、他でもないフランス人のお客様からでした。この場を借りて御礼申し上げます。

 

以下、余談です。 

 

あけの雲わけうらうらと 豊栄昇る朝日子(あさひこ)を 神のみかげと拝(おろが)めば その日その日の尊しや

地(つち)にこぼれし草のみの 芽生えて伸びて美(うるわ)しく 春秋飾る花見れば 神の恵みの尊しや

 

 秋深くなり、其処彼処で執り行われる、五穀豊穣を神々に感謝する神事。新嘗祭(にいなめさい)などは、その主たるものでしょう。神々への感謝の祝詞(のりと)が奉上され、正装に身を包んだ巫女さんが、舞を奉納いたします。神の宿るところという意味の「神座(かみくら)」は、天の神々を神座に降臨していただき、人々と出会い穢れを祓う場所。そこで巫女さんが舞うのが「神楽(かぐら)」、もう少し細かく表現すると「巫女神楽」なのだそうです。

 

 多々ある神楽舞の中で、この時期に奉納されるものの代表は、「浦安(うらやす)の舞」と「豊栄(とよさか)の舞」でしょうか。前者は、決してミッキーが躍るわけではありません。「うら」は心という意味の古語で、神々が、国が平穏無事でありますようにとの祈りを込めた舞。対する後者は自然への感謝の気持ちを歌ったものなのです。そう冒頭の歌が、豊栄の舞の歌詞。美しくもあり、なんとも可愛らしくもある、だからこそ「乙女の舞」などとも呼ばれるのでしょう。

 

 どれほど昔から、舞は存在していたのでしょうか。ある動物の求愛ダンスがあるように、舞に言葉は必須ではなく、リズムの強弱緩急により、喜怒哀楽を表現することができるものです。目に見えぬ何か絶対的なものへの畏怖の表れであり、崇め奉る神々への畏敬の念が強いからこそ、舞という表現方法を使い感謝の意を伝え、何か接点のようなものを得たかったのでは。これが、古今東西、言語や舞のスタイルは違えど、多種多様の舞が存在している所以なのではないでしょうか。さらに、時が過ぎることで、言葉という意思表示の方法を手に入れ、さらに美しい音色を奏でることが可能となることで、今の舞が文化として成熟の道を進んでいるのだと思います。

  

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山10階

TEL 03-6419-4181

www.benoit-tokyo.com

「立冬」を迎えて

 暦の上では、11月7日に「立冬」を迎え、冬が始まりました。綿々と繰り返される自然のサイクルは、その年ごとに何かしらの変化をもたらすことになり、我々はその機微に一喜一憂するようです。四季折々の機微なる移ろいは、自然が草木と相談して決めていることであり、我々が勝手にカレンダーなるものにあてはめること事体がおこがましいのでしょう。旬の食材とメニューをシェフとともに年間スケジュールを作成したものの、計画道理に「実り」を得ることができないものが、「露地栽培」の逸品であり、間違いなく、「ハウス栽培」よりは、深く自然の味わいを感じるものです。自分などが愚痴をこぼすも、食材は全く悪いわけではなく、彼らはただただ自然に導かれ、その潮流に身を任せるのみ。

 

 かつては、農作業の目安は、草木の芽吹きやら花開く時期、小動物や鳥たちの鳴き声や行動パターン、遠く望める山々の冠雪の有無など、自然に教わるものでした。今でも十分に活用でき、気象庁の定める「生物規則観測」などは興味深いものです。通勤途中や散歩などの外出中に、人々の喧騒にもまれる中で、ふっと息つくひとときに、耳に入ってくる「初音(はつね)」には、感慨深いものがあります。しかし、暦を手に入れた人類は、この暦に支配されてしまうことになりました。スケジュールに支配される息苦しさは皆様も感じているのではないですか。ただ、暦は人類史上の大発見であり、どれほど日々の生活に欠かせないものであるか。これは今も昔も変わらなかったのでしょう。

 

花すすき あすは冬野に たてりとも けふはながめむ 秋の形見に  源顕仲(あきなか)

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 旧暦では10月から冬が始まります。詠者は、9月末日に詠んだのでしょうか。それとも、「立冬」の前日「節分」だったのでしょうか。「日」が変わることで「季節」が変わる。「花すすきよ、明日から季節が変わり冬野に立つことになる。今日の秋の姿を瞼(まぶた)にしっかりと焼き付けることにしよう。秋の形見として」。ススキのとっては、日増しに寒くなる「一年の中のただの一日」。しかし、我々にとっては、「秋最後の一日」。暦があればこそ生まれたものであり、この自然と暦との微々たる差を捉えることのできる詠者の美的感覚は、今に至っても十分に深々と感じ入ることができます。

 四季折々の美しさを誇る日本だからこそ育まれたこの感覚を大切にしなさい。そして、一日とて無駄な日はない。そのようなメッセージが込められている気がいたします

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山10階

TEL 03-6419-4181

www.benoit-tokyo.com