kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

Benoit≪惜秋特別プラン≫と≪デザートセット≫のご案内です。

秋の野に 人まつ虫の 声すなり われかと行()きて いざ訪(とぶら)はむ  詠み人しらず

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 古人は、秋の音色を奏でるバッタのことを「虫」と表現しています。コオロギを筆頭に、マツムシやスズムシ、そしてキリギリス。どの虫がコオロギなのか?マツムシなのか?スズムシなのか?今のような昆虫図鑑があるわけもなく、ただただその音色の違いで分けていたような感があります。鳴いてはいないが、虫の鳴き声の織りなす美しい音色を、古人は「虫時雨(むししぐれ)」と名付けました。迫力に違いこそあれ、ひとつひとつの音色は今も昔も変わりはないはずです。

 「秋の野」にゆかずとも、其処彼処(そこかしこ)で響き渡る「虫時雨」。どなたかのお家の庭であり、駐車場であり、もちろん公園であり、静まり返った夜半ともなると、都内でも十分に楽しむことができます。ここはひとつ、ただのうるさい「虫の鳴き声」とはせずに、美しく響く「虫の音色」として聞き耳を立ててみてはいかがでしょうか。

 

 冒頭の一句は、≪秋の野で人を待っているといわれるマツムシの声が聞こえてくるではないか。きっと自分のことだろう、いざ訪れん!≫と詠っています。マツムシは「待つ・虫」であると、古人はなかなかに粋なことをいう。

 マツムシは、我々の訪れを待っていたのでしょうか?きっと違う。マツムシは美しい音色に、ついつい我々が忘れがちな「時は過ぎてゆく」というメッセージを込めているのではないかと思う。虫時雨に気付くことで、秋過ぎてゆくことを察する。うかうかしてはなりません、「秋はとまらぬものにぞありける」と教えてくれているのです。

 向かう先は秋の野ではありません。いざ、Benoitへ訪(ろぶら)はむ!

 

≪惜秋特別プランのご案内です。≫

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 降り注ぐ太陽の陽射しと風が「風景」を生み出し、万物の成長を促します。風景は画一的(かくいつてき)ではなく、四季折々に加え土地土地に特別な「風土」をもたらします。そして、この風土によって育まれた味わいが「風味」です。風味が満ち満ちたものが旬の食材です。なのではないでしょうか。この旬の食材は、美味しいばかりではなく、いま我が欲している栄養をも持ち合わせています。

 人の体は食べたものでできています。「美しい(令)」季節の秋食材が「和」する料理の数々。これを美味しく食べることで、人は笑顔になり、体の内側から湧き出でる力となる。そして、我々をウイルス災禍から守ってくれることでしょう。さらに「口福な食時」のひとときが、どのようなものかを知ることができるはずです。

 そこで、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、自分からのごご案内に目を通していただけている皆様の労に報いるため、≪惜秋特別プラン≫をご案内させていただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、202011月末まで。ご予約は、自分へのメールをご利用ください。お急ぎの場合には、以下のBenoitメールアドレスより、もちろん電話でもご予約は快く承ります。

benoit-tokyo@benoit.co.jp

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+デザート

4,500円→4,000円(税サ別)

前菜x2+メインディッシュ+デザート

5,500円→5,000円(税サ別)

前菜+メインディッシュx2+デザート

6,800円→6,000円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+デザート

6,800円→6,200円(税サ別)

前菜x2+メインディッシュ+デザート

7,800円→7,200円(税サ別)

前菜+メインディッシュx2+デザート

9,100円→8,200円(税サ別)

プリ・フィックスメニューの料理内容は、当日にメニューをご覧いただきながらお選びいただきます。ご希望人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

 

 

≪平日限定 カフェ&デザートのセットを始めました!≫

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 平日限定で13:30より、カフェとデザートのセットサービスを始めさせていただきました。デザートはBenoit自慢のラインナップよりお選びいただけます。仕事の息抜きに、ご子息様のお迎え前に、表参道散策の最中に、甘い「口福」のひとときをお楽しみください。

 ランチ営業を行っているため、ご予約を承ることができません。皆様にご足労を賜りながら、お席がございませんとお伝えすることは心苦しいものです。そこで、お越しいただける際には、13:00過ぎにBenoitへご連絡をいただけると幸いです。お席の状況をお伝えさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

平日限定

13:30 16:00 (15:00 L.O.)

デザート+マドレーヌ+コーヒー

2,000円(税サ別)

※デザート内容は、ランチプリ・フィックスメニューを参照ください。一部追加料金の必要なデザートもございます。そして、コーヒーは、もちろん紅茶やハーブティーに変更可能です。

 

≪北平のBenoit不在の日≫

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 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない11月の日程を書き記させていただきます。10月は滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

9日(月)

12日(木)

15日(日)

19日(木)

22日(日)・23日(月)

28日(土)

 上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。

 皆様にお会いする機会を賜りながら、自ら放棄する無礼、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

≪秋風の色は何色?≫

 黄葉・紅葉で彩られる「秋の色」は、深まりゆく秋を我々に教えてくれます。寒暖差が大きいほど美しく色づくのだといいます。この寒暖差は、秋という季節がもたらすもの。そして、秋は風が導いてくる。では、「秋風の色」は何色なのでしょう?季節のお話として、ブログに書き記しております。お時間のある時に以下よりご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

≪秋のお勧め料理・デザートのご紹介です。≫

 降り注ぐ太陽の陽射しと風が「風景」を生み出し、万物の成長を促します。風景は画一的(かくいつてき)ではなく、四季折々に加え土地土地に特別な「風土」をもたらします。そして、この風土によって育まれた味わいが「風味」です。風味が満ち満ちたものが旬の食材です。

 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去ってゆくのと同じように、秋の食材も我々が楽しむまで待ってくれるという「情け」は持ち合わせていないようです。「秋はとまらぬものにぞありける」であれば、秋に旬を迎える食材もまた、「とまらぬものにぞありける」。11月の特選食材とお勧めの料理・デザートのご紹介です。

kitahira.hatenablog.com

 

 「憂愁(ゆうしゅう)の秋」かと思いきや、「幽愁(ゆうしゅう)の秋」とも表現します。辞書には「憂愁=幽愁」と記載があります。憂愁は、「悩み苦しむこと、悲しみ」とある。では、幽愁は「心の奥底の憂い、悲しみ」なのだと。分かったようで分からない、同じような気もします。

 両者に共通する「愁」は、「愁(うれ)い」とも読み、思い悩むことを意味します。「憂」もまた「憂(うれ)い」と読み、同意です。そうすると、憂愁は、ダブルで思い悩むことで苦しい、日々の生活の中で起きうる人間関係や、金銭関係などで苦しみながら思い悩むこと。「幽」には奥深いという意があります。そうすると、自分ではどうすることもできない自然の摂理への、手の届かないどうしようもないことへ思い悩むことなのか。こう考えると、過ぎ去る秋への想いは、「幽愁」こそあい相応しいのでしょう。

 Benoit特選食材で仕上げた美味なる料理の数々を逃してしまうことは、憂愁なのか幽愁なのか?ここは、皆様の判断にお任せいたします。よく見ると、「愁」の字は、秋に心と書いています。思い悩むことが多いのが秋なのかもしれません。

 ここはいっそのこと、足の赴くままにBenoitへお越しいただき、愁うことなく旬の食材をお楽しみいただく。そうすれば、憂愁でも幽愁でも、どちらもお構いなしという、全て万事解決となることでしょう。皆様との再会を、愁うことなく心待ちにしております

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

季節のお話「秋風の色は何色?」

秋ふくは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり あはれなるらん  和泉式部

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 朝晩の涼やかな風は、秋の訪れを実感させてくれます。この心地良く吹き抜ける涼風に何色を見出したのでしょうか。その風が心に染み入るようで趣深いものです、と和泉式部は書き記す。確かに、夏の風とは違い、秋の風には何かしみじみとした情緒があるものです。ところで、風の色とは何を意味するのでしょうか?そもそも風に色はあるのでしょうか?

 漢字の語源辞典である「漢辞海」をパラパラとめくって「秋」を調べてみると、「秋色(しゅうしょく)」という成語が記載されていました。「秋の景色や気配。白色」であるという。白色?なぜ秋の色は白なのか。少しばかり調べてみました。

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 古代中国の賢人は、2つの偉大な哲学を見出しました。あらゆる事物・現象は、万物を生成する陰(いん)と陽(よう)の二気が消長や調和によって引き起こされるとする「陰陽説」。そして、万物を構成する根源的な要素は、「木・火・土・金・水」という5つであるとする「五行説」です。

 時下り、紀元前5世紀ごろ古代中国が戦国時代を迎えた時、歴代王朝の盛衰を見事に説いた賢人、鄒衍(すうえん)が現れました。この時の論法は、陰陽説と五行説を合したもので、ここに「陰陽五行説」が誕生するのです。この説の中では、すべての構成要素である五行に対して、時節・方位・感情・臓器などを配当し、天地人を総合的に解釈するようになり、全てのもの・事象は、陰陽と五行とが密接に関わり合い、良くも悪くも影響を及ぼすのだといいます。

 では、時節はどう配当されたのか。一年間に時節は5つあると説く。四季は四つの季節であると書くだけに、時節もまた春夏秋冬の4つではないないのかと思う。しかし、古代中国の賢人は、「春(木)・夏(火)・?(土)・秋(金)・冬(水)」とあてています。「土」が足りない。四季以外にどんな季節があるのでしょうか。

 古中国を発祥とする二十四節気では、四季の始まりを「立春」「立夏」「立秋」「立冬」と記しています。このそれぞれの日を迎えるまでの18日間の「季節の移り変わる期間」に、「土用」という時節を設けたのです。1年は365日とすると、四季は365÷4≒91日。各季節の最後に土用の期間があるので、四季は91-18=73日。土用は年に4回あるので、18✕4=72日。今でこそ簡単な計算ですが、これを紀元前2世紀に行っている古代中国の天文学には驚嘆するしかありません。

 すでにお気づきかと思いますが、五行の「土」には「土用」をあて、「五時」としています。「五時」があるのであれば、もちろんのように「五色(ごしき)」というものもあります。賢人は、「青・赤・黄・白・黒」が五元色であると。確かに、今のプリンターのインクの色には、シアン(青系)・マゼンタ(赤系)・イエロー・ブラックのはずです。白地に印刷することを思うと、白が無いのは当然のこと。

 この五時と五色を合わせ見ると、自分のような素人にも組み合わせの妙を感じ取れます。若葉青々しいというように、かつては緑も青に含まれていることもあり、「春は青」。ちなみに、若々しさ溢れる時期を「青春」といいますが、この由来はここにあります。灼熱の暑さの盛りでもある「夏は赤」。寒さ厳しい期間をどう乗り越えてゆこうか、そのような暗雲漂うような心地なのでしょう、「冬は黒」。さらに、寒暖乾湿の差が激しい季節の移り変わる時期は、健康管理に注意しなさいよとの警告なのか、「土用は黄」。そして、待望の実りの時期であり、紅葉・黄葉と彩り豊かな秋はというと、賢人は「秋は白」であると言う。

 この「五時」と「五色(ごしき)」に、東西南北と中央を意味する「五方」を合わせると、なかなか興味深い図が仕上がります。

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 各季節の中央に位置する「土用」は「土旺」とも書き、大地の勢いが旺盛になる時だといいます。そのため、土をいじくるような、地鎮祭上棟式なイベントは行わず、さらに昔の土葬なども避けていたようです。変化に伴う強大なエネルギーに満ち満ちているのが土用の期間であり、大地は人が太刀打ちできないほどの自然の力を備えているといいます。この土用という考え方は、日本では雑節(ざつせつ)として今もその名を暦に残し、「無理に農作業をしないで、体を休めなさい」と教えてくれます。

 菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」、菅原道真は春の東風が花の開花を促すのだと詠っています。和歌の世界では、春は東から、秋は西からやってくる。自分の感覚では、春は南西から、秋は北東からやってくる。

 この疑問の答えは、「五時」と「五方」を合わせた上の図が教えてくれています。道真は、実際の東風が梅の開花を促したのではなく、陰陽五行説の中で、春が東に配当されていることから、春は東からくるのだと考えているのです。そのため、春の風は東から吹いてくる。東風は「こち」とも、「はるかぜ」とも読みがついています。そして、秋は西からやってくる。秋を運ぶ風は西風(にしかぜ/せいふう)でという。興味深いことに、この風にだけ色があります。「五色」と合わせ見ると「秋は白」、秋の風は「白い風」です。

 秋の風にだけ色があるということは、もちろん風が特別に色付いているわけではありません。そうすると、特別に色で表現される秋の風は、その色そのものに何か理由がある。「白」には、colorの「白色」ではない、何か他に意味があるようです。

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 「白」を語源辞典「漢辞海」で調べてみると、「白い」という視覚的な色彩の色を筆頭に、「きよい・あきらか・あかるい」と書き記されていました。一度煮立たせることで不純物を取り除き、まろやかな口当たりとなった湯のことを、「白湯(さゆ)」といいます。「白」は白々しい色のことではなく、清らかであることを意味しています。

 もうひとつ難読漢字を挙げると「白雨(はくう)」と名付けられた雨があります。これを「ゆうだち」とも読み、意味はにわか雨や夕立(ゆうだち)のこと。真夏の炎天下で、熱せられた大地を潤し、気温を下げる。短い時間の雨ながら、雨後の景色には、なんともいえない清々しさを感じるものです。

 ひと月も前のことですが、2020年は9月7日に二十四節気の「白露(はくろ)」を迎えました。昼夜の気温差が大きくなり、夜半に空気中の水蒸気が冷やされ、水滴となり葉や枝に現れたものが「露」です。なかなか都内では見かけることはありませんが、旅行などで山間部に行かれた時の早朝は、陽に照らされきらきらと輝く朝露に、清楚可憐な美しさを目にするのではないでしょうか。そのため、「白」があい相応しい。

 

 秋風の色は「白」であると賢人はいう。この「白」はcolorの白色ではなく、「清らか」という意味を内包する、無色透明の風のこと意味している。秋の風には、「色無き風」との別称があることが何よりの証ではないでしょうか。この「白い風」が吹く秋は、澄み渡る空気に包まれる季節。空は青々しく、山々はくっきりと姿を見せ、草木の花々、木の実や果実、葉の色が鮮やかに映える。もちろん、夜空に輝く「星月夜」も。歳時記の中で「月」といえば「秋」を指し、「中秋の名月」は、白い秋にこそ、その美しさを際立たせます。

 日本では、秋を司る神は、「竜田姫(たつたひめ)」です。彼女は染色と裁縫が特技とされ、秋の野を駆け回るように染め上げる。この錦秋(きんしゅう)の女神の為せる業(わざ)を際立たせる色こそが、日本の秋の「白」なのでしょう。

風景とは、風が導く景色である。」

 

秋ふくは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり あはれなるらん

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 「色」には、「物の彩り」の他に、「光景や自然のようす」という意味があります。「景色」とは、「四季を感じる自然景観」のこと。「しむ(染む・浸む)」という掛詞を汲み、勝手気ままに歌意を考えてみました。

 錦秋の女神が秋風に乗り、其処彼処と色付かせてゆきます。秋の白さが際立たせた、その多彩なる景色はそれほど美しいのでしょうか。秋風が涼しさばかりではなく、秋の香りをも運んできてくれ、私の身に染みいるようです。さらに、その風情が私の心に深く入り込んでゆくことで、なんとしみじみとした情緒が沸き起こることでしょうか。

 素人にしては、なかなかに説得力のあると思うのですが、皆様はどのように感じましたか?

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 白秋の美しき頃は、五穀豊穣の実りを、さらに山の幸や海の幸の恩恵を十二分に堪能できる時期です。秋の「あはれ」を感じ入った後は、やはり彩り豊かな秋の味覚をお楽しみいただくことが良いでしょう。旬の食材には、いま我々が欲している栄養が満ち満ちている上に美味しいものです。必要な栄養が深く身に染み入ることで、免疫力を上げることになるでしょう。

 秋の景色に「あはれなるらん(なんと趣深いことか)」と感じ入りながらいただく秋の味覚は、きっと格別のものでしょう。美味しい食事は、人を笑顔にします。そして、笑いながら食事をすることは、さらに美味しさが増すということをお忘れなきように。

 

≪惜秋特別プランのご案内です。≫

 「秋の野」にゆかずとも、其処彼処(そこかしこ)で響き渡る「虫時雨」。マツムシは「待つ・虫」であると、古人はなかなか粋なことをいう。マツムシは、我々の訪れを待っていたのでしょうか?きっと違う。マツムシは美しい音色に、ついつい我々が忘れがちな「時は過ぎてゆく」というメッセージを込めているのではないかと思う。

 虫時雨に気付くことで、秋過ぎてゆくことを察する。うかうかしてはなりません、「秋はとまらぬものにぞありける」と教えてくれているのです。向かう先は秋の野ではありません。いざ、Benoitへ訪(ろぶら)はむ!

kitahira.hatenablog.com

 

≪秋のお勧め料理・デザートのご紹介です。≫

 降り注ぐ太陽の陽射しと風が「風景」を生み出し、万物の成長を促します。風景は画一的(かくいつてき)ではなく、四季折々に加え土地土地に特別な「風土」をもたらします。そして、この風土によって育まれた味わいが「風味」です。風味が満ち満ちたものが旬の食材です。

 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去ってゆくのと同じように、秋の食材も我々が楽しむまで待ってくれるという「情け」は持ち合わせていないようです。「秋はとまらぬものにぞありける」であれば、秋に旬を迎える食材もまた、「とまらぬものにぞありける」。11月の特選食材とお勧めの料理・デザートのご紹介です。

https://kitahira.hatenablog.com/entry/2020/11/08/3

kitahira.hatenablog.com

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

2020年10月11月≪惜秋特別プラン≫と≪デザート&カフェセット≫のご案内です。

 日ましに秋めく今日この頃。日中の気温こそ、まだまだ汗にじむほどではありますが、朝晩には肌寒さを感じるほどとなりました。「涼風(すずかぜ/しんりょう)」というと、夏の季語。秋に感じる涼しさは「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」というそうです。夜半は、涼しいというよりも、少しばかり冷たい風になったように思います。

 

 古人は、秋の音色を奏でるバッタのことを「虫」と表現しています。コオロギを筆頭に、マツムシやスズムシ、そしてキリギリス。どの虫がコオロギなのか?マツムシなのか?スズムシなのか?今のような昆虫図鑑があるわけもなく、ただただその音色の違いで分けていたような感があります。堅い識者のように、それでは困ります、というのは野暮というもの。虫学者でもない限り、それでよいと思うのです。

 鳴いてはいないが、虫の鳴き声の織りなす美しいメロディーのことを、古人は「虫時雨(むししぐれ)」と名付け、毎夜のように聞き入っていたことでしょう。この音色は、かつてはオーケストラのようでも、今は弦楽四重奏のような感もありますが、ひとつひとつの音色は今も昔も変わりはないはずです。ここは、古人にならい、秋晴れの中で、秋を探しに散策にでかける一環として、虫時雨に聞き耳をたてることも一興なのではないでしょうか。

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秋の野に 人まつ虫の 声すなり われかと行()きて いざ訪(とぶら)はむ  詠み人しらず

 さて、マツムシは「待つ・虫」であると、古人はいいます。秋の散策で人を待っているといわれるマツムシの声が聞こえてくるではないか。きっと自分のことだろう、いざ訪れん!いやいや待っているのは、Benoitです。秋の日々にBenoitから「旬食材が待っています」と声(ご案内)が届いている。美味しい料理が待っている!さあ足の赴くままにBenoitへ行こうではないか!

 お後がよろしいようで…皆様との再会を心待ちにしております。

 

≪惜秋特別プランのご案内です。≫

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 降り注ぐ太陽の陽射しが万物を育て上げ、四季折々の風はその土地土地に味わいをもたらせます。その風のもたらした美味しさこそ「風味」であり、風味の満ち満ちたものが旬の食材なのではないでしょうか。この旬の食材は、美味しいばかりではなく、いま我が欲している栄養をも持ち合わせています。

 人の体は食べたものでできています。「美しい(令)」季節の秋食材が「和」する料理の数々。これを美味しく食べることで、人は笑顔になり、体の内側から湧き出でる力となる。そして、我々をウイルス災禍から守ってくれることでしょう。さらに「口福な食時」のひとときが、どのようなものかを知ることができるはずです。

 そこで、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、自分よりご案内している長文レポートに目を通していただけている皆様の労に報いるため、≪惜秋特別プラン≫をご案内させていただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、202011月末まで。ご予約は、自分へのメールをご利用ください。お急ぎの場合には、以下のBenoitメールアドレスより、もちろん電話でもご予約は快く承ります。

benoit-tokyo@benoit.co.jp

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+デザート

4,500円→4,000円(税サ別)

前菜x2+メインディッシュ+デザート

5,500円→5,000円(税サ別)

前菜+メインディッシュx2+デザート

6,800円→6,000円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+デザート

6,800円→6,200円(税サ別)

前菜x2+メインディッシュ+デザート

7,800円→7,200円(税サ別)

前菜+メインディッシュx2+デザート

9,100円→8,200円(税サ別)

プリ・フィックスメニューの料理内容は、当日にメニューをご覧いただきながらお選びいただきます。ご希望人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

  

≪平日限定 デザート&カフェのセットを始めました!≫

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 平日限定で13:30より、カフェとデザートのセットサービスを始めさせていただきました。デザートはBenoit自慢のラインナップよりお選びいただけます。仕事の息抜きに、ご子息様のお迎え前に、表参道散策の最中に、甘い「口福」のひとときをお楽しみください。

 ランチ営業を行っているため、ご予約を承ることができません。皆様にご足労を賜りながら、お席がございませんとお伝えすることは心苦しいものです。そこで、お越しいただける際には、13:00過ぎにBenoitへご連絡をいただけると幸いです。お席の状況をお伝えさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

平日限定

13:30 16:00 (15:00 L.O.)

デザート+マドレーヌ+コーヒー

2,000円(税サ別)

※デザート内容は、ランチプリ・フィックスメニューを参照ください。一部追加料金の必要なデザートもございます。そして、コーヒーは、もちろん紅茶やハーブティーに変更可能です。 

 

Benoit京都へ≫

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 今春にBenoit京都が、オープンいたしました。日増しに美しく色づく紅葉・黄葉が、皆様を京都への旅路へとお誘いしているようです。そこで、並々ならぬご愛顧を賜っている上に、Benoitメンバーズカード保有している皆様に、ささやかな贈り物をさせていただきます。

 Benoitメンバーズカードを、Benoit京都での会計時に提示していただけると、ご利用金額より5%割引をさせていただきます。残念ながら、京都でのポイントの利用や加算には、今少しの猶予をいただけると幸いです。

 

≪北平のBenoit不在の日≫

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない10月の日程を書き記させていただきます。

26日(月)終日

28日(水)ディナー

31日(土)終日

 上記日程以外は、Benoitを優雅に駆け回る所存です。自分への返信でのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。

 皆様にお会いする機会を賜りながら、自ら放棄する無礼、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 

 帰路の道中、人を待つというマツムシ声が聞こえてくる。自分を待ってくれているのではないかと、マツムシを訪ねてみようではないか。もちろん、野に入り込むわけではなく、虫時雨に導かれるように歩を進める。すると、待っていたのは虫ではなく、美しい凛と咲き誇る白い花でした。この花の名は?

 詳細をブログに書き記しました。お時間のある時に以下よりご訪問いただけると幸いです。身近に見かけたさいにはご注意を!

kitahira.hatenablog.com

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

季節のお話「妖艶なるアサガオの花」

秋の野に 人まつ虫の 声すなり われかと行()きて いざ訪(とぶら)はむ  詠み人しらず

 日ましに秋めく今日この頃。日中の気温こそ、まだまだ汗にじむほどではありますが、朝晩には肌寒さを感じるほどとなりました。仕事柄、帰路に着くころには、すっかりと日が暮れています。人もまばらな道のりに、月夜の頃には、かくも月は明るいものなのかと、秋の月夜に感慨を覚えます。秋の気まぐれな天気だからこそ、雲間からのぞく月の姿もまた趣き深いもの。星月夜ともなると、知らず知らずのうちに月を探して夜空を見まわしてしまう自分がいます。

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 古人も「秋の名月」を眺めていたはずであり、その姿は今も昔も変わりはありません。そして、コオロギを筆頭に、マツムシやスズムシの奏でる音色も変わりはないはずです。この響き渡る秋の虫たちの音色を、古人は「虫時雨(むししぐれ)」と名付けました。秋の哀愁の念をともない、心に染み入るかのような音色を、毎夜のように楽しんでいたことでしょう。

 「秋の野」にゆかずとも、其処彼処(そこかしこ)で響き渡る「虫時雨」。どなたかのお家の庭であり、駐車場であり、もちろん公園であり、静まり返った夜半ともなると、都内でも十分に楽しむことができます。ここはひとつ、ただのうるさい「虫の鳴き声」とはせずに、美しく響く「虫の音色」として耳を立ててみてはいかがでしょうか。

 さて、マツムシは「待つ・虫」であると、古人はなかなかに粋なことをいう。帰路の道中、人を待つというマツムシ声が聞こえてくる。自分を待ってくれているのではないかと、マツムシを訪ねてみようではないか。もちろん、野に入り込むわけではなく、虫時雨に導かれるように歩を進める。すると、待っていたのは虫ではなく、美しい凛と咲き誇る白い花でした。

 

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 夜半に花咲くこの植物の名は、アサガオのような花なので「夜顔(ヨルガオ)」なのではないかと調べてみると、意外な花の名前にでくわしました。この花は「朝鮮朝顔(ちょうせんあさがお)」といいます。アサガオという名の付く花は、花の形が似ていることが特徴で、花開くタイミングによって「朝顔」「昼顔(ヒルガオ)」「夕顔」、そして「夜顔」とあります。ここに、「朝鮮朝顔」が加わったのです。植物の分類上では、アサガオヒルガオ科に与しています。列挙した「○○ガオ」の中に、、仲間外れが2つ入っています。

 花こそ似ていますがユウガオはウリ科、チョウセンアサガオはナス科の植物です。ユウガオは干瓢(かんぴょう)として馴染みの食材、チョウセンアサガオがナス科であれば、美味しい実を成すのではないかと思うものです。今の時代にあって、見知らぬ草木をホイホイと口にすることはないかと思うのですが、決して口にしてはいけません。この植物自体が危険極まりない毒性を持っているのです。

 この植物の毒性薬効転用は古くから知られており、15世紀に興った中国明王朝医学書にすでに書き記されており、日本には江戸時代に薬用植物として持ち込まれたといいます。当時代の外科医、華岡青洲(はなおかせいしゅう)は、この薬効に着目し、精製することで麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を調合し、世界初の全身麻酔による手術を成功させています。猛毒であるフグ毒が鎮痛剤になるように、チョウセンアサガオ毒は麻酔薬に姿を変える。そのため、今の公益社団法人日本麻酔科学会のロゴにデザインされているのは、この花です。

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 チョウセンアサガオの「チョウセン」とは、朝鮮が原産であるということではありません。日本の固有種に似ているが、少し違う在来種である草木であるという意味で名付けれたのだといいます。原産地は南アジアです。そういえば、地中海沿岸が原産地であるアーティチョークのことを、「朝鮮薊(ちょうせんあざみ)」と日本語で表記します。なるほど、日本に似ているアザミがあるが少し違う…少しどころではありませんが…

 

 このチョウセンアサガオにも、もちろん花言葉があります。「夢の中」「陶酔」「小悪魔的な魅力」…どのような花なのか知るほどに納得してしまう花言葉です。危険な植物であるのですが、暗闇の中で、月明かりやほのかな街灯で照らされる、この妖艶なる花の姿に魅せられる。いっとき現実を忘れてしまうかのような夢心地にひたる。一線を越えてしまうと夢の中から抜け出せなくなる危険性もある、「小悪魔的な魅力」とはかくものなのか。しかし、「毒を以て毒を制す」とはよく言ったもので、有効活用することで我々に恩恵をもたらしました。

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 マツムシの音色に誘われるかのように、自分がこの花に出会った場所は、建物裏の草むらの中。家主は知ってか知らぬかわかりませんが、育てている感はありません。声高らかに「危険だ」と声をかけるのは野暮というものでしょう。自分が出会う前から自生していた自然の理(ことわり)です。そっと眺めるのが良いのかと。コロナウイルス災禍による混沌とした世界の中で、疲労困憊しながら夜半に帰路につく我々へ、チョウセンアサガオはこう語りかけているのかもしれません。

「今日も一日お疲れ様でした…」と。

 

 このチョウセンアサガオが花開いているの丸一日程かと思います。朝顔と名がつくだけに、朝も目にすることができるのですが、心急(せ)いているのか見落としがち。闇夜で凛として花開いている姿こそ、花言葉にあい相応(ふさわ)しいと思うのです。そして、2日目の夜には「別れ」を迎えることになります。この刹那(せつな)さがまた、花の美しさを際立たせているのではないでしょうか。

 「会者定離(えしゃじょうり)」とは世の常ながら、「出会い」が無ければ、「別れ」もありません。人世には悲喜こもごもありますが、「出会い」の無い人生は全く平凡なもので、つまらないものだと考えています。食の世界でも同じことで、季節折々で旬を迎える食材の無い、食事では飽きてしまうことでしょう。旬の食材の美味しさを知っているからこそ、旬の短い「ひととき」を待ち焦がれ、大いに楽しむものです。

 「美味(おい)しい」とは、「美しい味」と書きます。美しさには限りがあり、限りがあるからこそ美しい。いずれは終わりを迎える食材の美味しさを見逃してはいけません。我々は、美味しいなかに「口福な食時」のひとときを感じ取ります。さあ、足の赴くままにBenoitへ、旬の食材を数々が、「料理」へと姿を変え、皆様をお待ちしております。もちろん、チョウセンアサガオは食材として使用してはおりません!

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2020年秋 ≪コース料金改定≫と≪惜秋特別プラン≫のご案内です。

思ひやれ 真柴のとぼそ おしあけて ひとりながむる 秋の夕ぐれ  後鳥羽院

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 和歌に対する造詣が深く、同時代に藤原定家という天才に恵まれたこともあり、勅撰和歌集の編纂の勅令を下しました。この英断によって、優美を極めた「新古今和歌集」が今に遺ることになります。しかし、1221年の鎌倉時代鎌倉幕府執権の北条義時に対して挙兵するのです。この承久の乱は幕府側の勝利に終わり、後鳥羽院隠岐(おき)の島に配流(はいる)されることになります。

 「思ひ遣(や)る」とは、悲しみや憂いの気持ちを晴らす他に、遠くの人を思いやるという意味もあります。「真柴のとぼそ」とは、柴を編んだ門扉のことで、粗末な住処(すみか)であることを、婉曲に表現しています。

 歌帝が隠岐の島で詠まれたのが、冒頭の一首です。遠い地にいる自分の境遇を思いやってくれはしないか。柴の戸をおしあげ、はっきりと何を見るというわけでもなく、ひとり物思いに耽りながら眺める秋の寂しい夕暮れです。権謀術策うごめく中で、文武両道であったことで頭角を現すも、失脚します。栄枯盛衰の人生を悔いているのか、はたまた世の常として甘受しているのか。古語である「眺(なが)む」とはどのようなものなのか、我々に教えてくれる一首なのではないでしょうか。

 世界中を席巻しているCovid-19災禍は、いまだ収束の兆しは見えません。歴史を振り返ってみると、病原菌や悪性ウイルスによる災禍は、幾度となく繰り返しています。我々は、今できるウイルス対策を粛々とこなしてゆくことしかないのでしょう。大いに悩むも、医療素人の自分に何か解決策があるわけでもありません。

 昼と夜の営業時間の合間に、換気のために非常階段の扉を開けることが常となりました。今、ディナー営業前には秋の夕暮れを眺めることができます。何を見つめてるわけではなく、ただひとり「眺む」、Benoitからの夕暮れです。涼しくなってきた秋の風が、幽愁の思いを導いてくるかのようです。

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101日より、Benoitの料理価格を改定させていただきます。≫

 2020年10月1日より、Benoit料理メニューの価格改定を実施させていただきます。新しい価格については、HPのMENUの項目か、次にご紹介させていただく「惜秋特別プラン」の元値を参照いただけると幸いです。

 日頃より並々ならぬご愛顧を賜っております皆様より大切な時をお預かりすることを、自分を含めスタッフ一同、しっかりと胸に刻み、皆様が「口福な食事」のひとときをBenoitで過ごすことができるよう、最善を尽くさせていただきます。なにとぞご理解賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

≪惜秋特別プランのご案内です。≫

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 降り注ぐ太陽の陽射しが万物を育て上げ、四季折々の風はその土地土地に味わいをもたらせます。その風のもたらした美味しさこそ「風味」であり、風味の満ち満ちたものが旬の食材なのではないでしょうか。この旬の食材は、美味しいばかりではなく、いま我が欲している栄養をも持ち合わせています。

 人の体は食べたものでできています。「美しい(令)」季節の秋食材が「和」する料理の数々。これを美味しく食べることで、人は笑顔になり、体の内側から湧き出でる力となる。そして、我々をウイルス災禍から守ってくれることでしょう。さらに「口福な食時」のひとときが、どのようなものかを知ることができるはずです。

 そこで、日頃より並々ならぬご愛顧を賜っている上に、自分よりご案内している長文レポートに目を通していただけている皆様の労に報いるため、≪惜秋特別プラン≫をご案内させていただきます。期間は、メールを受け取っていただいた日より、202011月末まで。ご予約は、自分へのメールをご利用ください。お急ぎの場合には、以下のBenoitメールアドレスより、もちろん電話でもご予約は快く承ります。

benoit-tokyo@benoit.co.jp

 

ランチ

前菜+メインディッシュ+デザート

4,500円→4,000円(税サ別)

前菜x2+メインディッシュ+デザート

5,500円→5,000円(税サ別)

前菜+メインディッシュx2+デザート

6,800円→6,000円(税サ別)

ディナー

前菜+メインディッシュ+デザート

6,800円→6,200円(税サ別)

前菜x2+メインディッシュ+デザート

7,800円→7,200円(税サ別)

前菜+メインディッシュx2+デザート

9,100円→8,200円(税サ別)

 プリ・フィックスメニューの料理内容は、当日にメニューをご覧いただきながらお選びいただきます。ご希望人数が8名様以上の場合は、ご相談させてください。

 

 秋の夕暮れに吹き抜ける秋の風。真夏の猛暑に疲弊した体には、心地良さを感じるものです。そして、得も言われぬ幽愁(ゆうしゅう)の思いが我々を包み込む。「ひとりながむる」ことで、さらに深くなる。

 「憂愁=幽愁」と辞書に記載があります。憂愁は、「悩み苦しむこと、悲しみ」とある。では、幽愁は「心の奥底の憂い、悲しみ」なのだと。分かったようで分からない、同じような気もします。

 両者に共通する「愁」は、「愁(うれ)い」とも読み、思い悩むことを意味します。「憂」もまた「憂(うれ)い」と読み、同意です。そうすると、憂愁は、ダブルで思い悩むことで苦しい、日々の生活の中で起きうる人間関係や、金銭関係などで苦しみながら思い悩むこと。「幽」には奥深いという意があります。そうすると、自分ではどうすることもできない自然の摂理への、手の届かないどうしようもないことへ思い悩むことなのか。こう考えると、過ぎ去る秋への想いは、「幽愁」こそあい相応しいのでしょう。

 Benoit特選食材で仕上げた美味なる料理の数々を逃してしまうことは、憂愁なのか幽愁なのか?ここは、皆様の判断にお任せいたします。よく見ると、「愁」の字は、秋に心と書いています。思い悩むことが多いのが秋なのかもしれません。

 ここはいっそのこと、足の赴くままにBenoitへお越しいただき、愁うことなく旬の食材をお楽しみいただく。そうすれば、憂愁でも幽愁でも、どちらもお構いなしという、全て万事解決となることでしょう。皆様との再会を、愁うことなく心待ちにしております。

 

 季節のお話から始まる10月特選食材ダイジェストへのご案内です。今回は「手招く尾花」という題目で書かせていただきました。尾花と何の花で、何をおいでおいでと手招きしているのか。ぜひお時間のある時に、以下より季節のお話をご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

 

 夏食材も終わりを告げ、深まりゆく秋に合わせ、Benoitにも秋食材が続々と届けられることになっております。どのような食材が10月に登場するのか?いそぎ知りたい方は以下より、秋の食材ダイジェスト版をご覧ください。

kitahira.hatenablog.com

 

 「涼風(すずかぜ/りょうふう)」というと、夏の季語。秋に感じる涼しさは「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」というそうです。秋分を迎え、暦の上では秋の最中。もう涼しさを感じていらっしゃることと思います。秋らしい寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、十分な休息と睡眠をお心がけください。

 そういえば、「女心と秋の空」とはよく耳にいします。しかし、江戸時代には「男心と秋の空」といったそうです。移ろいやすい心の持ち主は、いったいどちらなのでしょうか。

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2020年10月11月≪秋の特選食材≫のご案内です。

 「景色」とは、四季を感じる自然景観のことだと、語源辞典「漢辞海」が教えてくれます。その中で、釈名(しゃくみょう/古代中国の賢人が書き遺した語源辞典)では、「景」とは「境である。明るく照らす場所に境限(=かぎり)があるから。」という。境限があるからこそ、四季があり一年にメリハリがでるのかもしれません。その時々に境限があり、その時々に姿を見せてくれる自然景観が景色なのです。旬の食材とは、ある意味で景色なのかもしれません。そして、時は進む一方で戻ることはできません。

 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去ってゆくのと同じように、秋の食材も我々が楽しむまで待ってくれるという「情け」は持ち合わせていないようです。夏食材も終わりを告げ、深まりゆく秋に合わせ、Benoitにも秋食材が続々と届けられることになっております。そこで、どのような食材が10月に登場するのか?食材ダイジェスト版として、皆様にご案内させていただきます。

「秋はとまらぬ ものにぞありける」

 

飛騨高山の伝統野菜「宿儺かぼちゃ」が届きます!

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 岐阜県の飛騨高山に伝承される鬼神「宿儺(すくな)」の名を冠する伝統野菜。今年もBenoitに届きます。大きなサイズになればなるほど、栽培が難しくなると言われるなかで、この見事なサイズにまで育て上げられるには、どれほど手間暇をかけねばならないことか。高山市で「かぼちゃ名人」と称される若林さん率いる、熟練の栽培者の方々よりBenoitへ送っていただきます。

 薄い表皮を削ると、見事なほどの黄色がかったオレンジ色が姿を見せます。和かぼちゃの多くは、味わいが素朴であるのに対し、この宿儺かぼちゃはそれとは一線を画します。コクのある甘さを持ちながら、後引く旨さに和かぼちゃらしい優しさがあります。洋かぼちゃにはない和かぼちゃの美味しさに舌鼓を打つこと間違いありません。

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 ランチでは、黄金色のスープへ。ディナーではグラタンへ姿を変え、お肉のお供をする予定です。

 

≪フランスの洋栗は、毎年恒例のスープへ!≫

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 この時期になると、必ず問い合わせがくるのが、「栗のスープ」です。ビロードのようなという意味の「ヴルーテ」という名前にてディナーメニューに名を連ねます。

 滑らかでフランスの栗らしい甘さとコクがある。洋栗だけではちろん甘くなる。そこで、味わいを引き締めるために加えるのは、栗の渋皮です。赤ワインのタンニンと同じ「渋味」を加えることで、前菜として立ち位置を獲得したのです。なぜ、毎年秋にBenoitのメニューに登場するのか?あまりにも美味しいからです。お問い合わせをいただく理由をご理解いただけるのではないでしょうか。

※この栗の画像は、恵那川上屋さんの毬栗(いがぐり)です。

 

フランスから「キノコいろいろ」が飛行機に乗って到着します!

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 秋の味覚の代表ともいえる「キノコ」。冬本番を迎えるにまえに、ぜひとも味わっておかねばなりません。今期もフランスから飛行機の乗って、ピエ・ブルー(シメジの仲間)、プルーロット(ヒラタケの仲間)、ジロール(アンズ茸の仲間)とトランペット・ドゥ・ラ・モー(「死のトランペット」という名前ですが毒キノコではありません)の4種類が、届けられるよていです。ひとつひとつの香りこそ地味ですが、ちゃっちゃと熱を加えることで放たれることで芳しい香りをはなつようになり、風味豊かになります。

 さあ、どのような料理へ姿を変えるのでしょうか?

 

≪秋のBenoit料理を彩る日本の魚たちです

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 昨今の地球温暖化を含めた気候変動は、海の中も例外ではありません。いつもであれば、○○漁港からの直送です!とご案内するのですが、あまりにも漁獲量が安定しないため、今秋は魚卸しの老舗「大芳(だいよし)」さんにご協力を仰ぎました。築地から豊洲と移るも、創業75年を誇るだけに、日本全国津々浦々より市場に集まる魚群から、見事な目利きで選ばれた逸品がBenoitに届きます。

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 上の画像は、マサバ。下の画像で鋭い牙を見せているのがタチウオ。画像はないですが、美味なるマツカワカレイが、メニューに名を連ねます。タチウオとカレイに関しては、Benoit初登場です。さあ、Benoitではどのような料理に姿を変えるでしょうか。

 

≪海外から、秋のBenoit料理を彩る魚たちです

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 そして、美味しいものを希求したがために、海外から届けられるのがアトランティックサーモンです。サケ目サケ科には、北太平洋を拠点とするお馴染みの白鮭と、北大西洋のアトランティックサーモン(大西洋鮭)がいます。なぜこの分類の話をするかというと、似たものにサケ目サケ亜科のトラウトサーモンなるものがあるからです。これは鱒(ます)の仲間です。

 魚類は、その筋肉中の血色素のミオグロビンの含有量により「赤身」「白身」に区分されています。赤身の魚はマグロ、カツオ、サバなどの回遊魚に多く、白身の魚は、カレイ、ヒラメ、タイなど。サケは切り身がお馴染みなので、皆様いともたやすく想像できるはずです。では、鮭と鱒は赤身なのか白身なのか、どちらでしょう?

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 このサケ目の仲間(以下、「サケ」と記載)は、「白身魚」です。サケの身色は、赤身魚のように血色素のミオグロビンではなく、「アスタキサンチン」という色素物質によるものです。「トマトのリコピン」や、「ニンジンのβカロテン」などと同じ、カロテノイドと呼ばれる天然色素群のひとつです。さらに、このカロテノイド群は強い抗酸化作用があるのです。リコピンとβカロテンなどは、健康補助食品サプリメントとしても存在しているほどです。

 その、カロテノイドの中で最強とうたわれているのが、「アスタキサンチン」なのです。ウィキペディアによると、抗酸化作用はビタミンCの約6000倍、コエンザイムQ10の約800倍、ビタミンEの約500倍、βカロテンの約40倍とも言われてるのです。ビタミンEは細胞膜の内側で、βカロテンは細胞膜の中心部でというように、効果を発揮する場所が限られているといいます。ところが、アスタキサンチンは細胞膜の内側と外側の両方で活躍するのだというのです。

 このスーパー抗酸化物質「アスタキサンチン」を、サケが自ら作り出すことはできません。生まれた時から常に泳ぎ続け、回遊範囲はまさに大海原、活性酸度がわんさかと体内で発生してゆきます。いうなれば、サケは抗酸化物質を必要としてる側であり、餌として体内に摂りこみ蓄えるようになったといいます。

 「アスタキサンチン」は、藻類の一部や甲殻類の殻に多く含まれています。サケが表層を回遊することを考えると、甲殻類は食すのは難しいでしょう。ではどうやって体内に摂りこむのか?このアスタキサンチンを含み、外洋の表層を遊泳する、エビに酷似した大型プランクトン、オキアミでした。

 サケは、オキアミから得ることのできたアスタキサンチンを体内に蓄え、泳ぎ続けることで生まれる活性酸素を抑え込み続けます。そして、このアスタキサンチンが、サケの身色をサーモンピンクへと変えていたのです。サクラマスがヤマメであれば、身色の違いは一目瞭然です。そして、サケの産卵が近くなると、この色素でもあるアスタキサンチンは、体表に婚姻色として、さらに卵にも表れます。「いくら」の色は、アスタキサンチンによるものだといいます。

 このアスタキサンチンというカロテノイドは、いまだ解明されていないことが多く、人にどれほど有用かは定かではありません。しかし、化学的に作り上げた物質ではなく、自然界に存在するものだからこそ、何かしらの良い影響を信じてもいいのではないでしょうか。美味しく旬のものをいただきながら、体の中から免疫力をあげてゆく。今一度、サケを見直す良い機会ではないでしょうか。

 今回はアトランティックサーモンのブランドでもあるノルウェーサーモンと、同じ仲間でありながら、南半球で養殖されたタスマニアサーモンが届くことになっております。

 

 「鮭(さけ)と鱒(ます)の違いとは?」知っているようで知らないことではないでしょうか?鱒(ます)という大きな分類の中に、鮭(さけ)があるのかと思っておりました。飲食を生業としながら、この認識の甘さに大いに反省させられることになりました。そこで、皆様を「鮭と鱒」の世界へと誘(いざな)わせていただきます。

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岐阜県恵那の老舗和菓子処から“和栗”がBenoitへ!そして、2020年版モン・ブランに姿を変えます。

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 昨年に引き続き、岐阜県恵那市の「恵那川上屋」さんより、和栗を炊きほぐしていただいた栗のペーストを送っていただきます。56年間もの間、栗に向き合ってきた彼らの慧眼は本物です。岐阜県恵那の地は昔から中山道の宿場町として栄えていました。旅人が秋に立ち寄る理由は、美味しい栗料理に栗菓子を提供していたからです。

 この連綿と受け継がれてきた「和の技法」をもって仕上げらえた栗のペースト2種類がBenoitに届きます。恵那川上屋さんの代名詞的な「栗きんとん」そのもの。それと、Benoit用に和栗を炊き上げ、加糖せずに仕上げたもの。この風味の異なる2つ和栗ペーストが、Benoitでフランスの栗と出会い、2020年のモン・ブランへと姿を変えるのです。

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 丹精込めて育ててくれる栽培家、栗を知り尽くした熟練した技術工房スタッフ、そして栗を愛するお客様。恵那川上屋さんは、栗を愛する皆様を「栗人(くりうど)」と名付けました。栗を通して大きな喜びの和となることを目指しています。その和に、快くBenoitを加えていただけたのです。我々が栗の栽培ができないのはもちろん、栗の選別や下ごしらえなどは、経験に裏打ちされている経験がものをいい、さらに途方もない手間暇がかかります。その貴重な栗のペーストを、Benoitへ送っていただくのです。

 皆様、Benoitの栗のデザートを通し、「栗人の和」への仲間入りをいたしませんか?

 

山形県朝日町大谷の遠藤農園さんからりんご「紅玉」」が届く予定です。

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 リンゴはいともやたやすく購入できますが、「紅玉」という品種となると、栽培している方は、軒並み減少します。生食にて、しゃくっとした心地良い食感と甘みに満ちた新品種が続々と登場し、昔ながらの硬く酸っぱいりんごである「紅玉」は敬遠されているようです。しかし、ことデザートとしてリンゴを選ぶ場合、生食にて美味なる日本のリンゴでは、加熱した際に甘すぎて酸味がないため適しません。やはり、紅玉をおいて他にはありません。

 昨年に出会うことができた、山形県朝日町大谷(おおや)の遠藤農園さん。彼の紅玉を試食したBenoitシェフパティシエール田中は、「見事なバランスで素晴らしい!」と太鼓判を押したのです。今期も直送していただこうと思います。しかし、昨今の悪天候から収穫開始日は未定です。

 可愛い小柄な紅玉は、1人1玉半ほど使用して、デザートに仕上げます。皮を剥き、スライスしたものを、ロメルトフというリンゴの形に模した素焼きの器にキレイに盛り込みます。今までは、リンゴ以外に加えるものはブラウンシュガーのみでした。今期は、さらなる美味しさを追究することで、スパイスが加えられることになりました。なぜスパイスを加えたのか、どれほど美味しくなったのか、気になりませんか?

 

 降り注ぐ太陽の陽射しが万物を育て上げ、四季折々の風はその土地土地に味わいをもたせる。その風のもたらした美味しさこそ「風味」であり、我々はここに「口福な食時」を見出すのです。そして、旬を迎える食材は、人が必要としている栄養に満ちています。そして、人の体は食べたものでできています。「美しい(令)」季節に秋食材が「和」する逸品に出会い、食することで無事息災に秋をお過ごしください。

 

 「涼風(すずかぜ/りょうふう)」というと、夏の季語。秋に感じる涼しさは「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」というそうです。秋分を迎え、暦の上では秋の最中。もう涼しさを感じていらっしゃることと思います。秋らしい寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、十分な休息と睡眠をお心がけください。

 そういえば、「女心と秋の空」とはよく耳にいします。しかし、江戸時代には「男心と秋の空」といったそうです。移ろいやすい心の持ち主は、いったいどちらなのでしょうか。

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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季節のお話「手招く尾花」のご紹介です。

 万葉集の中に記載されている山上憶良の名句が、当時の野に咲き誇っている秋の花が何であるかを教えてくれます。そして、人々はこれぞ「秋の七草」だと賞賛したのです。

 

秋の野に 咲きたる花を (および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

(はぎ)の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)が花 女郎花(をみなえし)また藤袴(ふじばかま) 朝顔が花

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 山上憶良は、野を見渡して、咲き誇る美しい花々を指折り数えてみると、7種あったと感嘆の声を上げている。自分はというと、2句目を小声に出しながら指折り数え、7種類を言えているいることに安堵している。同じように指折り数えるにしても、世界観があまりにも違い過ぎます…

 万葉の時代、話し言葉としての日本語はあったものの、書き言葉としての日本語はありませんでした。我々が使っている「ひらがな」は平安時代まで待たねばなりません。当時は、漢字の読みや、漢字のもつ意味を当て字のように使い、和歌を書き残したのです。これが「万葉仮名」です。原文では「七種花」と書き記し「ななくさのはな」と読む。そして、ここに「秋の七草」という言葉が誕生するのです。

 「七草」と言いながら、「萩」は草ではありません。枝垂れた細枝に花を咲かすために、草のように思えなくもありません。賢人も、たまには見誤るのか。そう思ったのですが、原文に「草」とは一文字も書いていない。山上憶良は、萩が草ではないことをもちろん知っており、「草」とは書かず、「種」としたのか?はたまた、万葉の時代には、咲き誇る花々を総称して「くさ」と表現しており、後世に「草」をあてたのか?皆様はどう思われますか?

 秋の七草の筆頭に挙がる「萩」については、今月にご紹介した「萩と野分」の中で、国訓であるとお話させていただきました。和歌の世界では、秋の花としてどれほど愛でられてきたことか。多くの歌人が詠い遺す中での天才の一句のお紹介です。お時間のある時にご訪問いただけると幸いです。

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 秋の到来を教えてくれる萩の花は、そろそろ咲き終えるでしょうか。今回ご紹介した「秋の七草」の殿(しんがり)の重責を担うのは、「尾花(おばな)」よばれる植物。この漢字から想像がつきやすいかと思うのですが、これは「ススキ」です。

 秋の七草の中では、我々にとって其処彼処で目にすることのできる、馴染み深い草なのではないでしょうか。「月」とは群を抜いた相性も見せており、2020年10月1日の「中秋の名月」では、皆様のご家庭でもお月見団子とともに飾られるのではないでしょうか。たわわに実る稲穂に似ていることからも、五穀豊穣を祝う祭事でも欠かせない存在です。

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 このススキ、何が花なのかよくわからず、姿を見るとすでに咲いているようにさえ思ってしまいます。上の画像は咲き始め。次にご案内する姿が咲き誇った姿です。花穂に違いがあるものの、この立ち姿こそがススキであり、多くの歌人を魅了して止まなかったのでしょう。冬になって花が枯れてしまっていても「枯れすすき」として、立派な季語として存在しているのです。

 今では限られた地でしか見かけないものの、それでもススキは自生し、立派な秋の風景を演出しています。こと、平安時代では、ススキはが広々と根を張り、草原を成していたことでしょう。風になびくように穂を垂れたような姿は、こっちこっちと、まるで我々を手招きしているかのようではないですか。ホラー映画にも出てきそうな場面でもありますが、ここは、秋晴れの下での清々しい光景を思い起こしてください。

 

花すすき まねく袂(たもと) あまたあれど 秋はとまらぬ ものにぞありける  藤原元真(もとざね)

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 大海原を想わせるようなススキの群生が、我々を秋の玄関口へと手招きしている。それにもかかわらず、秋という季節は、そ知らぬふりをして立ち止まることなく足早に過ぎ去ってゆくものです。移ろいゆく秋の景色は、刻一刻と姿を変えてゆき、同じ景色などないもの。その変わりゆく美しさに心惹かれるも、もう少しゆっくりと秋を満喫したいものだよ。そのような幽愁(ゆうしゅう)の想いが込められた一句のような気がいたします。

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 秋が我々をそ知らぬ顔で過ぎ去ってゆくのと同じように、秋の食材も我々が楽しむまで待ってくれるという「情け」は持ち合わせていないようです。夏食材も終わりを告げ、深まりゆく秋に合わせ、Benoitにも秋食材が続々と届けられることになっております。そこで、どのような食材が10月に登場するのか?食材ダイジェスト版として、皆様にご案内させていただきます。

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 「涼風(すずかぜ/りょうふう)」というと、夏の季語。秋に感じる涼しさは「新涼(しんりょう)」や「初涼(しょりょう)」というそうです。秋分を迎え、暦の上では秋の最中。もう涼しさを感じていらっしゃることと思います。秋らしい寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、十分な休息と睡眠をお心がけください。

 そういえば、「女心と秋の空」とはよく耳にいします。しかし、江戸時代には「男心と秋の空」といったそうです。移ろいやすい心の持ち主は、いったいどちらなのでしょうか。

 

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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