kitahira blog

徒然なるままに、Benoitへの思いのたけを書き記そうかと思います。

2022年4月5月 産直の旬食材をご自宅でいかがですか?

 皆様にお勧めしていると特選食材の数々。よく「どこかで購入できないの?」との問いをいただきます。そこで、ゴールデンウイークを迎えることもあり、ご自宅で特選食材をお楽しみいただきたく、それぞれの生産者さんにお願いをしてみました。取り急ぎ、今回は3つの地域から皆様がご購入できるように提案をいただきました。

 

香川県薫農園のアスパラガス「さぬきのめざめ」と旬の野菜セット

熊本県のむちゃん農園から不知火大玉とジューシーオレンジ(河内晩柑)のセット

新潟県佐渡ヶ島のマルヨシ鮮魚店から、鮮度抜群の魚詰め合わせ

 

香川県薫農園のアスパラガス「さぬきのめざめ」と旬の野菜セット

 香川県農業試験場で試験栽培を重ねた末、2005(平成17)年にオリジナル品種として誕生したのが「さぬきのめざめ」。巷(ちまた)に溢れるのはアスパラガスの品種はウェルカム種とは別格です。Benoitでは、毎年のように県下香南町の「薫る農園」より送っていただいています。園主である河田薫さんのアスパラガスは、惚れ惚れするほどに穂先がきゅっと締まった美しい姿、50cm近い長さがありながら、根元までやわらかく、シャクシャクとした食感、さらに鮮度が良いのでアスパラガス特有の旨味が満ち満ちているのです。

 彼女の「さぬきのめざめ」栽培方法のポイントは、「高畝(たかうね)」と「畝間(うねま)」、そして「灌漑と温度」だと教えてくれました。この品種は、ウェルカム種に比べて表皮が薄く柔らかいため、病気に弱く、ハウスで栽培しなくてはなりません。通常、県外での栽培方法は、地面からにょきにょきとアスパラガスが姿を見せる「平畝(ひらうね)」での栽培。しかし、香川県では、「高畝」にして栽培しています。地面から60cmの高さまで土を盛り、そこにアスパラガスの苗を植えて栽培します。高畝にすることによって、アスパラガスはのびのびと根を張ることができ、地下茎が広範囲に広がり、地中の栄養分をより多く蓄えることを可能とします。それがアスパラガスの旨味のもととなるのです。

 香川県は、48都道府県の中で一番面積が小さいため、農産物の県別ランキングで上位に名があがることは、金時にんじん(全国1位)以外ではありません。しかし、讃岐平野を有するだけに、美味しい野菜が育まれている地であることは間違いありません。そこで今回は、Benoitが香川県食材でお世話になっている八百屋さんsanukisの鹿庭さんから、上記の河田さんのアスパラガス「さぬきのめざめ」を含めた「特選野菜ボックスを提案いただきました。

 彼の野菜に対する愛は、並々ならぬものがあります。ブランドや品種に頼らない、本当に美味しい野菜を自ら畑に足を運び仕入れ、店舗はもちろん移動販売までも行っている。「畑に行く八百屋」というキャッチコピーに偽りはなく、連絡するといつも移動している。先日のfacebookの投稿が、彼らしい一面を見せてくれていました。

 鹿庭さんが惚れ惚れするタケノコ栽培のベテラン、御年80歳という「おとうちゃん」がいらっしゃいます。年中欠かさず山に登り手入れを怠らず、収穫時期ともなると毎朝山に入らなければなりません。鹿庭さんは、おとうちゃんが難儀だろうと察し、素人ながら毎朝のように山に入っています。好きなだけ持って行きなさい!ではなく、自ら収穫の手伝いをし購入させていただくために。彼は、美味しい野菜があるから畑に行く八百屋さん。おとうちゃんが手塩に掛けて育てたタケノコの美味しさを知っている。

 おとうちゃんは、「タケノコはもうやめる…」と言っていたけれど、今年も山に入ってくれた。鹿庭さんが毎日来るから、おとうちゃんは登る気になったのだ、そうおかあちゃんが教えてくれた。老体に鞭打つかのように急な斜面を登り、タケノコに鍬(くわ)を入れる。「大先輩とともに畑で汗を流すことは、若いもんの役割です。」と、鹿庭さん言い切る。まだまだ力不足は否めないけれども、sanukisが続く限り毎年必ずタケノコ山に登ります!と教えてくれた。

 このような志を持ち、香川県のみならず四国を蹂躙するかのように畑を巡る鹿庭さん。彼が厳選する旬野菜の詰め合わせのご紹介です。タケノコは、下ごしらえが大変なので、希望の方はお伝えいただけると幸いです。

 

河田さんアスパラガス「さぬきのめざめ」(300g)セット①

5,000(税込・クール送料込み※・代引手数料込み)

河田さんアスパラガス「さぬきのめざめ」(1kg)セット②

7,000(税込・クール送料込み※・代引手数料込み)

※九州~関東圏の送料です。一部の地域では追加送料が発生いたします。

ご希望の方は、北平へ(kitahira@benoit.co.jp)へ以下の点をお伝えいただけると幸いです。ご希望にお応えできるか確認後、すぐに返信をさせていただきます鮮度の良い野菜を届けたいという鹿庭さんの強い想いがあり、ご希望の日程にお届けできない場合は、ご相談させていただきます。

ご希望の商品の個数

お受取日・時間、タケノコのご希望

お届け先とご連絡先

 

熊本県のむちゃん農園から不知火大玉とジューシーオレンジ(河内晩柑)のセット

  熊本市から南西に向かうと、天草へと導かれるかのように宇土半島が伸びています。この半島のつけねあたりの南側にあたり、八代海(やつしろかい)に面した場所にある不知火町松合。彼の地に広大な果樹園を有する「のむちゃん農園」は、すでに幾度となくご紹介させていただいているため、皆様ご存じのことと思います。今回は、野村さん自慢の不知火と、今からが旬であるジューシーオレンジ(河内晩柑)のセットをご紹介させていただきます。

 どのような地で、どれほどのこだりある果園かは、ブログにてご紹介しております。以下よりをご訪問いただけると幸いです。

kitahira.hatenablog.com

のむちゃん農園「不知火とジューシーオレンジ」セット

不知火の大玉 3

ジューシーオレンジ(河内晩柑) 6kg(1215)

5,000(税込・送料込み※・代引手数料込み)

※九州~関東圏の送料です。一部の地域では追加送料が発生いたします。

ご希望の方は、北平へ(kitahira@benoit.co.jp)へ以下の点をお伝えいただけると幸いです。ご希望にお応えできるか確認後、すぐに返信をさせていただきます鮮度の良い野菜を届けたいという鹿庭さんの強い想いがあり、ご希望の日程にお届けできない場合は、ご相談させていただきます。

ご希望の商品の個数

お受取日・時間

お届け先とご連絡先

 

新潟県佐渡ヶ島のマルヨシ鮮魚店から、鮮度抜群の魚詰め合わせ

 新潟県佐渡ヶ島から、鮮度抜群の海の味覚を楽しみませんか。今、Benoitがお世話になっている「マルヨシ鮮魚店」は、両津港に隣接する佐渡水産物地方卸売市場で、毎日のように石原さんが競り落としています。新潟出身の自分なので、声を大にしてお伝えしたい!どれほど鮮度良く美味しい魚が水揚げされていることか!

 マルヨシ鮮魚店は、自社のHPから鮮魚の地方発送を行っています。ご希望の皆様には、お手数とは存じますが、以下よりご注文をお願いいたします。鮮魚店なので、魚は捌かれパックにされています。そのため、ご自宅での手間はほとんどありません。魚種に関しては、その日の水揚げ次第なので特定できないことをご了承ください。

www.maruyoshisengyo.online

 このご案内は、Benoitとは関係なく、お世話になりっぱなしの生産者さんに、すこしでも恩返しをしたく考えたものです。今後も、旬の特選食材を皆様がご購入できるように、随時お案内をさせていただきます。

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「春に三日のはれなし」と表現される時期です。この不安定な天気は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2022年5月 「北平がBenoitを不在にする日」のご報告です。

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない5月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

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 自分へのメールでのご予約はもちろん、BenoitのHPや、他ネットでのご予約の際に、コメントの箇所に「北平」と記載いただけましたら、自慢の料理の数々を語りに伺わせていただきます。自分が不在の日でも、お楽しみいただけるよう万全の準備をさせていただきます。何かご要望・質問などございましたら、何気兼ねなくご連絡ください。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2022年4月5月 Benoit特選食材「熊本県の不知火と天草の柑橘いろいろ」のご案内です。

 「柑橘」とは何とも便利な言葉で、食材としても大いに想像がしやすいものです。とはいえ、多種多様な姿に加え、味わいの違いがあるものです。少しばかり学術的な観点から分類してみると、柑橘属(ミカン属)の中に、ミカン類、オレンジ類、グレープフルーツ類などの8つの「類」が区分けされています。

 ちなみに、レモンは香酸柑橘類に組み込まれています。「香酸」とは、なんと分かりやすいことでしょうか。ミカン類とオレンジ類の雑種群の総称がタンゴール類。文旦の仲間のこと、ザボン晩白柚(ばんぺいゆ)などはブンタン類。面白いのが、雑柑類。なんとも「雑」とはあまりな表現ではりますが、類縁関係が不明確で、その系統の種類しかないものなのだと。日本は柑橘王国なのか、この雑柑類が意外に多いのです。

 

 最初にご紹介したいものは、まさに今食べずしていつ食べるという、「不知火(しらぬい/しらぬひ)」です。「清美」と「ポンカン」の交雑種で、大ぶりながら、果皮が薄く甘みが強いのが特徴で、柑橘属タンゴール類に分けられます。画像を見るに、この凸っている姿から、「デコポン」と皆様お思いかもしれませんが、これは「不知火」です。

 不知火とデコポンは、これほどまでに酷似している姿にもかかわらず何が違うのか?実は同じといえば同じもの。「不知火」の品種の中で、JAが定めた糖度と酸度をクリアしたものが「デコポン」です。では「デコポン」が優良品種なのか?そうとも言えますが、そうでないとも言えます。この2つの名称を、数値によって分けることは、我々消費者には分かりやすく、斬新な試みだと思います。だからといって「不知火<デコポン」ではありません。消費者から見れば、デコポンの方が品質に安定感がある。しかし、不知火の中には「デコポンを凌駕する品質のものもある」ということです。

 もともとは、長崎県島原の農業試験場で誕生したものの、見た目の凸などの理由から、栽培には至りません。それが、島原湾を横切るように対岸の宇土半島に苗木がもたらされ、不知火町が栽培に着手したのです。もともと甘夏の産地だったこともあり、見事なまでに美味なる柑橘に育て上げたのです。そして、町の名前から「不知火」と名付けられます。熊本県の不知火(デコポン含む)出荷量は、全国一を誇ります。

 

 熊本市から南西に向かうと、天草へと誘(いざな)うかのように宇土半島が伸びています。この半島のつけねあたりの南側、赤い印にあるのが、「不知火(しらぬい)町」です。八代海(やつしろかい)に面した丘陵な沿岸部は、一年を通して温暖。海に面した山の斜面は、太陽の恩恵を十二分に受けることができるうえに、柑橘のとって快適な水はけをももたらします。さらに、海からの養分たっぷりの汐風、阿蘇の伏流水である熊本の水、澄んだ空気で育まれた果実が美味しくないわけがありません。

 この地で代々にわたり果樹栽培を続けている「のむちゃん農園」は、若き園主である野村和矢さん早苗さんに受け継がれました。彼らは、天の恵みである不知火の地の利に甘んじることなく、飽くなき探求心のもとで、さらなる安心安全・美味しい果実を育て上げるため、農薬に頼ることを可能な限り避け、細心の注意を払いながら手間暇をかけることを惜しみません。柑橘の美味しさを追究するがために、彼らは露地栽培のみに徹しています。

 野村さん有する広大な果樹園には、多種多様な品種が植栽されています。Benoitは昨年9月の極早生みかんから始まり、今は彼らの代表柑橘ともいえる「不知火」です。今期は酸味がのりすぎていたということで、追熟を行っていました。そしてついに、出荷が始まったのです!プリっとした実質に、濃ゆい甘みとコクに控えめな酸味、このバランスが素晴らしい。

 そうそう、Benoit東京史上初の食材、彼らが丹精込めて育て上げたオレンジ類のブラッドオレンジを忘れてはいけません。国産かつ露地栽培、さらには減農薬にノーワックスという、これ以上ない条件が揃っている。シェフの野口が惚れ込むほどの美味しさです。今回はデザートではなく、今のランチの鶏料理とディナーの鴨料理で登場です。

 

 のむちゃん農園から西へ向かうと、大小120の島々からなる天草諸島(以下「天草」と記します)が見えてきます。宇土半島から天草諸島へは、島々を架橋で繋ぐは「パールライン」が走っており、天草五橋からの気色は、風光明媚というに相応しい景色が眼前に広がります。そして、この道路を通ると…島の山々を抜ける際に、両脇に広がる柑橘畑が多いことに気づく…そう、「大矢野島」「天草上島」「天草下島」の大きな3つの島と、大矢野島の南東に位置している「維和(いわ)島」は、県下有数の柑橘産地なのです。

 上記4つの島は、橋で結ばれるも、島だからこその輸送の不便が付きまといました。そこで、それぞれの島の山路(やまじ)を利用した広域農道が整備されたのです。そして、今回の特選食材にちなみ、こう名付けられたのです。

天草オレンジライン

 天草上島ほぼ中央に聳(そび)えたつ、天草最高峰の682mを誇る倉岳(くらたけ)山。その頂(いただきに)に、五穀豊穣と航海の安全を祈願する倉岳神社が祀られています。この鳥居は「天空の鳥居」と呼ばれ、天草の美しい島々を一望できる絶景ポイントです。海から延びる山の端(は)をご覧いただきたい。目を凝らすと、たわわに実るミカンが…見えることはないですが、いかに輸送が困難かを物語っています。「天草オレンジライン」は、この倉岳山を含めた峰々の山間(やまあい)をぬうように進みます。

 

 自分が柑橘探しを始めた頃、Benoitに熊本県出身の仲間がいました。そこで、彼に「今の時期(春)で熊本県特産の柑橘はないかな?」と聞いたところ、「不知火ですかね。特に他には思いつきません」との返答。これほどまでの柑橘王国にも関わらず、それはないだろうと別ルートで探しに探し、出会えたものが、この「パール柑」でした。

 彼に「ほら、届いたよ」と自慢すると、「あ!パール柑じゃないですか」との返事。知ってるのであれば教えてくれよ、と思うものの、彼にとってあまりにも身近な柑橘だけに、特産だとは考えなかったようなのです。そう、「いつもどんな柑橘をこの時期に食べているの?」と聞けば良かった。

 かつて、日本原産の柑橘フルーツのことを、「橘(たちばな)」と総称していました。一年を通して緑美しい丈夫な葉を成すことから、不老長寿の象徴でもあったようです。その中で大きな実を成すことから名付けられたのでしょう、「大橘(オオタチバナ)」です。ミカン属ブンタン類に与(くみ)し、宇城・天草地域の特産で、「天草文旦」とも呼ばれていますが、現地では宇土半島天草諸島を結ぶ天草五橋(パールライン)にちなみ、「パール柑」という名前で親しまれています。

 輝くような黄色のぽちゃっとしたまん丸の可愛い姿をしており、グレープフルーツを想わせるような爽やかさ、甘さと酸味の見事なまでのバランス、特筆すべきは放たれる芳しい香りです。心地よく爽快な黄色い柑橘特有の香りは、手の取った指にまで残るほど。

 残念ながら、パール柑はすでに終わりを迎えてしまし、Benoitにはコンフィやマルムラードに加工したものを残すのみ。この後を引き継ぐかのように登場するのが、まさに今が旬、今期の天草産柑橘の最後を飾る「天草晩柑(あまくさばんかん)」です。ミカン属の雑柑類の属する、謎多きことも魅力の一つでしょうか。1935年に、熊本市で偶然発見され、大矢野島を中心に植栽されています。

 ジューシーオレンジと呼ばれるほど、ほどよい甘さと酸味の果汁をたっぷりと含むうえに、下の画像の左下のひときわ大きな玉が、天草晩柑です。画像右下が不知火なので、その大きさがお分かりいやだけるのではないでしょうか。画像上のパール柑とは違い香こそ地味ですが、グレープフルーツのような姿ですが、独特なほろ苦さはなく、甘みと酸味の得も言われぬ上品な美味しさには、天草の柑橘の最後を飾るにふさわしい。海岸近くの浜風あたり温暖な地で、太陽の恩恵を十二分に受けた晩柑は特に美味といい、熊本県産の約90%が天草で栽培されているといいます。

 

 不知火と天草の地からBenoitへ送り出される、柑橘「不知火」と「天草晩柑」。今期は、さらに3種類の柑橘が加わりました。

 和製オレンジではないかと思うほどにジューシーで、しっかりとした甘みを楽しめるタンゴール類の「せとか」。

 輝かんばかりの黄色の果肉に、爽やかな酸味と甘みが特徴の「黄金柑」。明治時代に鹿児島県で発見され、ゴールデンオレンジとも呼ばれています。そう、これは雑柑類です。

 この柑橘の名前はミカン類の「農6号」…中間母本という、新品種を作るための懸け橋となる品種です。それが、かなり美味しい。濃いオレンジ色の果肉には、濃厚な甘みがあるもののほのかなほろ苦さも感じる。ただ、バランスが良いのか、ついつい食べ進んでしまう。難点を言えば、外皮が硬く厚いため食べるのが難儀であること。

 

 それぞれの特徴を生かし、フレッシュの果肉、果皮のコンフィ、マルムラードそして絞って果汁へと姿を変えます。すでに「せとか」はマルムラードに加工したもののみとなり、「農6号」は残り数kgを残すのみ。天草晩柑は、さすが晩柑と名がつくだけに、まだまだ継続できますが、「不知火」と「黄金柑」は、すぐではないですが、まもなく在庫が底をつくことでしょう。

 季節が過ぎ去ってゆくように、柑橘も順を追って終わりを迎えていきます。熊本県で育まれた柑橘がBenoitで一堂に会するのは、今しかありません!それぞれの柑橘が魅せる晩春を飾るデザートをお楽しみください。

Coupe aux agrumes

熊本県産柑橘類のクープ

※ランチとディナーのプリ・フィックスメニュー、デザートの選択肢で+800円でお選びいただけます。

 

 Benoitに届く旬の柑橘「天草文旦」。今回は、一般社団法人天草宝島観光協会の助けをお借りし、皆様を少しばかり天草観光へとご案内さていただきます。人が住み良い場所に集落ができ、その人が行き交うことで道ができる。そして、その行く先々に歴史があります。前編は、世界遺産「﨑津集落」です。

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 後編は、「島原の乱」に思いを馳せながら天草諸島を抜けてゆきます。

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 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「春に三日のはれなし」と表現される時期です。この不安定な天気は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2022年4月 「歴史を顧みながら熊本県天草への旅路≪後編≫」をお楽しみください。

 熊本県天草諸島(以下「天草」と記載)は、県下屈指の柑橘の産地です。温暖な気候に加え、海面の照り返しや浜風、さらに島を形成する丘陵が適度な水はけを約束してくれる。柑橘の産地であることに大いに納得してしまうものです。だからこそ、Benoitは毎年のように柑橘を購入させていただいています。そして、今期は「天草タコ」がメニューに名を連ねるかもしれません。タコ?もちろん、タコの旬は夏なので、今ではありません。

 世界遺産もありながら、知っているようで知らない天草の地。そこで、一般社団法人天草宝島観光協会の助けをお借りし、皆様を少しばかり天草観光への旅心地をお楽しみいただこうかと思います。人が住み良い場所に集落ができ、その人が行き交うことで道ができる。そして、その行く先々に歴史があります。ということで、今回の食材を巡る旅は国道266号線を辿ってみようと思います。

 

 前編では、国道266号線を辿りながら、河浦町で脇道(国道389号線)にそれ、2018年7月に世界文化遺産に認定された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つ、「﨑津集落」を訪問いたしました。

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 後編では、「島原・天草の乱」の歴史を振り返りながら、先へ進んでゆこうと思います。

 

 﨑津天主堂を、背後から望むと、遠く先には羊角湾の対岸の美しい山々。海沿いを歩いた先には、﨑津漁港として港湾が造られています。そこから西へ目を向けた先に、大海原を見据えるようにマリア像が立っています。﨑津の漁師さんを見送り、の無事息災に帰港することを願っている。漁師さんにとっては、どのような灯台よりも、この「海上マリア像」が心を照らし続ける灯(ともしび)たらんことでしょう。

 さあ、国道389号線へ戻り、いざ西へ。この﨑津集落を横切るこの国道は、道路前後にトンネルが穿ってあります。かつては、海路でしか﨑津へいくことができなかったことを、大いに納得しながら先へ進みます。大小6つものトンネルを過ぎると、この国道は北へと向きを変え、海の底には天草灘が広がる大海原を左手に、大江町に辿り着きます。ここには≪前編≫でご紹介した「大江天主堂」を見ることができます。

 海岸線に沿うように山あいの道を北上してゆく。﨑津のあった羊角湾も、海から山がそそり立つような景観でした。しかし、この大江から北上した周辺は、外海だからこその荒波による浸食が著しい岩礁地域。「妙見ヶ浦(みょうけんがうら)」と呼ばれている地の、美しい海と奇岩が織り成す景観は、自然が作り出した造形美であり、圧倒されます。

 国指定の天然記念物と名勝に指定されている地域でもあり、やはり通り過ぎるわけにはゆきません。国道389号から寄り道をして、「十三仏公園」へ。ここから眺める妙見ヶ浦は風光明媚なり。羊角湾とは違った景観をお楽しみいただきたいと思います。

 国道389 号線に戻り、北上を続けます。海を左手に望めるようになると、賑わいをみせる苓北(れいほく)町が姿を現します。この町の西北端に、自然の神秘が生み出したかのような「富岡半島」があります。海の神々の遊び心なのか、波が運んできた砂が堆積した砂州(さす)で、本土と繋がる陸繋島(りくけいとう)。さらに、この遊び心は、細く長く砂が堆積してできた、自然の堤防のような砂嘴(さかく)を造り上げました。

 1604年(慶長9年)に、天草を領有した肥前唐津城主である寺沢広高が「富岡城」を築城しました。半島(上の画像)右上からさらりと伸びた砂嘴。その間が巴湾。この湾の左岸の中ほどの丘の上に築いた山城です。

 「島原・天草の乱」において、長崎県島原の原城に籠城する前に、この富岡城を巡る攻防戦がありました。歴史に「もしも」はありません。しかし、この攻防如何(いかん)では、どのように歴史がかわっただろうか?そう思わずにはいられません。

 

 「島原・天草の乱」は、キリシタンの反乱として世に知られていますが、禁教令に対する反発というよりも、島原城主松倉氏と天草領主寺沢氏の悪政が事の発端です。この2つの領地で共通していることは、キリシタン大名と名高い有馬晴信小西行長が治めていたということです。

 豊臣秀吉の治世に、島原は有馬晴信、天草は小西行長が領有します。1587年に秀吉の「伴天連(ばてれん)追放令」が施行されるも、南蛮貿易の魅力に負けた秀吉は禁教を徹底できなかったため、両大名は宣教師を比護し続けました。そして、日本の行く末を左右する戦(いくさ)が勃発。1600年(慶長5年)「関ヶ原の戦い」です。有馬晴信は東軍、小西行長は西軍に。勝敗は皆様の知るところ。

 小西行長の所領は没収され、天草の地は肥前(佐賀県)唐津城主である寺沢広高が領有することになります。飛び地のような所領のため、この天草を治める拠点として築城したのが、前述した「富岡城」です。

 有馬晴信の所領は島原であり、安泰であったはずが、権謀術数に己惚れたのか、自ら謀(はか)られることになります。有馬家の念願である旧領地回復の口利きと、朱印状(偽物)を得たことへの礼として、岡本大八へ賂(まいない)を渡してしまうのです。岡本大八が、江戸幕府老中、本多正純重臣でであること。さらに、長崎奉行の長谷川藤広との確執もありました。多くの要素が絡みあい、晴信は大八の口車に乗ってしまったのでしょう。

 これが「岡本大八事件」として明るみになったのは、1612年(慶長17年)のこと。岡本大八は偽の朱印状を作成した罪で、有馬晴信長崎奉行長谷川藤広暗殺未遂の罪で、断罪されます。有馬晴信の所領は、子の直純へと引き継がれますが転封されることで、島原の地は松倉重正の領地となるのです。

 これで終わらないのが、この「岡本大八事件」でした。断罪された二人がキリシタンであったことに、江戸幕府キリスト教への不信が募っていきます。そして同年、江戸幕府より「伴天連(バテレン)門徒御制禁也」と下知がくだされたのです。そして翌年には「伴天連追放之令」が発布され、禁教令が徹底されてゆきます。「追放」から「処刑」へ、ここに苛烈な「キリシタン迫害」が始まることになるのです。

 

 熊本県公式観光サイトの「ふるさと寺子屋」に寄稿された鶴田倉造氏の寄稿が興味深い。引用させていただきながら、「島原・天草の乱」を追ってゆこうと思います。

 「天草・島原の乱」は、天草を支配した寺沢氏と島原の松倉氏による圧制とキリシタン弾圧がその原因と言われていますが、島原はともかく天草には少し違う事情がありました。小西行長の治世、天草の人口3万の2/3にあたる2万3千がキリシタンであり、60人あまりの神父、30の教会が存在していたといいます。幕府のキリシタン禁教令により、キリシタンの弾圧が激しくなり、1630年(寛永7年)には島民のほとんどが転宗・棄教していたといます。

 歴史教科書では「寛永の大飢饉(1940~1943年)」が記載されていますが、江戸初期には凶作が続き、飢饉へと幾度となく陥いっていたようです。天草の人々は、キリシタンを棄教したことで、天が我々を見放して、天罰を下したと考えるようになりました。そして、天草の其処此処で復宗運動が起こり始めるのです。

 天草の地を領有している寺沢広高、次の寺沢堅高の圧政は、実際の石高の2倍にものぼる年貢であり、農民の不満は募るばかり。さらに、小西行長を含め戦国時代に敗れ去った大名の臣下は、農民として日々を暮らしていました。彼らの無念さはいかほどのものか。そこへ誰ともわからない藩主がやってきての圧政となれば、生きるために一揆止むなしと考えるのは、至極当然のこと。

 生きるか死ぬかの瀬戸際に達したとき、皆の気持ちが一揆蜂起へと向かうことになります。しかし、村ごとで蜂起したところで、規模は小さく鎮圧されることは明白。そこで、皆の気持ちがひとつになるような主導者の必要性を考えていたはずです。この策謀を談義していた地が、島原と天草の大矢野島沖にある「湯島」であったといいます。この島の別名は「談合島」。彼らは、天草で巻き起こる復宗運動を利用しることを画策しました。

 かつて、ポルトガルマカオに追放されたママコフ神父は、信仰を禁止された天草の民へ「25年後、16歳の天童が現れ、パライゾ(天国)が実現するであろう。」との預言を残したといいます。そして、ひとりの神童が大矢野島で産声を上げ、幼さの残る青年となった益田四郎時貞、天草四郎として歴史に登場します。

 1637年(寛永14年)に天草四郎を総大将にたて「旗揚げ」しました。一揆の「蜂起」ではなく、聖杯にクロスが飾られ2人の天使が描かれた旗印のともに集結したのです。もちろん、島原側でも同時期に行動が始まっています。

 天草四郎の軍勢(以下「四郎軍」と記載)が大矢野島から天草上島へと進んだところで、当時富岡城を守っていた唐津藩筆頭家老、三宅籐兵衛が出陣します。しかし、反乱軍の勢いを止めることはできず、ここで命を落とす。

 三宅籐兵衛は、ガラシャ夫人の甥で、肥後藩主の細川忠利の従兄弟にあたる人。まったくの推測ですが、彼はキリシタンに対しては寛容だったのではないか。寺沢広高の圧政による、人々の困窮は目の当たりにしています。天草上島で四郎軍と対峙したとき、藤兵衛は説得を試みたのではないかと思うのです。反乱側に同情するがために…

 四郎軍は、賛同者が集いながら富岡半島まで進み、、富岡城を取り囲みます。城内の唐津藩兵約3千に対し、四郎軍は約1万にも膨れ上がっていました。四郎軍は農民が中心の素人軍ではありません。かつては勇猛果敢に戦場(いくさば)を駆け抜けた武士(もののふ)が指揮している軍団です。しかし、三方を海に囲まれ、難攻不落といわれる「富岡城」を攻め切れませんでした。下の画像は、富岡城址から望む巴湾です。

 四郎軍は、富岡城攻略を諦め、早崎瀬戸を渡り対岸の島原へ。そして、島原で蜂起した仲間と合流した後に、原城へ向かいます。3ヶ月間の籠城の末、大勢の幕府軍に敗れてしまいました。約3万7千にも及ぶ民衆を率い、幕府側の降伏勧告にも屈せず、戦い続けました。原城攻防による四郎軍の生存者は、内通者の一人のみといいます。参加した農民皆がキリスト教を心の拠り所としていることに、幕府に恐怖とも思える大きな衝撃を与えたことは、この後に禁教を徹底したことが物語っています。

 「島原・天草の乱」後は、寺沢堅高は死罪を免れたものの領地没収となり、幕府軍の総大将である松平信綱の信任が厚い、山崎家治が富岡藩主として移封されます。領民がいなくなった村々もあるなか、領地は荒廃を極めている中で、復興に尽力。その後天領となり、代官として鈴木重成が着任。鈴木重辰、重祐と続き、地元では鈴木三公として慕われる善政を行っています。その後、戸田忠昌によって富岡藩が立藩。天草の現状を見かねた忠昌は、富岡城の維持が領民の負担になると考え、三の丸を陣屋として残し、廃城とするのです。後に「戸田の破城」と名付けられました。再度、天領となり、そのまま明治を迎えます。

 幕府は、問題のあった藩には、転封という手法をもって信任が厚い大名に、藩の立て直しを任せます。これは、天草に限ったことではありません。以前にブログで書いた「郡上八幡物語」は、岐阜県の話です。

kitahira.hatenablog.com

 復興の兆しが見えたところで、天領にするというということは、幕府にとって重要な拠点であると判断したのでしょう。そして、なにかしらの不穏な動きを察したのか、更なる可能性を見出したのか、島原藩を立藩することで能力のある大名を移封する。そして、また天領へ。このあたりの理由は、まだまだ調べる必要がありそうです。

 

 もし、四郎軍が難攻不落といわれた「富岡城」を陥としていたら。この砂州が作り上げる地形は、数十万の幕府軍を迎えるには好都合だったのではないか。勝てはしなくとも、長引く戦乱が世相を変えたかもしれない。江戸幕府の300年の歴史が変っていたかもしれない。そう思うと、大げさかもしれませんが、この富岡城の攻防が「島原・天草の乱」の重要なポイントだったのではないのか。そう思えてなりません。

 「島原・天草の乱」で命を落とした四郎軍の首は、3つに分けられ埋葬されました。そのうちの一つが、この富岡城の袂(たもと)にあります。乱から10年後の1647年(正保4年)、鈴木重成の手によって「富岡吉利支丹供養碑」が建てられています。

 

 さあ、歴史の重みを感じつつ、後ろ髪をひかれる思いのまま、国道389号線を進もうかと思います。天草下島の海岸沿いを進みますが、最北端まで辿りつくと国道324号線へと国道名が変わり、進路は南へ向かいます。そして、天草上島へ向かうための「天草瀬戸大橋」の手前で国道266号線と合流し、橋を渡り終えると分岐を迎えます。上島の沿岸南側を通るのが国道266号線、北側は国道324号線です。

 今回は北側の国道324号線へ。この天草上島区間の別名は「天草ありあけタコ街道」です。この名前が全てを現すでしょう。タコの産地であり、干しダコを作るために、天日干ししている光景がほのぼのとした景観を作り出しています。

 さあ、この天草ありあけタコ街道に入るとすぐに、「島原・天草の乱」の天草側の緒戦の地となった、大島子諏訪神社に出会う。さらに進み少しばかり寄り道をすると、正覚寺が姿を見せます。このお寺は、乱の後にキリスト教布教の中心となる「南蛮寺」の跡地に建立されたといいます。先頃行われた本堂改築の際には、IHSと干(かん)十字の入ったカマボコ型のキリシタン墓石が発見されています。

 さらに進むと、この街道らしいモニュメントが目に飛び込んできます。皆様のごタコ(多幸)を願いながら、目指すは大矢野島を挟んで、宇土半島と天草とを結ぶ「天草五橋」です。橋の手前で、国道324号線は上島南まわりの国道266号線と合流し、ここから宇土半島までは、同じルートを辿ります(以下「国道266号線」)。

 

 「天草五橋」は、真珠の養殖が盛んな地域であることに由来し、「パールライン」と呼ばれています。それだけに、橋を渡るとすぐに出迎えてくれるのが「天草松島」の島々。ここの景観が得も言われぬ美しさがあるのです。5号「松島橋」、4号「前島橋、3号「中の橋」、そして2号「大矢野橋」。全てが違った姿で我々を魅せてくれます。

 島々を橋脚のようにして、この4本の橋を巡って辿り着く、大矢野島へ。上陸手前に、左手の島原湾が広がる先に、前述した湯島(談合島)を遠くに望むことができます。右手の八代(やつしろ)海には、大矢野島と橋で繋がる維和島が。ここは、日本の車エビ養殖発祥の地です

 国道266号線をそのまま、大矢野島の中央付近へ向かうと、右手に「天草四郎ミュージアム」が見えてきます。天草四郎生誕の地であり、「島原・天草の乱」の旗揚げの地でもあるのです。

 このミュージアムの道路挟んだ反対側に、道の駅「上天草さんぱーる」が居を構えています。実は自分がこの「上天草さんぱーる」さんと出会わなければ、Benoitに天草の柑橘は届いてはいません。担当の方から伺う話は、興味深い逸品ばかり。今期は12月の「早生みかん」から始まり、4月の「不知火(しらぬい)」と「パール柑」まで購入させていただいております。

 柑橘以外にも、Benoitで購入したい食材として、自分が虎視眈々と機を狙っているものは、「車エビ」と「真鯛」、陸では「天草大王」という地鶏です。車エビに関しては、すでにご紹介した方が購入してくださり、あまりの美味しさに2度目のお願いをしたと伺いました。きっと美味しいのでしょう…実はまだ自分は口にしたことがありません。

 皆様も購入することが可能です。箱単位での購入ご希望であれば、Benoitを担当してくださっている方をご紹介いたします。希望のものをセットで、もしくは少量での購入がご希望の際には、以下より「上天草さんぱーる」さんのHPをご訪問ください。どれほどの特産があるかも紹介されています。

www.sunpearl.jp

 

 パールラインを進み「天草五橋」最後の橋、1号「天門橋」を渡ると宇土半島に上陸です。国道266号線は南側の海岸線に沿いながら進み、半島の付け根に位置する「不知火」の地から北上して熊本市へと向かいます。今回は、この不知火が終着地です。なぜか?今回の旅のきっかけとなった「天草の柑橘」のひとつ、「不知火」の発祥の地だからです。

 不知火は、旧暦の8月1日(八朔の未明)、目の前の八代海(別名不知火海)に現れる「火の国の怪火」のこと。旧暦は月を基準とした暦なので、1日はまっくらな朔(さく)の日。新年を迎え8回目の朔の未明に現れるという奇観です。漁船の漁火のように見えるのでしょう。いつぞやは、直に見てみたいものです。

 

 最後にもう一つだけ。八代海が「不知火」であれば、反対の島原湾にも怪現象があります。海水温が高く、気温が冷え込んだ時に、この温度差によって蜃気楼のような現象がおきるといいます。船や島々が浮き上がって見えることから「浮島現象」と名付けられました。

 天草四郎が、富岡城の攻城を諦め、対岸の島原へ渡ったのは、寒さが厳しくなりつつある頃です。島原の原城に籠(たてこも)り、落城するのは年が明けた2月28日のこと。彼は望郷の念をもって、このような景色を眺めていたかもしれません。

 

 「島原・天草の乱」に触れながら、旅路を進めてゆきました。少しでも、皆様が天草へ興味をもっていただき、GWや夏休みなどの長期休暇に、彼の地をご訪問いただけると幸いです。今回の旅路のご案内には、一般社団法人天草宝島観光協会のお力添えが欠かせませんでした。この場をお借り、深く御礼申し上げます。

 

歴史を顧みながら少しばかり「﨑津集落」へ。この≪前編≫はこちらから。

kitahira.hatenablog.com

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2022年4月 「歴史を顧みながら熊本県天草への旅路≪前編≫」をお楽しみください。

 熊本県天草諸島(以下「天草」と記載)は、県下屈指の柑橘の産地です。温暖な気候に加え、海面の照り返しや浜風、さらに島を形成する丘陵が適度な水はけを約束してくれる。柑橘の産地であることに大いに納得してしまうものです。だからこそ、Benoitは毎年のように柑橘を購入させていただいています。そして、今期は「天草タコ」がメニューに名を連ねるかもしれません。タコ?もちろん、タコの旬は夏なので、今ではありません。

 世界遺産もありながら、知っているようで知らない天草の地。そこで、一般社団法人天草宝島観光協会の助けをお借りし、皆様を少しばかり天草観光への旅心地をお楽しみいただこうかと思います。人が住み良い場所に集落ができ、その人が行き交うことで道ができる。そして、その行く先々に歴史があります。ということで、今回の食材を巡る旅は国道266号線を辿ってみようと思います。

 

 この国道は、天草上島の最南端に位置する牛深(うしぶか)という地から始まり、熊本市まで続く国道です。起点となる牛深港から北上し、「天草瀬戸大橋」を目指します。この橋を渡り、天草上島南側の海岸を沿うように進み、今度は天草五橋へ。島々を巡りながら大矢野島を経由し、宇土半島へ上陸。半島南側を通過しながら、今度は北上することで熊本市へ辿り着きます。

 牛深の美しい海の景観に後ろ髪を引かれながら、この国道を北上してゆきます。海を背に山あいを進んでゆくと、目の前に羊角湾(ようかくわん)が飛び込んできます。この湾に沿うかのように北上すると、この湾の先端に辿り着く、ここが天草市河浦町です。あまりあるほどの歴史深い地ですが、ここから寄り道のために、左折して国道389号へ、一路西へ西へと向かいます。さあ向かう先は?

 

 皆様がまっ先に思い浮かぶ天草観光といえば、ここを置いて他にはないのではないでしょうか。2018年7月に、世界文化遺産に認定された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つ、「﨑津集落(さきつしゅうらく)」です。天草下島の南西に位置し、深く切り込んだ入江、羊角湾の中ほどまで入り込んだところの、さらに狭くくぼんだ地にこの﨑津集落があります。

 世界遺産に認定されるには理由がありました。そこで、今回の「熊本県天草への旅心地≪前篇≫」では、この「﨑津集落」をご案内させていただきす。今年のGWや夏休みに、きっと彼の地を訪れたくなること間違いありません。≪後編≫は﨑津集落から再出発します。

 さあ皆様、目的地に辿り着いたようです。

 

 地図で見ると何かと大きそうな湾ですが、GoogleMapで見る限り、狭くいりくんだ形をしており、色濃い緑の覆われる天然の要害のような雰囲気を醸し出しています。上の画像は教会背後から写したもの。羊角湾から﨑津集落のある入江を遠くに見ることができます。左右に正面にと、なかなかに険しい峰々が海からせせりたっていることがお分かりいただけるのではないでしょうか。なかなかに生活するには難儀な場所です。

 其処此処で見ることのできる、生活知恵。狭い平地の有効活用として世界共通なことは、人が通るのがやっとの小径(こみち)が走っていること。﨑津では「とうや」という名称がついている小径が、住居の間から海へ向かって整備されています。さらに、海産物を捌くため、「かけ」という場をこしらえています。土の上は居住スペースを優先するため、古人が考えたのが海の上でした。

 海岸沿いに少しでも開けた地に住居を作り、そこに集落が形成されます。平地を田畑にする余裕はなく、山を切り開くにも急峻であるために、居を構える人々皆が漁業を生業としていました。海と山に囲まれている地形だからこそ、今では国道が走り交通の便は格段に良くなっていますが、かつての交通手段は海路と急峻な山道のみ。

 﨑津集落を見る限り、農地が作れるスペースなどありません。しかし、人間は魚だけでは生きてはゆけません。では、生きるための糧をどうしたのか。漁村「﨑津」と農村「今富(いまとみ)」の連携によって、ひとつの生活圏が形成されていたようです。下のGoogleMapを見ていただくと、赤丸が「﨑津」で、その北(上)に細長い穀倉地が広がります。この山あいの里が「今富」です。

 﨑津で水揚げされた海産物は、漁師の奥様方によって今富まで行商(メゴイナイ)に出かけてゆきます。その帰りに、米・野菜などの食料品に加え炭などの生活必需品を持ち帰ってくる。さらには、今富の人々の農閑期には、漁船の労働力を提供する。規模が小さながら、他との物流に頼らずとも、この地域だけで生活が成り立つのです。

 なぜ、潜伏キリシタンとして独特の文化を育むことができたのか。この類稀なる地理的環境と、2つの集落による極々小さい規模での生活圏が成り立つ環境が、大きな要因の一つなのではないでしょうか。2012年に国の重要文化的景観として「天草市﨑津・今富の文化的景観」が選定された理由はここにあります。

 気嵐(けあらし)の中に、﨑津教会の尖ったタレットが幻想的に浮かび上がる。冬の寒さが厳しいころ。温かい海水が蒸発し、寒い外気で急激に冷やされることで発生する、この霧のような現象を「気嵐」といいます。もちろん、冬の季語にもなっている自然現象です。

 さあ、﨑津集落のシンボルともなっている、この﨑津教会。昔々の戦国時代、当時の領主であった天草氏は、1566年に布教を許し、教会が建てられました。もちろん、その教会ではありません。ヨーロッパからキリスト教徒と共に建築技術が伝えられれば、可能であったかもしれません。しかし、日本の歴史はそれを許しませんでした。

 

 豊臣秀吉の治世に、天草氏は一時反乱(天草合戦)を起こすもキリシタン大名と名高い小西行長支配下に入ります。1587年に秀吉の「伴天連(ばてれん)追放令」が施行されるも、南蛮貿易の魅力に負けた秀吉は、禁教を徹底できなかったため、天草の地では宣教師を庇護し続けました。さらに、コレジヨ(高等神学校)やノヴイシアド(修練院)を、﨑津の東に位置している河浦町へと移転します。

 1582年から、キリシタン大名と名高い大友宗麟大村純忠有馬晴信の名代として4人の少年が選ばれ、ローマ教皇に謁見するため船旅にでます。「天正遣欧少年使節」と呼ばれた彼らが帰国したのは8年後の1590年。一変した日本の状況にきっと驚いたことでしょう。秀吉の伴天連追放令が、厳しくなくとも発布されているのです。

 彼らのもたらした情報は貴重極まりないものばかり。さらに持ち帰ってきた中には、グーテンベルク印刷機ありました。この画期的な印刷機によって、教理本や日本・ポルトガル辞書、源氏物語など「天草本」が印刷されたのです。

 今回のメインルート国道266号線から、﨑津方面へ向かう国道389号線とへ分岐する地「天草市河浦町」。ここに「天草コレジョ館」が建てられ、この印刷機の複製など、今に残る貴重な資料を目にすることができます。天草コレジョ跡地は公園に整備されており、当時の面影を少しばかり感じ取れることでしょう。

 

 時代は下り、徳川の治世になると、キリスト教への厳しい沙汰が始まります。1612年江戸幕府より「伴天連(バテレン)門徒御制禁也」と下知がくだされます。このキリスト禁教令については、士農工商という身分制度をもって秩序を保ってきた江戸幕府治世が危機感を覚えたからという話もありますが、当時の国内および世界情勢を鑑みると、そればかりが理由ではない気がいたします。多くの諸説があることが、この謎を物語っています。

 この徹底した禁教令は、もちろん天草の地も例外ではありません。表向きは仏教徒や氏子であるも、密かにキリスト教の信仰を続ける、ここに「潜伏キリシタン」が誕生します。宣教師は国外に追放された後は、「キリストの教え」を独自に引継いでゆきます。彼らの心の支えともなる信心具は、仏像の裏側に巧妙に隠し彫ったものや、巧妙に並べられた文字列、さらにはアワビやタイラギなどの貝殻の内側をマリア様に見立てたものなど、すべて発覚を逃れるため工夫を凝らしたものばかり。

 毎年のように行われる「絵踏(えふみ)」や幕府の厳しい監視の目によるキリシタン発覚に怯えつつ、月日は過ぎてゆきます。ところが、疑わしいと幕府が内偵を進めると、同地域から大多数の潜伏キリシタンが発覚。これが1805年の「天草崩れ」です。﨑津、大江、今富村などの住民の半数が、﨑津に限っていえば住民の70%もの人数が摘発されたといいます。

 あまりの多さに厳重な処罰はかえって難しいと判断した幕府は、得体のしれないキリスト教ではなく、幕藩体制に従順な異教徒と判断するのです。そこで、代官所の役人は、﨑津諏訪神社の境内に設置した箱に、自ら信心具を投げ捨てることを指示します。そして、「心得違いをしていたが改心した」とみなして放免したのです。そのため、多くの潜伏キリシタンは信仰を捨てることはありませんでした。

 幕府側からの監視の中で、犠牲を払いながら幾度となく危機を乗り越えてきた潜伏キリシタン。幕末のアメリカの黒船外交によって長崎に外国人居留区が設けられ、1864年長崎県大浦天主堂が建立されます。そして、この教会に潜伏キリシタンが信仰を告白しにくるのです。この「信徒発見」の報は、厳しい迫害によって信徒は途絶えたと信じられていたヨーロッパ諸国に驚きと感動をもって伝えられ「世界宗教の奇跡」と讃えられました。しかし、まだ日本では禁教令の最中であり、告白者のこの行動は浅はかとも思えるもの。ところが、この「信徒発見」が歴史を動かしたのです。

 

 幕末に締結された列強との不平等条約の改正を求め、ヨーロッパへ赴いた明治政府の面々は、キリスト教徒を迫害する政府は信用ならんと猛抗議されることになります。そう、まだ明治の時代を迎えても禁教は続いていたのです。ついに、政府が重い腰を上げ、「キリシタン禁制の高札撤去」を行いました。時は1873年(明治6年)のこと。潜伏キリシタンは260年もの間、じっと耐え忍んでいたのです。

 天草に赴任したフェリエ神父は、1883年(明治16年)に大江に、1888年(明治21年)に﨑津にと、教会を建立します。時を経て、ガルニエ神父が地元信者と協力し、1933年(昭和8年)に大江天主堂(上の画像)が完成します。大江は、﨑津から国道389号を西へ西へと進み、そのまま海岸線を沿うように少しばかり北上した地です。丘の上にロマネスク様式の美しい教会を、今も望めます。

 そして、翌年1934年(昭和9年)に﨑津天主堂(上の画像)が完成の陽の目を見ます。ハルブ神父の強い要望もあり、禁教下で絵踏の行われた吉田庄屋役宅跡地が選ばれました。当時、数多くの教会建築に携わった大工、鉄川与助の設計施行のもと、十字架を掲げる尖塔部分は鉄筋コンクリートで他は木造建築、重厚なゴシック様式に仕上がります。堂内は畳敷きで、祭壇はかつて絵踏みが行われていた位置に当るのだと。海に溶け込むかのような景観から、「海の天主堂」とも呼ばれています。

 こうして、潜伏キリシタンの迫害の時期は終わりを迎えました。彼らの必死な潜伏期が、長崎県の「信徒発見」を導き、「世界宗教の奇跡」として、この報はヨーロッパ列強を駆け巡りました。数々の宗教戦争を経験しているだけに、我々が思う以上にヨーロッパの人々にとっては万感(ばんかん)の想いだったはずです。この「宗教の奇跡」無くして、不平等条約の改正という「日本史の奇跡」は成し得なかったかもしれません。

 

 天草でキリシタンと言えば「日本史上の一大事件」がありました。小学校でも習う「島原・天草の乱」。なぜ、この一大事件に、一度も触れずに、﨑津集落の歴史が明治を迎えてしまったのか。この類稀なる地理的な環境が、大いに関係していたのです。

 「島原・天草の乱」の後(のち)、苛烈を極める禁教の時代を迎えます。この乱に参加した人々は、長崎県島原の原城で討ち死にしています。その関係者には厳しい沙汰が下り、連施設は破壊しつくされます。人口の激減と幕府側の徹底的な禁教により、天草の地は荒廃してゆきます。ところが、﨑津を含めた下天草の地は例外でした。なぜか?

 地理的環境により小規模な生活圏を形成してるからこそ、他地域との交流が少なかった。今ほどに情報が、すぐに伝播する時代ではりません。特に何か不穏なことが無ければ、内偵を出すこともありません。峰々で遮(さえぎ)られていたことで、山向こうの争乱を知らなかったのです。

 「天草崩れ」では﨑津の70%が潜伏キリシタンだったということを鑑みると、彼らがこの乱に参画しないわけがありません。しかし、「知らなかった」ことが幸いし、比較的穏便な禁教下で﨑津の人々が生活できた。だからこそ、多くの貴重な遺物が現存しました。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産に認定された要因のひとつなのではないでしょうか。

 

 今回の旅路には、一般社団法人天草宝島観光協会のお力添えが欠かせませんでした。この場をお借り、深く御礼申し上げます。さあ!≪後編≫では、いよいよ「島原・天草の乱」に触れながら、旅路を進めてゆこうと思います。

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 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

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2022年4月5月 Benoitお勧めデザート「イチゴ≪紅ほっぺ≫とバジルのヴァシュラン」のご紹介です。

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 Benoitのデザート年間スケジュールの中で、欠かすことのできない食材が3つあります。夏の「桃」に秋の「和栗」、そして春の「イチゴ」です。それぞれの時期になると、その食材の名前が其処此処に掲げられるため、皆様にはさほど驚きはないかと思います。今の時期のデザートには、これでもかとイチゴを使った「イチゴ尽くし」のようなものが数多(あまた)あります。

 確かに、芳醇な旬のイチゴを贅沢に使うことで、美味しいデザートを組み立てることができます。しかし、Benoitを管轄しているアジア圏の統括シェフパティシエであるジュリアン・キンツラーは、そうではない。フランスのデザート職人らしい組み合わせの妙をもって、皆様の五感にうったえてきます。

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Vacherin fraise/basilic

静岡県産イチゴ“紅ほっぺ”とバジルのヴァシュラン

※ランチ・ディナーのプリ・フィックスメニュー、デザートの選択肢で+800円(税込サ別)でお選びいただけます。

 

 え?緑色…そう、今期のイチゴのデザートはこの姿です。Benoitの公式画像を撮影するのが総支配人である永田なのですが、イチゴを使っているという印象が無いため、苦肉の策として右手にイチゴを飾り、真っ赤なイチゴのソースをあしらったのです。いったいどういうデザートに仕上がっているのか、これから手順を逆にしてご紹介していこうと思います。

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 皆様が一番気になっているのが、この緑色の部分ではないでしょうか。上の画像で小さな葉っぱを飾っていますが、これは「マイクロバジル」という香草で、指と比べてもわかるように、この小ささが特徴。メニューにも岸雅がある通り、姿は小さいですが香り風味はバジルです。

 うねっている緑のクリームのようなもの…ピスタチオですか?と聞かれることが最も多いです。確かに、色から想像するにありえる可能性が高いデザートの食材。しかし、これもバジルを使ったソルベ(シャーベット)です。色粉などは一切使わない、ということはどれほどフレッシュのバジルを使えばいいのか、皆様のご想像にお任せいたします。

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 ソルベを搾り袋に入れて搾る…クリームであればいざ知らず、今までそんなことは考えたことはありませんでした。パティシエールの作業工程を、Benoitではガラス越しに眺めることができますが、誰しもがソルベだとは思っていません。この絶妙な硬さが優しい口溶(くちど)けをなし、イチゴとの見事な調和を生み出すことになろうとは…

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 バジルだけのソルベは青々しい風味だけに、料理であればいいかもしれませんが、美味しいデザートになろうはずがありません。そこで、このソルベにはライムを搾り入れています。ライム特有のはつらつとした酸味と爽やかな香りが、芳醇なイチゴとのマリアージュを生み出す。このデザートは、イチゴそのものに甘みがしっかりと内包されていないと、バジルの風味に負けてしまう。だからこそ、Benoitは静岡県のイチゴ「紅ほっぺ」を選ぶ。それも、いち栽培者の方の逸品を。

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 多くのイチゴ品種が誕生する中で、1980年代には≪東(栃木県)の「女峰」、西(福岡県)の「とよのか」≫」という二つの勢力が台頭します。そして時が過ぎ、2000年前後ともなると、≪東(栃木県)の「とちおとめ」、西(福岡県)の「あまおう」≫へと移りゆく。イチゴは、都道府県ごとにその地ならではの品種があり、お互いに美味しさを追究するように鎬(しのぎ)を削る。まるで戦国時代の群雄割拠の様相を見せるかのようであり、毎年のように新品種が誕生し、その数だけ姿を消す。

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 日本でイチゴ生産量の1位を誇るのが栃木県、追随するのが2位福岡県。この二大勢力に猛追をかけるのが4位静岡県です。≪東の「とちおとめ」、西の「あまおう」≫に割って入るかのように静岡県が育種した品種が「紅ほっぺ」です。甘さでは「あまおう<とちおとめ」、酸味では「あまおう>とちおとめ」。「紅ほっぺ」はどちらも中間に位置しています。甘みと酸味を兼ね揃え、酸味があるからこそ甘みも冴えるのです。

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 静岡県掛川の「赤ずきんちゃんおもしろ農園」の赤堀和博さん率いるプロチームが丹精込めて育て上げた「紅ほっぺ」は、みずみずしくしゃくしゃくの食感であることはもちろん、心地良い酸味がイチゴの優しい甘さを引き立てています。甘いだけではない、イチゴの優劣はこのバランスによって決まると、Benoitシェフ・パティシエールの田中はいう。。

 Benoitに送っていただいているイチゴの品質にはただただ脱帽するのみ。魅惑的な甘い香りをはなちながら、美しい輝かんばかりの赤い色、口中いっぱいに広がる瑞々(みずみず)しい甘さに心地よい酸味、いかに丁寧に育てられた「紅ほっぺ」であることか。自分のみならず、パティシエチーム皆が「美味しい」と口をそろえる美味しさです。

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 さらに、Benoitは赤堀さんに我がままなお願いをしています。完熟まで待って収穫してもらうイチゴと、食味いい段階で収穫したものと2種類を送っていただきます。よく見かけるイチゴは、後者の方です。完熟まで待ってしまうと、香りと甘さは抜群ですが、輸送に耐えることができないほど果肉が柔らかくなるため、「あたって」しまうのです。

 Benoitは、この完熟まで収穫を待った、コクのある「紅ほっぺ」の風味と芳醇な香りを生かし、ほとんど甘さを加えないマルムラードをこしらえます仕上げます。イチゴ本来の持つ美味しさを、ぎゅっと凝縮したかのような濃厚な味わいを作り出すのです。それをフレッシュのイチゴにまとわせるようにし、メレンゲの上に山のように盛り付けます。

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 「紅ほっぺ」でありながら、2種類の実質の購入は、柑橘と違って保存の利かないイチゴでは無理難題というものです。イチゴは農産物であり、Benoitの都合の良いように実るわけではありません。過去、一農家さんから購入を試みるも、ことごとく途中で、必要数がまかなえなくなっていました。それを、いともたやすく応えてくれるのが、ここ「赤ずきんちゃんおもしろ農園」です。

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 この農園は、静岡県掛川市に広大な農園を構えています。看板に偽り無し、まさに日本最大級のイチゴ畑を有しているからこそ、一度も滞ることなく、Benoitへ「紅ほっぺ」をさらっと送り続けてくれるのです。熟度の違いや購入量も、担当してくださった方の「大丈夫です」という一言に、どれほど安堵したことか。そして、何よりも彼らのイチゴの美味しさは、Benoitが毎年のように購入していることが何よりの証ではないでしょうか。甘く豊かな香りをはなちながら、美しい輝かんばかりの赤い色、口中いっぱいに広がる味わい、甘さと酸味のバランスが素晴らしい。

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 今年の彼らのイチゴの完成度は、1月末にBenoitに届いた「紅ほっぺ」の箱を開けた時の香りが物語っていた。まだ、1月末にもかかわらず、やわらかな甘い香りがパティシエルームに満ち満ちたのです。これほどのイチゴであるならば…そう、今回のバジルのマリアージュが決まった時でした。

 メレンゲの軽やかにパリっと溶けてゆくかのような食感に、優しい甘さ。その上には、赤ずきんちゃんおもしろ農園の美味なる「紅ほっぺ」をたっぷりと。それも、完熟「紅ほっぺ」から仕上げた濃密なマルムラードをまとわせる。そこへ、バジル香るソルベで包み込みこみ、バジルを飾って完成を見る。バジルだけではイチゴと反目するどころか、全てがバジル風味になりかねない。このイチゴとバジルのマリアージュを仲介している、まるで仲人さんのような存在がライムだ!

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 アジア圏の統括シェフパティシエであるジュリアン・キンツラー。このマリアージュの妙は、フランス人ならではの発想なのか、はたまた、彼自身の経験がなせるものなのか。イチゴ尽くしのデザートも良いですが、今期のBenoit、イチゴデザートは、一味も二味も違う。間違いなく他の店舗ではお目見えすることはないでしょう。奇抜!と思うも、イチゴとバジルのマリアージュは思いのほか美味しい…ついつい癖になってしまうほどに…

 最後に皆様に伝えなければならないことがあります。バジルという個性豊かな食材を使うため、イチゴの味わいが力強くなくてはなりません。そう、どのイチゴでもいいというわけではないのです。Benoitが毎年のようにお世話になっている「赤ずきんちゃんおもしろ農園」さんは、名前こそ可愛いですが、彼らの育んだイチゴの品質は群を抜いています。Benoitが毎年のように購入させていただいている理由はここにある。

 赤堀さんは、毎年のように美味しい「紅ほっぺ」をBenoitに送ってくれます。しかし、いかに「「紅ほっぺ」というブランドを冠していても、イチゴは農産物であり、生育過程の気候によって毎年のように風味が変わります。日本人は、この違いを少なくしようと努力する。フランス人は、この違いがあることを楽しんでいるかのよう。ワインも農産物であり、同じ畑の同じ造り手でも毎年のように味わいが変わってくることを知っている。そのため、ワインのエチケットにはヴィンテージがはっきりと記載されている。日本酒は、瓶詰めの年月がエチケットの端に小さく印字されている…

 工場製品ではなく、農産物だからこそ、毎年のように違いがあっていい。「赤ずきんちゃんおもしろ農園」のイチゴは美味しいことは分かっている。Benoitが購入した第一便は、今年1月末のことでした。すでにこの時期にあり、赤堀さんのイチゴは香り高くコクのある美味しさを兼ね揃えていました。バジルとのマリアージュの着想は、今期の「紅ほっぺ」と出会ったからなのかもしれません。

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Vacherin fraise/basilic

静岡県産イチゴ“紅ほっぺ”とバジルのヴァシュラン

※ランチ・ディナーのプリ・フィックスメニュー、デザートの選択肢で+800円(税込サ別)でお選びいただけます。

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com

 

2022年4月5月Benoit ≪花より団子特別プラン≫と≪限定シャンパーニュ≫さらに≪お勧め料理≫のご案内です。

 3月中旬ごろだったでしょうか、神奈川県に住んでいらっしゃる方からメールをいただきました。ご予約希望の文面の中に、このような一文が、「先週末くらいから、まだ遠慮がちですが鶯(うぐいす)が鳴いてます。」と。

 

谷の戸を あけてやきつる 鶯の まだ里なれぬ 今朝のはつこゑ  西園寺実材母(さぬきのはは)

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 山間(やまあい)の谷に戸を締めたかのように身を潜めるウグイスが、春の風なのか、花の香りなのか、春の息吹に誘われるかのように人里を訪れる、古人はそう考えていました。しかし、西園寺実材母は違うのですよという。ウグイスは自ら時季を見定め、谷の戸を開けて山を下りてきたのです。そして、まだ人里に馴れていないのでしょう、声音に「ためらい」や「たどたどしさ」を感じる今朝の初声でしたよ。

 ウグイスは、早春に人里でこの鳴きの練習をし、春の深まりとともに山へ向かって巣作りを行うという。都内では、皆無ともいえるウグイスの声。「ホーホケキョ」は、オスがメスへの求愛の声掛けであり、後の縄張りのアピールなのだといいます。山で耳にするホーホケキョは、自分の縄張りを伝えている声だという。しかし、その声音に色気を感じたら、そのウグイスはまだつがいを探しているということなのでしょうかね…あ!

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 ウグイスではないわよ、わたしはメジロよ!

 

 気付けば、花(ソメイヨシノ)が笑う季節の到来です。桜の花を愛でに足を運ぶも、小腹が空いたことを口実に、ついつい甘味処に立ち寄ってしまう。そのような時に、口からでてしまう…

花より団子

 花見では空腹は満たせず、落ち着かないばかりか苛立ちさえ覚えてしまうもの。やはり、腹ごしらえをしたうえで、こころ穏やかに花を鑑賞したいものです。この気持ちを、相手にユーモアとともに伝えることのできる、なんと素晴らしいフレーズでしょうかす。さらに7文字という字数が、歯切れよく心地よく響く理由なのでしょう。

ところが、このフレーズはもともと違ったいいまわしでした…意外な歴史がありました。

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 時は今を遡ること1300年、天武天皇により発願された平城遷都、710年頃の奈良時代のこと。当時に建立された奈良仏教を代表する法相宗大本山、「薬師寺」が舞台です。今では世界遺産となり、修学旅行や観光で訪れたことがあるのではないでしょうか。ここは、よく我々がお世話になるお寺さんとは違い、お葬式などを行うところではなく、学ぶところ。言いかえれば法相宗の教義を学ぶところです。

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 3月の末に、この大寺が国家繁栄、五穀豊穣と万民豊楽を願い、執り行われる春の行事が「花会式(はなえしき)」です。この約1週間の法要では、薬師如来、日光・月光両菩薩の前に、季節をつかさどる10種の和紙で作られた造花とお餅が備えられます。このお餅のことを、「檀供(だんぐ)」と呼びます。そして、この法要後、「花わけ」として、和紙の花と檀供をご協力いただいた方々に贈られます。

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 当時は仏教が国教化したこともあり、仏様のありがたさを常々説かれていたはずです。美しく織り込まれた和紙の造花は貴重で、誰しもが是が非でもと欲していたはずだ…と思うのは、豊かな時代に生きる我々の見解です。稲作によって、多くの人を養うことが可能になったとはいえ、奈良時代はそんなに食が豊かではありません。当時の多くの人々の気持ちは、造花よりお餅をいただきたかったはずです。

花より檀供(だんぐ)

 このフレーズを10回も繰り返し口に出してみると…いったい誰がいつごろに言い出したのでしょうか…「花より団子」の誕生です。そこで、Benoitより「花より団子」のご案内です。

 

花より団子特別プランのご案内です。

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 草木の花々は移りゆく季節の機微を捉え、順を追って咲き誇るもいずれは散りゆきます。食材も同じように「旬」という期間は限られたものであり、「待つ」という優しさはありません。そこで、全ての旬食材は無理でも、Benoitに少しだけ顔を向けてくれた食材で、「口福な食時」のひとときをお過ごしいただきたく、「花より団子特別プラン」と銘打って、皆様にご紹介させていただきます。そう、団子も良いですが、Benoitの美味しい料理をお楽しみください!

 

花より団子特別プラン

期間:土日を含めた2022430()まで

ランチ: 前菜x2+メインディッシュ+デザート

6,000円→5,000円(税込/サービス料別)

ディナー: 前菜x2+メインディッシュ+デザート

8,600円→6,800円(税込/サービス料別)

 

 迅速に皆様のご希望にお応えできるよう、専用の予約サイト開設いたしました。以下のURLよりご利用ください。ご希望日のご予約が取れない場合でも、まだお席が残っている可能性もございます。その時は、何気兼ねなく自分へ返信、もしくBenoitへご連絡(03-6419-4181)ください。ご要望や質問なども、喜んで承ります。

 

ランチのご予約はこちらから

https://www.tablecheck.com/shops/benoit-tokyo/reserve?menu_items=6237d2f1a6b861002577fba4

ディナーのご予約はこちらから

https://www.tablecheck.com/shops/benoit-tokyo/reserve?menu_items=6237d297bd7775002a5834fe

 

≪知る人ぞ知る、プライベートシャンパーニュselection alain ducasse」が眠りから覚めます!≫

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 「プライベートシャンパーニュ」というと、既存のシャンパーニュにエチケットだけオリジナルのものを貼り付けたものをいいます。そう、中身はシャンパーニュを醸しているメゾンの既存品なのです。ところが、この「Champagne selection alain ducasse」は違うのです。記憶が定かでないほど時を遡った頃、このシャンパーニュの話を聞いた時、我が耳を疑ったのを鮮明に覚えています。

 「アラン・デュカスグループ専用にブレンドされ、醸造されたシャンパーニュであること。

 シャンパーニュ造りは、ブドウ品種ごとにワインを醸し、年代(ヴィンテージ)違いも含め、ブレンドして瓶詰めしていきます。これに、ドサージュという甘いシロップを加え2回目の発酵に入ります。この2回目の発酵が、魅惑の泡を生み出し、最低3年瓶の中で熟成させることで、ガスがワインに溶け込むのです。そう、シャンパーニュには、最低でも4年の歳月が必要です。

 各シャンパンメゾンは、自分達の威信にかけてスタンダードのシャンパーニュを醸します。ある醸造責任者のコメントが忘れられません。「ヴィンテージシャンパーニュは、ブドウの出来が良かったときのみ醸せばよい。しかし、スタンダードのラインナップは、どんな年でも最高品質で醸さねばならない。これが一番苦労する。」と。これは、シャンパーニュに限ったことではありません。日本酒でも、本醸造が美味しくなければ、その蔵元の吟醸酒は購入しないでしょう。杜氏が一番気をもみ神経をとがらせるのが、スタンダードの「本醸造」です。お手頃の価格で、その蔵元の威信にかけて美味しさを醸さねばならないのです。

 プライベートシャンパーニュとはいえ、仕上がったワインの美味しさ如何では、自らの評価を落とす危険すらあります。さらに、アラン・デュカスに「妥協」という文字はなく、彼のイメージするシャンパーニュを仕上げなければならないという使命もある。危険と使命の間(はざま)で大いに悩んだであろうことは想像に難くはありません。それでも果敢に取り組み、この「Champagne selection alain ducasse」を世に送り出したのです。この大役を担ったのが、大手シャンパーニュメゾンの「LANSON」です。

 美味しかった…そう「た」という過去形です。今から3年ほども前のことでしょうか、このシャンパーニュ醸造中止の通達がきたのです。そこから1年もたたないうちに国内在庫が底をつき、幻のワインとなったのです。今では、世界のアラン・デュカスグループのレストランに問い合わせても、どこにもこのシャンパーニュはありません…一店舗を除いては…そう、Benoit東京のワインセラー奥底に少しだけ眠っているのです。

 4月、日本人には節目となるこの月を迎えたこともあり、この最後のストックを皆様に開放いたします。Benoit東京の隠し在庫は、6本のみ。そこで、2022年4月にBenoitへお運びいただける方で、ご希望の方を募らせていただきます。グループ統括ソムリエのジェラール・マルジョン監修で、アラン・デュカスが認めたプライベートシャンパーニュです。全世界のグループレストランでオンリストされていました。いったいどれほどの美味しさなのか?さあ、最後の機会です!

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NV Champagne selection alain ducasse

14,000(税込サービス料別)

※特別なシャンパーニュのため、Benoit東京のストックは6本です。そのため、1グループで1本とさせていただきます。ご希望の方は、ご予約日を決める前に、まずはこのメールへの返信をお願いいたします。シャンパーニュを確保したうえで、改めて4月のご予約日をお決めいただけると幸いです。このシャンパーニュに関しては、ワインの日での割引対象外となることをご了承ください。

 

≪季節のお話 「春の気色は きのふの日かげ けふの春雨」≫

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 春は「三寒四温」といわれているように、3日間の寒い日の後は、4日間の暖かい日が続き、この周期を繰り返しながら、日を追うごとに春本番へと移りゆく。今回は伏見院の歌とともに、「春の雨」と「春雨」の違い、さらに3月3日は桃の節句ということもあり、この桃の開花時期もご紹介させていただきます。さて、桃の花は桜の前に咲くのか後に咲くのでしょうか?

kitahira.hatenablog.com

 

45月のシェフお勧め料理は「エイヒレのムニエル」です!≫

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フランスのビストロ料理として欠かせない「エイヒレのムニエル」。我々日本人には馴染みのない食材である「エイ」、それがグルノーブルという調理スタイルで仕上げた逸品は、美味しいからなのでしょう、今なお多くの人々に愛され続けられている料理です。では、どのような料理なのでしょうか?

kitahira.hatenablog.com

 

グルノーブルとは何?なぜエイヒレなの?

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 フランスのビストロ料理として欠かせない「エイヒレのムニエル」とは前述しました。そもそも、グルノーブルとは何を意味しているのでしょう。そして、どうしてエイなのでしょう。皆様、気になりませんか?

kitahira.hatenablog.com

 

≪エイヒレと「瀬戸内レモン」がBenoitで出会います!≫

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 グルノーブルという料理スタイルに欠かすことのできない食材が、「レモン」です。Benoitでは瀬戸内レモンの旬に合わせ、「瀬戸内レモンのタルト」をご用意していましたが、3月末をもって終わりを迎えました。今は、エイヒレの料理に登場です。岩﨑農園のレモン無くして、この料理の美味しさはありえません。

 今回は、この岩﨑農園のご紹介です。Benoitとの出会いも書いております。皆様の中には、自分が全国を訪問して特選食材を探してるのだとお思いの方も多いかと思います。しかし、そうではないのです!出会うべくして出会うのです!

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Benoitで共に働いてくれる仲間を探しています。

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 Benoitは、ウイルス対策を継続しつつですが、賑やかなビストロらしい活気を取り戻すべく、スタッフの増員をすることにいたしました。皆様のお知り合いの中で、飲食の仕事にご興味のある方がいらっしゃったら、ご紹介いただけないでしょうか。ごの場でお願いすることではないことは重々承知しております。ご理解いただきますこと、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

北平のBenoit不在の日

 私事で恐縮なのですが、自分がBenoitを不在にしなくてはならない4月の日程を書き記させていただきます。滞りがちだったご案内を充実させるべく、執筆にも勤しませていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

kitahira.hatenablog.com

 

 過ごしやすい日々ではありますが、まだ「三寒四温」と表現される時期です。寒暖の差は、知らず知らずのうちに体力を奪ってゆくもの、油断はなりません。疲労・ストレスなどが原因で免疫力が下がっている時に、乾燥が加わると、コロナウイルスばかりではなく、風邪やインフルエンザにも注意が必要です。さらに、肌荒れやかゆみの原因にもなり、体感温度も下がります。健康のためにも、美容のためにも、程よい湿気お忘れなきように。そして、心の潤いも保ちながら快適にお過ごしください。

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 最後まで読んでいいただき、誠にありがとうございます。

 「一陽来復」、必ず明るい未来が我々を待っております。そう遠くない日に、マスク無しで笑いながらお会いできる日が訪れることを願っております。皆様のご健康とご多幸を、一刻も早い「新型コロナウイルス災禍」の収束ではなく終息を、青山の地より祈念いたします。

 

ビストロ「ブノワ(BENOIT)」 北平敬

www.benoit-tokyo.com